【写真】笑顔で立っているたなかのりこさん

「自分に自信がもてない」「孤独感から抜け出せない」

そんな誰もが思い当たるような悩みや苦しみが、思いがけず依存症へとつながってしまうことがあります。

最近になって、ようやく知られるようになった「ギャンブル依存症」。でも、どんな人が苦しんでいるのか、どう回復していくことができるのか、正しい知識を知る機会はほとんどありません。

依存症と聞いても「自分とは違う世界のこと」のような気がするかもしれませんが、実は一見しただけではわからないだけで身近なところにあるのです。

夫婦揃ってのギャンブル依存症、さらに買い物依存症も経験した田中紀子さんは「依存症から回復するプロセスは、自分の生き方を見つめ直すこと」だと言います。そのプロセスのなかで素晴らしい経験や仲間を得て、「いまは、昔よりもずっと幸せ」と語る田中さんにお話を伺いました。

朝から晩までギャンブル三昧のデート

【写真】笑顔でインタビューに答えるたなかのりこさん

人生のピンチはたくさんあったけど、あとから思うと自分も成長できた。

そう笑顔で話す田中紀子さん。そのエネルギッシュで明るい雰囲気は、「ギャンブル依存症」という言葉がもつ暗いイメージを吹き飛ばすようです。ご自身と夫の依存症経験を生かして、いまではギャンブル依存症当事者や家族を支援。公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」(以下、考える会)を立ち上げ、その代表を務めています。

田中さんが「ギャンブルにどっぷりはまった」のは、30代の頃。当時、会社員だった田中さんは、ダブルワークで働いていたアルバイト先で現在の夫と出会います。そのとき、彼は大学6年生。ギャンブルに夢中になって授業や試験に出られず2年留年していました。思えば、すでにギャンブル依存症は始まっていたのです。

夫はアルバイト先では社交的で穏やかな人でしたが、初めて一緒に行った競艇場では態度が豹変。「おら~、まくっていけ~!」と大声を出す姿を、田中さんは「男らしくて頼もしい」と勘違いしたと言います。付き合い始めてからのデートはギャンブル三昧。次第に田中さんもギャンブルにはまってしまい、やめられなくなっていきました。

競艇場に行って、さらに競艇場からも競馬、競輪、オートレースに電話で投票していました。アルバイトが終わった夜中には、仲間と賭け麻雀やポーカー。さらに宝くじも買いこみ、株などにも手を出しました。

やがて、ダブルワークで貯めたお金も底をつき、クレジットカード会社や消費者金融から借金をするようになってしまいます。そんな状況にあっても「ギャンブルをやめよう」ではなく、「ギャンブルで負けたお金はギャンブルで取り返す」と考えていたのだとか。

それってギャンブラー心理なんだよね。

しかし、そんな暮らしが3年続いたあと、睡眠不足とお金のやりくりに疲れ果てて、とうとうギャンブルから足を洗うことを決意。生命保険を解約して借金を返済します。そうして穏やかな日が続いて1年ほど経った1999年3月、2人は入籍しました。

田中さんの体験をまじえて、ギャンブル依存症についてつづった書籍『三代目 ギャン妻の物語』

ある日、夫のポケットから十数枚のカードが……

IT企業に就職した夫は仕事ができて収入もよく、生活は安定していました。いつも2人でおしゃべりをして、休日も一緒に過ごす仲の良い夫婦。

しかし、そんな順風満帆な暮らしに影を落とす出来事が突然やってきます。ある日、夫が立ち上がった拍子にポケットから定期入れが落ち、そこからなんと十枚以上の消費者金融のカードがこぼれ落ちてきたのです。

なにそれ!?

驚いて問い詰めると、競艇のインターネット投票で230万円ほどの借金があるとのこと……。田中さんは腹を立てたものの「今回だけ」という言葉を信じ、「もうやらないだろう」と、夫の借金を全額返済します。

しかし、「これが最後」のはずが、その後も夫の嘘や借金が発覚。その度に尻ぬぐいをした田中さんは、「今度こそはわかってくれる」と現実から目を背けるようになりました。

2000年に長女、2001年には長男が誕生。家族が増えてからはギャンブルもおさまったかのように見えましたが、2004年1月27日に280万円の借金が発覚。

もう田中さんの気持ちは持ちこたえられなくなっていました。何度も肩代わりを重ねてきた借金の総額はすでに1500万円。このときのことを、田中さんは日付まではっきりと記憶していました。

まさか、またギャンブルをやっているなんて全然気づきませんでした。この間まで家族で仲良く過ごしていたのに嘘でしょう?って。何が本当で何が嘘なのかわからなくなって混乱しました。借金よりも嘘をつかれていたことのほうがつらかった。夫は二重人格なんじゃないかと疑ったくらいです。

「何かがおかしい」とたどり着いた心療内科

絶望でいっぱいになり怒りが収まらず、毎日のように夫を罵り、家庭生活はめちゃくちゃに……。しかし、ある日「自分じゃやめられない」と泣き出す夫のつらそうな様子に何かがおかしいと感じて、「ギャンブル」「やめられない」「借金」などのキーワードでネットを検索。そして、ギャンブラーの妻(ギャン妻)が書いたブログにたどり着くのです。

当時はギャンブル依存症の情報は本当に少なかったんですけど、ギャン妻の人が「夫がギャンブル依存症と診断された」と書いているのを見たのです。それが心療内科に行くきっかけになりました。

【写真】インタビューに答えるたなかのりこさん

依存症の人が治療に向かうためには、「底つき体験」が必要だと言われます。それは「もうこれ以上ギャンブルはできない」という底をつくような絶望的な状態のこと。「当時は経済的なことだけじゃなくて、精神的にもボロボロ。私たち2人ともが底をついていたと思います」と田中さんは振り返ります。

それでも、心療内科で医師から夫がギャンブル依存症であると診断されたとき、その言葉を田中さんはすぐには受け入れられませんでした。

そのときの私はギャンブル依存症に対して、家も仕事も失って場外馬券場で朝から座り込んだり、日中ワンカップを飲んだりしているようなイメージがあったんです。夫のようにサラリーマンで仕事もちゃんとしている人がなるものだとは思っていなかった。でもね、「考える会」の相談会に来る多くの家族も「まさか、これが依存症だとは思わなかった」と口を揃えて言うんですよ。

依存者に頼られることに喜びを見出す

田中さん夫婦は、医師から「この病気は病院で治すものではないから、当事者と当事者家族の自助グループへ行ってください」と勧められます。自助グループとは、同じ困難を抱えた人たちが定期的に集まって気持ちや経験を分ち合い、励まし合いながら回復を目指すもので、依存症からの回復にはとても大切な役割を持つとされています。

そこで、夫は依存症当事者の、田中さんは家族の自助グループに参加することになりました。

最初は自助グループに対しても「みじめで暗い人たちの集まり」という先入観をもっていたんです。「一緒にされたくない」と思って、いい服を着ていったくらい(笑)。でも、扉を開けてみたら、思っていたものとは全然違っていたんですよね。英会話サークルか料理教室みたいで、みんな明るくてはつらつとしていたし面白かった!

【写真】微笑んでインタビューに答えるたなかのりこさん

田中さんは心療内科の医師から、特定の相手との関係性に過剰に依存してしまう「共依存」という診断を受けていました。共依存状態にある人は、依存症の人から必要とされることに自分の価値を見出すため、結果として2人セットになって回復を難しくしてしまうのです。

夫が借金トラブルを起こすのは嫌なのに、心のどこかで助けを求められることに喜んでいる感覚もあったんです。「借金を肩代わりすることで役に立っている」「私がいないとダメなんだ」と必要とされることに自分の価値を感じていました。

田中さんは自分がギャンブル依存症や共依存に至ったのには、環境要因もあったと感じています。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるたなかのりこさん

まず、ギャンブルは田中さんにとって身近な存在でした。親も親戚もギャンブルを楽しんでいて、子どもの頃から祖父に連れられてパチンコ屋に出入りし、親類が集まればお小遣いやお年玉を賭けてトランプや花札をしていたそうです。

一方で、ギャンブルによるつらい経験もしてきました。3歳のとき、ギャンブル好きだった父親が会社のお金を横領。それが原因で両親は離婚し、その後の母との生活は経済的にとても苦しいものでした。母方の祖父も遊び人で、パチンコにお金を費やしていました。

それでも、田中さんはギャンブルから距離を置こうとは考えなかったと言います。

ギャンブルに親和性の高い家庭で育ったので、大人になれば当たり前にギャンブルをするものだと思っていたんです。ギャンブルが悪いのではなく、祖父や父のようにのめり込んでしまう人が特別なだけで、自分はギャンブル依存症とは無縁だと考えていました。

さらに、祖父や父によって苦労してきた母親からは、「勉強で世間を見返せ」と強い期待をかけられて育ちました。母親の理想に応えたいけれど、できない――そうやって田中さんは、自尊感情を育てることができないまま成長したのです。

依存症になる人のなかには、私のように貧困のなかで育ったり、過度にしつけが厳しい家庭だったり、虐待されていたりといった背景をもつ人も多くいます。うちは貧しかったので、小さい頃から親から「生きているだけで金がかかる」といつも文句を言われていた。「なんで私は生まれてきたんだろう」と自分を大切に思うことができませんでした。

回復の過程で湧いてきた母への怒り

そうした過去の経験から身についた「考え方のクセ」を直し、依存症になる生き方を変えていくためにあるのが、自助グループで行う「12ステップ」プログラムです。もともとアルコール依存症のためにつくられたものでしたが、いまでは「薬物」や「ギャンブル」など、さまざまな依存症に応用されています。

最初のステップは、自分で自分の人生をコントロールできていないことを認めるという内容で、それから自分の過去を棚卸する作業など12のステップがあります。このプロセスを通じて、自分の考え方のクセや生き方を変えていくのです。

ギャンブラー家庭で育ったり、夫が依存症だったり、私の人生は点で見るとピンチだらけですが、あとから「ここにつながるのか!」と全部が線になる瞬間があった。考える会の活動を始めてからは以前よりも日々が楽しく刺激的です。12ステップを通じてピンチはチャンスへの分岐点だと考えるようになり、生きるのが楽になりました。

「ギャンブル依存症について考える会」の事務所には、依存症に関する書籍がずらりと並ぶ

自助グループでのミーティングの基本は「言いっぱなし、聞きっぱなし」。自分の体験をただ話し、周りの人が感想や意見を言うことはありません。匿名で参加でき、お互いの秘密は守ります。それ以外にも、回復をリードするメンターのような存在を見つける「スポンサーシップ」という仕組みがあり、12ステップのプロセスをサポートしてくれます。

スポンサーがいることで、凝り固まった自分の考えに気づくことができるんです。「あなたには、そう見えているけど現実はそうじゃないよ」とか「みんなが同じように思っているわけじゃないよね」って気づかせてくれる。スポンサー以外の仲間とも連絡先を交換して、どうしてもつらいときには連絡し合う。お互いに支え合っている感じがあります。

しかし、こうして自助グループに通ううちに、田中さんは自分の生い立ちを振り返り、ギャンブル依存症の家庭で、金銭的な苦労を余儀なくさせられてきたこと、自分の夢や希望が叶えられる環境になかったことなど、過去の出来事が受け止めきれなくなりました。それが恨みとして噴出してしまい、母親に対しての怒りが収まらなくなってしまった時期があったそうです。

嫌な記憶がずっと頭をめぐり、同居していた母との関係も悪化。その苦しみを忘れるために田中さんは買い物に走るようになり、今度は買い物依存症を発症してしまうのです。

私がギャンブルをやめられていたのは、妊娠や出産を経験して物理的に無理だったからだったんですよね。クロス・アディクトというんですが、なにかひとつの依存症が止まっても、違うものにシフトしていくことはよくあるんです。もともと依存症になる人って依存症が必要だったとも言えるわけですから……。

【写真】質問に丁寧に答えるたなかのりこさん

カードでブランド品を買い、払えなくなったらブランド品を売ることの繰り返し。決して楽しくて買い物をしているわけではなく、つらくて苦しくて仕方がなかったそうです。「こんなことはやっちゃだめだ」と思って自分を責めてばかりいるのに、一回頭にギャンブルや買い物が浮かぶと、それでいっぱいになり、いてもたってもいられません。

頭のなかで火山が噴火したみたいになって、衝動が止められないんですよ。ダメだ、ダメだと思いながら買っているのでつらい。何を買っても全然ハッピーではないんです。買い物が止められない嫌な現実から逃れるために、また買い物をしてしまう。まさに病気でした。

苦しい思いを経験したからやめ続けられる

それでも自助グループに通うことはやめませんでした。毎週泣きながら「買い物がやめられない」と話し、メンタルクリニックでカウンセリングを受けるなど努力を続けましたが、「私だけは依存症から回復できないんじゃないか」と不安だったそうです。夫も4年目に大きな「スリップ」(ギャンブルを始めてしまうこと)を経験しています。

でも、そうやって苦しい時期があったから、最後には私も夫も12ステップときちんと向き合えたんですよね。依存症になると、ストレスのある出来事が続いたときに、ギャンブルをしたい、思いっきり買い物がしたい、という思いがまたでてくるわけです。それは回復しても無くなりません。でも、とことんまで嫌な「底つき体験」をしていると、「やっぱり、あの絶望的な状態には戻りたくない!」と思って踏みとどまれるんです。

ギャンブル依存症が深刻化するのを防ぐためには、なるべく早い段階で「底つき」を本人が体験することが大切だと田中さんは言います。家族が借金を肩代わりするなど途中で手を貸してしまうと、回復が遅れてしまいます。

家族や恋人といった近い関係であっても、きちんと境界線をひくことが大事。それは見捨てるということではありません。お金の手助けはできないけど、回復の手助けはいくらでもするというメッセ―ジを伝えます。依存症当事者は、それをやめちゃうと何を支えに生きていけばいいのかわからないので自分では決意がつきません。でも、お金の協力がなくなれば回復をつかむしかなくなります。

また、ある精神科医が「一度沢庵になった大根は元の大根には戻らない」と表現したように、依存症になった脳は完全に元の状態に戻ることはないため、ギャンブルをやめ続けるためには回復後も自助グループに通い続ける必要があります。

それを言うと「すごい大変だね」と思われるんだけど、自助グループには楽しいから行くんですよ。頼れる仲間がいて、ありのままの自分を受け入れてくれる場所があるのは、どう考えても幸せなことじゃないですか。一緒に旅行したり、映画を観に行ったり、地方で活動することもあります。自助グループの仲間は、どんなに格好悪いことも、みじめなことも、みんな笑い飛ばしてくれる。本当にありのままの付き合いという感じ。こういう出会いを得て、私はむしろ恵まれていると思っています。

「12ステップ」の最後に掲げられた目標は、同じ問題で困っている人たちを助けていくこと。世の中のギャンブル依存症問題を解決するという共通の目標があることも、結び付きを深くするのかもしれません。

自分たちの活動によって誰かが幸せになっていく姿をみるほど幸せなことはない。それをやり続けていて楽しくないわけがないですよね。

「ギャンブル依存症についてもっと知ってほしい」と誰にでもわかりやすい漫画や動画などを使い啓発活動もしている

意思や根性ではなく、脳の病気

ギャンブル依存症である夫と共依存だった自分を振り返り、田中さんはこう話してくれました。

自分のかかわりによって誰かを矯正したり、自分の思い通りに導いたりすることができると思っている人って、実はすごく多いのではないでしょうか。でも実際は、その人の人生はその人にしか取り仕切れない。自分を取り仕切りながら、自分を愛していくこと、そして自分自身を認めて、自分の居場所をつくっていくこと。そういうことをきちんと自立してできる人が、他人と健康的なかかわりをもてるのだと、いまは思います。

依存症からの回復後、田中さんは顔も実名も出して、仲間と依存症問題を軽減するための活動を始めました。夫も子どもたちもこの活動を応援してくれています。

子どもたちは、小学生のときに私たち夫婦のTV取材がきっかけで活動のことを知りました。でも、「困っている人を手助けしているんだよ」と説明したらわかってくれて、「取材にもどんどん出て」と言ってくれたんです。幼稚園時代からのママ友たちも「あのとき依存症だったなんて気づかなかった」と驚いていたけど「がんばってね」と言ってくれて、こっそり相談を持ち掛けられることもあります。

田中さんのもとには、全国の依存症家族からの相談が毎日のように寄せられます。また、いま依存症で苦しんでいる家族や回復した人の家族がLINEで大小さまざまなグループをつくり、お互いに情報交換や相談もしています。コアメンバーだけでも300人以上。田中さんはそれらのLINEすべてに目を通し、必要なアドバイスを送ります。

【写真】取材中にスマホで連絡をするたなかのりこさん

取材の最中にも、田中さんは携帯には依存症家族からの相談がLINEで届く

日本では依存症のことが、まだまだ知られていません。偏見もあって、依存症の人が相談にたどり着くまでに平均10年もかかると言われています。「自己責任」「甘えている」「意思が弱い」と間違った対処法で立ち直らせようとしても事態は悪化するだけ。
依存症はWHO(世界保健機関)でも認められた脳の病気で、脳を繰り返し興奮状態にすることでドーパミンの活動が過剰になり、コントロールを失って発症すると言われているんです。

同じような食生活をしていても病気になる人とならない人がいるように、パチンコに通っていても依存症を発症する人もいれば、しない人もいます。ギャンブルをやめられないのは脳機能の誤作動であって、意思の強さの問題ではありません。そして、どんなに深刻なギャンブル依存症であっても、本人に変わろうという気持ちがあれば必ず回復できるのだと田中さんは言います。

【写真】微笑んでインタビューに答えるたなかのりこさん

自分を変える努力が一歩一歩でもできれば、依存症は絶対回復します。1人ではやり方もわからないし不安にもなるから、同じ経験をした自助グループの仲間につながることが一番楽。それは家族も同じこと。少しずつでも行動していけば、きっと1年後には、もうあなたは同じ問題で悩んでいません。抜け出したいと思ったなら、ぜひ私たちの手をつかんでください。

諦めないことが何より大事

正直に言えば、実際にお話を聞くまでは、私もどこか依存症に対して「他人事」という感覚がぬぐえませんでした。でも、自己肯定感の低さによる不安、現実から目をそらすために何かに没頭するなど、自分にも思い当たる要素がたくさんあると気づきました。

ギャンブル、スマホ、買い物、ゲーム、アルコール……依存症の問題は、意外なほどすぐ近くにあるのかもしれない、といまは思います。

「予備知識を持っていても、依存症は病気なので100%防ぐことはできない」と田中さんは話していましたが、正しい知識や対処の仕方が広まることで、依存症にまつわる課題を減らすことはできます。そして、それは一度依存症になった人が社会で再チャレンジしていくためにも必要なこと。

とてもつらい経験をされてきたのだと思いますが、それでも諦めず自分と向き合ってギャンブル依存症から回復した田中さんは、自分らしい生き方を見つけて生き生きと輝いています。

変わりたいと思って行動したら、必ず回復できる。

そんな力強い言葉が、私の背中まで押してくれるようでした。

【写真】最後にとてもいい笑顔を見せてくれたたなかのりこさん

関連情報:

ギャンブル依存問題を考える会 ホームページ

(写真/馬場加奈子)