人は本来、誰でも自分のなかに素敵な世界を持っています。ひとりひとりの世界は、かけがえがなく美しく、尊重されるべきもの。私はそんな風に思っています。
でも、心のなかにある思いをうまく伝えられない人もたくさんいます。
実は、私自身、人と話すことに苦手意識があります。会議で多くの人が集まっている時や、飲み会でみんなが盛り上がっている時…「こんなこと言ったら変に思われるかな」「雰囲気をこわしてしまうのでは」と不安で何も口に出せないことも。
そんな時の何ともいえない緊張感や、いたたまれない気持ち。本当は言いたいことがあるのに、話を振られると口ごもってしまったり、赤面してしまったりして。帰ってきてから落ち込むこともあります。
たとえば、そんな状況が家の外にでたとたん365日ずっと続くとしたらどうでしょうか。
今日、お伝えするのは「場面緘黙(ばめんかんもく)」の当事者の方とそれをサポートする団体の方のお話しです。場面緘黙とは、ことばを理解したり話したりする力があるにも関わらず、特定の社会的場面や状況で話すことができない状態のこと。
(参考:場面緘黙症(選択性緘黙)の診断基準 DSM-Ⅴより)
場面緘黙の方のサポートの方法だけでなく、「コミュニケーションの方法にかかわらず、人は誰でも尊重されるべき素敵な世界を持っている」というメッセージを、話すことに苦手意識を持っているすべての人に伝えられたらと思います。
「パソコンがシャットダウンするように、頭の中が真っ白になる」場面緘黙の症状とは
まず、お話を伺ったのは、場面緘黙の方のサポートを行う「かんもくネット」代表で、臨床心理士の角田圭子さん。
初めて聞く方も多いと思われる場面緘黙とは、いったいどのような症状なのでしょうか。
家などの安心できる場所では話すことができても、特定の社会的状況になると全く、もしくはほとんど他者と話すことができなくなってしまう症状のことです。
症状は人それぞれですが、典型的な症状だと、家で家族とは話せるけれど、幼稚園や学校に行くと友達や先生と話すことが難しいことが多いですね。
学校、特に教室という「人に見られる自分」を意識しやすい場所が最も話しづらいという点は共通しています。
場面緘黙は子どもが発症することが多いですが、大人でも症状がある方はいます。具体的にはとても仲の良い友達だけはお話できる、友達とは話しづらいけど先生となら少し話すことができる、旅行先などの全く知っている人がいない場所では話しやすい、などさまざまなケースがあるそう。
話すこと、あるいは症状だけでなく、他者から見られている状況でトイレに行く、食べる、うなづくなどの日常の小さな行為をすることすら難しくなってしまう場合もあります。
話したり、動いたりすることが難しいとき、場面緘黙の当事者の方はどのような気持ちなのでしょう。
「パソコンがシャットダウンするように、頭の中が真っ白になる」とおっしゃられる方が多いですね。私たちも、突然舞台に立たされて、「はい!演技スタート!」なんて言われると、頭が真っ白になるじゃないですか。おそらく場面緘黙の方にとって、いつ人から話すように言われるかわからない環境では、日常生活すべてが舞台に立っているときのような感覚なのだと思います。
スモールステップで小さな成功体験を積み重ねる
話すことが難しい原因ははっきりわかっていません。でもそのひとつとして、「不安を強く感じやすい」気質があるのではないかと考えられています。
例えば公園で見知らぬ子どもがいたり、新しい遊具ができたり…というときにすぐに飛びつく子もいれば、様子を見て安心できるか分からないとなかなか近づくことができない子がいますよね。
場面緘黙の症状をもつお子さんは、新しいモノや環境に対してとても敏感で、慣れるのに時間がかかるタイプの子が多いと感じます。他者とコミュニケーションをとる際も極度に不安が高まってしまい、話すことが難しくなってしまうんですね。
不安の大きさに加えて、発達障害や吃音、母国語が日本語でないなど、言語的なコミュニケーションの取りづらさがあわさって症状が現れたり、いじめなど後天的な要因で人と話すことが難しくなってしまったりすることもあります。
現在、角田さんは様々な原因から話すことが難しい場面緘黙の方をサポートしています。もともと角田さんが場面緘黙に取り組むようになったのは、約10年前。臨床心理士して働いているなかで、担当していた場面緘黙症状をもつお子さんが、不登校になったことがきっかけでした。
様々な手を尽くしましたが症状は好転せず…試行錯誤のなかで見つけたのが、「場面緘黙症Journal」という海外研究を集めたサイトでした。
当時日本では場面緘黙という症状がほとんど認知されておらず、治療法も広まっていませんでした。そこで、角田さんは当事者や保護者の方と協力して、海外研究を翻訳、公開をする団体「かんもくネット」を立ち上げます。
以来10年間にわたって、場面緘黙についての情報公開やコミュニティづくりを続けてきました。
角田さんたちが、サポートの基本として大切にしているのが「スモールステップ」です。これは、最初は簡単なチャレンジからはじめ、それをクリアした経験を段階的につんでいくことで自信をつける。そして徐々にできることの幅を増やしていく、という考え方です。
例えば、学校で身動きができないくらいの重い場面緘黙の症状がある子に、「いきなり話しましょう」というのはハードルが高いですよね。だから、まずは、先生と保護者と話し合って環境を整え、トイレに行けるようにしたり、給食を食べことができるようにサポートしていきます。体育や図工などの苦手分野や学習面へのサポートも欠かせません。
それからコミュニケーション。でも、やはりいきなり「話しましょう」ということはしません。まずは、身振り・ジェスチャーといったその人にとって負担のない非言語コミュニケーションができるように環境を整えます。先生やお友達との交換ノート、筆談などにチャレンジする子もいます。
とはいえ、これはあくまでサポートの一例。実際、子どもによって話しやすい環境は異なるので、本人の不安感が少ないことからチャレンジしていけるように、その子に合わせて楽しみながら取り組める方法を考えることが大切だといいます。
お友達に家に来てもらって、家で一緒に遊ぶことから始めてみることもあります。外だとおしゃべり身動きができなくても、家なら安心して遊べるお子さんもいるので。
また、ある小学生の女の子は、放課後にお母さんと一緒に教室に行って、誰も友達がいない時におしゃべりするチャレンジを続けました。そこに1人ずつ仲良しの友達に入ってきてもらい、カルタやしりとりなどいろんな遊びや活動を行い、結果的に教室でも話すことができるようになりました。
友達の前で声を出すのが嫌だという子どものために、安心できる場所で話している動画や音声を録って、それをクラスの子に見せるという方法もあるのだそう。そして何より大切にするのは、「子ども自身がやってみたいと思う気持ち」です。
私がかんもくネットを始めるきっかけになったお子さんも、自分から「録音した音声ビデオを教室で流してほしい」と言って挑戦しました。その後、大好きだった担任の先生と話がしたくて、電話の留守番機能を用いてスモールステップで練習を重ねて…その先生と直接話すところまではいきませんでしたが、高校で話せるようになりました。
理解の和を広げることで、話しやすい場づくりを
当事者の子ども自身がスモールステップで成長していくのと同時に大切なのが、周囲の子どもや大人に理解を広めていくこと。そのために、何ができるのでしょうか。
そんな問いを投げかけた私に角田さんが見せてくれたのが、この本でした。
これは、『なっちゃんの声(学苑社)』というかんもくネット事務局のはやしみこさんが描いた絵本です。
はやしさんのお子さんも場面緘黙の症状があり、クラスメイトに症状をどのように伝えたらいいのかを悩んだ結果、この絵本を作ることになったのだそう。
なっちゃんは、場面緘黙の女の子。学校でお友達とお話ししようとするとお腹が痛くなってしまいます。なっちゃんのお母さんは、クラスのお友達にこう説明します。
「みんな、大きな舞台で発表会に出たことある?大勢の人が見ている前で歌を歌うことになったら、とてもドキドキして怖いよね。いつも、みんなと話そうとするときのなっちゃんはそんな気持ちなの。ゆっくり慣れていくからみんな楽しく遊んであげてね。」
すると、みんなが「なっちゃんがそんな気持ちだったなんて知らなかったな。いつも『なっちゃん、なんか喋ってみて』ってたくさん言っちゃってごめんなさい。これからも仲良く遊ぼうね」と話し合うのです。
角田さんが担当している場面緘黙のお子さんのなかには、この本をクラスで先生に読んでもらう子も多いのだとか。
その際に、一言みんなに感想を書いてもらったり、「こうしてもらえたら嬉しい」「いつもこうしてくれてありがとう」といった自分からのメッセージを一緒に添えてもらったりすることもあります。
この前担当した男の子は「いつも休み時間サッカーを一緒にしてくれてありがとう」というメッセージをそえて、先生に「なっちゃんの声」を読んでもらっていました。いつも休み時間に一緒に友達と遊べてとても楽しいけれど、なかなかその気持ちを伝えられないから、これを機会に伝えたかったそうです。
読んだ後の感想も子どもによって様々。いつも「『あ』って言ってみて」って無理に言ってごめんね」とか「自分もなかなか気持ちを言えない時があって、すごい気持ちがわかるよ」とか、それぞれ一生懸命考えて書いてくれています。
こうした機会を持つときに大切なのは、本人の了承を得ること。必ず学校と家庭でどういう形で本を読むか打ち合わせをします。子どもがよく分かっていないうちに無理にやらせてしまうと、心に大きな傷をつけてしまうことになりかねません。
ただし、「イヤだ」と言う子どもでも、心の中で感情がせめぎ合っていることもあり、一度ダメでも丁寧に時期を選んで働きかけます。サポートは、本人の了承と意思に基づいて行うからこそ意味があるのだと思います。
そばにいる家族の理解が、いちばんのサポート
周囲の子どもたちや大人の理解を得ることも大切ですが、いちばん身近にいる家族のサポートはとても大切です。でも、場面緘黙が世の中にあまり知られていないことで、本人の意思とは関係がなくでてしまう症状だということを知らずに、人前で挨拶をしない子どもを責めたりきつく叱ってしまう方も多いといいます。また、話すことが難しいのは子育ての仕方が悪かったせいだと、自分を責める親御さんもいるのだそう。
そんなお父さん、お母さんに角田さんはこう声をかけます。
けっして、子育ての仕方がよくないから、場面緘黙になるわけではありません。もともと繊細な気質で、話すことが不安なだけだということを知ってもらいたいと思います。
場面緘黙は、不安により無意識に発話を避けてしまうくせのようなもの。不安のために発話を避けていると、次に話そうとする際にさらに不安が高まってしまう、という循環が生まれます。これを好循環にもっていくためにも、家族によるサポートはとても重要。一旦話せるようになると好循環が生まれ、話せる場面が増えていくことが多いです。
しかし、環境の変化によって話すことができるようになったり、反対に難しくなったり。それを行ったり来たりする子もいます。場面緘黙との付き合いは長期戦。その子のペースを見ながら、ゆっくり付き合っていくことが大切です。
また、場面緘黙のお子さんを持つ親御さんは悩みを話せる場が少なく、PTAや行事などの集まりで周囲の親御さんとの付き合いが難しく、孤立してしまうこともあります。
かんもくネットでは、緘黙児を持つ親をつなぐ座談会の開催だけでなく、周囲の親に子どもの症状を説明するときのリーフレットを用意しています。
そして場面緘黙のお子さんを持つ親御さんがいちばん気になっていることは、進学、そして就職のことです。将来、受験の面接や就職ができるのか、職場でうまくコミュニケーションがとれず孤立してしまうのでは…と不安を抱える親御さんも少なくありません。
進学をきっかけに新しい環境に変わることで「話せない」という周囲からの視線から解放され、話すことができるようになる方もいらっしゃいます。
入試やアルバイト、英検の面接にチャレンジしたことから話せるようになっていった。音楽やアートやボランティア活動を通して話せる場が広がった。雑談は難しいけど、専門的な分野の仲間とだったら話が出来るという方も。だから「話すことは絶対無理だ」と絶望をせず、希望を持ってもらえたらと思います。
また、発達障害の方のための就労支援を利用して、親が雇用にあたって事前に職場の方と打ち合わせをしたり、スマートフォンを使って意思疎通ができるように工夫をしたりと、本人をサポートできるケースもでてきました。
これも、場面緘黙の方が少しでも働きやすいようにと作られたものなんです。
そう言って角田さんが見せてくれたのは「当事者用提示カード」。
「場面緘黙という症状があり、話すことが苦手です」
「YES.NOで答えられることを質問してください」
「筆談なら答えられます」
そう書かれたカードは、緘黙の方と社会のかけはしになることもあります。
以前、新聞配達をしている場面緘黙の男性が近くで事件があった際に、たまたま警察の検問を受けたことがあったそう。強く詰問され、筆談で「場面緘黙」と書いてもわかってもらえず、とても困ったといいます。このカードを出すことにも勇気がいりますが、免許証や保険証と貼り合わせておくと緊急時に役立ちます。
ひとりで頑張ろうとするのではなく、身の回りのツールを使って周囲の人の理解を得ながら社会とのつながりを作っていく。それが安心して生活していくうえで、重要なポイントになるのです。
すぐに「話すこと」を求めないで。ゆっくり待つことの大切さ
場面緘黙の子って、自分に自信がなかったり、不安を強く感じる子が多いように思います。だから周りの人は、その子の得意なところを認めてあげてほしいと思います。きっと、それがきっかけで色々なことに対して前向きに取り組めるようになる子もいると思うから。
お子さんをあやしながら、優しい口調で話し始めてくださったのは金嶋智子さん。
金嶋さんは、幼い頃から不安を感じやすい気質で、幼稚園の頃から園では返事や挨拶ができず、先生ともクラスメイトとも全く話すことのできない場面緘黙の症状がありましたが、スモールステップで様々なことに挑戦し、中学に入った頃から少しずつ授業中にクラスメイトの前で発言できるようになったといいます。今は、1歳のお子さんを育てるお母さんでもあります。
金嶋さんは小学校に入るときの就学前健診で症状があるとわかり、ことばの教室に通い始めました。小学校では「緘黙児」という認識が先生たちのなかにあり、サポートが必要だという共通理解もあったといいます。
ただ、当時はまだ全く緘黙についての情報が広まっていなかったため、どのような支援が必要なのか先生方も試行錯誤していたそう。そのため、返事や挨拶ができないことを叱責されたり、放課後毎日のように音読の練習をする時間を設けられたり、つらい思いをしたり不安が増したりすることも多かったといいます。
金嶋さんは先生からの提案で、小学校2年生のときから、話す代わりに紙に書いて伝える筆談の練習をしはじめました。
徐々に、教室で「終わりました」などの簡単な報告が紙に書いてできるようになりました。
ある日、校庭で遊んでいるとき、紙と鉛筆がなくて。友達に聞かれたことの返事を「耳もとで言って」と言われたのが、はじめて話せた瞬間でした。
少しずつ筆談などでコミュニケーションを取り始めたころ、金嶋さんにとって、とても嬉しい出来事が起こります。それは、小学校3年生の担任の先生からの言葉がけでした。
それまで周りの大人はみんな、私が少しでも早く声を出して話せるようになることを求めているのだと思っていました。小学校3年生の時の担任の先生は少し違って。筆談というみんなとは違う手段でコミュニケーションする私のことを認めてくれて、コミュニケーションをとることの楽しさを教えてくれました。その上で「いつか声を出してお話ししようね」と声をかけてくれていたんです。
話したくないんじゃなくて、話したいんだけれど今は話せないのだということをちゃんと分かってくれているというか。嬉しかったですね。
先生の協力もあり、金嶋さんは学年があがるにつれて話すことのできる場面が増えていきます。小学校6年生になる頃には、買い物に行ったときにお店の人と話したり、他校の友達と話したり。学校の外では話をすることができるようになっていました。
一方、学校では話せない期間が長かったことで、話したときに周りがどのように反応するのかが怖くて、一部の友達以外とは話せない状況が続きます。
歌のテストって、やりたくないけれど我慢してやっている子も多いじゃないですか。私は歌のテストなど声を出さなくてはいけない場面では声を出せないのに、休み時間など友達と遊ぶ時には話すことができていたので、「自分の話したい時だけ話していてずるい」「やりたくないことをやらないのはわがままだ」ということを言われるようになってきて。
私もその頃は自分の症状に場面緘黙という名前があることも知らなかったですし、場面緘黙の知識がなかったので、そういわれると「確かにそうだよな」と思ってしまって。「私ってわがままなのかな?」って悩んで友達と話すことに罪悪感を感じるようになってしまい、孤立するようになってしまいました。
そんな金嶋さんをサポートしてくれたのも、やはり学校の先生でした。
担任の先生は、金嶋さんが家に帰ってからいつも電話をしてくれたのだそうです。先生との会話はほとんどできませんでしたが、そのとき、先生からの提案で「交換日記」を始めます。
交換日記の中で、金嶋さんは、当時のありのままの気持ちを先生に打ち明けました。
「話せるようになりたいと思っているのに、どうしたら話せるようになるのか自分でもわからない」ってそこで初めてはっきりと伝えたんです。それまでは、学校で話せないことにふれられることが嫌で、その話題からずっと逃げていました。話すことに対しても先生が「こうしてみたら」ということを受動的にやっていただけだったのですが、そこから自分の意識も変わりはじめて。話すことに対して前向きにチャレンジしていきたいと思えるようになったんです。
そして、金嶋さんは中学に入るころには、中学に入った頃から少しずつ授業中にクラスメイトの前でも発言できるようになったといいます。
理解のある先生や親に囲まれて、サポートを受けてきた金嶋さんが最後に、場面緘黙のお子さんを支える大人に伝えたいことがあります。
小さいころから「失敗してもいいんだよ」というメッセージを伝えてほしいです。場面緘黙の症状がある子って、すごく不安が強いので、失敗を怖がる子が多いと思うんです。だから「大人でも失敗するし、失敗しても大丈夫だよ」というメッセージを、たくさん伝えてもらえたらと思います。
以前、お母さんが料理を作っている時に揚げ物を焦がして「失敗しちゃった!」と笑っているのを見て、とても安心した覚えがあるという金嶋さん。日常生活のなかで大人が積極的にそうした態度を見せてあげることが安心感につながるのかもしれません。
学校で先生のちょっとしたお手伝いをしたときや、私が作文を書いたときにさりげなくほめてくれたことがあって。それが本当にうれしかったんですね。だから、「話すこと」だけを期待するのではなく、その子の良いところを認めて伸ばしていってもらえると嬉しいなと思います。
私にもできるんだ!という自信が次へのステップにつながる
金嶋さんからは場面緘黙の当事者として子ども時代のお話を伺いましたが、緘黙児の親御さんはどんな気持ちを抱いているのでしょうか。20代の場面緘黙の娘さんを持つさくらばさんに、お話を聞いてみました
さくらばさんが娘さんに場面緘黙の症状があると気付いたのは、小学校2年生のときでした。
2年生の秋の学習発表会で劇の発表があるのですが、先生から「娘さんは話すことが難しいので、役を割り振れない」と言われて。家では普通に話せていたので、驚きが大きかったですね。
とはいえ、当時は場面緘黙に関しての情報が全くなく、さくらばさん自身も娘さんをどうサポートしてよいかわからない状態が続きました。小学校4年生になると、娘さんが「学校へ行きたくない」と言うようになります。
先生の理解がなく、無理やり話させることはないものの「あの子はどうせしゃべらないし、文字も読めないからプリントを配らなくてもいいよ」と言うこともあり、娘さんにとってつらい時期が続きました。
転機になったのは、5年生のとき。担任の先生が変わり、クラスの雰囲気も少しずつよくなりはじめます。
先生があたたかくてみんなをまとめていくタイプで。娘のことも名前で呼んでくれて、ことあるごとに声をかけてくれました。先生がそうやって関わってくれると周りのクラスメイトも一緒になって関わってくれることが増えてきたみたいなんです。
「私はこのクラスの一員でいいんだ」という気持ちが持てて、その時はすごく学校を楽しんでくれていたので、救われました。
娘さんが中学3年生になったとき、さくらばさんは「かんもくネット」に出会います。それまで、場面緘黙に関する知識がなかったさくらばさんは、ホームページにたくさんの情報が載せられているのを見た瞬間、「やっと見つけた」と感じたといいます。
「スモールステップ」というものを初めて聞いて、まずは実践してみようと。私が学校に通って、教室の中で私と会話することから始めました。緊張して最初はなかなかうまくいかなかったのですが。
でも、ある日声を出すことができて。それが、娘が小学校に入学して時以来声を9年ぶりに学校で出せた瞬間でしたね。
その後、自信がついた娘さんが「電話だったら話せるかも」と言ったことをきっかけに、別の教室にいる友達と電話で話すというチャレンジを行うことに。
先生が「今日◎◎さんと電話で話すから、教室に残ってくれる人はいるかな?」と問いかけると、なんとほとんどの人が「やる!」と手を挙げてくれたそう。周りの子どもたちがとてもあたたかく、雰囲気のいいクラスだったので、さくらばさんは安心してチャレンジができました。
そのときは、女の子たちが次々と電話で話しかけてくれて、最終的にはすべての友達と言葉を交わすことができたのです。
最後には、女の子たちが「今からそっちの部屋に行ってもいい?」と言ってくれて。直接言葉を交わすことができたのが、本当に嬉しかったですね。その時、本当に初めて友達に声を聞かせることができたんです。
あとから、そのとき電話に出てくれた子のお母さんが「すごく本人にとってもいい経験をさせてもらって、ありがたかったです」言ってくれて。周囲の人にとても恵まれていましたね。
親子二人三脚で一緒に毎日を、そして人生を楽しんでほしい
現在、さくらばさんの娘さんは就職活動中。もともと「チャレンジ雇用枠」という制度を使い、公的機関で契約社員として2年間働いていましたが、毎日大勢の人が出入りする職場環境があわず、徐々に職場自体が怖くなっていってしまったそうです。
職場の人もとても気を使ってくれていたものの、やはり「これは違う」「ちゃんとして」と言われることが負担になってきてしまったようで。
鬱状態になってしまったので、無理して行っても…ということで、今は少しお休みしています。この間、B型作業所である喫茶店に初めて行って、これからそこで週に2~3回仕事をしてみようか、と話しているところです。
本人も「車の免許を取ってみたい」とか言っているので、多くは望まず、ゆっくりとそういった別の方面に目を向けてみてもいいかなと思いますね。
新しい就職先での仕事に向けて少しずつ準備を進めている娘さん。実は、頑張るモチベーションは意外なところにありました。
娘は、高校に入ってからあるアイドルグループのファンになったんですが、あの子にとって人生を変えた出来事だったと思うんですよね。
CDが出ると、予約をしないと買えません。だから近所のCDショップに行って予約をするために、店員さんと話さなくてはいけない。
普通だったらやりたくないと思うんですが、彼らが好きだから申し込みに行く、ネットでファンの子たちと知り合って、その子たちとライブを見に行く、そのために東京に行く…そうやって好きなことから、どんどん世界が広がっていって。できないと思っていたことができるようになっているのが本当に親からしても嬉しいです。
今は「ライブに行くために、仕事をしてお金を稼ぎたい」というのが娘さんのモチベーションになっているとのこと。好きなことをとことん突き詰めていくことが、社会とつながる原動力になっているのです。
そして、娘さんの就職活動を通して、さくらばさんは強くこう思うようになっていったといいます。
もし小さいころからわかっていて支援を受けていたらもっと違う形での未来があったのかなと思うんです。娘は、場面緘黙と併せて発達障害もあるのですが、それも大学4年生で診断を受けるまで分からなくて。
幼稚園の先生や学校の先生というプロの方が早期に発見して、親に対処法を教えてくれるような環境だったらよかったのになと思いますね。特に場面緘黙は、学校生活を送るうえで先生の迷惑にならないので見逃されてしまいがちかもしれませんが、その子ひとりひとりにあったサポートをしてほしいなと思います。
最後に、さくらばさんは娘さんへの思いをゆっくりと語ってくれました。
私は、娘のことをとても誇りに思っているんです。
自分の苦手な状況、苦しい場所でも乗り越えようと長年チャレンジしつづけて、周りの人を妬むこともなく「私は幸せだ」と言い切れる娘は、心がキレイだな、強いなと思っています。
私は虫がとても嫌いなのですが、家を出て虫が周りにたくさんいて、誰も助けてくれなければ泣きながら家に引きこもると思うんです。
これは変なたとえかもしれませんが、場面緘黙の子は毎日外に出るときにそのくらいの恐怖を感じるらしいです。その恐怖のなかを毎日頑張って生きている娘を、誇らしく思わずにはいられないでしょう。
日々成長している娘さんを見て、さくらばさんは場面緘黙のお子さんを持つお父さん、お母さんに伝えたいことがあるといいます。
子どもってすごく成長するし、昨日できなかったことが、今日突然できることもあるし、親が思っているよりもずっと強いんですよね。場面緘黙を克服された方に聞くと「親が暗い顔して悲しんでいるのが一番嫌だった」と言います。
親が暗い未来を抱いていると本当に暗くなってしまうから、必ず幸せな未来が来るはずだと信じて、まずは親が子どもと一緒に人生を楽しんでください。そう伝えたいです。
コミュニケーションの方法に関わらず、ひとりひとりの世界を大切に
今回、角田さんや金嶋さん、そしてさくらばさんにお話しを伺って、スモールステップを踏みながら、一人ひとりにあったサポートを早期に行っていくことが対話なのだなと、私は感じました。
大切なのは、本人の意思を尊重しながらサポートをすること。学校の先生や友達、専門家など周囲の人と協力しながらサポートすること。
そしてみなさんにお話しを伺って私が感じたのは、他者と「話すこと」だけが本当のゴールではないのかもしれないということです。
もちろん話すことができることで、簡単に他者とのつながりを得ることはできるかもしれません。でも、大切なのは、コミュニケーションの力を高めることだけではなく、「その子が自分を好きになることができること」なのかもしれません。
だからこそ、好きなことをとことん応援する、自分の得意なことで自信をつけてもらうといったサポートも、話すためのスモールステップのサポートと同様に場面緘黙のお子さんにとって大切なものではないのかと思うのです。
誰もが自分を好きになるためには、周りの人の優しいまなざしも大事なのでしょう。
以前あるワークショップに行ったとき、知らない人に囲まれて緊張であまり話すことができなかった私に、後日メッセージを送ってくれた方がいらっしゃいました。
「一緒の時間を過ごして、あなたの雰囲気から、内側に素敵な世界を持っているはずだと感じました」
そのメッセージが本当にうれしくて。今でも宝物のようにその言葉を思い出すことがあります。
「人はだれでも、内側にかけがえのない自分の世界を持っている」
そんな価値観が広まったら、きっとすべての人が「あたたかいまなざし」のなかで生きていくことができる社会になるのかもしれない。私はそんな風に思うのです。
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(イラスト/ますぶちみなこ、監修/井上いつか)