「人に迷惑をかけないようにする」

長年、人としてそうあるべきだと、それは当たり前のことなのだと、思ってきました。立派な大人になって自立するとは、人に頼らず、ひとりで生きていく強さを持つことだと。弱さは隠すべきもの、克服するべきものなのだと。

けれども、どんなに頑張っても弱さはなくならず、隠そうとすればするほど、いき苦しさを感じるようになります。

弱さを認めて、他者に頼らないと、どうやら生きていけなさそうだ。やっとそう気づいても、今までずっと隠してきたから、どうやって頼ったらいいのかわからない。その場しのぎで笑って、鏡の前で泣いて。助けてほしい、気づいてほしい。なのにどう声を上げたらいいのかわからない……。

大人になってから、こんな悩みをずっと抱えてきました。今では周りの人たちの理解や支えもあって、少しずつ頼ることへの抵抗が薄れてきましたが、それでも「迷惑をかけない」「弱さは見せない」という気持ちが先行して、一人で塞ぎこんでしまう時間がたびたび訪れます。

迷惑かどうかなんて考えずに、「助けて」って言っていいんですよ。そう言える社会であるべきなんです。

こうした悩みに対して、一筋の光を差し当ててくれたのが、NPO法人抱樸の理事長・奥田知志さんのお話でした。

2020年10月、“関わり”というメインテーマを掲げて行なわれた「soar conference 2020」。2日間にわたって総勢9名の登壇者が、さまざまな視点で“関わり”の在り方を深めるトークセッションを行ないました。

このカンファレンスで最初のゲストとして登場したのが、奥田さんです。自らの活動を「関わり合いを増やす支援だ」と表現する奥田さんに、「関わり」とは一体なんなのか、なぜ私たちに関わり合いが必要なのか。抱樸での実践も交えつつ、じっくりと語っていただきました。

「ハウスレス」と「ホームレス」、抱樸が向き合い続けてきた2つの孤立

【写真】ほうぼくが行っている炊き出しの様子

抱樸が行っている炊き出しの様子(提供写真)

NPO法人抱樸の活動は、1988年に北九州で始まりました。最初はホームレスのための炊き出しからのスタートでしたが、今では「路上生活者、高齢者、障害者」といった人の属性の枠にとらわれない支援の形を模索しながら、それを実践しています。

経済的に困っている人たちへの自立支援。子どもたちに向けた学習支援。刑務所出所者のための更生支援。障害者向けのグループホームや、高齢者向けのデイケアサービス運営。地域のボランティア活動のリード。さらには、「支援する人/される人」という枠組みを取っ払った互助会の主宰まで。

「あんたもわしも おんなじいのち」をスローガンに掲げ、老若男女問わず、さまざまな生きづらさを抱えた人たちを対象にした活動を、20以上も展開しています。

路上生活者の支援から始まった活動が、どうしてこんなにも広がっていったのでしょうか。その背景には、この国で見えにくい「相対的貧困」に苦しむ人たちや、いざという時に頼れる人がいない“孤立”状態にある人たちが増えている現状があります。

所得が年間122万円未満の相対的貧困状態にある人々の割合を見ると、この20年間で上昇していることがわかります。

実に国民の6人に1人が生活に困窮しているという状況の中で、さらに深刻なのは日本の孤立率の高さです。

人間関係の豊かさを示す指標「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」の指数は149ヵ国中101位(2017年)。OECDの調査によれば、友人や同僚、その他グループの人と付き合いがないと答えた人の割合は15.3%にまで昇りました。

(NPO法人抱樸HP「抱樸について」より引用)

抱樸は、こうした「見えにくい困っている人たち、困っているのに孤立している人たち」の支えになるために、支援の範囲を柔軟に拡張していったのです。

【写真】インタビューに応えるおくださん

「やるべきだと思ったことをやっていたら、いつの間にかこんなに広がってしまった」と微笑む奥田さん。設立30年の節目を越えた頃、あらためてスタッフたちと「抱樸の活動を一言で表すとしたら、一体何なのか? 私たちは何がしたいのか?」を振り返るディスカッションをしたそうです。

出発点はいわゆるホームレス支援でしたが、私たちは路上生活者だけを助けたいわけじゃないんです。それに、困っている人を“助ける”、というのもおこがましい。

半年間にわたる議論の結果、最後に出てきたのが「一人にしない支援」という言葉でした。ああ、そうか。我々はいろいろやってきたけど、結局は「あらゆる人を、孤立させないこと」に努めてきたんだなと、ストンと腹落ちしたのを覚えています。

ここで奥田さんは、「社会から“ホームレス”と呼ばれる人たちの生きづらさには、2つの種類がある」と指摘しました。それは、「経済的困窮」と「社会的孤立」です。

「経済的困窮」は、端的に「お金がなくて困っている」という状況ですね。家を借りる経済的余裕がないから、路上生活になる。

生活基盤を立て直せなくて、思うような仕事につくチャンスも得られず、経済活動から孤立してしまう。私たちはこうした、路上生活者が抱える経済的な困窮状態を、「ホームレス」ではなく、「ハウスレス」と認識しています。

ハウスレスに対する支援は、「住む場所を用意して、再就職までのバックアップをする」といった、経済的自立を目指す施策を採るのが一般的です。僕たちも活動を始めた当初は、それさえ地道に続けていけば、問題は解決に近づいていくだろうと考えていました。

しかしながら、「現実はそんなに単純なものではなかった」と、奥田さんは言葉を繋げます。

もう30年ほど前の出来事ですが、今でも忘れられない光景があります。私たちの支援で、路上生活から抜け出した方のアパートを訪問した時のことでした。

近況を聞きつつ他愛もない話をして「なんとかこの方もここから再出発できそうだな」なんて、思ったりしてね。帰り際に玄関で靴を履いて、「じゃあ、また来ますね」と挨拶をしようと振り返って、そこでハッと息を飲んだんです。

部屋の中にポツンと座っているその方の姿が、駅の通路で段ボールを敷いてポツンと座っていた時と、ほとんど変わってないように見えてしまったんですよ。「ああ、これで万事解決ではないんだ」と、肌で実感した瞬間でした。

「当初目指していたホームレスの自立支援では何が解決できて、何が解決できていないのか」――この問いに向き合って見えてきたのが、「社会的孤立」の存在です。

家族や友人、いざとなったときに頼れる人がいない。社会という人的なネットワークからこぼれ落ちて、孤立してしまっている状態のことですね。私たちはこの社会的孤立を、「ホームレス」と呼んでいます。

経済的困窮の「ハウスレス」、社会的孤立の「ホームレス」。抱樸が「一人にしない支援」という言葉を掲げて、解決を試みようとしているのは、まさに後者の「ホームレス」問題なのです。

路上生活者の方々からは「畳の上で死にたい」という声をちらほらと耳にします。けれども、彼らがアパートに入って完全に安心できるかというと、やっぱりそうではない。

次によく出てくるのは「自分の最後は誰が看取ってくれるのだろうか」という言葉なんです。いくら経済的に自立できたところで、この不安は晴れるものではありません。

だから、抱樸は従来的な「自立支援」という枠を、捨てました。一人でやっていけるようにするのではなく、出会いから看取りまで寄り添い続ける支援をしよう。こちらから出会いにいって、一緒に生きていく支援をしようと心に決めて、今日まで活動を続けてきました。それを伴走型支援と言います。

数本のロープではなく、100本の糸で支える「伴走型支援」の在り方

「出会いから看取りまで寄り添い、一緒に生きていく支援」をするには、今まで通りの支援の形を真似するだけでは不十分だ――そう感じた奥田さんたちは、抱樸で新しい支援の方法を模索し始めました。

従来型の支援は、「具体的な問題を直接的に解決する」というアプローチが大半です。「家がない人に住む場所を用意する」「仕事がない人に職を提供する」などが多いかと思います。

こうした支援のスキームの中では、支援者たちは専門家であり“解決請負人”になります。困っている人たちに対して明確な処方箋を出す、お医者さんのような位置づけですね。

しかし、現実にあるのはそう簡単に解決できない問題ばかりです。今みたいな不安定な社会だと、就労支援をして失業者を減らそうと頑張っても、非正規雇用の場合が多く、数年後にまた失業して、同じことの繰り返しになってしまいがちです。

率直に言ってしまえば、「困っている人たちの困りごとを完全に解決しよう」とすることには無理があるんです。

そこを目標にしすぎると、支援者側は対応しきれなくなってバーンアウトしていったり、成果主義になって数値で追える施策に偏っていったりする。それが行き過ぎると、支援側が「解決できそうにない問題は扱わない」といったことになってしまうケースも少なくありません。

困っている人が自分たちを頼ってきたときに、たとえどんな属性の人でも、どんな問題を抱えていても受け止める。そんな「断らない支援」を実現するにはどうすればいいのか……試行錯誤の末に抱樸がたどり着いたのは、解決することを目的としない「伴走型支援」という形でした。

僕たちが提唱する「伴走型支援」とは、簡単に言うと「繋がりを増やす支援」です。従来型の支援って、何人かの専門家が2、3本の丈夫なロープでガッチリ支えるイメージなんですよね。

その数本のロープで、解決までぐいぐい引っ張っていく。ただ、どんなに一本一本がしっかりしていても、元が数本しかないとそれぞれへの依存度が高くなるし、数本切れたらすぐ不安定になってしまう。

それに対して伴走型支援では、とにかく対象者をいろんなコミュニティに引き連れて、たくさんの人たちと繋がってもらいます。細い糸100本くらいで支えるようなイメージです。これなら数本切れたところでびくともしませんから。

言うなれば質より量、そして量の多さでカバーする支援ですね。この“繋がりの量の多さ”というのが、本当に大切な要素なんだと思っているんです。

「ずっとひとりぼっちだった」福田さんとの出会い

繋がりを増やす「伴走型支援」こそ、いま最も必要な支援の在り方だ。奥田さんがそう確信した背景には、とある人との出会い、関わり合いが大きく影響していると言います。

その人の名前は、福田九右衛門さん。過去に放火の実行犯として十数回も逮捕された経験があり、延べ50年もの期間を刑務所の中で過ごした人物です。

2006年に放火で下関駅が全焼した「下関駅放火事件」のニュースをテレビで観て、その罪を犯した福田さんのことを初めて知ったんです。

そこでは、彼が出所しても仕事や住む場所が見つからずホームレス状態で、刑務所に戻るために放火を繰り返していたと報道されていました。しかも、前日には抱樸が活動する北九州にいたとも。

ちょっと傲慢な言い方になってしまうんですが、それを観て「もし僕が彼と出会えていたら、こうはならなかったのではないか?」と、率直に感じたんですよね。

それで居てもたってもいられず、すぐに下関の警察署を訪ねて「今後、彼と関わりを持ちたいから、面会させてほしい」とお願いをしたんです。

こうして奥田さんと福田さんの関わり合いは、刑務所の中、アクリル板を隔てて始まりました。奥田さんは、彼の刑期となった10年もの間、足繫く福田さんに会いに行って、会話を積み重ねていきました。

僕は支援する人に「あなたの人生で一番つらかった日はいつですか?」「一番幸せだった日は?」という2つの質問を、必ずするんですよ。それぞれ、向き合うべき問題の本質や、目指すべき支援の方向性を見定める参考になるんです。

福田さんにも人生で一番つらかった日を尋ねてみたら、「刑務所から出所して、誰も迎えに来てくれなかったとき」という答えが返ってきて。これってまさに、社会的孤立の問題なんですよ。

一方で人生で一番幸せだった日については、少し考えてから「昔、お父さんと一緒に暮らしていたあの頃かなあ」と言ったんです。僕は耳を疑いました。彼、父親から激しい折檻を受けてて、当時の傷跡が身体に生々しく残っているんです。

「あんなに父親にひどいことされたのに、一緒にいて幸せでしたか?」と、思わず聞き直してしまったんですけど、福田さんは「やっぱりひとりぼっちは嫌だから」と言いました。

彼は22歳で初めて放火事件を起こしてから、ずっとひとりぼっちだった。引き受けてくれる人もいない。行き場所もない。だから刑務所に行くしかない。それで繰り返し事件を犯していたんです。僕は福田さんのその言葉を聞いて、「この人は関わりを求めている、だったらなんとかなる」と感じられたんですよね。

自分が力になれるかもしれない。そう思えた奥田さんは「次に出てくるときには、僕が福田さんのことを迎えにいきますね」と、約束をします。そして事件から10年後、奥田さんはその言葉通り福田さんの身元引受人となって、彼の出所を出迎えました。ここから、福田さんを「一人にしない支援」が本格的に始まったのです。

絶対になくならない問題とともに、それでも生きていくため、必要な“関わり合い”

とは言え奥田さんも、福田さんのような、犯罪が常習化してしまった人の支援は初めてでした。はじめは、「なぜ放火をしてしまうのか」「どうしたら放火をしなくなるか」ということを考えるために、専門家を集めてケース会議を行いました。前述の奥田さんの言葉を借りれば、いわゆる問題の解決を目的とした“質の支援”です。

精神科医や犯罪支援など、たくさんの専門家に来てもらって、いろんなアドバイスをもらいました。その中で、福田さんにとって火が父親との関わりを象徴する特別な存在であること、それが放火を誘発する因子となっていることなど、「なぜ」の部分は少しずつ見えてきました。

それでも結局、どんなアドバイスを実践しても、福田さんの心のうちにある放火因子をゼロにすることはできませんでした。

ゼロになったと証明する手立てもないし、放火因子は彼にとってのアイデンティティでもあるだから、なくすわけにもいかないだろうなと感じました。つまり、問題解決型の支援を通して、「問題は解決できない」ということが分かったんです。

従来的な支援のやり方での限界を悟った奥田さんは、思考を切り替えます。放火因子がなくならないのなら、放火のことを考えるヒマをなくすくらい、日常を満たせばいいのだと。そこで取った方法が“質より量”のアプローチ、すなわち、関わり合いを増やしていく伴走型支援でした。

とにかく、福田さんをいろんなところに引き連れて、顔なじみになってもらうんです。施設の人たちや近所の人たち、デイサービスやボランティアで出会う人たちと、関わりを持っていく。それまでずっとひとりぼっちだったから、最初はうまく馴染めないけど、そこを関わり続けられるようにサポートしていきました。

たくさんの人たちと繋がって、いろんな活動にも参加するようになって、友だちと呼べる人もできてくると、福田さんの表情も見違えるほど生き生きとしてきてね。

実際に問題は何も解決していないけど、それでもこうした関わり合いが増えていけばいくほど、彼が再犯する可能性は限りなく低くなっていくだろうなと感じています。

第一段階で専門家による解決の検討もしつつ、そこで解消しきれない問題を抱えながら、その後続く長い日常をどう一緒に生きていくかを考え、関わり続けていく。伴走型支援はこのようにして、二段構えで支援を必要とする人と向き合っていきます。

出所してから数か月経った頃、福田さんが通っているデイサービス施設で七夕のイベントが催されたんです。

利用者さんたちが、思い思いのメッセージを短冊につづって飾っていたのですが、福田さんはそこで、「自分の幸せ みんなの幸せ」って書いていたんです。それを見て、胸がいっぱいになりましたね。放火に頼らなくても、ひとりぼっちじゃない。彼自身がそう感じていると分かって、ホッと胸を撫でおろしました。

【写真】短冊を持って笑っているふくださん

短冊を持って笑っている福田さん(提供写真)

この短冊に象徴されるような変化、つまりは「その人の中の他者性を育むこと」こそが、伴走型支援の大きな特長だと、奥田さんは語ります。

いま、福田さんの心中には、たくさんの他者がいるんです。僕や近所の○○さん、デイサービスの主任の□□さん、教会で知り合って仲良くなった××さん。役職や肩書きではなく、個人同士がそれぞれを認識し、名前を覚えて尊重し合っている“関わりの糸”が、福田さんを繋ぎ止めています。

他者性がないと、自分が諦めたらそこでいろんなことが終わってしまうんです。それこそ、犯罪行為をしてしまったり、生きる気力を失ってしまったりする。でも、自分の中にはっきりとした他者がいると、「この人に悪い」「あの人が悲しむだろう」などとブレーキがかかります。

厳しいことを言えば、福田さんが「今後、絶対に放火をしない」という確証はありません。どこまでいっても、そのリスクはゼロにはならない。けれども事実として、2016年に出所してから今日に至るまで、彼は再犯をしていません。

福田さんが短冊に書いてくれたような気持ちを持ち続けられる限り、今後も彼は放火因子を抱えながら、それでもやらない日々を生き続けていけるのだと思っています。そう生き続けられるように、僕らも最後まで伴走していくつもりです。

子どもたちのためにも、大人はもっと、カッコ悪さを見せていい

抱樸はこうした伴走型支援を通じて、人々の助け合い、関わり合いの重要性を世の中に訴えかけています。彼らが支援の対象を路上生活者からどんどん広げていった、いや、広げざるを得なかった事実は、この国に経済的困窮や社会的孤立を抱えている人たちが大勢いることを暗示しています。

今の日本は、自己責任論を道徳的な基盤とした、“不寛容さ”が目立つ社会になっているように感じます。

「人に迷惑をかけてはいけない」「一人で生きていけるように自立しよう」ということが、子どもの頃から、そして大人になっても、ずっと言われ続けますよね。だから、普段から弱さをさらけ出せない、困ったときに「助けて」と言いにくい社会になってしまっているんです。

とりわけ深刻なのは、子どもたちが「助けて」と言えないことだと、奥田さんは声を強めました。

日本における10代の自殺者数は諸外国と比べてもかなり多いほうで、しかも飛び降りや飛び込みなどといった、突発的な手段を用いる割合が高いそうです。そういったケースの大半は、原因を追えるような痕跡が少ないために「不明」のまま。

死ぬほど思い詰めていたはずなのに、周りにサインを出せなかった、「助けて」と言えなかった子もいるだろうなと思うと、胸が絞めつけられます。

子どもは、いつだって周りに「助けて」って言っていいんですよ。嫌だったら逃げていいし、泣きわめいてもいい。それがなぜできなかったのかと考えると、いろいろ原因はあれども、やっぱり僕ら大人が「助けて」と言わなくなったことが大きいんじゃないかな、と思うんです。

【写真】インタビューに応えるおくださん

自分で責任が取れて、人に迷惑をかけない。弱さも見せないし、ぜんぶ一人でやっていける。だから、「助けて」なんて甘いことは言わない。それこそが正しい成長で、立派な大人になるということだ――このような考え方が、私たちの紡ぐべき関わり合いを阻害し、静かに孤立へと追い込んでいるのかもしれません。

だからこそ、もっと大人たちはカッコ悪くなるべきだと思います。カッコつけないで、普段から弱音を吐いたらいい。「親も大変で、逃げ出したいこともあるんだよ」と、子どもに打ち明けていいんですよ。

困った時には堂々と、「助けて」と言う。僕なんて、年がら年中のべつまくなし言ってますからね(笑)。弱さを認め合って、助け合って、人は人と繋がりを持てるんです。

人はひとりで生まれて来られない。生き物としての“弱さ”が生み出した、人間らしさ

今、これを読んでいるあなたは、「弱さをさらけ出すこと」について、どんな印象を持っているでしょうか。おそらく、後ろめたさや恥ずかしさを感じる人は、少なくないように思います。しかしながら、実はこの弱さこそが、人間の本質なのではないかと、奥田さんは指摘します。

アメリカのカレン・ローゼンバーグという古人類学者が、とても興味深い論文を発表していましてね。彼女は、サルと人間の最も大きな違いのひとつとして、「人間が一人で出産できなくなったこと」を挙げているんですよ。

サルのお母さんは、一人で赤ちゃんを産むことができます。一方で人間は、脳が発達して頭部が大きくなった影響で、周りの助けを借りないと出産ができない身体になってしまった。つまり、人間は進化の過程で「より不便に、弱くなった」側面があると言えます。

【写真】インタビューに応えるおくださん

ふつう、進化というと「できないことができるようになる」という文脈で語られることがほとんどですが、どうやら人間の出生は、進化の過程でより難しくなってしまったようです。しかし、この「一人で出産できなくなった、弱くなった」ことこそが、人間にとっての大きなターニングポイントだったのではないかと、奥田さんは考えます。

ローゼンバーグは「一人では出産できないから、人間には“助産”という介助行為が必要になった」と指摘し、これが家族や社会の発達に影響しているのでは、という論を展開しました。僕はこの視点を知って、あらためて思ったんです。「弱さ」が人間の本質かもしれない、と。

人は一人では生まれて来られない。生まれた後も数年は、誰かの世話にならないと生きていけない。ほかの動物にはないこの弱さこそが、人間を人間たらしめているのでしょう。

子どもたちにも、そのことを伝えていかなきゃいかんのです。お前たちは人間として、その弱さを誇っていいのだと。弱さを分かち合い、助け合ってきたからこそ、人間はいろんなことができるようになってきたのだとね。

弱さを人間の本質とするならば、「人に迷惑をかけるな」というのも、土台から無理な話なんですよ(笑)。僕はとても危ない言葉だな、と思っています。

自責の思想が強い社会では、人間だからこそ育める絆がどんどん薄れていって、ひいては皆が、本来の人間らしさを失っていってしまうかもしれない。そこになんとか歯止めをかけられるように、僕らは社会や共同体の在り方を今一度、見直していく必要があるのだと感じています。

「助けて」という言葉を、伝家の宝刀にしない

「誰もが当たり前に弱さを見せあって、『助けて』と言い合える社会を目指すために、今から私たちにできることはあるのでしょうか」――イベントの終盤、参加者から寄せられた質問に対して、奥田さんはうんうんと頷きながら「日頃から『助けて』と言いまくって、インフレさせましょう」と、にこやかに答えました。

「助けて」という言葉を、伝家の宝刀みたいにしてはいけません。「いざという時に使おう」と考えていると、大抵の場合、いざという時にパッと使えないんです。日常で使えてこそ、緊急時でも使える。だから、日頃からの訓練が必要なんですね。

ちょっとした困りごとでも「助けてくれない?」と周りに言ってみる。そうやって、助けを求めるという行為のハードルを下げていけば、自分も周りも言いやすくなっていきます。

「日常的に助けを求めすぎるのは、だらしないと思われないか?」と不安に感じる方もいるかもしれませんが、全員が言い出したら大して目立ちませんよ。むしろ、こうした相互性のある健全な依存関係を築くことが、人間にとっての本質的な「自立」に繋がっていくはずです。

自立とは、一人でなんでもできるようになることではない。相互性のある依存、つまりは“お互い様”の関係をたくさん結んでいくことなのだと、奥田さんは強調しました。これは、伴走型支援の「3本のロープより100本の糸」という考え方と、根底で通じる考え方です。

そして、この相互性とは「必ずしも平等でなくてもいい」という視点を持つことが重要だと、付け加えます。

世の中には、「助けられるより助けるほうが楽、自分らしくいられる」という人がいますし、その逆もまたしかりです。

「8割助ける側に回っている人」は必ずしも損をしているわけではないし、「8割助けられる側に回っている人」が怠けすぎ、という話でもないんですね。それぞれの個人の性質も考慮しつつ、社会全体で「助ける/助けられる」の量のバランスを取っていくのが大切なんです。

だから、「私は助けられすぎているな」と自分を責めなくていい。「私は助ける側だから、助けを求めてはいけないな」なんて考えなくていい。

すべてはバランスで、「助ける/助けられる」関係も、そのときどきで変化していくものです。いま自分が置かれている状況を見て、素直な気持ちを言葉にして、手を伸ばしたり、差し出したりすればいいんですよね。

現在、私たちは新型コロナウイルスの猛威を前に、程度の差はあれども、皆が困難な環境に置かれています。この状況下で、どれだけの困りごとを、周りに打ち明けられているでしょうか。あるいは、身近な人たちの困難に、どれだけ気づけているでしょうか。今こそ、「助けて」と言い合える社会への転換が、強く求められているように感じます。

「助けて」って、言い慣れてないと、言いにくいですよね。僕は慣れているほうですけど、いまだに人前で自分の弱さをさらす時には、ちょっと不安にかられます。それでもやっぱり、使わないと慣れないですから。些細なことからでいいので、まずはあなたから勇気を出して「助けてほしい」と言ってみてください。

具体的に助けてもらえないことも、きっとあるでしょう。それでも、「自分の困りごとに耳を傾けてくれる人がいる」ということが、あなたの心の支えになります。

逆に言えば、助けられない時は、話を聴くだけでもいい。助けてと“言える環境”であること自体が、人と人との関わりを豊かにし、日々の暮らしの安心感を生むのです。

時には結果的に、打ち明けられない弱さもあるでしょう。それでも、“言えない環境”で悩むのか、“言える環境”で悩むのかでは、心理的な負担も大きく変わってくるはず。

つまるところ、「助けて」と言える社会とは、問題が解決できなくても一人にならない、一人にしない世界なんです。そんな社会の実現を目指して、抱樸はこれからも、つながりの支援を続けていきます。

【写真】笑顔でインタビューに応えるおくださん

絆とは“傷”をはらむもの、ありのままを抱き止めよう

最後にこの記事の結びとして、団体名である「抱樸」の由来を、紹介させてください。

これは、「山から切り出された原木・荒木(=樸)をそのまま抱き止めること」を意味します。もとは『老子』に出てくる表現で、そこでは「飾らない姿、素朴な気持ちで、控えめにして、欲張らないこと」という意味合いで使われていました。しかし、奥田さんはさらに解釈を加えて、次のようなメッセージ性を「抱樸」に込めています。

…樸は、荒木であるゆえに、少々持ちにくく扱いづらくもある。時にはささくれ立ち、棘とげしい。そんな樸を抱く者たちは、棘に傷つき血を流す。だが傷を負っても抱いてくれる人が私たちには必要なのだ。樸のためにだれかが血を流す時、樸はいやされる。その時、樸は新しい可能性を体現する者となる。

私のために傷つき血を流してくれるあなたは、私のホームだ。樸を抱く―「抱樸」こそが、今日の世界が失いつつある「ホーム」を創ることとなる。

(2007年、奥田さんが抱樸館の設立の際に執筆した「抱樸の由来」より抜粋)

困った時に「助けて」と言う、誰かの「助けて」を受け止める。そこには負担、時には傷つきも伴います。傷つけないように頼らない、そういう優しさの形もあるでしょう。けれども、その行為の行き着く先は、大事な時に誰も頼り合うことのできない、優しさとは遠く離れた関係性になってしまうかもしれない……奥田さんの話を聴いて、ハッとさせられました。

「言葉通り、絆とは“傷”をはらむものである」――奥田さんはこうも言いました。傷つくこと、傷つけることを恐れすぎて、孤立してしまわぬように、孤立させないように。まずは自分から小さな助けを求めていくこと、弱さをさらけ出すこと。誰かの助け、弱さをそのまま受け止めること。

傷つけ合うかもしれない未来を受け入れ、それでも共に在る覚悟、簡単に関係を諦めない気持ちを、大事にしていきたいです。

私も全然、助けを求めるのに慣れていなくて、ひとりよがりになってしまうことばかりです。けれどもこれからは、困った時にここに戻ってきて、奥田さんの言葉に勇気をもらおうと思います。

皆さんにとっても、この記事がそんな風に、心の片隅に残り続けてくれたら、とても嬉しいです。「助けて」と言える、その助けになりますように。

関連情報:
NPO法人 抱樸 ホームページ
「助けて」と言える国へ ―人と社会をつなぐ』(集英社新書)
「逃げおくれた」伴走者 分断された社会で人とつながる』(本の種出版 )

(撮影/川島彩水、編集/徳瑠里香、企画・進行/木村和博、協力/佐藤みちたけ)