【写真】見晴らしのいい場所でお互いを見つめ合いながらほほえむさくらだまりさんとゆきやさん

パートナーと一緒にいることを自分で選んで決めたはずなのに、“他者とともにいる”ことへの安心やささやかな喜びと同時に、難しさを感じることがあります。

結婚をして子どもが生まれ、夫婦としてともに生活を重ねて10年弱。子育てや仕事へのスタンスの違いから、自分だけが我慢していると感じてしまったり、性質の違いから、夫の思考回路や行動の意味がわからず、困惑したり。

「これは夫の特性なのだ」と頭では理解できても、自分が困っている状況に置かれると、“なんでわかってくれないのだろう”、“どうして夫は変わろうとしてくれないのだろう”と責めるような気持ちが湧いてしまうのです。どうしたって“わかり合えない”現実を前に、その手を放したくなることも。

夫婦の手をつなぎとめるものは、なんなのだろう。どうしたら“他者とともにいる”ことができるのだろう。

そんな問いを携えて、ある夫婦に会いに行きました。櫻田万里さんと幸也さんのおふたりです。

万里さんは、発達障害やその傾向にある人と関わることで心身に影響を及ぼす「カサンドラ」状態にある人たちをサポートする団体「アスペルガー・アラウンド」を運営しています。都立の特別支援学校に13年勤務した後、普通高校へ異動、特別支援教育コーディネーターを長く務めてきました。公認心理師・臨床美術士としても活動しています。

幸也さんは、広告会社に3年ほど勤務したのち、広告企画会社を設立して独立。1991年頃その会社がバブル崩壊で倒産した後、コンビニ経営を経て、PTA活動や地元の子ども支援に関わり続けています。2003年、47歳の頃にアスペルガー症候群の診断を受けました。

アスペルガー症候群は2013年以降、自閉スペクトラム症(ASD:Autism Spectrum Disorder)と表現されています。ASDは、対人関係が苦手、コミュニケーションや言葉の発達に遅れがある、行動や興味に偏りがあるといった特性のある発達障害の一つです。

ただ、その特性が理解されにくいがゆえに、本人や周囲の人たちに、生きづらさが生じてしまうことも。パートナーや家族、職場の同僚など身近な人がASDであり、コミュニケーションの不和や共感し合える関係が築けないことによって心身に不調が生じる「カサンドラ症候群」という概念があります。

幸也さんには、他者への共感や家族や職場などの所属コミュニティへの帰属感がなく、家計管理や将来設計が難しいといった特性があります。家族でいる万里さんは、授かった2人の子どもを育てていく上で孤独感や経済的な悩みを抱え、「カサンドラ」状態にあったと振り返ります。それでも今、“ともにいる”ことを選んでいるおふたり。

障害の有無にかかわらず、誰しもに多かれ少なかれ“特性”があり、その上に関係性が生まれていきます。万里さんと幸也さんは、ASDの特性やカサンドラ状態であることに、どう向き合ってきたのだろう。一つの夫婦のかたちとして、ふたりの関係性を紐解きます。

「僕はあなたと人生は構築しない」結婚生活のはじまり

【写真】大きな絵の前で椅子に座りカメラをみつめるまりさんとゆきやさん

──最初におふたりの出会いから結婚までのエピソードをお伺いしてもよいですか。

幸也さん:彼女が描いた絵を見て、友人を介してイラストを頼んだのがきっかけで知り合いました。僕が35歳、彼女が29歳の頃だったかな。会ってすぐに好きになったので付き合ってと伝えた。僕は興味がないか、好きか嫌いかしかないから。関係性にプロセスがないんですよ。ステップを踏まない。

万里さん:彼、本当に好きか嫌いかで、距離を縮めるのに悩んだりしないんです。会った次の日から猛烈なアプローチを受けました。照れもせず、真正面から好きだと言われ続けて、落ちちゃった(笑)。

幸也さん:あまり羞恥心がないので。人前で好きだよとか平気で言ったりするんだけど、だってそうなんだもん。

万里さん:結婚をする前に、別れたりよりを戻したりしながら7年の付き合いがあって。この人と一緒にいるのはおもしろいけど、結婚するのは大変そうだなと思っていたんです。はじめてのデートで映画に行って、別々の作品を観ようと言われたときは驚きました。

幸也さん:ご飯だって、別々に頼んでシェアして食べるでしょ?同じように、別々に観たい映画を観て、あとで感想を互いに話した方が合理的じゃん。だから映画館で、僕はこれを観るけど、君はどこに入る?って聞いたの。

【写真】手振りをまじえながら話すゆきやさんと、笑顔のまりさん

万里さん:「え~?ここから別々なのは嫌だ」と言ったら、彼は真顔で「なんで?」って……結婚をするときも「僕はあなたと人生は構築しない、けど僕の人生にはあなたが必要だ」って言われました。

幸也さん:僕はあなたと結婚して幸せになるけど、あなたが幸せになるかどうかはわからない。結婚をして彼女を幸せにするみたいな責任感が僕にはないの。だから僕自身は結婚をする気はなかった。無理だと思ってた。でも彼女に会って、自分たちの子どもに会ってみたいと思ったの。

万里さん:私は生まれ育った家庭環境から、いい母親になれるイメージがなかったのだけど、この人は子どもが好きだから、一緒にいれば、子どもを育てられると思ったんです。

幸也さん:まあ勘違いだったんだけどね。

──実際に2人のお子さんを授かって、子育てをされてきました。

万里さん:今も子どもの相手は私より彼の方が向いていると思っています。ただ、2歳違いの2人の子を育てるのは大変だった。上の子は発達障害があるのもあって、手がかかって。私から離れたがらない上の子を足で羽交締めにしながら、下の子の授乳をして一人奮闘していました。彼は出産にも立ち会わなかったし、出産後は夜もいない。お風呂とか何もしてくれなかったもんね。

幸也さん:首が座っていない、命の危険性がある子どもは苦手なんですよ。4歳以上なら世話しやすいんだけど。

万里さん:保育園に入ってからは、子どもと関わって、地域のイベントや親父の会にも積極的に参加してくれました。

幸也さん:フリーランスでふらふらして、仕事はあまりしてなかったけど。

万里さん:都立高校の教員として働き、家計は私が支えてきました。

診断することを抵抗された大人の発達障害

──幸也さんが今話してくれたようなご自身の特性を意識し始めたのはいつ頃ですか?

幸也さん:自分の特性を意識したのは子どもの頃ですね。自分はみんなと違うな、変わっているなという自覚はありました。たとえば子どもの頃から、授業でも板書はしないで黙って聞いているだけ。そのほうが頭に入る。

会社でも下積みの仕事ができないから、独立したわけ。とはいえマルチタスクができないから、お客さんと打ち合わせをしてもメモや記録がとれない。その場でアイデアは出せるけど、会社に戻ると覚えていないから、そのあとの業務を進められない。子どもの頃から変わらない特性っていうのはあるんです。

【写真】インタビューにこたえるゆきやさん

──その気づきから、アスペルガー症候群の診断に至るまでにはどんなプロセスがあったのでしょう?

幸也さん:息子が発達障害の診断を受けて。その過程で本を読んで情報を得るうちに、自分のほうが特性が強いなと思ったんです。

万里さん:息子が診断を受けたのが2001年なんですが、当時は「発達障害」という言葉も一般的ではなくて。『のび太・ジャイアン症候群』という本が話題になっていたんです。本を読んで、こういう障害があるんだ、もしかしたら息子と夫もそうかもしれないと。赤ちゃんの頃から育てにくい息子は何かあると私は思っていましたから、早く診断させたかったのです。障害児教育は、早期発見、早期療育が当然だったので。

幸也さん:どう考えても息子より僕のほうが特性が強かったから、診断を受けたかったけど、当時は医師から「大人の男性は診断しないほうがいい」と言われたの。ショックを受けるから知らない方がいいって。

3件くらいたらい回しにあって、息子を診断した医師に、私は壊れたりしないからどうしても検査してほしいとお願いして。とにかく白黒はっきりさせたかったんです。

万里さん:それでアスペルガー症候群と診断されました。数年後に夫を検査した臨床心理士に会ったときに、大人の発達障害を検査したのは初めてだったから、印象的だったと言われました。

──診断を受けて、幸也さんご自身に変化はありましたか?

幸也さん:何も変わらないです。自分の中では、やっぱりそうだよな、生まれつきなんだで終わり。ただ、僕のせいで、彼女がつらいと言い出したんですよ。でも当時は、彼女が苦しんでいたとしても、僕には関係ないと思っていた。つらいのは彼女であって僕じゃないから。

万里さん:相手の気持ちを察する力が弱かったり、明確な指示がないとやることを想像できないという特性があるんです。

幸也さん:例えば彼女が倒れていたとしても、具合が悪いと察することはできない。僕にできることはないから、そのままにしておく。病院に連れて行ってくれと言ったら行くけど。

万里さん:こうしたやりとりに傷ついてしまうカサンドラさんは多いんですが、私は傷つくことはありませんでした。察することは期待せずに、私がハッキリ伝えれば良かったので。

障害特性を理解して、肯定してくれた。カサンドラ状態の孤独を和らげてくれた存在

【写真】椅子に座ってインタビューをうけるまりさんとゆきやさん

──パートナーや家族、身近な人がASDで意思疎通や関係性の構築ができないストレスから、身体的、精神的な不調が表れる状態を「カサンドラ」と言いますよね。カサンドラ状態にある方が抱える孤独について、詳しく教えていただけますか。

万里さん:私は活動当初から、カサンドラの孤独感には二つの側面があると提唱しています。一つはパートナーと感情や気持ちのやりとりがうまくできない、つまり情緒的相互関係を築けないという孤独感。もう一つは周囲からその孤独感を理解してもらえない、自分の苦しさを肯定してもらえない孤独感です。まさに、これがカサンドラの名の由来です。カサンドラはギリシャ神話に登場する、予言を周囲に信じてもらえなかった女性の名なんですね。

私は障害を受容することは仕事柄、理解していました。でも、二つ目の孤独にやられちゃったんです。

──周囲から理解してもらえない孤独感ですね。

万里さん:私は教員として特別支援教育の現場にいたから、障害の診断がつけば、療育とか家族会とか本人も家族も支援が得られると思っていたんです。でも、大人の発達障害に関しては診断が出て終わり。社会的な理解と支援がなかった。

夫が診断を受けたときに、精神科医から「ご主人は十分に障害を克服していますから、あとは家族がコーチングしてください」と言われました。彼との結婚生活の困難は、妻である私が一人で抱え込まなきゃいけない。急に突き放されたような孤独感からカサンドラ状態に陥りました。

──もしよければ、具体的に結婚生活の困りごとについて教えていただけますか。

万里さん:私がまいってしまったのは、彼に金銭感覚や経済観念がなかったことです。そして、彼に訴えても、全く意に介さない。私が一人で家族の人生設計を背負い込むしかないわけです。母子家庭状態ですね。

幸也さん:経済観念に乏しいから、お金はあるだけ使っちゃう。1万円と100万円の違いがわからない。

万里さん:もし100万円を自由に使えたとして、多くの人は使いながら減っていく量を認識すると思うんです。でも彼にはその感覚がない。目の前のお金がすべてなくなったときに「なくなった」と思うだけ。

私は結婚してから夫の収入を一度も見たことがありません。先の見通しが立てられない特性から、長期的な人生設計は私が担っていくしかない。唯一任せたのはライフラインの支払いです。支払わなければ止まるガスや電話はわかりやすいので。

──……それは大きなプレッシャーやストレスにもなりますよね。

万里さん:夫に家族を養う意識がないことを相談に行ったら、「今は男性と女性の役割が逆転している家庭もあるんですよ」と女性の弁護士に諭されて泣きたくなったことがあります。ASDである夫との荒唐無稽な生活は、想像できないですから。説明する気もなくなり帰ってきました。

彼は学童保育や地域の行事に関わって地域の方やママ友に感謝されていました。外からは働いて一家を養っていて、さらに、子育てにも熱心で、良い夫だと思われますよね。一方私は、夫の収入もあるのに好きに働かせてもらって、育児を夫に押し付けているいい身分の妻ということになっていたと思います。この孤独は、誰にも言えないし、事情を説明する機会もありませんでした。

──万里さんはその孤独をひとりで抱え続けていたのですか?

万里さん:私は夫の言動が障害からきていることは受容していました。受容したまま自分が壊れずにいるために、どこかにつながっている必要があると考えていたんです。機能不全の成育歴に苦しんだ経験があったので、血のつながっている親との確執と比べれば、夫との関係はたいしたことではないと思えていました。だって、いざとなれば縁を切れば済むんですから。

【写真】手振りをまじえながら話すまりさん

万里さん:だから手当たり次第、話ができるところに行ってみました。でも地元の市役所の夫婦相談に行っても、理解してもらえず話がかみ合いません。ただ「発達障害はジャンル外だから」と、乳幼児健診の保健師さんを紹介してくれたんです。

その保健師さんが「私はアドバイスはしないが、話を聞くことはできる」と、何度か時間をとってくれました。発達障害を理解している人に、私の抱えている問題を聞いてもらうことで、私は味方を得たような心強さを感じ、孤立感から救われました。

当時、私を蝕んでいったのは、自分の価値観や常識が彼に通じないために起こる自己喪失感でした。知識のある保健師さんに話すことで、私がおかしいのではない、私を肯定してくれる人がいるという確信を得て、私は回復したんです。

カサンドラのベースキャンプ。「アスペルガー・アラウンド」の活動

──その後、カサンドラ状態にある人を支援する活動を始めたのでしょうか?

万里さん:私がカサンドラを知ったのは、カサンドラ状態が回復してから数年後なんです。自分に余裕ができてから、私みたいな人はほかにいないのかなって、インターネットで検索して。そこから当事者の方の掲示板に行き着くんだけど、アスペルガーに対する行き場のない憎しみや救われない想いにあふれていて、読むのがつらくてサイトを閉じました。

そしてこの人たちに必要なのは、情報だと思いました。当時は、ASDの特性や自分の状況を知る機会があれば、カサンドラ状態から抜け出すことができると簡単に考えていたんです。それに、発達障害の理解を広めておかないと、将来当事者である息子が結婚するとき、相手のご両親に反対されちゃうのも困るなあと思いましたね。

活動が本当に必要なものなのか、決めかねていたころ、二人のカサンドラの方を紹介されました。そのうちの一人が話しながらずーっと泣いているの。すごくつらそうなんだけど、話を聞いていたら離婚して1年以上経っている。別れても、あの結婚生活はなんだったのか、私はどうすればよかったのかと悩み、カサンドラから脱出できていなかったんです。

ASDのわかりにくさは、別れてもパートナーを混乱させたままにするんだと、彼女に会って問題の深さがわかりました。それで、絡まってしまった糸を解きほぐすお手伝いをしたいと活動することを決めました。

──そうした想いと経緯から、2013年にカサンドラの支援活動を開始されたんですね。実際の活動についても教えてください。

万里さん:私が活動当初から大事にしているのは、カサンドラと発達障害者が同じ方向を向いてカサンドラの課題を解決すること。カサンドラは発達障害にまつわる課題の一つであって、両者は対立構造にはないはずです。人間関係のこじれは、関係性にあって、どちらかが悪者であるわけがない。活動にあたっては私の理念に賛同してくれた発達障害の当事者に協力をしていただきました。

「カサンドラ」は関係性に生じる状態だと私は定義しています。その上で自助の力を活用した「カサンドラ脱出プログラム」を通して、発達障害の当事者に関わることで困難を抱えている人たちを支援しています。参加者は20代から70代まで男女ともにいますが、中心は40〜50代の女性で、東京、静岡、千葉、福岡など全国展開しています。

【写真】アスペルガー・アラウンドのパンフレット

──「カサンドラ脱出プログラム」とは、どんな内容なのでしょう?

万里さん:カサンドラの方と会うようになって、疲弊している状態では、ASDの特性を受け入れられないことを痛感しました。その前に、喪失している自分を取り戻す段階が必要だったのです。それが8つのステップの「①仲間とつながる」です。同じ困難を抱えた仲間と出会って分かち合うことで、カサンドラは自分を取り戻し飛躍的に回復するのです。

【画像】カサンドラ脱出8つのステップ ①仲間とつながる(しゃべりば ステージ1)②障害理解(ASD勉強会 ステージ2)③緊急避難(以降ステージアップセミナー ステージ3)④自分を知る⑤自分が変わることを受け入れる⑥パートナーを動かす⑦自分を優先する⑧自分を許す

この仲間とつながる場は、参加者から求められて「しゃべりば」というステージ1のプログラムになりました。でも、しゃべりばに参加して元気になったカサンドラは「家に帰ると日常が戻ってくるのよね。あっという間に沈むんです」と言います。カサンドラが恒常的に回復するためにはステージ2、ステージ3に進む必要がありますが、進めるカサンドラはごく少数です。

ステージ2は、私がはじめに必要だと考えていた障害特性を理解するというプログラムです。ASDの特性を持つ相手を理解したあと、最後に迎えるのは自己理解です。ASDとの関係で誰もがカサンドラになるわけではありません。ではなぜ、自分はカサンドラになるのか。自分と向き合って、自分を知る必要があります。それが、ステージ3のステージアップセミナーになります。

【写真】アスペルガー・アラウンドのパンフレット

緊急避難のための別居。一緒にいるために「生まれ変わった」

──共感し合える仲間とつながったからこそ、自分が置かれた状況や相手の障害特性を理解する余力を持てるのですね。

万里さん:障害特性を理解するためにこれをやりたくて会を発足した、といっても過言ではない「パートナーとの座談会」があります。先ほどお話した、活動理念に賛同してくれたASDの当事者の方を講師として招き、カサンドラ当事者が自分の夫には聞けない疑問や不満に応じてもらいました。これが大好評で。

毎回カサンドラ当事者からは、「ASD当事者の方から直接答えてもらったことで、謎がとけた、あきらめがついた、工夫できることが見えた」といった感想が寄せられます。このセッションは夫にも講師として協力してもらってきました。

【写真】テーブルを囲んで座るまりさんとゆきやさん、ライターのとく

幸也さん:カサンドラ状態にある人の話を何回も聞かされるうちに客観的に彼女のつらさが理解できるようになった。「うちの夫はひどいんですよ!」と言われることが、僕にとっては当たり前のことだったりするわけです。「それって当たり前じゃない?」とか言うとみなさんショックを受ける。

彼女の活動に参加したおかげで、だんだん自分の特性を理解するようになった。人に説明して、質問されて、考える訓練ができたんです。

──万里さんが始めた活動によって、幸也さんにも変化があったんですね。

万里さん:ただ、2013年に私が活動を始めて、翌年の2014年に私たちは別居しているんです。どうしても折り合いがつかない出来事から自分を守るために、避難しようとウィークリーマンションを借りて出て行きました。これは「カサンドラ脱出プログラム」の③緊急避難の実践ですね。身を守った上で、本格的に出ていく準備をして環境を整えて、彼に通達し出ていったんです。

──そうだったのですね。「緊急避難」をする上で大切にしたほうがいいことはありますか?

万里さん:ちゃんと支援者ともつながることです。カサンドラ状態の方は「別居=離婚」だと捉えて、生活ができなくなってしまうことへの怖れが強いんだと思います。だからまず、支援者とつながって情報を得る。選択肢が見えないとただ怖いだけで、決断に至らないですから。大切なのは、自分がどうしたいのか、自分とよく相談することです。

幸也さん:僕自身は、彼女が出て行ったその日に寂しいとは思ったけど、反省はしなかった。だってお互い好きで一緒になって結婚したのに、勝手に家を出て行くなんて契約違反だもん。別居したいと出て行ったのは彼女の判断の過ちであって、僕は間違っていないと思っていました。

【写真】住宅街を歩くまりさんとゆきやさん

──そこからふたりはどうやって歩み寄っていったのですか?

幸也さん:別居して、離婚するとかしないとかの話になったときに、僕が変わりました。自分は悪くないと思っているけど、僕のせいで彼女がつらい、別れたいと思っていることは事実なので。

僕は彼女のことが好きで別れたくない。夫婦カウンセリングに行ったりもして、いろいろ考えて、僕に要因があるのであれば、僕が変わるしかない。ってことで生まれ変わりました。

──どう生まれ変わったのでしょう?

幸也さん:これまではどんなときも、僕が一番だった。でも、彼女を一番にしたんです。とにかく「YES」か「はい」で、否定しない。彼女が望む通りにしようと思ったんです。アプローチとしては頭の中に単語帳をつくっていった。具合が悪くてぐったり寝ていたら「大丈夫?」と声をかける。荷物が重そうだったら「持とうか?」と聞く。ペッパーくんがAI学習するみたいに、その単語帳を増やしていくんです。

万里さん:カサンドラさんの中には、ASD当事者が後天的に学習しパターン化した対応をすることに不満を持つ人もいます。例えば、喧嘩したらバラを渡せばいいと学習するとどんなときもバラを持ってくるASDの方がいます。でも、カサンドラの当事者がバラを喜んだのは若い頃で、今は好みが変わってきていることに気づいてほしいケースがある。それなら、はっきり言葉で伝えるしかない。伝えずに嘆いても、ASD当事者が察することは無理だから。

幸也さん:察することはできない。でも、望みを言ってくれたら、その通りにしますよと。

万里さん:ASDの方は、失敗が嫌いなんです。間違えたときにそうじゃない!とか怒ると嫌になっちゃうんですよね。

幸也さん:喜んでもらいたくてやっているので、怒られたらやめーたって思っちゃう。自分には向いていないんだって。小さい頃からそうだけど、自分に能力がないことをがんばろうとは思わない。他の人がやればいいじゃんって思うから。

万里さん:別居生活中も連絡は取り合っていたんです。子どもたちがいますし、彼はアスペルガー・アラウンドの活動に協力しているので、頻繁に一緒にいました。でも、一緒に暮らす気には到底なれません。リスクが大きすぎる。「僕は変わったから」と言われても、根拠がわからない。

そんな中、夫が以前は積極的に行きたがらなかった、夫婦カウンセリングのセラピストのところへ行ったことを知りました。大きな変化だと思ったので、私もセラピストに相談して、2019年の春におそるおそるお試し同居を開始しました。

2ヶ月ほど生活する中で、毎日片づけをしたり、私を最優先にすることがわかったので、本格的に同居を決意。それでも、一年近く、なし崩しに元に戻るんじゃないかと疑っていたし、彼も「明日は追い出されるかもしれない」と毎日思っていたようです。それから、あっという間に2024年春現在、同居5年目。 彼は私にとって良くなる一方で、以前の大変だった頃を思い出せないほどです。

【写真】道路にのびるまりさんとゆきやさんの影

お互いの人生にただ存在する。役割を解体した夫婦のかたち

──結婚してから5年の別居期間を含む30年を振り返ってみて、夫婦の関係性はどんなふうに変化したのでしょう?

幸也さん:僕の中では何も変わっていない。初めから人生の共有はしていないから、ふたりの関係性がうまくいっているとかいないとか、そういう概念がない。夫婦ってなんだろう?僕にとっては、僕がいて、彼女がいて、夫婦として存在している、ただそれだけのことなんです。

──ふたりの関係性があるというより、幸也さんの人生に万里さんがいるという感覚でしょうか?

幸也さん:そうそう。僕が幸せになるために、万里がいて、万里と結婚して夫婦でいる。

──生まれ変わったのも、幸也さんの人生に万里さんの存在が欠けてはならないものだったから、なんですかね。

万里さん:私のため、とかじゃないんですよ。夫婦としてともに生きていくという意識は、今でもないと思います。

幸也さん:たぶん、共感とか共有のかたちが違うんですよ。

万里さん:かたちが違うの?

幸也さん:あなたがいないと困る、それが僕の中の共感なの。一緒に映画を観るとかふたりで何かをすることではなく、お互いの人生に存在することが共感であり、共有なんですよ。

万里さん:過去がない彼には思い出が大切という感覚がないのです。こんな苦労があったけど一緒に乗り越えてきたねっていう想いや子どもの思い出をともに話すことはできない。あなたには今しかない。しばらく一緒にいなかったら、本当に忘れられてしまうんです。

幸也さん:朝目覚めたときに万里ちゃんが隣にいて、毎日結婚してくださいと思う。

万里さん:だから彼との関係は、毎日が新鮮なのかもしれません。別居して離婚を考えていたときに、これから新しく出会う人がいれば、その人とは人生をともにして関係を積み上げていくことができる。でも、子どもたちの思い出はその人とは共有できない。私にとって大切なのは、過去か、それともこれから積み上げていく未来か。共有できない過去は私だけが大事にしていけばいいのかなと考えました。

【写真】同じ方向の空を見上げるまりさんとゆきやさん

──性質や価値観、視点が違う相手と、関係性を築く、というより、一緒にいるために大事なことってなんなんでしょう。

万里さん:安易にわかり合えると思わないこと、同じであることを求めすぎないことでしょう。発達障害の人との生活は「できること、できないこと」がはっきりしているから、「家族はこうあるべきだ。妻は、母は、こうあるべき」っていう発想を解体した方がいい。新しい自分たちの家族を築いていくような、柔軟な発想が大事なんじゃないかな。

互いの違いを尊重するためには努力が伴うものだと、私は思います。誰だって、自分を否定されたくないでしょう。社会通念にも縛られないことが大事。その点、社会が変わってくれないと難しい部分もありますよね。

幸也さん:僕は心は共有できないんですよ。蛇と虫とか生き物が違うくらい、心根が違う。蛇に父になれって言っても難しい話で、蛇に何ができるかを考えていく。僕には家族という概念がなくて、万里も子どもたちも、自分の人生を豊かにするスペシャルなチームなの。

──家族だから一緒にいる、父親だからこれをするのではなく、自分を幸せにするために一緒にいて、その中で自分にできることをするような。

幸也さん:お互いの人生において存在が役に立つこともあるし、役に立たないこともある。それがいいんです。

私は私のために生きていて、振り返ったらたまたま夫がいた

──ASDの特性がある幸也さんとともにいるために、万里さんが変化したことや意識していることがあれば教えてほしいです。

万里さん:この人に太刀打ちするには、自分もこの人以上に好きなことをするしかないんですよ。私は私の幸せのために生きていて、振り返ったらたまたま夫がいたという生き方です。

カサンドラさんで夫との関係が修復した方に聞くと、同じようなパターンが多いように思います。離婚することよりも、まず自立することを決めています。精神的、あるいは経済的な自立は大きな自信になりますから、自活できる計画は大切かもしれません。

お店を出すとか資格を取るとか第二の人生に向けた準備を進めて、実際にASDのパートナーがいなくても生きていける関係をつくる。そこから、そのまま離婚するケースもあるし、ASDのパートナーが「もう一度やり直したい」と申し出てくるという、思ってもいなかった展開もあります。その申し出を断るも受け入れるもカサンドラさん次第ですね。

自分の人生の決定権は自分が持っていることが大事。だから、パートナーや家族のためではなく、自分のために生きる。自分の幸せに自分で責任を負うことです。

幸也さん:それぞれがそれぞれの幸せのために生きている。それがいいの。

【写真】黄色く色づいた大きなイチョウの木の前で見つめ合うまりさんとゆきやさん

自分もパートナーも、まるごと尊重する

万里さん:私はあれだけ「僕は悪くない」と思っていた人が、変われるというのは、やっぱりすごいことだと思うの。誰でも、自分を変えるのは難しいでしょう。だから、彼は努力したんだなあとつい思ってしまうけど、それは否定されます(笑)。

幸也さん:努力はしてないよ、がんばってない。白か黒かなので変わると決めたら変えられる。感情があまり伴わないから、悩むこともない。そもそも無理をすることができないの。

万里さん:この人の辞書には努力と我慢という言葉はないのね。人がつらくても我慢しているとか、無理して努力しているなんて考えない。「我慢している人は我慢が好きなんだよ」って。だからこの人のために我慢や努力は絶対にしないと思いました。

幸也さん:苦労する必要なんてない。どうして自分の幸せのために生きないの?自分の幸せを妨げるものがあったら、逃げるか蹴飛ばせばいいわけで、そこで我慢しようっていう概念が僕にはわからない。

万里さん:この人と一緒にいるとね、裏表がまったくないから、気を回す必要がないんです。こんな考え方ができたら、楽だなあ、真似できたらいいと思うぐらいです。ほかの人の思惑にあれこれ気を遣って悩んでいることが馬鹿らしくなってくるの。私がいいと思ったならそれでいいかって。

幸也さん:なんで我慢するのかがかわらない。だから僕は、電気代のことを考えずに、寿司を食べに行っちゃうんだよね。

万里さん:子どもたちが自立した今は、親としての責任は果たし、自分のことだけを考えればいい歳を迎えました。性分なのか、厳しく育てられたからか、私はお金の使い方は堅実なんですね。でも、この人はとにかく、目の前のことしか考えない。私なら絶対に飛ばない崖から、ジャンプするような買い物をしたり、発想をします。

幸也さん:イタリアからピザ窯を輸入して庭に置いたり、露天風呂もつくったしね。

万里さん:住宅街なのに庭でピザ焼いて、露天風呂に浸かって。自分だったら絶対にできないことが、彼といると実現します。お金を出すのは私だけど(笑)。

私一人では無理かな?と思うことも、彼に相談すると「やればいい」と答えてくれる。彼は私の可能性を拡げてくれる人です。私は違いやASDの特性にフォーカスするよりも、相手をまるごと尊重したいと思っています。なぜなら、私もまるごと尊重してもらいたいから。

──相手も自分もまるごと尊重する……!

万里さん:限られた狭いスペースで、私が我慢していたら、ASDの夫は思いっきり好きに広がっていくでしょう。それでは私は狭い部屋で押し潰されて生きるような状態になってしまう。そのことにASDの夫は気づかない。だから私も膨らむんです。たとえ相手がいやだと言っても、押し潰すように。それで離れることになれば仕方ない。狭い部屋で押し合ってできたかたちが、ふたりが一緒にいるためのかたちだから。

ふたりで押し合いながら、それぞれが我慢をせずに自分の生き方をして、一緒にいる自分をまるごと大切にすればいいと私は思います。

【写真】カメラを見つめて微笑む3人。左からまりさん、ライターのとく、ゆきやさん。

夫婦30年の歩みをそれぞれの視点で語り、「彼女が好きで、自分の人生に必要だから一緒にいる」という幸也さんと「自分もパートナーも、まるごと尊重していく」という万里さん。

おふたりの関係性に触れる中で、社会の中で培ってきた勝手な家族の理想像や固定観念にとらわれ、相手との“違い”に目を向けていた自分に気づきました。同時に、たとえ同じ時間や気持ち、思い出さえも共有できなくても、「一緒にいる」理由がそれぞれあればいいんだと、なんだか肩の力が抜けていくようでした。

“ともに生きていく”と意気込んで我慢はせず、自分が心地よい生き方を選んでいった先にたまたま夫がいた、くらいの感覚でいてもいいのかもしれません。自分のために、一緒にいたいと思うかどうか。ふたりのあり方から、相手を変える、相手に幸せにしてもらうなど、相手に求めるのではなく、常に自分に重心を置いたうえで、関係性を結んでいくことの大切さを学びました。

夫婦と言えど、心根は共有できない「他者」。違うことは当たり前。その前提に立った上で、無理に自分や相手を変えようとするのではなく、自分と相手をまるごと尊重していく。そして、尊重し合える他者とともにいる。きっと簡単にできることではないけれど、そうありたいと願う、一つの指針が見つかったような気がします。人生の先輩に出会ったような晴れやかな気分で、ふたりの自宅をあとにしました。

関連情報:
アスペルガー・アラウンド ウェブサイト

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(撮影/金澤美佳、編集/工藤瑞穂、企画・進行/松本綾香、協力/阿部みずほ)