誰かを優先してしまい、自分の気持ちを置きざりにしてしまうことはありませんか。
私自身、家族が風邪をひいたときに看病をしたり、落ち込んでいるときに励ますことに一生懸命になってしまい、後になってふと疲れ切った自分に気づくことがありました。
もし、長い間自分よりも誰かのために生きる時間を費やしていたら、自分の心に耳を傾けることを忘れてしまうこともあるかもしれません。
気づけばずっと「どうせ自分なんか」とか「私のことはいいんです」って思ってました。 でも今は違います。生き方が途中でちょっと変わったんですよね。
穏やかに、でもしっかりとした口調でそう話してくれたのは、「病気や障害のある子どもの“きょうだい”(以下きょうだい)」への支援をしている、「NPO法人しぶたね」代表の清田悠代さん。
清田さんご自身も弟の心臓病が発覚後、“きょうだい”として弟と家族のことを支えようと生きてきました。きょうだいとしてどんな気持ちで過ごしてきたのか。そしてきょうだい支援とはどんなサポートなのか、清田さんにお話を伺いました。
病気や障害のある子どもの“きょうだい”のために
しぶたねは2003年から、大阪を拠点に関西地方での活動をメインに続けてきました。様々な病気や障害のある子どものきょうだいの支援として、ワークショップの開催や、病院でのきょうだいの居場所づくりなどに取り組んでいます。
気づけば自然と側にいる“きょうだい”という存在。育っていく過程で、背丈や性格、得意なことなど、一人一人に違いが現れてくると思います。中には運動が得意だったり、内気な性格だったり、そして病気や障害のある子どもだっています。
物心つく前であれば、病気や障害の意味を理解するのは簡単ではありません。頭で理解をする前からサポートをしてあげることが日常になっていたり、きょうだいを受け入れる過程で過度な我慢をしなければならないこともあるかもしれません。
重い病気をもつ子どものきょうだいは「自分は病気ではないから、もっと頑張らないと注目してもらえないんだ」という気持ちや、障害のある子どもに対して「気にかけてもらっていてずるい」といった嫉妬の気持ちを抱くこともあります。中には「自分のせいで兄弟は病気や障害に苦しんでいるのでは?」と罪悪感を持つこともあるそう。
複雑な気持ちは、病気が治ったとしても、そして大人になってからも続くこともあるのです。しぶたねでは、きょうだいの抱くどんな気持ちであっても受け止めること。そして「ひとりじゃないよ」と伝える活動をしています。
私が弟とお母さんを守ってあげなければいけない
清田さんご自身も言葉にできない思いを抱えながら、大人になりました。
弟が心臓病だとわかったのは、私が13歳のときでした。それまでは喧嘩もしながら、“普通”の姉弟として過ごしていたんです。
病気のことがわかってすぐに、清田さんは両親から説明を受けます。
心臓の絵を書いてくれて、弟は急に心臓が止まって、亡くなってしまうかもしれないんだって。それから「お姉ちゃんはもう中学生で子どもじゃないから、お父さんとお母さんと一緒に弟のことを守っていけるよね」と言われたことを覚えています。
このとき、今日から両親には迷惑をかけてはいけないな。私は弟を守る側なんだって、強く意識しました。
それからは通学も、学校内でも、ご両親は弟さんの外出時はずっとつきっきりの状態。
ある日の夜、清田さんはお母さんがこっそりと泣いている姿を見たことがありました。その時に芽生えたのは、「お母さんのことは、私が守ってあげなければならない」という思いでした。
この時の清田さんは「自分は我慢をしている」だとか、「つらい」といった感情を持ったことはなかったのだそう。それでも、気づかぬうちに言葉にならない複雑な気持ちを抱いていたのかもしれません。
清田さんの高校入試の2日前に、弟さんの心臓が止まって緊急搬送されるということがありました。
「明日弟が死んでしまうかもしれないけど、入試に行かなかればいけない」
納得できるはずもない現実を突きつけられた清田さん。自分の気持ちにふたをして、会場へ向かいました。けれども午前の試験が終わった昼休み、同じ中学校の友人とお昼ご飯を食べているときに、大きな違和感を持ちます。
友達はお母さんの手作りの“合格カツ弁当”とかを食べているけれど、私は朝自分でコンビニで買っていったパンを食べていたんですね。みんなは午前中の科目の答え合わせに盛り上がっているけど、私は弟のことが頭から離れない。
でも今、受験を頑張る友達に、突然弟の容態のことを話すわけにはいかないと思っている自分…その温度差みたいなものは、今思えばつらかったよなあって思います。
本当は受験を応援してほしい。お弁当だって作ってほしい。でも、緊急事態だから仕方がない。いま命に関わる重大なときを過ごしていてる弟を、本当は自分だって病院に行って見守りたい。だけど今、受験という大切な節目を迎えている…。
それでも清田さんは「仕方がない」と、すべてを受け入れざるを得なかったのです。
大好きな弟と、外の世界をつなぐ接点をつくろう
病気を発症後は喧嘩をすることもなくなり、清田さんと弟さんは“親友のように”仲良く毎日を過ごしていました。
お母さんと一緒に学校へ行き、一緒に帰り、家の中でゲームをする。次第に友人と遊ぶことも少なくなり、同じような毎日を繰り返す弟さんに、清田さんは外の世界との接点をつくろうとします。
今のようにネットも発達していなければ、サービスも少ない。だから私が外で流行っているものを教えたり、買ってきて、弟と外の世界を繋ごうとしていました。弟がゲームをクリアするのを一緒に見たりしてよく遊びましたね。すごく仲の良いきょうだいでした。
弟さんのためにたくさんの時間を費やし、それが楽しくもあったという清田さん。2人で過ごす時間に心地良さを感じていました。
当時は気づけなかった周囲の優しさ
弟さんが大好きだという思いを持つ一方、清田さんは自分自身を抑え込んでしまっていたところがあったのだと続けます。
「どうせ自分なんか…」「私のことはいいんです」といった気持ちが強くて…当時は周囲の優しさにも気づけていなかったなって思うんですね。
例えば、弟さんのことで手一杯に見えた両親に、自分の三者面談があることをどうしても伝えられなかったことがありました。当日たった1人で先生のもとへ行き事情を話すと、先生は「そうなんや、いろいろなことがあるね」と何も追求をしませんでした。今思うと、自然体で横に座っていてくれたことは、とてもありがたいことだったと振り返ります。
他にも、その後の清田さんの人生に大きな影響を与えた、ある出来事がありました。
入試の前に弟さんが倒れて、ICUの前で1人で泣くしかできなかったときのこと。見知らぬおばさんが“お味噌汁を入れるような塗りのお椀”に、温かいお茶を入れて出してくれたのです。後になって、そのおばさんはお父さんの知り合いだったのだと知りました。
亡くなるかもしれない弟のいる、多感な時期の中学生に、どう声をかけたらいいんだろうって普通は躊躇してしまいますよね。でもおばさんは「高校ではどんな部活に入りたいの?」とか、たわいもないことを話して落ち着かせてくれたんですよ。
当時は弟さんの容態のことで頭がいっぱいだった清田さん。こうした「言葉にして伝えるだけではない自然なサポートのかたち」に気づいたのは、時間が経ってからでした。
そしてこの出来事は、清田さんの進路選択にも影響を与えます。
「将来何をしよう」と思ったときに、あの日のことを思い出したんです。おばさんは仕事ではなかったけれど、私も病院で泣くしかできない家族の人に、お茶を出すような仕事がしたいと思って。そこから、ソーシャルワーカーを目指すようになりました。
弟を失った悲しみで、心にぽっかりと空いた穴
清田さんはその後、大学の社会福祉学部に進学しました。将来のために学びに励んでいたときに突然、日常をがらりと変えてしまう出来事が起こります。
弟が、亡くなってしまったんです。
ずっと家族全員でサポートをしてきた弟さんが、突然亡くなってしまった。この事実をすんなりと受け入れられるはずがありません。
そこから一週間、清田さんのお母さんは高熱を出して寝込んでしまったのです。清田さんは「母が弟の後を追うんじゃないか」と大きな不安にのみ込まれ、弟を失った悲しみをきちんと感じることができずにいました。
さらにお父さんは、弟が亡くなる10日前に自身の父(清田さんの祖父)を亡くしていたこともあり、深い悲しみの渦中にいました。
当時は、歩いていた道がざっくり崖になるっていう、絶望しかなかったです。
お葬式の時に帰っていく人たちが「お姉ちゃんがお母さんを支えてあげてね」と声をかけてくれるんですよね。「でも母の心に弟が開けた穴が大きすぎて、私ではそれを埋めることができない」っていう焦りとか、自分が生きている罪悪感みたいなものがあって。弟のいない寂しさにふたをして、きょうだいとして周囲から求められていることに対処している感じだったんですよ。
ずっと世界の中心だった弟という“希望”を失い、さらに自分の気持ちと向き合う余裕も持つことができない状況に、清田さんはふさぎこむようになります。何もやる気が起きず、大学にも行かずに家で長い時間を過ごしていました。
救ってくれたのは、大人のきょうだいたちだった
家に引きこもっていたある日、ふと置いてあるパソコンが目にとまりました。当時はまだブラウン管のパソコンが使われていた時代でしたが、機械が好きな弟さんは自らインターネット接続までしながらも、突然亡くなってしまったのでそのままになっていたのです。
「仲間に出会いたい」
突然ひらめいた清田さんはパソコンを開き、「兄弟 病気」といったキーワードを入力して検索をしました。アメリカできょうだい支援行うドナルド・マイヤーさんのページにたどり着きます。英語がわからないながらも、どうにかきょうだいたちが集まるメーリングリストの登録をし、そこで弟の話をしました。
「弟が死んじゃって今どこにも出かけられない状況だけれど、私は小さいきょうだいを助けたいんだ」みたいな、私の下手な英文を読んで、アメリカ、ドイツなど色々な国のきょうだいがとても心配してくれました。
「カウンセラーの人にちゃんと相談しているの?」「家にはワーカーの人は来てる?」と聞かれて。海外ではそれが当たり前なんだと知って驚きましたね。
当時清田さんは、子どもを亡くした親の集まりはあっても、きょうだいが参加できる場所をなかなか見つけることができませんでした。一度だけ、きょうだいも参加できる遺族会に参加しましたが、参加者はやはり親がほとんどで、彼らの悲しみに圧倒されて帰ってきてしまいます。
私は今、“遺族としての心を癒す”段階ではないかもしれない。きっと、自分がきょうだいとしてつらかったことを整理するのが先なんだろうなって、きょうだいたちと接する中で気付いたんです。
メーリングリストを通して、まだ日本で「きょうだい支援」がほとんど知られていなかった中でも東京で活動を始めていた、有馬靖子さんに出会うことができました。きょうだいが集まる機会の企画もしていた有馬さんを通じて、日本国内の大人のきょうだいとの出会いにも恵まれていきます。
自分以外のきょうだいと思いを分かち合うことで、清田さんは「私もそう思っていた」と、きょうだいとしての感情に気づいていきました。そしてようやく「ここが私の居場所だ」と思えるようになったのです。
「小さいきょうだいたちを助けたい」支援活動をはじめる
有馬さんたちとの出会いをきっかけに、ドナルド・マイヤーさんの来日ワークショップにも参加をした清田さん。このときある決心をします。
マイヤーさんがきょうだい一人一人に「君はひとりじゃないんだよ」と話しかける様子を見て…「ああ、私ひとりじゃないんだよって言ってほしかったんだな」と、やっと自分を認めることができたような気がしました。
同時に、今ひとりだと感じているきょうだいたちに「ひとりじゃないよ」と言ってあげたいなっていう気持ちで涙が止まらなくなって。
清田さんの心の中にはいつも、中学生のころ病院の廊下で見た、“小さい”きょうだいが泣きながら家族を待っていた姿がありました。小児科では、中学生以下の子どもは感染予防のため病棟の中に入ることができず、きょうだいは病棟の前で待っていなければならないことがあるのです。
“小さいきょうだい”たちを助けたい。
溢れ出した思いを実現するため、清田さんは行動を起こす決心をします。
そこで2003年に、清田さんの大学の先輩と心理学を学ぶ大学生とともに、まずはボランティア団体として活動を始めたのです。活動の名前は「しぶたね」と名付けました。
名前の由来は、“きょうだい”の意味をもつ英単語「シブリング」と、きょうだいたちが安心していられる場を増やすための種まき活動をしていこうという思いを込めて、「たね」を組み合わせたものです。
医療関係者からも応援を受け取り、しぶたねの活動がスタート
活動を始めるとすぐに、これまできょうだいへのサポートが何もできずもどかしい思いを抱えていたという医師や看護師が、清田さんに声をかけてくれたといいます。
あるお医者さんの経験では、病気で亡くなってしまうことがわかっている子どものきょうだいが、気持ちのバランスを崩してしまったことがあったそうなんです。
先生も看護師さんもご家族も気づいていたけれど「でも今はどうしようもないんだ、ごめんね」という気持ちで何もできずにいたら、その子は自殺してしまって…ものすごく辛かったんだと、話してくれました。
「きょうだい支援は絶対必要だから」と、医療関係者からたくさんの応援を受け取り、清田さんは小児医療を扱う研究会や学会できょうだい支援の必要性を訴え続けます。
2016年には、しぶたねはNPO法人格を取得しました
現在は年に4回ほど、米国きょうだい支援プロジェクトが開発したプログラム「シブショップ」をモデルにした、きょうだいが遊ぶワークショップ「きょうだいの日」を開催しています。きょうだいの日は小学生向けの他にも、きょうだいと親御さんが一緒に過ごす会や、中学生以上が参加できる会もあります。
他にも、病院の廊下で両親を待っているきょうだいと一緒に過ごす場を設けるなど、病院内でのきょうだいの居場所作りにも力を入れているそう。
NPO法人になってからは、きょうだいの応援団を増やすための「シブリングサポーター研修ワークショップ」を各地で開催したり、きょうだいが当たり前に大切にされる社会を目指して、啓発や講演などの活動も増えました。
運営に関わるのは大人のきょうだいや、支援職、学生などのボランティア50~60名程度の人たちです。ボランティアでしぶたねに関わる人の中には、10年以上の付き合いの方もいるのだとか。
しぶたねに参加するきょうだいたちのほとんどは、病院の紹介やインターネットによって情報を見つけた親御さんに、連れられて来ているといいます。
親御さん自身、きょうだいのことを気にかけながらも「病気や障害をもつ子どものケアで手一杯で、思うようにきょうだいと関われないない」などの悩みを持っていることも少なくありません。しぶたねでは親御さんが一人きりで抱え込まないよう、親御さんの気持ちもまた受け止めること。そしてきょうだいのことをともに見守りながら、時には相談を聞いたりと、親御さんのサポートもしています。
きょうだいたちに「自分が主役になる」経験を
「きょうだいの日」には、年齢も性格も様々なきょうだいが参加します。
下を向いてゲームをしながらさりげなく周りをうかがっている様子の子ども、片付けや準備を積極的に手伝ってくれるような子ども…一人一人違った思いを持って参加しているきょうだいを、しぶたねではまるごと受け入れて、ただただ一緒に時間を過ごしているのです。
きょうだいの日ではあえて自分の話をする時間は設けていません。話しても、話さなくてもいいと考えているからです。
夢中で一緒に遊んでいるだけのことがほとんどですよ。
以前工作をしたときには、横で一緒に作業をしながら「私は夏休み、病院と家の往復しかしていないんだ」「どこも遊びに行けないけど、でも妹ちゃん頑張ってるから、私も頑張るんだ」と話をしてくれた子もいました。気のきいたことは言えないので…「そっか。そうなんだね」ってみんなで耳を傾けていました。
目の前のきょうだいと向き合って、気持ちを受け止める。そんなふうにして、きょうだいたちが「ここでは自分が主役だ」と思えるような場所を、しぶたねはつくっているのです。
病気や障害のある兄弟姉妹のことを好きになれないことだって自然なこと
きょうだいが抱いている気持ちは人それぞれ。病気や障害のあるきょうだいに対して、行き場のない怒りや嫌悪感のような気持ちを持ってしまうことだってあるのです。でも、「兄弟姉妹は必ず仲良くしなくてはいけないというわけではないはずだ」と、清田さんは話します。
健康な兄弟姉妹どうしでも、距離感や仲の良さはさまざまです。病気や障害があるからといって、「仲良く助け合わなければならない」といったプレッシャーがかからないといいなって。「家族は仲良くあってほしい」「きょうだいで助け合ってほしい」など、無意識のうちに周りの大人が子どもたちのゴールを決めてしまっていないかなと、考えることも大切にしたいです。
もちろん、病気や障害のあるきょうだいのことを“好きになれない”という子どももいるのだそうです。その思いの裏には、もしかしたら、計り知れないような歴史や、SOSの声があるかもしれないと清田さんはいいます。例えば、いつもお母さんをとられてしまう、きょうだいのことを理由に学校で友達にいじめられた、きょうだい自身が攻撃を受けたり傷つけられることを言われたなど。その理由は多岐に渡ります。
どんな気持ちを持ったとしても、その子が自分の抱く気持ちに罪悪感をもたなくてもいいように。どんな気持ちにもちゃんと居場所があるように。そしてその子が望んでくれるなら、どうすればいいかなとみんなで考えさせてほしいなと思っています。
ネガティブな感情を否定するでもなく、無理やりポジティブなことに変換するのでもなく、まずはそのままを受け止めること。清田さんはそんなふうにして、きょうだいに向き合っているのです。
「きょうだい支援」の存在を知ってもらうだけでいい
「今健康な子ども」に見えるきょうだいに、困難なことがあるようには見えづらいかもしれません。でもきょうだい支援は“予防”なのだと清田さんはいいます。
きょうだいの抱えている困難に目が向けられるのは、精神的につらい状況になってしまった、不登校を繰り返してしまうなど、問題が深刻化したときなんです。そうではなく最初から、きょうだいも視野に入れたサポートが必要だと思っています。
だからこそしぶたねでは、時間をかけて子どもたちと関係性を築いていくことを大切にしています。
あなたは大事な人なんだよ
今日あなたと会えて、一緒に遊んで楽しかった。こんなに力をもらっているよ、ありがとう
そう伝えることで、きょうだいが10年、20年後に自分の人生を振り返ったとき、大事にされた記憶があるように。味方がいることを思い出して、ちゃんと“誰かを頼ろうとする力”を身につけられるようにと考えているのです。
実際、小学生のときにしぶたねに参加した子どもが、社会人になってきょうだいとしての悩みにぶつかったとき、思い出したように清田さんに連絡をくれたこともありました。しぶたねを利用していたきょうだいが、数年後ボランティアとして参加してくれるようになったこともあるそうです。
しぶたねで過ごした経験はその場だけではなく、長い間きょうだいの心の中に刻まれているのでしょう。そしてつらいときにしぶたねに連絡をくれたり、誰かを頼れるようになったりと、きょうだいの中に小さな変化が起きていることもあるのです。
きょうだい支援が当たり前になるように
きょうだいが抱える思いは多様で、時間とともに変化することもあるといいます。きょうだいのことを大切にしたいと思うときもあれば、嫌いになってしまう瞬間もあるかもしれません。でも、どうかそんな自分を責めないでほしいと、清田さんは何度も伝えてくれました。
どんな気持ちも受け入れてくれる、しぶたねのような場所は、確かにあるのです。
周囲からは困難があるように見えないし、自分ですら気持ちの行方がわからないということは、きょうだいだけでなく多くの人にもあると思います。
自分以外のきょうだいに出会い、彼らの気持ちを聞いて初めて、きょうだいとして抱えていた思いに気づくことができました。私は仲間に救われたんです。
清田さんも話す通り、一人きりで抱え込むのではなく誰かと分かち合えることで、言葉にできない苦しさから抜け出す糸口が、見えてくることもあるのです。
ネガティブな気持ちを抱いてもいい、いつも“良い子”でいなくたっていい。そんなふうにしぶたねではたくさんのきょうだいの気持ちを受け止めてきました。
あなたはひとりじゃないよ
しぶたねが少しずつ積み重ねてきた種まき活動が、安心して自分らしくいられる社会づくりにつながっていくはずだと、私は信じています。
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ブログ「しぶたねのたね」
(写真/工藤瑞穂、協力/馬場加奈子)