【写真】笑顔のホッブスみかさん

血のつながっていない子どもと家族になれるのだろうか。

生まれつき生理と排卵がない私は、奇跡的に子どもを授かる前、何らかの事情によって親と暮らせない子どもを家庭に迎え入れる「特別養子縁組」や「里親」を家族をつくる選択肢の一つとして、真剣に考えていました。不妊治療を始め、その選択肢が現実味を帯びてくると同時に、ふと、そんな問いが頭を過ぎったのです。

当時の私は、さまざまな家族のかたちがあることは知りつつも、心のどこかで「子どもを産んだ=母親」であり、「血がつながっている=親子」という固定観念にとらわれていたのです。不安を抱えていたその頃の私に、一つの答えをくれた人がいます。

里親として16年間、計11人の血のつながらない子どもたちを育ててきたホッブス美香さんです。現在は、夫であるアイルランド出身のアンソニーさんと一緒に、5歳から22歳まで、5人の子どもたちを迎え入れ、家庭を築いています。

お話を聞かせてもらいたいと思い自宅をたずねると、5歳の男の子がひょこっと玄関から顔を出し飛び跳ねて私たちを迎えてくれました。暖かな光が差し込む開放的なリビングの片隅では、アンソニーさんと7歳の女の子が英語で会話をしながら戯れています。優しい眼差しで彼らを見つめる美香さん。そこには、穏やかな休日の家族の風景が広がっていました。

美香さんとアンソニーさんと、血のつながらない子どもたちが、家族になるまでの物語を紐解きます。

「親と暮らせない子どもたちの親になりたい」という夢を抱く

【写真】笑顔でインタビューに答えるホッブスみかさんとあんそにーさん

夫のアンソニーさんとともに

北海道で生まれ育った美香さんは、里親の存在を知るずっと前、幼少時代から、親と暮らせない子どもたちと一緒に暮らすことが人生の夢の一つだったと記憶をたぐります。

「昆虫物語 みなしごハッチ」を、正座してボロボロ泣きながら観るような子どもだったんです。孤児に共感するところがあって、いつか私は、親と暮らせない子どもたちと一緒に暮らすんだと、漠然と思っていました。

そんな茫々とした思いにはっきりと輪郭が現れたのは、アメリカのエンターテイナー・ジョセフィン・ベイカーが築いた“虹色の家族”の存在を知った高校生の頃。

ジョセフィン・ベイカーは、1920年代に劇場からデビュー以降、圧倒的な実力と存在感で、ダンサー・歌手として一世を風靡、フランスで大成功。貧しい環境で育った幼少時代、“黒人”として人種差別を経験したことから、1950年代、人種差別撤廃運動にも熱心に取り組みました。さらに、さまざまな人種の12人の子どもたちを養子として引き取り“虹色の家族”を築いたのです。日本の児童養護施設「エリザベス・サンダースホーム」からも、当時「進駐軍ベイビー」と言われた日米のハーフの子どもを二人、養子に迎えています。

黒人、白人、黄色人種、肌の色が違うさまざまな人種の子どもたちがジョセフィン・ベイカーと大きな食卓を囲んでいる写真を見て、いつか私も色々な国の子たちを育てたいと思ったんです。その家族の風景が心に焼き付いて、親と暮らせない子どもたちと一緒に家族を築きたいと、夢を抱くようになりました。

児童養護施設でのボランティアを通じて「里親」制度を知り、37歳で夢を叶える

そんな美香さんが里親の存在を知ったのは、30代半ば、児童養護施設でボランティアを始めたことがきっかけでした。テレビで児童養護施設のドキュメンタリーを観て、施設に暮らす子の中に長期休みに帰省する先がない子がいることを知った美香さんは、すぐに当時住んでいた街の児童養護施設に電話で問い合わせました。

そうして訪れた児童養護施設で、当時中学二年生の女の子と出会ったのです。美香さんは帰る場所のない彼女と映画を観に行ったり、カラオケで歌ったり、一緒に何度かお出かけをした後、盆正月など帰省の時期に数日間、彼女を家庭に迎え入れました。

施設へ戻る日が近づいてきた頃、彼女はこんな一言を漏らします。

このままずっと、ここで一緒に暮らしたい。

彼女の切実な思いに突き動かされ、美香さんは彼女と一緒に暮らす方法はないかを調べ、里親制度を知ります。

里親とは、何らかの事情で生みの親と過ごすことができない子どもたちを家庭に迎え入れ育てる養育者のこと。子どもの健全な育成を図るための国の制度で、里親になるためには一定の条件を満たし、研修等を受け、審査を経て里親名簿への登録が必要となります。子どもが預けられた里親には、月額8万6000円(二人目以降は5万5000円※都は国経費に加算して支出)の里親手当が支給され、そのほか一般生活費、教育費、医療費等、子どもの成長に必要な手当がなされます。

親と暮らせない子と家族を築きたいという夢を抱いていたのに、里親のことは知らなかったので、こんな制度があったのかと驚きました。本当に里親制度は知られていないんですよね。国から生活や教育に必要なお金が給付されるので、資金もいらない。これならすぐに始められる!と里親登録を進めました。

そして美香さんは、37歳の頃、正式に里親登録をしました。美香さんが最初に家庭に迎え入れた子には、軽度の知的障害がありました。以降、美香さんは積極的に障害のある子を受け入れています。里親を始める際、障害のある子を育てていくことに不安や抵抗はなかったのでしょうか。

児童養護施設でボランティアを始める前、障害のある子どもを外へ連れ出すボランティアを8年ほどしていたんです。ワンボックスを運転して、博物館や公園へ行ったり、電車が好きな子を連れて電車を見に行ったり。その経験が里親をやる上で役に立っていると思います。抵抗や不安はなかったですね。周りで里親をやってる人もいないし、何の知識もなかったから、かえって知らないことの強さがあったんでしょう。

【写真】質問に丁寧に答えるホッブスみかさん

では、里親を始めるにあたって、両親や周囲の反応はどうだったのでしょうか。

母は、私が猪突猛進、何を言っても聞かないことをわかっているので、一切口出しはしませんでした。私が20代の頃「親と暮らせない子を育てたい」と言っていたのを覚えていた友人には、「本当に叶えたんだね」と言われましたね。

漠然とした憧れ、長年の夢を「使命」に変えた“一生忘れられない”出会い

里親として里子と向き合う中、美香さんにとって、“忘れられない”出会いが訪れます。その出会いが、「親と暮らせない子の親になる」という幼い頃からの漠然とした憧れ、長年思い描いてきた夢を「使命」に変えます。

里親を始める少し前から、ホームレス支援団体でもボランティアを始めた美香さん。そこで、一人のホームレス状態になっていた青年と出会います。軽度な知的障害のある少し年下の彼は、生まれた時から児童養護施設で育ち、就職のために地方から上京したものの、景気が悪くなって仕事を失い、路上で生活するようになったと身の上を語ります。

美香さんは、一緒に役所を訪ねて生活保護につなげてアパートを借りたり、生母の実家を調べて探したり、自分にできることをして力を尽くしました。

【写真】インタビューに答えるホッブスみかさん

彼は「僕は国の子だ」と言い、年齢があまり違わない私のことを「お母さん」と呼んでいました。すでにお預かりしていた子を連れて会いに行ったこともあったのですが、「どうして僕にはお母さんができなかったんだろう。僕もお母さんがほしかった。僕みたいな思いをする子がいてはダメなんだ」と、私と一緒に暮らす子に嫉妬の目を向けて嘆いていた彼の姿、その言葉は一生忘れられません。

この時、美香さんの心の中に使命のようなものが芽生えました。今一緒に暮らす子どもだけでなく、一人でも多くの親と暮らせない子どもの「お母さん」になろうという強い決意が固まったのです。今でも時折、美香さんは、もう50歳を超えるであろう彼のことを思い出します。どこで何をしているのかはわかりません。

夫の反対。「産まない」人生を受け入れるまでの葛藤

幼い頃からの夢を実現するかたちで、熱い想いを持って里親を始めた美香さんですが、当初、夫のアンソニーさんは難色を示していました。そもそも子どもをつくること自体に前向きではなかったのです。

日本で働くアンソニーさんと出会い、2年の付き合いを経て、29歳の頃に、当時35歳のアンソニーさんと結婚。当時は美香さんも、アンソニーさんも、自分たちの子どもをほしいと思ったことはなかったそう。「親と暮らせない子の親になること」は美香さんの将来の夢の一つであり、「自分が子どもを産んで育てること」とは、全く別のものであったと振り返ります。

20代〜30代前半までは、仕事や遊びに夢中で、毎日が楽しくて、お腹が大きくなること、子どもを授かることはまったく想像ができなかったんです。産みたいとは思わなかったし、自分が子どもを産むことは、ずっと先送りにしてきました。

35歳を過ぎる頃、いつのまにか美香さんの胸の内に「一人は自分の子どもを産みたい」という気持ちが湧き出てきます。ところが、アンソニーさんは頑なに「子どもはほしくない」の一点張りだったのだそう。

その言葉の裏にあるアンソニーさんの思いも美香さんは知っていました。アンソニーさんの妹が16歳で出産をしたため、アンソニーさんは大学生の頃から、姪っ子を自分の子のように世話し、赤ちゃんを育てることの大変さをよくわかっていたのです。

またアンソニーさんは亀頭が包皮で覆われた「真性包茎」であったため、性行為をしても、自然に子どもはできません。「子どもがほしい」と思い始めた美香さんは手術をするよう懇願しましたが「子どもはほしくない」と思っていたアンソニーさんはそれを拒否し続けました。

それでも37歳で里親を始めた頃も、いずれは子どもをつくろうと楽観的に考えていたんですよ。簡単にできるものだと思っていました。今は、何を悠長に構えているんだ!子どもを産みたいなら余裕を持って計画することが大切なんだ、と当時の自分に言ってあげたいです。

医学的には高齢になればなるほど妊娠率が下がると言われていますが、子どもは授かりもので、どれだけ計画しても若くてもできないこともあります。

先送りにした私も私なのですが、一人で決断できることではなく強制することもできないのでどうしようもなくて。どんどん歳を重ねて、“産めなくなる”年齢が差し迫ってきて、焦りましたね。すでに里親になっていたこともあってか誰にも相談できずにいました。やっと夫が手術をしてくれた時には、私、もう42歳になっていたんです。そこから子づくりをすれば良かったのかもしれませんが、期待して妊娠できず撃沈するのがつらくて。もっと若い時にきちんと妊娠出産と向き合っておけば、たとえ事情があったとしても、なんとか産むこともできたのではないかと後悔の念が襲ってくる時もありました。今、こうして話せるまでには時間がかかりましたね。

産む、産めない、産まない。夫婦の関係性、身体の事情、年齢、キャリアなど、産む性である女性は、選べるようでいつだってその選択肢を選べるわけではありません。自分が選べなかったこと、選ばなかったことに思いを馳せることもあります。

それでも若い時は自分のお腹が大きくなることすら考えられなかったんです。とにかく妊娠出産が嫌でした。結局、年齢を重ねて子どもがほしいと思った時には、授かることがなかった。だとしたらこれも運命。コントロールできないことがあるのが人生ですよね。

30代半ばまで「産まない」選択をしていた美香さんは、35歳からの「産みたい」気持ちを経て、42歳で「授からないかも」という事実を受け止めました。

あれから10年以上が経って、子どもがいない分、里親として、1人でも多くこの子たちと一緒に過ごすことができていると思うと、今は自分の選択に意外と、妙に納得感があるんですよ。外国人をパートナーにせっかく選んだのだから、多言語・多文化に触れる子を育てたいという思いから「いつか一人は産みたい」と思っていた面もあったんだと思います。でも、お預かりした子にはバイリンガルに育っている子もいるんです。自分で産まなくても、夢を叶えることができました。

【写真】笑顔で会話をしているホッブスみかさんとあんそにーさん

里親として、1人目を家庭に迎え入れることは受け入れてくれたアンソニーさんですが、美香さんが2人目の子を預かる相談をした際には、反対しました。

子育ては1人だけで終わらせたいと思っていたようで、大反対しましたが、実際に預かってみたら、主人と2人目の子の相性がとても良かったんです。しかしとても難しい子でした。3年後に里親不調(里親の元でうまくいかず措置先が変更になること)になってしまったのですが、主人はその時も涙を流し、その子が使っていたベッドで半年間毎日眠っていました。とても情の深い人なんです。

次第に、アンソニーさんは「里親をやることは社会的に必要なことだよね」と、美香さんの選択を受け止めてくれるようになりました。

こうして、美香さんとアンソニーさんは、子どもはつくらず、親と暮らせない子どもを家庭に迎え入れるかたちで、自分たちの家族を築いていくことを心に決めたのです。

「愛着障害」のある里子を育てる上で大切にしていること

里親をやることをずっと思い描いていた美香さんですが、それでも最初はプレッシャーを感じていたと振り返ります。

はじめは清水の舞台から飛び降りるような気持ちでしたね。ある意味で、一人の人生を丸ごと背負う怖さがありました。でもそれは、きっと、自分の子どもを産むことも同じですよね。

たしかに私も妊娠中、子どもを産み育てることに対する得も言えぬ緊張感に襲われたことがあります。それでも、生まれたばかりの赤子を育てることと、過去を背負っている里子を育てることには、違いもあります。

美香さんがこれまで里子として家庭に迎え関係性を築いてきた子どもたちは、年齢や人種もさまざまで、障害のある子もいます。生まれ育った環境もそれぞれ異なりますが、共通して「愛着障害」があったのではないかと言います。

愛着障害とは、親など特定の養育者と愛着がなんらかの理由で形成されず情緒や対人関係において困りごとが生じる状態のこと。親からの虐待・ネグレクトを受けてきた子どもや、養育者のような立場の大人が複数いて親密な関係性を築くことが難しい乳児院などで育った子どもたちのなかには、愛着障害のある子も少なくありません。

愛着障害のある子どもたちは、里子として里親家庭に預けられると、次のような行動に出ると言われています。はじめは大人の顔色をうかがい、嫌われないように“おりこうさん”でいる。その後、自己主張や嫌われるような行動をして里親の出方を試す「試し行動」を始める。捨てられないことを確認すると、赤ちゃんのように甘えてくる「赤ちゃん返り」をする。

美香さんが家庭でともに過ごす子どもたちも、様子には個人差はありますが、その過程を辿りました。

お金を盗んだり、暴言を吐いたり、手を挙げたり。試し行動はヒヤヒヤすることもたくさんありました。もう大きな子どもを膝に乗せて歯磨きしたり、哺乳瓶でミルクをあげたり。赤ちゃん返りにも驚くこともありましたが、良い方へ向かうと思って受け止めています。

美香さんは書籍、セミナー等で愛着障害について学び、知識をつけた上で、子どもたちと向き合いました。リビングの本棚には、虐待や愛着障害など、関連書籍がぎっしりと並んでいます。

もちろんどれだけ知識をつけても、対応しきれないことや解決できないこともあります。

学校等でいわゆる問題行動が出て、誰かを傷つけるなど、事件を起こしてしまう可能性もあるなと、正直、怖くなったこともあります。のちに里親不調になってしまった子を育てている時期は特に、私自身も不安定だったと思います。それでも彼らには安心してほしくて「この家の子は神様に特別に愛されてるのよ。だから大丈夫なんだよ」とよく言っていました。自分にも言い聞かせるようなところもあったかもしれません。祈るようにして、大きなものに守られていると信じることも時に大事だと思っています。

子どもたちの様子を伝えるために幼稚園や学校の先生とやりとりを重ねた連絡帳

穏やかな表情で子どもたちを受け止めている美香さんですが、もちろん子どもたちに対して怒りが湧くこともあります。「喧嘩するときは、鬼婆みたいになりますよ」と笑う美香さん。子どもたちとぶつかりあったエピソードを語っているうちに、「昔は子どもにひどいことを言ってしまったこともあります」と声を絞り出すように言った、その目には涙が浮かんでいました。

【写真】涙ぐむホッブスみかさん

私も完璧な人間ではないし、間違うことだらけだし、怒りをぶつけてしまうこともあります。でも言いすぎたら、子どもにちゃんと謝る。謝って、反省して、学びながら、子どもたちと日々向き合うしかないんですよね。

美香さんは最近、里親のためのトレーニングプログラム「フォスタリング・チェンジ」を受講しました。里子との愛着形成にまつわる学びを深めたことで、子どもたちの態度や言葉の裏側にある本心に気づくことができるようになり、怒ることが減ったのだとか。

舌打ちや暴言が頻繁に出てくる子がいて、ついネガティブな言葉に引っ張られてイライラしてしまっていたんですが、フォスタリング・チェンジ以降は自然と聞き流せるようになりました。私がいちいち反応しなくなったら、子どもの態度も変わっていったんです。

美香さんは書籍やプログラムから、子どもたちから、自身の経験から、学び、試行錯誤しながら、子どもたちとの日々を重ねています。

また、知識をつけるだけでなく、里子を育てる上での不安や疑問を一人で抱え込まないために、里親会の支部活動に参加するなど、悩みを共有することも重要だと言います。実際に美香さんは、アメリカ発祥の里親ピアサポートシステム「モッキンバード・ファミリー」のハブホームとして、定期的に、里親会の支部を越えて交流会を開いています。

里親も孤独にならないことが大事。私自身も地域を超えて、里親仲間で集まって、里親ならではの悩みを喋って、相談して、共感して、発散しています。一人じゃ絶対に乗り越えられないですから。全国に仲間はいますよ。

「愛情」が一番の特効薬。過去も含めて、子どもたちを受け止めて、抱きしめる

美香さんは、自身の経験からも、愛着障害の傾向にある子どもたちが回復し自立に向かっていくためには、「愛情」が一番の特効薬になると確信しています。

私自身、自分が生まれ育った家が実はあまり好きじゃなくて、早く実家を出たいと思っていたんです。父は無類の酒飲みでした。それでも、小さい時に今は亡き父親から愛された原風景が心に焼きついています。世界で一番私のことを愛してくれているということを幼いながらに感じていたんですよね。だから、私は家の外へ出て、紆余曲折があっても自立することができたんだと思います。我が家に来る子どもたちにも、できる限り幼い頃に、120%の愛情を感じさせることが大事だと思っています。

では、子どもに120%の愛情を伝えるためには、具体的にどうしているのでしょうか。

私が心がけているのは、なにはなくともスキンシップです。とにかく抱きしめる。人間も動物ですから。小さい子であれば一緒にお風呂に入って、肌と肌を合わせることも大事だと思います。大きくなってスキンシップを嫌がる年齢になったら、とにかく声をかける。拒否されることもあるかもしれないけれど、ちゃんと気にかけていることを言葉で伝えて、態度で示すことが大事だと思います。

話を聞いている最中も、5歳の男の子や7歳の女の子が「ママ〜」と寄ってくると、美香さんは自然に、何度も、彼らを抱き寄せていました。

【写真】タンスの上には様々なキャラクターの人形やぬいぐるみが置かれている

子どもとのエピソードを振り返る美香さんの声は弾んでいて、表情は緩んでいますが、内容はなかなか強烈というか一筋縄にはいかないものばかりで、私には到底受け止められないだろうと、たじろいでしまうものばかり。どうして美香さんは、どんなことも受け止めることができるのでしょう。

どんなにひどいことをされたとしても、根本に「子どもたちは何も悪くない」という気持ちがあるから、受け止められるのかな。子どもたちは自分がしたくてそんなことをしているわけではなくて、過去の経験がそうさせちゃっているんですね。その思いにブレがないから、続けていけるんだと思います。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるホッブスみかさん

もう本当に、想像をはるかに上回ることが日々起きるけれど、くよくよ悩んでいてもしかたないし、なるようにしかならない。子どもたちが生まれ育ってきた過去は変えられないから、今、子どもたちの目の前にいる私ができることを、ただやるだけです。

美香さんは、背負ってきた過去も含めて、今目の前にいる子どもたちをまっすぐに受け止め、抱きしめて、120%の愛情を伝え続けています。

「彼らはかわいそうな子ではない」里子に対するブレない尊敬と愛情

子どもを産むことのなかった美香さんは、はじめての子育ての大変さも、喜びも、笑顔も、涙も、全部、一緒に暮らす子たちからもらってきたと言います。里親のやりがいを語る美香さんの言葉、その表情は、やさしくてつよい愛に満ちていました。

子どもたちと日々接している中で、ああ、この子の人生が今、変わったなと思える瞬間があるんです。我が家に来る子たちは、生まれた時から施設で、お父さんとお母さんを知らずに育った子たちが多く、障害のある子もいます。いつか「パパ」「ママ」と呼んでくれる日がくるのかしらと思っていた矢先にそう呼んでくれることがあって、もうそれだけで最高!と感動しますよ。我が家に来なかったら、きっと、一生呼ぶことがなかっただろうから。手ごたえを感じる瞬間ですね。

反り返っちゃってハグすることさえも拒否していた子が自ら駆け寄って抱きついてきたり、お地蔵さんみたいに無表情だった子が満面の笑みを浮かべたり。そんな変化を目の当たりにした時に、大きな喜びを感じます。私からの愛を受け止めてくれた彼らは、私にも愛をちゃんとくれるんです。

もちろん大変なこともあるけれど、こんなにもやりがいのあることは他にないと私は思っています。子どもたちから毎日、たくさんの幸せをもらっています。

「どうしてこんなにもやりがいのあることをみんなやらないんだろう」という美香さんの言葉には、里親をやることで大変だからこそ得られたやりがいや喜びが滲み出ていました。

【写真】子供が描いた絵を見せているホッブスみかさんとそれを見ているライターのとくるりかさん

子どもたちの心に刻まれた深い傷が、美香さんと接する中で不意に現れ、そこから過去を知ることもあります。話を聞いていると、子どもたちが背負ってきた過去はあまりに理不尽で、壮絶で、私自身、胸がえぐられ、言葉を失い、涙が流れてくることもありました。

それでも、美香さんは「彼らは決して、かわいそうな子ではない」と言い切ります。

生まれた時から親と暮らせない、それはものすごくつらいことだと私は思います。 親を知らずに育ってきた彼らは、私よりも孤独を知っているかもしれない。壮絶な環境の中で、ここまで自分で生きてきた彼らを、私は尊敬しています。彼らは本当に、すごい子たちなんです。

子どもたちが背負ってきた過去、その家族を取り巻く環境には、虐待や貧困、ジェンダー格差など、社会の問題が反映されていると美香さんは言います。

社会のひずみが子どもたちに向かってしまっているんですよね。彼らと一緒に過ごす中で、こんな現実があるんだということに気づかされ、驚かされます。彼らの存在は、私の世の中を見る視点を深めて広げて豊かにしてくれるし、里親をやることや社会に対して声を上げていく原動力になっています。彼らが私に社会に足りていないものを見せてくれているんです。

美香さんは、「かわいそうだから、与えてあげる」といったような上からの目線ではなく、一人の人間として、子どもたちと同じ視線に立って、彼らの人生を、彼らを取り巻く社会の環境を、どうやってよりよくしていくかを、当たり前のように考えて行動をしているように感じます。

かけがえのない、この世に一人のあなたとして愛する

【写真】笑顔で会話をしているホッブスみかさんとあんそにーさん、養子の子供

美香さんとアンソニーさんと、5人の子どもたち。その家族は誰一人、血のつながりはありません。「血のつながりを気にしたことはありますか? 」という一番聞きたかった問いをぶつけてみると、美香さんはかぶりを振ります。

血のつながりはまったく考えたことがないですね。血のつながっている家族だって、普段そこまで意識しませんよね? それと同じ。私は産み育ててくれた両親に今、「実は血がつながっていなかったんだよ」と言われても親子であることはなんら変わらないと思います。

では、血でも法律でもない、美香さんと家族をつなぐものはなんだろう。美香さんにとって家族とはいったいどんな存在なのでしょう。

一緒に生活していたら、家族ですよ。毎日、一緒に生活することには重みがあると思いますね。血がつながっているとか、親子だからではなく、一緒に生活する中で積み上がってくるものが、私たち家族をつないでいます。

たしかに、目の前にいる美香さんは、ここにいる子どもたちを産んだわけではないし、血や法的なつながりがあるわけではない。それでも確実に、彼らの「お母さん」です。

母親ってなんだろう? 私の胸の内に浮かんだ問いを美香さんに伝えてみました。

私は、血や法的なつながりはないけれど、この子をかけがえのない一人として、世界で一番愛していると心から言える。だから自分はお母さんなのだ、と思っています。“世界にたった一人のあなた”として、この子を愛していますか?その答えが「はい」であれば、お母さんとして自信を持っていいと思うんです。

とは言っても、私も愛していると言い切れない日もあるし、葛藤を抱くこともあります。でも、その不安や葛藤さえも、その子を愛している証だと思うんです。

美香さんのまっすぐなその言葉が胸に迫り、私の目からは涙が溢れ落ちていました。血がつながっていたとしても、母親であることは、途方もない不安に襲われることがあります。でもそれは、きっと我が子を愛しているから。美香さんの言葉は、たとえ不完全であったとしても、母親であることを肯定し、やさしく包み込んでくれるようでした。

【写真】涙ぐんでインタビューに答えるホッブスみかさん

「心が折れることはないですか?」という質問に、「ありますよ」と答えた美香さんは、子どもがいじめにあっていた時の悔しさを語り、言葉を詰まらせながら、涙を流していました。それは紛れもなく、その子を一番愛しているという証の涙でした。

家族であること、親子であることに血のつながりは関係ない

血のつながりはまったく意識しない。

美香さんのその言葉には一点の曇りもありませんでした。美香さんとアンソニーさんと、子どもたちの、目には見えないけれど、たしかなつながりが、私の問いに一つの答えをくれました。

血のつながっていない子どもたちと家族になれる。

思えば、私も、娘とは血がつながっているけれど、普段の生活の中で意識することはありません。たまたま自分が産んで、たまたま血がつながっているだけ。ともに生活する日々を重ねるなかで、愛情を与えて、受け取って、「家族」というつながりを育んでいます。

“世界にたった一人のあなた”として、この子を愛していますか?

その質問に、いつだって胸を張って「はい」と答えられるように、母親として、我が子を受け止め、抱きしめて、120%の愛を伝えていきたい。私の心の中に、そんな決意が生まれたのです。

【写真】笑顔のホッブスみかさんとライターのとくるりかさん

soarではライターの徳瑠里香さんとともに、「わたしと家族のつながり方」をテーマに、「自分の選択」をして、「わたしの家族」を築いている人たちに話を伺う企画を展開しています。

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(写真/川島彩水、編集/工藤瑞穂、協力/斎藤湧太)