【イラスト】枕を抱えてベッドの上に座る、どいさん

睡眠は生活の中で、とても大事なことのひとつ。少し眠れないだけでもとても体がダルくなったり、集中力が続かなかったりしますよね。不安で眠れないときがある、眠りが浅くて途中で起きてしまうなど、睡眠にまつわる悩みを抱えているひとはたくさんいると思います。

でも、睡眠にまつわる問題は「睡眠障害」と総称される病気の場合があることは、知らない人が多いのではないでしょうか。このコラムでは、幼い頃から睡眠障害があったという土井貴仁さんに、ご自身がどんな症状を経験したのか、どうやって病気と付き合ってきたのかを書き綴っていただきました!

まだあまり知られていない「睡眠障害」

はじめまして!土井貴仁です。僕は小さい頃から睡眠に悩みをもち、つい数年前まで10年以上も睡眠障害に苦しんできました。

長年苦しんできた不眠を治療により克服できましたが、その喜びと共に「なぜ自分は不眠の克服にこんなに時間がかかってしまったんだろう」と疑問を持ち、そこから日本における不眠治療の現状や不眠への対策などに関心を持つようになりました。その中で感じた課題や問題点を解決すべく、現在は個人や様々な企業と協業しながら、色んな形の睡眠サービスの開発を進めています。

睡眠障害はまだあまり知られていない症状だと思いますが、今回はどんなことで悩んできたのか、自分の体験を紹介したいと思います。

寝つきが悪い不眠症に悩んだ子ども時代

僕は、色々な症状がある睡眠障害の中でも「不眠症」という症状でした。睡眠障害というと聞きなれない言葉に思われますが、不眠症ならみなさんも一度は聞いたことがあると思います。

不眠症を代表とした、睡眠に関する色んな病気をまとめて睡眠障害と言います。最近よく聞くようになった、睡眠時無呼吸症候群も睡眠障害のひとつ。僕はその不眠症の中でも一番多いと言われる「寝付きが悪い」という症状に小さい頃から悩んでいました。医学的な区分だと、入眠障害にあたります。寝付くのに2~3時間かかったり、ひどいときには眠れないまま朝を迎えることもありました。

不眠の症状を感じはじめたのは幼稚園の頃からです。幼いながらも、すぐ寝付ける兄弟と自分は違うな、となんとなく自覚していました。幼稚園のお泊り会で、周りが寝ている中で1人だけ寝れず、何時間も寝たフリをするのがとてもつらかったのを今でもよく覚えています。

車に乗っているときなど無意識のときには寝てしまうこともあるのに、いざ寝ようと思うと体が無意識のうちに緊張したり不安が高まって眠れなくなるのです。

小学校の頃は体が弱く、月に何度も学校を休んでいました。今振り返ると睡眠不足を補うために1日休んで睡眠をとり、体調を調整して次の日からまたがんばる、ということを繰り返していたのではないかと思います。幼い頃から完璧主義で根が真面目だったので、学校では眠たくても居眠りもできません。なので、先生や友人など周りは自分が眠気を感じていることや、睡眠に悩んでいることにほとんど気づいていなかったんじゃないでしょうか。

体調不良の多くは単なる睡眠不足なので、休んでたっぷり寝れば体調は回復し、昼すぎにはもう元気になっていました。親からすると「ずる休みなんじゃないか?」と思うこともあったんじゃないかと思います。

中学校でも眠れない日が続いた

中学になると勉強が難しくなったり、部活動への強制参加だったり、様々なハードルがいきなり上がりました。「勉強に遅れるかもしれない」、「部活を休むと怒られるかもしれない」と思うと、小学校のときのように休み休み学校に行って自分の体調を保つことが難しくなっていました。

息を抜く間もなく、完璧主義もひどくなっていって、中1の夏休みの後半にはとうとうがんばることができなくなってしまって。今までの緊張の糸が切れたかのように部活も休むようになり、「今日もだめだな、明日こそ行けるかな」を1週間ほど繰り返しました。

2学期になると学校にも行きづらくなり、そのまま1年半くらい学校に行ったり行かなかったりする生活を続けました。不眠もひどくなって、10時に布団に入っても寝れるのは1時か2時、毎日4~5時間しか眠れない日々が続きました。

「よく頑張ってるね」。おばあちゃんの言葉が支えになった

【イラスト】笑顔でどいさんの肩を軽くたたく、おばあちゃん

家族も「この子は眠れないんだな」と不眠の症状に気付き始めたころ、一番心の支えになってくれた存在はおばあちゃんでした。

両親が共働きだったので、僕は学校に行かなかった時期はほとんどおばあちゃんと過ごしていました。両親は学校に行けないことに焦りがあったようですが、おばあちゃんは違う視点から僕をサポートしてくれたんです。

「あなたはよくがんばる子だから、その疲れが出たんだね。またゆっくり休めば元気になってがんばれるよ。」

おばあちゃんは、学校に行かなくたって僕のことを認めてくれる唯一の存在。学校に行けないことで自分を否定しがちだった僕にとっては、自己肯定感を保たせてくれる大きな存在でした。

でも中3のとき、おばあちゃんが病気で亡くなってしまいました。

僕に直接は言わなかったですが、おばあちゃんは「早く元気になって学校に行く姿が見たい」と望んでいたことを伝え聞きました。その言葉によって、僕は「もう一度必死に頑張ってみよう」と決意し、中学最後の1年は学校に通い続けることができました。

不眠のつらさを乗り越え、大学受験に合格

ただ、不眠の症状が改善されていたわけではなかったので、高1の途中で体が限界に来て再び学校に通えなくなってしまいました。留年するか、通信制高校に行くか、はたまた自分で高卒認定試験(旧大検)を受験し、独学で大学進学を目指すか。僕は判断を迫られました。

自分が不眠でうまく生活できないことはわかっていたので、学校に再チャレンジするのは失敗してしまいそう。それだったら自分で時間をコントロールできる道を選ぼうと、休学して自分で勉強して大学に進学することに決めました。両親も僕の体の特性や性格を十分理解できていたようで、僕がやりたいようにできるよう、全力でサポートしてくれました。

僕は寝付きが悪いだけで、一度寝てしまえば6-7時間普通に眠ることができます。だからこそ、自分で時間をコントロールできれば、うまく生活していけるんじゃないかと思っていました。

休学してからは体調を崩すこともほとんどなくなっていたので、無事高卒認定試験にも合格し、将来の目標に向かって気持ちを新たにすることができました。

そして大学受験を迎えるまで、リズムを作りながら勉強に励むことができ、模試でも志望校合格ラインがクリアできていました。

しかし、受験当日は朝から試験が始まります。「眠れるだろうか」と緊張するがゆえに、いつも以上に不眠の症状が表れ、結局ほとんど眠れないまま受験に臨むことになってしまったのです。

センター試験はなんとか乗り切れました。でも二次試験最後の教科時間に寝てしまって、1教科はほぼ白紙で提出してしまいました…。

結果はもちろん不合格。これまで頑張ってきのに、結果が出なかったことが自分の中ではとてもショックでした。実力が足らず不合格ならまだしも、不眠が原因で実力を出しきれなかったことは、受験のことだけではなく、漠然とした将来への不安にもつながりました。

「この先自分はずっと不眠に苦しめられていくんだ」

そんな恐怖を感じたんです。不本意な終わり方が納得できず、浪人することになったのですが、また同じことが起きるのではないかと不安で仕方がありませんでした。

ですが、医師の処方によってずっと避けていた睡眠薬を飲み始めたことで、状態はよくなっていきました。(薬は人によって合う合わないがあると思うので、あくまでも僕の場合はと考えていただけたらと思います)

それまで睡眠薬は「一度飲み始めたらやめられなくなるのではないか」というイメージを持っていたのですが、飲み始めてからは「薬を飲めば眠れだろう」と思えるだけで気持ちがとても楽になりました。もしかしたら不眠症の人は、眠れないこと自体へのストレスや疲れももちろんですが、「今日も眠れないんじゃないか」という不安が大きな精神的負担になっている部分もあるかもしれません。

当時の僕は薬を飲むことで、その不安を緩和することが出来ました。もちろん、薬に対する不安も変わらずにありましたが、当時はそれ以上に眠れない不安が解消したことのほうが僕にとっては大きかったのです。

そして、無事2度目の受験で大学に合格することができました。

睡眠で何かを諦めることはなく、アクティブに活動した大学時代

【イラスト】大学の友人らとともに、スーツを着用してはつらつとした様子のどいさん

大学では、これまで思うように活動できなかった分、ビジネスコンテストの運営やNPOのボランティア、ゼミの活動など積極的に活動していました。相変わらず不眠症はつづき睡眠薬も飲んでいましたが、中高に比べれば自分のペースで学業を続けることができていました。完璧ではないけれど、自分がやりたいことができていたし、睡眠のために何かを諦めることが少なくなっていました。

「自分はみんなが当然にできることができない」
「やりたいことは諦めなきゃいけない」

そんな風に思っていた中高時代とはよりも、少し前向きになれていたのです。だからこそ、このままでもいいかと思いながら、不眠の問題に向き合わないでいる部分もありました。「自分が睡眠薬を飲んでいる」という事実に向き合うことは、自分が人と違うことを認めてしまうようで、やっと手に入れたものがすべて壊れてしまうようで。怖くて見ないふりをしていたんです。

意気込みとは裏腹にうまくいかなかった就職

大学卒業後は教育事業をやっているベンチャー企業に就職。自分がやりたかったフリースクール事業に携わりたいと意気込んでいました。でも、毎日決まった時間に出社し、夜まで働き、残業や休日出勤もある生活は、自分にとってとても辛かったです。

入社して3ヶ月くらい過ぎた頃から、今まで以上に眠れなくなり、徐々に体調が悪くなってきました。

それを睡眠薬とお酒を飲んで不安を紛らわせ、無理やり2~3時間だけ寝て出社する生活を続けていましたが、すぐに限界が来て休職することに。1週間程度ですぐに復帰しようと思っていたのですが、やはり生活を立て直すことはできませんでした。

当時会社の人には、不眠症のことは「なんとなく寝付きが悪い」程度にしか伝えていませんでした。不眠症のことを伝えると、やりたい仕事に就けなかったり、昇給・昇進に影響するのではという不安や怖さがあったからです。

この状況になって不眠のことを人事担当者に初めて正直に伝えると、数ヶ月単位で一度休職してみようということになりました。

休職して実家へ。悔しくて仕方なかった胸のうち

休職期間は実家に帰っていましたが、その頃はショックな気持ちしかありませんでした。中学・高校と挫折して、大学でやっと自分の思うように活動できたと思ったのに、また挫折してしまったからです。

しかも、親の反対を押し切るようにして自分で選んだベンチャー企業。やりたい事業ができる企業に入ったのに、こんな風になってしまった自分が悔しくて恥ずかしくて。

学校もまともに通えなければ、会社勤めもできない。社会に貢献するどころか、自分で生活を維持することもできない。当時不眠がキッカケで一時的にうつ状態になっていたこともあり、「ああ、もう人生に希望はないな」と思い、将来については一切考えられなくなってしまいました。

変化のきっかけは両親からの言葉だった

会社に復帰出来る気もしないし、だからといって地元に帰ってくるのもなんとなく逃げるみたいで嫌で。不安で何も考えられず、悶々としながら過ごしていました。でもある日、最初は何も言わなかった両親からこんな風に言われたんです。

「まずは不眠を治そう。きっとまた働けるし、自分の好きなことができるようになるから。どれだけお金や時間をかけてもいいから、今しっかり治そう。」

正直はじめは、軽く聞き流していました。実際今までしていたことは、睡眠薬を飲む対処療法だけ。今まで20年近く治らなかったし、小さい頃から病院に行っても「気のせいだ」とか「神経質すぎるよ」とあしらわれるだけだったので、治すことも諦めていたし、問題に向き合おうという気持ちも起きなかったのです。

けれど、何度も両親が粘り強く言い続けてくれたことで、僕は少しずつ「もう一度しっかり不眠に向き合ってみよう」と思いはじめるようになりました。

ちょうどそのとき、休職の期間も終わるタイミングが訪れました。何か少しでも動かなければいけないと思い、全国でも有名な、東京のある睡眠専門の病院に行くことに決めたのです。独学で本を読んだりしながら睡眠についての勉強もこの頃からするようになりました。

通院、そして認知行動療法との出会い

通い始めた病院では、不眠治療における認知行動療法(通称:CBT-i)で治療を進めていくことになりました。睡眠を妨げるような行動や考え方を徐々に直していくことで根本的に解決を目指そうというアプローチです。

必ずしもこの治療が誰にでも合うわけではないと思いますが、僕にとっては自分の不眠について学ぶことは、「自分の不眠としっかり向き合いたい」というその時の気持ちと合致していました。

僕はこれまでの眠れない経験から、「ベッド(寝床)=眠れない」というイメージが無意識に身体に結びついてしまっていました。そのせいで、すごく眠気があっても布団に入ると目が冴えてしまったり、急に考え事が浮かんできて不安になったり緊張して眠れなくなってしまうのです。

そのイメージを「ベッド(寝床)=眠る場所」に変えるため、眠たくて仕方なくなるまでベッドに入らないとか、眠れなかったらベッドを出るとか、ベッドで本を読んだり音楽を聴いたり眠る以外のことをしないなどのように習慣づけました。そうすることで、できるだけベッドに入れば眠れるという成功体験を積み重ねていきました。

すると、少しずつ精神的な不安が無くなってだんだん眠れるようになってきたのです。

退職、病気の克服。そして新たなへ道のスタート

ちょうど休職の期間が終わったので、治療に専念するために会社は退職することにしました。その頃は睡眠について学んだり、不眠の原因も知って、このまま治療を続ければ治るんじゃないかという手応えがありました。今は一旦仕事を辞めてしまうけれど、治したらまた働けるだろうと、少し前向きな気持ちになれていたんです。

そして治療を始めてから半年で不眠の症状がほぼ収まり、1年ほどで睡眠薬も止めることができました。

20年近く悩んでいたことが、1年ちょっとの努力で柔らぎました。「自分の不眠はずっと治らない」、「死ぬまで一生睡眠薬を飲みつづけるんだ」と思っていたものが、自分の睡眠との向き合い方によって変わったのです。

不眠症を治すことができると知っているか知らないかで、その後の人生がすごく変わる。そう実感しました。

それと同時に「そもそも自分は、何十年も不眠で悩んでて、実際に治療も何年もやっていたのにどうしてこんなに睡眠や不眠症について知らなかったんだろう?」という疑問を持ちました。そして、睡眠や不眠に関する様々な情報が多くの人に知られていない、知る機会がないという現状に気づいたんです。

睡眠は大事なのことなのに、睡眠ついて教わる機会はほとんどありません。だから不眠など睡眠の悩みを抱えると1人で抱え込んで苦しんでしまう。もし困っている人に情報をちゃんと伝えることができれば、同じように悩む人がもっと救われるんじゃないかと考えるようになりました。

経験を活かした事業を生み出す決意とともに

そう思っていたときに、前職の先輩の紹介で自身がうつ病を患った経験を活かし、うつ病患者のオンラインコミュニティ「U2plus」を立ち上げた東藤泰宏さんの存在を知りました。「自らの経験を活かして何かを生み出す」という選択肢があることに気づいたんです。

大学時代にピア・サポートに興味があったこともあり、「自分の負の経験が誰かのためになったとき、つらかった不眠に意味があったと思えるんじゃないだろうか」と思い、自分のできることからはじめてみることにしました。

まずは、自分の不眠についての経験を書いたブログの発信をはじめました。それがキッカケで、友人から「実は自分も悩んでいたんだ」と声を寄せてもらったり、研修というかたちでお話させてもらったりするように。今まで気づかなかっただけで、睡眠に悩んでいる人はやはりたくさんいたんです。

その後、睡眠の勉強をさらに深め、より専門的な観点からサポートできるようになるために睡眠健康指導士の資格も獲得。さらに前職の先輩にサポートしてもらいながら、事業プランを作り、2015年11月にスタートアップと大企業を繋ぐビジネスプランコンテストに参加しました。そこで優勝することができ、ある会社と共同でサービス開発をするチャンスを手に入れることができたんです。

事業を本格的に進めるために仕事を辞め、2016年4月には独立しました。現在は「Fuminners」 という媒体で連載をしながら、自身の経験を活かして睡眠に悩みを持つ方をサポートするサービスのリリースに向けて準備を進めています。

自分の苦しみがきっと誰かの希望になる

【イラスト】「Helping you helps me」と書かれた本を見せるどいさん
これまで不眠のためにいろんなものをあきらめたり、つらい思いをしたこともたくさんありますから、本来は自分にとってマイナスでしかない経験です。でも、これがただただ意味のない、苦しい体験だったと思いたくありませんでした。

私は大学生の時にピア・サポートという当事者同士での支え合いの仕組みに興味を持っていました。そのピア・サポートの考えの中で、「ヘルパー・セラピー原則」というものがあります。

“Helping you helps me”

つまり、「誰かを助けることが、自分自身を助ける」という考え方です。

ピア・サポートでは、一方が相手のために何かをしてあげているように見えても、実は助けているほうも、「誰かを助ける」という行為により自身も助けられているといいます。自分自身のつらい経験を伝えることや、それをもとに未来に向けて何かを生み出すこと。それは誰かのためになるだけでなく、自分自身の傷も癒やすことができるのです。

私も睡眠に関する事業をはじめたことで、少しずつですが、自分の苦しい不眠経験を受け入れることができるようになりました。そしてつらい経験が誰かのためになったとき、「ああ、この経験には意味があったのだな」と自分で納得することができたのです。

「誰かの苦しかった経験は、別の誰かの希望にもなりえる」

今はそんな風に考えています。

自分の睡眠を守ってあげられるのは自分だけ

長い間、仕事や遊びなどの日中の生活が中心で、睡眠はただそれに付随するものだと考えていました。特に社会人になってからは、短い睡眠でできるだけたくさん働けるのがが大事だと思っていた部分もあります。だから自分が眠れないことで悩んでいることが、かっこ悪くて、恥ずかしいことだと思っていました。

しかし、今まで自分が健康でイキイキと過ごすことができた日々は、高校を休学した時など、すべて自分の睡眠が大事にされているときでした。それは睡眠だけでなく、自分の気持ちや自分の体のSOSに素直に、大切に生きていたときです。

これまでいつも「普通は●●だから」とか「△△しなければいけないから」という考えに縛られ、自分の内なる声や自分の体からのSOSを無視した生活をしていました。そして、その度に大きく心身の体調を崩し、挫折する。そんな繰り返しでした。

周りがどうだとか、普通がどうだとか、それも大事だけど、もっと大事なのは「自分を自分で守ってあげること」だということにやっと気づくことができました。

いまの僕は、睡眠を生活の中心に考えて過ごしています。睡眠を確保した心身ともに健康な生活ができるよう、意識しながら仕事も日常生活も調整しています。そして睡眠だけではなく、自分の心の声、体の声を聞くことも大切です。

睡眠を大切にすることは、自分を大切にすること

睡眠について悩むことはなんとなく人に言いづらいし、ネガティブなことに感じるかもしれません。気のせいなんじゃないかとか、不安になりやすい自分が悪いのではないかと思ってしまうかもしれません。

けれど、睡眠は人生の3分の1も占めるもの。睡眠を気にかけたり、睡眠を大事にしようというのはすごく大切なことだと思います。その3分の1がつらかったら、人生が苦しいと感じてしまうのはとても自然なことです。

だから、睡眠について少しでも不安に思ったり、おかしいなと思うことがあったら、相談できる人に相談したり、信頼できる病院に行ってほしいと思います。それは決して弱いことや、恥ずかしいことじゃなく、自分を大切にするとても素敵なことだから。

僕も長いあいだ、不眠だとばれたら変な目で見られるのではないかと心配して、家族や友人に話すことができませんでした。けれど、学校に通えなくても、不眠症だと伝えたあとも、変わらず僕を認めてくれる家族や友人がいました。きっとみなさんそばにも、そんな存在がいるはずです。

恐れずに、恥ずかしがらずに堂々と睡眠を大切にしてほしいと思います。

関連情報:
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参考資料:

ガイドライン「健康づくりのための睡眠指針2014 – 厚生労働省」

論文「日本における睡眠障害の頻度と健康影響 – 国立保健医療科学院」

(イラスト/ますぶちみなこ、編集協力/倉本祐美加、監修/井上いつか)