「手足の指が多かったり少なかったり、ひとりひとり様々な手足のかたちをもって生まれている子どもたちがいることを、知ってほしいんです」
ある日soarに一通のメールが届き、私は「先天性四肢障害」という症状を初めて知りました。
連絡をくれたのは、先天性四肢障害の子どもと家族をサポートしているNPO法人Hand&Footのみなさんでした。代表の浅原ゆきさんは、娘さんが生まれつき手の指が3本しかなかったことがきっかけで、この活動を始めたのだそうです。
先天性四肢障害はいったいどんな症状で、その子や家族にはどんな困難があるのか。そして、手足や指のかたちが人と違ったとしても、「ふつう」に生きているんだということ。彼らはたくさんの可能性を持っていることを伝えたい。
浅原さんのそんな思いを、コラムとして綴っていただきました!
先天性四肢障害を知っていますか?
こんにちは!NPO法人Hand&Foot(はんどあんどふっと)の理事長、浅原ゆきです。
3人兄妹の末っ子として誕生した私の娘の右手は、指の骨が3本しかありません。娘が生まれてからの様々な経験をきっかけに、私はこの活動を始めました。
私たちの団体は、手足の指が1本、2本、3本、4本だったり、短かったり、多かったり、無かったり…といった、多くの人とは違うかたちの手足で生まれてきた子どもたち・本人とその両親、全国330家族で構成されています(2017年4月現在)。
このような手足は、一般的にはまとめて「先天性四肢障害」と呼ばれています。
具体的には、掌が裂けたような形の裂手症(れっしゅしょう)、その症状が足に出た裂足症(れっそくしょう)、手足に紐で縛ったようなくびれが見られる絞扼輪(こうやくりん)症候群、指が少ない欠指症・全く手や足がない欠損症・形成不全、逆に指の数が多く生まれた多指症(たししょう)など、その手足の形は本当に様々です。
たくさんの方に先天性四肢障害のこと、本人や家族がどのような経験をしているか知ってもらいたいと思い、このコラムを書かせていただくことになりました。
3人目の子どもの出産。生まれたばかりの小さな右手。
娘の出産は、今から約5年前。娘の3本指のうち2本の骨は癒着していて、生まれたばかりの小さな小さな右手は、とても頼りなく見えました。
娘が生まれてきたその日のことを思い出すと、今でも胸がぎゅっと締め付けられます。
出産前のエコーでは、右手のことは何も分かりませんでした。1人目も2人目も5本指の手足で生まれてきていたので、3人目も当然そのように生まれてくるのだろう、とすっかり思い込んでいました。
逆子が治らず、3人目にして初めての帝王切開での出産。ピアスも開けたことのないくらい痛いことが苦手な私は、本当に怖くて、前日はちっとも眠れませんでした。
切開直前まで震えは止まらず、術中の血圧は医師達が焦るほど低下。ただひたすらに、生まれた赤ちゃんの元気な顔を見ることだけを励みにし、手術に挑んだことを覚えています。
それなのに出産直後に分かった「生まれてきた娘の右手の指がたりない」という事実。言葉では言い表せないほどのショックを受けました。色々な気持ちが頭の中に次々と浮かぶなかで、私は妊娠中のことを思い出していました。
悪阻とお腹の張り、逆流性食道炎に耐え、夜中に何度も起きて嘔吐していた毎日。睡眠不足の中で仕事をしながら、長男と長女の世話と家事を頑張ったこと。でも、生まれた時の喜びで、きっとそんなつらかったことも全て吹き飛ぶだろうと、10ヶ月間なんとか耐え抜いてきました。
それなのに、生まれた娘の右手指が2本なかった。「どうしてなんだろう、何故私の娘なんだろう」という想いが、頭の中をぐるぐる駆け巡りました。
産院に駆け付けてくれた母の顔を見た瞬間、堪えていた涙が溢れました。
「赤ちゃんの手が…」と言いかけた私の言葉を遮るように、母が「いいのいいの、元気だからいいの、大丈夫、大丈夫」という言葉をかけてくれ、「そうか、生きてるんだから、元気なんだから」…と自分に言い聞かせ、必死に平静を保とうとしました。
指が少なくたって、私の子どもは私の子ども。変わらない。
これはあとから知ることですが、私の娘と同じような手足の赤ちゃんを出産したお母さんたちは、「薬を飲んだんじゃないか」「何か変なものを食べたんじゃないか」と周囲から言われることがよくあります。私自身、「もしかしたらこれは自分のせいなのではないか。どうしよう、どうしよう…」とパニックになることもありました。
ですが、数多くある先天性四肢障害のほとんどは原因がわかっていません。産後1か月の頃受診した遺伝科の医師に、「そもそも完璧な遺伝子をもつ人なんてこの世に存在しない」と言われ、とても救われたことを覚えています。
ただ、産後のお母さんたちはそんなことは知る由もありません。
10ヶ月間自分のお腹で育てた赤ちゃんの指が足りなかった、無かった、短かった…という事実を、産後すぐに目の前に突きつけられます。そして、「きっと自分が何かしたのではないか」「あのとき走ってしまったから?」「あの時の食べ物がいけなかった?」とひたすら自分を責め続け、どん底まで落ち込んでしまうことがほとんどです。
その辛くて悲しい気持ちは本当に想像以上のものです。Hand&Footの交流会にやって来た産後間もないお母さんたちは、これまでずっと誰にも言えずに抱え込んでいた気持ちを全て吐き出すように、みんなその場で泣き出してしまいます。
私も例外なくそれと同じで、今まで生きてきた中で、あんなにも悲しい気持ちになったのは生まれて初めてでした。どうやってこの暗闇の中から抜け出せば良いのか、全然わかりませんでした。
医師からは「手術はできないし、リハビリするしかない」と告げられました。落ち込み、自分を責め、とにかく泣きました。そんな中で、初めて病室に連れてこられた娘を抱っこしました。
まだ開かない目、長男にそっくりな顔、ふわふわの髪の毛や赤ちゃん独特の匂い。私の腕のなかにすっぽりと収まった娘を見て、心から「可愛い」と思いました。
指がなくたって、上の子たちと変わらない。私の子どもだ、と思いました。
それでもやはり、娘の将来を思うと不安で胸が押しつぶされそうでした。退院し家に戻ってからも私の精神は不安定で、誰にもわからないようにお風呂でシャワーを全開にし、声を押し殺して泣き続ける日々が続きました。
どうしたらいいんだろう、涙が止まらない日々
友達、親、家族など、誰かの前では悲しんでいるように見られたくなくて、ずっと平気なふりをしていました。でも、赤ちゃんと二人きりになるとどうしても涙が出てきてしまう。そんな日々が、半年くらい続きました。
これからどうしたら良いのか、私に何ができるのか。
すやすやと可愛い顔で眠る娘の顔を見ながら、いつもそんな思いが頭をよぎります。考えても考えても、結論は出ませんでした。
娘と似たような手の人はいないか、手術はできるのか、大人になったらどうなるのか。夜になると、スマホでひたすら検索を続けました。でも、思ったような情報は何も見つからず…。まるで世界にたったひとりになってしまったような孤独感、絶望感に襲われました。
ある日、数少ない情報の中、「先天性の手の異常に特化した名医がいる」と記述があった病院に問い合わせました。そしてどの病院でも出来ないと言われた、「癒着した2本の指を離す」という難しい手術のできる医師を見つけ、3ヶ月待ちでやっと診察してもらうことができました。
私は最初、「なんとか治せるのではないか」「5本の指にしてあげられるのでないか」「自分の右手を移植してあげたい」などと思い続けていました。でも、指を増やすことはできない、3本の骨の右手で生まれてきたのならばそのまま生きていくしかない、という現実がそこにはあったのです。
1歳のとき、そして3歳のとき。計2回の手術を行いました。
「あぁ、娘は一生この指で生きていくのだな、それを私は支えていこう、応援していこう。」
手術後、ギブスが取れた娘の3本指の右手を見たとき、私はそう決心がつきました。この手術がきっかけで、やっと気持ちの整理がついたんです。
「あなたのやりたいようにやっていいよ」
娘が生まれた時にまず思ったことは、この子は何もできないのではないか?ということでした。
鉄棒は?リコーダーは?体育はどうするのか、園には入れるのか、就職は、結婚は…?生まれたばかりの小さな手を見ると、娘にはこの先壁だらけの人生が待っているような気がしてなりませんでした。
もうすぐ5歳になる今の娘はどうかというと、びっくりするくらいほとんどのことはできるようになっていました。あの時あんなに思い悩んだことはなんだったんだろう、と笑ってしまいます。
ただ、苦手なことやどう頑張ってもできない場面は多々あります。例えば食事の際にはお箸やスプーンは5本指の左手で持ちますが、右手でお椀を持つことが出来ないので犬食べになってしまいます。
そして洋服のボタンをとめたり、飴のような小さな袋を開けることが苦手です。親指の機能をきちんと果たす指が無いため、手すりや鉄棒、うんてい、太鼓のばちなど丸い棒状の物を右手で掴むことができません。
娘としては他の子と同じように挑戦したい気持ちがあるので、「やりたいのに自分だけはできない」という場面に出くわした娘を見るのは、親としては切ない気持ちがあります。
これまで園の先生から、「お箸はどちらで持たせますか」「ピアニカはどちらで弾かせましょうか」と聞かれることがありました。でも、私自身が両手とも5本の指で生まれてきているので、どうしたら良いのかがさっぱり分かりませんでした。
「本人に聞いて、やりたい方でやらせてください」
「本人がやりたいと言ったことはなるべくやらせてあげてください」
結局、そういった方針で今までやってきました。
できるかできないか、どっちの手でやるのか。それはあくまで娘が決めることであって、私が「こっちでやりなさい」と決めてしまうのはどこか違うような気がしたからです。
それで娘はどうしたかというと、お箸やスプーンは左手でもち、ピアニカも左手で弾き、右手は補助の役割で使う、鉄棒をするとき右側は腕を使う、階段の昇り降りは左手で手すりが掴めるように左側を歩く…などと、あれこれ試してきちんと自分で決めたようでした。
発表会ではピアニカではなく、鈴を担当していました。腕を使って鉄棒につかまり、得意そうなぴかぴかの笑顔で「豚の丸焼きができるんだよ」と、私に見せてくれました。
「こうやりなさい」と決めつけない。あなたのやりたいようにやっていいよ、その代わりできない理由を何でも手のせいにしてはいけないよ。だけどどうしてもできないことは無理してやらなくても良いんだよ…。
私が繰り返し伝えてきたことは、きっと娘にとっていい結果になってるのではないかな、と思っています。
自分の指はなんで他の子と違うの?娘にそう問われた日
娘自身が「他の人の手と自分の手がちがう」ということに初めて気がついたのは、2歳11か月のころでした。
もう少し先のことかな、と思っていたのですが、ある日突然夕飯を作っていた私のところにトコトコトコ、と娘がやってきました。そして泣きそうな声で「ママ、りっちゃんのて、ない」「こっちのおてて、ない」と繰り返し訴えてきたんです。
あまりに突然のことに私も言葉が詰まってしまい、その時はきちんと答えてあげることができませんでした。
それっきり手のことについて真剣に娘に聞かれることはなかったのですが、4歳半になった頃、一緒にお風呂に入っているときに再びその時はやってきました。
「りっちゃんはどうしてこっちのおててが3つなの?」
初めてしっかりした口調で娘に聞かれ、いよいよこの時が来たか、と思いました。
「生まれた時からなんだよ。どうしてなのかは誰にもわからなくて、でも、かわいいかわいいりっちゃんのお手てだよ。なんでもできるし、大丈夫」
私は、戸惑いながらもそう返しました。
「3つのおててはいやなの、5このおててがいい」「おおきくなっても、りっちゃんのてはずっとずっとこのまんまなの?」
娘はとても不安そうな、そしてとても純粋な目で再度私に問いました。
泣きそうな気持ちを必死で堪えながら、湯船の中で娘を抱きしめ、
「おおきくなっても、大人になってもりっちゃんの手はずっとそのまんまだよ。でも大丈夫。りっちゃんの手、ママは大好きだよ。
そのお手てじゃなかったら、りっちゃんじゃないし、そのまんまのりっちゃんがママは大好きだよ。」
と答えました。
「いやだよ、りっちゃんこのお手てはいやなの」
「ママとおんなじがいい、みんなとおんなじがいい」
娘はしばらく泣いていました。でも少し経つと、いつもの明るく元気な娘に戻っていました。
まだ生まれて4年ちょっとしか経っていない娘の頭の中で、どんな気持ちの葛藤があったのだろうか、どんな思いで私にそれを聞いたんだろうか、と思うと、今でもとても切なくなります。
自分だけ手がお友達と違うということ、どうしてなんだろう、なんでみんなが普通にできることが自分だけできないんだろう…不安、心配…きっと本当に様々な、複雑な気持ちがあったのだと思います。
4月に年中さんになった娘は、同級生から右手のことを言われることももちろんありますが、繰り返し「手術したんだよ」と答えているようです。とにかく何度も何度も「手どうしたの?」と同じことを聞かれるのが嫌なようで、新しい場所に行くのは少し苦手なところがあります。
今では「なぜ自分の右手は3本指なのか」という疑問よりも、「自分の他にもこういう子がいるのか」ということに興味があるみたいですね。
同じ不安を抱える当事者のつながりをつくりたい
娘が1歳で手術をしたときに、「傷はどの程度綺麗になるんだろうか、他の同じような手術をした子はどのような日々を過ごしているんだろうか」ということがとても気になりました。
ある日、私が書いていたブログにそんな思いを投稿してみました。するとコメント欄には、「私も相談し合いたいです」「私も気になっています」という声があがったんです。
その声に背中を押されるように、『人目を気にせず当事者だけで情報共有ができるように』と、「People」というサービスを利用してパスワード制のSNSを開設。そこで同じ状況のお父さん・お母さんたちと交流を行うようになりました。
SNSに登録するには管理者からの招待が必要で、必ず症状が分かる手足の写真を確認してから登録して頂いています。最初はほんの数名から始まった交流でしたが、時がたつに連れ10人、30人、50人…と人数は増え続け、気付けば330アカウントを超える大所帯となっていました。
今では親だけではなく、当事者の大人の方が「私にできることがあれば」と何十人も登録してくれ、私たち両親に将来の話やアドバイスをくれるようにもなりました。
SNSは無料で登録でき、本名や住んでいる地域など、個人が特定できるプロフィールを書くか書かないかはその人の自由にしています。なぜかというと、「匿名だからこそ吐き出せる、ここでしか書けない思い」が当事者にはあることを私自身が知っていたからです。
生まれた時のどうしようもない想い、日々のつらい思いや不安、困っていること、これからのこと…。家族にも言えない気持ち、相談できない想いを個人個人が自由に発信でき、交流ができるようになっています。
既に辛い時期を乗り越えたお父さん・お母さんたちは、子どもたちの元気な成長した姿を日々投稿してくれ、まだ産後間もない方たちの疑問に答えたり、相談にのってくれています。
大人同士の出会いだけでなく、子ども同士の出会いを
2016年にはNPO法人化し、今でも毎日新たな登録希望者からの連絡は途切れることがありません。その管理もなかなか大変ですが、それでも続けている理由が2つあります。
1つは、「あの日の私と同じ気持ちのお母さん、お父さんを少しでも救いたい」ということ。
私は出産直後に娘の手のことを知った時、本当に落ち込みました。あの日の私を思い出すと、ほんの少し先を行く先輩たちから、「大丈夫だよ」「何も変わらない、普通の幸せな毎日が待っているよ」と教えてもらえることができたら、きっとどんなに救われただろう、と思うのです。
その時の私と同じ気持ちの、まだ悲しみや苦しみから抜け出せないお父さん・お母さんをほんの少しでも勇気づけることができればと思っています。
そしてもう1つは、「子どもたちに自分だけではないことを知ってほしい」ということ。
手足が多くの人とは違うかたちで生まれてきた子どもたち同士で、直接会って遊べる機会をたくさんつくってあげたい、という思いがあります。
実際、Hand&Footがちょうど1周年を迎えた頃、都内の遊び場を貸し切り初めての全体交流会を開催。福岡や広島、大阪など遠方からも会員家族が集まり、もう成人されている裂手症ご本人のかたまで参加してくださいました。近くに住んでいる会員さん同士は自由に連絡を取り合って、日本全国各地でランチ会が開かれている様子もよく見かけます。
最初はまだ赤ちゃんだらけだったHand&Footの子どもたちは、気づけばもうみんなすっかり大きくなり、自分の手足のことに気づき始めています。「ほら、色んな手や足の形の人がいる。あなただけではないんだよ」ということが伝えられるように、今後はSNSでの親同士の交流に加えて、子どもたちが「直接会える」という機会を、今まで以上に増やしていきたいと思っています。
他にも生活のなかでぶつかる問題に対し、みんなで協力して乗り越えていくような形が作れたらいいなと思っています。例えばリコーダーなんかはそのひとつ。指が少ない、または短い子どものためのリコーダーを制作している業者さんが複数あるので、共同で相談会を行うことを今の目標にしています。
ある家族は、両手両足に症状があって、「うちだけなんじゃないか」と悩んでいました。またある家族は、双子で同じ症状があり、「双子でなんて相当珍しいのではないか」と仰っていました。
でも、Hand&Footを通して同じ状況の家族と繋がることができたんです。
こんなふうに、「ひとりなんじゃないか」と思っている誰かと誰かがHand&Footを通して出会う瞬間を見ると、嬉しくて思わず飛び上がってしまいそうな気持ちになります。
「Hand&Footがなかったらどうなっていたか分からなかった」「誰にも言えない気持ちがここだったら言える、わかってもらえる」…だから、「本当に感謝している」…と会員さんたちは私によく言ってくれますが、その気持ちは私も全く同じです。
Hand&Footは私にとっても凄く大切な場所になっています。
自分とはいろんな違いを持つ子がいるんだよと伝える絵本をつくりたい
現在は、先天性四肢障害をテーマにして絵本作りに励んでいます。今はこういう手足の子がいるということが、まだまだ知られていません。
子どもたちが自分と他の人の手のちがいに気づき始めるとき、同じように幼稚園や保育園のお友達もそれに気づきます。親がやっとの思いで「我が子の指が多くの人と違った」ということを受け入れ前向きになった頃、そんな課題が現れます。
「手、どうしたの?」「なんで?」これから何度も何度も聞かれるであろう疑問。
「かわいそう」「へんなの」「指なし」投げかけられる言葉たち。
知らないからびっくりされるし、心無い言葉をかけられたりするのかもしれない。もし出会う前に知っていてもらえたら、少しでも「ふつう」に出会ってもらえるのではないか…と考えました。
どうやって伝えればいいだろうと考えたときに、小さい子でもすんなり受け入れられるような「絵本」という形が見えてきました。
この子たちと出会ったときに、そういえばあの絵本にそんな子がいるって書いてあったな、と思ってほしい。そして、本人にも「あなただけじゃないんだよ」ということを教えていきたい。
泣かずに読めて、ボジティブで明るい、読むと誰もが前向きになれて、壁にぶつかったときに読み返せるような、その子にとってバイブルとなるような絵本をつくりたい。それを多くの人に読んでもらいたい、そしてまずは知ってほしい。
会員の方たちにその思いを話してみると、何十人もの方が「やりましょう」「できることはなんでもします」と口々に言ってくれました。
そんなたくさんの方のご協力とご支援のおかげで、人と人が繋がり、出版社さんが決まり、作家さんも決まり…と、着々と絵本の制作が進んでいきました。
この絵本の主人公は、生まれつき右手の指が3本で生まれてきた女の子です。この女の子を通して、人と違うことはかわいそうなことのか、「ふつう」って一体なんだろう、…というようなことを、親子で話し合うきっかけにしてもらえたら嬉しいな、と思います。
そして、ただ「知ってもらう」だけではなく、人と違うことに悩んだり、自分自身に自信が持てなかったり、人と自分を比較してしまったりする人たちにも何か伝わるものがあるような、みんなが『ひとりじゃない』と思える絵本を目指しています。
人の可能性ってものすごい
私は娘を生むまで、周りに指が少なかったり無かったりする人とは出会ったことがありませんでしたし、裂手・裂足、という言葉も全く知りませんでした。
きっと理解しようともしていなかったし、どこか自分には関係のない世界のような、そんな思いを抱いていたと思います。何も知らないから生まれたときは物凄くびっくりしたし、「何もできないんじゃないか」「この先壁だらけの人生なんじゃないか」と思ってしまいました。
でも、娘、そしてHand&Footで出会ったたくさんの子供たちの成長をこの数年間見てきて、その思いは見事に覆されました。
今思うことはただひとつ、「人の可能性ってもの凄いんだな」ということです。
指が少なくても、腕がなくても。鉄棒だってやるし、ジャングルジムも登ります。ブランコだって自転車だって乗ります。右手でできないことは左手で。両方とも症状がある子は、あるだけの指を使ってなんでも挑戦しようとします。
出来ないことがあれば工夫してなんでも挑戦しようとするその姿に、「これはできないだろう」と思っていたことでも努力してやってのける娘に、Hand&Footで出会った子どもたちに、すでに成人されているご本人の方たちに、これまでどれだけ元気をもらったかわかりません。
この子たちを見ていると、やる前から諦めたり、できない理由をすぐに探してしまったり、自分なんて、と後ろ向きになったりすることが決してできなくなりました。
そして、娘がこの右手で生まれてきたからこそ出会えたたくさんの人たちのおかげで、私が今まで思っていた「ふつう」の概念は、固執したものでしかなかったんだ、ということを知りました。
3本の指で生まれてきた娘にとって、自分の3本の指が「ふつう」なのです。5分の3ではなく、3分の3。生まれたときからついているその手が、足が、その子の「ふつう」なのです。
今まで私が思っていた「ふつう」が、いかに狭い世界でのものだったのかを気付かされました。
どうか「ふつう」に出会ってほしい
もし、ご自身の子どもの手足が多くの人とは異なる形で生まれてきたお父さん・お母さんがこれを読んでくれていたとしたら、伝えたいことがあります。
まず、あなたの子どもの手や足は、決してあなたのせいでそうなったのではないということ。それは誰のせいでもないということ。
人からどう言われようと、自分を責めないであげてください。10か月間お腹の中で赤ちゃんを守り、この世に生み出した自分を、そして元気に生まれてきた目の前のあなたの可愛い赤ちゃんを、どうか誇りに思って下さい。
そして、今感じている悲しみや苦しみは、必ず消える日が来ます。その気持ちは完全に消えることはないかもしれません。それでも、出産後に感じているような死ぬほど辛い思いは、時間が経てば経つほど小さく小さくなっていきます。
あなたの隣にいる、あなたの子どもがそうさせてくれます。必ずです。
最後に、この記事を読んでくださった一般の方へ。
これから先、街で偶然この子たちに会うことがあるかもしれません。もしかしたら、あなたのお子さんと同級生になることもあるかもしれません。そんなとき、どうか「ふつう」に出会ってくれたら嬉しいな、と思います。
この子たちには、もちろんできないことがあります。どう頑張ってもやれないこともあります。でも、人には誰にでも苦手なことがあります。きっと、それと同じことなんじゃないかと思うのです。
知ってくれること、それが今後の彼ら・彼女らの力になるのではないかと思います。
いつか私たちの愛しい子どもたちが、あなたの愛しい人たちと、「ふつう」に出会えますように。
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(編集/工藤瑞穂、写真/田島寛久、監修/井上いつか)