こんにちは!中村珍晴(なかむらたかはる)と申します。僕は19歳の夏、アメフトの試合で首を骨折し頚椎損傷となり、首から下の動きと感覚をすべて失いました。今は車椅子に乗って生活をしています。
君はもう二度と歩くことはできません。寝たきりの生活になる可能性もあります。
そう医師に告げられた時、人生のどん底に突き落とされたような気持ちになりました。入院中、「人生が終わってしまった」と、無気力になる日々も。でも、そんな僕を後押ししてくれたのは、スポーツ心理学を通して「誰かの力になりたい」と思ったことです。
今は神戸学院大学の心理学部で講師しながら、自身の経験をもとに「心的外傷後成長(PTG:Posttraumatic Growth)」という概念を研究しています。PTGとは、危機的な体験やそれに続く苦しみの中から精神的な成長が体験されることを意味します。
アスリートにとって、重度の受傷は競技生活を左右するような危機的な出来事になり得ます。一方で、受傷がネガティブな影響を及ぼす危機となるからこそ、その経験が心理的成長に繋がる可能性があるということが近年の研究で分かってきました。
今回は事故を経験した後の僕の歩みとともに、PTGの研究結果や今取り組んでいるYouTubeチャンネル「suisui-Project」、新たなプロジェクトについても紹介できればと思います。
手術は成功。「もう一度立って歩ける」と思っていた
事故のきっかけとなったアメフトを始めたのは、大学に入学してからのことでした。
小中高まではずっと野球をしていて、昔は一言で言うと自分勝手だったと思います(笑)。本当に負けず嫌いで、決めたことは絶対に譲りたくないというタイプだったんです。
高校のときも「甲子園が人生のすべて」だと思っていて、最後は目標に届かなかったのですが、それくらい没頭してしまう性格でした。大学に入学して、新しいスポーツに挑戦しようと考えたときに、目にとまったのがアメフト。大学から始める人が多く、そこから日本代表になる人も多いので、一からトップを目指してみたいという気持ちが芽生えてきたんです。
入部してからの練習は大変な日々でしたが、その魅力も少しずつ感じるようになっていきました。社会人になっても続けたい、いずれは「日本代表になりたい」という気持ちも芽生えてきて。このようにスポーツという存在が、常に僕の中心にあったように思います。
アメフト漬けの日々を送る中、1年生でスタメンとして試合に出させてもらえる日がやってきました。練習で積み上げたことが評価され、すごく嬉しかったことを覚えています。試合は前半が終わり7-14。僕らは7点差で負けていました。
あまり良いプレーができていないから、何とか挽回したい。
そんな思いを抱いていた後半5分、相手選手が思い切り僕に向って走ってきて。「しっかりブロックしよう」と足を前に出したその瞬間、大きな衝撃とともに僕は倒れました。
雷が落ちたような衝撃とともに、スローモーションで流れていった夏のキレイな青空を覚えています。プレーは当然続き、意識もずっとあったので、試合に戻ろうとしたのですが、僕の身体にある異変が起きていました。首から下が全く動かなくなっていたんです。
これはどういうことなんだろう…。
そんなことを考えているうちに、担架でベンチに運ばれて、そのまま救急車で搬送され、ありがたいことにその日のうちに手術を受けることができました。翌朝、担当医には「手術は成功したよ」と言われたので、もう一度立って歩くことができる、次の試合にも間に合うと思っていたんです。
でも、1日、3日、1週間たっても身体の状態は何も変わらない。さらに、手術でできた傷口の影響で熱も出ている状態でした。あれ、何かおかしいなと思っていたら、手術から10日後、ついに担当医から「二度と歩くことはできない」と宣告されました。
自分の中で大きなショックだったのは、立って歩くことができないというよりも、アメフトがもうできないということ。
スポーツができないの? 次の試合に出られないの?
そんな感情が日々押し寄せてきました。その喪失感は、今でも心の中に大きく残っています。
一方で、まだ現実味がなく、将来どのような生活になるかもイメージできていなかったので、最初は「リハビリをすれば何とかなるだろう」と楽観的に考えていました。
しかし、1~2か月と月日がたつうちに、少しずつ現実を実感するようになりました。特にショックだったのが、初めてお風呂に入ったとき。お湯につかっても温度が全く分からず、お湯につかっているという感覚もない。お風呂から上がって自分の足を見たときには、木の枝のような細い足になっている。
自分の身体は本当に障害を負ったんだ。
実感がわいてきた瞬間でした。それから心身ともにもどんどん調子が悪くなっていったのです。
全てを失ったと思っていたけれど、「大切な人たちとのつながり」は何も変わっていなかった
自分の人生終わった。
入院中は院内感染にかかり、肺炎に何度か苦しめられるといったことがあり、このような気持ちにまでなったこともあります。それでももう一度立って歩くことが諦められず、頚椎損傷としてはかなり早い約半年で退院し、民間の施設でリハビリを続けていきました。
少しずつ身体の調子が良くなっていくのを実感した一方で、1日単位で見るとほんの数ミリしか前進しているように感じない。
「このまま自分ってよくならないのか」という気持ちが強くなり、周囲との接点も減っていき、気が付くと引きこもりのような生活になっていました。将来の生活イメージが見えてこない不安な気持ちが大きかったと思います。
そんな状態だった自分を前向きにさせてくれたのは、大きく三つの存在がありました。
一つは、4歳年上になる兄の存在です。兄は県外の会社で働いており、事故までは約4年間ほとんど会っていませんでした。久しぶりに再会した場所が病室でしたが、それから兄は仕事が休みになるたび新幹線で病院に来てくれ、身の回りのお世話をしてくれたんです。
事故から4か月後、その日も兄が病院に来てくれ、こう言ってくれました。
俺、仕事を辞めて、理学療法士になろうと思う。ハル(兄は僕のことをこう呼びます)の苦しみや辛さを全て理解することは無理やけど、少しでもいいから力になりたいんよね。
小さいころから迷惑ばかりかけていた自分を、こんなに思っていてくれることが嬉しくて。入院中、辛い日々を過ごしていた自分を支えてくれる言葉となりました。
兄はその後本当に仕事を辞め、僕のリハビリと介護を手伝いながら専門学校に通い、現在は理学療法士として病院に勤めています。心から尊敬する兄です。
二つ目は、地元の友人です。退院した当時は、ちょうど成人式をむかえる時期でした。
当時は、「行きたくない」という強い気持ちがありました。昔の自分を知っている人たちに今の様子を見られるのが嫌だったし、「どんな目で見られるのか怖い」という気持ちがあったんです。でも、同級生が家から引きずり出すように連れて行ってくれて、いざ参加してみると、意外とみんな変わらずに「久しぶり」「大変だったね」と声をかけてくれました。
僕は昔と同じようにみんなと関わることは難しいだろうと思っていたのですが、そうではない。勝手に自分が壁を作っていただけだと気付かされました。このまま家に引きこもっているのではなく、できることを少しずつ取り組んでいこうと決意した瞬間でした。
三つ目は、アメフト部のチームメイトです。僕の実家は山口県にあるのですが、クリスマスイブの夜に、チームメイトがサプライズで奈良県から車で来てくれたんです。しかも、僕を喜ばせるためなのか、彼らはなぜかサンタとトナカイのコスプレをして登場。その夜は、久しぶりにチームメイトとお腹を抱えて笑い合いました。そして僕の心の中で、どんな形でもいいから、チームに戻りたいなという気持ちが芽生えたんです。
僕はその時休学をしていましたが、待ってくれている人がいるということが自分の支えとなり、次の目標が見えてきました。
もう一度大学へ復学して、アメフトのフィールドへ戻る。
この目標に向かって、毎日6時間以上のリハビリを続けました。結果的には2年間の休学を経て、僕は車椅子に乗って大学に復学。復学後はコーチとしてチームに復帰しました。
ケガをして全てを失ったと思っていたけれど、大切な人たちとのつながりは何も変わっていなかった――。入院中、リハビリ期間中、そして復学までの過程では、そんなことを実感しました。
そして2年間コーチを経験した後、突然、母校のゼネラルマネージャーからヘッドコーチの打診があったんです。引き受けるかどうか一瞬迷いましたが、その場で首を縦に振りました。その理由はただひとつ。アメフトの素晴らしさを多くの人に伝えたかったからです。
アメフトは体の接触を伴うスポーツなので、小さな怪我は多く発生します。しかし、ヘルメットと防具で体を守っているので、ルールを守り正しい姿勢で相手と接触すれば、大きな怪我に繋がることはほとんどありません。実際に僕は「頭を下げた状態で相手と接触する」という、アメフトで絶対してはいけない姿勢でコンタクトしたため首を骨折しました。もちろん接触した相手選手に非は全くありません。
自分のミスで招いた怪我のせいで、大好きなアメフトにマイナスのイメージが貼られてしまうことが辛かったし、何よりもこのような事態を招いてしまい、この競技に関わる全ての人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。だからこそ、自分がもう一度アメフトに関わることで、一人でも多くの人にこの競技の素晴らしさを知ってほしいと思い、「どうせやるならとことんやろう」とチームの指揮を取ることができるヘッドコーチという役職を引き受けました。
コーチの経験から、スポーツ心理学を学びに大学院へ
コーチとして選手の指導に携わる中で芽生えてきたのが、PTGの研究につながる「アスリートの心のサポートがしたい」という気持ちでした。アスリートにとって怪我とは身体的に大きな傷を負わせるだけでなく、心にも大きな傷跡を残す可能性があります。
スポーツの現場では身体的なケアが充実しており、その重要性を多くの人が認識しています。しかし、心のケアには重きが置かれていない。ひどいケースだと「怪我をする人が悪い」という認識まであることに、違和感がありました。自分自身がスポーツで怪我をして辛い日々を過ごしたことからも、何かできることはないかと感じたのです。
周囲の人に相談していく中で、スポーツ心理学という学問領域があることを知り、大学院への進学を決断しました。当初は研究テーマは決まっていませんでしたが、調べていくうちに出会ったのがPTG(Posttraumatic Growth)という概念です。
心理的なサポートというのは、辛い出来事があったときに「心の状態がマイナスになったものをゼロに戻すようにしていこう」というのが基本的な考え方です。
しかし、アスリートのインタビューではよく「あの時の怪我のおかげで今の自分がある」という発言もありましたし、自分自身の経験においても辛い出来事を通して、むしろ人間的に成長することもあるのではないか、と感じていました。もともとPTGは自然災害や戦争、中途障害などを対象に研究されていたのですが、スポーツの領域で発表されている論文が一つもなかったこともあり、僕自身の研究テーマにすることを決めました。
Tedeschi and Calhoun(1996)によると、PTGは「危機的な出来事や困難における精神的なもがき・闘いの結果生じるポジティブな心理的変容体験」と定義されています。
広い意味では、自身の価値観を揺さぶるような出来事から生まれるポジティブな変化を指しますが、具体的に「他者との関係」「新たな可能性」「人間としての強さ」「精神性的(スピリチュアルな)変容」「人生への感謝」という5つの成長領域が提唱されています。
今年7月に受理された博士論文では、約300人のアスリートに質問調査をし、PTGに影響するのは本人の持つ性格なのか、周囲のサポートなのかを研究しました。
結論から言うと、どちらも重要だったのですが、一つ興味深かったのはストレスに弱かったとしても、周囲からの支援を受けたという実感があると、PTGをより高く経験するということです。つまり、生まれ持った性格ももちろん影響はしますが、それよりも周囲のサポートが重要だったんです。
また、具体的にどのようなサポートがPTGに関係するのかという点で、「アドバイスする」「励ます」「受け入れる」という3つのサポート内容を検討しました。結果としては、3つ目の「受け入れる」が一番PTGに影響を与えていることが分かりました。
つまり、辛い状況に陥っている人にどのようなサポートが必要かというと、アドバイスをするとか、励ますよりも、その人自身を受け入れてあげることが重要だということ。本当に辛い時に独りぼっちだと、前を向く力もないし、辛い出来事と向き合えないですよね。
でも、どんな状況になっても、自分のことを見捨てず、受け入れてくれる人が隣にいたら、辛い出来事にも向き合えたり、新しい自分に向かって一歩を踏み出すことができるかもしれません。
これはまさに僕が兄や地元の友人、チームメイトを通して経験したプロセスと一緒だったのです。
障害がある自分だからこそ、人の役に立てることがある
PTGという概念を取り扱ううえで、注意しなければいけないこともあると考えています。
一つは、今苦しみを経験している人に、成長を押し付けるものではないということです。受傷したすべてのアスリートが成長を経験し、それを認識できるわけではありません。辛いときに「その経験から成長できるものを見つめよう」と言われても、傷口に塩を塗るような行為となってしまい、心をさらに傷つける可能性もあります。
つまり、PTGはすべての人が目指すべきゴールでなく、誰もが経験する可能性のある大きな出来事に向き合う中で、結果的に経験することもある。それくらいの認識でいたほうが良いということです。
他にも、PTGを経験したからといって、苦しかった出来事自体が正当化されるわけではないということが挙げられます。PTGにおいて「成長」の側面が強調されすぎると、意図していなくても「成長できたから、受傷して良かった」という結論に導かれる危険性があります。こうした思い込みによって、本当に向き合わなくてはいけないことから目をそらしてしまう場合も考えられるでしょう。これを「イリュージョンPTG」と呼んでいます。
自分自身も、昔はよく「障害を負って良かった」「事故にあって良かった」と言っていた時期がありました。でも、今は考え方が変わりました。障害を負っていなかった人生のほうが幸せだっただろうし、楽しかっただろうなと思う自分もいます。
「障害を負って良かった」と全く思わなくなったのですが、一方で今の生活がマイナスかと言われるとそうではありません。月日を重ねていく中で、障害を負ってから出会った人や、経験したことが今の自分を作ってくれているということを実感できるようになったからです。
この実感を得られるようになったのは、アメフトでのコーチを経験したことが大きいです。コーチをしていた当時、できないことにたくさん目を向けてしまい、「あれもこれも手伝ってもらわないといけない。チームに貢献できることは何もない」と思っていました。
しかし、戦略面を考えて分析する「アナライジングスタッフ」という立場になってからは、僕のように身体の不自由があったとしても、物事を考えることができれば、チームの役に立てるということが実感できるようになりました。車椅子だから何もできないというわけでなく、自分の見方さえ変えられたら、この身体でもできることはあると実感でき、少しずつ障害に対する考え方も自分の中で変わっていったように思います。
また、講演を依頼していただくことが増えた中で、ある中学校に行ったときの経験も、僕の心に残っています。
これまでの経験を体育館で話していたのですが、一番後ろで先生と一人で椅子に座っている生徒がいました。「体調が悪いのかな」と思って帰るとき他の先生に聞いてみたら、その生徒はずっと不登校だったようでした。ある日、講演の紹介をしたら興味を持ってくれて、学校に足を運んでくれたらしいのです。
後日、その生徒さんからこんな感想文をもらいました。
ずっと自殺を考えていたのですが、中村さんの話を聞いて、ちょっだけ頑張ろうと思えるようになりました。
その時感じたのは、障害がある自分だからこそ、人の役に立てることがあるということです。この経験がより自分の障害に対する見方を変えるきっかけとなりました。
この経験をきっかけに始めたのが、YouTubeチャンネル「suisui-Project」です。車椅子生活に役立つ情報や身体障害者のリアルを発信しすることで、自分の知らない誰かの力になりたい。PTGの研究もそうですが、僕と同じように目の前が真っ暗になるような出来事を経験したときの、一つの希望の光として発信を続けていけたらと思っています。
自分の人生を作るのは、きっと自分自身
僕は今、いろんな人の支えとともに暮らしています。妻と二人暮らしですが、できることは自分で、料理などの家事は妻が、入浴などはヘルパーさんに来ていただいて、助けてもらう毎日です。
一人では何もできないので、「どうやったら人にお願いしたいことが伝わるか」は特に意識するようになりました。また、何かしてもらったら、しっかり感謝を伝えることも大切にするようになりました。
頚椎損傷の特徴でもあると思いますが、僕の場合は事故をきっかけに一気にできないことが増えました。これは例えるなら、一瞬でマイナス100くらいの状況になったということ。そこからリハビリを通して、車椅子に乗れるようになって、自分で食事ができるようになって、1ずつプラスになっていったようなイメージです。
以前はこの状況を過去の自分と比較して、「あの頃はスポーツができてたのに」「怪我してなかったらこんな生活じゃなかった」と考えてしまっていました。でも今は、怪我をした当初よりはできることも増えたとポジティブに思っていて。だからできないことをお願いすること、サポートしてもらうことも、ネガティブな認識はあまりないです。
それは、アメフトのコーチとか、研究とか、仕事とか、目の前に一生懸命になれるようなことがあって、気がつけば過去の自分と比較しなくなったことが大きいのかなと思います。
最近も新たなことへのチャレンジを楽しんでいます。障害を負ってから、色々なことを諦めなければならなくなりましたが、その一つが旅。ホームページにバリアフリー対応と書いていても、実際はバリアフリーとはいえないような場所もあるんです。
僕自身、昔から田舎や離島に行くのが好きだったので、2020年7月から、種子島の饅頭屋さんをバリアフリーリノベーションし誰もが泊まれる宿をつくるというカモメプロジェクトに挑戦しました。クラウドファンディングを通じた支援もあり、同年9月に宿屋「カモメ」が完成しました。
今後の大きなビジョンとしては、誰もがどんな状況になっても、「諦める」という選択を強要されない世の中を作っていきたい。Youtubeの発信や関わるプロジェクトを通して、実現していきたいと思っています。そして個人的な夢としては、自分の足でもう一度立って、怪我をしたあのフィールドで、当時のチームメイトとアメフトのキャッチボールをしたいですね。
家族や周囲の友人も、やりたいことに目が向いて行動している人が多いからか、僕も、自分の好奇心を大切にする、自分のやりたいことをとことんやりたいと自然に考えるようになりました。自分の人生を作るのは、きっと自分自身。自分の進む道のりを人任せにせず、今後も目の前のことに一生懸命になりながら、歩んでいきたいと思います。
関連情報:
中村珍晴さん Twitter Youtubeチャンネル
(執筆/庄司智昭、写真提供/水本光、編集/松本綾香、企画・進行/庄司智昭・松本綾香、協力/佐藤みちたけ)