【写真】カフェで談笑するきたむらひとしさん、たくみさん、いのっちさん

学生の頃あるカフェでアルバイトをしていたときの話です。

よく来るお客さんのなかに、耳が聞こえない方がいました。その方は店員の話す口の動きを読み取って、指差しと筆談でコミュニケーションを取っていたのです。

もしもあの時、ほんの少しでも手話を覚えて会話ができていたら。その日のおすすめメニューを伝えたり、何を注文するか聞いたり、やりとりすることは決まっていたのだから、それだけでも手話でコミュニケーションしていたら、どうだったのだろう。

もちろん、聞こえない方にそれを歓迎してもらえたのか、不要な気遣いになったのか、今となっては分かりません。

そんなことを思い出したのは、今回、耳の聞こえない人や、聞こえにくい人が働いていたり、活発に手話でのコミュニケーションが行われている手話カフェ『UD Cafe & Bar -te to te-』に取材に行くことになったからです。

te to teを運営する株式会社ユーディフルの代表北村仁さんは、手話ダンスパフォーマーでもあります。事前にYouTubeで北村さんのパフォーマンスを鑑賞しましたが、もともとバレエやフラなど、踊りを観るのが好きな私は、手話は全く分からないのにも関わらず、心が動かされるような感覚を持ったのです。

聞こえる人と聞こえない人が交わる世界はどんなものなのか、多様な人が集う場所はどんなふうにつくられているのか…。

北村さんやスタッフの方々にお話を聞くため、とある夏の土曜日、私たちは神奈川県平塚市にある手話カフェ『UD Cafe & Bar -te to te-』に出かけました。

UD Cafe & Bar -te to te-のある平塚市には、県内唯一の県立ろう学校が

【写真】カフェの店内。L字型のカウンターにお客さんが5人座っており、スタッフが対応している

平塚は神奈川県内で唯一の県立ろう学校、「平塚ろう学校」がある場所。平塚ろう学校では、幼稚園児から高校生まで多くの子ども・若者たちが学んでいるそうです。

te to teでは平塚ろう学校の学生たちがアルバイトをしているほか、お客さんとしても学生たちがよくやって来るのだそう。

そんなte to teは、平塚駅から歩いてすぐの、周囲には様々な飲食店が並び、人通りも多い場所にあります。

【写真】カフェの窓から見える景色。看板に「西紅谷通り会」と書かれている

【写真】カフェの1階入り口。黒い黒板に営業時間などの案内が書かれている

わくわくした気持ちでte to teのあるビルの階段を登り、2階のドアを開けると、窓から光がさしこむ明るい空間が広がっています。私たちに気づいたスタッフの方々が穏やかな笑顔で迎えてくれました。

店内を見渡すと、すでにお客さんがテーブルに着いていて、スタッフの方に教わりながら、手話で料理をオーダーしている姿が。カウンターには、手話でスタッフと賑やかに会話をしているお客さんの様子も見られました。

【写真】手話で会話するお客さん2人とスタッフ

手話での会話なので、口頭での会話と違って音が聞こえるわけではないのですが、楽しそうなその様子は“賑やか”という表現がぴったりです。

私たちが案内されたテーブルに置かれていたメニューにはそれぞれ料理の名前を指文字でどう伝えるかのやり方が書かれているほか、50音を指文字でどう表現するかがイラストで描かれたシートもありました。

【写真】カフェのメニュー。料理の写真も載っている

メニューを見ながら、私たちも手話を試したりしているところに現れたのが、te to teのオーナーであり、te to teとUD DANCE SCHOOLを運営する株式会社ユーディフルの代表でもある北村仁さんです。

北村さんは、スタッフの方や顔見知りのお客さんと手話でにこやかに挨拶を交わしています。それから私たちのテーブルに着いた北村さんに、まずは子ども時代から今に至るまでを聞くことにしました。

20歳でダンスに出会い、25歳ロサンゼルスで「ダンスで食っていく」と決意

【写真】微笑みながらインタビューにこたえるきたむらさん

カフェやダンススタジオを経営しているなら、北村さんはきっと子どもの頃から活発で、リーダーシップを発揮していたはず。私は北村さんから直接話を聞くまでそんな先入観を持っていましたが、実際にどんな子ども時代を過ごしていたか聞いてみると、私の予想とは違った答えが返ってきました。

北村さん:小中高とあまり親しい友達もいなくて、友達から誘われたりすることもあまりなかったですね。自分らしくいられる居場所みたいなものもなかったです。当時自分では気づいていませんでしたが、今振り返ってみると「浮いている子」だったと思います。

でも、当時は学校に行かないという選択肢は持てなかったので引きこもりや不登校にはなりませんでした。

それは今振り返って思うことであって、当時の北村さんは自分の状況を悲観的に思うこともなく、学校や当時の環境を楽しいと感じたこともあったのだとか。

そんな北村さんがダンスと出会ったのは、20歳の頃でした。

高校卒業後、進学にも就職にも意味が見出せず、アルバイトをして過ごしていた北村さんは、アルバイト仲間に「一緒にダンスやりませんか?」と誘われたのです。

北村さん:ダンスを始めてみて、自分のなかで何かがカチっとはまる音がしたのを感じたんです。好奇心はあるんですけど飽きっぽくて、それまでクラブや部活などもあまり続かなかったのですが、ダンスは続けられたんです。

頼れる先輩からいろいろなことを教えてもらったり、頑張っている後輩から刺激を受けたりもして。ダンス仲間とはいい人間関係を築くことができたので、青春みたいなものをそのとき初めて感じましたね。

それに、ダンスは道具も使わず、この身体ひとつでできること。言葉もいらない、最高のコミュニケーションツールになることを知りました。

【写真】右手を高く上げて踊るきたむらさん

北村さんがダンスをしている様子(提供写真)

ダンスにのめりこんでいった北村さんは、25歳でロサンゼルスでの短期ダンス留学も経験。ロサンゼルスの地を踏んだ時に「ここまで来たのだから、ダンスで食べていきたい」と、北村さんはダンサーとして生きていく意志を固めたのです。

手話や手話ダンスを仕事にするためにも、就職を決意

【写真】soarメンバーを前に笑顔でお話するきたむらさん

「ダンスで食べていく」

そう決めたからといって、ダンス関連の仕事が舞い込んでくるわけではありません。2年ほどプロのダンサーとして活動を続けましたが、なかなかうまくいかずに悩んでいました。

そんな時に出会ったのが手話を使ったダンスでした。北村さんは手話ダンスを、歌詞の世界観を手話で伝えるダンスととらえているといいます。

ニューヨークで開催される大会に挑戦しようとしているあるチームに、北村さんは助っ人として参加することになったのです。そのチームは聴者で構成されていて、手話に感銘を受けたメンバーがダンスに手話を取り入れていました。

北村さん:大会が終わってニューヨークから帰国して、正式なメンバーとして参加することにしました。正直このときは手話ダンスがやりたかったわけではなく、手話ダンスはまだめずらしいから注目を浴びるチャンスになるかもしれない、くらいの気持ちでしたね。

最初の頃は、手話の意味もわからないまま、ダンスの振りを覚えるような感覚で手話ダンスを覚えていました。でも、イベントなどでろう者のダンサーと出会う機会が増え、北村さんも少しずつ手話で会話をするようになっていったといいます。

ろう者であるかどうかに関わらず、単純に友達が増えることが嬉しかった北村さんは、彼らとやりとりするために手話を身につけていきました。

北村さん:ろう者のダンサーたちの努力を目の当たりにしていくうちに、リスペストの気持ちを持つようになりましたね。彼らは音が聞こえないから、スピーカーを触って音の振動を受け取って、「今サビだよ」とか「ここで振りを合わせよう」と判断して踊っているんです。当時の僕からは考えられないような、踊るための努力をたくさんしていて。

そういう姿を見るうちに、ろう者のパフォーマーにもっとスポットライトが当たって欲しいと思うようになったんです。僕自身も手話パフォーマンスが大好きになっていったので、彼らと一緒に手話ダンスをもっと広めたいと思うようになりました。

僕は元々言葉でのコミュニケーションがめちゃくちゃ苦手なんですよ。ダンスという自己表現を始めてからは、自分に素直になれて、それまでの気持ちが伝わらないことへのフラストレーションを発散することができました。

さらに手話という言語を学んで、自分の気持ちを相手に伝えるレパートリーが増えたことで、自己承認が高まっていって。僕はダンスと手話ダンスに救われて今生きているので、そこに恩返ししたいという気持ちがあります。

日常的にろう者と関わることが増えた北村さんは、ろう者とコミュニケーションするうえでプロフェッショナルなスキルを身につけたいと思うようになりました。

そんなときに出会ったのが、「障害のない社会をつくる」というビジョンを掲げ、障害者の就労支援や学習支援などさまざまな事業を展開する「株式会社LITALICO」でした。

障害者をサポートするためのスキルをしっかりと身につけて、手話や手話ダンスを仕事にしたい。その先に、ろう者が生きやすい世界を作ろうと決めて、LITALICOに入社。北村さんにとってそれが初めての就職でした。

発達支援専門のLITALICOジュニアでは、指導員として勤務。仕事の内容は、障害のある子どもに対して日常生活における基本動作の指導をしたり、集団生活への適応訓練をしたりしながら、一人ひとりの能力を引き出していくことです。北村さんは、LITALICOで働いた期間、たくさんの子どもたちと向き合ってきました。

北村さん:発達支援の現場では多くのことを学びましたが、一番大きな気づきは「障害はその人がいる環境にとても左右されるものなんだな」ということです。

環境によっては、発達障害が“生活をするうえでの障害”にならないこともあります。お子さんにまつわる課題や問題が出てくるたびにまずは環境を調節することを考えるようにしていました。それがその子にとって生きやすい世界につながっていくと僕は考えているんです。

だからこそ、課題や問題を隠したり、当事者だけが抱え込むのではなくて、それを表に出しやすい環境をつくることが大切。そうすれば、克服する方法を周囲の人も一緒に考えられるからです。

指導員として働くなかでは、ろう者の方との出会いもあったそうです。「習い事をやってみたいけど、断られてしまう」という話のほか、「ダンスを始めてもコミュニケーションが取れず長続きしない」という話を聞くことも。

割ける時間は少なくなったものの、ダンスを続けていた北村さんは、2年続けた仕事を退職し、手話ダンスのスタジオを立ち上げることに。手話ダンスを広げることを目標として、一歩踏み出したのです。

「アルバイト先を見つけられない」ダンススクールを始めたことで、ろう学校の学生が抱える課題を知る

【写真】UD DANCE SCHOOLの様子。子どもから大人まで様々な年代の人がダンスをしている

UD DANCE SCHOOLの様子(提供写真)

北村さんは2019年に神奈川県の平塚で、ダンススタジオ「UD DANCE SCHOOL」を立ち上げました。平塚は北村さんの育った地域で、ダンスと出会い、手話にも出会った場所でもあるため、「何か地元に恩返しがしたい」と考えていたそう。

「手話とダンスで世界をつなぐ」というテーマのもと、耳が聞こえる人も聞こえない人も、ダンスを楽しみながら自然とつながれる場になるようにと考え、運営をしています。

このスタジオで北村さんは、自身がつくりあげた新しいジャンルのダンスである「UDダンス」を教えています。UDダンスは、手話を第一言語に持つ耳の聞こえない人や聞こえにくい人にアドバイスをいただきながら、手話も伝わるパフォーマンスを目指しています。

手話を使ったダンスには、振りの一部で手話を使うものや、手話を使っていてもろう者の方にとっては意図が汲みづらいものなど、様々なケースもありますが、UDダンスはろう者の人が見ても、曲の歌詞やダンスの振りの意図を理解できるように手話を使っています。

北村さんが生み出したUDダンスを学ぶため、オンラインを含めると全国から200人以上がレッスンに参加。障害の有無に関わらず、様々な人がUDダンスを楽しんでいます。

UD DANCE SCHOOLが特に大切にしているのは、安心できて、誰もが孤独にならないサードプレイスのような場所であることです。

北村さん:発達支援の現場で働くなかで、なかなか親や先生に悩みや抱えている課題を吐き出せない子どもが、サードプレイスでは安心して自分の想いを打ち明けられる場面を見てきました。

だからこそ、ダンスがうまくなってほしいというより、UD DANCE SCHOOLのコミュニティが安心できる居場所であってほしいという気持ちの方が強いと思います。その延長線上に「ダンスがうまくなった!」があればいいですよね。もちろん、中には真剣にダンスに取り組んで、ダンスの大会や手話を使ったパフォーマンスの大会での受賞を目指しているメンバーもいます。

UD DANCE SCHOOLのメンバーのうち、耳の聞こえない人や聞こえにくい人と聴者の割合は3:7ほど。幼稚園児から60代の方まで、幅広い年代の方がUDダンスを楽しんでいるのだとか。

UD DANCE SCHOOLに通うメンバーには、近くの平塚ろう学校に通う学生やその他の地域のろう学校の学生たちも。彼らとの何気ない会話が、その後のte to teの立ち上げにつながっていったといいます。

北村さん:高校生は、アルバイトができる年齢ですが、ろう学校の学生はアルバイトをする場所がないと聞いたんです。なかには12回もアルバイトの面接を受けたけど、受からなかったという人もいました。若いときのアルバイトでの成功体験や失敗体験はとても貴重なものなのに、その経験を積めないのは社会が抱える課題だなと思ったんです。

また、手話を学ぶ聴者からは「なかなか手話を使う場所がない」という声も耳にします。使う場面がないからと、学ぶモチベーションを持ち続けられず、手話を辞めてしまう人も多いという現実があったのです。

北村さんはろう学校の学生たちが安心して働ける場所を作りたい、そして手話で話せるコミュニティを作りたいという想いを強くしていきました。

そうして生まれたのが、te to teだったのです。

te to teが目指すのは耳の聞こえない人や聞こえにくい人が安心して働ける、互いに尊重しあえる環境

【写真】te to teの店内。カウンターに座るお客さんの対応をスタッフ2名で行っている

te to teは2023年4月に、耳の聞こえない人や聞こえにくい人の雇用を広げるため、そして聞こえる人と聞こえない人がつながる場をつくるためのカフェとしてオープンしました。その後、2024年5月に現在の場所に移転し、今に至っています。

te to teには6名のスタッフ(2024年8月取材時)がいて、そのほとんどがろう学校の学生です。

北村さん:12回アルバイトの面接を受けたけど受からなかったという子も、ここでアルバイトの経験を積みました。その子は今は就職して退職しましたが、時折遊びに来てくれるいい関係が続いています。ろう者の学生が「te to teのおかげでやっとアルバイトができた!」と話すのを聞いたときは嬉しかったですね。

te to teでは、聴者、耳の聞こえない人、聞こえにくい人が一緒に働いていますが、聴者の割合が少ないので、結果的に手話が公用語に。それが耳の聞こえない人や聞こえにくい人にとって、働きやすい環境となることにつながるのではないかと北村さんは考えているそう。

もしも、他の店や会社などでも手話ができる人が増えれば、ある意味でte to te は今のような特別な場所ではなくなるのかもしれません。それが理想だと北村さんは話します。

北村さん:他のアルバイトはなかなか続かなかったけれど、ここは続けられると話してくれたろう者の子もいます。アルバイトって働くことそのものを経験できるのはもちろんですが、休憩の時間やアルバイトが終わった後にくだらない話をしたりするのが楽しいことだと思うんです。

もし、まわりが聴者だけで、かつ、誰も手話を知らないという状況だとしたら、アルバイトはできても、人との交流の時間は持つことができないですよね。耳の聞こえない人や聞こえにくい人たちに、そういった時間をつくってあげたいと思ってカフェを運営しています。

ここで、アルバイトをしているろう者のスタッフであるたくみさんにもお話を聞いてみることに。たくみさんとはまず筆談で会話をしました。

【写真】たくみさんがタブレットに文字を書く様子

ーーどれくらいの頻度で働いていますか?

たくみさん:週に1〜2回です。

ーーなぜ働き始めましたか?

たくみさん:友達が紹介してくれたので、働きたいと思ってたからです。

【写真】紙とペンで筆談する様子

筆談によってお互いに聞きたいこと、言いたいことは伝え合うことができましたが、一問一答のようなやりとりになってしまい、会話のキャッチボールがスムーズに進みませんでした。もちろん筆談でしかコミュニケーションができない場合はあると思いますが、私たちとしては、全ての会話を筆談で行うのは時間がかかってしまいたくみさんに負担をかけているのではないか、と思う気持ちもありました。

そんなインタビューの様子を見ていたほかのスタッフの方が、手話で通訳に入ってくれることに。

【写真】手話で会話するたくみさんとスタッフ

手話をしているたくみさんは、筆談のときよりいきいきと会話しているように見えました。

また、私自身、たくみさんの手話をしているときの表情や考え込む様子などからメッセージを受け取ることができ、人と人とのコミュニケーションには様々な要素があり、言葉だけで会話をしているわけではないと感じたのです。

たくみさん:アルバイトを始めたときは、お客さんと話すのは苦手でしたが、少しずつ喋っていって楽しくなってきました。

お店では、聞こえる人とは、学校や仕事の話をしたりします。学校は違うけど歳は一緒の仲の良いお客さんもできました。

聴者の人とは会話の中で段々と話がずれていってしまうこともありますが、そんなときたくみさんは「もう一回コミュニケーションとって合わせていく(最初から仕切り直して話をもう一度する)」のだといいます。たくみさんが朗らかな表情をしていたので、「こうして工夫しながら会話を続けるのは楽しいことでもあるのでしょうか」と尋ねると、笑顔で頷いてくれました。

たくみさんにとってte to teは、聴者も、耳の聞こえない人も、聞こえにくい人も関係なく盛り上がることができる大事な場所なのだそう。たくみさんとお話をして、北村さんが願っていた「聞こえる人と聞こえない人がつながれる場」がここにあることを実感しました。

“助ける”のではなく“一緒に”。ともに働くうえで必要なこと

北村さんやたくみさんにお話を聞いているうちに、時間はお昼近くになり、店内はいつのまにか満席に。

【写真】te to teのメニュー表。料理の写真やメニューの指文字が載っている

te to teのメニュー表(提供画像)

お店にいる全員が知り合いというわけではないはずなのに、お客さんやスタッフみんながわいわいと一緒に時間を楽しんでいるようでした。お隣同士でスマホの画面を見ながら話が盛り上がっていたり、「初めまして」という挨拶が聞こえてきたり、その後連絡先を交換し合う姿も。

北村さん:聴者で手話ができるスタッフがいるので、聴者と耳の聞こえない人や聞こえにくい人をつないでみんなで話をすることもあります。手話カフェということを知らずに入ってくるお客さんもいるので、そういった方に手話を強制することはないのですが、テーブルに置いてある指文字のシートを使って手話に挑戦してくれることもあるんです。

ここで、聴者でありながら手話もできるte to teで店長を務めるぃのっちさんにお話を聞きました。

ぃのっちさんは、言葉で話しながら手話をして、聞こえる人と聞こえない人をつなぐ役割をすることがあるのだといいます。私たちのインタビューにも言葉と手話両方で答えてくれました。

神戸在住だったぃのっちさんは、もともとオンラインレッスンで北村さんから手話ダンスを教わっていたそうです。

【写真】インタビューにこたえるいのっちさん

2023年の8月末にte to teの前店長が退職することになったタイミングで、「次期店長にならないか」と北村さんに声をかけられました。ちょうどその頃、手話ダンス仲間が続々と東京に引っ越してしまい、今後自分はどうしていこうかと考えていた時期だったぃのっちさん。

「じゃあ僕行きます!」とすぐに返事をして、9月1日には店長として働き始めました。

ぃのっちさんは主に調理を担当しながら、スタッフたちのコミュニケーションをサポートしています。

te to teではドリンクづくりや接客を担当しているのは耳が聞こえない、または聞こえにくいスタッフが多く、手話カフェであることを知らずに入ってきたお客さんにも接客をします。ぃのっちさんはスタッフたちに、「筆談ボードを使ってでもいいし、まずはやってみて、もしも困ったことがあったら声をかけてね」と伝えているといいます。

ぃのっちさん:聞こえる、聞こえないに関係なく、「できないこと」というのは単純に慣れていないだけのこともあると思うんです。やったことがなければできなくて当然だし、慣れていなければうまくいかなくても当たり前。初対面の聴者の方と話すのが慣れていない耳の聞こえない、または聞こえにくいのスタッフがいたとして、最初はうまくいかなくても、回を重ねればできるようになっていくんです。

te to teでは、聞こえ方の違いによって担当業務を分けてはいません。もちろん、たとえば配達の注文が入ったことを知らせる音など、どうしても音に頼らざるを得ない部分は聴者が担当しますが、それ以外は聴こえるかどうかで役割を分けず、協力し合いながら働いています。

できないことがあるなら、一緒にできるようになる方法を考える。それが当たり前のことになっているのです。

ぃのっちさん:僕は、助けるってことがすごくおこがましいことだと思っているんです。「聞こえないから、困っているだろう」と考えるのもなんだか少し違うんじゃないかなと。耳の聞こえない、または聞こえにくいスタッフたちは、「聞こえない」けれど、それ以外の仕事はできてますから。

それぞれに苦手なことがあるのは、誰でも同じ。だから、「助ける」ではなくて、「一緒にやる」っていう考えがいいのかなと僕は思っています。

「本当はおしゃべりモンスターだから、ホールに出ていって常におしゃべりしていたいんですよ」と笑いながらも、ぃのっちさんは、スタッフを信頼してホールの業務を任せています。

「助けるというのはおこがましい」とぃのっちさんが話していましたが、北村さんも同じように考えてスタッフと関わっています。それでも、耳の聞こえない、または聞こえにくいスタッフになかなか気持ちがうまく伝わらず、もどかしい思いをすることもあると話してくれました。

北村さん:「仁さん(北村さん)は耳の聞こえない人や聞こえにくい人と聴者をつなぎたいと言っているけど、私たちはそんなこと頼んでいない!」と言われてしまったことがあります。手話でやりとりしていたので、自分の言葉が不十分で、すごくおこがましく聞こえてしまったかなと反省したことも…。

そういう摩擦が起きたときは、コミュニケーションで足りなかった部分を丁寧に付け足して、解消するしかありません。会話でも、手話でも、聴者でも、耳の聞こえない人でも、聞こえにくい人でも、結局は変わらない部分ですね。

でも、僕は手話ダンスに出会い、パフォーマンスをするようになって、ろう者の方に手話を教えてもらったり、友人になって世界を広げてもらったことが本当に嬉しかったんです。だから何か彼らの役に立つことをしたいみたいな気持ちもあるのだと思います。

北村さん、ぃのっちさん、そしてスタッフのみなさん一人ひとりが、te to teに関わる人を尊重し、試行錯誤を続けているからこそ、様々な立場の人が働きやすい環境が出来上がっていることを感じました。

te to teは耳の聞こえない人や聞こえにくい人と、手話を学ぶ人、双方が持つ課題を解決する場

【写真】カウンターに立って接客するいのっちさん

手話での会話が飛び交うte to teですが、このような場所やコミュニティは日本にはまだ多くありません。

te to teには、手話サークルや教室などで手話を学ぶ聴者の方も多く来店しますが、ここ以外で手話を使える場所がなかなか見つからないと話す方も多いといいます。

北村さんやぃのっちさんも独学では手話の習得は難しかったそうで、ろう者の友達ができて、会話をするようになって飛躍的に手話の力が伸びたと話していました。手話に限らないことだとは思いますが、言語の習得には実践する場がなくてはならないものなのでしょう。

北村さん:耳の聞こえない人や聞こえにくい人はいろいろなコミュニティから「聞こえなくても大丈夫!」とウェルカムに迎え入れられることも多いのですが、周りは手話ができないので、結局は孤立してしまう…ということもあるようです。

だからこそ、手話を使える人が増えるとすごくいいと思うのですが、せっかく手話を学んでも、使う機会がないからモチベーションが続かなかったり、学習自体を辞めてしまう人が多いというのは残念なことですよね。

te to teが、そういった手話ができるようになりたい人たちの背中を押せる場であるといいですね。

te to teは、耳の聞こえない人や聞こえにくい人の課題、そして手話を学ぶ聴者の課題、その両方を解消し、様々な人が当たり前のようにコミュニケーションができる場を目指しています。

耳の聞こえない人や聞こえにくい人はもちろん、手話を学ぶ人、そうではない人、みんなが心地よく過ごせる場所

この日、te to teは多くの人で賑わっていました。お客さんはte to teをどんなふうに感じているのでしょうか。3人の方にお話を伺ってみることにしました。

【写真】椅子に座るお客さんの手元

お話を伺ったお客さんの一人

3人に共通していたのが、te to teの雰囲気が好きだということ。手話ができる人もできない人も、ここにくると自然に会話が生まれる。そしてスタッフもフレンドリーで、見ず知らずのお客さん同士で会話に花が咲くこともあり、リラックスした気持ちで時間を過ごせると話します。

お客さま:最初は手話を使うことができると聞いてお店に来ました。とあるときに、te to teで、出会ったお客さんとお店で気軽な気持ちで話して、その日は別れて。それでまた別の日にここでまた会って、話し込んだりしたりなんかして…。

店長のぃのっちさんやスタッフさんの雰囲気がそうさせているのだと思うのですが、他のカフェとは違う、人と人との距離が近いところが気に入っています。

te to teでは手話が公用語ではありますが、もちろん手話ができない人やte to teが手話カフェだと知らない人も、一般的なカフェと同じように過ごすことができます。この日も、おそらく手話カフェだと知らずに来店したであろう二人組が、注文のときは少し手話にトライしつつも、その後は二人でのおしゃべりに興じていました。

障害のある若者がいろいろな選択肢を持ち、挑戦できる社会へ

【写真】te to teの店内の壁。ターコイズブルーに白字でUdと書かれている

オープンしてから1年半が経過(2024年8月取材時)するなかで、北村さんは改めて耳の聞こえない人や聞こえにくい人を取り巻く社会的な課題について考えているといいます。

そのひとつが、障害のある若者たちが挑戦する場所が少ないということ。十分とは言えないかもしれませんが、一定以上の時間働けるような状況であれば障害のある人たちの働く場所が「障害者雇用」として用意はされています。

北村さん:te to teを作ったときに知ったのですが、長時間働くことができない高校生のアルバイトには障害者雇用が適用されないんです。日本では、耳の聞こえない人や聞こえにくい人に関わらず、障害のある若者たちが働く選択肢や挑戦できる環境が少ないと思います。

若いときの失敗体験は人生の財産だと考えているという北村さん。失敗は、チャレンジするからこそできる体験です。

現在の社会で、健常者の若者が当たり前のようにしているアルバイトを、障害があるからゆえにできないのでは、貴重な失敗体験の一部分を社会に奪われたことになってしまいます。

北村さん:若い頃って失敗体験も含めて大切ですよね。やりたいことができてはじめて、その後に「失敗だった」「成功だった」と自分で思えるし、自分自身も過去のそういう気づきが今につながっていると感じます。だから障害がある人も、アルバイトを始め、いろいろなことに挑戦できるように、国の制度から整えたり、企業が興味を持ってくれるような仕組みができていく必要があると思っています。

一方で、te to teで働きたいと望むろう学校の学生はたくさんいる現状を受けて、北村さんがまずはte to teの売上をより増やしていきたいと思っているそう。 UD DANCE SCHOOL、te to teと手話にまつわる事業を立ち上げてきた北村さんは、この先の未来も見つめています。

北村さん:これまで「手話とダンス」「手話と場所」という仕事をしていますが、耳の聞こえない人や聞こえにくい人に関する活動をしたいと志を持っている人や、ろうの人で新しいビジネスを立ち上げたいと考えている人もいるんです。そういった人がここに集まって、話し合って、協力して共存共栄を目指すビジネスエコシステムみたいなものが作れればいいなと思っています。

また、手話カフェのフランチャイズなどで、ブランドを広げていくことも考えているそう。te to teのような場が日本のあちこちにあれば、救われる人がたくさんいるはずという考えのもと、この環境を広げていくことは北村さんの大きな目標です。

また、今後は手話とダンスをかけ合わせたパフォーマンスをさらに広めていきたいと話します。

北村さん:9月14日には1000人で手話ダンスを踊ってギネス世界記録に挑戦する企画を行い、無事達成することができました!参加してくださる方々みんながいたからこそです。これで終わりにせず今後記録を更新をしていきたいし、いつか武道館で手話ダンスレッスンをしたいとも思っています。そのために必要な事をこれからやっていきます。

北村さんや、関係者の皆さんの行動からはもちろんですが、te to teに訪れる方や、手話ダンスパフォーマンスを観た方など、北村さんたちの想いを受け取った人からも、手話があたりまえのようにある環境が少しずつ広がっていくのかもしれません。

障害を障害と思わないような社会に

【写真】カウンターに座るお客さんに笑顔で対応するきたむらさん

インタビューの終盤、「今後どのような社会になることを望んでいますか?」という質問に北村さんはこんなふうに答えました。

北村さん:障害を障害と思わないような社会になればいいですよね。障害って、人間が決めていることであって、そういう意味ではいつ誰もが明日障害者になる可能性はあるわけです。でも、「障害者」と聞くと壁をつくってしまうようなことが多々あります。でも、みんなの知識がアップデートされていって、壁なく受け入れられるようになれば、いろんなことがクリアされていくんじゃないかなと思うんです。

そんな話を聞きながら、この日で私の知識がアップデートされていることを感じました。北村さんやぃのっちさん、そしてたくみさんとも話したことで私のなかに新たな視点が増えたことを実感したのです。

これまで私は、アルバイト先での簡単なやりとりをのぞくと、耳の聞こえない人や聞こえにくい人と会話したことはありませんでした。手話が飛び交う場に身を置いたこともなかったのです。

でも、te to teで時間を過ごしたことで、耳の聞こえない人や聞こえにくい人のこと、彼らを取り巻く世界のことをもっと知っていきたいと感じました。

もしもte to teのような場所が、ほかにたくさんできたら。あの日の私のような感覚を持つ人がもっと増えるかもしれません。北村さんの言う、みんなの知識がアップデートされるチャンスも多くなるのではないでしょうか。

私は、この日感じた想いを周りの人に伝えていくという小さなことしかできませんが、少しずつte to teのような、多様な人が居心地よく集えるような場所が増えるように、北村さんたちの活動を応援していきたいと思います。

関連情報:
UD Cafe & Bar -te to te- ウェブサイト Instagram 
北村仁さん X

(撮影/加藤壮真、編集/工藤瑞穂、企画・進行/松本綾香、協力/遠藤愛)