はじめまして。オナベの「幸(コウ)」です。
初対面の人には敢えてこういった自己紹介をしてきたという浜松幸さん。
どうせ相手から女?男?と見られるなら、自分から先に言ってやる。
そんな風に尖っていた時期があったそうです。
幼い頃より「女の子としての自分」に違和感があったという幸さん。中学・高校へと進学し、思春期を迎えるに連れて「体」と「心」が噛み合っていないことをはっきり意識していったといいます。
“性同一性障害”
広義でいうところのトランスジェンダーは、今でこそ認知が広がってきているものの、当時の幸さんにとっては得体の知れないもの。女性の体で、自身を男性であるかもしれないと認識。恋愛対象は女性。自分は異常なのか、カミングアウトすべきか。不安や葛藤も少なくなかったそうです。
いま現在の幸さんにお会いして感じた印象は、葛藤があったことなど感じさせない、太陽のような人というもの。初対面にもかかわらず、どんどん気さくに話しかけてくれて、ジョークやユーモアで場をパッと明るくしてしまう。いつもまわりに気をかけていく。幸せを届ける、まさに「幸」という名前にぴったりな方でした。
家族の理解、そして分かりあえる仲間との出会いを経て、いつしか「オナベの幸です」という自己紹介もしなくなったのだとか。
俺さ、最近彼女ができて!超ハッピーなんだよね!!
弾けるような笑顔からは「人生をめいいっぱい楽しんでやる!」そんな溢れんばかりのエネルギーを感じました。
幸さんは、現在、歌舞伎町にて自らBarを経営。同時にご縁・応援・貢献がテーマのインターネットラジオ「ゆめのたね」でパーソナリティを務めたり、NPO法人コモンビートが主催するミュージカルプロジェクトに参画したり、東北で復興支援のボランティアを行ったり。現在進行形で、より多くの人たちの力になれるよう、活動の幅を広げています。
これまでの人生で何を経験し、その明るい人格はどうカタチづくられてきたのか。どうしてまわりを元気づけるために活動するのか。幸さんのお話から、誰もが自分の持つ可能性を広げ、生き生きと暮らしていくために大切な事について考えてみたいと思います。
【プロフィール】浜松幸さん
1984年生まれ。東京都文京区出身。幼少期より女の子としての自分に違和感を抱え、高校時代に「女性の体で、自身を男性であると認識し、女性を好きになる」トランスジェンダーであることを認識。まわりへのカミングアウトを経て、男性として生きていくことを決意。その後、調理師学校を卒業し、飲食店や一般企業での勤務を経験。その他インターネットラジオ「ゆめのたね放送局」でのパーソナリティ、石巻での復興支援ボランティア、NPO法人コモンビートのミュージカルプログラムなどにも参加。多くの人を勇気づけ、元気にしていくためのライフワークを精力的に行っている。
やっぱり女の子が好き。
振り返れば、幼い頃から「女の子」としての自分に違和感があったという幸さん。記憶を遡った幼少期、そして小中学校のエピソードからインタビューはスタート。私と同年代ということでフランクにお話いただくことができました。
いま思えばちっちゃい頃から女の子っぽい遊びって全然したことなくてさ。スカートも嫌がったし、小学校のランドセルも赤が嫌だからマジックで黒く塗ろうとしたし。中学校にあがる時は「学ランじゃなきゃイヤだ!」って駄々こねて(笑)その時は単純に「もし生まれ変わったら男の子になるんだろうな」
ってくらいの感じ。どうにかできるなんて、その時は知らないから。
そして高校への進学。「女の子が好き」ということに気がつく出来事が起こったそうです。
中高生にとって「まわりと違う」ってかなり深刻な問題でしょ?だから高校に行くタイミングで「普通の女子高生になろう」って決めたの。友だちができなくなるから。で、「私のカレシがさ〜」っていうJKトーク、俺もやってたんだよ、昔は男と付き合って(笑)だけど何にも楽しくない!これはダメだなって。
そんな時、たまたま修学旅行で女子とちょっとイチャイチャして、いい感じになって。でも最初はうまく飲み込めないわけ。もしかしたら時間が経てば気が変わるかもって思ってたから10月くらいに「よし、もし年を越しても女の子が好きだったら認めよう」って自分の中で決めて。無事に年を越して…やっぱり女の子が好きだったんだよね(笑)
LGBTやトランスジェンダーといった言葉が現在のように一般的になる前。幸さんはインターネットで似た境遇の人たちと知り合いになっていったと言います。
ネットで「レズビアン 出会い」とか調べて、レズビアンの人たちが集まるオフ会にもよく行くようになったんだよね。俺自身、外見は、ボーイッシュな女の子で、当然セクシャルマイノリティに関する知識もなくて。
そんな中に「見た目は完全に男」っていうガチムチで髭を生やした人が来てて超ビビった(笑)今の俺と同じでいわゆる「オナベさん」だったんだけど、介護士の人でさ。高校生だから「いわゆるオナベでも一般的な仕事に就けるんだ」っていう驚きもあって。「俺がなりたいのってこれだ」って衝撃を受けたんだよね。
友だち、先生、そして家族へのカミングアウト。
自身のトランスジェンダーに気がつくと同時に、日常のコミュニティでも伝えるべきか、またどう伝えるか。人知れず葛藤していたといいます。
じつはネット経由で初めて「彼女」ができてさ。当時、俺が17歳、相手の女性が25歳で…俺ってやんちゃでしょ?(笑)
高校生って彼氏とか彼女とか自慢したくなるじゃん。超浮かれてたし。「あー学校の友だちに言いたい!」ってなったの。でも、すっごい悩んだ。ネットの友だちに言おうと思うって相談したら全員が猛反対するわけ。カミングアウトして親に勘当されたり、友だちが一人もいなくなったり、みんな痛い目を見ているから。
でもさ、17歳で友だちが全員いなくなってもやり直せるんじゃね?って思ったんだよね。そのくらい嬉しいことだった。
そして「友だちへのカミングアウト」を決意。その日のことは今も忘れられないそうです。
もうね、前日寝れないわけ。翌日からみんながシカトしてくるかもしれない、人生賭けたカミングアウト。で、授業が終わって友だちみんなに集まってもらってさ。こっちの覚悟なんてみんな知らないから「何?バイト行かなきゃだから早くしてよ!」っていう感じ(笑)
そんな中、意を決して「これを聞いてみんなが友だちをやめるならそれでもいい。実は彼女ができたんだよね…。」って言ったの。そうしたら「おー!よかったじゃん!じゃあバイト行くわ。」みたいな反応で。
そんな軽いノリでいいの!?って思ったんだけど、「女の子のことが好きでも、あんたはあんたのままでしょ?」って言われてすごくホッとしたし、嬉しかったんだよね。
そこから先生や家族にもカミングアウト。高校3年生の時にはまわりの理解によって男子生徒と同じ制服で学校生活をおくれることに。
先生にも「男の制服で通わせて」と言ったんだよね。担任の先生もすごい変な人で「良いよ」って(笑)「でも親にはちゃんと言ってね」ってなっちゃった。「…あ、そうきたか」と。
親父にもお袋にも「彼女ができた」って軽く言っていたけど、「娘じゃなくて、息子でした」って全然次元の違う話でさ。すごくビビったんだけど、親父は「別にいいんじゃないか」って言ってくれた。お袋は少し嫌がったけど、たぶん姉貴が裏で何か言ってくれたのかちゃんと理解してくれて。
ただ、親父からは「制服代は自分でなんとかするんだぞ」って言われたんだよね。自分の人生だから自分の責任で何でも好きにやれっていう親だったの。そこからは生活指導の先生、校長、教頭、教育委員会…色んな大人と話して「異装届」が受理された。自分のお金で制服を買いなおして丈つめて、届いた時の興奮は超覚えてる(笑)それが高3のはじめの頃で。
男子生徒と同じ制服で登校できたのは嬉しかったものの、良いことだけではなかったという部分も。「当事者と接点のない人たち」からの冷たい視線を浴びたという幸さん。無意識のプレッシャーもあったと言います。
当時、声がけっこう高かったのね、俺。だからすれ違いざまに「今のって女?男?」って言われるわけ。自分が言われるのは全然いいけど、友だちとかと一緒にいる時に言われるのがすごい嫌だったんだよね。
だから、カラオケでガーガー声を潰すとか、身振り手振りを男らしくするとか、ずっと考えてた。そもそも男友達が少なかったからさ、どうすればいいかわからなかったんだよね。ヘンなイキがり方をしたり…。
でも、まわりが普通に接してくれたのが一番ありがたかった。「そんなの浜松らしくないよ」って言ってくれたり。大人になってからも、俺が「生きてる価値がないんじゃないか」って自己否定のモードに入ってたら「何言ってるの?バカじゃん」って平気でディスってきたり(笑)「あんたが今さら何したって、何言ったって、みんな平気だよ」って言ってくれて本当にありがたかったんだよね。
幸さんは、当時の自分を振り返りつつ、「悩んでいる人」が社会に受け入れられていくために大切だと思うことも話してくれました。
たぶん、人間にとって一番怖いものって孤独だと思う。だから人の目を気にしてしまうわけで。最初はさ、だれに言っていいか全然わかんなかったし、相談したらどうなるかわからないからすごく怖かったんだよ。相談していることさえバレたくなかった。でも一番最初に成功したから良かったけど。
そういう意味でも「こういうことに悩んでいるんだ」ってやっぱり安心して相談できる場が必要なのかもしれない。俺にとってそれはネットだったんだなって。いわゆるマイノリティの当事者であろうがなかろうが、誰かと寄り添える「場」や「人」は絶対に必要だって思うな。
「マイノリティが集まる居心地の良い場所」を離れる覚悟
高校卒業までカミングアウトにも成功し、周りから受け入れられてきた幸さん。しかし、調理師学校では一転、辛い体験もあったと言います。
手に職つけたくて、1年間、調理師学校に通ったことがあるんだけど、「どうせ1年だし」と思ってさ。最初から周りにカミングアウトしたんだよね。高校でうまくいったし。そうしたら見事に次の日から誰も声をかけてくれなくなった(笑)これが意外と精神的にキツかったんだよね。
なぜ周りは話をしてくれなくなったか。そんな疑問への答えも幸さんらしいものでした。
…もしかしたら「私が恋愛対象にされたらどうしよう」って不安もあるんじゃない?でもさ、それって男女間でも全く同じじゃん。おい!こっちにだって選ぶ権利はあるぞ!って(笑)要はさ、みんな知らないものが怖いんだよ。どうしていいか分からないんじゃない?
こういった経験をしながらも、ストレートな人たちが中心となるコミュニティや社会にどんどん飛び込んでいったという幸さん。何がそうさせたのか?伺ってみました。
いわゆるゲイタウンと言われる新宿二丁目でも、よく飲んでたんだよ。すごい楽しかったし、居心地も最高に良くてさ。でも逆に「ここに居ちゃだめだ」って思ったんだよね。
「男になるって決めたんだから、マイノリティを自ら選んじゃだめだ」って。だから仕事にしてもボランティアにしても「普通の人たち」の中に飛び込んでいって。乗り越えてこられたから今があるのかもしれない。
だから、マイノリティの当事者や関係者が集まる場もそうだけど、できるだけ多くの人に出会える場に出向くようにしているんだよね。全く興味がなかった人にもたくさん話したいなぁって思うの。別け隔てなく普通に接してくれる友だちを、俺は俺の理解者だって思うから。
そこに「LGBT」みたいに線を引いてしまうことは、逆に遠ざけている気がする。そういう意味でいえば、本当に「LGBT」っていう言葉がなくなればいいなって思ってるかな。
「美幸」から「幸」への改名。新しい人生を前向きに歩むために。
その後、飲食店など働きながら生計を立ててきた幸さん。2009年、24歳の時には「美幸」から「幸」へと正式に改名。そこには特別な思いがあったと言います。
昔から名前は変えたかったんだよね。でも、名前ってさ、人生で一番最初に親からのもらうプレゼントでしょ。全く違う名前にしたらいつか後悔するんじゃないかって思ったの。だからもともとの「美幸」から美をとって「幸」にした。
「名前」を正式に変える、そのこだわりについて幸さんはこんな風にも語ってくれました。
ホルモン治療とかよりも前にまず名前だなって。呼ばれる名前と本名が違うとさ、「自分で自分に嘘ついている」っていう感覚になる。まわりは認めてくれてるけど、もっと自分で自分を認めるために何が必要なんだろう?と。通称を本名に変えて覚悟の段階を上げようという感じ。
自分にとって名前って「みんなに愛されている」という証で。「幸」っていう名前、いいじゃん。幸せ一文字で「幸」って。みんなが呼んでくれるたびに俺はどんどん「幸」という人になっていける。命そのものというか。「いまの俺があるのはみんなのおかげ」って思えるんだよね。
改名した日、当時流行ってたミクシーで「改名終わったー」って書き込んだら電話は鳴りやまないし、コメントはずっと続くし、泣きながら喜んでくれる仲間がたくさんいて。だから、改名した2月19日は生まれなおした日。「リバースデー」って呼んでて「みんなが命を与えてくれた日」だから一生忘れない。みんなが祝ってくれたことをしっかり覚えてるし、生きててよかったなって。
その日を境に、性同一性障害って神様がくれたギフトだなって。俺の人生って超最高だってどんどん思えるようになったんだよね。
「変わりたい」って思った瞬間に、もう人は変わり始めている。
現在、自身でBarを経営しながらも、さまざまなプロジェクトやボランティアなどにも参加している幸さん。特にNPO法人コモンビートが主催するミュージカルプログラムには強い思い入れがあるそうです。
毎回、いろいろなバックグラウンドを持った人が100人規模で集まって、ミュージカルを作るんだけどさ。多様性を理解しようっていうプログラムで。舞台に立ったことないおじさんとかもいて踊れないわけ。それはそれで全然いいの。できない人のためにみんなで頑張るとか超いいじゃん!?青春みたいで。舞台本番もそれぞれ出演者の知り合いが見にきてくれるから「みんなが主役」になれるわけ。それって最高だよなぁって思うんだよね、毎回。
こういった活動・ボランティアに取り組む理由を、幸さんはこう語ってくれました。
マイノリティであろうとなんだろうと、誰でも必ず誰かの光になれるっていうことを示したいんだよね。LGBTっていう括りではあまり考えてなくて、マイノリティ全般…というか誰しも自分の中にそれぞれマイノリティ性みたいなのがあるじゃん。それだって「ギフト」になる瞬間があるって思ってるの。
みんなが当事者だし、悩んでいる時ってそれなりにキツいんだよ。俺も今では、いろいろネタにしているけど(笑)でも、自分が弱さを持ってた方が人に寄り添える。生きてるだけで語れることってみんなそれぞれあるんじゃないかな。「誰だって全然いろんなことできるから」って思うの。自分が出した言葉によって励まされる人だっているよ。そういう意味で、みんながもっとオープンになれるようなことをやりたい。
俺の周りにもマイノリティの当事者にかかわらず、「自分には価値がない」という風に思ってほしくないんだよね。自分を好きになれないってすごくもったいない。自分に自信を持てるやつが増えたらたぶんもっと楽しい世の中になるから。
「自分に自信を持つ」ために大切なこととして、幸さんは「自分なりに正しく葛藤してみること」を話してくれた。
例えば、誰でも幼少期に1回くらいは「性別変えたいな~」みたいな葛藤ってけっこうな人があるじゃないかなって思ってて。そのちょっとしたレベルでまわりが決めつけるのは少し違うのかもって。たぶん俺も何回も壁にぶつかったからこそ、今の超楽しい日々があると思えるんだよね。
「幸さんって楽しそうだよね」って言われるたびに「どや!」って思える。誰に対しても「お前よりも人生楽しんでるぜ」って胸張って言えるもん(笑)
別に性同一性障害だろうがなんだろうか、性のことでも、恋愛でも、みんな正しく葛藤すべきだし、悩んでいいんだと思う。で、もう「変わりたい」って思いはじめた瞬間に人ってもう変わりはじめてるんだよね、きっと。
まあもう大人なってきて、今このタイミングで何かきつめの壁に何度もぶつかっていきたいとは思わないけどね(笑)
まだまだ多い社会的な壁。その先に「幸せ」を見つけていくために。
インタビューの最後には、セクシャルマイノリティにとって制度的な「壁」になっている部分、問題に感じるところについてもお話いただきました。
戸籍を変えるかどうか、ここは結構悩んだ時期があったかな。女から男に戸籍を変える場合は、女として認められるものは残っててはいけないとかルールがあって。子宮を取らないと性転換にならないから、戸籍も変えられない。それやるのに一年以上の歳月や、100万円以上かかるんだけど、それなら彼女と旅行に行きたいわっていう感じかな。
ただ、いまの彼女に何でも話せて、別に戸籍がうんぬんとか、入籍はしなくてもいいって言ってくれるタイプの子だから、そう思えるだけで。昔は、結婚も子供もできないから俺と付き合ってくれた女の子の人生を俺が奪っているんじゃないか?って悩んだこともあったし。
だから結婚だったり、子供のことだったりはすごく考えちゃうんだよね。もちろん渋谷で「同性パートナーシップ証明書」ができたりとかあるし、これからの社会がどうなるか。見ながらの判断になるのかな。
性転換へのこだわりがなくなった理由について、「性別」への捉え方の変化もあったそうです。
ホルモン注射を打ててないと、生理が来てしまうとかはあってさ。その時は「あぁ俺って女の子なんだな」って思い知らされる時もあるよ。でもまあそれはしょうがないよなって。もう慣れてきた。昔は「男はこうであるべき」みたいな自分で自分に課すルールみたいものがあったけど、だんだん丸くなったというか(笑)
いろいろな経験を経て、今の幸さんは人の目を気にすることなく、自分らしさを大事に生きています。
昔はめっちゃツンケンしてたわけよ。「俺はオナベだ!こういう生き方もあるんだよ!理解しやがれ」みたいな。自分に自信がなかったっていうのもたぶんあるね。周りの目が怖かった。それがだんだんいろんな人に出会って、丁寧に棘をとってもらって。だから、いつからか「オナベの幸です」っていう自己紹介もしなくなって。自分が思っているよりみんなずっと俺のことをわかってくれてた。だからもう肩肘張らなくていいんだなって。
幸さんの話を伺って、私自身「社会的マイノリティ」や「LGBT」といったある種の線引きにとらわれていたのではないか、ということに気づきました。
同じように悩み、葛藤している人として、分け隔てなく接していく。そこには線引きや括りなどはいらないのかもしれません。そして、大きなことでなくても、目の前の誰かを勇気づけることからスタートしていけばいい。
そういった輪を少しずつ広げたいと語ってくれた幸さん。彼の挑戦が楽しみであると同時に、応援していきたいと思います。
浜松幸さんfacebook
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(執筆/写真・白石勝也、工藤瑞穂、協力・星野桃代、大島茉子)