【写真】街頭で笑顔で自転車に乗っているきもとつとむさん つらいことがあったとき、どうやって前に進んできましたか?

人生には、ときに受け止められないほどの悲しい出来事が起こります。どんなにつらくても、頑張らなければいけないしんどい場面もあるものです。そんなとき、悲しみを分かち合って助け合える存在がいれば、ゆっくりながらまた前に進むことができる。そう実感したことがある方もいるかもしれません。

京都で暮らす木本努さんも、そのひとりです。

【写真】きもとさんときもとさんのお父さんの間にはふたりの子供がいて、楽しそうな会話をしている。

「今日も野球、楽しかったなあ。」

「おとうさん、今日の晩ご飯は何にするん?」

そんな親子の会話が聞こえてきそうな、1枚の写真。後ろ姿からも、仲の良さが伝わってきます。これは、木本さんご家族のいつもの光景です。

お父さんの木本努さんは、シングルファーザー。8年前に妻をガンで亡くしてから、3人の子どもたちをひとりで育ててきました。

ここ数年でやっと、冗談も交じえつつ妻の話ができるようになってきたんです。

【写真】街頭で笑顔で立っているきもとつとむさん 木本さんは、大きな悲しみを抱えながらも、家族や友人に支えられながらゆっくりと前に進んできました。そして今は、父親として仕事をしながら家事や子育てをしつつ、NPO法人京都いえのこと勉強会の代表を務めており、自身の経験を活かしてシングルファーザーのサポート活動や講演活動も行っています。

仕事と家事、子育てだけでも到底大変なはずなのに、なぜ誰かのための行動までできるのでしょう。木本さんは穏やかな笑顔を浮かべてこう言いました。

『お先に』って言葉、あるでしょう。僕は、皆さんより少しお先に、いつか誰もが通る道を歩んでいるだけなんです。だから、自分の経験はできるだけ伝えられたらいいなと思っています。

ここまでの道のりは、決して楽ではなかったと思います。妻を亡くしてから、木本さんの心境はどのように変化したのか、どのように子どもたちを育ててきたのか。〝少し先を行く先輩〟である木本さんのお話を伺わせてもらいました。

 突然の妻のがん告知。ー当たり前だった日常が失われた日

【写真】当時のことを思い出し少し涙ぐんでインタビューに応えるきもとつとむさん

当時のことを思い出そうとすると、いまだに泣きそうになるんです。

そう言って、目に浮かんだ涙を少しこらえながら、木本さんは話し始めてくれました。

木本さんと妻の富美子さんは、1993年に結婚。3人の男の子に恵まれて、幸せな家庭を築いていました。木本さんは社長として、仕事に励む毎日。家事や子育て、地域活動などはすべて、専業主婦である富美子さんに頼りっきりでした。

5人家族の幸せな暮らしにかげりが見え始めたのは、2008年の暮れ頃のこと。

富美子さんは、原因不明の咳が続くようになり、どんどん体調を崩していきました。病院に何度か通ったものの、よくなる気配は見られません。しだいに子どもたちを自転車で幼稚園に送ることさえ困難になってしまいました。

改めて病院に行き、精密検査をした翌年の2月3日。医師から告げられたのは、あまりにつらい知らせでした。

富美子さんは胃がんを患っていて、すでに肺に転移してしまっていること。

もう手術はできず、余命はたった数カ月であること。

【写真】インタビューに応えるきもとつとむさん 大切な人が、もうすぐ目の前からいなくなってしまうかもしれない。その悲しみは、受け止められないほど大きなものでした。

主治医の先生から聞いたときには、衝撃すぎて『ええ?』という言葉しか出ませんでした。告知は僕ひとりで聞いたんですが、病室に戻ってから余命のことも含めて妻には隠さず伝えました。『余命を伝えることに迷いはなかったん?』と聞かれることも多いんですが、僕は隠しごとが苦手ですぐ顔に出て見破られるし、いつか妻が知ってしまったときに『なんで言ってくれへんかったん?』って怒られると思ったんです。

つらい気持ちをおさえて、木本さんは「一緒に頑張ろう」と富美子さんを励ましました。しかし、病気が悪化し、どんどんできることが少なくなっていくことに落ち込んだ富美子さんからは、しだいに「ごめんね」と言われる回数が増えていったといいます。

悲しみに浸る間もないほど混乱したままでの妻との別れ

がん宣告を受けて転院することになった2月5日、富美子さんが1週間ぶりに少しだけ家に寄れることになりました。当時子どもたちは11歳、6歳、2歳。富美子さんの病気については伝えていなかったものの、携帯ボンベを付けた富美子さんを見てただごとではないと感じたようで、長男さんは「お母さんがやばい」とポツリとこぼしていたと言います。

一時帰宅だったため、家にいれたのはたったの1時間だけ。けれど、富美子さんは子どもたちをひとりずつ抱きしめて、久しぶりの家族団らんの時間を過ごしました。

2009年2月5日のきもとさん一家はみんな笑顔である

それからわずか10日後の2009年2月15日、富美子さんは天国へ旅立ちました。がん告知からたった半月での早すぎる別れ。当然、木本さんは受け入ることができませんでした。

妻がいなくなった悲しみだけでなく、これからひとりでどうやって仕事と育児と家事をやっていくべきか、そのことで頭がいっぱいで。亡くなった瞬間も、通夜のときも、告別式のときもほとんど泣けなかったんです。

告別式後、子どもたちの夕食の面倒は富美子さんのお母さんに見てもらうことになりました。木本さんは仕事を続けながら、まずは自分自身の家事や食事の用意をこなすように。しかし、10ヶ月後には事情があって義理のお母さんに食事の準備を任せることができなくなってしまいます。木本さんは働きながら、3人の子どもの身の回りの世話すべてを引き受けることになったのです。

アドバイスを貰って上達していった家事、気持ちを吐き出せたブログ

もともと家事はワイシャツのアイロンがけくらいしかしたことがなかった木本さん。すべての家事をしなければいけなくなり、最初は失敗だらけだったといいます。たとえば、富美子さんが入院したときに洗濯機の使い方や洗濯物の干し方は習っていたけれど、こんな出来事がありました。

ある日、洗濯機の蓋を明けたら白いものが付いてて。なんやろう?紙を洗ってしまったんかな?と思って手を入れたら、ゼリーが付いたんです。どうやら間違えて三男のおむつを洗濯機で洗ってしまったみたいで(笑)。

そのときはママ友が『それね、水溜めて塩入れるんですよ。それで洗濯機を回して洗い流して、もう1回だけ水洗いしたら溶けますよ』とアドバイスをくれたのですが後の祭りでした。3回もやってしまったので洗濯機は壊れました(笑)。

料理では最初、間違えて炊飯器の保温ボタンを押してしまい蓋を開けて「何これ?」となってしまったり、塩と砂糖を間違えるなんていう失敗も。木本さんは仕事の取引先に飲食店が多かったので、居酒屋のオーナーにごはんがべちゃべちゃにならない炒飯の作り方や唐揚げがからっと揚がる方法を聞くなどして、料理の腕を上げていきました。

【写真】笑顔でインタビューに応えるきもとつとむさん

周囲の人の支えのおかげで、木本さんは徐々に家事にも慣れていきます。今では子どもたちそれぞれの好みの味付けにして、食事を出せるほどに手際もよくなりました。

そして、富美子さんを失ったあと、木本さんの心を少しずつ癒してくれていた存在のひとつ。それが、今の自分の状況と気持ちを吐き出すブログでした。

木本さんは、告別式に来てくれた富美子さんの友人から、「心配だから定期的に子どもたちのことを教えてほしい」と言われてプライベートブログを開設。富美子さんと自身の友人など、信頼のおける人たちだけにブログのURLとパスワードを教えて、富美子さんが亡くなった2週間後から更新を始めたのです。

本も読まないし、文章書くのも苦手。だけど、子どもたちに遺すためもあり、お世話になってる人が見てくれるならと書き始めました。ブログといっても、日々の心境、息子たちとの会話の内容をありのまま書いてただけです。けれど、風邪でダウンしたら、ブログを見たママ友がおかずを持ってきてくれたり、友人が心配して駆けつけたりしてくれたりしたこともありました。

自分にとってはただ記録しているだけだったけれど、今思うとブログで自己開示をすることで少しずつ自分の心をケアすることができていたのかもしれません。

 

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるきもとつとむさん 毎日読んでくれている友人からは、ブログを見ると気持ちの変化がわかると言われたこともありました。自分の気持ちに蓋をせず素直に吐き出す場所があったことで、木本さんの心は少しずつ癒され、周りには木本さんのSOSや心境の変化が伝わっていたのです。

「親の代わりは他にいない」から、専業主夫になろうと決意

仕事、そして家事と子どもたちの世話を両立することは簡単ではありません。木本さんは、子どもの食事の用意をするために、以前より早い時間に仕事を切り上げないといけなくなりました。そのため、部下の外出に同行することも徐々に難しくなり、申し訳なさを感じて部下を厳しく指導できなくなったことに悩んでいたそうです。

それと同じ頃、小学校に入学した三男がいつも寂しそうにしていることを、周りのママ友から聞いて知ります。

これから自分はどうしたらいいのかと悩みました。でも、社長の代わりや仕事場での自分の代わりはいるけれど、息子たちの親に代わりはいないと気付いたんです。ママ友にも『子どものそばにいてあげることは正解やと思う』って言ってもらえたので、仕事を辞めて子どもと向き合うって決めました。

それまでは、仕事が忙しいことを理由に外食で済ませることもよくあったんですが、僕は母親の手料理を食べて育ったなとふと気付いて。毎日ちゃんと手作りのごはんを食べさせてあげないといけないな、とも思いました。

もちろん、仕事ではなく家庭を優先させるかどうかは、その人の置かれた状況や考え方によります。木本さん自身は、様々なことを考慮した結果、将来後悔しないように、当面の間は専業主夫として家事と育児に集中する決断をしました。

ついに仕事を辞め、専業主夫となった木本さん。朝に子どもたちを送り出してから、掃除や洗濯・夕飯の用意をして日中を過ごし、子どもたちの帰りを待つ生活の始まりです。学校から帰ってきた子どもたちを「おかえり」と迎えると、「『ただいま』と言うのは初めて!」と喜んでくれました。

【写真】笑顔3人の息子さん

子どもが3人いたら、3人それぞれにできることは違うんやって気付くのに、妻が亡くなってから2年くらい掛かりました。ずっと、長男ができることは当たり前に次男や三男もできると思ってたから、『なんでできへんの?』と怒ってしまってたんです。けれど、三人三様なんですよね。

あと、距離感もそれぞれ違います。毎週、一緒に少年野球に行ってた長男とは仲が良かったけれど、そのあいだ実家に預けていた次男と過ごす時間は少なかったので最初は距離があったりして。そういったことに気付くにつれて、全然、子どものことをわかってあげられてなかったなと反省しました。

次男は、木本さんには見せない笑顔を幼稚園の先生に見せることもあったそうで、そのときはとてもショックだったと言います。しかし、木本さんが専業主夫になり、顔を合わせて話す時間が増えたことで関係性は変わってきます。 【写真】笑顔でインタビューに応えるきもとつとむさん

学校から帰ってきた息子たちの顔を見て、今日はいいことがあったのか、それとも辛いことがあったのかが感じ取れるようになりました。あとは、それぞれの嘘を付くときのクセも見抜けるようになってきたんです(笑)。毎日次男と三男と一緒にお風呂に入って、話を聞いたりもしました。そのうち、次男の成績がぐっと伸びて、担任の先生からは『友達にも以前より優しくできるようになりました。失礼ですが、お父さんが仕事をお辞めになってから気持ちが安定したと思います。』と言われたんです。

お父さんと過ごせる時間が増えて、笑顔が多くなった子どもたち。それぞれの個性や、何を考えているのかを知ることができるにつれて、親子の距離は縮まり、絆は深まっていきました。

亡くなった意味を探すより、亡くなった今思う気持ちを大事にしたい

専業主夫になってしばらくたった頃、富美子さんが亡くなってから悲しむ間もなく走り続けてきた木本さんに、その死を改めて受け止める時間が訪れます。

専業主夫をしていると、子どもたちが学校に行って不在の日中は、ひとりで家にいることになります。家の整理をする時間が多かったこともあり、富美子さんの残した遺品を目にすると、木本さんは悲しみや喪失感に襲われるようになってきました。

でも胸を裂くような悲しみを受け止めていく中で、木本さんの心の中には、「自分の経験を世の中に発信していきたい」という気持ちが生まれていきます。というのも、プライベートブログに加えて、自分の経験を綴った一般公開のブログを始めたことで、様々な反応を受け取るようになったから。

もっと行動を起こしていきたい一方で、富美子さんが亡くなったときにある人から言われた言葉が、木本さんの中にはずっと残っていました。それは、「すべては必然で、何事にも意味がある」という一言。

素直に受け取っていた木本さんは、富美子さんが亡くなった意味を探し続けては答えが見つからず、出口の無いトンネルの中にいるようなどうしようもない気持ちをずっと感じていたのです。

そんな折、偶然参加したのがグリーフ・ケアのサポートグループ「HUG Hawaii」でした。グリーフケアとは、大切な家族や友人を亡くした人に寄り添い、大切な人がいなくなった日常に適応できるように支援する取り組みのことです。

そこで木本さんは、夫を亡くした女性と出会います。

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるきもとつとむさん

『妻が亡くなった意味が、わからないんですよ。』

木本さんがぽろっとこぼした言葉を聞いて、その人はこんな風に言ったのです。

『努さん、亡くなった意味は探しちゃダメ。意味を探し始めると、誰かのせいや何かのせいにしてしまうから。それよりも、奥さんが亡くなったことを無駄にしたくない、だからブログで発信したいっていう今のあなたの気持ちの方がずっと大事だよ。』

その一言は、木本さんの張り詰めた気持ちをそっと緩めてくれました。

彼女の言葉を聞いて肩の荷が降りました。それに、そのとき初めて、妻を亡くしたこととも向き合えた気がしたんです。

自分を縛り付けていたものから自分を解放することができた木本さんは、NPO設立に向けて動き出しました。仕事にも復帰し、仕事と家事や育児の両立をしている現在になって振り返ってみても、子どもたちとの時間を最優先させ、富美子さんの死と向き合えた専業主夫の日々はかけがのない大事な時間だったといいます。

シングルファーザーに必要な、「家事を覚える場」と「対話の場」を作りたい

こうして木本さんは、2014年に「NPO法人京都いえのこと勉強会」を設立しました。この団体では、死別や離別などの理由でシングルファーザーになった方を集めて、料理や裁縫などの家事=いえのことを勉強する場を作っています。今年は、クリーニング屋さんで洗濯講習を開催したり、料理学校の先生を招いて料理教室を開いたりしました。

【写真】料理教室で実際に料理をしているきもとつとむさん

木本さんがこういった場を作るのは理由があります。シングルファーザーの方の中には、仕事を離れられないからと、自分の親や義理の親に子どもの面倒を見てもらったり、家事を任せている方も多くいます。そんな人たちに対して、伝えたいことがあるからです。

僕自身、突然子どもたちの世話を引き受けることになって苦労した経験があるので、今は親に面倒を見てもらえているとしても、いつかできなくなったときにどうするんかなって。それ以外にも家事や育児と向き合わざるを得なくなる状況は、いつでも起こりえます。だからこそ、自分もある程度いえのことができるように、準備をしておいた方がいいと思うんです。

家事をしない理由が、「したことがないからできない」であるのなら、方法さえ知っていれば対応できるはず。そう思って、かつての自分自身ができなくて困った家事が学べる機会を木本さんは作っています。

もうひとつ、木本さんが解決したいと思っているのは、悩みを抱え込むひとり親が多いという課題です。自分がひとり親であることを隠していたり、亡くなったパートナーの友人と疎遠になってしまったり、ママ友とうまく付き合っていけず孤立したり。こういった悩みを抱えるひとり親はとても多いのです。それに、自分は困っていることを隠そうとすればするほど、周りも「あの人は何かあったのかな?」と逆に不思議に思われてしまい、噂が広がることもあるのだそうです。

妻が亡くなったとき、『富美子さんにはとてもお世話になったので、何でも言ってくださいね』と言ってくれたママ友もいました。僕はそう言ってもらえたことをありがたく思って、彼女たちを信頼して相談したり頼ったりしていました。すると、僕のことをよく知らない方に『あそこはいつもお父さんが1人で学校行事に来てるね』と噂をされても、理由を話して守ってくれたんです。

同じように、近所の人にも家庭の状況は開示していました。だから働いていた頃は私が帰宅するまで、次男は地域のカフェに集う大人たちに面倒を見てもらっていたりもしたんですよ。

その後、木本さんは引っ越しをすることになりますが、引っ越し先でもオープンに状況を伝えたのだそう。そのおかげで近所の方が子どもたちの様子を注意して見ていてくれて、気になったことがあればすぐに教えてくれました。

オープンにすることで助け合えることがある。そう信じる木本さんは、親が集まって子育てに関する悩みを話し合える場も定期的に開いています。しかし、そこに集うのはまだまだ女性が多いそうです。

【写真】インタビューに真剣な表情で応えるきもとつとむさん

特にシングルファーザーの方は、平日は仕事、土日は慣れない家事をまとめてするでしょう。それだけで1日が終わってしまうから、なかなかこうした場所に足を運ぶことができないんです。でも、悩みを吐き出せる場があったら、お互い支え合うこともできるじゃないですか。だから、諦めずに父子家庭のコミュニティづくりも進めていきたいと思っています。

シングルファーザーとして、自分がしっかり子どもたちを育てていかなければという思いを持つのは当然のこと。しかし、自分ひとりですべてを背負えるわけではないと知った上で、周りに相談することができれば、手を差し伸べてくれる人が必ずいるのです。多くの人に支えられてそう知った木本さんは、直接会って話せる場づくりを大事にしています。

「今は涙いっぱいかもしれないけれど、いつか必ず笑える日が来ると思います。」

親の集いの場を作り、シングルファーザーとしての経験を発信する木本さんの元には、多くの死別や離別でパートナーを失った方が相談に訪れます。その方たちにどのようなことを伝えているのかと聞くと、木本さんは少し困った表情を浮かべられました。

ひとり親でひと括りにされがちですが、『死別』と『離別』があるんですと伝えます。また、『死別』の中でもいろんなカテゴリがあり、それぞれの事情も違いますよね。だから、僕が力になってあげられるのは、パートナーをガンで亡くして同年代の子どもを抱えている、自分とよく似た立場の方だけかもしれません。サポートって何ができるやろうかと考えても、話を聞いてあげることしかできないんです。

そのように、木本さんは謙虚に話します。

状況も、悲しみから癒えるために要する時間も人それぞれ。

「それでもあえて、大切なパートナーを亡くした人に言葉を掛けるなら、なんと言いますか?」

そう聞くと、木本さんは何かを言いかけては「うーん、難しいですね」と悩みながら、とても慎重に言葉を選んで、こう言ってくれました。

【写真】手を口に当てて悩んでいるきもとつとむさん

きっといつか乗り越えられるよって言うのは違う気がするんです。悲しみはずっと抱いててもいいから。僕に言えるのは、『今は涙いっぱいかもしれないけれど、いつか必ず笑える日が来るから』っていうことですね。

大切な人が亡くなった後も続く日常の中で、また誰かに支えられ、笑顔になれる。そう信じられることそのものが、ゆっくりでも前に進むためのお守りのような存在なのかもしれません。

大切な人は、今大切にしないといけない

今でも富美子さんの結婚指輪を付けたネックレスを、肌身離さず身に付けている木本さん。隣にはいつも富美子さんの存在を感じているといいます。

【写真】きもとつとむさんのネックレスには結婚指輪がある

亡くなっても、見えへんだけで妻はずっと自分の隣にいるし、妻が考えてることがなんとなく伝わってくるんです。カフェオレを作ってたら、妻も飲みたいのかなという気がして、仏壇に供えます。あとは、亡くなった後に病院の部屋を片付けているとシナモンシュガーが出てきたんですけど、きっと妻はシナモントーストが食べたかったんやろうなあと思って、朝食には毎日シナモントーストを作って供えています。

カフェに行っても、頼んだ飲み物が来たらまず『どうぞ』と隣の席に置いて、妻が飲んだように感じたらやっと口を付けるんです。居酒屋へ飲みに行ったときはよく忘れてしまって焦るんですけどね(笑)。

子どもたちともよく富美子さんの話をします。テレビに出ている女優さんを見て「この人、お母さんに似てる!」「いや、こっちの人の方が似てるよ!」と言い合うことも。三男は2歳のときに富美子さんを亡くしたため、記憶には残っていないようですが、生前の写真を見てお母さんの顔をはっきり認識しているそうです。

【写真】3人の息子さんたち。

子どもともよく妻の話をするし、妻の友人がお参りに来てくれたときも妻の話で盛り上がります。だから妻の友人は『ふみちゃんは、亡くなってもいつもこうして思い出してもらえて幸せ者やなあ。』って言ってくれるんです。だけど、今になって幸せって言ってもあかんのです。

僕はよく妻に、『今、幸せ?』って聞いてたんですけど、『幸せかどうかは死ぬときでないとわからない』って、いつも笑いながら言われちゃってました。その答えを聞けないまま妻が亡くなったことを今でも後悔してるんです。生きてるときに、お互いが幸せやねって思い合えて、言葉にしなきゃいけないなって思います。

自分と同じ後悔を他の人にできるだけ感じてほしくないからこそ、木本さんは積極的に講演活動も行っています。講演あるいは友人との再会の席では毎回、「大切な人は今、大事にしないといけないよ。」と伝えているといいます。

経験は物語となって、ときに誰かの希望になる

優しい笑顔を浮かべながら、ときどきワハハと笑いながら、そして富美子さんのことを思い出しては少し目を潤ませて、木本さんはご自身の歩んできた道のりを話してくれました。

聞いていると、当時の悲しみが伝わってきて相づちに詰まったり、富美子さんや息子さんに向けられた木本さんの愛情に胸が温かくなったりして、まるで物語を聞いているようでした。

【写真】街頭で笑顔で立っているきもとつとむさんとライターのくらもとゆみかさん 今回ご紹介したのは、シングルファーザーを〝お先に経験した〟木本さんの物語です。けれど、人はみんな、それぞれの人生を歩んでいて、その経験は1人ひとりの物語となって紡がれています。

何か辛いことがあったとき、誰かの物語に背中を押されたり、希望を貰ったり、悲しみを癒されたりすることがあります。また、自分の物語が、いつか別の誰かを励ますかもしれません。そう信じているから、私はsoarで誰かの物語を紹介しているのだと思います。

インタビューを終えお礼を告げると、木本さんは「大学生の長男も下宿先から帰ってきてるんで余計に大変です。」と笑いつつ、こうつぶやきながら自転車で颯爽と子どもたちが待つ家に向かいました。

今日の晩ご飯は何にしようかなあ。

なにげない日常こそが幸せ。そう思っていることが伝わってきて、思わず笑顔になってしまいました。私たちは、見えなくなるまで木本さんの頼もしい背中を見送り、京都をあとにしました。

【写真】街頭で笑顔で自転車に乗っているきもとつとむさん

関連情報: NPO法人京都いえのこと勉強会 ホームページ

(写真/田島寛久)