髪の毛がない私も、ウィッグを付けている私も、両方楽しんで生きています。
私の目をまっすぐに見つめながら、柔らかい笑顔でお話ししてくださったのは、斉藤淳子さん。生まれつき髪や眉毛、まつげなど全身の毛がない「汎発性(型)脱毛症」である淳子さんは、20代までは「人と違う」ことに苦しみ、辛いことも多かったと言います。でも、今、淳子さんの表情はとても穏やかです。
人にどう見られるかではなく、自分がどう生きたいかを考えることで、どんな自分も受け容れられるようになりました。
そう話しながら、取材のときにウィッグをはずしてくださった淳子さん。
その瞬間、部屋の空気が変わるのを感じ、思わず淳子さんの姿から目が離せなくなりました。
「ありのままの自分を受け入れている人は、強くて美しい」
そんなメッセージが凛とした姿や表情から伝わってきて、今でも鮮明に思い出すことができるほどです。
現在淳子さんは、自分自身の経験を生かしながら、多くの人が自分を愛し、幸せな人生を送るためのコーチングをしています。
見た目に関わらず、コンプレックスを抱え悩んでいる人は多くいます。でも、どんな人でも自分をありのままに受け入れて愛したいと強く思っているはず。そのためにはどうしたらいいのかを知りたくて、静岡に住んでいる淳子さんのもとを訪れました。
「他の人と違う」ということに苦しんだ幼少期
生まれつき全身の毛がない淳子さんが、「自分が他の人と違う」ということを意識し始めたのは保育園のとき。きっかけは周囲の大人たちの何気ない言葉でした。
保育園のとき、友達と遊ぶ私の姿を見て保護者の方々が「あの子可哀想だね」「将来どうなっちゃうんだろう」と話していました。それが、私たちにも聞こえるんですよね。「『僕たち、私たち』と『あの子』は違う」という意識がみんなのなかに生まれたのはその頃からだと思います。
その意識は、次第に淳子さんに対するからかいの原因になっていきます。スキンヘッドでスカートをはき、赤いランドセルを背負っていると、後ろから「変!」とか「はげ」いう言葉を投げかけられたり、給食で配膳をしていると「この子が配った給食なんて食べたくない」と言われたり。
同級生にとっては、軽い気持ちで言ったことだったのかもしれませんが、そのたびに幼い淳子さんの心は傷つき、泣き出しそうになることもありました。それでも淳子さんは誰にもつらい気持ちを相談することなく、歯を食いしばって学校に通い続けたといいます。
私をどう育てようか悩んでいた両親を小さい頃から見てきたので、両親を心配させてはいけないと幼いながらに強く感じていました。だから「毎日笑顔で学校に行く」ということを心に決めていたんです。
親しい友達ができたとしても、自分の髪の毛の悩みだけは話すことができない状態が続きました。
友達も「どうして淳子ちゃんには髪の毛がないの?」と聞きたかったと思うのですが、聞いたら私が悲しむだろうと考えて、あえてその話題に触れないんですよね。自分と同じような友達は周りにいませんでしたし、誰にもこの気持ちを分かってもらえるはずがないと、ただひたすら我慢をしていました。
幼い淳子さんが唯一自分の気持ちを素直に表現できたのは、1人でいるときだけ。つらい気持ちをまぎらわす遊び、それは鏡の前で憧れのアイドルの真似をすることでした。
当時は松田聖子ちゃんがとても人気でした。すごくキラキラしている彼女をテレビで見るたびに、こんなふうになりたいなと思っていたんです。
でも私は髪の毛がなかったので、タオルを頭にかぶるんです。それで、リモコンをマイク代わりにして、テレビを見ながら踊って歌っていました。誰にも相談できないなかで、私にとって唯一髪の毛を手に入れて「みんなと同じ」になれる時間でした。
どうして自分だけがこんな風に生まれてきたんだろう。私が生まれた意味は何なのだろう。
淳子さんは子どもの頃からいつも、そんな心の叫びにも似たような問いの答えを探していました。大人になっても苦しさは消えることがなく、死ぬことばかりを考える日々。どうしたらいいかを誰も教えてくれるはずがなく、とにかく生きづらい気持ちを抱えながら日々を過ごしていました。
苦しみ続けるのではなく、「幸せになるためにはどうしたらよいか」を考える人生にしたい
そこからどんな自分も受け入れていこうと思えるようになるまで、試行錯誤を繰り返す日々が続きました。
苦しさから少しでも抜け出したいと、30代の時に学び始めたのが心理学。そのなかで般若心境の「苦集滅道」という考え方に出会いました。
人には様々な苦しみがありますが、本当に人を苦しめているのは、苦しみ自体ではなく、「自分自身がその苦をどう受け取るか」。つまり「現実を苦しいものだと受け止める自分自身」だ、という仏教の教えです。
この考え方が、淳子さんの人生を大きく変えます。
「私が生まれたのが悪い、両親が悪い、世の中が悪い」と現実をマイナスに受け止め続けていれば、このまま苦しみから逃れられない。それならば「幸せになるためにはどうしたらいいのか」とプラスの方向に考えて人生を歩む道を選びたいと強く思ったんです。
これまでずっと苦しさとともに人生を生きてきましたが、そこからは少しずつ前向きな気持ちで毎日を過ごすことができるようになっていきます。
「私=髪の毛がない」のではなく、「私」のそばに「髪の毛がない」という状態があるだけ。悩みが少し小さくなるとそんなふうに「病気は病気、私は私」と区別して考えられるようになりました。今までは「みんなと一緒になりたい」と思っていましたが、客観的にとらえられるようになったことで、「人と違う」ということを逆に楽しもうという気持ちになれたんです。
淳子さんを大きく変えたものがもう一つあります。それは、多様なひとたちとの出会いでした。
たくさんの人と知り合うなかで気付いたのは、「皆それぞれに悩みを持っている」ということ。「自分だけが辛い」と感じていたけれど、次第に、本当はそんなことないのかもしれないと思えるようになっていきました。
そして、あるとき淳子さんにとって大切な存在となるパートナーに出会うことになります。
結婚前までも何人かの男性とお付き合いをしてきた淳子さんですが、髪の毛のことを伝えると「可哀想だね」「大変だね」という反応をされるのが当たり前だったそう。しかし、夫となるその男性の反応はこれまでの人とは全く違うものだったといいます。
「私は実はウィッグを付けていて、脱毛症です」って話をしたら、彼なんて言ったと思います?
「君ってエコだね」って言ったんですよ。
全然意味が分からなくって「エコってどういうこと?」って聞いたら、「だって女性って永久脱毛に行くでしょ。君は毛がないから行かなくてもいいよね。それってすごいエコだよ」って!
全ての人が自分のことを可哀想と思うのではなく、自分のいいところを見つけてくれる人もいる。それは淳子さんにとっては衝撃的であると同時に、とても嬉しいことでした。
そして、相手が自分のことを「可哀想だ」「大変だ」と考えるのは、自分自身が現実を否定的に捉えているからだということに気づいたのです。
「私こんな病気なんです。すみません…」と伝えると相手も「可哀想だね」「大変だね」という反応になり、次第に離れていきます。でも、「私こういう病気なんだけど、楽しく暮らしているよ。とってもハッピーなんだよ!」と前向きに捉えて伝えると、相手も「そうなんだ!大変そうなのに、なんでそんなに明るいの?」って逆に興味を持ってくれるということが分かってきたんです。
物事を前向きに捉えるという考え方は、その後訪れた困難な時期にも淳子さんを救うことになります。
考え方を変えることで人は必ず絶望から這い上がれる
淳子さんが19歳になったときに、卵巣がんが見つかりました。その際は治療がうまくいき大事には至らなかったのですが、30代で再び病状が悪化。36歳のときに、残っていた卵巣と子宮を全て摘出する手術を行うことになってしまいました。
「髪の毛がなくて辛い思いをしているのに、さらに女性にとって必要だとされているものが脅かされる」
そんな現実に、やりきれない思いがつのりました。しかし、そんな淳子さんを絶望から救ったのは、これまでつらいときに何度も繰り返してきた「現実を前向きに捉え直すこと」だったのです。
手術をしたら、私は子どもを産むことも育てることもできないけれど、その分私は自分のことに時間に使えると考えるようにしたんです。それに、たとえ自分に子どもがいなくても、社会で生活していれば子どもに接する機会はたくさんあります。子どもって社会全体で育てるものだと思うから、私なりの方法で子どもたちをあたたかく見守ろうと思うようになりました。
手術のあとは、当たり前にあったものを失うという壮絶な喪失感もありました。でも、そのときの経験から得た「考え方を変えることで人は必ず絶望から這い上がれる」という確信は、今でも淳子さんを支えてくれているといいます。
脱毛症の自分だからこそ、できることがある
現在淳子さんは、自分の経験を生かしつつ、一人ひとりのなかにある強みを引き出し、「こうなりたい」という思いをサポートする活動をしています。
当初は、自分の経験をもとに同じような人を勇気づけたいと考えていました。でも次第に、自分の体験談はあくまで自分の経験であり、相談してくださった方に必ず当てはまるとは限らない気付きはじめました。だからこそ、今、淳子さんは「その人自身の強みを引き出す」ことに力を注いでいます。
「自分にはこんな強みがあるんだって」気づくと、人って笑顔で前向きになりますよね。たとえ悩みがあっても、徐々に強みを生かしてその人の「なりたい姿」に近づけるように――そんなサポートがしたいと思っています。
笑顔が素敵とか、人に親切にできるとか、みんなそれぞれの良さをもっているでしょう――そう語る淳子さんの瞳は優しくて、あたたかです。
さらに、淳子さんは自分の経験を生かしながら、脱毛症のことを人に伝える活動も始めています。脱毛症の方の多くは、「隠したい、知られたくない」という気持ちが強く、なかなかロールモデルとなる存在が見つからないことも。だからこそ、淳子さんは自分という存在を表に出していくことで、今苦しんでいる人に少しでも希望を届けたいと考えています。
私は、ウィッグ姿で過ごすのが全てではないと思っているし、スキンヘッドで過ごすのが全てでもないと思っています。せっかくウィッグもスキンヘッドも手に入れているのだから、両方楽しんで生きている。そんな姿をみんなに伝えたいです。
また、淳子さんは脱毛症ではない人にも自分のことを知ってもらいたいと言います。それによって、脱毛症の人に会った時に「淳子さんと同じだ」と思ってもらう――そうすれば、その人の存在を受け入れやすくなるはず。
だからこそ、まだ知られていない脱毛症について、淳子さんは自分の存在を通して、世の中に広く伝えていきたいと考えています。
脱毛症の子どもを持つ親に「子どもの良いところを見つけて」と伝えたい
脱毛症がある本人だけでなく、脱毛症の子どもを持つ親も、子育てに悩むことも多いそうです。幼少期の頃から淳子さんを一番近くで見守っていたお母様はどのような存在だったのでしょうか。
小さい頃は母と衝突することも多かったですね。嫌な事があって落ち込んでいたり、学校に行きたくなくて朝支度をしないでぐずぐずしていると、「そんなんじゃだめよ!」と強く言われることもありました。
でも、私は毎日頑張って笑顔で学校にいっていることを褒めてもらいたかったんです。だから「お母さんはなんで分かってくれないんだろう」という気持ちがありました。
そんな小さい頃の思いを、淳子さんは40歳になったときに思い切ってお母様に伝えてみることに。すると、お母様はこんな風に答えました。
「あなたは、小さい頃からかけっこも早かったし、おしゃべりも上手。手遊びも、歌うことも得意だったでしょ。だから私は、あなたを髪の毛がないからと言って社会から隠して育てるようなことだけはしたくなかった。いずれ1人で社会に出た時に、困難に負けず、しっかり自分の足で立っていけるように、強くなってほしいと思っていたの」
淳子さんはそのとき初めて母親の自分に対する思いを知り、厳しく思えた母親の言動を初めて理解することができたといいます。子どもながらに母が愛情を注いでくれていたことは感じていたものの、幼い頃はその愛情をどうやって受け止めていいのかが分からなかったのかもしれない。そんなふうに淳子さんは振り返ります。
そして、自分の経験を振り返って、淳子さんが脱毛症の子どもを持つ保護者に伝えたいこと。それは、お子さんのいいところを見つけてあげてほしい、ということです。
毎日「髪の毛がない」ということだけを考えていると、心の中がその悩みでいっぱいになってしまいがちですよね。でも、「この子は人に優しくできる」「友達とお話するのが得意」と素敵なところを見つけ伝えてあげる。そうしたらきっとお子さんの自信につながり前向きになれるはずだと思います。
淳子さんは先日、脱毛症の娘さんがいるお母様とお話をする機会があったそう。娘さんは脱毛症であることを気に病んで、毎日学校には行っているものの、勉強に身が入らず、友人関係もうまくいっていないと、お母様も悩まれていました。
淳子さんは、お母様にこう伝えたと言います。
「娘さん毎日学校に行ってるんですね。お母さん、それは本当にすごいことですよ。ぜひ褒めてあげてください。」
素敵なところを見つけて伝えることで、子どもの自信につながり、少しでも自分を肯定的に捉えられるようになってほしい。この言葉には、そんな淳子さんの思いが込められています。
そして、お子さんの素敵なところを見つけると同時に、淳子さんがお子さんやご両親にぜひやってもらえたらと考えていること。それは、お子さんが「将来どうなりたいのか」という未来を、お父さんやお母さんも一緒に見つめることです。
自分の好きなことや、なりたいものを、書き出して見えるようにしておくことを勧めています。「こんな人になりたい」「こんなことをしたい」という思いは、子ども自身の希望にもなりますし、同じ方向を見ながら、親子で一緒に歩いていけることは、子どもにとっても、親にとっても、幸せなことではないでしょうか。
大きな悩みがあると、毎日そればかり考えてしまいがちです。でもお子さんの素敵なところに目を向けること、そしてこれからどうしていきたいかという未来を一緒に見つけること。親子で前向きに歩んでいくためには、そんなことが必要なんだと思います。
脱毛症の方にもっと心のケアが行き渡るように
脱毛症の当事者をサポートしたいという思いで活動をしている淳子さんは、もっと当事者の方が生きやすい社会をつくるために、心理的ケアがしっかりと受けれる体制が整ってほしいと考えています。
脱毛症の方は、髪の毛がないことを気に病んで学校や仕事に行けず、引きこもりになってしまうこともあります。もちろん薬の開発など医療分野での進歩があることも望ましいですが、それと同時に心のケアが進んでいくことが大切なように思います。
患者は不安でいっぱいで、話を誰かに聞いてほしい。だからこそ、心理的ケアの不足が鬱などの心の病気につながることを防ぐためのサポートが必要です。
また、一般の大人も子どもたちのへの声掛けで意識できることがあると言います。
子どもたちは何も知識がないので、「なんで髪の毛がないの?」と見たままを親に聞きます。そのときに「見ちゃだめよ」とか「そんなこと言っちゃダメだよ」と言われると、子どもは「『あの子』は『僕たち、私たち』とは違うんだ」と思いますよね。
そうではなく「そうだよね、髪の毛がないよね。でもあの子はいつもあなたに親切にしてくれるよね」とその子を応援する言葉をかけてあげれば、それを聞いている子どももその子の素敵なところを見つけられるようになっていくと思うんです。
「みんなと一緒」じゃなくて「私らしく」生きていけるように
自分のコンプレックスをひたすら隠したり、無理に直そうとするのではなく、「自分」という存在を前向きに捉え、全てを愛する。そんな淳子さんの生き方やあり方が、私はとても素敵だと感じました。
淳子さんは最後に、私たちにこんな言葉をプレゼントしてくれました。
ウィッグを付けた斉藤淳子と、髪の毛がない斉藤淳子。私は、両方の自分をもちあわせています。どっちが良いとか悪いではなく、両方あって「私」なんです。
そして、丁寧に言葉を選びながら、こう続けます。
私は、髪の毛がありませんが、だからこそ人に覚えてもらえたり、注目したりしてもらえるという側面もあります。自分の目立つところを世界に向かって示しながら、堂々を生きていく。そうすると、自分だけが歩める道が見えてくると思います。みなさんがどうか「みんなと一緒」ではなく、「自分らしく」生きていけることを願っています。
コンプレックスを抱えてずっと苦しみながら生きていくのか。それとも「今幸せなこと」を見つけ、「幸せになるためにどうしたらよいか」を考える自分でいたいのか。
「自分らしい」人生は、その問いから始まるのかもしれません。
悩みながらも、自分を愛するために努力を惜しまなかった淳子さんのこの問いは、コンプレックスを抱える全ての人にとってきっと道しるべになるはず。だからこそ、自分に自信が持てず辛い思いをしている多くの方にこの言葉が届くことを願っています。
私自身も、淳子さんから教えてもらったこの問いを胸に、自分らしい人生を歩んでいけたらと思います。
関連情報:斉藤淳子さん ホームページ
(写真/馬場加奈子、監修/井上いつか)