【写真】笑顔で座っているつちやみつこさん

今の自分は、いったい何によってつくられたのでしょうか。

友達とのコミュニケーションや家族との関わり合い、恋愛や仕事の経験。きっと自分の価値観だけではなく、人との関わりやこれまでの経験が積み重なって、今の自分はできています。

もしかしたら自分のチャームポイントやコンプレックスだと感じていることも、周囲との関わりによって見出されたものかもしれません。

思い返してみると私にも、昔誰かに言われたネガティブな指摘が、まるで私に対する社会の総意のように感じられたことがあります。いつしか自分自身でもそれを欠点だと認識して、隠すための努力がくせになってしまったことも。価値観なんて人それぞれなのに、一度思い込んでしまった常識を覆すのは、そう簡単なことではありません。

もっと自分の価値観を信じ切ることができたら、どんなに素敵だろう。

そう考えていたときに出会ったのが、土屋光子さんです。土屋さんは、髪の毛に対するコンプレックスがありながらも、それさえ強みに変えて自分の道を生きています。

「抜毛症」という症状を聞いたことはあるでしょうか。生まれつき髪の毛がなかったり、自然に抜けてしまう「脱毛症」とは違い、抜毛症は「自分で自分の髪や体毛を抜いてしまうこと」をいいます。土屋さんは、幼いころから抜毛症と共に生きてきました。

素頭でもウイッグでも、何でもいいじゃない!とにかくハッピーなのが一番!

土屋さんはそう言って、無邪気な笑顔を見せます。しかし土屋さんも、はじめから抜毛症のある自分を受け入れていたわけではなかったそう。どのように悩みを乗り越え、今のポジティブな自分にたどり着いたのか、お話を伺いました。

自ら髪を剃り、「治そうとしない」ことを選んだ

2児の母である土屋さんは、毎朝保育園にお子さんを送りにいきます。坊主頭の兄弟を見送ると、ときどき、居合わせたママ友たちに驚いた顔をされることがあります。それは土屋さんのヘアスタイルが、とても頻繁に変わっているからです。

あるときは茶髪のショートヘア、またあるときは黒髪ロング。ときには、金髪の日も。

実はこれらはすべてウィッグ。土屋さんは、スキンヘッドで生きることを選び、自ら髪を剃っているのです。現在は、育児のかたわら、髪の無い「ボールドヘアパフォーマー」としても活躍しています。

【写真】ショートのウィッグをつけているつちやみつこさん

髪は剃ってるんですけど、私の素頭はスペシャルだから、そう簡単には見せないぞ!という気持ちで、普段はウィッグをつけているんです。髪が無いことはカミングアウトしているけど、どれかに固執する必要もないよねって。

取材中、ゆっくりとウィッグをはずしてくださった土屋さん。

土屋さん自身が、髪のない頭を「私だけの特別なチャームポイント」にしているからでしょうか。キラキラした黒い瞳が協調され、強いまなざしと凛とした佇まいに、「あ、美しい……」と思わず息をのんでしまいました。

【写真】ウィッグを外して笑顔のつちやみつこさん

問題を抱えているとき、原因を見つけて、「治さなきゃ!」と頑張ってしまいますよね。でも実は「治さない」っていう選択肢もあるはず。私は、治さずに受け入れた人のロールモデルとして、悩んでいる人たちに寄り添うように、選択肢をもう一つ示したいんです。

自分で髪を抜いてしまう癖。始まりは小学校低学年

自分で自分の髪を抜いてしまう「抜毛症」は、ストレスが原因と言われることが多く、病気とも癖とも言うことができます。病院へ行っても精神療法にもとづいた治療法しか提案されないのが実状です。

土屋さんが髪を剃っているのも、生えていると、気になって抜きたくなってしまうから。抜毛症について、土屋さんはこのように説明します。

ニキビと一緒です。つぶしたらダメだと分かっているのに、衝動が抑えられずつぶしてしまう。そして、つぶしたあとに後悔する。毎日これの繰り返しです。ネットで検索すると、抜毛症は自傷行為の一つと書かれていることもあります。

【写真】インタビューに答えるつちやみつこさんとライターのにしぶまりえさん

土屋さんが自分の髪の毛を抜くようになったのは、小学校低学年の頃。7歳年上のお姉さんが、枝毛を探して抜いているのを真似て、おそるおそる抜いてみました。すると、プチっという「痛気持ちいい」感覚にハマってしまい、テレビを見ながら、寝る前に横になりながら、日常的に髪をいじっては抜くようになっていたといいます。

幼いころから父と母が不仲で、小学校高学年で離婚をするまで、ずっと家の中はギスギスしていました。私が子どもの頃は、離婚が今ほど一般的ではなかったためか、周囲には、家庭環境のストレスで髪を抜いていると思われていたみたいで。私の中では「みんな分かってない。別に親のせいじゃない」と、周囲が抜毛癖の理由を見つけたがることへの葛藤がありました。

ある日、ふと気付くと手元に何十本もの髪が山盛りになっていることがありました。ボーっとしながら、長時間髪を抜き続けてしまっていたのです。幼いながらに「良くないことをしている」という自覚があった土屋さんは、家族にバレないように、両手に乗るほどの髪をティッシュに丸めて、隠すように捨てるのでした。

しばらくして、お母さんが家を出ていき、お父さん、お姉さんの3人で暮らすことに。

家庭環境を理由に、遊んでいた友達のお母さんに「光子ちゃんと遊ぶようになってから、うちの子は悪いことをすることになった」と言われることもあって、私はどんどん卑屈になっていったんです。女の子グループに入っていくのをやめ、親友と呼べる子にしか心を開かなかったですね。その頃は、髪を抜いていることも、特段大きなことだと思っていなくて。自分自身が見て見ぬふりをしていました。

【写真】質問に丁寧に応えてくれるつちやみつこさん

あらゆる方法で頭髪を隠し続けた思春期

中学に入る頃には、頭のてっぺんの髪の毛が薄くなっていました。それまでは、「分け目を変えてみる」という方法で間に合っていたものの、薄い面積が大きくなるにつれ、髪がある部分から無い部分へ流すというヘアスタイルでごまかすように。当時流行っていた「襟足ウィッグ」で隠してみたりへアピンを駆使したりと、中学生に出来る範囲のことは何でも試しました。

もちろん、抜毛をやめる工夫もしました。手袋をして寝たり、テレビを見るときには、手が留守にならないよう何かを持ってみたり。それでも、それらの対策も効果がなかったといいます。

父は普段から、私の癖について何も言ってこなかったのですが、突然、育毛剤を買ってきたことがあって。これ見よがしな場所に置いてあるんです。娘の頭髪がどんどん薄くなっていくことを、父なりに心配していたのでしょう。でもその当時は、その気遣いすらうっとおしくて、「おじさんの薄毛と一緒にしないでくれ」と不快感を露わにしていましたね。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるつちやみつこさん

中学3年生のとき、土屋さんに初めての恋人ができます。一緒に帰ったり、手をつないだり、中学生らしい恋愛を楽しんでいたものの、髪へのコンプレックスは、ときに純粋な恋心の邪魔をしてきました。

クラスの女子たちが「彼に頭ポンポンされて、ときめいた」という話をしているのですが、これが全く共感できないんです。私の場合、お願いだから頭は触らないでくれと(笑)。それから、好きな男の子が「髪切った?」と変化に気付いてくれると普通は嬉しいですよね。でも、私は嬉しくないんです。え、なんか今日のセットおかしい?バレた?と、不安になっていました。

友達と話すときも、目線が少しでも髪の方に行くと、「バレたかな」と居心地の悪さを感じる日々が続いたそう。抜毛症があることによって、土屋さんは思春期を自分らしく楽しむことができなかったのです。

バイト代で数十万のウィッグを買うように

高校に進学すると、土屋さんはバイトに明け暮れます。飲食店から日雇いバイトまで、ありとあらゆるバイトをしました。ウィッグを買いたかったのです。

高校に入ると、頭のてっぺんはほとんどが薄くなっていて、サイドもはげがある状態。ヘアアレンジでごまかすのは限界でした。初めてカツラメーカーに足を踏み入れたときのことは忘れられません。女子高生が一人で、アートネイチャーに行くんです。そして、数十万円のカツラについて説明を受ける。恥ずかしくて、心細くて、やりきれない気持ちでした。

その苦しみをどこかにぶつけずにはいられず、久々にお母さんを呼び出し「私がこうなったのはお母さんのせいだから、ウィッグ代を払ってほしい」と言い放ちました。お母さんは、ただ「ごめんね」と、お金を渡してくれたそうです。

当時ものすごくひねくれていて、気も強かったんですよ。それに反抗期も重なったのか、私がこうなったのはあなたたち親のせい、という気持ちが抜けなくて。大人になるにつれて両親の事情も理解できるようになったので、今では良い関係なのですが、当時は「同情するなら金をくれ」状態でしたね。

つらい感情でいっぱいだった当時の土屋さんには、お母さんの気持ちを推し量る余裕はなくなっていました。

【写真】インタビューに答えるつちやみつこさん

高校を卒業して進路を選ぶ時期がやってくると、土屋さんは自分の特技に気付きます。「スター発掘」を趣旨とした番組にスカウトされ、土屋さんは歌手志望者の一人としてテレビに出ることに。そのとき、スタジオのヘアメイクさんとの相性がどうしても合わず、さらに他人に髪を触られるのも嫌だったため、自分のヘアメイクは自分で行っていました。出演者の中では最年長者だったため、他の出演者のヘアメイクも手伝ううちに、美容の世界に興味を持つようになっていったのです。

そこから、ヘアメイク、エステティシャン、ベンチャー企業、派遣社員と、さまざまな職を経験。大人になってからも髪を抜く癖は続いていましたが、ウィッグをつけることができるようになったことで、思春期の頃と比べると、悩む回数は少なくなっていました。

ただ、人毛を使った自然なウィッグは消耗品。定期的にやってくる何十万円という出費に、「私はカツラを買うために働いているのだろうか」とため息が出るのでした。

芸者、結婚、出産。それでも髪を抜く癖は治らない

28歳の頃、土屋さんは芸者の道に入ります。

実は10代の頃、舞妓さんに憧れた時期がありました。でも、舞妓さんは地毛で日本髪を結うので諦めていたんです。それから10年経って、何かやりたかったことを忘れていると気付いて。人生一度きりだからと、知り合いの先生にお願いして新橋の花柳界を紹介していただいたんです。

芸者は地毛ではないとはいえ、日本髪のカツラ作りでも苦戦。土屋さんはこの頃の頭髪を「フランシスコ・ザビエルみたいだった」と例えますが、襟足と生え際、それからサイドに少しだけ髪が残っている状態だったそうです。芸者の結い髪を専門にしている美容師さんに梳き毛を駆使してもらいながら、着物に合うヘアスタイルをつくってもらっていました。

日本髪の鬘(かつら)を作るときには、自前のウィッグの上に日本髪の鬘を重ねられるよう採寸してもらいました。床山さんと呼ばれる、髪を結う職人さんには、やむを得ずウィッグであることを伝えていたものの、一緒に住み込み生活をしている先輩たちには抜毛症を話せていませんでした。日本髪のカツラをとったとき、素頭の状態では困ってしまう。だから、ウィッグの上にウィッグを重ねるという、もはやよく分からない状態になっていたんです。

【写真】当時のことを思い出し少し辛そうな表情をするつちやみつこさん

芸者生活も数年経った頃、土屋さんは子どもを授かり結婚することに。このとき土屋さんは、抜毛症が治るのではないかと期待したといいます。

抜毛は心の病と決めつけていたので、私はこれまで寂しくて抜いていたんだ。好きな人がいて、子どもができて、家族ができて、愛のある生活を送れば、きっともう髪を抜かなくなる!と思っていたのですが、全然そうではありませんでした。

夫と子どもがいて、幸せで満たされているはずの自分。それでも髪を抜く癖が治ることはなかったのです。

「隠すのも、原因探しも、もうやめよう」抜毛症を公表

第二子を出産した後から、土屋さんの心の中にはいつも一つの問いが居座るようになりました。それは、「これからの人生、ずっとこのまま隠し続けていくのだろうか?」という問いです。

子どももできて、出費が増え自分の時間がとれなくなっていくうちに、ウィッグ代の何十万円を一生払い続けていくことが、バカバカしくなってきました。

それに、ウィッグあるあるだと思うのですが、交通事故に遭って、ウィッグがとれたまま運ばれたらどうしよう!とか、東京に大きな地震が来て、お風呂に入れない状況が何日も続いたら、ウィッグのメンテナンスができない!とか、不安が付きまとうんです。

土屋さんは、このウィッグ生活自体がストレスになっていることに気付きました。

髪を理由に何かを諦めるのはもうやめよう。それから、家庭環境のせいだとか、周囲からの評判とか、抜毛症の原因探しももうやめよう。そう思うようになったんです。

【写真】笑顔でインタビューに答えるつちやみつこさんとライターのにしぶまりえさん

アイデアが浮かぶと、実行せずにはいられない土屋さん。まずは旦那さんに「髪の毛、剃っちゃおうと思うんだけど、どうかな」と相談してみました。すると、「いいんじゃない? 結婚しているけど、尼さんみたいに御仏に遣える身になるんだね!」と笑いに変えてくれたのでした。

こうして、2016年9月9日、土屋さんは自身のブログで抜毛症を公表。やんちゃ盛りの子供たちと3人で、髪にバリカンを入れ斬髪式を行いました。

初めて髪を剃り、抜毛症を公表した日の写真

過去の思い出を明るい口調で話してくれていた土屋さん。カミングアウトを決めた直後のことを話し始めると、当時の苦しさや恥ずかしさ、葛藤がよみがえるようで、か細い声で肩を震わせながら、当時の心境を語ってくれました。

【写真】インタビューに答えるつちやみつこさん

9月9日は重陽といって、日本の暦の中で陽が最も大きい、おめでたい日なんです。夫婦にとって大切な日でもあったので、私もこの日だ!と決意したものの、その日が近づくにつれ、心がぐらつくんです。

本当に剃ってしまっていいのだろうか。自分にはそんな覚悟があるのだろうか……。決めたはずなのに、体中に蕁麻疹が出てしまって。きっと私の決断に体がついて来られなかったんじゃないかと思います。公表して髪を剃って、本当に何か変わるのだろうかと……怖かったんですよね。

【写真】涙ぐんでインタビューに答えるつちやみつこさん

土屋さんにとって、この9月9日が、ひたすら隠して無かったことにしてきた「髪がない自分」を、初めて「受け入れた」日になったのです。

当時大人気だった映画「アナと雪の女王」にも励まされたといいます。ありのままでいい、できなくてもいい。「常識は人によって違うものだ」という社会の流れも、土屋さんを勇気づけました。

そして、小林麻央さんがガンを公表したのも同じ時期。小さな子どもを持つ母親としても励まされ、ガンの陰に隠れず精一杯戦う麻央さんの姿は、土屋さんの決断を後押ししたのでした。

「髪は女の命」という言葉もあるけど、髪がなきゃいけないなんて誰が決めたの?そう思うことで自分を肯定したかったんです。それから、「治さない」という選択肢があってもいいということを実践して、同じように悩む人へ示したかった気持ちもあります。

インターネットで抜毛症のことを調べると、もう治すことばっかりなんです。「今日は何本しか抜きませんでした」とか、ちょっと暗い話しか出てこない。治そうとするから、かえってストレスになっている側面もあると思うんですよね。

【写真】辛そうな表情をするつちやみつこさん

一歩踏み出したら、仲間が増えた

現在はボールドヘアパフォーマーとして活動している土屋さん。初めてスキンヘッドを人前でさらけ出したのは、バリアフリーのファッションを提案する「tenbo」でのファッションショーでした。代表の鶴田能史さんと繋がり、「抜毛症はまだ世の中に知られていないから、土屋さんがパイオニアになるといいよ」とアドバイスをもらったそうです。

初めてのファッションショーは、千葉のイオンモールで開催された「チバフリ」。抜毛症の公表から2カ月後のことでした。土屋さんはランウェイのトップバッターを務めました。

【写真】頭皮にペイントをして着物を着ているつちやみつこさん

「何か変わるのだろうか」と不安な気持ちでいっぱいだったカミングアウト。しかし、一歩踏み出したことにより、土屋さんを取り巻く環境は着実に変わっていったのです。

soarでも紹介した脱毛症の斉藤淳子さんとの出会いも大きな出来事の一つです。公表はしたものの、日常的に素頭を出さなかった土屋さんは、プロのカメラマンに撮られた淳子さんのスキンヘッドを見て衝撃を受けます。

私にとって素頭は、人前でパンツを脱ぐくらい恥ずかしいことなのに(笑)、それをメディアに出している人がいる!とビックリしました。淳子さんのSNSにコメントをしていた、同じく脱毛症の角田真住さんとのスレッドに、私が乱入していき、一緒になにかやりたい!とASPが始まりました。

ASPとは、「Alopecia Style Project」のこと。土屋さん、斉藤さん、角田さんの3名が2017年8月に立ち上げた、髪のない人と世の中との接点を創り出すことを目的とした団体です。

(左から)土屋さん、角田さん、斉藤さん

3人とも同じ思いを抱えていて、すぐに意気投合しました。髪のない人がいるということを世の中に発信するとき、病気とか障害とか、そういう言葉の強さで広がるのではなく、純粋に「かっこいい」とか「アート」とか、明るいイメージで脱毛症や抜毛症を広めていきたいと思ったんです。

ASPは設立からまだ半年足らずですが、VOGUE JAPANが開催する「Fashion’s Night Out」で素頭の3名がドレスアップして表参道の街を練り歩いたり、ファッションショーに参加したりと、華やかな衣装やメイクアップが印象的な取り組みばかりです。

ASPはメンバーも増え、2017年11月にはNYのイベントに出演

まるでアート作品のような華やかさには理由がありました。

思春期の当事者の人たちに届けたい、という気持ちでやっています。大人には色々な選択肢があります。ウィッグも買えるし、剃ってもいいし、スカーフでオシャレを楽しんでもいい。自分たちも一番辛かった選択肢の少ない小学生や思春期の子供たちにメッセージを届けるために、あえて「目立つ」という方法をとることにしたんです。

ASPの認知度が増せば、髪が無い人を見ることに目が慣れます。悩んでいる当事者の方々が傷つくような、心無い言動が減り、未来への希望や自信に繋がれば嬉しいです。

土屋さんは今後、ASPを通して、脱毛、抜毛、副作用で髪のない方々にスポットライトを当て、それぞれの持つ魅力を発信する活動をしていく予定とのこと。多様な価値観を広める活動に力を入れる一方で、自身もモデルや役者として新たなチャレンジをしていきたいと話します。

今はリーズナブルで質の良いウィッグも増えてきました。ウィッグを“隠す”アイテムではなく、ファッションのひとつとして、洋服を着替えるような感覚で気軽に楽しむことができるように。そんな提案もしていきたいですね。

【写真】笑顔でインタビューに答えるつちやみつこさん

表面的な原因ではなく、根本的な原因に目を向ける

コンプレックスやストレスは、程度の差はあれ、誰もが抱えているもの。それを取り除くことで、不安を解消する方法もありますが、土屋さんにとっての正解は「ありのままを受け入れて、自分を好きになる」ことでした。

悩んでいたとき、病院に行っても解決できなかったのですが、友人の一言に救われました。「あなたは髪を抜くことで安定を保てているんだから、そのままでいいの」って。そう言われて、なんだか開放された気持ちになったんです。発散の方法は、お酒を飲むだったり、遊園地で絶叫するだったり、人それぞれです。私にとっては、それが髪を抜くことだった。

そして「受け入れる」決断も、周囲の大切な人たちが支えてくれたからこそのものでした。

髪を剃るときに一番吹っ切れたのは、やっぱり家族のおかげです。夫が応援してくれたことも嬉しかったし、坊主頭の4歳と2歳の息子に「お母さんの髪がなかったらどうする?」と聞いたら「いいよ!僕たちと一緒だね!」と言ってくれたんです。

【写真】笑顔でインタビューに答えるつちやみつこさん

土屋さんは、原因探しをやめたことで楽になったと話す一方で、ストレスになっている「根本的な原因」には目を向けるべきだと、同じ症状で悩んでいる人たちに伝えたいそうです。

私の場合、「原因」はきっと家庭環境だと思っていながらも、認めたくなくて葛藤がありました。でもその奥にある「根本的な原因」は、“寂しい”、“愛されたい”という思いでした。

でもそれを誰かに求めるのではなくて、まずは自分が自分を丸ごと受け止めて愛すること。心の奥にある声に気付くことができれば、何か対処できることがあるかもしれません。外側ではなく、自分の内側に目を向けてみてほしいです。

自分の奥底にある気持ちから目を背けないこと。そして、自分を否定してしまわないこと。土屋さんは、優しく微笑みながらつづけます。

ダメだと分かっているのに、やめられない自分を責める必要は全くありません。治っても治らなくてもいい。髪がないことを隠してもいいし、公表して楽しんでもいい。八方ふさがりに思えても、実は人生にはいろんな選択肢があるんですよ。

【写真】微笑んでインタビューに答えるつちやみつこさん

克服する、受け入れる、向き合い方は人それぞれ

世の中の美しさや強さの定義が、少しずつ変わってきている。そんな時代に生きられて良かったと土屋さんは話します。それはきっと、土屋さん自身が、社会的な尺度ではなく、自分なりの「美しさや強さの物差し」を手に入れたからでしょう。

周囲からの強い言葉や、目に見える行動だけに捕らわれなくなりました。自分の心の中にすら、いろんな感情があります。だから、もし誰かに傷つくようなことを言われたとしても、その人が心底そう思っているかは実はわからないですよね。受け取る自分の状態にもよる。これまでの私だったら気にしていたようなことをでも、視点を変えることで真に受けなくなり、心がすごく楽になりました。

一見常識とされている世の中の価値観を疑い、自分の感覚を信じてみることで、きっと今よりも自由に生きていけるはず。

「私にとっての正解はこれ。時と場合によって自分の中の正解も変わるけど、それでもいい」

土屋さん自身が見つけ出した「自分だけの価値観」は、その言葉の一つ一つに垣間見ることができます。

【写真】笑顔のつちやみつこさんとライターのにしぶまりえさん

私は土屋さんの生き方から、「自分が信じた正解を突き進む人は、こんなにも輝いて見えるんだ」ということを教えてもらいました。

「私の素頭はスペシャルだから、そんな簡単には見せませんよ!」と、自身のコンプレックスを、最高のチャームポイントに見事に変えてみせた土屋さん。もしかしたら欠点だと思い込んでしまっている何かは、見方を変えれば自分だけの大切なギフトなのかもしれません。

私も土屋さんからもらったメッセージを胸に、常識の中でもがくのではなく、自分の価値観をもっと信じて生きていきたいと思います。

関連情報:
「Alopecia Style Project」ホームページ

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(写真/馬場加奈子)