【写真】笑顔で赤ちゃんを抱いているはたやまれいさん 「私、児童養護施設で育ったんやけど…」

今から5年前。話しているときに友人からふと発せられたその言葉に、私はドキッとしました。

カミングアウトといった感じではなく、会話の流れで自然と出た言葉。友人は何も気にしておらず、気付けばもう次の話題に移っていましたが、知らなかった彼女のバックグラウンドに私は驚きました。

「なぜ児童養護施設に入ったの」 「児童養護施設はどのような場所なの」

いろいろと質問したいことは湧き上がってきました。けれど、質問することによって彼女を傷付けてしまうことを恐れて、当時は何も聞けず、何も言えませんでした。受け止めることもできなかった自分へのもやもやは、それから先も残っていました。

それ以来、彼女と会う機会はなかったものの、児童養護施設の現状を伝える講演などを積極的に行っていることを知ります。自分の経験を元に発信していることに、私は胸を打たれました。

「今ならば、あのとき聞けなかった問いを聞くことができるかもしれない」

そう思った私は、彼女の話を聴き、それを記事として綴ることにしました。

 私にとって「家庭は明るいもの、家族は素敵なもの」

【写真】笑顔で赤ちゃんを抱いて立っているはたやまれいさん

彼女の名前は、畑山麗衣(はたやまれい)さん。0歳のときから、児童養護施設の職員や、血のつながりのない育ての親のもとで暮らしてきました。

麗衣さんと会うのは5年ぶり。少しドキドキしながら待ち合わせ場所に向かうと、生後2ヶ月の赤ちゃんと一緒に私たちを迎えてくれました。現在は、結婚をして2人の娘さんがいるお母さんになった麗衣さん。学生のとき以上に、柔らかくて温かな雰囲気をまとっていました。

いろいろお話を聞かせていただいた中でも、特に心に残っているのが、麗衣さんのこの言葉です。

「家庭は明るいもの、家族は素敵なものというイメージしかなかったです。だから、早く家族を持ちたいと思っていました。」

理由はいろいろあれど、両親と離ればなれになってしまったのにそう言えるのは、麗衣さんの中に「家族」との素敵な思い出があるからこそ。これまでどんな人生を歩み、何を感じてきたのか、お話を聞かせてもらいました。

児童養護施設での生活が自分にとっての当たり前であり普通だった

麗衣さんは、生まれてすぐに乳児院に入りました。お父さんの家庭内暴力があり、お母さんが命からがら逃げ出して、お父さんの元に残された2人のお兄さんとともに麗衣さんは児童相談所に預けられたのです。

乳児院を出たあとは、70人規模の児童養護施設に。たくさんの子どもたちと生活するので、もちろん児童養護施設にはさまざまなルールがあり、自分の意志で生活のリズムを決めることは難しい。子どもだった麗衣さんにとっては、少し窮屈に感じる毎日を送っていました。

「10歳まで、そこでたくさんの子どもたちと一緒に生活をしていました。ごはんやお風呂、寝る時間は決まっていて、毎日が合宿のようでしたね。」

児童養護施設の職員はシフトによる交代制です。そのため、仲良くなっても翌日にはその職員がいないことも多く、相談することが億劫になり、自然とひとりの大人に甘えることはなかったといいます。

しかし、麗衣さんにとってこの環境は当たり前のものでした。

【写真】赤ちゃんを抱いて真剣な表情でインタビューに応えるはたやまれいさん

「物心が付いた頃から施設で育ったので、この環境が人と違うことには気付かなかったですね。学校で出会う友達も、みんな施設で育ち、施設に帰っているんだと思っていたくらいなので。だから、友達の家へ遊びに行ったときに、友達のお母さんがおやつを出してきてくれたことにはとても驚いたんですけどね。でも、そのときも自分が置かれている環境が特殊なのではと思うことはなく、『うちに来てもらっても、おやつは出せないなあ』と思っているだけでした。」

しかし、一緒に暮らす子の中には、児童養護施設に帰っていると周りに知られたくないため、麗衣さんたちと一緒に帰ることを避け、ひとりで遠回りをして帰る子もいました。物心付く前から児童養護施設で暮らしているのか、ある程度大きくなって自我が芽生えた頃に児童養護施設に入るのか、などによってもこのあたりの意識は違うかもしれないと麗衣さんは話します。

マザーテレサのようなお母さん、冷静なアドバイスをくれるお父さん

小学6年生以降、麗衣さんはとあるご夫婦とファミリーホームで暮らし始めます。その経験が、麗衣さんが持つ家族像に大きく影響したのです。

ファミリーホームとは、ご夫婦の元で、子どもたちが一つ屋根の下に暮らす形態。当時、麗衣さんは6人の子どもと一緒に一軒家で暮らしていました。

「施設のときと変わったことは、ルールを家庭で決められることです。門限やお小遣いなどは、お父さんお母さんと相談して決めました。自分の意志を伝えて、ルールを作ることができたので、自由度が広がって嬉しかったです。」

育ての親として麗衣さんを見守ってくれたご夫婦は、実はもともと暮らしていた児童養護施設で職員をされていた方でした。小さい頃から、麗衣さんのことを気にかけ、可愛がってくれていたそうです。

【写真】赤ちゃんを抱いてインタビューに応えるはたやまれいさん

「お母さんは、たとえるなら、マザー・テレサのような、愛に満ちた明るくおおらかな人です。印象に残っているのが、似顔絵を描いているときに『れいちゃん、顔を肌色で塗らなくてもいいよ。好きな色で塗っていいんだよ』と言ってくれたこと。子ども1人ひとりの個性を尊重して、とにかく自由に育ててくれる人でした。

お父さんは、お母さんと性格は真逆。悩みや進路の相談をすると、いつも冷静にアドバイスをくれる人。『この選択にはこういったリスクもあるんだよ』と言われることも多く、よくケンカをしましたが(笑)、いつも私のことを思って言葉をくれる人でした。」

性格や子どもとの接し方が真反対。優しさで包み込むお母さんと、必要な厳しさで子どもを守ってくれるお父さんの元で、麗衣さんはのびのびと成長していきました。

家族に説明が必要なんて、と葛藤。救ってくれた家族と友人の存在

小学校高学年、中学校時代とご夫婦のもとで過ごし、血のつながった兄弟ではない子どもたちと一緒に生活を送ることが当たり前で、悩むことはなかった麗衣さん。しかし、高校に入学したときに、初めて壁にぶつかります。

高校の在籍証明書をもらわないといけない、すべてにおいて領収証をもらわないといけないなど、大変なことが急にたくさん降ってきました。自分と保護者の氏名が違うことに対してどうしてかと聞かれたこともありました。それに、友達も施設やファミリーホームの存在を知っている子ばかりではなかったので、『施設って何?』と聞かれて戸惑ってしまうことも多くて。」

自分にとって当たり前である家族のことを、なぜこんなに説明しないといけないのか。なぜ他の家庭と同じようにすんなり受け入れてもらえないのだろうか。 児童養護施設で育ったことを今まで意識する機会が無かったからこそ余計に、麗衣さんの心は混乱しました。やがて、そのモヤモヤが大きくなって学校に行けなくなってしまいます。そんなときに麗衣さんを助けてくれたのは、家族の存在でした。

「これまでずっと皆勤賞だった私が学校に行かないのを心配して、家族会議が開かれました。会議には、もう家を出て働いている実の兄も来てくれて、みんなで相談に乗ってくれたんです。」

話を聞いてもらい、児童養護施設についての説明を求められたときの答え方など具体的なアドバイスをもらえたことで、麗衣さんのモヤモヤは軽くなっていきました。

ファミリーホームに住む子どもたちはそれぞれ、様々なバックグラウンドを持っています。そして、ときにつまずくポイントが似ている場合もあるのです。麗衣さんがぶつかった壁は、他の年下の子たちがこれから越えていかないといけない壁でもある。そういった考えから、家庭では葛藤も、悩みも含めて、オープンに話ができる環境があったのだそうです。

もうひとつ、麗衣さんを救ってくれたのはさまざまな友人の存在でした。ある日、なぜバイトをしているのかと問いかけたことがきっかけで、友人が母子家庭や生活保護家庭に暮らしていることを知りました。

【写真】赤ちゃんを抱いて真剣な表情でインタビューに応えるはたやまれいさん

「高校に入って施設出身ゆえの壁にぶつかったことで、自分だけが普通じゃないんだ、他の子にはわかってもらえないんだと思ってふさぎこんでいました。でも、違ったんです。みんないろいろな事情がある。自分は特別じゃない。むしろ、小さい頃から衣食住を守られ、いろいろな機会をもらってきた自分は幸福なのではないかと捉え直すことができたんです。」

麗衣さんは子どもの頃から、招待を受けて演劇を鑑賞をしたり、児童養護施設へ訪問してきた著名人に会ったこともあったのだそう。世間から見たら、児童養護施設で育ったことは「恵まれていない」と思われるかもしれない。でも小さな頃から非日常な機会に触れ、いろんな大人に出会えることは、自分だからこそできた恵まれた経験だった。そんな風にさえ思えるようになったそうです。

未来に続く同じ境遇の子のためにも、家庭環境を理由に諦めたくない

高校3年生のとき、麗衣さんは高校卒業後の進路を考えるタイミングを迎えます。

児童養護施設で育つ子どもたちは、18歳になると独り立ちすることを求められます。住む家を見つけて、自分で家賃を払わないといけません。現在は奨学金が豊富になり進学後の選択肢は広がっていますが、当時は利用できる奨学金も少なく、ほとんどの子が高校卒業後、就職の道を選んでいたそうです。

ファミリーホームで暮らしていた麗衣さんも、同じ立場でした。そんな中、麗衣さんは私立の四年制大学への進学を希望します。周りから、学費を稼ぎながら勉強するのは無謀だと言われても、麗衣さんの気持ちは変わりませんでした。 【写真】赤ちゃんを抱いて笑顔でインタビューに応えるはたやまれいさん

「勉強したいことがあったから進学を希望したのはもちろんですが、『施設で育ったから』という理由で、選べる道が少なくなる世の中に憤りを感じていたんです。自分が道を作れば、後に続く子どもたちに少し希望が与えられるんじゃないかとも思っていました。」

自分だけではなく年下の子たちの選択肢を広げるためにも、バックグラウンドや置かれた環境によって生まれてしまう壁を越えたい。そう決意した麗衣さんは努力の末、見事志望校に合格しました。

居場所をつくり、手を差し伸べるサポートを実施

大学生になってから、麗衣さんは自分だけではなく誰かのために活動をしたいという思いを持ち、さまざまな活動に取り組み始めます。

大学1、2年生のときには、社会起業学科で学びながら、高校時代から興味を持っていたフェアトレード関連の活動に励んでいました。

そして、大学3年生からは、障害などを理由に就労が難しい方の就職支援事業を行っている会社に所属して、就職や社会復帰のサポートをおこないました。同時に、子どもたちに寄り添うこんな活動もされていたそうです。

「定時制高校で1つ教室を借りて、『教室へ入りづらい子が立ち寄れる場所』を用意していました。教室へ入るのが億劫だという生徒たちの中には、複雑な家庭環境を抱えている子や、トラブルの渦中にいる子も多くいます。私に話してもらうことで、彼らが少しでも楽になってくれればと思っていました。」

最初は警戒されていたものの、麗衣さんから話しかけているうちに距離は縮まり、「れいちゃん」と呼んで慕ってくれるようになったといいます。生徒たちにとっては、当時21歳で自分たちと年の近かった麗衣さんにだからこそ、話せることがあったのかもしれません。

【写真】赤ちゃんを抱いてインタビューに応えるはたやまれいさん 就職支援と定時制高校での活動を続けていた麗衣さんは、大学4年生のときに、職場が運営している寮に寮母として住み込みを始めます。その寮の入居者は、就業を目指す方4名でした。寮母というと、ごはんを作ったり、洗濯をしてあげたりと、家事を代わりに担うようなイメージがあります。しかし、麗衣さんに期待されていた役割はそのイメージの真逆で、入居者の方が自立できるようサポートをすることでした。

「入居者の方が仕事に就いて一人暮らしを始めても困らないよう、料理にチャレンジする方を手伝ったり、お金の管理が苦手な方にお小遣い帳の付け方を教えたりしていました。」

毎日リビングにみんなで集まって、テレビを見ながら雑談をする時間も設けていたそう。これは、コミュニケーションの機会を増やして、入居者の方が職場でスムーズに人間関係を築けるようにと思っての取り組みだったそうです。

「完璧な人間なんていないから、失敗したっていい」そう伝え続けてきた

自立や就職を目指す方、そして定時制の子どもたちをサポートしてきた麗衣さんの心の中にずっとあった思い。それは「家庭環境やバックグラウンドを理由に自分を諦めてほしくない、と伝えたい。」ということです。

麗衣さんが接してきた方の中には、家庭環境に問題を抱えている方や、麗衣さんと同じく児童養護施設で育った方が多くいました。彼らの心の中には、「どうせ自分なんて」と自分を卑下する気持ちが大きく渦巻いていることもあったのです。持ち前の明るく気さくな性格で話しかけ、彼らと心を通わせていった麗衣さんは、「寄り添う」ということをどう意識していたのでしょうか。

「まず、自分の経験を共有しました。似た境遇の持ち主だと知ってもらうだけで、距離って縮まるんです。『この人なら自分のことを少しはわかってくれそうだ』と感じてもらえるようで。そして、なにより意識していたのは、失敗談を共有して、完璧な人間などいないと伝えることです。」

自分に自信が無いと、「自分は何をしても失敗ばかり」と思ってしまいがち。そんなときに、誰だって失敗の方が多いのだから気にしなくていいよと、信頼できる人に言われたらすごく安心できるのではないでしょうか。 【写真】赤ちゃんを出して笑顔でインタビューに応えるはたやまれいさん

入居者の中には、退寮の際にお手紙をくれた方もいたそうです。

「お手紙には『これまで親身になってもらえたことがなかったので、自分の話をちゃんと聞いてくれる人に出会えてよかったです』と書かれていて。私は、何かあったときに話してもらえる、居場所のひとつのような存在になりたいとずっと思っていました。だから、その言葉がとても嬉しかったんです。」

「産んでくれてありがとう」母に今なら心から言える言葉

麗衣さんは、お付き合いをしていた男性と大学卒業前に結婚し、自身も家族をつくりました。結婚後にはお子さんが生まれて、現在は2歳と0歳の娘さんを持つお母さんです。

第一子をお腹に授かった際に、麗衣さんの心の中にはこれまでにはなかったある思いが湧き上がってきます。

「子どもをお腹に宿したときに、いよいよ母になるんだなあと思うと、自分のルーツを知りたくなったんです。それで、物心付いてからはじめて、生みの母親に会いにいきました。」

再会の場で、お母さんは麗衣さんを生んだときの気持ちや、子どもたちを手放さなくてはいけなくなったときの悲しみなどを、しっかり話してくれたといいます。子どもを授かった喜びもあれば、無事に生まれてくるのかという不安もある。出産や子育てはこれからといっても、自分の身体や気持ちに変化がある妊娠というタイミング。このときこそ、素直にお母さんと話ができるベストタイミングだったのかもしれません。

「妊娠や出産を経験して、子どもを産み育てることの重みや大変さがわかってきました。もちろん、母親が当時抱えていた苦しみや悲しみに共感できる部分もあります。今は心から、自分が存在するのは産んでくれた母のおかげ、産んでくれてありがとうと言うことができます。」

【写真】赤ちゃんを出して微笑んでインタビューに応えるはたやまれいさん

子どもには、グラデーションのある居場所が必要

インタビュー中、麗衣さんは何度も「恵まれた環境で育ってきた」と口にしていました。しかし、過去にはこんな思いが過ぎったこともあるそうです。

「実の両親との血のつながりを感じて、私ももし子どもを育てられなかったらどうしようと思ったことはあります。これは、児童養護施設出身の子の多くが持っている感情かもしれません。家族や家庭に良いイメージを持てていない子も、多くいます。」

小学校高学年や中学生など、高年齢で施設に入った子のなかには、家庭でのつらい記憶が残っていて苦しい思いをしている子もいるそう。自分の将来を悲観してしまったり、家族像が描けずに子どもを育てられなかったりと、自分と似た生い立ちをしている仲間のいろんな姿を見てきました。だからこそ、諦められないことがあるといいます。 【写真】抱いている赤ちゃんを見ているはたやまれいさん

「私は小さい頃から個性を認められ、環境に恵まれていました。だから、自分が進みたい道を選ぶことができたんです。施設の職員さんだったり、里親の方だったり、子どものときに出会う大人との巡り合わせによって、その子自身が選べる未来の選択肢が減ってはいけないと思っています。」

とはいえ、運という言葉で片付けることはできないものの、みんなが人や環境に恵まれる社会の実現はけっして簡単ではないかもしれません。こうした疑問に答えるように、麗衣さんは続けてくれました。

「子どもが駆け込める場所に、もっとグラデーションがあればいいなと思います。」

子どもが家庭から逃げたくなったときに、ごはんだけ食べに来られる場所があってもいい。子どもが気軽に悩みを話すことができる大人がもっと増えればいい。

親や家庭がすべてを担わなくても、社会全体にそういった場所や人が増えたらいいなというのが、麗衣さんの願いです。

家族はの定義はもっと、広くて多様でいい

取材の終盤、麗衣さんが「人生で一番嬉しかった瞬間があるんです。」と、あるエピソードを話してくれました。

4年前に、大学時代にプロジェクトでよく訪ねていた土地の住民さんと友人が、結婚パーティーを企画してくれたんです。育ててくれた両親、大学時代の恩師、活動で携わっていた地域の方々など、たくさんの方が参加してくれました。来てくれたのは、みんな、私にとっての家族のような存在の人たち。私の人生に関わってくれた人たちが揃った光景に、とても感動したんです。」

見せてもらった写真からは、まるでホームパーティーのようなあったかい雰囲気が伝わってきます。たくさんの大人と関わり、彼らから愛情を受けてきた麗衣さんらしい結婚式でした。 【写真】結婚パーティの様子。とても大勢の人がいて楽しそうだ。

最後に「家族って、どんな存在ですか」と、麗衣さんに聞いてみました。

「私にとって、家族は定義がとても広いもの。家族に、血縁のあるなしは関係ないと思います。安心できる存在や、ホッとできる居場所。そんな、家族や家庭のような集合体が、社会にたくさんあればいいなと思います。」

【写真】赤ちゃんを抱いて笑顔のはたやまれいさん 麗衣さんと久しぶりに再会し、お話を聞いていて気付いたことがあります。

5年前、彼女に質問を投げ掛けられなかったのは、私の心の中で、無意識のうちに「生みの親に育ててもらえない子どもはかわいそうだ」という思い込みがあったからだということです。麗衣さんが深く傷ついた過去を持っているのかもしれないと勝手に決め付けてしまい、何も聞けなかったのだと思います。

でも麗衣さんは、生みの親ではないたくさんの大人に育てられたことを全くネガティブには捉えてはいません。

むしろ、親や家族と呼べる存在にたくさん出会えたことに、心から感謝しているのだなと感じました。

麗衣さんが教えてくれた、私の知らなかった家族のかたち。私も、自分にとって家族ってどんな存在だろう、どんな場所だろうと見つめ直してみようと思います。

【写真】ライターのくらもとゆみかさんと赤ちゃんを抱いて笑顔のはたやまれいさん (写真/工藤瑞穂、モリジュンヤ)