【写真】左の方向に向かって笑顔で話すわがみおさん

「私にとって家族はかけがえのない存在」

そう思っているはずなのに、一方で家族のことを真剣に考えると少し面倒で、重い。そして、そんなことを思ってしまう自分に罪悪感を持つこともあります。

どうして罪悪感が生まれるのだろう。

思いを巡らせたときに、「家族は仲良くしなくてはいけない。家族は助け合って当たり前」という考え方が、私の中にあるからなのかもしれないと気づいたのです。

また普段の生活のなかでは、友人と家族についてのもやもやをオープンに話す機会もあまりありません。このような状況のまま、もし介護や病気をはじめとする想定できないような問題が起きて、家族についての深刻な悩みを抱えることになったらどうしたらよいのだろうという不安も浮かびます。

そんなもやもやした気持ちに目を向け始めたときに知ったのが、さまざまな家族に関する相談を受け付け、悩みの解消のためのサポートを行う「株式会社ニイラ」を立ち上げた和賀未青さん。会社を立ち上げる前に、和賀さんは精神保健福祉士/ソーシャルワーカーとして20年以上医療機関で働き、これまでさまざまな家族の在り方を間近で見てきました。

【写真】満面の笑みでこちらを見つめるわがさん

そんな和賀さんとニイラ立ち上げまでのストーリーや家族との関わり方についてお話できることに。和賀さんの経験や日々思っていることを聞きながら、家族との関わり方や、家族についての悩みを抱えたときにどうしたらいいのかを考えていきたいと思います。

母親の病気、父親の言葉。この2つに導かれて福祉の道へ

和賀さんが株式会社ニイラを立ち上げたのは、2020年のこと。ニイラが提供する、対話を通じて心のケアをするサービス「HUG」は、家族の病気や障害、介護、終活にまつわる困りごとのほか、夫婦・親子・家族との関係性の悩みなどを、対面やオンラインで相談を受け付けています。

また、話を聞くだけでなく、相談内容に応じて、福祉サービスを利用するための申請やご家族の入院や施設入居、葬儀等のライフイベントを行うためのサポートなども行います。

【写真】左手を胸のあたりに当て真剣に話すわがさん

なぜ和賀さんはニイラを立ち上げることになったのか、そもそも福祉の道へ進んだのはどんな思いからなのか…。そのきっかけは、和賀さんの子どもの頃の経験に遡ります。

母は私を産んですぐ、血液の病気になりました。すぐに生命に関わるような病気ではなかったのですが、入院をしたり通院、服薬をし続けないといけない慢性疾患だったんです。私が物心ついた時期も、他の大人に比べて病気であるゆえに体力がないことを子どもながらに理解していました。

遊びに行くことや出かけることができなかったわけではありませんが、疲れやすいこともあり、幼い和賀さんは病気があって生活することの大変さを感じていたそう。たとえば夏休みに一緒にプールに行くなどのちょっとした外出でも、その後お母さんは疲れを訴え、寝込んでしまうということがありました。幼かった和賀さんはお父さんから、「電車に乗るときはお母さんの席を取ってあげて」と頼まれていたといいます。そんなことから電車ではいち早く席を取って「お母さん、ここに座って!」と言うなど、お母さんを気遣っていました。

でも、周りの大人たちは、その様子を必ずしも温かく見守ってくれたわけではありませんでした。20代前半で和賀さんを産んだお母さんは当時まだ若く、血液の病気だと外見からは分からないこともあり、「子どもに席を取らせている」とネガティブな目で見る人も多かったのです。

幼いながらも「たとえば車椅子に乗っている人にはみんな優しくするのに、目に見えないものを抱えている人には優しくないんだ」と肌で感じていました。そんなことが続くうちに、人は分かりやすいものにしか反応しないし、目に見えないものは分かろうとしないのだと思うようになったんです。

そんな生活のなかで、和賀さんは“目に見えない病気や障害”への関心と、“好きで病気になる人はいない”という想いを深めていきました。

そしてもう一人、和賀さんを福祉の道へ導いた存在はお父さんでした。

“熱血サラリーマン”という言葉がぴったりだったという仕事熱心なお父さんは、「結婚しても、子どもがいても続けられる仕事を選びなさい」とことあるごとに和賀さんに伝えていたのです。経済的に自立して生きていける仕事がしたい、また、デスクワークではなく動き回れる仕事がしたい…と考えた和賀さんは、社会福祉の道に進むことにしました。

当時まだ一般的に敷居の高かった精神科病院でキャリアをスタート。フラットな環境で学んだ多くのこと

福祉の道に進むことを決めて大学は社会福祉学科で学び、卒業後は精神保健福祉士/ソーシャルワーカーとして精神科病院へ就職した和賀さん。当時の精神科病院についてこんなふうに振り返ります。

私が就職した20年以上前の精神科病院は、一般の人から見るとまだまだ敷居が高い場所でした。他の科の病棟と比べると開放的な雰囲気ではなく、そこに何十年も入院している方もいたんです。“社会から断絶されている場所”という印象を最初に強く受けました。

働くなかで感じたのは、家族の面会が極端に少なかったことです。当時は精神疾患のある人は、家族のなかで存在が隠されていることも珍しくありませんでした。

その後、24年にわたって精神科病院で働いた和賀さんですが、そのなかで感じた一番の大きな変化は、世の中でメンタルヘルスが注目されるようになったこと。病院の建て替えがあって内装がきれいになるなど環境もよくなってきて、多くの家族が面会に訪れるようになったといいます。

多くの医療従事者とともに働き、患者と接するなかで和賀さんは多くのことを学びました。

【写真】テーブルの上で両手を重ねている。カラフルなネイルと指輪をしている。

なかでも繰り返し一緒に働く医師や看護師やメンターから言われていたのが、この3つ。

患者さんのことの全ては理解できない。

患者さんは患者の役を演じてくれていることを理解しておかないといけない。

自分の専門性に自信を持つことと、国家資格や専門職を振りかざすことは違う。

和賀さんは時間が経った今も、それらをいつも大切にしているそうです。

人と人とは本来フラットなもの。肩書があったとしても、本質的にはこの人が上でこの人が下とは言えないと思います。そういうフラットな環境の職場だったので学びも大きかったです。

患者さんと接するときは“精神保健福祉士/ソーシャルワーカーと患者”という位置づけにはなりますが、けっして私の方が何かをして“あげる”と感じることばかりではありません。たとえば制度利用の際に手続きのサポートに行く道中には、患者さんとよく楽しくおしゃべりをしたりもしました。無理矢理に会話しているわけではなく、やっぱり二人で話すことが楽しいからおしゃべりが続くんですよね。そういうときはまるで患者さんとギフトを交換しているような気持ちになりました。

父親の闘病と死。組織を離れることを決意させた父親の最後の言葉

長い間病院で働いてきた和賀さんは、2019年に退職をして翌年に会社を立ち上げます。そのきっかけを作ったのは、お父さんのがんの闘病と死でした。

お父さんと仲が良く、何でも相談してきた和賀さんは、その死を「城が崩れる」ように感じたといいます。心のなかで漠然と「父は死なないのではないか」と思っていた和賀さんは、この先どうやって生きていけば良いのかと考え始めたのです。

そして同時に、お父さんが亡くなる間際に残した最後の言葉についても想いを巡らせました。

父は意識が朦朧とするなかで「あぁ、いい人生だったな」と何回か言ったんです。父が遺したその言葉を反芻して、もし私が今死んだら父のように「いい人生だった。後悔はない」って思えるだろうか?と自問自答しました。けっして100%そう言える自信はない、ちょっと後悔が残るだろうなというのが、その時に出した答えです。

その頃の和賀さんは、病院でバリバリと働く管理職。大きな仕事も任されて順風満帆な時期でした。それでも「この道を進んでいった先にさらに楽しいことがあるのか?」と考えたとき、すぐに「Yes」と答えられない自分もいる。

それでもいろいろ考えた末に、まだ明確なビジョンはないけれど、まずは一旦病院を辞めてみよう、組織から離れてみようと決めたのです。

【写真】椅子に座り顎に手を当て微笑むわがさん

2019年3月に病院を辞め、退路を断つために4月には個人事業主の開業届を提出。自分の人生を後悔しないための選択でした。

ですが、仕事を辞めた後にすぐに“辞めたこと”への後悔が生まれたそう。毎月のお給料が入ってこない不安感、組織への未練などが和賀さんのなかにもやもやと立ち込めていました。その間も他の組織で働いてみるなどもしましたが、結局「やっぱりこれじゃない」と感じた和賀さんは、2020年2月に会社を立ち上げることを決意します。

ただ、その時点でもまだ明確な事業内容のビジョンはなかったため、ビジネス・インキュベータの集まりなどに参加しながらどのようなサービスを立ち上げるかを模索し続けました。そんななか、新型コロナウイルスの感染が拡大しはじめ、人との関わりをつくるのが難しい空気感が広がりはじめます。

ふと思い立って「暇だから、4月の1ヶ月で私と話したい人手を挙げて!Zoomでお話ししましょう!」と軽い気持ちで募ったら、35人も希望者が現れたんです。呼びかけたのはFacebookの友達限定の記事だったし、こんなにも人が集まるとは思ってもいませんでした。緊急事態宣言が出ていた頃だったので、みんな鬱憤が溜まっていたんでしょうね。いろいろな話をして「すごく気持ちよかった!温泉に入った気分だわ」と言ってもらったりもしました。

いろんな人の話を聞くうちに「これ、仕事になるじゃん!お金払いたいよ」と言ってくれる人も出てきて。これをかたちにしようと決めて、6月にサービスを立ち上げました。

そして生まれたのが、対面やオンラインで家族の相談を受け付けるサービスを提供する株式会社ニイラです。

対話を通じて心をケア。相談・伴“奏”サービスを提供する株式会社ニイラ

ニイラの事業の中心となる家族にまつわる相談サービスは「HUG」と名付けられました。

それは、「まるでハグするように話を聞きたい」と和賀さんが思っているから。苦しい気持ちを聞いてほしい、自分の気持ちを話して自分の状態を理解したい、自分の本音を話して楽になりたい…そんな気持ちに寄り添うことを大切にしています。

【写真】相談サービスHUGのアイキャッチ画像。青空をバックに、笑顔で話す人、泣いている人を励ます人などが描かれている。

家族にまつわる相談サービス「HUG」のアイキャッチ画像(提供画像)

HUGの相談サービスは、以下の5つに分けられています。

①がん患者さんのご家族相談
②障害を持つご家族の相談
③介護についての家族相談
④終活の家族相談
⑤夫婦、親子、家族との関係についての相談

あえてこのように明確に切り分けたのは、「何でも相談してください」というよりあらかじめ入口を作っておいた方が相談しやすいはず、と考えたからだそう。

特にがん患者の家族の相談については、和賀さん自身がお父さんの闘病時に、家族として感じる悩みや辛い気持ちをなかなか人に相談ができなかった、という背景もありました。

父は余命宣告こそされなかったものの、だからこそ逆に「一体このケアはいつまで続くのだろう」と考えてしまうこともありました。でもそれを口に出すのは家族としていけないことのような気がして…。父の病状や生死に関して、分からないことや不安なことを他人に相談することができなかったんです。

普段これだけ話せるおしゃべりな自分がそうなのだから、一般的にこういうことを自分から話すのは本当に難しいことなんじゃないでしょうか。あの時の自分がHUGのような場があると知っていたら、絶対に相談していたと思うんです。困ったときに自分自身にも必要だと思えるような場をつくっていきたいですね。

また、病院で働いていた時から「家族の考えに引っ張られていたり、家族に関して悩みを抱えている人が多いんだな」という気づきもあったため、家族に焦点を当てた相談ができる場にしたかったと和賀さんは話します。

もちろん、家族にまつわる相談を受け付けている場所が全くないわけではありません。一般的に知られているのは、行政の相談窓口でしょう。ただ、誰でも平等に相談ができる反面、業務上どうしても平日の9時から17時半までなど受付可能な時間が決まっていることがほとんどです。

その課題を少しでも解消できるよう、ニイラでは、9時から21時という設定はあるものの、平日土日にかかわらずできるだけタイムリーに相談を受け付けているといいます。

また、ニイラでは対面だけではなく、オンラインでも相談が可能。遠方にお住まいの方や忙しい方、対面での相談が苦手な方も和賀さんとお話することができます。

先約があって時間が空けられない場合もあるため、「いつでも、どこでも駆けつけます」と確約はできませんが、なるべく突然の相談を受け付けられるよう、和賀さんも時間の余裕を持ってスケジュールを組んでいるそうです。

【写真】穏やかな表情で話すわがさん

仕事をしていると、平日にわざわざ仕事を休んで相談するということ自体が負担だったりもしますよね。

それに、相談する人のタイミングも大事だなと思っています。今相談したいというタイミングを逃すと、「まぁいっか」って後回しになってしまうこともあるので。その「まあいっか」を積み重ねている人ってすごく多いなと感じていて。「まあいっか」が積み重なってミルフィーユみたいになってしまうと、ちょっとやそっとで「相談してみよう」という気持ちにはならなくなってしまうと思うんです。

そして、HUGはただ“話を聞く”だけではありません。話を聞いて何が問題なのかを理解した後は、和賀さんが制度利用のための手続きなどをサポートしたり、必要に応じて弁護士などの専門家につなぐなど、具体的に問題解決をし状況を改善していくための手助けもします。

組織に属しているとそれぞれの仕事は縦割りで決められてしまうことが多いため、すべてを俯瞰で見て相談に乗れる人が少なくなってしまうという現実も。そのため一人ひとりの望むサポートが難しいことがあるのです。

そこでニイラでは、和賀さんが精神保健福祉士/ソーシャルワーカーとして長年培ってきた知識と経験を活かし、話を聴いて相談者の気持ちや状況を整理していく精神的なサポートと、問題解決のための具体的な行動を起こすためのサポートの両方を行っています。

ある相談者は、親の終活についての相談を和賀さんに持ちかけました。「実家の断捨離をしたい」というその人に、和賀さんは不要品を回収してくれる業者を紹介したそう。その後親に余命宣告が出たときには、相談者の希望で葬儀会社を紹介しました。

しばらくして「今朝亡くなりました」という連絡を受け取った際には、その日のうちにその人の元に駆けつけた和賀さんの姿を見た途端、その人は涙を見せたといいます。

私はHUGを「対話を通じて心をケアする相談・伴“奏”サービス」と言っています。一般的にはサポートを“伴走”と表現することが多いと思うのですが、あえて“伴奏”にしているのは、相談という行為はしている、されているという分け方ではなくて、「お互いの言葉や感覚が響き合って成り立っているもの」だと常々思っているから。

だからこそ、私自身の体をよく筒のようなイメージに例えるんですけど、どちらが上かも下かも決まっていなくて、空洞になっていて響きがいい。そんなふうでありたいからなんです。こちらが余白やスペースを持っていないと、相談を聞いても相手をフィルターをかけて見てしまったり、濁って見たりしてしまうんじゃないかなと思っています。

他の誰でもないあなたの人生だから。あなたを主語にして話してほしい

HUGを提供し始めてから2年以上が経ち、和賀さんはこれまで多くの相談を受け付けてきました。

相談の軸を5つに切り分けてはいるものの、相談内容はいくつもの軸にまたがることがほとんどだといいます。たとえば、「家族の終活相談」の入口から相談を受けていても、親の話だけでなくきょうだいの話もはじまり、最終的には夫婦、親子など家族関係全般についての相談につながっていくことも。1つの相談が枝分かれしていき、相談者の抱える様々な悩みへと広がっていくことが多いようです。

和賀さんは相談を受けるなかで、相手の現在の状況や話の受け止め方を見ながら一人ひとりに合った対応を心がけています。その前提として大事にしているのは「全ての人に対して、言ってほしいことを言ってあげられる役割ではない」ということです。

相談者の方に対しては「私はあなたの全てに共感できるわけではない」というスタンスで接しています。私はその人ではないので、「分からない」という部分を大切に、お話ができればと思っているんです。私の体感ではありますが、相談してくださる方は自分とは違う目線でヒントがほしい、背中を押してほしいという人がほとんど。なので私としては、相談を通してもやもやが晴れると同時に喜びを感じるような、いわゆる“アハ体験”をしてもらえたらいいなと思っています。

【写真】テーブルに座り笑顔でインタビューに応えるわがさん

相談を通して多くの人との関わりを持つなかで和賀さんが感じているのは、自分のことを考えるのを後回しにしてしまっている人が多いということ。家族のことに一生懸命になるばかりに、セルフケアや自分を主語に考えることができなくなってしまうのだそうです。

どうしても相談中に「自分自身がどうしたいか」ということにフォーカスできず、他者の話ばかりしてしまう場合もあり、「あなたの話に戻しましょう」と和賀さんが働きかけることで、やっと自分のことを考えられる方もいます。

誰のための人生なんだろう、誰が主語なんだろうって思うんです。普段は意識してないですけど、日本語って主語がなくても通じてしまう言語ですよね。みんな「私は」「私は」って普段からあまり言わないというか…。そして同調圧力みたいなものに対して自分の意見を飲み込んでしまう風潮もあります。それってすごく怖いこと。だからこそ、どんな問題でもまずは“あなた”の考えを話してほしいなと思っています。

大切なのは、家族とはいえ違う人生を歩む別の人だと理解すること

ここで相談者の立場になってみて、「家族は仲良くしなくてはいけない」という思い込みのせいで生まれる罪悪感やもやもやについて、和賀さんにお話してみました。すると、「“家族とはこうあるべき”という理想像を持っているのではないか」と和賀さんは答えます。

自分の理想の家族像、ましてや他人の家族と今の状況を比べてしまう方はとても多いのですが、私はそれは意味のないことだと思っているんです。すごいなと思う人をわざわざ目の前に置いて「自分には価値がない」と感じてしまうのはつらいから。でも、おそらくほとんどの場合は他人と自分を比べるのは無意識にやっていることだと思うので、そういうときは改めて自分の気持ちに集中するということが大切です。

たとえば、「家族と仲良くしたいから仲良くする」と「家族とは仲良くしなければいけないから仲良くする」。この2つには大きな隔たりがあると和賀さんは話します。

もしなんでも話せる仲の良い家族を理想としているのに、現実はギャップがあり苦しんでいるなら、まずは「自分がどうしたいか」という気持ちを一番大切にする。家族の問題を考えるとき、「自分と家族」という数人単位で問題を抱えているような気持ちになりますが、何よりも最初にフォーカスするべきなのは、自分自身の素直な気持ちなのでしょう。

「家族とは仲良くしなくてはいけないもの」って思い込んでいる方は多いです。でも親子だから、家族だから、どんなときも相性がいいというわけではないと思います。一旦立ち止まって、今はそんなに家族と仲良くしたくない時期だなと思ったら、距離を取ればいいんですよね。

もちろん、家族なので急に物理的な距離を取るのは難しいかもしれません。でも、精神的な距離をとって自分が心地よく居ることはできるんじゃないかなと思いますね。

精神的な距離をつくるために必要なのは、「家族とはいえそれぞれ違う人生を歩む別の人間」だということをそれぞれが頭に入れておくのが大切だと和賀さん。

家族だから分かってくれる、家族だから同じ意見のはず、という期待値を高く持ってしまうと、そうでなかったときに落ち込んだり、怒りが生まれることもあるかもしれません。別人格の人間なのだから、別の考えを持っているのは当然のこと。それを理解したうえで、何よりも自分の気持ちや願いに目を向けることを大切にしながら家族について考えていくとよさそうです。

家族だからと相手をコントロールしない。それぞれのニーズや意見はバラバラで当然

【写真】手振りをつけながら真剣な表情でインタビューに応えるわがさん

以前家族のなかで何か問題が生じたとき、それを解決するために話し合っているのに、その場をつくったことで、家族との間に余計に深い溝ができてしまったことがありました。このときどんなふうに対話すればよかったのかは、今でもわかりません。

家族との対話で一番大切なのは、全員の満足をゴールに設定しないことだと思います。「私は全部を知りたい人」「この人は自分に必要なことだけを知りたい人」「あの人は自分が良いと思っている方向に突き進みたい人」など、基本的にその立場によってニーズはバラバラなはず。それを考えてみると、誰かが我慢したり、譲歩しない限り、“満場一致”にはなり得ないと思うんですよ。

加えて、誰もがありのままでいるわけではなく、親や娘、息子など自分の家族としての立場を演じているケースも多いのではないでしょうか。役割を背負ったまま話すよりも、人間対人間としてそこにいるようにすればがフラットで良い対話ができるんじゃないかなと感じています。

たとえば、和賀さんの元に持ち込まれる相談のなかで多いもののひとつが親の介護について。家族であっても、きょうだいであっても、親に対しての深度や関わり方、距離感はそれぞれ違って当たり前なので、和賀さんは悩んだり衝突するのは当たり前だと話します。

家族は近い距離の人たちだからこそ、対話の際に無意識に相手をコントロールしようとしがちなところもあります。あなたと私は違う人間だとしっかり線を引かないと、互いにその一線を簡単に飛び越えて行き来するようになってしまうんです。私は相手に期待しないほうが良い関係でいられるのではないかと思いますね。

家族との対話で大切なのは意見をひとつにすることではなく、先ほどの家族との適切な距離感を探るときと同様に、それぞれのニーズや考えは全く別物だと認識すること。それが自分たちらしい家族のあり方を探っていくためのスタートになるのかもしれません。

悩みを抱えたときは、「どうしたらいいんだろう」ではなく、「どうしたいんだろう」と考える

自分の気持ちにフォーカスすること、自分にとって心地よい距離を保つこと、相手をコントロールしないこと、家族であっても違う考えを持った別の人間と考えること…。ここまで家族との関係性を考えるときのヒントを和賀さんに伺ってきました。

それでも、家族についての悩みを抱えることは誰にとっても避けられないこと。そんなときに、自分の悩みや家族への想い、苦しい気持ちなどを誰かに相談したいと思っても、ためらってしまうということもあるのではないでしょうか。

また、相手が誰であっても、その内容が家族に関わることでなかったとしても、話しづらいことを話すときは、物事をきちんと整理して話さなければと思ってしまったり、それによって相談の機会を逃してしまう人も多いはず。

【写真】右手を顎に当て、笑顔で話すわがさん

そんな方に対して和賀さんは、まずは気にせず相談してほしいと話します。

本当に悩んでいるとき、困っているときは自分の中で整理なんてできないもの。それが普通なんです。 私の場合は、相談者さんのお話を聞いてそれを整理するのが仕事。だから「まずはなんでも話してください」と伝えています。

私は、「話すことは身体から離すこと」だと思っていて。重い荷物を背負っている事に気がついて、もしそれを負担に思ったならば軽くすればよい。軽くしても良いのです。そのためには1人で頑張り過ぎず、誰かに話して自分の身体から荷物を離してみてほしい。その“誰か”として私はお手伝いしたいです。

和賀さんのような専門家ではなく、周りの信頼できる友人などに話す場合でも、渦中にいる本人が持っていない客観的な視点で物事を整理してくれる場合もあるかもしれません。

悩んだときに話を聞いてくれる友人はとても心強い存在。でも、たとえ親しい友人だったとしても、悩みを打ち明けるのは躊躇いもあり、誰にどんなふうに話したら良いか迷ってしまいそうです。そんなときに、自分自身に問いかけてほしいことがあると和賀さんは話します。

まず、「自分はどうしたいのか?」ということです。誰に話したいのか、聞いてもらいたいだけなのか、聞いてもらったうえでサポートをしてもらいたいのか。それを考えると、おのずと自分が何をしたら良いのかが見えてくると思います。家族に相談したいのか、パートナーなのか、友達なのか。もしくは全く知らない人が良いのか。それを考えていった先の選択肢に私が入っていたら嬉しいです。

「親しき仲にも礼儀あり」を胸に家族との時間を紡ぐ

インタビューが終わりに近づいた頃、和賀さんにふとこんな質問をしてみました。「和賀さん自身が家族とのコミュニケーションで気をつけていることは何ですか?」と。和賀さんの回答は「親しき仲にも礼儀あり」という、私自身子どもの頃から何度も聴いてきた言葉でした。

家族には甘えがあるから、つい強い口調で発言してしまったりもしますよね。でも、それは違うんじゃないかなと思っています。もちろん、私も家族に対して甘えてしまうこともあります。でも、近しい人をぞんざいに扱う人にはなりたくないと思っているんです。

近しい間柄の家族だからこそ甘えたくもなるけれど、だからこそ丁寧にその関係を育てることが、回り回って自分の居心地の良さにつながるんじゃないかなと思います。

私が抱いていた“家族のことを考えるときに、胸にうずまくもやもや”も、もしかしたら「家族だからこのくらいでいいだろう」という家族への甘えがあるからだったのかもしれません。家族以外には絶対に言わないような言葉も、家族だからと気にせず口にしてしまっていたこともありました。

これからは私も「親しき仲にも礼儀あり」という言葉をお守り代わりに、家族との時間を大切に紡いでいきたいと思います。

とはいえ、家族へのもやもやを抱えることはきっとこの先もたくさんあるはずです。でも、その正直な自分の気持ちに対して罪悪感を持つ必要はない。だって、家族とはいえ、自分とは違う考えを持った人間で、一致しないことがあるのは当然だから。

悩みを抱えたとしても、私のまわりにも手を差し伸べてくれる人や、力を貸してくれる場があるはずです。それをずっと忘れずにいたいと思います。そして、家族の悩みや問題を抱える人の“伴奏”をしてくれる和賀さんの存在も、ずっと心の中に留めておきたいです。

【写真】水色のソファーに座って微笑むわがさん

関連情報:
株式会社ニイラ ウェブサイト
HUG ウェブサイト

(撮影/川島彩水、編集、企画・進行/工藤瑞穂、協力/糸賀貴優)