【写真】笑顔でこちらを見ているへちさん

こんにちは、へちです。

私は、SNSや動画投稿サイトでダンスなどの動画を発信するクリエイターとして活動しています。子どもの頃にトゥレット症候群を発症し、今もその症状とともに生きているため、最近はトゥレット症候群についての発信も始めました。

また、2023年8月にスタートしたYoutubeの障がい者バラエティ番組『うさぎTV』に参加し、難病や障害とともに生きる同年代のメンバーとの番組づくりにも取り組んでいます。

トゥレット症候群は、チックと呼ばれる症状が出る病気です。チックとは、思わず起こってしまう素早い身体の動きや発声のこと。「癖」と思われることもありますが、チックは無意識に出てしまうもので、チックの動きをやらずにはいられない感覚に襲われるなど、苦痛を伴うケースも多くあります。

症状としては、本人の意思とは無関係に、目的のない同じような運動を素早く不規則に繰り返してしまう「運動チック」と、意図しない音や言葉を突然何度も発してしまう「音声チック」の二種類に分けられます。

子どもの頃に、まばたきなどの運動チックや、鼻すすりなどの音声チックが一時的に現れるケースはよくあるのですが、多くの方は大人になるにつれて症状が軽くなっていきます。

この運動チックと音声チックの両方が1年以上続くのが、トゥレット症候群です。

私の場合、たくさん首を振ってしまう、自分を殴ってしまう、背中を見ずにはいられないなどの運動チックや、「ミャー」「ニャー」などの声が出てしまう音声チックが出ています。

こういった症状と向き合いつつ情報発信してきて思うのは、病気や症状による困難は人それぞれに違い、それぞれが「見えない苦しみ」を抱えながら生きているということです。

今回は、私のこれまでの経験とトゥレット症候群の現実、情報発信するうえでの思いなどについて、お話したいと思います。

鼻を鳴らしたり、首を振ってしまう。自分ではどうしようもないチック症状

【写真】穏やかな表情で話をするへちさん

幼少時は活発な子どもで、友達と遊ぶのが大好きでした。

小学校からは習い事を始めて、習字や英語、ピアノや声楽、スイミングや新体操などいろいろやったのですが、なかでも一番楽しかったのが、週3~4回通っていたバレエ。この時に出会ったバレエは、今も時々続けていて、ダンス動画の発信にもつながっています。

大人になった今でも、私にとってバレエはかけがえのない存在です。

チックの症状については、幼稚園の頃から始まったのを覚えています。鼻を鳴らしてしまうのをやめられなくて男の子にからかわれて、とても傷ついて。当時はそれがチックの症状だとはわからなかったので、親にも伝えていなくて、ただただ止められず困っていました。

【写真】ピンク色の服を持ってこちらを見ている幼い頃のへちさん

幼い頃のへちさん(提供写真)

そして小学校低学年頃、首を振るのをやめられなくなり親に相談したところ、チックについて話してくれました。私の親は医療関係者で、両親は私が2歳頃から「この子はチックかもしれないね」と話していたそうです。

病気じゃない病気だよ。出ちゃうのはしょうがないんだよ。

「病気じゃない病気」。両親はおそらく、まだ小さかった私にもわかるように、「体のどこかに痛みが出るような病気ではなくて、癖みたいなものなんだよ」といったニュアンスを伝えたくて、そう表現したと思うんですよね。

あまり深刻ではない感じで伝えてくれたので、私は自分が病気だという意識をあまり持たずに過ごすことができました。

その頃から投薬治療を開始して、病気とともに生きる日々が始まりました。

小学校時代は、首を振る症状が出過ぎて頭が痛くなったり、音声チックがひどくなって、学校のワンフロアに響き渡るくらいの声で「ギャー」って叫んでしまったり。症状としては一番大変な時期で、学校生活に支障をきたすような状況でした。

ですが、小学2年の時の担任の先生が、チックの症状についてクラスみんなにうまく伝えてくれたんです。

クラスメイトが鼻をほじったり、爪を噛んだりしているのを見つけた時、先生はみんなの前で「それも同じようなものなんだよ」と言ってくれて。つまり、チックの特徴である「自分の意志とは関係なく出てしまって止められない」という部分を、誰もが持っている癖みたいなものとつなげて、冗談も交えながらクラスみんなに知らせてくれたんですね。

先生には、父が事前に病気のことを伝えていたので、先生が症状の特徴をきちんと理解されたうえで、小学生に伝わりやすい方法で、伝えてくれたんだと思います。

【写真】質問に答えるへちさん

そのおかげで、学校に通えなくなるようなことはなかったです。それでも、別のクラスの子からはうるさがられたり、チックの症状がひどくなって学校をお休みすることはありました。

また、チックが出る前に「チックをやらずにいられない」とか「むずむずする」といった感覚が起こる場合があります。これは前駆衝動と呼ばれていて、自覚がない方もいるのですが、チックの症状が出る直前に違和感で苦しくなるんです。

私の場合は、苦しさとともにわーっと込み上げてくる感じもあって、なかなかうまく伝えられないのですが、この症状が辛くて学校をお休みしたりもしていました。

友人に病気のことを理解してもらえず、苦しかった中学・高校時代

中学に入って、一番仲が良かった友達にチックについて話したことがありました。自分なりに伝わりやすいように考えて、実際のトゥレット症候群の特徴とは異なるのですが、「癖が悪化してしまう病気だよ」というような伝え方をしたと思います。その時、友達はこう答えました。

そんなことが病気なの?それくらいで(笑)

一番仲のいい子でこんな感じなんだな。癖が出てしまうことも「病気」だって、なかなかイメージがつきづらいことなんだな。そう思うと、病気のことを誰にも言えなくなってしまいました。

その頃、症状が悪化して早退したり、保健室に行ったりすることが増えて、クラスメイトに「サボり癖がついている」と言われたこともありました。当時私の中学では、周りと少しでも違う人に対して、「障害じゃん!」などと言ってしまっているのを聞くことがあったんですよね。

そういうのが怖くて、周りに言えない、八方塞がりの日々が高校卒業頃まで続きました。

【写真】真剣な表情をしているへちさん

当時の私は、本当に学校には行きたくなかったのですが、親が車に乗せて、学校に連れて行く毎日でした。親は私の将来のことなどを考えて、勉強を頑張ってほしかったのだと思います。それは後々の心の成長の面から考えると、今の自分の助けになっているのですが、当時は本当に辛かったですね。

今はオンラインや別室で授業を受けられる場合もあると聞いているのですが、当時はまだ難しかったそうです。今は選択肢が増えたので、同じ病気の方の負担が少しでも軽くなっていたらいいなと思います。

周りに病気のことをうまく伝えられない日々はとても苦しくて。でもそれは、周りの人が悪かったわけではなくて、環境とタイミングが悪かったんだと今は思います。

18歳を過ぎた頃からは次第に、「病気が出ちゃうんだよね」みたいな話を身近な人とできるようになっていきました。

【写真】手振りを交えて話をするへちさん

バレリーナの夢を叶えるために海外留学。バレエをしている時だけは、チックの症状が出なかった

親が医療関係者だったこともあり、私は幼少時から投薬治療などさまざまなチックの治療を受けてきました。高校生の頃からは、新たな治療方法を受けるために3ヶ月おきくらいにアメリカに行っていました。

ある時、その治療を受けた際の、私のチックが出ている様子が映っている動画が、インターネットでものすごい勢いで拡散されてしまったんです。

病気については、地元の友人や小学校の同級生たちはもともと知っていたのですが、中学以降に出会った人たちには何も言わずにいたところに、一気に知られてしまいました。当時、自分の思いに反して病気のことが勝手に周りに広がったことで、ショックだったことは言うまでもありません。

ですがこの時、私が一番心配したのは、自分の将来のこと。プロのバレリーナになりたかったので、「病気であることがバレエに不利になったらどうしよう」ということでした。

4歳頃から始めたバレエはその後も続けていて、私にとってとても大切な存在になっていました。特に中学以降はバレエのことしか考えないような毎日。高校卒業後は、プロのバレリーナになるための海外留学を目指していて、準備をしていたところでした。

バレエ学校によっては身体能力や健康状態を受験時にチェックされることがあります。もし動画の拡散で病気のことがバレエの関係者に知られてしまい、「バレエに影響あったらどうしよう」という心配で、気持ちが病んでしまったりもしました。

そんななかでも、バレエ留学がしたい一心で、自分にできることを一生懸命やりました。

留学先はイギリスで、ビザ申請のために英語の試験があったんです。英語は、子どもの頃に習い事としてはやっていましたが、中学・高校と保健室で過ごす時間が長かったので、英語の点数は本当によくなくて(笑)。そこで中学英語から全部やり直して猛勉強することに。

結果的にはチックがバレエ学校への入学に影響することもなく、無事試験に合格して、留学できることになりました。

留学先での生活はまるで修行のようで、週6日、毎日朝8時から夜7時までずっと踊っているような日々。レッスンの英語自体はそんなに難しくはないのですが、英語の論文提出もあり、とにかくハードなバレエ漬けの毎日が続きました。

【写真】穏やかに笑いながら話をしているへちさん

クラスメイトには、何人か日本人留学生もいて、親しくなっていくなかで病気の話にはなるのですが、とにかくバレエが最優先の日々のなかでは、お互いに他人に構っている余裕はありません。

通常なら、病気の話をすると良くも悪くもいろいろ言われることがあるのですが、バレエ学校では「あ、そうなんだ。大変だね」くらいの軽めの反応だったおかげで、バレエだけに専念することができました。

子どもの頃はただただ踊ることが楽しかっただけなのに、中学・高校の頃は、駆り立てられるような感情があって、本当にバレエばかりしていました。一度これをやる!と決めたらとことんやる性格なのも影響しているのかもしれません。

そして私は、バレエをしている時はチックの症状が出ないんです。意識して抑えているわけでもないのにまったく症状が出ないのは、バレエの時だけ。

不慣れな場所にいるときは、チックが減少するケースはあるのですが、これも人によってまちまちで、私はたまたまそれがバレエなんだと思います。
私は今も、バレエをしている時が一番楽しくて、ダンス動画の配信でもバレエの動きを取り入れたりしています。

動画配信を通して、同じ病気で悩んでいる人たちの助けになれたら

【写真】緑が見える歩道橋を歩いているへちさん

イギリスから帰国した20歳の頃、色々な事情から体調を崩してしまい、数年間寝たきりのような生活が続きました。バレエはもちろん仕事も何もできない状態で、人にも会わず、家でずっと寝ている自分を責めるような毎日。

「何か世の中の役に立つことができないだろうか」

そんな悩みを抱えていた時、インターネットを使った仕事なら家でもできると考え、2021年6月ごろから動画配信に挑戦することにしました。

開始当初は、動画編集の経験などもまったくない状態で、ただダンスを踊っただけの動画を公開していました。ダンス動画なら編集しなくてもいいんですよね(笑)。そんな感じの手探りのスタートだったので、最初は全然見てもらえませんでした。

そこから、どうしたら再生数が増えるのか、自分なりにさまざまな工夫をしました。

視聴者の方に覚えてもらうために何かインパクトの強いものがほしいなと思っていた時、たまたま通販でカエルの帽子が安売りされていたのを見つけたんです。それを購入して、被って撮った動画を多くの人に見てもらえて。

それ以降は、カエルちゃんが私のトレードマークになりました。

【写真】へちさんが動画でかぶっている緑色のカエルの被り物

そうして配信を続けているうちに、テロップをつけたり、編集したりする技術も次第に身につき、再生数は増えていきました。

配信開始当初からあったのは、「自分の病気のことやこれまでの経験を発信して、世の中のチック症の人に役に立つようなことをしたい」という思いでした。

でも、「病気の子だから」という理由で興味を持ってもらうのは違うと思っていて。まずは病気のことは公表せずにやってみて、配信を楽しんでくださる方が増えたら、病気の名前を知ってもらいたい。そしていつか同じ病気で悩んでいる人の助けになりたい。

そんな気持ちで配信を続けていました。

視聴してくださる方が増えていったので、2022年に初めて病気について話した動画を公開しました。私は医師ではないので、病気そのものについて説明することはできないので、自分が病気によってこれまで経験したこと、思ったことを率直にお話してみたのです。

病気を公開することについては、最初はやはり抵抗があったのが正直な気持ちです。それでもいろいろ悩んだ末に思い切って公開した動画は、約34万回再生され(2023年11月現在)、さまざまな反響がありました。

視聴者の方から「チックのことを初めて知った」「昔、こういう症状の人が身近にいて、あれはチックだったんだって今わかった」などのコメントをもらって。

チック症の方からも、「元気が出ました」「勇気をもらいました」などのメッセージをいただいた時は、本当にうれしかったですね。

反面、「かわいいのに残念」「こういう障害を受け入れる人はすばらしいけれど、自分はパートナーとして選べない」など、ネガティブなコメントがつくことも。私自身はそういう方がいることも理解できるので、その場合は現実では距離を置いてもらうしかないのかなと思っています。

それでも今は、病気を公表してよかったと感じています。それは動画を公開したことで、症状について説明しないですむことが多くなったから。

チックは意識することで、短時間であれば抑えることができるケースもあります。私の場合は、治療を続けてきたこともあり、大人になってからはある程度抑えられるようになりました。

私がもし、チックの症状をまったく抑えられないくらい重症なら、初対面の方も私がトゥレット症候群だとわかってくれるかもしれません。でも私の場合、基本的には症状を隠せてしまえるので、初対面の方には説明が必要だったんです。

動画をはじめたおかげで、これから知り合う方の多くがすでに動画で私にチックの症状があることを知ってくれているので、説明がいらなくなったのは助かっています。

最近は、所属事務所が主催する視聴者の方とお会いするイベントにも参加するようになりました。

イベントには、チック症の方が来てくれてお話することもあります。

実はこれまで、チック症の方と会うことはあまりなく、むしろ、相手の方の症状を見ることが辛くて、私自身が避けていた部分があったと思います。正直、「当事者同士が会うことで何かができるわけでもないし」というような、どこか冷めた思いもあって。

でもこうして活動が広がるなかで、チック症の方とお会いできるようになり、みんなそれぞれにいろんな症状を抱えながら生きているということを、実感するようになりました。

さらに2023年8月には、Youtubeで障がい者バラエティ番組『うさぎTV』がスタートし、第1回から出演者として参加しています。

「障がい者が輝く番組」をコンセプトにしたこの番組は、難聴、骨形成不全症、脊髄損傷など、それぞれに障害や難病を抱えた同世代のメンバーが楽しくトークを繰り広げつつ、障害や難病を抱えて生きることのリアルを紹介するバラエティです。

番組を通じて、トゥレット症候群の現実について、視聴者の方に知っていただくきっかけを作れたらと思い参加をしています。

実際に番組への出演を通して、他の出演者のファンの方々にもチック症のことを知ってもらうことができました。また私自身、様々な障害を持つ方々と知り合って、それぞれの障害への理解が少し深まったように感じています。

親やバレエの先生。周りのさまざまなサポートのおかげで、今の自分がいる

【写真】遠くからカメラを見ているへちさん

周りの方からのさまざまなサポートに支えられて、私はチックとともに生きてきました。

なかでも両親の存在は大きかったですね。両親は、私の病気のことで悩んでいる様子を私には一切見せませんでした。父は「この子が生きやすいようにしたい」という思いを第一にサポートしてくれたし、母はいろいろ悩みつつも、私の夢を応援してくれて、バレエ留学にも行かせてくれました。

治療法の面でも、幼少時からの投薬治療、高校生の頃のマウスピース治療を経て、今は主にCBIT(シービット)という方法を実施しています。CBITは「Comprehensive Behavioral Intervention for Tics」の頭文字で、チックのための「包括的行動的介入」を指します。

これは認知行動療法の一種で、チックが起こる瞬間に、気づく練習をして、チックが出る前に対処できるようになることを目指すもの。例えば私は声が出るチックに対して、口の中に空気を含んで、それを飲み込む動きを1日20回程度くらい行うことで、声が出る回数を減らしていきました。

自分を殴ってしまうチックの場合は、腕をピーンと伸ばしたり、肩に力を入れたり、別の動きに変換することで症状を抑えられるようになっていくのだそう。最初はなかなかうまくできなかったのですが、回数を重ねるごとに次第に症状が減っていきました。

私は恵まれた環境にいて、マウスピース治療法もCBITも、日本にはまだ導入されていない頃に試す機会をいただきました。これも、両親が病気について積極的に調べて、行動してくれたおかげです。

CBITは、私が高校生の頃に、母が海外で開かれた学会のカンファレンスに参加した際に、CBITができる先生に直接お願いして、スカイプでセッションを受けることができました。

今後はそういった治療経験についても発信していきたいですし、医学は確実に進歩しているので、いつかトゥレット症候群が治る病気になってほしいと思っています。

【写真】ヘルプマークがついているへちさんのリュック

へちさんは外出時ヘルプマークをつけていることが多いそう

まわりの方からのサポートとして特に印象に残っているのは、バレエ教室の先生の対応です。先生は、私を「病気の子」として扱うことは一度もありませんでした。どうしても症状がひどくてレッスンを休む日が数日あったのですが、けっして特別扱いせず、周りの生徒たちと同じように接してくれました。

もちろん病気がある以上、日常生活においては、配慮してもらえないと困る場面は多々あります。ですがバレエに関しては、私は周りの生徒たちと同じように、真剣にプロを目指していました。

先生は、私の病気を知ったうえで、夢の実現のためには相応な準備が必要なことを考え、ほかの生徒に対するのと同じスタンスで最後まで接してくれたんだと思います。これはとても温かい対応だったと、成長してから実感しました。

「見えない苦しみ」を抱えた人への理解を広めるため、私ができること

【写真】遠くを見つめているへちさん

幼少時に両親から言われた「病気じゃない病気だよ」という言葉もあり、私は自分のことをあまり深刻に病気だと捉えたことがありませんでした。

でも20歳を過ぎた頃から、「この先どうやって生きていくのか」ということを考えるようになったんです。

これまでは両親がずっとそばでサポートしてくれてきたけれど、その両親もいつかは亡くなる。その時、自分はどうやって生きていくんだろうと。

そう考えた時、「あ、自分は病気なんだ」と、初めて自覚しました。これまで気づかずにのうのうと生きてきたけれど、人よりけっこう大変なんじゃないかと。

20数年間、チックの症状とともに生きてきて実感するのは、症状は人によって異なるし、年齢によっても変わっていくということです。

私自身、症状は年齢とともに変化していて、今の主な症状としては、「キャー」「助けて」などの声が出る、自分を殴る、壁を殴る、壁に頭をぶつけるなどがあります。それらの症状について、大人になった今は、意識的に努力することで短時間だけなら抑えることはできるのですが、重症の方は抑えたくても抑えられません。

私も、症状が既に出ているときは抑えきれないし、なるべく出さないようにしようとすると、多かれ少なかれストレスはあります。初対面の方の前や緊張する場面では出なかったりしますが、そこで症状を抑えるために力を使ってしまうと、後で寝込んでしまったりすることもあって。

チックの症状は本当に人や状況によってそれぞれで、見えない部分に苦労があるのだと感じています。

チックの症状とともに生きていくうえで、当事者の方々は、皆さんきっとそれぞれにいろいろな工夫をされていると思います。

例えば日常生活では、映画館に行けない、飛行機に乗れない、自転車に乗れないなどの困難を抱える方もいます。私の場合は、映画館には行けるのですが、やはりむずむずしてしまうので、周囲に迷惑がかからない程度に身体を揺らしたり、体操座りをしたり、試行錯誤しながらさまざまな工夫をしてきました。

【写真】微笑みを向けるへちさん

トゥレット症候群の情報発信をしてきて思うのは、この病気は理解されにくい病気だということです。

トゥレット症候群は、チックの症状として目に見える部分はあるのですが、症状が出ていない時や意識的に抑えている時、周りの人からはいわゆる「普通の人」に見られてしまうんですよね。そんなふうに、周りからは見えない部分がとても多いことが、この病気と生きるうえで苦労する部分なのかなと。

そんな「見えない苦しみ」を抱えて生きている人が実はたくさんいること。そして、その苦しみは人によって違って、必要なサポートや配慮も異なることを、知ってもらえたらと思っています。

最近は、メディアでトゥレット症候群が取り上げられる機会も増えてきました。

それ自体はいいことだと思うのですが、取り上げられるのは目に見えてわかりやすい症状がある方、症状をまったく抑えられないくらい重症の方が多いように思います。その情報に接した方からすると、「こういう症状の人がチックなんだ」という認識になってしまう。

ですが、小さなチック症状もとても苦しいし、努力して症状を抑えながら小さなチック症状とともに生きている方たちも多くいるのです。重症の方への理解ももちろん大切なのですが、そういった小さなチック症状を抱えた方たちの存在がもっと知られたら、トゥレット症候群に対する社会の理解が深まると思っています。

このような現実が広く知られて、トゥレット症候群が今より一般的な病気になれば、当事者は病気の話がしやすくなっていくはず。そうすれば、チックの症状のある方の活動範囲や仕事の場が広がるのではと考えています。

例えば、仕事中はずっと静かにしていられることが前提になっていると思うんですよね。実際、みんなが集中して仕事をしている場所で大きな声を出されると周りが困ることはわかります。でもそうしたくてもできない人がいる。

症状が理解されることで、症状があっても周囲の人と協力しながら働けるよう工夫できることもあるかもしれないですし、そこが少しずつでも、変わっていけばいいなと思っています。

これからの自分にできることとしては、今後も、みんなが楽しめる動画とあわせて、チックの啓発動画を発信していきたいです。そして将来的には、クラウドファウンディングで海外の治療法を日本に導入したり、マウスピースの先生を日本に招いたりするようなことにも挑戦できたらと夢見ています。

そして何より、トゥレット症候群のことを少しでも多くの方に知っていただいて、そのことが「見えない苦しみ」を抱えた方の助けにつながっていけばうれしいです。

【写真】笑顔でこちらを見ているへちさん

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(執筆/宇都宮雪代、撮影/野田涼、編集/工藤瑞穂、企画・進行/松本綾香、協力/阿部みずほ)