食卓でパートナーに伝えたかったけれど飲み込んだ言葉、オフィスの会議室で意見の違いから漂った微妙な空気、家族とのメッセージのやりとりで感じたちょっとしたすれ違い——私たちの毎日には、大小さまざまな対立や葛藤がつきものです。
異なる背景や価値観をもつ人々がともに生きるうえで、対立や葛藤は避けられないもの。けれど、向き合うことを恐れたり、自分や相手を責めたりしてしまうことも少なくありません。もし勇気を出して本音で向き合えたなら、その先には別の景色が広がっているかもしれないのに。
無意識の声を拾い上げることで真のコミュニケーションが生まれ、新しい関係が生まれてくる可能性を、私たちは信じているんです。
そう話すのは『対立の炎にとどまる――自他のあらゆる側面と向き合い、未来を共に変えるエルダーシップ』の翻訳者で、認定プロセスワーカーの松村憲さんです。
松村さんはこれまでマインドフルネス、心理療法、コーチング、プロセスワークなどの専門家として活躍。なかでもビジネスの現場で積み重ねてきたプロセスワークの経験を活かし、「関係性」や「集団」にフォーカスした実践を深めてきました。
プロセスワークとは、個人や集団の深層心理や身体的な感覚を理解し、葛藤の解消や変化を働きかける心理学的な手法。紛争解決から職場での衝突、家族間のすれ違いなど多岐にわたる対立への介入に活用されてきました。
プロセスワークの知恵をどのように人間関係の対立や葛藤に応用できるのか。無意識の声と向き合えたとき、その先にどのような可能性が拓けるのか。松村さんにお話を伺いました。
【プロフィール】松村 憲さん
バランスト・グロース・コンサルティング株式会社取締役、国際コーチング連盟認定PCC、臨床心理士/公認心理師。大阪大学大学院人間科学研究科博士前期課程修了。米国プロセスワーク研究所にてプロセスワーク修士課程修了(認定プロセスワーカー)。プロセスワーク理論を活用した組織開発コンサルティングやエグゼクティブコーチングを行う。
関係に眠る可能性に目を向ける。プロセスワークの対立の捉え方
——はじめに、松村さん自身がプロセスワークに携わるきっかけを教えてください。
松村さん:プロセスワークに携わるまでには、いくつかの紆余曲折がありました。
もともと「世の中の外側」に関心があり、大学では国際政治のゼミに所属していました。ですが、次第に「心の内側」にも関心が向き、スイスの精神科医・心理学者のカール・グスタフ・ユングが提唱したユング心理学を学ぶようになったんです。
その後、大学院でユング派の分析家で精神科医の師匠のもとで研究するなかで、プロセスワークと出会いました。
そこから臨床心理師として教育現場に携わった後、プロセスワークを本格的に学ぶためアメリカのポートランドに留学。4年間にわたる学びを経て、認定プロセスワーカー資格を取得しました。
帰国後は、徐々に個人の臨床に限界を感じるようになり、企業や組織に焦点を当てた実践へと活動を広げてきました。プロセスワークを応用した経営層のチームコーチングや次世代リーダー層のエグゼクティブコーチングなど、企業現場での実践を約10年ほど続けています。
———なぜ、個人だけではなく集団へのアプローチに活動を広げてきたのでしょうか。
松村さん:教育現場で子どもたちと関わるなかで、社会の価値観や仕組みが個人のメンタルヘルスに大きな影響を与えていると感じるようになりました。「社会が変わらなければ、どれだけ必死に一人ひとりの子どもや家族を支援しても、問題は再生産されてしまうのではないか」という思いが強くなったんです。
もともと僕が世界や社会の仕組みに関心があったこともあり、個人だけでなく、もっと大きな仕組みに働きかけていきたいという気持ちが高まっていきました。
——プロセスワークでは、集団の葛藤や対立をどのように捉えるのでしょうか?
松村さん:まず、プロセスワークは、心理学者・ユング派分析家のアーノルド・ミンデルが創始した学際的な心理学手法です。これまで個人だけではなく、二者関係、チーム・集団に働く力動へアプローチするスキルや理論、実践を積み重ねてきました。
プロセスワークでは、人が気づいていない心の深い部分で、新しいものが常に生み出されていると考えます。しかし、その新しい可能性が現実では葛藤や対立として現れることがあり、結果として「どうしていいかわからない」状態に陥ってしまう。そうした状況に蓋をせず起きている事象を見つめていくと、次の思いもよらぬ未来が現れ出てくる。こうした考えがプロセスワークの根底にあります。
例えばパートナーシップにおいて問題が起こったとき、背後では必ず無意識の本音や感情が動いています。ただ、こうした潜在的なものを表に出すのはとても勇気がいります。なぜなら、それがきっかけで関係が大きく変わってしまうかもしれないからです。伝えたのに受け止められず孤独を感じたり、「言わなければよかった」と後悔したりする可能性もあります。
それでも勇気を持って対立や葛藤と向き合ったとき、関係性に大きなブレイクスルーが起こる。プロセスワークは、その可能性を引き出す手助けをし、人や集団が新たな関係性を築く助けとなるものです。
個人だけのせいにしない。葛藤や対立を捉える4つのレンズ
——具体的に、どのようなプロセスで集団の状態を捉え、変化に向けて働きかけていくのでしょうか。
松村さん:アプローチの形はさまざまですが、1つの例として雰囲気の悪い家族に対してプロセスワークを行う場合を考えてみましょう。
まず、部屋全体の雰囲気や「誰が最初に話し始めるか」「誰がどのように座っているか」といった情報を観察し、状況を見立てます。明らかにあの人とあの人が目を合わさない、発言を無視しあっているとか。個人の状態や家族同士のコミュニケーションのレベルでの情報が色々入ってきます。
「この家族は今こういう状態かもしれない」とファシリテーターが見立てたら、具体的な介入を行います。たとえば、誰かの発言が無視されたら、僕が場を止めて「ひとまず、今のXXさんの発言についてどう思いますか?」と、発言を受け取らなかった側に問いかけます。
この問いかけによって発言を受け取らなかった側に「自分に意識を向けてみてもらえますか?」と、コミュニケーションのボールが渡されます。すると受け取った側は「こうなると思っていなかったけど、ちゃんと答えなければ」と感じ、何かしら発言します。
すると発言した側は「私の発言は相手に拾われなかったと思ったけれど、答えが返ってきた」と感じられる。断絶していたコミュニケーションの系が少しずつ繋がり始めるわけですね。再び無視されてきた側の声を聞くと、今まで言えなかった苦しみが語られるかもしれません。
コミュニケーションの断絶は、家族内に限らず、職場や社会全体のあちこちで起きていますから。糸が繋がり、新たな関係が生まれる瞬間を増やしていきたいです。
——観察から集団の状態を見立てるのは、家族よりも大きな組織では難易度が上がりそうですね。
松村さん:集団の対立や葛藤を扱う際には、複数の異なる視点で状況を見立てていく必要があります。なかでも役に立つのが「個人」「関係性」「システム」「フィールド」という4つの視点です。
たとえば会社で「新しいマネージャーが能力を発揮できていない」場合を例に、順に説明していきますね。
まず「個人」の視点では、問題を構成する一人ひとりの特性や行動に焦点を当てます。「能力を発揮できていないなら、マネージャー個人のスキルアップが必要だ」と考えるのが、個人の視点です。
次に「関係性」の視点では、個人の特性や行動だけではなく、個人と他者間の相互作用に注目します。たとえば「マネージャーの上司からの期待が強すぎて、そのプレッシャーでパフォーマンスを発揮する前に萎縮してしまっている」といったように状況を見立てるのが、関係性の視点です。
続いて「フィールド」の視点では、集団全体に共有される文脈が問題をどう生み出しているのかを考えます。たとえば、マネージャーが業界経験のない中途採用者であっても、周囲が「経験があるはずだ」と無意識に期待をかけ、応えられなかったら「使えない」とみなす。こうした期待や落胆が組織内に共有されているから能力を発揮しづらくなっていると分析するのが、フィールドの視点です。
さらに「システム」の視点では、チームや組織全体の構造や機能に目を向けます。この視点では、社会において公式に組織がどんな役割を担っているか、あるいは集団が1つのまとまりとしてどのように機能しているかを理解します。たとえば「新しいマネージャーがその役割を果たせていないために、別のメンバーが実質的リーダー的な役割を担うことでマネジャーが尊重されず、システム全体が機能不全に陥っている」といった形で状況を見立てていきます。
このように、個人のレンズだけで見るのではなく、関係性、フィールド、システムといった他の視点を取り入れながら、アプローチするべきものがみえてきます。
チームで小さく対立のなかにとどまるを実践するためには
——自分の属する集団で葛藤や対立と向き合う際に、プロセスワークの知恵を活かす方法はあるのでしょうか。一歩踏み出せるポイントがあれば聞きたいです。
松村さん:基本的にチーム内で深刻な葛藤や対立を扱うのはとても難易度が高いです。たとえプロフェッショナルでも、自分がそのチームのメンバーである、つまりシステムの一部である以上、抜け出すのは難しい。私自身も自分のチームで取り組む際には、第三者を招くことが多いです。
とはいえ、チームをよりよくしていくために、葛藤や対立だけを扱う必要はありません。たとえばチームに働きかけるとき、まず「どこを目指すか」の合意形成は重要です。「目指す姿」を明確にする作業は、意外にも多くのチームで省略されがちですから、対話を重ねてみるのもいいでしょう。
そのうえで目指す姿と現状のギャップを見立てるのも大切です。「何がその目標達成を止めているのか?」という問いを立てて話してみると、変化を阻む要因や向き合う壁が浮かび上がります。そこから対話を深めたり、解決に向けたアクションを検討したりするのも変化のきっかけになるはずです。
あとは「目指す姿が達成されたら何が起きるのか?」という問いを投げかけてみると非常に面白いです。たとえば「売上達成」といった表面的な目指す姿の奥には、深いモチベーションが眠っていたりする。そこが一致してくると、チームの力は非常に高まるはずです。
——そうした対話をする際、問いかけた相手から反応がない、声が出ない場合もあるかと思います。どう働きかければいいのでしょうか。
松村さん:第1のステップは反応がない状態を許容することです。「何とかしなければ」の前に今の状態自体を認識し、受け入れるのです。プロセスワークではあらゆる状態を歓迎します。「良い」「悪い」という判断を自分が手放す。そうすると力む必要もなくなってくると思います。
そのうえで「皆さん、声を出さない状態が続いていますが、それでいいと思います。ただ、何か背後にある思いがあれば、ここだけの話として共有してみませんか?」といった形で、場全体に投げかけると、誰かがボールを拾って話し始めることもあります。もちろん投げかけには一定の修練が必要なのですが。
加えて、問いかける側が自分自身の内面と向き合い、自己理解を深めるのも必要です。「話すのが怖い状態とはどういうものか」を体験的に理解し、寄り添えるかどうか。プロセスワークのトレーニングでも、自分がその立場だったら何を感じるのかを体験的に学ぶことを重視しています。
——自分自身が対話をしたいが勇気がでない、何も言えない状態のときも同様に状態自体を受け入れることが重要になるのでしょうか。
松村さん:1つは自分が安心して話せる場を増やすこと。言えない場で話さなくてもいいから、言える場を増やしていくアプローチです。
もう1つ考えてほしいのは「これは本当に自分の問題なのか?」という問いです。たとえば年功序列の強い組織では、若手が意見を言いづらくなりますよね。なのに、声を出せないことで「自分がダメなんだ」と思い込んでしまうケースも少なくありません。
先程の4つの視点も用いて、個人の問題ではなく、場や構造による見えない影響にも目を向けてみてほしいです。
葛藤や対立と向き合うために、まずは自分の椅子に座りきる
——先ほど自分自身の内面と向き合い、自己理解を深める必要性の話がありました。対立や葛藤と向き合うなかで過度に自分を責めてしまうこともあります。そうした感情とは、どう向き合えばいいのでしょうか。
松村さん:まず、プロセスワークでは「責めている側」の声を十分に聞き切るアプローチをとります。
たとえば「私があなたの立場に立つので、責めてみてください」と伝えることで、相手がもつ自分自身を責める気持ちを表現してもらうのです。責める気持ちを出し切って、外在化したうえで変わるべきところは受け入れる。
ただし、時には不必要な責めもあります。単なる自己否定に繋がるようであれば、むしろ、自分自身を否定し続ける声に別れを告げることが必要です。
——自分の感情を感じきる、やりきるのが重要なのですね。
松村さん:僕は「自分の椅子に座りきる」と表現することもあります。この感覚を持てていない人は意外に多いかもしれません。
たとえば「私は悪くない」と固くなっている人がいるとき。プロセスワークのアプローチでは「どう悪くないのか、ぜひ教えてください」と問いかけ、その「私は悪くない」思いを十分にサポートして、語ってもらうことがあります。
なぜなら多くの場合、周囲に遠慮してしまって「私は悪くない」という思いは語られず、聞かれていないからです。だから思いを表現しきると、「私は本当に悪くない」という気持ちが自分のなかで納得され、すっきりする。いわば成仏するのです。
受け取ってもらえると、次第に「相手が悪い」と思っていた感情が薄れ、「相手が悪いとも言いきれない」という気持ちに変化することもあります。
このように相手の立場を想像し始めるためには、まず自分の椅子にしっかり座る必要があります。自分自身を受け入れ、自分の思いを語り切ることで、初めて他者の椅子に座る準備が整うのです。
集団をより大きな目的に導くエルダーシップとは
——松村さんが翻訳に携わった『対立の炎にとどまる――自他のあらゆる側面と向き合い、未来を共に変えるエルダーシップ』では、集団の気づきを促す存在として「エルダーシップ」の重要性が語られていました。自分と他者の椅子に座り、集団をよりよい方向に導くうえで「エルダーシップ」についても教えてください。
松村さん:エルダーシップについては、一言で表すのが非常に難しく、答えもありません。僕なりの言葉でいうと、まずリーダーシップとエルダーシップは大きく異なります。
エルダーは自然やネイチャーに従う。起こっているもの、大事なものに従っていくイメージです。
ネイティブアメリカンの長老のような存在が近いと思います。長老は、個人や集団を従わせるのではなく、自然やスピリット──つまり、その場に現れている大きな目的や流れに従う役割を担います。
こうしたエルダーシップは、特定の役職や肩書きに限定されるものではなく、瞬間的に誰にでも宿る可能性があります。たとえば、対話の場で、最後に静かに発言した誰かの一言が場全体をまとめ、気づきをもたらし、参加者がジーンと感じ入る場面がある。その瞬間、その人がエルダーシップを体現しているのです。時には子どもがその役割を担うこともあります。
——必ずしも経験豊富な人や年配の人だけが担うものではないのですね。
松村さん:エルダーシップは「なろう」としてなるものでも、理想として目指すものでもないと思っています。どちらかというと、自分のなかのエルダーシップを育むイメージが近いですね。エルダーシップを説明する際によく用いる詩として、ジャラール・ウッディーン・ルーミーという13世紀の詩人が書いた「ゲストハウス」を紹介させてください。
ゲストハウス
人間であることは、ゲストハウスであること。
毎朝新しいお客が到着する。
喜び、憂鬱、意地悪な気持ち、
そのときどきの気づきが、思いがけないお客としてやってくる。
それらすべてを歓迎し、もてなしをしよう!
たとえそれが悲しみの集団で、荒々しく家中の家具を持ち去って
空っぽにしてしまったとしても、どのお客にも敬意を持って接しよう。
それは新たな喜びを迎え入れるために、
あなたを空っぽにしてくれているのかもしれない。
暗い気持ち、恥ずかしさ、悪意も、
玄関で笑いながら出迎えて招き入れよう。
訪れるものすべてに感謝しよう。
なぜなら、どれもがはるか彼方から、
あなたの人生のガイドとして送られてきたものなのだから。(ジャラール・ウッディーン・ルーミー著、「rinzaba lab」ホームページより引用)
———喜びや楽しみだけでなく、悲しみや憎しみ、意地悪な感情すらも受け入れる。まさに自分の椅子に座りきる話ともつながりますね。
松村さん:大学院時代の師匠が「大きな憎しみがなければ、マザー・テレサのようにはなれない」と言っていました。エルダーシップは自己の暗い側面とも向き合い、あらゆる立場を取りきった、やりきった末に現れるのかもしれません。
プロセスワークでは、怒りや憎しみを許すことだけが成長ではないと考えます。許しも素晴らしいですが、それだけではどこかで抑圧されてしてしまう可能性があります。全部が私で、全部が大事。全体性を大切にすることが、集団をより良い方向に導くエルダーシップを育む道なのだと思います。
大小さまざまな葛藤や対立に満ちた日々のなかには、喜びや楽しみだけでなく、悲しみや憎しみ、意地悪な感情もある。いずれも否定せず大切にしたほうがいい——。
そうわかっていても、パートナーや家族との対話の場で「感情的になる自分」を恐れて、理性的でいなければと思ってしまうこと。表面的には問題が解決しても、相手に言いたいことを言えず、しこりが残ってしまった経験。決して一度や二度ではありません。
けれど、葛藤や対立の先の可能性を信じたいのなら、あらゆる感情を、声を、やり切ること。その過程が他者と向き合う準備になるのだと、プロセスワークの知恵は教えてくれました。
家族のなかで拾われなかった声、職場で行き違った関係、そして集団や社会に潜む無意識の力。その一つひとつが、よりよい関係を築くためのヒントを秘めている。そう捉えると、目の前の日常はもちろん、社会に横たわる対立にもまた、小さな希望の光が差すように感じるのです。
関連情報:
バランスト・グロース・コンサルティング株式会社 ウェブサイト『対立の炎にとどまる――自他のあらゆる側面と向き合い、未来を共に変えるエルダーシップ』/著者: アーノルド・ミンデル 翻訳:松村憲、 西田徹
(撮影/高橋良平、編集、企画・進行/工藤瑞穂)