こんにちは!soar編集長の工藤です。
これまでsoarでは様々な病気について記事を出してきましたが、まだまだ知られていない病気を抱えている方がたくさんいます。今回紹介する「1型糖尿病」もそのひとつ。
きっかけは、ある日、友人で絵本作家のくさかみなこさんからこんなメールが届いたこと。
私の娘は2年前に突然、一型糖尿病という難病を発症しました。今のところ、不治の病いです。食事をとるときと、朝晩、インスリン注射を自分で打たなければ高血糖を起こし、命に関わります。インスリン注射をうまく打てていれば、普通の生活も送れますが、精神的な負担が大きくなかなか安定せず、難しい病気です。
病名に対して無理解が大きく、周りに打ち明けることができずに、秘密にしている方も多いです。そのためにも、この病気についての正しい理解を広めることが大事だと思っています。
それまで「糖尿病」という病名は知っていても詳しくわからなかった私は、このとき初めて「1型糖尿病」を知りました。
まだ小さな子どもが自分で注射を打たなければ、みんなと同じように暮らしていくことができない。しかも、周囲からの理解がなかなか得られないのは、子どもにはとてもつらいことだと思います。
今回は、みなこさんのご友人で1型糖尿病患者の久保園さんにお話を聞き、みなこさんにイラストを描いてもらい、1型糖尿病について知ってもらう機会をつくらせていただきました!
不治の病いと言われている1型糖尿病
子供から成人までの間に発症することが多く、10万人に1人の発症率だと言われている1型糖尿病。いまだ原因不明で、膵臓のβ細胞が壊れてしまい、まったくインスリンが分泌されなくなってしまう病気です。今の医学では治ることがないといわれていて、インスリンを体外から補給しないと生命に関わるため、患者はインスリン注射を欠かしてはなりません。
1型糖尿病の患者数は全国に7〜8万人程度。そのため、1型糖尿病の認知度がまだ低く、患者やその家族は社会での誤解に悩まされています。
インタビューをさせていただいた久保園知香さんは、今24歳。子どものころから1型糖尿病を患い、もう14年になるのだそう。11歳という多感な時期で発症し、青春時代を悩み、葛藤しながら生きてきたという知香さんの体験談をお聞きしました。
スポーツが大好きで活発な少女時代
知香さんは幼い時から活発で、幼稚園では一輪車、竹馬、ドッジボールが得意でいつも先生や友達から褒められていたのだそう。小学校でも委員会やクラブ活動はどれも体を動かすことのできるものに所属するなど、とにかくスポーツが大好きな女の子!運動会では、全校生徒の代表として台の上でラジオ体操のお手本をつとめるほどでした。
そんな元気いっぱいの少女時代を過ごしていた知香さんが1型糖尿病を発症したのは、小学校5年生のときでした。
知香さん:健康診断のとき、尿検査で異常が見つかりました。すぐ大きな病院で採血など様々な検査をした結果、1型糖尿病と診断されたんです。今まで大きなケガや病気はしたことがなく健康体で、予兆のような症状など全くなくって・・・。担任の先生も「朝食の何か砂糖が採尿の時に付いちゃったのかもね」と、病気だなんてまったく疑っていませんでした。
感染でも遺伝でもない。原因もまだわかっていない病気を突然宣告され、幼い知香さんは戸惑いました。
知香さん:先生が診察室で病気のことをいろいろ説明してくれましたが、私には難しくて何のことだかわかりませんでした。一つだけ理解できたのは「一生治ることはない」ということ。「残念ながら・・・」と先生が何度か口にしたのは覚えています。
先生の話がピンとこなかった知香さんは、「今すぐどうにかしないと死んじゃうわけじゃないなら大丈夫。学校やバスケに支障が出ないなら平気!」と、軽い気持ちでいました。
「どうして注射をしないと“普通”になれないの?」
病名がわかってからしばらくは、飲み薬で様子を見る日々。それでも高血糖は治らず、膵臓から全くインスリンが分泌されていないとわかると、知香さんはインスリンの自己注射をしなければいけなくなってしまいました。インスリンの分泌が悪くなった状態が続くと、症状が悪化したり、他の病気との合併症を引き起こす可能性がある。そのため、不足したインスリンを注射で身体の外から補わなければいけないのです。
知香さん:注射の打ち方や量、血糖コントロール、カロリー計算に食事量や運動量など、覚えることはたくさんありました。まだ自分の体の中で起きていることだと認識できていない私は、頭の中が「?」でいっぱい。でも、ゆっくりと考える時間はなく、心の準備がほとんどできませんでした。
「これからは自分で考えて注射を打たないといけないからね。間違った量を打つと危険だからね。」と病院で指導を受けましたが、知香さんはまだ子どもだったので不安でいっぱい。「自分よりも幼い子も自分で注射を打っているから、もう11歳だし自分でできるよね」と励ましの言葉が、知香さんにとっては大きなプレッシャーだったといいます。
知香さん:「11歳なのに自分でできないんだ」と思われたくなくて、最初は周囲の期待に応えるべく一生懸命でした。でも1か月以上の入院だったので学校へ行けない、大好きなバスケも出来ない。遊べない、友達や家族に自由に会えない。そんな毎日がつらくて、あの頃は泣いてばかりでしたね。
病気になってから半年後には、1日4回(毎食前と寝る前)注射を打つ生活がスタート。知香さんにとって、自分の体に自分で注射を打つのは痛みもありとてもつらい毎日でした。
知香さん:「注射を打ってコントロールができてさえいれば、普通の子と変わらない生活ができるからね。」と周りは安心させるつもりで言ってくれていたと思います。でも「私は注射をしないと“普通”になれないの?なんで痛いこと毎日しないといけないの?」と、心の中はつらさでいっぱいだったんです。
心の支えは大好きなバスケをしている時間
学校生活をしながら1日4回の注射を続けていた知香さん。学校のクラスメイトやバスケのチームには、自分の病気のことはちゃんと話してオープンにしていました。
知香さん:私もみんなに話した方がやりやすいんじゃないかと思っていたし、両親も同じ考えだったんです。ですが、有名な病気じゃないし外見では分かりづらいから、まだ子どもだと理解しにくいだろうし勘違いもきっとある。そこをわかったうえでいないといけないね、みたいな話は家族や学校の先生方とよく話していたと思います。
小学校、中学校と病気のことは周りの人に知ってもらってはいましたが、知香さんの心は病気を受け入れたくないという葛藤に押しつぶされそうな毎日。「病気は知ってもらっているけど、病気の悩みを普通の子に話したところで・・・」と、学校では無意識のうちに周囲と壁を作るようになってしまいました。
そんな知香さんの心の支えになったのは、大好きなバスケをしている時間でした。
知香さん:病気を抱えながらも、ミニバスでも中学の部活でも常に主力メンバーとして力になり、選抜にも選ばれました。バスケは激しいスポーツなので、しょっちゅう低血糖になって練習を抜けることもありつらい思いもしました。でもバスケは私にとって、日頃の治療のストレスを忘れることができる一番楽しい時間だったんです。
早いうちから病気のことをオープンにして生活していた知香さんですが、大人になってわかったことは、自分のように周囲に病気を打ち明けているケースはめずらしいということ。学校や職場、恋人や仲の良い友達でさえ、病気のことを言えない・隠している人の方が圧倒的に多いのだそうです。受け入れてもらえるかどうかの不安だけでなく、病気を話したことで就職が難しくなったり、結婚相手の家族に良く思われなかったなど、いろいろなケースがあります。
知香さん:私も「病気なんて嘘じゃないの?」と言われたことがあります。そのときは、勇気を出してカミングアウトしても信じてもらえないことにすごく傷つきましたね。
変わらない愛情で接してくれる家族や友人の支え
成長するにつれ、知香さんにはだんだん同じ病気の友達ができていきました。友達と病気特有の悩みを相談し合ったり励まし合ったりしているうちに、強い絆で結ばれていると感じるようになっていったそうです。
ただ、「病気の付き合い方」については、みんな違うなと思うことがありました。
知香さん:「病気のこと、どう思ってる?」と聞くと「注射さえ打てば、普通の子と変わらない生活できるんだし深く考えたことないよ」とみんな同じような答えでした。私にはとてもそうは考えられませんでした。本当は、ずっと注射をし続けなければならないというやるせない気持ちを共有したかったんです。みんな病気があっても楽しそうにしている・・・。「なんで私だけ違うんだろう。私がおかしいのかな」と孤独を感じました。
病気に対する抵抗(主に注射を打つ行為)、同じ病気の人と気持ちを共有できないという孤独。自分はおかしいんだろうかという悩み・・・。そんな行き場のない気持ちだけは誰にも打ち明けることが出来ず、気付けば知香さんは20歳になっていました。
知香さん:10代はアイデンティティを形成する大事な時期。でも私にとっては10代は、ほとんど病気というフィルターを通して世界を見るしかありませんでした。外見じゃ病気だとわからないし、話しても理解されにくいことで、必死に「普通の女の子」を演じるしかなくて。今はほぼ完治していますが、強いストレスからうつ病と解離性障害を患った時期もありました。
あまりのつらさに、「もう死んでしまいたい」と思うこともあったと知香さんは話します。
知香さん:でも「今死んだらこれまで頑張ってきたことは意味がなかったってことになる。痛いことも辛いことも我慢してきたのに。こんなこと、きっと私も家族も望んでない。」と、思い直すことができたんです。
そして、周りの人がいかに私を愛してくれているかがわかったことも大きかったです。家族も友達も私が辛くてどうしようもない時も八つ当たりしてしまった時も、変わらず接してくれました。周りの人に恵まれているということ、変わらない愛情でいつも接してくれる家族や友達がいるということに、病気になったからこそ気付けたんだと思います。
今まで病気と共に生きるために、家族と一緒に頑張ってきた自分。つらい毎日のなかでもその一生懸命やってきた経験と強さこそが、知香さんの支えになっていたのかもしれません。
苦しい気持ちを安心して共有できる場をつくりたい
知香さんに転機が訪れたのは、大人になってから同じ病気の友達に誘われて参加した大阪の患者会でした。
知香さん:そのときの経験で、私の人生は変わりました。自分が抱えている気持ちを話せる場があること、聞いてくれる人達がいること。そして「私もうつ病だったよ」など同じ境遇同士共感し合えること、“こんなにも気持ちが軽くなるのはすごい!”と、嬉しさのあまり涙が出るくらい興奮しました!それまで患者会がこのように悩みを共有できるような会だとは知らなかったんです。
患者会に参加したことで、気持ちが晴れ晴れと前向きになり、生きている喜びを感じられるようになったという知香さん。そして、今後自分のしていきたいことが明確になったといいます。
知香さん:私は1型糖尿病を発症している若い女の子に向けて自分の体験談を発信していきたいと思っています。病気があっても学生生活に支障がないように、青春を謳歌できるように、私ができることは体験談を語ることかなって。
病気があっても何でもできる、選択肢はたくさんある、あきらめる必要はない。未来は明るい、と気づいてもらいたいんです。
現在、知香さんは合併症を3つ患っています。でも発信していればきっと必ずどこかに同じ悩みを抱えている人がいると信じ、未来ある若い人たちのためにご自身の経験を伝えていきたいと考えています。
知香さん:病気との長い付き合いの第一歩目でつまずいてしまうと、どんなに医学が進んでも、どんなに良い薬ができても、心がついていきません。大事なのは一歩目の心のケアだと思います。
現在も患者会での講演を行っていますが、今後は1型糖尿病の若い女の子向けのウェブサイトを立ち上げたいと考え準備をしている途中です。
知香さん:私は昔、苦しくて「誰か気づいて、誰か話を聞いて」と心で叫んでいました。でも今の私なら、同じように苦しい思いをしている誰かをサポートしてあげられると思います。つらい気持ちをただ言葉にして、共有する場が必要なんです。それが私の「病気の付き合い方」の答えであり、私の使命だと思っています。
みんな頑張ってる。「毎日よく頑張ってるね」と声をかけてあげてほしい
たとえば、もしこれを読んでくださっている方の周りに、1型糖尿病を患っている子どもがいたとしたら。心配で「注射したの?」「大丈夫なの?」と言いたくなってしまう気持ちもあるかもしれませんが、「ぜひその子を褒めてあげてほしい」と知香さんはいいます。
知香さん:この病気の人はみんな、誰に褒められるわけでもなく痛い注射を毎日こなしています。それだけでなく食事・運動・血糖値などいろいろなことを考えながら生活しているのです。頑張って一日の治療のノルマを達成しても当たり前とされてしまうなかで、1型糖尿病と付き合いながら周りと同じように学校や職場で生活するのはかなりの負担。
だから、せめて親御さんや近しい人には「毎日よく頑張っているね」「今日も注射頑張ったね、偉いね」「あなたの頑張りはいつも見ているからね」と言ってあげてほしいです。それだけで安心すると思うし気持ちも少しは軽くなると思います。
そしてもし、今1型糖尿病だけでなく病気を抱えている人がいるとしたら、知香さんはこんな風に声をかけたいのだそうです。
知香さん:「悩みに押しつぶされてないですか?しっかり発散できてますか?誰かに聞いてほしかったら私が聞いてあげるよ。」と言いたいですね。そして「よく今まで生きてこられましたね。辛い思いをたくさんされてきたと思います。人より何倍も苦しい思いしたんだから、これからは人より何倍も楽しいことしないといけません。」と伝えたいですね。
全てのことに意味がある、かけがえのない人生を精一杯生きたい
病気とともに歩んできた知香さんに生きる勇気を与えてくれた一冊の本があります。それは渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」。
知香さん:どの言葉も素晴らしくて一つを選ぶことは難しいのですが、その中でも「境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。【現在】というかけがえのない時間を精一杯生きよう。」という言葉を胸に、私は生きています。
信じていることは「人生のすべてに意味がある。良いことだけに意味があるんじゃなくて、私の苦悩と葛藤の日々にも絶対意味がある。人生に無駄なことは一つもない」ということ。そう思うと、たとえなにもかもうまくいかない日があっても「こんな日もあるか。こんな日も未来の自分の糧になるんだし、無駄ではないんだもんな」と思えます。
10代は病気で青春をあまり楽しめなかったという知香さんは、ここからが私の青春時代だと話します。
知香さん:思いっきり好きなことしたいです。恋愛も楽しみたいし、いずれ結婚して子どももほしい。病気だとしても、女性としての幸せを味わってみたいです。「たとえ病気があっても人生を楽しむ気持ちさえあれば大丈夫!」と今は思うので、今しかできないことを思いっきり楽しみたいです。
今、知香さんは同じ病気のひとたちをサポートしたいという気持ちで前向きに活動するとともに、心穏やかに暮らせる工夫をしながら毎日生活をしています。
前述の本「置かれた場所で咲きなさい」の装丁には、一輪の黄色いたんぽぽの花が描かれています。
病気である今の自分からは逃げることはできない。でも、病気と付き合いながらも少しでも楽しく幸せに生きたい。
そんなひたむきな想いで頑張る知香さんは、絵のなかの一輪のたんぽぽのようだなと私は思いました。何気なくそっと道端に咲いているんだけれど、凛とした強さと優しさがある。そして知香さんの同じ病気のひとを思いやる気持ちが、綿帽子のように広がっていってほしいなと心から思うのです。
1型糖尿病の患者は日本に7〜8万人いるといわれているので、知香さんのように苦しみを理解してもらえずつらい思いをしている子どもたちはきっとたくさんいます。
病気の認知はすぐには高まらないかもしれませんが、こうして記事を読んで下さる方がいることで少しずつ理解が広がっていくはず。「同じ病気で悩みやつらさを抱えているひとたちをサポートしたい」という知香さんとみなこさんの思いを応援するとともに、soarも病気への理解に協力できたらと思います。
(イラスト/絵本作家 くさかみなこ)