【写真】「子どもの村福岡」の看板の前で笑顔で立っているさかもとまさこさんとおおたにじゅんこさん
子どもも大人も、おじいちゃんもおばあちゃんも、たくさんの人が暮らしている“まち”。ひとは多様な人との出会いのなか、自分の暮らすまちで人生を紡いでいきます。

けれどもし、自分の暮らすまちの片隅に、様々な事情によって生みの家族と離れて暮らさなければいけない子どもたちがいるとしたら…。

その家族と子どもに起こっていることは、きっと他人事ではない。家族の暮らすまちの人々が協力して支えるべきことなのだと思います。

どんな子どもたちも、信頼できる人とのつながりのもと、健やかに毎日を生きてほしい。
もし、それが一つの家庭の中では困難なのだとしたら、子どもたちをまち全体で支えたい。

そんな思いを胸に、まちぐるみで子どもたちの成長のサポートに取り組んできた場所があります。

そこは、福岡県福岡市。福岡市は、里親制度の普及に関する先進地として高い注目を集めています。もともと、10数年前までは里親の委託率は全国平均を下回っていたという福岡。現在は、全国でも非常に高い委託率を誇っていて、今や全国平均の2倍に達するほどです。

その背景には、行政やNPO、市民団体といった様々なセクターの人々の「どんな子どもたちも地域で、家庭で健やかに生きてほしい」という強い信念があります。

今回私たちは、福岡で里親制度の普及を中心となって進めてきた、坂本雅子さん(認定NPO法人SOS子どもの村JAPAN常務理事/ 小児科医)、大谷順子さん(認定NPO法人SOS子どもの村JAPAN理事・子どもNPOセンター福岡代表理事)、藤林武史さん(福岡市こども総合相談センター「えがお館」(福岡市児童相談所)所長)にお話を伺いました。

どのようにして、福岡で「子どもたちを社会全体で育てていく」というあり方を実現してきたのか。そして、これから福岡のまちはどんな方向へと進んでいくのか。読者の皆さんと考えていくことができればと思います。

プロフィール
・坂本 雅子
特定非営利活動法人SOS子どもの村JAPAN 常務理事
九州大学医学部卒業後、九州大学、済生会福岡総合病院などで小児科医として勤務。1983年から福岡市の保健所や衛生局で、母子支援、健康づくり、高齢者サービスなどを担当。1998年福岡市助役、2003年福岡市こども総合相談センター(児童相談所)名誉館長を経て、2006年NPO法人子どもの村福岡設立(副理事長)。現在に至る。

・大谷順子
NPO法人子どもNPOセンター福岡 代表理事
1966年福岡子ども劇場創立に参加。以後、子ども分野の市民活動を続け、1999年以降、「子どもとメディア」、「チャイルドラインもしもしキモチ」、「子どもの村福岡」などNPO法人の設立に関わり、現在、SOS子どもの村JAPAN理事、子どもNPOセンター福岡代表理事。「子どもの権利尊重のまちづくり」をテーマに、子どもの課題に取り組むNPOのネットワークを広げ、そのセンターとしての役割を担っている。

・藤林 武史
福岡市こども総合相談センター 所長(精神科医師)
1984年九州大学医学部卒業後、2年間の研修を経て、1986年国立肥前療養所(現肥前精神医療センター)に勤務。1989年佐賀医科大学精神科(現佐賀大学)、1992年佐賀県精神保健福祉センターを経て、2003年4月福岡市こども総合相談センター所長に就任、現在に至る。日本子ども虐待防止学会理事、日本トラウマティックストレス学会理事。

行政・NPO・民間など様々な立場が関わる福岡の「社会的養育」

今、日本には何らかの理由で生みの親と共に暮らすことができず、児童養護施設や里親家庭などのもとで育てられる子どもが約3万6千人います。そのうち、福岡には約400人の子どもたちがいます。

しかし、福岡ではいち早く「里親家庭の元での支援を推進する」と決定。2005年頃には、早くも市民と行政が連携した里親家庭推進のためのプロジェクト「新しい絆」をスタートさせました。その結果、プロジェクト開始当初には10%以下だった里親等委託率が、なんと10年後には30%に。2007年から2015年までは、里親の増加率は全国1位となったこともあり、「数年間で最も委託率を伸ばした自治体」として、現在も全国各地から多くの人が視察に訪れます。

現在福岡市では、困難な状況にある子どもたちを支えるため、様々な方面から取り組みを進めています。

例えば、福岡市西区では「みんなで里親プロジェクト」という事業を展開しています。里親というと、小さな子どもを預かり、大人になるまで育てるイメージがあるかもしれません。でもこちらの制度では、親の病気(入院)や育児疲れなどの理由で、少しのあいだ(数日~数週間)親と離れて暮らす子どもたちが、住み慣れた地域を離れなくてすむよう、校区内にいる里親のもとで生活できることを目指しています。

短期間のあいだでも、自分の家以外の安心できる家庭環境で暮らせるというのは、危機的な状況にある子どもたち、その親にとってとても心強いこと。

「みんなで里親プロジェクト」のリーフレットより。

また、福岡市こども総合相談センター えがお館のホームページのリニューアルも注目されたプロジェクトです。これまでは、児童相談所や里親制度についてお知らせするホームページというと、ネガティブな印象を与えてしまったり、必要な情報になかなかたどりつけないということが多くありました。そこで、読みやすく、明るいイメージを与えるようなデザインに一新。デザインやサイトにかかる資金をクラウドファンディングを利用して集める等、その方法にも高い注目が集まりました。

【写真】「苦しいな困ったなそんな時こそ電話してくださいね」と書かれているお館のホームページ

リニューアルされたえがお館のホームページ。

いずれのプロジェクトも、児童相談所のような福祉に関わる行政機関だけでなく、NPOや住民団体、大学などが協力することで、実現しているものばかりです。

ただ、「社会や地域で子どもたちを育てる」と言っても、行政のみがその役割を担ってしまうケースも少なくありません。どうして福岡では様々な立場の人が関わりながら、先進的なプロジェクトを実現することができているのでしょうか。

生みの親から離れて暮らさなければならない子どもたちを支える「えがお館」

【写真】福岡市子ども総合相談センターの看板。ヤフオクドームが近くにある。
私たちがまず訪れたのは、「こども総合相談センターえがお館」。えがお館は、0歳から20歳までの子どもや保護者を対象に、専門的な相談や支援を行う公的機関です。福岡の里親制度における数々の支援の中心を担っています。

ここは人々がたくさん集まるヤフオクドームがすぐ隣にあるという立地にあり、中に入るとかわいらしい色合いの家具や掲示物があるなど、市民が親しみやすい場所となっています。

【写真】子供が遊ぶ小さな遊具がある

えがお館はいい意味で児童相談所っぽくないところなんですよね。

そう話すのは、坂本雅子さん、そして藤林武史さんです。

坂本雅子さんは、元々小児科医として働かれる中で、保健所など行政機関で活動してきました。2003年にえがお館が開館した際、名誉館長に就任。えがお館を中心に、福岡の社会的養育を進めていく、大きな原動力としての活動をスタートしました。

【写真】笑顔でインタビューに応えるさかもとまさこさん

藤林武史さんは、現在えがお館の所長を務めています。元々精神科医で、全国でも児童相談所の所長が精神科医であるというケースは珍しいものなのだそう。

藤林さんは、アルコール依存症患者のケアを通じて、「大人になってから手当をするのではなくて、もっと早い段階の子ども時代に何か手当やケアが出来ないだろうか」と考えるようになったそう。その中でえがお館所長の公募に出会い、現在は行政の立場から包括的な子どもたちのケアに取り組んでいます。

【写真】笑顔でインタビューに応えるふじばやしたけしさん

困難な状況で生きている子どもたちを助けたい

福岡では、2004年頃から社会的養護を必要とする子どもの人数が増加しました。それまでも実の家族と共に暮らせない子どもたちは存在していたものの、なかなかその事実が表に出てくることがなかったのです。

そうした現状が明らかになったきっかけの1つが、この「えがお館」の開館でした。

「こども総合相談センター えがお館」という児童相談所のイメージを払拭するようなネーミング。ヤフオクドームのすぐ隣に位置する大きな建物ということもあり、市民の間に「えがお館」の存在が知れ渡っていきます。

それにつれて、市民からのえがお館への問い合わせが増えていきました。これまでわかっていなかった社会的養護の対象となる子どもたちの存在が一気に見えてきたのです。

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるふじばやしたけしさんとライターのはらだめぐみさん、くどうみずほ

サポートを受けるべき子どもたちの存在を知り、藤林さんたちは、具体的に2つのことに力を入れて取り組み始めました。

1つは専門職である「児童福祉司」の育成です。虐待を受けたり、親と共に暮らせない子どもたちの存在が見えてくると、そうした子どもたちをどのように保護するのか、さらに保護した後にどのようなケアを行っていくのかということを考える必要が出てきました。

その中で重要な役割を担うのが、児童福祉司です。児童福祉司は、病院、学校や保育園、地域などから相談を受けると、子どもたちや周囲の人々、保護者から話を聞き、行政としてどのような支援を行っていくべきか検討します。

「子どもたちに適切なサポートを提供するためには、まずこの児童福祉司の専門性を上げていかなければならない」と藤林さんは考えました。

藤林さん:児童相談所の職員は、通常2,3年で異動してしまいます。そうすると何年たっても専門性と経験が蓄積していかない。これでは十分に子どもの命を守ったり、成長や発達を保障したりすることができません。そこでまずは、児童福祉司を専門職として採用し、ノウハウや経験を定着させていくことから始めました。

それと同時に、今度は保護した子どもたちがどこで暮らしていくかという、子どもたちの受け入れ先の課題に行き当たります。というのも、社会的養護の対象となる子どもの数が増えたことで、児童養護施設や一時保護所の定員があふれてしまっていたのです。

そこで次に藤林さんたちが力を入れて取り組んだのが、「里親制度の普及」でした。

子どもたちが安心して過ごせる環境としての里親家庭を広めたい

里親家庭では、1つの家庭の中で少人数の子どもたちを養育します。つまり子どもたちは、特定の大人との信頼関係のなかで成長していきます。ちょうど時代も大規模施設をたくさん建設するのではなく、里親や小規模施設を推進する方向に舵を切ったところでした。

藤林さん:カナダは、社会的養護の対象になる半数以上の子どもたちが、里親家庭で育っています。これは、イギリスなどのヨーロッパでも同じ。かたや日本や福岡には、児童養護施設がいっぱいになり、行き場のない子どもたちが一時保護所にたくさんいて、もう飽和状態になってしまっています。だったら、里親を増やすこと以外に、解決する方法はないと思いました。

【写真】インタビューに真剣に応えるふじばやしたけしさん

何とかして市民に協力を仰ぎ、このまちに子どもたちが安心して過ごせる場所をつくっていかなくてはいけない。しかし、あらゆる努力はしたもののなかなか里親の数を増やすことはできませんでした。

坂本さん:児童相談所で講演会を開催したりしてみたのですが、児童相談所だけの力では里親はもちろん増えません。やっぱり必要なのは、「市民」の力。市民が里親さんになってくれなければ、里親さんの数は増えない。だったら、もっと子どもたちに近いところで、普及させていくことが必要だと思ったんです。

そこで、この問題に行政だけで取り組むのではなく、外部の力を得て進めていくことを決めます。ここで注目したのが、市民が主体となって活動する”NPO”の力でした。

藤林さん:ちょうど同じくらいの時期にNPOと行政のコラボレーションも増え始めていました。私自身もNPOをやっていたというのもあるので、NPOの力をフルに活用したいと考えたんです。

坂本さん:私の思いは当初からずっと変わらず、市民の方と一緒に仕組みを作っていきたいということ。重要なのは地域と一緒に活動するという発想です。

藤林さんと坂本さんが協力を求めたのが、大谷順子さんが代表理事を務める「NPO法人子どもNPOセンター福岡」でした。

大谷さんは、長年NPOの立場から子どもが生かされるまちづくりを進めてきました。でも、それまで里親制度に関する活動の経験はなかったのだそうです。

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるおおたにじゅんこさん

大谷さん:親しくしている専門家の方に相談したら、「それは専門外の大谷さんが関わるのは難しい問題です」って言われましたね。「日本の里親制度や社会的養育には様々な課題があるものの、長年解決されていない難しい現状があるのです」って。

それでも、この話を受けようと思ったのは、ケアを受けるべき子どもたちの行く先がないということを知ったから。市内で預け先が見つけられない子どもは、遠い他の自治体の施設にまで連れて行っているという話を聞いて、これは何とかしなければ、と思ったのです。

どんなに解決が難しい課題だったとしても、子どもたちが大変な状況にいるんだったら、やらなくてはいけない。今つらい立場にある子どもたちがいるなら、その子たちに背を向けるわけにはいかない。

そう決意した大谷さんたちは、坂本さんや藤林さんと共に、里親制度の普及活動に取り組んでいきます。

行政とNPOが連携し、里親制度を推進する「ファミリーシップふくおか」

里親制度の普及を進めるため、大谷さんたちがまず着手したのが、「ファミリーシップふくおか」の運営です。

「ファミリーシップふくおか」は、「家族と暮らせない子どもたち」を受け容れる「新しい絆」と、それを支える仕組みをつくることを目的としたプロジェクトです。坂本さんや藤林さん、行政の担当課長、里親制度の担当者が協力するなど、市民と行政・専門機関が連携してスタートしました。それまで、里親を増やす活動を行う団体がそもそも福岡に存在していなかったため、まずは様々な分野で関心のある人に集まってもらい、子どもの現状についての認識を深め、課題を整理したり、アイデアを出していこうと考えたのです。

大谷さんたちは、ファミリーシップふくおかの活動で、大きく2つのことに取り組みました。

1つは、里親制度に対するイメージをポジティブに変えるための広報活動です。

里親という言葉には、当時はどうしてもネガティブだったり後ろ向きな印象を持たれることが少なくありませんでした。実際に里親家庭が地域の中で孤立してしたり、里子であると知られた子どもが偏見の目で見られることも多かったそうです。

坂本さん:里親家庭にやってくる子どもは、様々な事情があって実の家族と一緒にいることが難しくなってしまっただけ。だから、子どもたちが偏見の目で見られるということ自体がおかしなことなんです。そして、里親さんはそんな苦しい状況にある子どもを受け入れてくれる存在。実の親に変わって、その子の親になって育ててくださるわけですから、本当にすばらしい活動です。だから、そこに光が当たるような社会にしたい。

みんなで子どもを支える、助け合うということが当たり前の社会にしたいと、心から思っていました。

そこで大谷さんたちは、まずは里親に対するイメージを明るいものに変えようと考えました。実行委員会の名前には、自分たちで考えた「ファミリーシップ」という言葉を使ったり、チラシやポスター、リーフレットのデザインを、明るい印象のデザインになるよう心がけました。

【写真】真剣にインタビューに応えるさかもとまさこさんとそれを見守るおおたにじゅんこさん

もう1つ、ファミリーシップふくおかが力を入れて取り組んできたのが、フォーラムの開催です。普段生活している中では、里親制度や里親自身のことについて、なかなか知る機会がありません。そこで、一般の人にも里親制度についてもっとよく知ってもらいたい、身近なものとして感じてほしいという考えからスタートしました。

フォーラムでは、社会的養育についての専門家だけではなく、里親や里親家庭に育った子どもたち自身にも話をしてもらうことになりました。当時、子どもたちや里親自身が外に向けて話をするということ自体が前代未聞。里親の経験者からは、反対する意見もあったそうです。

大谷さん:今の日本の社会的養育の中で、当事者の方が一番の“専門家”なんです。その人たちがご自身の経験を語る機会は少ない。でもある時、フォーラムに成長した2人の里子が出てくれました。その話がまたすごく感動的で、里親さんたちも、参加者も心を揺さぶられたのです。

【写真】真剣にインタビューに応えるおおたにじゅんこさんとそれを見守るさかもとまさこさん

また、里親制度にまつわる状況を知るだけではなく、訪れた人の心が“かぞく”という存在の話を通じて、共感し、温かな気持ちになってほしいという思いから、フォーラムの中で、詩を読んだり、ハープを演奏したりするなどの工夫もしました。

里親という言葉があまり知られていなかった時代、50名でも集まれば十分と考えていたところ、なんと第1回開催時には約200名が会場に集まったのだそう。

大谷さん:フォーラムの最後にアンケートを書いてもらったら、里親になりたい、なるための勉強をしたい、応援をしたい、家を提供したい、お金を出したい…。そんな人たちがいっぱいいて、びっくりしました。市民がこういう活動をしたら、やっぱり自分も何かしないではいられない気持ちになる。市民の中には限りない可能性があるんだって、手ごたえを感じられましたね。

【写真】過去に行われたフォーラムの様子。満席で参加者は話を真剣に聞いている

過去に行われたフォーラムの様子。

ファミリーシップふくおかのフォーラムはその後も開催を続け、現在も年に2回開催されています。

坂本さん:里親制度について話すときに、統計や制度を伝えるということはよくあります。でもグラフでは、人の心は動かない。データを見せただけでは、里親さんになろうとしている人の心には響かないんです。

そうではなく、子どもたちがどれだけ家族や里親さんを求めているのかということ、家族の力が子どもにとってどんなに大きな影響を及ぼしているのかということを伝える。そのことをちゃんと話せば、里親になろうと思う人は必ずいます。

フォーラムで「里親になりたい」と言ってくれた人、応援したいと手を上げてくれた人たちの姿を見て、私たちはそれを確信することができました。

子どもたちの権利を守り、成長を支える場をつくりたい

一方で、ファミリーシップふくおかが立ち上がった2005年に、大谷さんは「SOS子どもの村」という社会的養育のための団体が海外に存在すること、そしてその活動を福岡で実現させたいと考える人物がいることを知ります。

その人は、原田光博さん。千鳥屋という福岡の老舗お菓子会社の社長だった原田さんは、お菓子作りの修行のためにヨーロッパに行った際、SOS子どもの村の存在を知り、いつかは子どもの村を日本に作りたいという夢を抱いていました。

SOS子どもの村は里親や子どもたちを支援したり、生みの家族と子どもたちが再び関係性を構築することを支援する場所です。世界130カ所以上で作られ、それぞれの村で、子どもたちや里親、彼らをサポートするスタッフが一緒に生活しています。

里親の元にやってきた子どもたちは、それぞれに複雑な課題を抱えています。里親が子どもたちと向き合おうとすると、お互いに傷つけあってしまったり、家庭の外になかなか相談できず、周囲から孤立してしまう可能性も少なくありません。そこで、専門的な知識を持ったスタッフや周辺地域の人々、社会と連携し、皆で共に子どもたちを支えていこうというのが、子どもの村の考え方なのです。

大谷さん:原田さんの存在を知って、早速会いに行ってお話を聞きました。子どもの村の話を聞いて、「これこそ、いまの日本に必要とされるものだ」と直感しました。

実は、日本は子どもの権利条約が1994年に批准されたにも関わらず、なかなか子どもたちの権利を基本にした活動ができていないという状況でした。SOS子どもの村インターナショナルは子どもの権利尊重を基本理念にしています。なので、子どもの村をつくることができたら、この子どもたちを取り巻く閉塞した環境から、日本が変わる大きなきっかけになるんじゃないかと感じたんです。

【写真】微笑んでインタビューに応えるおおたにじゅんこさん

さっそく坂本さんや藤林さんに子どもの村を日本にも作りたいという構想を話した大谷さん。誰もが「素晴らしい活動だ」と感じていましたが、実現のためには2つの大きなハードルがありました。

子どもたちの将来のために、地域との関係性をつくる

【写真】畑があり、その奥に住宅がある「子どもの村福岡」の様子。

子どもの村を実現する上でまず直面したのが、「受け入れ先の地域の問題」です。自分たちの地域に「親と暮らせない事情のある子どもたち」がやってくるということに対して、様々な不安や意見をもつ人が少なくなかったのです。様々な土地で検討を進めようとするものの、地元からの反対にあい、そのたびに新たな候補地を探し直す日々が続きます。

しかし地元からの同意を得るということは、子どもの村をつくるためにはどうしても外せない、大切な条件。子どもたちが成長していく将来を考えても、地域との関係性は不可欠なものでした。

ひとつひとつ、子どもの村の候補となった地域と話し合いを進めても、どうしてもうまくいきません。なんとか今津にある福岡市の市有地1000坪を市が貸与するという形で話がまとまろうかという矢先、地域からの反対運動にあってしまいます。

坂本さん:昔ながらの土地柄だから、いきなり社会的養育について理解を得ようというのが難しかったんです。子どもたちに対して、「悪い子、非行の子なんじゃないか」という誤解もありました。「子どもの村ができたら、どんな恐いことが起きるかわからない」という噂が広まったりもしたそうです。

子どもの村がどんな場所なのか、子どもたちがどんな存在なのかを、地域の一人一人に直接伝えていかなければ、納得してもらうことはできない。そう考えた坂本さんたちは、町内ごとに説明会を開き、話し合いを行います。暑い日も寒い日も、時には公民館で、小学校の講堂で、地元の人たちを前に、坂本さんたちの必死の説得が続きました。地域の人々との話し合いは、実に1年にも及びます。

そして、最終的に今津の自治協議会と福岡市、子どもの村福岡の間で覚書が交わされ、この地に「子どもの村福岡」が設立されることが決定したのです。

坂本さん:今は本当に関係が良くなって、子どもたちのことも大事に見守ってくださっています。地域の方たちは子どもたちがなじむように色々なことをしてくださっていますね。ある公民館長さんは「ここでは電信柱にも頭を下げろというくらい、地域の人には日頃からあいさつをする習慣があるんだよ」って教えてくれて。こんなに良いところはないと思うくらいですね。

【写真】インタビューに応えるおおたにじゅんこさんとさかもとまさこさん、ライターのはらだめぐみさんとくどうみずほ。木製の階段や壁が暖かい空気を作り出している。

「子どもたちは社会全体で育てる」という考えを全国に広めてほしい。その思いから得られた企業の協力

もう1つ、坂本さんたちが直面した大きな問題が、資金の問題です。

子どもの村は複数の里親家庭が集まり、一つの“村”のような形で子どもたちの成長を支援していきます。そのため、一つの子どもの村の中には複数の住居と、里親家庭を支援するための施設が建設される予定となっていました。

しかし、当時大谷さんや坂本さんたちに資金力はなく、建設にかかる多額の費用をどうにかして外部から集めなければいけません。建設にかかる費用は約2億5千万円、建設された後の維持にかかる年間約5千万円と、NPO法人が集める額としては桁外れの金額です。

このままでは、子どもの村が夢のままで終わってしまう。大谷さんや坂本さんたちは何とかして子どもの家を建設させるため、奔走し始めます。ロータリークラブなどでの講演活動や街頭での募金運動、メディアを通じてのアピールなど…。その中でも、特に大きな後押しとなったのが、理念に賛同する企業から成る後援会の存在でした。

後援会は、子どもの村設立が決定した1年後の2007年に発足。九州電力などの福岡の主要企業のトップたちが理事として名を連ねています。子どもの村の建設に当たっては、後援会や一般企業からの寄付が全体費用の5割以上を担うこととなりました。

さらに後援会には各企業から実務担当者がつき、子どもの村設立のためのサポートにあたるなど、金銭面・実務面ともに大きな力となったのです。

大谷さん:企業の中にも、子どもの村に心から共感して下さる方がいて、その方々がずっと声をかけて、周りに影響を与えていきました。

社会的養育が必要な子どもたちは、最も助けを求めている子どもたちです。その支援のあり方がすべての子どもを社会が支えていくという活動の手本になる。それをリーダーがしっかりまとめて進めてくださるというのは大きいですよね。子どもの村のように企業が一緒になってしっかり支援する会を作ってくれているという話は、全国でも非常にまれなケースです。

子どもの村が建設された後も、所属している企業の社員が子どもの村を訪れてボランティア活動を行ったり、チャリティイベントを開催するなど、引き続き後援会による支援は子どもの村にとってなくてはならないものとなっています。

里親家庭を支援し、社会全体で子どもを育てることを実践する「子どもの村福岡」

【写真】緑の草や木々がある庭の周囲に住宅がある「子どもの村福岡」

設立の構想から足かけ4年の準備期間があり、2010年に「子どもの村福岡」は福岡市西区の今津地区に開設しました。NPO法人SOS子どもの村JAPANが運営を担い、現在は4世帯の里親家庭とスタッフがともに生活しています。

子どもの村は、里親や子どもたち、里親家庭を支援する方法として、大きく2つのことを行っています。
【写真】木製の床や壁が暖かい空気を作り出している

1つは、子どもの村におけるチームでの里親家庭のサポート。子どもの村のスタッフは、ファミリーアシスタントと呼ばれる、里親と子どもたちの生活を様々な面からサポートしていく人々の他、小児科医や精神科医などの、専門家もいます。そうした人々がチームとなり、各家庭ごとに2週間に1回、チームミーティングも行われています。

もともと里親家庭は、その世帯の中で閉じてしまうことが多く、それによって里親が疲弊して、子どもとの関係も悪くなってしまうことも。里親家庭の4分の1程度が、子どもと里親の関係が保てなくなってしまうのだそうです。

子どもの村では、里子も里親も、常にファミリーアシスタントや専門家からのサポートを受けられるようにしたり、地元の人たちとも開いた関係性を築くことによって、いつでも誰かに頼れるような状況を作っています。

スタッフと里親が集まったり、地域の人たちが立ち寄るセンターハウス。子どもの村が「開いていく」ための大切な拠点として機能しています。

もう1つは、子どもの村での実践をベースにした、提言としての情報発信です。子どもの村で起きていることを参考に、専門家が学会発表を行ったり、東京でのフォーラム開催を実施したり。最初はビラ配り程度しかできなかったけれど、ここにきてようやくこうした活動に力を入れることが出来るようになったと坂本さんは話します。

坂本さん:里親による養育は、決して明るい面ばかりではありません。だからこそ、里親家庭が多様な人と関係性を作り、みんなで支えていくことが大切なんです。

たくさんの子どもを、「宝物」として預かるけれども、その代わり大変な思いもあるということですね。それでも、私たちは子どもの笑顔、そして子どもたちが成長していろんなことができるようになることに励まされつつ、日々を過ごすことができるんです。

【写真】子どもの村福岡のたはらまさのりさんと虫取り網やスコップを持った子どもたち

これまで、制度や仕組みとしてのみ捉えられていた「里親」の存在を、具体的な場所や取り組みを通じて、社会へ一気に広めていったSOS子どもの村JAPAN。その存在は、福岡の社会的養育を語る上で、とても大きいと藤林さんは話します。

藤林さん:周辺地域の人々、そして福岡市全体において、里親や社会的養育の元で育つ子どもたちに対する理解が一気に深まって、里親や社会的養育という文化が広がることにつながっていったと思います。1つの里親家庭だけでは5年、10年とかかることを、より短いスパンで広げていくことができたのは、子どもの村の存在のおかげです。

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるふじばやしたけしさん

里親と生みの親が、ともに子どもたちを育てていく存在となるために

子どもの村福岡やSOS子どもの村JAPANが取り組むもう1つの重要な役割、それが子どもたちと実の家族との関係性のサポートです。

もともと、子どもたちの成長にとって最も大切なものは、「生みの親による家庭の中での養育」とされています。これは、「国連子どもの代替養育に関するガイドライン」の中で定められている国際的な基準です。

そのため、子どもの村では、里親と実の家族とが交流したり、行政と連携してまた実の家族と暮らせるようにサポートする試みも行っています。

まず、子どもたちが子どもの村に来てから1カ月ほど経った頃、児童相談所と共に子どもと実の家族がどんな関わり方をしていくかという方向性を決定します。1年後には、状況を見ながら子どもと実家族との交流を始めます。

坂本さん:子どもと生みの親だけでは、家庭復帰がうまくいかないことも少なくありません。おじいちゃんやおばあちゃん、ご兄弟が一緒に育ててくれるなど、子どもが安心できる実の家族の仕組みができた家庭は、子どもが帰ることができることが多いですね。

【写真】インタビューに真剣な表情で応えるさかもとまさこさん

ただ現在は、里親家庭で育つ子どもの7割ほどが、生みの親と関係を持つことなく、自立していくといいます。その背景には、現在の日本の里親家庭の方向性として、あまり里親と実の家族が交流すること推進されてこなかったこともあるのだそうです。

坂本さん:生みの親に対して、里親に養育されている間も、子どもにはちゃんと会いに行くことができると説明できればいいのですが…。中には、里親さんのことを敵対視してしまう方もいらっしゃるんですね。

子どもの村では、あくまでも里親は社会的養育の大きな選択の一つとして捉え、里親さんと実の家族とが交流したり、実の家族のもとへ戻ったりという試みを積極的にしています。里親と実の家族が対立するのではなく、ともに子どもの成長を支えていく存在であってほしいのです。

里親の活動を支援しつつも、子どもの権利を第一におく子どもの村のスタンスは、近年、社会的養育を取り巻く社会の動きの中でも、大きな存在感を放っています。

子どもの村は、2012年に福岡だけでなく東北にも建設されるなど、日本における社会的養育の流れを変えていくため、より活動の幅を広げています。

坂本さん:子どもの村は、すべての子どもに関係するプロジェクトだと思ってやっています。ここでやっていることは里親のもとにいる子どもたちだけでなく、すべての子どもを対象とした日本の社会的養育全体に通用することだと投げかけるのが、大切だと感じていますね。

社会全体で、子どもたちが安心して成長できるより良い環境をつくりたい

様々な取り組みを通じて、まち全体で子どもたちにとって望ましい養育環境をつくることに尽力してきた福岡。今後さらに力を入れて取り組むべきこととして、大谷さんたちは2つのことをあげます。

まず1つは、社会的な養育の支援の対象として、すくいあげることができていない子どもや家族のフォローです。

大谷さん:「予備群」という言い方は適切かどうかわかりませんが、いわゆるボーダーラインの、困難な状況にいる子どもや家庭は、現在発見できているケースの何倍も存在しているはずなんです。その背景には子どもの貧困という状況がある。

私たちはよくピラミッドのイメージで説明しますが、支援の手が届いている子どもたちはその頂点に近いところにいて、裾野にはどれだけの課題があるのか分からない。私たちが見ている子どもたちには、そうしたさまざまな課題が集約されているということを感じています。

こうしたケースを少しでも多く発見していくために、現在はショートステイの取り組みに力を入れています。このショートステイ制度は、家庭で困ったときに最長2週間まで子どもを預けることができるサービスです。家族が病気になったときや育児不安になってしまったときなど、危機的状況でこれを利用する親が増えているのだそう。

これまで、一般的なショートステイの受け入れ先は児童養護施設や乳児院でした。しかし、現在福岡で力を入れようとしているのは、子どもたちと同じ校区内の里親によるショートステイです。そのことで子どもたちは、学校や保育園を変えることなく同じ地域の中で生活を続けることが可能になります。慣れ親しんだまちの中で生活できるということは、困難な状況にある子どもたちが失うものを少しでも減らすことができるだけでなく、地域にとっても、地域全体で子どもたちを育てていくことを目指す大きなきっかけとなるのです。

現在は、子どもの村で実施するだけでなく、福岡市西区などと共に、受け入れ先を増やす取り組みが進んでいます。

【写真】インタビューに真剣に応えるおおたにじゅんこさん

また、もう1つの課題として、藤林さんは養子縁組制度の普及を挙げます。

現在の制度では、20歳になったら子どもと里親としての関係は法律上は終わることになっています。実の家族と、うまく関係性が築けていたら家族の元へ戻れるかもしれませんが、そうでない場合、生涯にわたってなかなか子どもたちが気兼ねなく頼ることができる存在を見つけることは困難です。

藤林さん:もちろん、20歳を過ぎた後も支えてくれる里親もいます。でも子どもにとっては善意や約束に頼っているという感覚があって、“確かなもの”として感じることが難しい。そう考えると、子ども時代だけに家庭を保障するのではなくて、その後もずっと人生を共に歩んでくれる家族を保障することが必要じゃないかと考えています。それを法的に保障するのが、特別養子縁組制度です。しかし、日本の制度は、欧米に比べて年齢上の制限があるなど、問題を抱えています。法制度の改革も重要な課題です。

【写真】インタビューに真剣に応えるふじばやしたけしさん

「子どもが健やかに成長する、そのために何が必要なのかを皆で考え、社会全体でサポートする」

里親制度はあくまでもその一つの手段にすぎません。

子どもたちが健やかに成長していくためには、子どもにとって信頼して自分の成長を支えてくれる人が、身近にいてくれる環境をつくることが大切なのだと、坂本さんは話します。

坂本さん:いつも、自分のそばに人がいてくれるという安心感ですよね。それがあれば、血のつながりがある家族だけでなくて、子どもたちはいろんな人に支えられながら、自分は生きているのだと感じることができると思うんです。

【写真】微笑んで立っているさかもとまさこさんとおおばやしじゅんこさん

どんなつらい思いをしている子も、笑顔で生きていくことができる“まち”へ

福岡というまちで、皆さんはどんな子どもも安心して成長していけるよう、目に見えないセーフティネットを築き続けてきました。家族が抱える問題、そして子どもが直面している苦しい状況を、その家族と子どもだけの問題とせず、まち全体で考えてきたのです。

それは、自分たちの明日に希望を見出すことが難しかった子どもと家族にとって、一筋の光のようなものだったのではないでしょうか。

ただ、福岡がこうした状態になるまでに必要とした10数年という歳月を思うと、その光を生み出すことが、どれだけ困難なことかは想像に難くありません。

お話を伺ったとき、藤林さんは笑ってこう言いました。

辛い思いや、寂しい思いをしている子どもたちが少しでも笑顔になったり、前向きに生きていけるようになったりするっていう姿を見ることができる。そんな子どもたちの姿に背中を押されて頑張ってきたら、10年が経っていたんです。

【写真】笑顔でインタビューに応えるふじばやしたけしさん

今つらい思いをしていたとしても、少しでも笑顔で毎日を生きていってほしい。だから、どんな人も、どんな境遇に生まれた人も、自分の足でしっかりと人生を歩むことができるまちを作りたい。

そうした人々の思いが、血縁の有無にかかわらず、みんなで子育てをしていけるまちとしての福岡を実現してきたのです。

一つ一つの力がたとえ小さくとも、思いがひとつであれば、いつかまち全体を変えるような大きな動きとなっていく。

子どもとその家族が安心して暮らせるまちづくりの中心を担う人々の、力強く優しいあり方に希望を感じながら、私たちは福岡をあとにしました。

関連情報:
福岡市子ども総合センター えがお館 ホームページ
NPO法人子どもNPOセンター福岡 ホームページ

<1>親と暮らせないこの子たちに、安心できる家庭をつくってあげたい。「子どもの村福岡」で里親をする田原正則さんと子どもたちの日々

<2>キックオフイベントのレポート:地域の多様なひとが「かぞく」や子どもの育ちに関わる社会に。SOS子どもの村JAPAN、よしおかゆうみさんと考えるかぞくのあり方

<3>どの子どもにも「生きていてくれて、ありがとう」と伝えたい。児童養護施設等から巣立つ子どもたちを支える「ゆずりは」高橋亜美さん

<4>この保育園はまるで“家族”みたい。夜の歓楽街をやさしく灯す「どろんこ保育園」という親子の居場所

<5>日本でただ一つ、匿名で赤ちゃんを預かる「こうのとりのゆりかご」に託された思いとは?ひとりで妊娠・出産に悩む女性のためにできること

<6>生みの親にも育ての親にも「ありがとう」と伝えたい。特別養子縁組を結んだ家族と暮らしてきた近藤愛さん

soarと認定NPO法人SOS子どもの村JAPANは、「もう一つの“かぞく”のかたち〜これからの社会的養育について考えよう」と題し、子どもたちにとってより望ましい「“かぞく”のあり方」とは何か、読者のみなさんと一緒に考えていく企画を展開しています。

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(写真/馬場加奈子、協力/長島美菜、神島つばさ)