【写真】笑顔で並ぶ登壇者4人 「かぞく」そう聞くとあなたは何を思い浮かべますか? 親や兄弟、配偶者、子どもたち…。あるいは、血縁関係はないけれど、「かぞくのような存在」である大切な誰かの顔を思い浮かべた方もいるかもしれません。 でも決して「かぞく」という言葉から連想されることは、ポジティブなことばかりではないはずです。きっとかぞくとの関係や問題に悩んだことがある方も多いのではないでしょうか。 【写真】会場全体写真。後方まで参加者でいっぱいになっている 8月23日(水)に行ったイベント「もう一つのかぞくのかたち〜社会的養育や里親について考えよう」のテーマは、「かぞく」。SOS子どもの村JAPANの藤本正明さん、田北雅裕さん、そしてファミリー心理カウンセラーのよしおかゆうみさんのお話を伺いながら、多様な「かぞく」のあり方を探りました。 また、現在日本において、さまざまな事情により親と一緒に暮らせない子どもの数は4万5,000人ほど。そんな子どもたちを社会の責任のもとで見守り、育てることを指すのが「社会的養育」です。イベントでは、社会的養育や里親についてもじっくりと考えを深めました。

自己紹介でアイスブレーキング。和気あいあいとした空気に。

家族とうまく関係性を築けない。それはどんな人にも共通するストーリー

【写真】soarの説明をするくどう NPO法人soar代表理事/soar編集長の工藤瑞穂より、soarの活動紹介、そして今回のイベントについての説明がありました。 今回のテーマは平仮名で「かぞく」。漢字の「家族」を辞書で引くと、血縁・血の繋がりがある人たちの集まりと書かれていることから、「家族」の定義は血の繋がりが大事なのかもしれません。 これまでのsoarの取材で、事情があって家族と暮らせない子どもたちや里親や養子縁組で育てられた子どもたちに出会い、話を聞くうちに「かぞく」のあり方は多様で広がりがあるものだ、という考えが生まれました。どんな子どもたちも大人との信頼関係を築いて安心して暮らせる「かぞく」のあり方について考えるため、子どもの村JAPANの協力のもとで始まったのがこの企画です。

社会的養育や里親という言葉は、身近に感じられないという方もいらっしゃると思います。私自身も以前はそうでしたし、知識もありませんでした。ですが、今は家族と一緒に暮らせないことや関係性をうまく築けないという状況はどんな家族にも、そしてどんな人にも共通するストーリーを含んでいるんじゃないかと思います。

地域のなかで見守られ、育まれる子どもの村の子どもたち

【写真】真剣な表情で語るふじもとさん 一人目のゲストは、認定NPO法人 SOS子どもの村JAPAN事務局長補佐の藤本正明さん。 SOS子どもの村JAPANは、「A loving home for every child(すべての子どもに愛ある家庭を)」というスローガンのもと、主には3つの役割を果たしています。 1つめが家族と暮らすことができない子どもたちを新しい家庭環境「子どもの村」で養育すること(家庭における代替養育)。2つめが相談事業等を通して地域で困難を抱える子ども、そしてその家族を支え、家族の分離を予防すること(家族の分離予防)。そして最後の3つめはそれらの取り組みを日本中に広めていくことです(事業のモデル化と普及)。 1000坪ほどの土地に5軒の家を含む、7つの建物が並ぶ子どもの村。里親登録をした方が子どもの村に移住し、子どもを育てています。福岡市の児童相談所から委託を受け、現在は12名の子どもたちが子どもの村で暮らしているそうです。 【写真】子どもの村の風景。緑が広がる、気持ちの良い空間だ 【写真】子どもの村の中にある、あるお家の中の風景。鯉のぼりが飾られた部屋で、里親が見守るなか、子どもたちが食事を取っている

現在子どもの村では、4つの家庭で子どもたちを育てています。村長をはじめスタッフ、専門家がサポートを行い、家庭を「開く」ようにしていますが、各家庭は独立した生活を送っています。子どもたちは、それぞれの家のお父さんやお母さんが待つ家に帰り、一緒にごはんを食べる。そんなごく当たり前の生活をしています。

また、子どもの村では「地域で育てる」ということを大切にしていると藤本さんは言います。12人の子どもたちのことを近所の方々みんなが知っていて、子どもが泣いていると心配して声をかけてくれるそうです。子どもたちも、農業をやっている近所の方がトラクターに乗っていると「乗せて、乗せて〜」と寄っていくんだとか。地域で守られながら子どもが育つという、当たり前のようで、現代では難しくなりつつあることが子どもの村では実現しています。

我が子と同じ愛情を注ぎ、里子を育てた1年4ヵ月

【写真】スライドで子どもの様子を写しながら語るふじもとさん 「里親」と聞くとみなさんは具体的にどんなイメージをされるでしょうか?法律上も親子関係を結んで、自分の子どもとして受け入れる「養子縁組」を思い浮かべる方が多いかもしれません。でも「里親」とは、一般的に「養育里親」のことを指します。 養育里親とは、家族と暮らすことができなくなった子どもを一定期間家庭で預かり、育てる制度。短い場合は、数日のケースもあります。特に日本ではこの「養育里親」の数が足りず、子どもたちに必要とされているのです。 ご夫婦で養育里親として子どもを育てた経験がある藤本さん。里親について、そして1年4ヵ月間愛情を込めて育てた里子である、ゆうちゃんへの思いを語りました。

転勤中に妻の『里親になりたい』という一言から、さまざまな葛藤、そして審査や手続きを経て養育里親を引き受けることになりました。初めて里子であるゆうちゃんと対面したその日から、我が子として愛情を込めて育てました。ですが、私は転勤中の身。ゆうちゃんを県外に連れていくことはできなかったので、次の転勤のタイミングに合わせて時間をかけながら次の里親さんにバトンタッチをしました。 我が子同然の子を手放すという非常に辛い経験をしましたし、ゆうちゃんにも離別を経験させたことになります。別れがくることがわかっていても引き受けただろうか?そう今でも自問自答しますが、里親をするということは、いつか実親さんに戻すことが起こりうるので、それに対するメンタリティも大事だと思います。

養育里親として子どもを育て、別れを経験した藤本さん。バトンタッチした里親さんとのやりとりを通して小学生になったゆうちゃんの成長を見守っているそう。ゆうちゃんは、今もたくさんの「かぞく」から愛情を受けて育っています。

必要としている人の元に、情報を届けるために

【写真】子どもの村が発行した冊子を片手に参加者の前で語る、たきたさん 続いてのゲストスピーカーは、認定NPO法人SOS子どもの村JAPAN理事であり、九州大学 専任講師の田北 雅裕さんです。田北さんには、SOS子どもの村JAPANについてはもちろん、ご自身の活動や福岡市の先進的な社会的養育について話していただきました。 田北さんは2000年頃から地域コミュニティの課題解決をテーマに「まちづくり」に取り組み始め、さまざまな問題意識を持つようになります。その一つが、本当に困っている人にとって必要な情報が整理されていなかったり、デザインされていないということ。 たとえば、私たちが何か問題を抱えて「相談したい」と思ったとき、どこで相談できるのかを調べることから始めます。私たちと相談先を繋ぐ役割を持っているのが、ホームページなどのメディア。そのメディアが分かりにくければ、相談先にたどり着けないこともあるかもしれません。

相談するって勇気がいりますよね。助けてってなかなか言えないものです。そんな気持ちを抱えながら、相談機関に接触できていない人が見るのがメディアです。メディアのデザインや工夫がその人に新しい情報を伝えたり、元気づけたり、次の行動へと導くこともできるのです。

実際に福岡市の児童相談所のホームページをプロデュースした田北さん。クラウドファンディングで資金を集め、その資金を寄付するのではなく、その資金を使ってできたデザインを寄付するという流れでホームページを作成。市の職員も40人ほどが一市民として自費で寄付をし、協働で制作を進めたそうです。 以前のホームページ、そして、新しくなったホームページを田北さんがプロジェクタに映し出すと、その違いに会場からは歓声が上がりました。デザインの力を会場全体で感じた瞬間でした。

リニューアルする前のHP

リニューアルした後のHP。わかりやすさはもちろん、親しみやすさも

福岡市では、市民を巻き込みながらさまざまな里親プロジェクトが始動

【写真】里親の啓発画像。「いつもの町で暮らしたい子どもがいます。」と書かれている 田北さんのお話は、福岡市での先進的な社会的養育の取り組みに進みます。 福岡市は、里親数の伸び率が2015年まで全国1位。その背景には、2004年頃、福岡市内の児童養護施設が定員いっぱいに近づき、なんとかして里親を増やさなければいけないという切迫した状況がありました。 里親を増やす、というこのミッションを行政から委託されたのはあるNPO。こういった場合、児童福祉関係のNPOに委託するのが通常の流れですが、実際に委託されたのは子どものためのまちづくりに取り組むNPOでした。こうして福岡市とNPOが協働して里親普及や里親支援を行う新しいプロジェクト「ファミリーシップふくおか」が始まりました。 当初、委託されたNPOの職員たちは、里親について深い知識はなかったといいます。そしてその周りにも職員同様、里親について全く知らないという人がたくさんいました。そのNPOのネットワークを活かしながら、今まで里親という領域の知識がなかった人、自分とは関係がないと感じていた人たちに、一気に里親制度が広まっていったのです。 また、福岡市西区では「みんなで里親プロジェクト」という里親を増やすための新しい取り組みが始まっています。たとえば、親の病気などで子どもが一時的に家族と離れなければならないとき。近所に里親がいれば転校することなく以前と同じ学校生活を送ることができます。もともとは「西区校区里親普及事業」という事業名で、情報発信に取り組んでいたそうですが、うまく認知されていなかったそうです。

この事業のポイントは『短期の里親』を増やすことにあります。短期に関わる親が増えるということは、ひとりの子どもをひとりの親が育てるのではなく『みんなで育てる』ということです。それは里親養育に関わらず、誰にとっても望ましい子育てのあり方。だから『みんなで里親プロジェクト』というネーミングを提案しました。

チラシなどに使われている「いつもの町で暮らしたいこどもがいます。」というキャッチコピーは市民公募で選ばれたもの。市民の方々と協働でプロジェクトが進んでいるのです。 また、冒頭、SOS子どもの村JAPANを運営するために必要な年間寄付額が明かされ、その額の大きさに、活動をつづけていくうえでの苦労を垣間見ました。それと同時に、多くの人が子どもの村のあり方に共感し、たくさんの大人のサポートのなかで子どもが育っていることにも気付かされました。

子どもとの縁が深い人生に。亡くなった夫が残した言葉が示唆したこと

【写真】優しい表情で語る、よしおかさん 3人目のゲストスピーカーは、ファミリー心理カウンセラーとして2万組の親子に出会い、さまざまな家族や親子のカウンセリングを行っているよしおかゆうみさん。 よしおかさんのお話は、ご自身が子どもだった頃のエピソードからスタート。ご両親がとてもオープンな方で、子どもの頃、よしおかさんのお家にはいつも家族ではない誰かがいたそうです。

親戚だったり、会社の人だったり、近所の子だったり、いろんな人が家に泊まっていて、それが普通だと思って育ったんです。小学6年生のときに見たメキシコのストリートチルドレンを育てる牧師のドキュメンタリー映画の影響で、将来はどこか丘の上に家を建てて親のいない子ども子どもたちを集めて一緒に暮らそう、なんて考えていました。

そんなオープンな家庭で子ども時代を過ごしたよしおかさんは、幼稚園の先生として仕事を始め、以前の旦那様と出会いご結婚。ですが20代半ばでパートナーが不治の病に冒されてしまいます。職場と家そして病院を行き来するなかでよしおかさんは、バケツ何杯分泣いただろうというほど、自分と夫の運命を呪ったと言います。 亡くなられた日、看病をするよしおかさんに「もういいよ。子どもたちが待っているんだから、子どものところへ行きなよ」という言葉をかけた夫。そのときに、よしおかさんは「これから子どもとの縁が深い人生になるんじゃないか」と確信したと話します。

夫が亡くなったあと、彼の言葉が示唆したように、幼稚園での子どもとの時間がなんと豊かだったことか。一人ひとりの子どもたちの輝きが見えて、それまでの保育とは全く別のとてもいい保育ができました。

次々とよしおかさんの元を訪れる子どもたち

【写真】会場全体写真。スライドを見ながら、参加者のみなさんが登壇者の話を聞いている その後、現在のよしおかさんの活動に繋がるきっかけになる出来事が起こります。 大きくなった教え子から「赤ちゃんを産む。家に帰れないから先生のところに行っていい?」と突然の連絡を受けたのだそう。その子はよしおかさんのご両親の協力も受けながら、産前産後をよしおかさんのご実家で過ごしました。そのことから「もしかしたらこういう子は、たくさんいるんじゃないか」という問題意識が、よしおかさんの中に生まれました。

教え子のことがきっかけで、それ以降、次々と子どもがやってくるようになりました。なぜだか分からないけど来ちゃうんです(笑)。両親や近所の人を巻き込みながら、たくさんの子どもたちに出会い、さまざまな出来事に直面しました。

多くの子どもたちと関わっていたよしおかさんですが、そんな生活のなかで今のパートナーと出会います。再婚したよしおかさんは、弟さんの娘である姪っ子二人と養子縁組をして家族に迎え入れることになりました。 さまざまな家族の問題を抱えていた姪っ子がよしおかさんのお家で口にした「うちに帰らないでここにいたい」という言葉。それに対して「ここでかぞくになればいいじゃん!」と答えたのは、よしおかさんのパートナーだったそうです。 姪っ子たちと暮らしている間にも、次々とよしおかさんの元には子どもたちがやってきました。 10代の男の子を預かったとき、深夜12時を過ぎてもその男の子が家に戻らなかったということがあったそうです。心配したよしおかさんのお父さんは、バットを持って門の外で男の子を待ち構えていました。しばらくして戻ってきた男の子に「何時だと思ってるんだ!!」と激怒。そのときは、「お前に言われる筋合いねえよ」と反抗的だった男の子が、「でも良かった。怪我もなかったし、命も無事で」というよしおかさんのお父さんの言葉を聞いて、わーっと泣き出したのだそう。

その子にとって心配されて怒られる、ということが初めてだったんです。それが嬉しくて泣いたと後で聞きました。それからはすごくいい子になって、家の電球を替えてくれたりもしました。子どもってそういうすごくシンプルで単純な面もあるんです。

たくさんの子どもたちとさまざまな関わり方をしているよしおかさん。子どもと接するうえで、大切にしていることが3つあるといいます。 1つは、自我の尊重。自尊心やプライドを傷つけないように、立ち入らないように気をつけること。2つめが安心。ここは安全で、自分の感情を出していい場所なんだよと伝えること。そして3つめがルール。生活をしていくうえでルールやマナーがあるということを、あくまでゆるやかに伝えること。そして、「完璧主義を捨てる」ということも自身に言い聞かせていると話します。 会場の笑いを誘ったのが、地域の方々とのエピソード。

『今日ちょっとこれがあるから今から子ども預かって!』というと、『今日は無理!』と言われることもあるんですが、『そこをなんとかお願い!』と無茶振りしちゃうんです(笑)。えーとか言われながらも預かってもらっています。

地域のなかで、いろいろな愛情や価値観を子どもたちに伝えるため、子どもと一緒に買い物に行くときはスーパーではなく、八百屋さんや魚屋さんなどを選ぶのだといいます。地域の方に子どもの顔を覚えてもらうということはもちろん、大事なのが「今はこれが旬だからおいしいんだよ」と教えてもらうなどのコミュニケーション。偏食がある子どももそういったやりとりの後だと、苦手な食べ物にもチャレンジすることがあるそうです。

家族と暮らせなかったとしても、誰かの愛情で充実した子ども時代に

トークの終盤、プロジェクタに映された一編の歌詞。

地獄の果てまで堕ちてみればいい 僕は決して手を離したりはしないから  —Taking off / ONE OK ROCK

この歌詞を見ながらよしおかさんは言います。地獄の果てまで堕ちたら、どうせ手を離す、そう思っている子が本当にたくさんいる、と。地獄まで墜ちたらまた一緒に這い上がればいいじゃん、そう言ってくれる大人を子どもは探しているのです。 よしおかさんのトークは、このように結ばれました。

子どもの時間は大人の何十倍も濃いものです。家族と暮らせない子どもたちも、誰かが愛情を向けることで、充実した子ども時代を過ごすことができると思います。ぜひ多くの方に里親をやっていただいて、子どもたちに愛情を向けていただきたいと思います。

【写真】真剣な表情で、登壇者の話を聞く男性 よしおかさんのお話で子どもを育てるということがぐっと身近になったような気がしました。子育ては、決して自分の子どもを産んだひとたちだけのものではありません。地域のなかで子どもを育てる。それは、私たち一人ひとりが子どもたちに愛情を持って接し、子育てに参加するということなのだと思います。

地域のなかで穏やかな関係を作ることの大切さ

【写真】登壇者全員が集まり、トークセッションを行なっている その後は、藤本さん、田北さん、よしおかさんの対談がありました。 藤本さんは、よしおかさんのお話を聞きながら、SOS子どもの村JAPANの大きな役割の1つである「子どもの村」での取り組みを日本中に広めることについて考えたといいます。同じ型を各地に当てはめるのではなく、大切なのはそれぞれの地域の良さや特徴に合わせ、地域のみんなで子どもを育てていくこと。そういったことを前提に柔軟な養育モデルを作ることが重要だと改めて強調されました。 また「穏やか関係性の大切さ」に気付いたと話したのが田北さん。プロや専門家を遠くに探すのではなく、身近な地域のなかで頼れる人を見つけることはお金に換算できないコミュニティの作り方。子どもの村にも新しい地域の人との関係性を取り入れたいと話しました。 よしおかさんは、子どもを育てることに必死で自分をオープンにせざるを得なかったそう。そのことで、電車に乗って遠くに行かなくても、自分の身近な地域には多様な人が集まっていて、いろんな人が協力してくれるということに気付いたといいます。

子どもを見守り、育てる社会の一員としてできることを

【写真】イベントの看板。小さな黒板に、イベントのテーマが書かれている さまざまなかぞくのかたちを感じることができた今回のイベント。 ゲストのみなさんのお話に共通していたのが「どんな人にとっても、現代は家族を維持するのが難しい」ということ。これまで「家族」という言葉は、血縁関係がある人たちだけを指していた部分があるように思います。家族の問題は限られた人間関係の中だけで解決するもの、と感じている方も多いのではないでしょうか? でも本当は、「かぞく」は常に地域のサポートのなかで成立するものなのかもしれません。子どもを育てることも同じです。 親と一緒に暮らしている子、事情があって親と離れて暮らしている子。どんな子どもたちも血のつながった家族のあいだだけで育つのではなく、地域のいろいろな人と「かぞく」になり優しい眼差しを受けて育っていくべきなのだと思います。 子どもたちを見守り、育てる社会の一員として私たちはなにができるのか?soarでは、これからも「かぞく」をテーマにした企画連載を続けていきます。これからも多くの方にご一緒いただき、みなさんで「かぞくのあり方」を考えていくことができれば嬉しいです。

関連情報: soarと認定NPO法人SOS子どもの村JAPANは、「もう一つの“かぞく”のかたち〜これからの社会的養育について考えよう」と題し、子どもたちにとってより望ましい「“かぞく”のあり方」とは何か、読者のみなさんと一緒に考えていく企画を展開しています。 SOS子どもの村JAPANの活動をサポートしたい方は、こちらからご寄付を受け付けています。 特定非営利活動法人SOS子どもの村JAPAN ホームページ

(写真/馬場加奈子)