あなたにとって、 「家族」はどんな存在ですか?
私にとって両親やきょうだいは、当たり前のように日々そばにいて支えてくれるかけがえのない存在でした。そして、家族との関わりの中で「私」という存在が、少しずつできてきたように感じます。
でも社会には、家族との信頼関係が築けなかったり、一緒に暮らすことができない子どもたちがいます。
福岡に、親からの保護や養育を受けられない子どもたちを、安心できる家庭環境で養育する活動を行う「子どもの村福岡」という場所があります。ここでは様々な事情で親と暮らせなくなった子どもたちが、里親や村のスタッフ、そして地域の大人たちに見守られながら、もう一つの“かぞく”を築いています。
私たちは子どもの村を訪れて、子どもたちが健やかに育っていくためのかけがえのない“かぞく”のかたちや地域のあり方とはどんなものか、ここで里親と子どもたちはどんな暮らしをしているのか、お話を伺いました。
育親家庭があつまる「子どもの村福岡」
「子どもの村福岡」は、福岡市内の中心部からは少し離れた場所にあります。周囲を山々に囲まれ、海までも近い距離。海からの気持ちいい風が、村のなかを吹き抜けていきます。
「認定NPO法人SOS子どもの村JAPAN」が運営するこの村は、2010年4月に開村しました。さまざまな事情があり生みの親と共に暮らすことが困難になった子どもたちが、「育親」と呼ばれる里親と共に暮らしています。
村のまわりではヤギが飼われていたり、作物がたわわに実る畑があったり。とても穏やかな空気に包まれている場所です。
子どもたちが生活する家は、白や茶色を基調にした素敵な雰囲気で作られていて、「私もここに住みたい!」と思ってしまうほど。子どもが伸び伸びと遊べる広場をぐるっと囲むように、子どもたちが暮らす家と彼らをサポートするスタッフがいるセンターハウスがあります。
現在はここで4軒の育親家庭が一緒になり、日々の生活を送っています。
生みの親と暮らせない子どもたちを育てる「育親」の存在
「こんにちは!」
1人の育親さんがご自宅から出てきました。柔らかな笑顔がとても印象的な田原正則さんは、1年ほど前から子どもの村で幼稚園に通う2人の男の子を育てています。
「これから幼稚園のバスが戻ってくるんです」という田原さんと一緒に、子どもたちをお迎えにいきました。
畑の向こうを見ていると、かわいらしい黄色いバスが近づいてきます。
「ただいま」と元気よくバスから降りてきた子どもたち!「早く遊びたい!」とばかりに丘に駆け登って、元気いっぱいです。
「今日はどんなことがあったと?」
「えーとね」
手をつないで家に帰る後ろ姿からは、田原さんと一緒にいて心から安心している様子が伝わってきます。
日本では今、彼らのように生みの親と暮らせない子どもたちが、約4万5千人いるといわれています。親の病気や経済的理由、虐待や育児放棄など、その理由はさまざま。
子どもたちの多くは、児童養護施設や乳児院などで育ちます。ただ、そうした施設のほとんどにおいて、子どもたちが生みの親と暮らしてきたような家庭環境を経験することが難しいのが現状です。
そこで子どもの村では、生みの親に代わって特定の大人が成長を見守る「里親制度」を活用し、子どもとともに「育親」が同じ家で暮らす仕組みを導入しています。
子どもたちの成長のために、できるだけ近くにいたかった
子どもの村で、田原さんはどのように子どもたちと暮らしているのでしょうか。まずは、田原さんがどのような想いで里親になったのか、聞いてみました。
田原さんはもともと、長崎で「情緒障害短期治療施設」という心の傷を負っていたり、社会になかなか適応できない子どもたちが、社会に戻っていくための治療的ケアをする施設で働いていました。児童指導員として日々子どもたちの生活をサポートするなかで、ある気持ちを抱いていたといいます。
「施設では職員が交代でサポートをするので、どうしてもずっと子どもたちと一緒にいることが難しかったんです。そこで僕は、施設に泊まり込んでみました。そうしたら、子どもとの関係がものすごく近くなったように感じられて。子ども達も安心して生活できるようになったようで、落ち着いたんです。
なにより僕自身、子どもたちと24時間一緒にいることが楽しかったんですね。」
子どもたちの成長のために、ずっとそばにいられるような場所はないだろうかーー。
田原さんの願いは、日に日に強くなっていきました。そして3年前のあるとき、「子どもの村福岡」に巡りあいます。
「もともと、里親制度のことは知っていました。でも子どもの村に来てみて、里親だけでなくいろいろな人が子どもたちを見守るこの場所は、僕が思い描いていたものだなと思ったんですね。それで『僕も子どもの村に関わりたい、あわよくば育親として、子どもたちと暮らしたい』と思いました」
最初は育親になることは叶わなかった田原さんは、ソーシャルワーカーとして、子どもの村と児童相談所や生みの親、子どもとスタッフのつなぎ役を担当しました。
「2年間、子供達のケースワークに携わって、ようやく育親さんにならないかという話を頂いたときは、『やった!』という気持ちでした。もちろん少しは考えましたよ。でも、もとからそのつもりでここに来ていたので、里親登録をして子どもの村の里親、「育親」になりました。」
子どもの村では、育親は24時間365日子どもたちを育てることに専念します。つまり田原さんは、社会的養育(養護)下にある子どもたちを育てるという公的な仕事をしているのです。
大切なのは、子どもたちと“信頼”を築いていくこと
今は3人とても仲良く暮らしていますが、もちろん最初からその関係が築けていたわけではなく、そのプロセスにはいろいろなことがありました。
田原さんの育親としての生活は、まず1人めの子どもを受け入れることから始まり、徐々に慣れてきてその半年後、もう1人の男の子が仲間入りしました。
田原さん曰く、子どもたちは家に来た当初は、とても“いい子”だったのだそうです。
「うちの子に限らず、だいたいみんな来たときはお利口さんなんですね。そこから徐々に悪さをしてみたりとか、怒られるような行動をするようになります。これは「試し行動」と呼ばれます。『この人は自分を受け入れてくれる人なのか?』ということを見ているんですよ。」
育親家庭にくる子どもたちには、これまで特定の大人に甘えたり、信頼関係を築くことができなかった子どもも多くいます。でもここでは、育親と日々の生活を一緒に過ごし、自分の好きなことや意志が尊重してもらえるようになります。
本当に、この人に「こうしたい」という思いをぶつけていいのだろうか。それを受け入れてくれるのだろうか。
子どもたちは、そんな思いで育親や周りの大人たちを注意深く観察しているのだと田原さんは話します。
「試し行動の時期が終わったら、今度はものすごく甘えるようになります。うちの子たちも赤ちゃん返りみたいになりましたよ。これが2ヶ月くらいの間にばーっと起こりましたね。」
信頼できる大人と出会うことで、子どもたちは自分でも意識できていなかった感情を少しずつ表現 していくようになります。
「子どもたちにとって僕の存在は、お母さんでありお父さんでありお兄ちゃんであり、っていう感じかな。子どもにとっての家族のさまざまな役割を担っていると思いますね。子どもにとって、幼いときに特定の大人としっかり関係性を築いて、愛着を形成するというのは、非常に大事なことなんです。」
日々の暮らしを共にして、子どもたちは今、田原さんを信頼し安心して過ごせるようになったのでしょう。とても無邪気な笑顔で、思いっきり田原さんに甘える姿を見て、私もとても嬉しくなりました。
たわいもない日々の積み重ねが、いつか自分が家庭 をつくる支えになる
「中に入る?入っていいよー!」
子どもたちが私たちを招き入れてくれたので、おうちにもお邪魔させさせていただきました。一歩足を踏み入れると、そこにはとても穏やかな暮らしの風景が広がっていました。
たった1年ちょっとしか一緒に暮らしていないなんて信じられないほど、田原さんと2人の子どもたちに流れる空気感は家族そのもの。
幼稚園から帰ってきたら、おやつを食べたり昼寝をしたり遊んだり。一緒にご飯を食べて、夜はみんなでぐっすりと眠る。また朝になれば、田原さんと子どもたちは一緒に起きて、1日がはじまります。
子どもの村が大切にしている「家庭環境」 とは、田原さんにとってはそんな日々の生活そのものなのです。
「みんなで一緒にご飯を食べて、たわいもない話をする。それが当たり前となり、いつまでも続いていく。そこで安心して暮らせるとか、その場にいることができる。子どもたちにとって、『安心していることができる、自分の居場所があり続ける』っていうことが一番大きいのかなと思いますね。」
子どもたちの中には、子どもの村にくるまでは安心できる家庭を経験できなかった子も多くいます。そのままでいつか彼らが成長し自分自身が家庭を持ったとき、そこでの日々の暮らしがどんなものかわからず戸惑ってしまう可能性があります。
子どもたちの将来のためにも、安心できる家庭環境の経験はとても大切なことなのです。
育親を孤立させない、さまざまな大人が家庭を支える
田原さんたちが今楽しく毎日を暮らせているのには、子どもの村の環境の素晴らしさも大きく影響しています。
里親家庭の多くは、1世帯で複数の子どもたちと暮らしています。その子どもたちが抱えている事情はさまざまです。時には、子どもたちとの課題を里親家庭の中だけで解決しようとし、里親も子どもも苦しい思いをしてしまうケースもあります。
里親家庭にかぎらず、子どもを育てるには親だけではなく周囲のサポートが不可欠です。
だからこそ子どもの村は複数の育親家庭が集まり、同じ敷地内に専門的な知識をもつスタッフが常駐しサポートすることで、育親を孤立させないことを目指しています。
スタッフは家事のサポートをしたり、育親の相談になるなど、さまざまな面から家族をサポートします。この日も「ファミリーアシスタント」と呼ばれるスタッフが、田原さんのお家の洗濯物をたたむお手伝いにきていました。
田原さん自身、こうした子どもの村のあり方には助けられているのだといいます。
「子どものことで困った時に、すぐ答えが返ってきたり、『こういう風にしたらどう?』って言ってもらえるのはありがたいですね。ソーシャルワーカーなどの専門家も交えて、2週間に1回互いの家族 について話し合うファミリーミーティングもしています。自分だけでなく、コミュニティとして様々な大人が子どもたちに関わってくれるような形が出来ていると思います。」
地域の大人が子どもに関わることで、社会とのつながりが生まれる
育親家庭を支えるのは、子どもの村のスタッフだけではありません。ここでは、地域のひとたちも積極的に子どもたちに関わり、その成長を見守っています。
周りの農家さんが野菜を届けに来てくれたり、子ども会や地域のお祭りにもみんなで参加したり。今や子どもたちのアイドルとなっているヤギも、地域の方が連れて来てくれたのだそう!
しかし、当初からこうした関係性ができていたわけではありません。実は村の建設に当たり、最初は地元の人々から大反対を受けました。
時に社会では、社会的養育のもとで育つ子どもたちや里親家庭に対して、偏見の目を向けられることがあります。だからこそ、子どもの村は地域のひとたちと関係を築き、子どもたちが安心して暮らせる環境をつくることを大事にしたいと考えていました。
「困難な状況にあった子どもたちの成長を、社会でサポートしていく場所としたい」
そんな強い気持ちで、根気強く1年かけて、地域の人々との話し合いを重ねた結果、最終的には地元の人たちもその思いを受け入れてくれたのです。
今では地元の人たちが、子どもたちをとても大切にしてくれているのだそうです。
「ただ可愛がられるだけではなくて、たとえば人形浄瑠璃の稽古で厳しいことを言ってくれたり、叱ってくれたりもします。社会で生活していくうえでルールを守ることも、地域の人たちが丁寧に教えてくれてるんです。地域の人がちゃんと子どもたちを見てくれているというか、一緒に生活しているような感覚がありますね。」
子どもの村内にあるたまごホールでは、子育てサロンを行ったり地域の人も招いてミニコンサートを行うなど、積極的に地域との接点もつくっています。こうして子どもたちは、地域の大人と関わることで「社会とのつながり」を学んでいくことができるのです。
生みの親の元へ戻ったとしても、いつでも“帰ってこられる場所”でありたい
たくさんの人に支えられ、田原さんは今、“かぞく”として子どもたちと日々を楽しく暮らしています。でも私のなかにひとつ引っかかっている思いがありました。
子どもたちには生みの親がいて、田原さんとずっと暮らし続けていくとは限りません。子どもたちとの暮らしが当たり前の日常となっている田原さんにとって、その事実を考えるのはつらいことではないのだろうか。
田原さんは、子どもたちの育親としての自分の存在を、どう受け止めているのか聞いてみました。
「僕の育親のイメージは、生みの親が事情があって子どもを育てられない間、責任を持って育てる役割なんです。村の子どもたちの中には、生みの親と交流している子もいます。僕は、できるだけ子どもたちが生みの親の元に戻るための支援をする立場でもあるんですね」
あくまでも自分は、一時的に子どもたちの養育を委託されている存在だと田原さんはいいます。でも、そのあと、ちょっと苦笑いしながらこう続けました。
「今はこう言ってるけど、いざ離れるときがきたら、やだってなるかもしれないです(笑)。でも、帰るのは子どもの権利ですから。」
子どもたちを愛しているからこそ、幸せを願っているからこそ、心に生まれる素直な戸惑い。そんな感情を、田原さんから感じました。
もし生みの親のもとに戻ったとしても、「いつでも帰ってこられる場所でありたい」と田原さんは考えています。
「節目節目でも、しょっちゅうでもいいから、気軽に顔を出してくれるようなところになればいいかな。結婚したよとか、子供できたよって報告してくれたり、そんなつながりがずっと続いていったら嬉しいですね。」
毎日、できるだけ笑顔たくさん。平凡な日々に幸せがある
田原さんからお話をきくなかで、育親がとても素晴らしい役割であることを感じるとともに、「私だったらできるだろうか?」と考えました。「誰かを育て、見守る」ということが、それだけ大きな責任を伴うものだと思うからです。
「僕も、子どもたちを育て始めたときは、『こうしよう』『ああしよう』って色々な思いを持っていたんですけどね」
田原さんは当時を思いながら話します。
「でも今はあまりそういうことを考えなくなりましたね。楽しいと思える瞬間が、毎日のようにあるんです。特にこれまで子どもたちができなかったことができたときは、本当にすごいなと思って!『よし、九州大学に行かせよう!』って思ったり、運動させると『ソフトバンクに入れる!』とか思っちゃいますね(笑)
でも、子どもたちが元気に過ごしている姿を見ているだけで、自然と笑顔になります。喧嘩してても可愛いんですよ」
子どもたちの話をする田原さんの表情は、とても優しく、暖かさに満ちています。困難を抱えている子どもがいるから、サポートしなければいけないとか、そんなことではない。子どもたちと過ごす日々そのものが、田原さんにとっての宝物なのだということが、伝わってきます。
「僕は、子どもたちと平凡に日々を過ごしていくということに、今一番充足感を感じているんです。今は子どもたちが生活を楽しんでくれたらいいなって思っていて。あと笑顔たくさん!できるだけ、毎日笑顔でいたいなと思っていますね」
穏やかな何気ない日常を大切にしたい。
その中で健やかに、子どもたちが安心して育ってほしい。
それが田原さんやスタッフにとって一番大切な願いであり、日々を過ごしていく喜びなのです。
「ここに自分がいてもいいんだ」と思える、安心できる家庭を
帰り際、田原さんの家に立ち寄ると、子どもたちは一生懸命お別れのあいさつをしてくれました。
ほんの短い時間ではあったけれど、私たちの存在を子どもたちは受け入れてくれていたようで、その姿にとても嬉しくなりました。
子どもたちにとって、誰かが自分に深く関わってくれること、そして「愛されている」と感じられることは、何より大切なこと。きっとこの先長い人生を生きるなかで、その子が迷い戸惑ったときの道しるべになってくれます。
その思いを感じさせてくれるのは、けっして生みの親に限りません。里親や地域の人など、自分を大切に思ってくれる“誰か”が、子どもたちにそうした感情を教えてくれるのです。
子どもの村で暮らす大人や子どもたちのつながりは、不思議な巡り合わせです。
誰も血のつながりはない。でも子どもたちは「ここに自分がいてもいいのだ」という安心感を感じながら、共に幸せな日常を過ごしています。その関係性は、まぎれもない一つの“かぞく”のかたちなのです。
すべての子どもたちが、尊重され、幸せに育つことができますように。
そんな希望が、この小さな村から日本中に広がってほしいと心から願います。
そして、いつかまた、大きくなった田原さんの子どもたちと、どこかで会うことが出来たらいいなと思います。とびきりの笑顔が見れることを、楽しみに待ちながら。
soarと認定NPO法人SOS子どもの村JAPANは、「もう一つの“かぞく”のかたち〜これからの社会的養育について考えよう」と題し、子どもたちにとってより望ましい「“かぞく”のあり方」とは何か、読者のみなさんと一緒に考えていく企画を展開しています。
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(写真/馬場加奈子、協力/松本綾香)