待ち合わせの店に入った時、「あ、あの人かな?」と遠目にピンときた人がいました。目があって静かに笑顔を見せて、長い髪をふわりと揺らしながら席を立って丁寧におじぎをしてくれた吉野なお(Nao)さん(以下Naoさん)。彼女は現在、日本で唯一の大きめサイズの女性向けファッション雑誌「la farfa(ラ・ファーファ)」の専属モデルとして活躍しています。
今のコロコロと変わる表情や笑顔、はきはきとした受け答えからは想像できないことですが、かつてNaoさんは、笑うことや知らない人と話をすることが苦手な少女だったと言います。そして、自身の外見を気にするあまり、10代のころは7年近く摂食障害にも苦しんだのだそうです。
小さい時からすごく引っ込み思案で。家族の知り合いが家に来ても全く話せなくて心配されるくらいだったんですよ。自分の笑う顔も写真に撮られるのも大嫌いで、できるだけ笑わないようにしていたんです。それが今はこんなふうにカメラの前で笑うのがお仕事になっているんだから、不思議ですよね。
カメラを向けられると緊張してかたまってしまったり、あとで撮った写真を見て、自分の容姿の嫌な部分に目が行き、がっかりしたり。そんな経験は私にもあって、かつてのNaoさんの気持ちはよくわかる気がします。
自分に自信が持てない女の子だったNaoさんが、今こうして、「自分が元々持っている美しさ」を表に出すことで輝いているのは何故なのでしょうか? その変化のプロセスを聞いてみたくて、私たちは2時間ものあいだにたくさんのお話を交わしました。
太っている人も、痩せている人も、背が低い人も、背が高すぎる人も。自分の体のここが嫌だなって思うことがある、すべての女性にNaoさんの言葉を届けられたら、嬉しいです。
小さい時から太っていることがコンプレックス。人の目が気になって仕方なかった。
小さい頃から、ぽっちゃりとした体つきだったというNaoさん。家族の中でもぽっちゃりとしているのは自分だけで、保育園の頃から、知らない子にからかわれたり、冷やかされたりしているうちに、いつの間にか、周りの目が気になるようになっていったと言います。
保育園や学校にも仲の良い友だちはいたから、いじめられたってことはなかったんですけど、いつも体のことで陰口が聞こえてきて、すごく嫌でした。泣いて家に帰ったこともあって。親は、心配してくれたけど、大人になったら自然と痩せるから大丈夫、とそれほど深くは捉えていなかったと思います。
誰かにとっては、ささいな“笑いの種”かもしれない一言が、少しずつNaoさんの柔らかい心を傷つけていきます。そして、成長するにつれて、自分の体が理想の女性像とは違うということが、いつしか本格的にNaoさんを苦しめていくようになりました。
高校生になって初めての恋人ができた時、とうとうNaoさんは行動に出ます。それは、とても過酷なダイエットでした。
大好きな人のために痩せてたい!幸せになるスタートは痩せること、のはずだった。
両思いになった人に、『好きだけど…痩せてほしい』って言われてダイエットを始めたんです。
好きな人のために、自分の理想に近づくために、努力をする。それは一見、素敵なことのようにも思えます。誰だって、特に思春期の時は、誰かに好かれたくて、自分に自信を持ちたくて、自分を変えようとするものかもしれません。
でも、本当にそれが自分の心が求める変化でなかったら、無理やりに自分を変えることは、自分を傷つけることになりかねません。Naoさんの場合もそうでした。
何か食べると太る!と思って、食べる量をどんどん減らして体重を落としました。彼が厳しい人だったので、毎日食べたものや体重を記録して送らないといけなくて。今考えると、おかしいですよね(笑)。でもその時は、やせれば周囲にも褒められるし、とりあえず、幸せになるためには、痩せるのがスタートなんだって思い込んでいたんです。
その後、彼とは別れたものの、痩せたいという思いは止められません。無理に体重を減らしても、飢餓状態になった体はやがて過食を求め、Naoさんは30kgの体重の増減を繰り返すようになりました。いくら痩せても満足できないストレス。食べることへの罪悪感。体重が増えると自分はダメだと自分を責める日々。このころから、心がどんどん不安定になっていくことに気がつきました。
一番痩せていたのが、47キロ。でもその時も、もっと痩せたいと思ってました。まだ太ってるって。過食になったときは、もう食欲とは別に、ただ不安な心を埋めるために食べているというか。食べているときは興奮状態でハイになれるから、何かの拍子で食べるともう止まらなくて。食後は気持ちが落ち込んで、友達に会うことができなくなったり、会社も急に休んだりして。体重を減らすことだけが目標でありストレスになっていました。
心配をかけたくなくて、周りの人には秘密にしながら、カロリーや栄養素ばかり緻密に計算して食べ物にこだわる一方、反動で過食してしまう毎日。だんだんと”普通の食事”がわからなくなり、自分の心がおかしくなっていると気づきます。カウンセリングを受けたり、本やインターネットで摂食障害について調べたりともがきますが、明瞭な答えはどこにも見当たりませんでした。
誰かの体験談を読んでも、気分転換をすればいいとか、大事な人に出会って変わったとか、書かれているだけで……。自分にはそういうことで治ると思えなかったんです。じゃあ、その特別な人に会えなかったらどうするの?って。これはもう治らないのかなって、ずっと思っていました。
「太っていたって笑っていいし輝いていい」。自分の心がパッカリ開いた日。
仕事をしても恋愛をしても長続きしない。自分をどうしても好きになれない。
8年以上にわたり、体重の増減に振り回され、苦しみ続けたNaoさん。周りにも頼れず、一人孤独に戦う暗い日々は終わらないように思えました。そんなある日、突然に転機が訪れます。
とある会社で働いていた時に、何千人もの人のプロフィール写真を扱う仕事を与えられました。”ザ・芸能人”という感じの、目鼻立ちが整って顔が小さくて足が長くて……、というような人もいれば、痩せすぎている人太っている人、背が小さい人大きい人、目が大きい人小さい人、いろんな人がいて、一人として同じ人はいないんですね。ずっとそれを見ているうちに、「ああ、みんないろいろだけど普通に生きてるじゃない」って思ったんです。明るい笑顔の写真で、ぽっちゃりしてる人だって笑って写ってる。なのになんで、私は体重だけにとらわれているんだろうって気付いたんです。それはもったい無いし、人生を無駄にしてない?って思ったんですよね。
小さい時からずっと悩んでいるコンプレックスを手放すのは、簡単なことではありません。私にも心当たりがあります。容姿のことであれ、性格のことであれ、「自分はこうなんだ」と思い込んでしまったら、なかなかその考えの癖を変えることって、できるようで、できない。でもNaoさんはその時、たくさんの写真を見続けているうちに、心の中が開いていくのを感じたと言います。
Don’t think. Feel!ってやつでしょうか(笑)。心がずしっと、感じたんです。その時に得たひらめきが、自分にとってはすごく深いものだったんですよね。太っていたって、いいじゃない。ずっと悩んでいたけど、もともともぽっちゃりしているのが私の体型なんだから、それでいいじゃないって。それは諦めではなくて、受け入れる気持ちでした。
スリムな美人はいつも明るくて人生を楽しんでいる。太っている人はそうじゃない。そんなどこか使い古されたようなステレオタイプを、私たちは無意識のうちに心の中に埋め込んでいることがあります。その固定されたイメージは、自分の本当の幸せとは無関係だということに、気づくことができたなら……。
世の中の『かわいい』の基準って、実は知らない誰かが決めたものなのですよね。ぽっちゃりしててもかわいい人はいるし、明るく生きてる人はいるし。私たちがテレビとかニュースで見るものって世界のすべてではなくて、ただ世界の一部を切り取って見せられてるものだから。今まで思ってた『理想』も刷り込まれていたイメージだったんだなって、気づいたんです。
自分のことを好きになれたら、痩せたいと思わなくなった。
この気づきをターニングポイントに、Naoさんの心と体は少しずつ、しかし確実に変化を見せていきました。
それまではコンビニやレストランに行ってもいつも成分表を見て、カロリーと栄養を確認して食べたい物を我慢することが多かったんですが、それも全部やめました。ご飯の時間だから食べる、ではなく、お腹が空いた時に、『今、私は何が食べたい?』って自分に聞いて、その時食べたいものを食べることにしたんです。ハンバーグが食べたいなら、食べていい。食べたいものを食べたら、美味しいし、自分の欲求が満たされるから、それ以上食べなくても良くなったんですよね。
体が欲するものを食べることで、過食欲求もなくなり自然と体重も落ち着いていく。これは不思議なことでもなんでもなく、体が整ってくると心も、環境さえも変わっていきました。
昔は、町中でスリムな人を見ると自分と比較してばかりだったけど、今は痩せている子も可愛いし、太っている子も可愛いし、それぞれでいいって思えるようになったんです。あんなに痩せたかったのに、もう痩せたいと思わなくなったんですよね。
これまでにたくさんもらえてた幸せのヒントを、一つ一つ集めて。
絶対に治らないと思った摂食障害が、治っていく喜び。自分の人生を生き直すかのように、Naoさんは、自分自身に、そして周りの人たちに向き合うようになっていきました。
それまでの私は、自分のことばっかり考えてたんです。痩せたいとか、変わりたいとか。でも自分の事が好きじゃなくて。だから、恋人ができて好きだって言われても、『なんで私なんかが好きなんだろう?』って受け入れることができなかったんです。でも、治ってからは、人の愛情がなんなのかがわかるようになったんです。相手の気持ちとか、愛情も、受けいられるようになったんですね。
友達が、「笑顔が素敵だよ」って言ってくれていた。いつも心配してくれる家族がいた。そのままの君が好きだよって言ってくれた人がいた。何も聞かずにそっとそばにいてくれたおばあちゃんがいた。「そんなに必死に頑張っていなくてもあなたはちゃんと、そのままで愛される存在ですよ」と教えてくれていた人が、実はたくさんいたこと。
これまでにだってあったはずの愛の一つ一つを思い出し、Naoさんはそれらを取り戻していきます。そうすると、これまでどこかよそよそしかった家族との距離感も変わっていきました。
親とは仲が悪いわけじゃなかったし、普通の家庭で育ててもらったと思ってます。でもどこかで、太っている私でも大好きだよ、愛してるよってもっと言葉に出して言い続けて欲しかったって思っているところがあって……。でも、数年前に犬を飼い始めてその犬を溺愛している親を見ていたら、『ああ、この人たちもこんな風に愛情を注ぐんだな。私のことだって絶対すごく愛してくれてたんだな。その表現が自分に伝わってなかっただけなんだ』って気付けたんですよね。
過去の恋愛についてもこんなふうに語ってくれました。
あと、まだ過食で苦しんでいた時にすごく親身に支えてくれた恋人がいて。心配をかけすぎて私から別れてしまったけれど、さいきん数年ぶりに再会できたんです。その彼が『あの頃は一緒にいて楽しかったんだよ、ありがとう』って言ってくれて。迷惑ばかりかけてたと思ってたのに、彼はそんなふうに思っててくれたんだって、自分の気持ちが成仏した気さえしました。
世界のあちこちにあるヒントを、Naoさんは拾い集めていきます。幸せになるためのヒントは、驚くほどあちこちに散らばっていたのでした。
モデル活動を続けているのは、悩んでいる誰かのためと、過去の私のため。
ある日、イベントで友人のお手伝いをしていたNaoさんは、突然ある人に声をかけられます。
今度創刊する、『ラ・ファーファ』というぽっちゃりした体型の方むけのファッション雑誌の編集をしているのですが、急遽モデルを探していて……。もし興味があればモデルをやってみませんか?
実は、その春に創刊予定の雑誌『ラ・ファーファ』の存在をNaoさんは知っていました。雑誌がモデルを募集していることも。ちょうど、友達に背中を押されてモデル応募のプロフィール写真を撮ったまさにその日、彼女は思いがけず編集者からスカウトを受けたのです。運命的な出会いでした。
そこからはトントンとモデルの活動が動き出します。もともと笑うことも、写真に撮られることも嫌いだったというNaoさんが、モデルに応募してみようと思うに至った理由。それは、過去の自分と同じ悩みで苦しんでいる誰かの力になりたい、という思いでした。
過食がおさまったあとに、それまでずっと治らないと思っていた摂食障害もちゃんと治るんだということを、世の中に伝えたいと思い始めていたんです。でもその方法がわからなくて、ずっとどうしたらいいのかな、と考え続けていて。1年ぐらいしてネットのニュースで『ラ・ファーファ』という雑誌ができるって見て、プラスサイズモデル(ぽっちゃりした体型のモデル)を募集していることがわかったんです。これも一つの方法かなと、応募することにしたらスカウトされて。なんだか導かれているような気がしました。
最初はぎこちなかった笑顔もだんだん自然になっていき、苦手だったメイクやおしゃれにも興味がどんどん湧いて、Naoさんのファンも増えました。雑誌以外にもアパレルブランドのイメージモデルをしたり、洋服のプロデュースもモデル仲間で行うなど、活動の幅も広がっています。
ファンレターをいただいたり、ツイッターなどで、『ぽっちゃりで悩んでいたけど、雑誌を見て勇気をもらって、過食も減ってきました』なんて言葉をいただくと、本当にやっていてよかったな、と思います。
自分が人からもらったヒントを返すかのように、悩んでいる誰かのヒントになれたら、そんな思いがNaoさんの活動の原点です。そして同時に、やっぱりそれは自分自身のためでもある、とNaoさんは言います。
この仕事を始めて、自分のことをより大切にするようになりました。仕事のおかげで、自分を大事にして健康でいられる。誰かのためって言いましたけど、どこかで過去に苦しんでいた自分のためにでもあると思うんです。悩んでて、どこにも出口を見つけられなかった。そんな自分を助けてあげたい、って気持ちがありますね。
誰だってそのままで愛されていい。そのことを伝えていきたい。
ツイッターなどで摂食障害について触れているNaoさん。実はそのツイッターを見たBBCニュースから取材依頼を受けたこともありました。
摂食障害は潜在的な患者がとても多い隠れた疾患です。本人が自分で認めていない場合もあるし、気がついていてもSOSを発信できなかったり、秘密にしておきたいと思うことが多いからなのだそう。だからNaoさんのように、顔と名前を出して、摂食障害についての情報や意見交換をしたいという人はとても貴重な存在です。今では、摂食障害に悩む家族の会などでの講演活動も少しずつ始めるようになりました。
本人の気持ちも、家族の関わりもとても難しくて、それぞれのケースや背景があるから、単純に、こうしたらいいよってことは言えないと感じています。でも、私はただ、大丈夫だよって伝えたい。変わらなくちゃいけないとか、こうしないと人に愛されないとか、そういう不安が強い人もいるかもしれないけれど、そんなことは決してないし、普通にそのままでいるだけで、愛情や幸せはあるんだと思います。気付きさえすれば。
ただ私も、かつては過食であることがある意味自分の心の支えになっていたんです。やめたいけど、治ってしまうのが怖かった。でも治ったら世界がどんどん広がっていったんです。そういうことも少しずつ伝えていきたいですね。
お話をしてみて、 Naoさんの魅力は外見的な華やかさだけでは決してない、ということがすぐにわかりました。一つ一つ言葉を選びながら質問に答える誠実さと思慮深さ、人生を自分の力で切り開いてきた力強さ、出会った人たちに感謝する気持ち、そして何より、苦しかった過去に向き合い続けたからこそ、自分を肯定することができた強さ。やっと手に入れた自分への確かな愛情が、Naoさんの内面を豊かにし、それが表情や姿勢、眼差しになって伝わってきていたんだ、と気づかされました。
子どもの頃、バービー人形で遊びながら、大人になったらこんなふうな体になるんだ。きっと私もこんな「かわいい女の人」になれるんだ。何の疑いもなく、無邪気に未来の自分を想像していた自分を、思い出す時があります。
でも、成長するにつれて、あんな体は現実にはそう手に入らないんだと気付くと、自分の体のいろんな部分がコンプレックスになっていきました。うまくいかない毎日にため息をつき、家族や大切な人の愛情が素直に受け取れずにギクシャクし、思わず食べ過ぎたり怠惰になったりする自分にほとほと嫌気がさし、どうせ私なんて、という言葉が頭をよぎる。
Naoさんのお話を聞いていると、一つ一つが自分自身の物語でもあるようでした。もしかしたらこれを読んでくださっている読者のみなさんにも思い当たる部分があるのではないでしょうか。
自分で自分にいつもOKを出すって、本当に難しいことです。もっと頑張らなきゃ、もっと変わらなきゃ。そうしたらもっと幸せになれるかも。
誰でもそんなふうに、自分が思い描く「可愛さ」や「幸せ」のイメージに憧れを抱き、同時に、囚われているところがあるのかもしれません。
でもその“幻想”とも言えるイメージに近づくために必要なのは、自分を変えることではなく、自分の中にしかない美しさや持ち味ややりたいという気持ちに気づくこと。その大切さをNaoさんの笑顔は、自然に伝えてくれている気がしました。
(写真/馬場加奈子、協力/八ツ本真衣)