自分が辛いときや大変なとき、他の人を思いやることができる人がどれだけいるでしょうか――
寝たきりになるほどアトピーの症状が悪化することもあり、完全に治る見通しも立っていない。そんな状況でも、自分と同じようにアトピーに苦しむ人たちを助けたいという思いを持って、行動し続けている女性がいます。
それが、今回お会いした「untickle(アンティクル)」代表の野村千代さん。野村さんが運営するアトピーの情報共有サイトuntickleでは、アトピーに悩む多くの人が対処法などの情報を日々交換し合っています。
アトピーの症状が悪化すると、痛みや痒みで何ヶ月も起き上がることができなくなってしまうこともあります。でも、大変だからこそ、同じようにアトピーで苦しんでいる人たちに「一緒に頑張ろう」って伝えたいんです。
その思いを胸に、untickleだけでなく、アトピーに優しい商品や店を紹介するサービス「untickle select」「untickle store」を開始するなど、着実にサービスの幅を広げています。
自分が辛いときでも、他の人を思いやる優しさ、そして当事者の視点から今まで社会になかったサービスを0から作り上げていく力強さを持った野村さん。
どんな思いでuntickleを立ち上げたのか、そして野村さんの優しさと強さの秘訣を知りたくて、詳しくお話を伺ってきました。
4度の寝たきり生活を経て、アトピーに向き合う決心を
取材をする前、私は少し緊張していました。0からアトピー専門のSNSを立ち上げた女性起業家。野村さんの肩書から、情熱的なキャリアウーマンを想像していたのです。しかし、お会いすると、野村さんは強い信念を持って事業を進めながらも、周りにいる人をあたたかくしてくれる自然でやわらかい笑顔の持ち主でした。
野村さんは、幼少期のころからアトピーの症状があったといいます。
母が言うには、私が生まれたときから皮膚が赤っぽく、かさかさとしていたそうです。小中学校のときから、スカートをはいたり、半そでを着たりするときに、ひざの裏や腕のアトピーが見えてしまうのが少しいやだな…という気持ちがいつもありました。
悩みはあったものの、大学に入るまでは大好きなテニスに打ち込み、アトピーに良いとされる食生活などをサポートしてくれていた両親のおかげもあって、症状がそこまで深刻化することはなかったそうです。
しかし、大学生になると生活リズムの崩れなどが原因で急速に症状が悪化。大学3年生のときに、痛みや痒みが24時間おさまらず、寝たきりで動けない状況になってしまったのです。そして、1年間の休学を余儀なくされることに。
寝込んでいるときは、トイレにいくのも辛くて。アトピーの症状で皮膚がぼろぼろになっているので、手や首を少し動かすだけでその部分に激痛がはしるんですよ。お腹にも症状が出ているので、座っているのも辛いほど。1日中ベットから動けず、文字通り「寝たきり」になってしまいました。
その後、地道に生活リズムや食生活を整えるなどの療養を続け、無事大学は卒業することができました。ただ、就職後も忙しさによるストレスでたびたび症状が悪化。繰り返し体調が悪くなることで会社を休職せざるを得ない状況に追い込まれ、精神的にも辛い時期が続きました。
働きはじめてから4回目の長期休養に入ったとき、野村さんの気持ちに変化が起こります。
実は、寝たきりになるほど症状が悪化するたびに、毎回「寝たきりになるのは、これが最後だ!」と思っていたんです。「もう私は倒れることはないから大丈夫」って思いこみたかったのかもしれません。
でも4回目に倒れて長期休養に入った時に「あ、もう私はアトピーから逃げることはできないんだ」と悟ったんですね。そのとき、はじめてアトピーというものにしっかりと向き合おうと決めたんです。
必要な情報が手に入らない状況を変えたい
本格的にアトピーの対処法を勉強し始めた野村さんの前に、ある困難が立ちはだかります。インターネット上には情報があふれており、求めている情報までたどり着くことがとても難しかったのです。
例えば、私はアトピーの症状で頭皮が赤く膿んでしまうことが多いので、自分の皮膚にあうシャンプーを探していたんです。でも、インターネット上には情報が多すぎて、どれが自分に合うのか全く分からなくて。
「アトピーに優しい」と宣伝されている商品はたくさんあるものの、結局使ってみても沁みたり、痒みが出たり、全く合わないことが多かったんです。使ってはダメ、使ってはダメ、というのを何回か繰り返したところで、なんかおかしいなって思ったんですよね。
情報を探せば探すほど、野村さんは探しにくさに疑問を抱くようになったと言います。普通だったら、ここで「もう無理だ…」「自分にはどうしようもできない」と諦めてしまう人が多いはず。でも野村さんは違いました。
「私だけじゃなくて、きっと他の人も困っているはず」
「情報が探しにくいなら、なんとかして探しやすいように変えていきたい」
野村さんの他の人への思いやり、そして現状を少しでも変えたいという強い思いが、一人ひとりにあったアトピーの情報を届けるuntickleを立ち上げるきっかけになったのです。
問題意識を持っても実際にそれを解決するサービスを立ち上げるという選択ができる人はなかなかいないはず。野村さんは、どうしてuntickleを立ち上げることに決めたのでしょうか。
私が大学生のとき、兄が起業したんです。当時はメンバーとひとつ屋根の下で24時間仕事しているような、まさに創業期のまっただなか。熱気をそばで感じながら、今世の中にないものを生み出していく姿にわくわくがとまりませんでした。
また、ちょうどその時期に他の親戚の方々も起業。何もないところから新しいものを生み出していく身近な人たちの姿に刺激を受け、いつしか野村さん自身もいつかは起業したいという思いを自然と持つようになっていたそうです。
就職活動のときも、漠然と将来起業したいなと考えつつ、小さなベンチャー企業に就職しました。兄や父も「大企業なんてつまらないところにはいくな」としょっちゅう私に言っていたので(笑)
マニュアルはないし、誰も丁寧に仕事を教えてくれないし…と大変ではありましたが、自分で考えながら働く基礎を学んだ気がします。その後、韓国のECプラットフォームが日本に進出しようとしているタイミングで転職し、ローカライズ等を担当しました。サイト運営やマーケティングなどを学んだことが、現在のuntickleの運営に生きてきていると思います。
一人ひとりにあったアトピーの情報を届けたい
前職での経験を生かして立ち上げられたuntickle。野村さん自身の悩みでもあった「自分にあった情報が見つからない」という悩みを解決するために、当事者の方一人ひとり自分の症状にあわせて、対処法を探せることを大切にしています。
untickleでは、自分の症状に似た人の投稿をすぐに見ることができる仕組みを整えています。まずは、アトピーの症状が、かさかさなのか、真っ赤なのか、ぐじゅぐじゅなのか、というように自分の症状のレベルを確認します。あとは部位。顔に症状があるのか、それとも手なのか。
症状のレベルや部位等を入力すれば、すぐにそれに合った情報に到達できるように情報を整理しています。
ほかにも「入浴」「寝ているとき」などの具体的な生活シーンに合わせて、困りごとを解決する方法を検索することもできます。
例えば、頭皮が膿んでしまっており、自分に合うシャンプーを探していたとします。その場合、部位は「頭」、症状は「ぐじゅぐじゅ」、生活シーンは「入浴」というようにカテゴリを組み合わせて検索すれば、自分がほしい情報をすぐに見ることができるという具合です。
また、当事者の方に話を伺うと、部位や症状の程度のほかにも、「年齢に応じた対処法が知りたい」「自分が住んでいる地域の情報が知りたい」等、様々な観点からの情報を求めていることに気づいたそう。現在もそれぞれの方が情報を探しやすいように、サービスを日々改良していると言います。
アトピーのムズムズをワクワクに
野村さんが目指しているのは、「アトピーのムズムズをワクワクに」変えることだと言います。
アトピーによる困り感を、一人ひとりにあわせて情報を伝えることで解消し、生活をワクワクするものにしていってほしいという願いを込めて情報を伝え続けていたuntickle。次第にアトピーに悩む方から反響をもらうようになっていきました。
アトピーによるかゆみで肌を掻きすぎてしまい、皮膚が傷ついてしまうことに悩まれている方がいらっしゃって。あるとき、untickleで「ジェルネイルがおすすめ!」という投稿を見つけたそうなんです。爪にジェルネイルをすると表面に膜ができるので、皮膚を掻いたときに爪の当たり方を和らげることができるそうなんですね。
投稿を見た方はすぐにネイル屋さんに相談して、実践。すると、いつもは爪で掻いて皮膚が削れてしまうのですが、ジェルネイルを厚めに塗ることで、衝撃が圧倒的に和らいだそうなんです。後日、「すごいよかった!」と感想をくれたことがありました。
また、野村さん自身もuntickleに投稿された情報に助けられたひとりです。
アトピーって1日に何度か大きな痒みの波がくるんですね。今までの私は何も抵抗せずに掻きたいだけ掻いてしまっていて。すると、皮膚が傷ついてしまい痛みにつながるという悪循環になるんです。でもuntickleに痛みを抑えるためのヒントになる投稿があり、それを参考にしたら痒みがいつもより和らいだんですね。痒みにずっと悩まされてきた私にとって本当に衝撃でした。
私がやらないと何も変わらないという使命感が心の支えに
untickleは、これまで多くのアトピーに悩む人を支えてきました。しかし、野村さんが当事者として事業を続けていくなかでは、もちろん大変なこともあったのだといいます。
始めてみて痛切に感じるのは、アトピーを抱えながらuntickleの運営をするのが思った以上に大変だということです。
起業自体も大変なことであるのに、不安定な体調で続けていくことの大変さは想像に難くありません。
また、どうしても私の性格上、何かに集中しちゃうと手を抜けないので、untickleをやっているとそのことしか考えられなくなってしまって。アトピーに対する日々のケアがおろそかになってしまい、体調を崩すことも多くなりました。
会社員時代と同様、untickleの運営に打ち込みすぎて倒れてしまったことが何度かあったという野村さん。サービスが事実上停止に追い込まれることもありました。法人になってから既に3年が経過していますが、 今年もサービスの更新を一時停止していたため実質活動ができていたのは半分くらいだったそう。
寝込んでしまうたびに悔しさがつのり、精神的にも疲れてしまったと言います。途中でuntickleの運営を投げ出してしまいたくなることも…
なんで自分だけこんなめにあわなくてはいけないんだと思いましたし、悔しい気持ちでいっぱいでした。やりたいことがたくさんあればあるほど、それに追いつかない自分の体が憎い。しんどいときは、もう何度もやめよう、なげだそう、って思いました。
しかし、そのたびに「もう少し頑張ろう」と野村さんを奮い立たせてくれたもの。それは「私がやらないと何も変わらない」という使命感でした。
「今やめたら私は何も変えられない」という思いが私をひきとめるんです。ここでやめてしまったら、私のアトピーが治ることもないし、世の中のアトピーの人がたちが救われることもないから。
この思いが辛いときに最後の最後で踏ん張るためのバネになってくれている。野村さんはそう話します。
もう少し私がやらないと、せめて私のあとを継いでくれるような人がでてきてくれるまで頑張らないと。その意思が、いつもしんどいところで私を引き上げてくれています。
「掻いちゃダメ」ではなく、掻かなくてもいい方法を一緒に探してほしい
他にも、野村さんが苦しい時に助けとなってくれた存在があります。それが「家族」でした。野村さんが幼い頃から、お父様やお母様はアトピーについて調べ、おふたりにできることをしてくれていたそうです。
食材もなるべくアトピーによいものを使おうとしてくれていましたし、野菜を多めにした食事を用意してくれるなど、色々と気遣ってくれていたと思います。
野村さんが長期にわたって寝込んでいるときも、お母様がマッサージをしながらそばに寄り添い、辛い気持ちを受け止めてくれました。
本当に痛みがつよいときは、自分の気持ちをコントロールできなくなってしまうことも多くて…イライラした気持ちがそのまま口から出てしまうこともあるんです。そんなとき、私のそばには母がいてくれて。どんなことを言っても、それを受け止めてくれる人がいることで、救われていました。だからこそ、辛いときも乗り越えられたのだと思います。
野村さんはたくさんのアトピーの方に寄り添ってきましたが、治りやすい方はこのように家族からの協力や理解があることが多いと言います。
同じ療法をしていても、家族の理解があり、サポートもしてくれている方は治るのがはやいんですよ。反対に、家族の理解も得られず、サポートもない環境で生活していると、精神的にストレスがかかっているからなのか、治りが遅いことが多いんですよね。それは、多くのアトピーの方を見てきて、ひしひしと感じていることです。
また、野村さんはアトピーのお子さんがいるお父さんやお母さんに伝えたいことがあるそうです。それは、子どもに「禁止」をするのではなく「協力」をしてほしい、ということ。アトピーのお子さんがいる家庭では、お子さんに対して「掻いちゃダメ」「体に悪いから食べちゃダメ」と、いくつもの「禁止」のルールを作ってしまいがちです。
掻いちゃいけないのも、食べちゃいけないのも、子どもたちはしっかり分かってるんです。それでも、痒くてたまらなくて、食べたくてたまらなくて…自分自身を止められなくなってしまう葛藤といつも戦っている。
だからこそ「掻かないためにはどうしたらよいのか」「どんなものなら食べてよいのか」という対処法を一緒に探していってほしいです。
お子さんが痒そうに掻いていると、親としてはどうしても、咄嗟に「掻かないの!」と言って手を押さえて、とめてしまうことも。でも、子どもにとっては、それが大きなストレスになってしまうのです。「掻いちゃダメ!」と注意するよりは、一緒に協力して対策をとってあげるほうがストレスがなく過ごすことができるのかもしれません。
体に良くないからチョコはダメ、ケーキはダメ、と「禁止」するのではなく、代わりにチョコに代わるくらいおいしい自然食品のお菓子を一緒に探してみる。具体的にどうしたらよいのかを一緒に探しながら寄り添ってくれると、とても嬉しいと思います。
家族だけではなく、職場の同僚や友人もアトピーの方が過ごしやすい環境を整えるための大きなカギを握っていると言います。
可哀想という目で見られたり、ネタにされたりするよりは、普通の人と変わりなく接してもらえるほうが嬉しいです。あとは、社会ではアトピーの辛さに対しての理解がまだまだ広がっていないので、少しずつ知ってもらえたらいいなと思います。「アトピーが辛いから会社をお休みしたいです」と言っても「痒いだけでしょ?そんな理由では休めないよ」と言われてしまうのが今の社会の現状。
でも、アトピーは重症化すると、本当にベットから一歩も動けなくなってしまうこともあります。現在、うつ病に対しては理解が広まりつつありますが、同じようにアトピーに優しい企業や制度が生まれていってくれたらと思います。
情報を届けることで、選択の幅を広げたい
自分自身のアトピーの症状と向き合いながら、untickle通してアトピーの方たちに前を向く力を届けてきた野村さんは、これからもアトピーの方の辛さを和らげると同時に、選択の幅を広げる後押しをしていきます。
たとえばアトピーの治療法には、ステロイドや漢方を使ったり、運動を生かして体の治癒能力を高めたりと本当に色々な選択肢があります。
私はステロイドを使っていませんが、必ずしも全ての人にとって私と同じ選択が正しいとは限りません。それぞれの人が持っている価値観や生活の状況に応じて、よりよい選択も変わってくるはずだからです。だからこそ、自分にあった選択ができるように、様々な情報を中立の立場から届けたいと思っています。
情報を伝えるときには「良い」「悪い」を決めようとするのではなく、価値観や生活の状況から「その人にあっているか」「あっていないか」を判断するための手がかりを伝える。これがuntickleのブレない軸でもあります。
私はステロイドを使わなかったことで寝込んでしまい、半年という長い療養期間を必要としました。でも、寝込みたくても経済的な理由で時間がとれない人もたくさんいると思うんです。その場合は、ステロイドを使って症状を抑えていく必要がでてくるのかもしれません。
だからこそ「この方法は絶対にダメ!」と伝えるのではなく、あくまでも価値観や生活の状況を考慮したうえで、対処法を自己選択するための情報を届けていけたらと思っています。
一緒に戦っている仲間がいることが自信につながる
アトピーの症状がありながらも、一歩一歩前を向いて進み、多くの方に希望を届けている野村さんですが、今まではアトピーによる外見などに悩んだりすることが多かったと言います。
昔から外見に対するコンプレックスがありました。アトピーに見られること自体が嫌だったんです。だから顔に症状がでると無理やり化粧を濃くして隠すようなこともしていましたし、いかにアトピーっぽくみられないかに気を使っていました。
見た目へのコンプレックスがあると、周囲のアトピーではない人を見ると、なんか輝いて見えるんですよね。「ああ、うらやましいな」って思うことが何度もありました。
その気持ちはuntickleを始めてから変わったのでしょうか――
質問すると、野村さんは少し考えたあとに、丁寧に言葉を選びながらこう話してくれました。
今でも、自分に対するコンプレックスが全くないといったら嘘になるかもしれません。「自信を持つためにはこうしたらいいよ」という答えはまだ私も探している最中だから。
でも、untickleを始めてからは、アトピーに見られることを認められるようになっているような気がするんです。それは、untickleを始めたことで「辛いのは私だけじゃない」という気持ちが強くなったから。多くの方が書いてくださった投稿を見るたびに「一緒に戦ってくれている仲間がいる」という安心感が生まれ、少しずつ自分への自信につながっているんです。
ゆっくりと、そして力強く言葉を続けます。
だからこそ「一緒に頑張ろう」とアトピーに苦しんでいる人に伝えたい。私もまだまだ大変なことがたくさんある。でも仲間がいると思えてから心が軽くなりました。だから、「一緒に頑張っていこう」。そう伝えられたらと思います。
ひとりで頑張り続けるのは、とても辛くて大変なこと。untickleというサービスは、孤独になりがちな当事者の方をつなげ、それぞれが前を向いて進んでいくための大切な場所になっているのだと改めて感じました。
他の人の投稿に助けられるだけでなく、自分の投稿が苦しんでいる誰かの力になっているかもしれない。そう思うと、辛くても頑張ろうという気持ちが湧いてくる気がします。
他の人を思いやることが、自分の力にもつながる――そんな思いやりの循環が社会全体にも広がることを願いながら、untickleの挑戦を応援していけたらと思います。
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(写真/馬場加奈子)