【写真】道路を背にして微笑むいしいさん

みきちゃんは、いつも何かに悩んでいるよね。

ある友人にこう言われたことがありました。振り返ってみると、たしかに私はいつもネガティブな感情に振り回されてきた気がします。

仕事でちょっとしたミスをすると「みんなから役立たずだと思われているに違いない」と悩み、会議でうまく意見が話せないと「なんでこんなことすらできないんだろう」と悩む。

「気にしい」な性格は、変えられないんだろうなあ……。

そう思いつつも、「悩みなんかなくして、前向きに生きられたらいいのに」と自分の性格をうらめしく思う時も少なくありませんでした。

そんな時、ある人からハッとするような言葉を聞きました。

生きているかぎり、悩みって絶対につきないんですよね。だから、悩みをなくそうと努力しても、あまり意味はないんです。だとしたら、その悩みとどううまく付き合っていくかを考えられるといいんじゃないでしょうか。

これまで私は悩みをなくす方法がきっとどこかにあるはずだと思い込んできました。でも、悩みのない人生なんてないのかもしれない。だとしたら、「悩みがあること」を前提にしながらも幸せに生きる方法を探せばいいんだ。

この考え方は、今までの私の思い込みを覆す衝撃的なものでした。

教えてくれたのは、望ましい行動を増やし、望ましくない行動を減らし、しなやかなマインドを作る認知行動療法「ACT (アクト、Acceptance and Commitment Therapy)」の研究者であり、実践者でもある株式会社ZENTech取締役・石井遼介(いしいりょうすけ)さんです。

石井さんは、医療現場で実践されている精神医学・認知行動療法の「ACT」を職場に応用。お互いに率直な意見が言えて質問ができ、成果の出やすい「心理的安全」な組織やチームをつくるための企業研修などを行っています。

2020年9月にも、よい組織・チームをつくりたい人に向けた著書『心理的安全性のつくりかた』を発売。ACTの実践方法を社会に広げていく活動にも取り組まれています。

ACTでポイントになるのは「心理的柔軟性」というコンセプトです。これは、悩みとうまくつきあっていくためのしなやかなマインドのこと。今日は、その身につけ方について一緒に考えていきましょうか。

「ネガティブな感情を引きずってしまう。でも本当はもう少し前向きに人生を送りたい」そう願っているみなさんも、しなやかなマインドを手に入れる方法について石井さんと一緒に考えてみませんか?

思い込みが覆ったことで見える世界が変わった

ACTの紹介に入る前に、まず石井さんがACTに出会うまでの道のりを伺いました。今でこそACTや組織・チームづくりの専門家である石井さんですが、大学生の時までは「人の心」にはあまりが興味がなかったのだと言います。

大学院生の時、ランチに行こうと友人と一緒に外を歩いていたんですね。そうしたら、彼がこう話しかけてきたんです。「石井さん、今通った人見ましたか?彼のコーディネート、すごくカッコよかったですよね」って。

実は石井さんは彼と同じ通行人を見ていたはずなのに、ファッションを全く見ていなかったのだとか。この時、石井さんは「僕は今まで人のどこを見てきたんだろう」と、ふと考えさせられたのだそう。

当時、友人と学生起業をしていたんですね。学生ながら、大きな会社の社長さんにコンサルティングを提供していたりして。「自分は人のことをよく分かっている」ってちょっとした驕りがあったのかもしれません(笑)。でも、彼の言葉にハッとさせられたんです。僕は他者のファッションのよさに気づくわけでも、その他のところをよく見ているわけでもない。「もしかしたら僕は人のことを全く見れていなかったんじゃないか」って、その時気づいたんです。

【写真】インタビューにこたえるいしいさん

何気ない気づきのようにも思えますが、これが石井さんのその後の人生を少しずつ変えていきます。

面白いことに「自分は他者をちゃんと見ていなかったんだ」と気づくと、行動が変わるんです。見えていないからこそ、ちゃんと相手の話を聞こう、相手を知ろうと行動する。そうすると、今まで見えていなかった相手の側面が見えてきて。「考え方一つでこんなにも世界の見え方は変わるものなのか」と実感した出来事でしたね。

そこから人の認知や行動について少しずつ興味を持っていった石井さん。2015年に幸福学研究の第一人者である慶應義塾大学の前野隆司教授と、ある研究プロジェクトを始めます。

それは軽いうつ傾向の人が回復に向かうためのマニュアルの作成です。ベテランカウンセラーがクライアントに対してやっていることを、丁寧に観察しステップに分解・再構築して、クライアントが自分自身で悩みを解決できるマニュアルを作ったそう。つまり、計算ドリルで自習をするように、クライアントが自分ひとりで質問に回答していくことで、鬱度や不安度を軽減できる。自分の悩みを誰かに知られたくないけれども、悩んでいる人の、心の回復に寄り添うためのプロジェクトでした。

そこから実践を繰り返し、マニュアルは無事完成。一定の成果もでるようになったと言います。

専門的なカウンセラーだけがメンタルヘルスを担うのでは、その恩恵を得られる人は一握りになってしまいます。一方、自分自身で悩みに対処する方法を知ることができれば、幸せで有意義な人生を送れるようになる人は増えるはず。研究を通して、そんな確信をもてました。この経験から「私はこれからも人々が有意義な人生を送れるサポートがしたいのだ」と思うようになっていったんです。

このように一見成功したかに思えたこのプロジェクトでしたが、いざ研究の成果を公表しようとした時、ある壁にぶつかりました。

それは「成果はでるけれど、なぜうまくいくのか説明できない」こと。つまり、ベテランカウンセラーの技術は再現できるようになったものの、なぜ上手く再現できるのかという学術的な説明が十分にできなかったのです。

自分たちの実践を裏付けるような学術的理論はないのだろうか。そう思っていた時に、大学の図書館でACTについて書かれている本を見つけました。何の気なしに手にとってみて「まさに、これだ」と。そこには、自分たちがやってきたことが論理的に、かつ学問的な根拠をもって書かれていたんです。

【写真】真剣な顔で説明をするいしいさん

研究をきっかけとしてACTに出会い感銘を受けた石井さんは、そこからACTについて専門的に学ぶようになりました。

ACTはネガティブな考え方を受け入れ、人々が有意義で豊かな人生を過ごせるような行動を増やすサポートをする心理療法です。自分がやりたいことを実現する強力な手段になると感じました。

そして現在石井さんは個人が自分の心に向き合う機会をつくるだけでなく、仕事の場面でももっと幸せに、いきいきと働きながら成果を出す人が増えるよう、ACTの考え方をベースとした取り組みをはじめました。現在は、生産性が高く離職率も低い「心理的安全なチーム」をつくれる、マネジャー・管理職の育成を行っています。

悩みをなくそうとせず、受け入れる

ここからは実際にACTはどのような心理療法なのかを石井さんに説明してもらいました。

ACTは、うつの治療に成果を上げている「認知行動療法」の新世代モデルと呼ばれています。1982年にSteven C. Hayes教授らによって提唱されました。

「これまでの心理療法の多くは、実はかえって苦悩を生んでしまい、問題を深刻化させているのではないか」という課題意識から、ACTは生まれました。例えば「私はダメで役立たずだ」と考えてしまう人がいたとしましょう。この時、これまでの心理療法は、その「間違った考え方」を問題だと捉え、「正しく修正する」ための働きかけを行うものでした。しかし、この試みはかえって抱える問題に意識を集中させてしまい、結果としてさらに問題に心が囚われてしまう悪循環を生み出す側面もあると分かってきたのです。

こうした課題を解決しようと生みだされたACTの特徴は、従来の心理療法とは逆のアプローチをとろうとする点にあります。つまり、何らかの心の問題が生じた時、無理にそれをなくそうとしたりコントロールしようとするのではなく、まずは「受け入れる」。そして、より有意義な人生を送るための行動を「増やしていこう」と促すのです。

一般的な心理療法では悩みや不安を減らすことが一つのゴールになりますよね。でも、ACTは違います。悩みがあるのは生きている人間の前提条件。だからこそ悩みをなくそうとしても意味がないんです。そうではなく、悩みといい感じの付き合い方をして、たとえ悩みがあったとしても、有意義な人生を送れるような行動にコミットしよう。そのためにしなやかなマインド(心理的柔軟性)を手に入れよう。これが、簡単に言うとACTの根底にある考え方ですね。

【写真】身振り手振りを交えて説明をするいしいさん

自分自身を振り返ると、私はこれまで気にしいな自分の性格を「ダメなもの」だと捉え、「小さなことは考えないようにしよう」と思考をコントロールしようとしてきたと気づきました。しかし、石井さんの話を聞くと、この考え方自体がかえって自分の問題に目を向けさせ、さらに落ち込む原因になっていたような気がします。

大事なのは、気にしいだと感じているその気持ちを「ダメだ」とジャッジせずに、そのまま受け止めることなんですね。つまり「小さなことは気にしちゃダメだ」と思考をコントロール・抑制しようとしたり、思考と戦っている状態ではなく、その思考が「ある」ことは、そのまま受け入れること。そして、もっとみきさん自身が幸せを感じられる行動にコミット(集中)している状態です。それを実現するために必要なのが、心理的柔軟性、つまり心のしなやかさなんですね。

必要な困難に直面し、変えられないものを受け入れる

できるものなら私も悩みを受け入れ、有意義な人生を送りたい。そしてそのためにしなやかなマインドを手に入れたい。その気持ちは強くなったものの、初心者は具体的に何からはじめたらいいんだろう……?

そんな疑問をもった私は、今自分が抱えている心の問題を石井さんに相談しながら、ACTを実践するための具体的なポイントを聞いていくことにしました。

石井さん、ちょっと相談してもいいでしょうか?最近、悩んでいることがあって。

私は仕事で少しでもうまくいかなかったり、ネガティブなフィードバックをもらうと、すぐに落ち込んでしまうんです。失敗やミスをいちいち気にしていたらきりがないからこんな自分ではダメだって分かっているのに、引きずってしまって……。

さらに、同じような状況になった時「今回も失敗してしまうんじゃないか」とドキドキが止まらなくなってしまうこともあります。どうしたらそういったネガティブな感情にとらわれないしなやかなマインドを手に入れられるんでしょうか?

そう質問をすると、石井さんは優しくこう答えてくれました。

ACTのしなやかなマインド(心理的柔軟性)は、3つの要素から成り立っています。今のみきさんの相談に答えながら、具体的にACTを実践するためのポイントを見ていきましょうか。

石井さんが見せてくれたのが、こちらのACTを実践していく上でのポイントをまとめた図です。

しなやかなマインドを構成する3つの要素

❶必要な困難に直面し、変えられないものを受け入れる
❷大切なことへ向かい、変えられるものに取り組む
❸それらをマインドフルに見分ける

【図】しなやかなマインドを構成する3つの要素

まず1つ目の要素である「必要な困難に直面し、変えられないものを受け入れる」から考えていきましょうか。みきさんは先ほど、仕事でミスをしまったり、なかなか成果がでない時に落ち込んでしまうと言っていましたよね。そんな感情に陥った時、具体的にどんな行動をとっていますか?

こう問いかけられると、現実から目をそむけようと漫画やテレビなどの気晴らしに没頭する自分の姿が思い起こされました。また、自己嫌悪のあまり「自分にはこの仕事は向いていないんだ」と途中で投げ出してしまったり、「これは私のせいじゃなかったんだ」と愚痴を言ったり、誰かのせいにしようとした時もあったような気がします。

確かに後ろめたさから気晴らしに没頭したり、愚痴を言い続けてしまったりすることってありますよね。

でも、実はそうしていても状況は何も変わりません。現実にしっかりと向き合うためには、頑なに現実を否定するのではなく、起こってしまったことはしょうがないと「前向きに諦めて」受け入れることが大切なんです。これが「必要な困難に直面し、変えられないものを受け入れる」ということなんです。

【写真】インタビューにこたえるいしいさん

嫌な気持ちから目をそむけ、愚痴や責任逃れのようなその場しのぎの対応を続けることは、ACTでは「体験の回避」と呼ばれ、メンタルヘルスのリスクを高めるとも言われているそう。

だからこそ、目をそむけるのではなく、「今、私は自己嫌悪に陥っているんだな」「失敗を恐れてドキドキしているんだな」と湧き上がる感情をオープンに受け止め味わうこと。それが悩みとうまく付き合っていくために必要な、心のしなやかさなのだと石井さんは言います。

とはいえ、自分にとって不快な気持ちを「オープンに受け止めて味わう」とは、いったいどうしたらできるんだろう。そう首をかしげる私を見て、石井さんは言葉を続けます。

「また失敗してしまうのではないか」とドキドキしてしまうのをやめたいというお話でしたが、このドキドキって身体感覚で捉えると「心拍数の上昇」ですよね。だから、お化け屋敷に行ったり、ジェットコースターに乗ってる時と同じ身体の感覚なんです。

人は「ドキドキ」したくないとよく言いますが、お金を払ってその「ドキドキ」を手に入れようとする時もある。そう考えたら「ダメだ」じゃなくて「その身体感覚を味わって楽しむ」ができそうじゃないですか?少なくとも「試してみよう」とは思ってもらえるのではないかなと思います。イヤな感情が出てきたとき、その身体の感覚を10秒だけでも味わうと「意外と、、、毛嫌いするほどじゃないな」なんて、思えたりしますよ。

【写真】笑顔で話すいしいさん

非日常な刺激を求めて楽しんでいる時と同じように「ドキドキ」をコントロールせず、「味わって受け入れる」。そう聞くと、「変えられないものを受け入れてみる」感覚が少しずつつかめてきた気がします。

また、石井さんはもう一つ具体的に実践できるコツも教えてくれました。

嫌なことが起きて、現実から目をそむけそうになった時にオススメなのが、「ちょーどよかった」という合言葉です。

例えば上司からミスを指摘された時。ついつい「私はだからダメなんだ」と頭で考えて自分を責めてしまいますよね。でも自分を責めても現実は変わらないし、あまり意味はないんです。だったら起こってしまった現実を受け入れて、じゃあここからどうしていこうかと建設的に考えたほうがいい。

そんな時「(ミスをして)それは、ちょーどよかった!」と頭の中で唱えてみるんです。そうすると、「ミスはダメで取り返しのつかないことだったんだ」という思考から解放されて「起こってしまったことはしょうがないよね」と受け入れやすくなる。

わたしたちの「思考」って、要は頭の中に流れる言葉なのですが、私たちが悩むときって、単に頭の中に流れる言葉を「真に受けて」しまっているんですよね。こんな風に「ちょーどよかった」などと言って、思考を軽く持つ練習をしてみるといいですね。

このお話を聞いて少したってから、私は仕事でミスをしてしまいました。

今こそ「ちょーどよかった」の合言葉を使う時だ!

そう思って家で合言葉をつぶやいてみることに。すると、いつもは不安と後悔と、延々と戦ってしまっていたところを、その無限ループから、少しだけ抜け出せたような感じがしました。

とはいえ、長年自分の身体に染み付いた思考回路から抜け出すのは簡単なことではありません。少し時間がたつと、やはり不安や後悔が再びやってきてしまいました……。

もしかすると、「ちょーどよかった」という言葉は自分で自分にかけるだけでなく、友人など周囲の人と一緒に使うのがいいのかもしれません。誰かが落ち込んでいるときに「ちょーどよかったよね」と声をかけてあげたり、みんなで合言葉のように使ってみたり。

一人ではなかなか「ちょーどよかった」と思えない私でも、他者とともにこの合言葉をつかっていけば少しずつ現実をありのままに受け入れやすくなるのかもしれない。そうやって、自分にあわせた言葉の使い方を模索していきたいと感じました。

大切なものへと向かい、変えられるものに取り組む

次に、石井さんはしなやかなマインドの2つ目の要素である「大切なものへと向かい、変えられるものに取り組む」ことについて説明してくれました。

ACTの目的は「悩みとうまく付き合うこと」だと思われがちですが、それだけではありません。本来は、その上で「有意義な人生を送ること」も目的の一つなんです。嫌な気持ちや行動から逃れようと人生の時間を使うのではなく、その時間を「自分にとって大切なものに向かうために、行動すること」に使っていく。そうすれば人生を有意義に過ごすために進んでいけるようになります。

【写真】下を向いて考えている様子の石井さん

たしかに「仕事でミスをしないようにしよう」「失敗を恐れてドキドキしないようにしよう」ということばかりに目を向けていては、ネガティブな気持ちが増幅されてしまうようにも思います。だとしたら、自分にとって大切なものに時間を使って、幸せで有意義な人生を送っていきたい。石井さんの説明を聞いて、私も自然とそう思うようになっていきました。

例えば「大切なもの」とは、家族やパートナーと落ち着いた時間を過ごすことかもしれませんし、自然のなかで開放的な気持ちでいられることかもしれません。満足できる作品をつくることかもしれませんし、素晴らしいプロジェクトを成し遂げることかもしれません。

大切なものは一人ひとり違うけれど、それをしっかりと言語化して、人生で割く時間を増やしていく。それもACTでいう「しなやかなマインド」の重要な一要素なのです。

しかし、ここである問題が私の前に立ちはだかりました。実は、私は何が自分にとって「大切なもの」なのかが全く思いつかなかったのです。

人生において目指したいものもまだ漠然としていて……。コンパスがない状態なので、一体どこに向かっていけば有意義な人生が送れるんだろうと考え込んでしまいました。

そう悩みを打ち明けた私に、石井さんはこう答えてくれました。

「自分にとって大切なものがわからない人は、身体感覚に耳を澄ませてみてください。例えば、これをやっている時は「気持ちが落ち着く」「心がはずむ」みたいな身体感覚ですね。

真面目な人だと「これは楽しいものだと上司や先生、友人に言われたから、楽しいと思います」のように、誰かから言われたことをそのまま飲み込もうとしてしまいがちです。でも、それでは自分にとっての真の「大切なもの」は見つけられません。「誰か」にとっての正解ではなく、「自分はこれが楽しいんだ」と身体が感じているものを見つけるといいと思います。

【写真】説明をする石井さんの手元

心が弾む時、気持ちが落ち着いていると感じる時。そう言われて振り返ってみると、信頼できる友人と過ごしている時間がそうなのかな?家族とたわいもない話をしている時が自分にとって大切な時間なのかもしれない、と頭のなかに少しずつ「大切にしたいもの」が思い浮かんできました。

さらに、大切なものを見つけるためには、ある質問を自分にしてみるとよいと石井さんは言います。それは「みかえりやご褒美がないとしてもこの行動をやりたいか」という質問です。

みかえりやご褒美がなくてもやりたい行動を「価値づけされた行動」と呼びます。この価値行動をしている時間の割合を人生で増やしていくと、自然とより有意義な人生に近づいていきます。何かが手に入った状態がハッピーなのではなく、幸せは行動をとることの中にある、という見方です。

ちなみに、石井さんの価値行動は「説明する、プロセスを作る、分析する」なのだそう。

今の仕事は、ACTを人に「説明したり」、それを組織に浸透させる「プロセスを作ったり」、実践したあとにどういった効果があったのかを「分析する」仕事です。まさに自分にとって価値行動ができる環境で働いているので、有意義な人生が送れていると感じられる。

このように自分にとって大切なことや価値行動で、人生を方向づけていくことが大切なんです。

私にとって価値行動は「書く」ことなのかもしれないし、文章を通して自分が心を打たれた事柄を「伝える」ことなのかもしれない。だからこそ、ライターという仕事を選べたことは、結構いい選択をしたのかもしれない。みかえりやご褒美がなくてもできる自分にとっての価値行動を思い描いていると、これまで漠然としていた「幸せで有意義な人生」が少しずつ私の頭のなかで具体的に浮かび上がってきました。

ここまでの説明でしなやかなマインドの2つめの要素を十分理解できた気になっていた私ですが、そんな私を見て石井さんは「実は、もう一つ『大切なものへと向かい、変えられるものに取り組む』を実践するための重要なポイントがあるんです」と教えてくれました。

ACTで重要視しているのは「心」ではなく「行動」へのコミットメントです。

「心」ではなく「行動」へのコミットメント……?そう尋ねる私に、石井さんはこんな例を出して説明してくれました。

たとえば「今日はなんだかやる気がでないなあ、どうしよう」とか「あの人、やる気ないのかな」って思うとき、あるんじゃないでしょうか。そんなとき、「やる気を出すぞ!」と思ってやる気が出ることってほとんどないですよね。

このように「やる気」のような心の中のことは、自分の意志で変えるのはとても難しいものなのです。

心では「出社したくないなあ」と思っていても、実際には「出社する」という行動をとれたことがある人は少なくないと思います。つまり、心、頭で考えていることにかかわらず、役に立つ具体的な行動をとることが、私たちにはできるし、そちらのほうが取り組みやすいということなんです。

そう言われてみると、「今日は気持ちが乗らなくて原稿が書けないなあ」と思っていたけれど、実際パソコンに向かって書きはじめたら、徐々に気持ちがのっていったことがありました。

心の中に「やる気」があるかどうかを気にするより、「役に立つ行動」の方に目を向けてみる。これなら「できない」と悩んでいる時間を少なくしていくことができる気がします。

変えられない「心」を変えようと時間を費やすのではなく、あくまで目に見える「行動」を変えることにコミットする。それが、悩みとうまく付き合っていくしなやかさの重要なポイントなんです。「自信」とか「感謝」もそうで、「自信を持って下さい」とか「感謝しなさい」と言われても、すぐには難しいですよね。でも、自信がなかったとしても、胸を張って姿勢を正す、という行動は取れますし、相手のことを丁寧に考えてお礼を伝えることはできますよね。

【写真】インタビューにこたえるいしいさんの後ろ姿

過去や未来ではなく「いま・この瞬間」に目を向ける

いよいよお話は、しなやかなマインドの最後の要素である「マインドフルに見分ける」に。石井さんはこれができていない状態、つまり「マインドフルではない状態」とは「過去と未来にとらわれ、今この瞬間に注意を向けられていない状態」だと話します。

悩んでいる時って実は「今」について悩んでいるようで、「過去」や「未来」に目が向いてしまっているケースが多いんですよね。

例えば、みきさんは失敗すると落ち込んだり、ドキドキしたりすると言っていましたよね。それはもしかすると「さっき仕事でミスをしちゃったな……」と過去を思い出したり「また同じような失敗をしてしまったらどうしよう」と、未来について心配してしまっている状態だと言えるかもしれません。

これを石井さんは「心、ここにあらず」な状態だと言います。

もうちょっと例えるなら、車や自転車を運転していて、ぼーっと色んなことを考えてしまって、気がついたら曲がるべき場所を過ぎていたり、「危ない!」とハッとして、運転に注意を戻したり…というのが「心、ここにあらず」な状態でしょうか。

【写真】花壇の花の後ろに立ついしいさん

ネガティブな感情に振り回されているときのことを振り返ってみると、「その時の情景」を全く覚えていないことに気づきました。仕事で失敗して激しく落ち込んだり、ドキドキしているとき。私は「今この瞬間どこにいて、自分自身に何が起こっているのか」に全く目を向けていなかったのです。石井さんの言うとおり、過去や未来だけに目が向いていて「心ここにあらず」な状態だったからなのかもしれません。

ここから抜け出すためには、「いま・この瞬間」に集中する必要があるのだと、石井さんは語ります。

「いま・この瞬間」に集中するためには、最近よく耳にするようになった、坐禅やマインドフルネスが有効です。

そう言って石井さんが紹介してくれたのは、ACT研究の日本における第一人者である早稲田大学の熊野宏昭教授が提唱するマインドフルネスのやり方です。

まずは、座りながら、ゆっくりと呼吸をします。呼吸をすると、お腹や胸がふくらんだり、ちぢんだりことに気づくでしょう。ふくらむ時は「ふくらみ…ふくらみ…」と、ちぢむ時は「ちぢみ、、ちぢみ、、」と唱えてみてください。

また、この時「そういえばあの仕事どうなったっけ?」「さっき、上司が不機嫌そうな顔に見えたけど大丈夫だったかな」といった「今・ここ」に関係していない考えが浮かんできたら、「雑念…雑念…」とラベルを貼り「戻ります」と頭のなかで唱えて、また元に戻ります。

また、指先に寒さを感じたり、風が顔にあたって冷たいと感じたりすることもあるでしょう。その時は、「寒さ…冷たさ…」「戻ります」と心のなかで唱えます。

このように、意識的に「いま、この瞬間」に注意を向けるトレーニングは、頭の中の思考を真に受けるのではなく、私たちが生きるこの現実とまっすぐに触れる、よい訓練になります。

自分の頭の中に流れる言葉に支配されるのではなく、目の前の相手が話していることをきちんと受け止めること。そして「こうするとうまくいくはず」という、自分の考えに執着するのではなく、相手の反応をきちんと見て、自分自身の行動を、よりよいものへと変えていくことができるようになるのです。

過去や未来に思考がとらわれているなと感じる方は、しなやかなマインドを保つために「いま・この瞬間」の自分の身体感覚に目を向け味わうことにぜひチャレンジしてみてもらいたいと思います。

【写真】窓際に座るいしいさん

悩みを感じている私を一段上から「観察」する

最後に、石井さんは「ここまで話してきたことを実践しやすくするオススメのツールがあるんです」と、あるものを見せてくれました。

それが、こちらの「ACT MATRIX(アクト・マトリックス)」です。

【図】アクト・マトリックス

最初に説明したしなやかな心の3つの要素(「❶必要な困難に直面し、変えられないものを受け入れる」「❷大切なものへと向かい、変えられるものに取り組む」「❸それらをマインドフルに見分ける」)を実践するには、自分がもっている感情や経験を整理していく必要があります。このACT MATRIXは、それを実践しやすくしてくれるツールなんですね。

マトリックス上部は「行動」、下部は「心の中のできごと」を表しています。つまり、上部はカメラで撮影した時に映るもの、下部は映らない感情などです。また、左半分は「離れたい、回避したい、逃げたい」と思っている事柄を、右半分には「近づきたい、獲得したい、向かっていきたい」と思える事柄が入ります。

例えば、私の場合。【1】仕事でミスをしてしまい、同僚から「次からは気をつけてね」と言われてしまった時。そして【2】私の心に浮かんできたのは「なんでこんなことすらできないんだろう、きっと相手は私のことを役立たずに違いないと思っただろう」という思考・感情を分類してみます。

そこで、【1】は目に見えるネガティブな行動なので左上に、そして【2】は目に見えない心のなかのネガティブな状態なので左下に書き込んでいきます。

次に、近づきたい、獲得したいと思っている行動についても書いてみました。私は【3】ミスしたときでも心穏やかに現実を受け止めたいと感じています。【4】最近、ミスをして落ち込んだり慌てたりした時に、事実や感情を紙に書き出すと心が落ち着いてくることが分かってきました。なのでそういうときほど、10分程度でもいいので書くことに向き合う時間をとるようにしています。

【3】は目に見えない心のなかの状態なので右下に、【4】は目に見える行動なので右上ににプロットします。

【図】ライターのおかもとの事例を書き込んだアクト・マトリックス

分類し終わったら、次の図を見てみてください。

様々な体験をしているように見えても、結局できることって

❶役に立たない行動(左上)は、特に繰り返しやってしまっているものを減らしていくこと、
❷ネガティブな感情(左下)はそれに気づいて受け入れていくこと、
❸大切なこと(右下)に気づいたり、言葉で明確にして、
❹その大切なことに結びつく行動(右上)を増やしていくこと

この4つしかないんですね。
ここまで色々と説明してきましたが、しなやかなマインドをつくる方法って本当はとてもシンプルなんです。

【図】しなやかなマインドをつくる4つの方法についてまとめた図

また、このマトリックスを埋めている時、私はあることに気づきました。それは、マトリックスに書き込んでいると、不思議と自分から悩みが「分離した」ように感じたのです。

日々一生懸命を生きていると「私が」苦しいって認識になってしまいますが、実は「私」は「苦しさを分類する立場」なんですよね。つまり感情や経験の、いわば「観察者」になれるんです。

マトリックスに分類する作業を通して、「苦しさを感じている自分」を抜け出し、「その自分を一段上から見ている存在」になる。そうすると、相当楽になれると思います。マトリックスはこのように心理的柔軟性❸「マインドフルに見分ける」に紐づく「観察者としての自己」になるのを助けてくれるツールでもあるんです。

【図】観察者としての自己を表す図

これまで私は「自分は気にしいな性格だ」と、「悩み」と「自分」を同一視してしまっていたように思います。それがが「悩み」=「私」=「ダメなものだ」と考えてしまう原因となり、長い間自分を苦しめてきたのだと気づきました。

ACTの「観察者としての自己」になるという考え方は、自分と悩みを分離させ、問題に対処するための大きなヒントになる。石井さんに見せてもらったこの表を見ながら、自分の悩みへの認識が大きく変わったことを実感しました。「私」は、ただ悩んでいる存在ではなく、「悩みという心の中のこと」や「日常のさまざまな出来事」を「観察する・分類する側の存在」でもあるのです。

そして最後に石井さんは私たちに向けてこんなメッセージを送ってくれました。

ACTや心理的柔軟性、あるいはACT MATRIXの試みは、実は「ただ気分よく生きる」ことは目指していません。ACTは「よく生きる」ことを目指しています。この「よく生きる」ということの中には、たとえ悩みや不安があっても、ということが含まれています。

もし、みなさんにかわいがっている親戚の子どもがいて「プロサッカーの選手になりたいんだ」と夢を語っていたとしましょう。けれど「でも、怪我をして痛いかもしれないから、練習はしないんだ」と言っていたら、あなたはどうしますか?

きっと「辛いことがあっても、やりたいことのために頑張って練習したほうがいいんじゃない?」とアドバイスするのではないでしょうか。

ネガティブな感情、悩みや不安を追い払らい「ただ気分よく生きよう」とすることは、その子が言う「夢はあるけど、練習はしない」のと同じです。

たとえ練習による痛みへの不安があったとしても、夢に向かって前に進めたほうが人生は充実したものになるのではないでしょうか。

ACTの考えかたを参考にしながら、悩みや不安があったとしても、それを受け入れたうえで自分にとって大切なことへ向かって進める人が、増えることを願っています。

【写真】パソコンを指差しながらはなすいしいさん

ありのままの自分を受け止めるだけでなく、ありたい人生に近づくための行動にコミットする

以前、私は友人に自分の悩みについて相談したことがありました。その友人は「みきちゃんは、そう感じているんだね」と一通り私の感情を受け止めてくれたあとに「じゃあ、これからはどうしたいの?」と聞いてきたのです。

その時は「私は『今』悩んでいると伝えているのに、『これから』どうしたいかなんて考えられないよ」と感じてしまいました。でも、ACTについて知ってから改めて考えてみると、これはACTの考え方の本質をついた問いかけだったのかもしれないと気づきました。

ACTは「ありのままの感情を受け入れて味わう」だけでなく、そこからぐっと踏み込んで目指したい人生に向けて具体的な「行動にコミット」することを大切にしています。友人の「これからはどうしたいの?」という問いかけは「より幸せな人生を送るための行動を考えてみたら?」というメッセージだったのかもしれない。そう思うようになりました。

悩みに囚われていると、その悩みに対処することに時間を費やしてしまい、自分の人生を生きることが難しくなってしまうように思います。

しかし、ACTの考え方を生かして、感情を受け止め、望む方向に人生を進める行動にコミットする。これができれば「悩みにとらわれた人生」から「自分が主人公となって人生を歩んでいく」ことができるようになるのかもしれません。

もちろんこれまで慣れ親しんできた考え方をすぐには変えられないこともあるでしょう。でも私も少しずつしなやかなマインドを手に入れて、自分らしく人生を送っていきたいと思います。

関連情報:
石井遼介さん Twitter
著書『心理的安全性のつくりかた

(編集/工藤瑞穂、撮影/高橋健太郎、企画・進行/松本綾香、協力/高橋ななこ、伊賀有咲)