【写真】街道で笑顔でしゃがんでいるくろきさん一家

「大変そうにしているのではなく、親も楽しんで生きている。そんな姿を見るのは、きっと子どもにとっていいことだと思うんです。」

そう笑顔で話すのは、黒木聖吾さんと、妻の結城さん。2人の間には、長男でダウン症のある脩平くんと、次男の朋成くんがいます。

障害のあるお子さんがいれば、きっと毎日が大変なことだらけなんじゃないか。そんな心配は、杞憂だったのです。ダウン症の子どもを育てることについて聞くつもりが、いつのまにか仕事や趣味の話に。家族の生活そのものを楽しんでいることが、2人の笑顔から伝わってきます。

黒木さんたちに、子どもの障害のことで悩んだ時期がなかったわけではありません。でも、今の2人は、まっすぐな目でこう話します。

「障害児の親であるという理由で、何かを我慢したり、諦めたりする必要はないと思うんです。」

困難にぶつかって、もう前に進めないと思ったとき。それでも誰かと支え合って、少しでもほがらかに生きていきたいと願うとき。一歩を踏み出すヒントを、黒木さんご家族の姿に学びました。

聖吾さんと結城さん、そして仲良し兄弟の脩平くん、朋成くん

おもちゃを見せてくれた脩平くん

「見て見て!」

黒木さん宅におじゃますると、脩平くんと朋成くんがお気に入りのおもちゃを持って迎えてくれました。

ダウン症のある脩平くんは、特別支援学級に通う小学3年生です。遊ぶのは大好きですが、勉強は少し苦手。結城さんによると、今は弟の朋成くんも成長してきて、脩平くんをリードすることもあるのだそう。

「先生、こっち来て!」「先生、待ってて!」

取材に来た私たちのことを「先生」と呼ぶ脩平くん。ころころと表情を変えながら、家の中を案内してくれます。

【写真】2段ベッドで遊ぶ脩平くんと弟の朋成くん。笑顔でとても楽しそうだ

2段ベッドで遊ぶ脩平くん(右)と弟の朋成くん

寝室では、今一番ハマっているという2段ベッドからのジャンプを、得意げに披露してくれました。いろいろな場所に、脩平くんが作った作品が飾られています。

【写真】脩平くんが作ったお面。二本のツノが生えている

脩平くんが作ったお面

【写真】紙粘土で作った噴火している火山。

こちらは紙粘土で作った火山。夏休みの作品だそうです。

小雨がぱらつく公園でも、2人で遊べばこの笑顔!とても仲良しな兄弟です。

【写真】遊具で笑顔で遊ぶしゅうへいくんとともなりくん

聖吾さんはIT関連企業に、結城さんは出版社に勤務しています。子育てだけではなく、仕事やプライベートでの活動でも、「障害」に関わる2人。

聖吾さんは、NPO法人アクセプションズの副理事長を務めながら、国内外のダウン症関連のニュースを紹介するサイト「DS21」を運営。編集者の結城さんは、障害をテーマにした書籍の編集に携わっています。

結婚、妊娠、出産ーー順風満帆な生活だった

10年前に出会い、意気投合して3ヶ月で結婚を決めたという聖吾さんと結城さん。入籍してすぐに、結城さんは脩平くんを妊娠します。聖吾さんは「自分にできなかったことを子どもにはさせてあげたい」と、子どもが生まれることをとても楽しみにしていました。

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるくろきせいごさんとゆうきさん

結城さんと聖吾さん

そんな幸せいっぱいの2人に、思いもよらない出来事が訪れます。

それは、結城さんが出産前に血液検査を受けたときのこと。検査結果として告げられたのは、「約297分の1の確率でダウン症の子が生まれてくる」という事実でした。いわゆる「グレーゾーン」の結果に、一瞬、不安がよぎります。

結城さん:1人目だっていうのもあって、たとえ障害があっても大丈夫でしょう、どんな子でも育てようって思っていました。その後、何か言われることもなく、成長も順調だったので、検査の結果は忘れていたくらいだったんです。

ダウン症候群は、主に21番目の染色体が3本あることによって生じる疾患。ダウン症の子どもの多くは、出生後すぐに、そうであるとわかることが多いといいます。

ダウン症のある子どもは、知的能力や運動能力が全般的にゆっくり発達するといわれています。ただ、生まれ持った性格や能力は人それぞれ。変化に対応することが苦手、独特のこだわりがあるなどの様子が見られることも多いですが、成長とともに生活に支障がない程度までなくなることもあります。

脩平くんが生まれたときにもらったプレゼントのお皿

その後、結城さんは無事、脩平くんを出産。初めての赤ちゃんが生まれた喜びで、すっかり出産前の診断のことは頭から消えていました。生まれた直後も、生後1カ月の健康診断でも、脩平くんにダウン症があることは、わからなかったのだそうです。

生まれて間もない頃の脩平くんを抱く結城さん

結果が間違いであってほしい。脩平くんのダウン症の告知

「この検査を受けられたということは、覚悟されていると思いますが。」

生後4カ月、脩平くんの心臓が弱かったことがきっかけで、黒木さんたちは大学病院の遺伝子検査を受けました。医師から検査結果が告げられようとしたその瞬間、結城さんの目からは涙があふれました。

結城さん:あのときは、先生の声が遠くで響いていて。私は、どうやったらこの状況をリセットできるのかと考えていました。

検査の結果は「ダウン症」。生まれた直後は気づかなかっただけに、そのショックはとても大きなものでした。

結城さん:もう死んでしまおうか、でも死んだらこの子は誰が育てるの。それなら一緒に死んでしまおうかって、ぐるぐる考えていて。あとはなぜか、先生に涙を見られたらだめな母親だと思われるんじゃないかと。必死に隠そうとして、うつむいたまま、泣いていました。

たぶんそのときって、脩平をだっこしていたと思うんですけど。どうやって帰ったのかは、覚えていません。

【写真】当時のことを思い出し、少し涙ぐんで話すくろきゆうきさん

授乳に時間がかかること、泣き声が弱いこと。保健所で「生まれたときに気になることはありませんでしたか」と聞かれたこと。「もしかして」という不安が、なかったわけではありません。

それでも、周囲に「大丈夫よ」と励まされたこともあり、「初めての子どもだから私が気にしているだけなのかもしれない」と、考えすぎないようにしてきました。

脩平くんのお食い初めを祝う黒木さん一家

「99.9%、そうではないと信じていたんです」と聖吾さん。0.1%の現実を突きつけられた衝撃は、「家族が目の前で事故にあったよう」だったといいます。

聖吾さん:一生抱えていく自分以外のものって、それまで想像したことがなくて。それに障害は、自分の力ではどうにもならない。どう受け止めたらいいのか、分かりませんでした。

僕らは出会って、すぐに結婚して、またすぐに親になった。子どもも当然、そういう人生を歩むだろうと思っていたんです。それが、そうじゃないとしたら、この子はどうなってしまうんだろうって。

「検査の結果は間違いでした」という電話が、そのうちかかってくるんじゃないか。そう思い悩む日々が、1週間ほど続きました。

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるくろきせいごさん

聖吾さんは、すぐに情報収集に奔走します。しかし、インターネットで「ダウン症」「ダウン症候群」と検索して見つかるのは、小さい子どもの療育日記ばかりでした。

進学は、就職は、結婚は?これからこの子の人生はどうなるの?

有力な情報を得られないまま、不安が募る聖吾さん。沈んだ気持ちを紛らわすため、お酒の力を借りたこともあったそうです。

結城さん:告知されて帰った日から、2人ともずーっと泣いていて。夜も寝られないわけですよね。ずっとインターネット検索をしていても、何も希望になるものは見つからなくて。

結城さんは、自分以上に落ち込む聖吾さんの姿を見て、夫婦2人の人生が変わることへの不安も感じていました。こんなに聖吾さんがショックを受けているなら、離婚してあげたほうがいいのではないか。そんな気持ちすら、感じていたそうです。

【写真】笑顔でインタビューに応えるくろきせいごさん、ゆうきさん

「この人が頼りにならなすぎて(笑)」

「あのときは格好つけたかったんだよ(笑)」

「こっちは支えてほしいくらいだったのに!」

今では笑いながら、当時を振り返る黒木さんたち。不安のどん底から立ち上がることができたきっかけは、身近な人のひとことでした。

ダウン症のある人も活躍していると知って。今の自分にできることから踏み出した黒木さんたち

「一緒に育てましょう。」

それは、聖吾さんのお母さんが、結城さんにかけた言葉。脩平くんにダウン症があることを電話で知らせたとき、返ってきた第一声だったといいます。

【写真】真剣な表情でインタビューに応えるくろきゆうきさん

結城さん:お義母さんにとっては初孫だから、期待も大きかったと思うんです。その中での障害児ってすごく衝撃的だったはずなのに。私にはその一言が、すごくうれしかった。

心強い一言を聞いて、少しだけ心が楽になった結城さん。目の前の脩平くんの世話に集中する毎日を過ごすうちに、ふと、あることに気づきました。

結城さん:ダウン症が告知される前も、後も、脩平は脩平。悩んだところで、脩平のおむつ替えや授乳がなくなるわけではないですよね。それに気づいたら、もう涙は出なくなったんです。

ダウン症のすべてを受け入れることはできなくても、とりあえず私は脩平という子どもを育てればいい。それなら私にもできるって。

【写真】インタビューに真剣な様子で応えるくろきゆうきさん

ありのままの子どもの姿に気づく一方で、自分の生活が変わることが怖かったという結城さん。大好きな編集の仕事を辞めなければいけないかもしれない。そんな不安を抱いていた結城さんに「辞めないほうがいい」と助言したのも、聖吾さんのお母さんでした。

結城さん:私はずっと、編集の仕事がやりたくて生きてきた。仕事が自分の軸だったんです。それが、もし子どもができたことによって奪われてしまったら、子どもに見返りを求めてしまっていたと思います。熱心に養育しているのに、どうして他の子より発達が遅れているのって。

私は私で、脩平は脩平。仕事があった上で脩平がいるから、できることもある。今は、仕事を辞めないでよかったと思っています。

【写真】真剣にインタビューに応えるくろきせいごさん

一方の聖吾さんにも、変化が訪れます。インターネットで「ダウン症」ではなく「Down Syndrome」と検索してみると、海外のさまざまな事例が見つかったのです。

特に生き方のケースが多様だったのは、アメリカでした。大学に進学する人、就職する人、オリンピック選手に、俳優。ダウン症のある人がこんなにもきらきらと生きている。

聖吾さん:いろいろな選択肢があるんだって世界が広がりました。意外だったのは、それらがそんなに大きなメディアの記事ではないということ。ちょっとしたローカルニュースが多いんです。それらを見て、ダウン症のある人が社会で活躍することは、めずらしいことじゃないんだって気づきました。

英語ができる自分なら、この記事を翻訳できる。そう考えた聖吾さんは、エンジニア職の腕を活かして、サイトを立ち上げます。そして、自分が見つけたダウン症にまつわるニュースを、紹介することにしました。

聖吾さんのサイトには、「こんな情報がほしかった!」というコメントが多く寄せられたそう。同じダウン症児の親や、ダウン症を研究する有識者らとつながったことが、聖吾さんたちの世界をさらに広げることになりました。

周りの人たちの愛にはぐくまれて。脩平くんは保育園へ

【写真】今にも泣きそうな幼い頃のしゅうへいくん。後ろには大きな花束がある

すくすくと成長していった脩平くんは、1歳になる前に保育園へ入園することに。脩平くんが家庭の中から、社会に出ていく最初の一歩を踏み出す瞬間です。

結城さん:保育園の最初の保護者会で、私はちゃんと知っておいてもらいたいから、他の親御さんたちに事情を話そうと思ったんです。でも、話している間に涙が出てきてしまった。同じように妊娠して、出産したのに、なんで、私だけがこんな話をしなきゃいけないんだろうって。

保育園に入れば、“健常”の子どもたちと一緒に過ごします。脩平くんを守らなければ。そんな緊張感が、2人にはありました。

聖吾さん:障害をばかにする人たちがいた場合に備えて、いろいろ答えも用意していたんです(笑)。でもね、意外とみんな優しかった。「もし自分の子に障害があったらどうだろう」って、考えてくれていたのかもしれません。

親御さんたちが自分たちの子どもと同じように、脩平くんを見守ってくれたことは、黒木さんたちにとってとても嬉しいことでした。

結城さん:脩平は他の子どもに比べて育ちが遅かったんですけど、初めての子どもだったので、何が「正常」なのか分からなかった。だから何がいけなくて、何をがんばらないといけないのかも、全然分からなかったんです。

でも、保育士さんや栄養士さんはたくさんのお子さんを見ていらっしゃるプロ。だから、家庭で抱え込むことなく、連携して一緒に育ててもらえました。すごく心強かったです。保育園の力は大きかったと思いますね。

周囲の人の協力も得られ、職場からの理解もある。温かな協力を受け取っていくうちに、不安は少しずつ和らいでいきました。黒木さんたちは、育児も仕事も大切にしながら、毎日を過ごせるようになっていったのです。

【写真】ソファーでくつろぐくろきさん一家

2人は、自分たちのこういった経験を積極的に周囲に話すようにしているといいます。

結城さん:障害のある子を産んだら、1人で頑張らなきゃいけないのか。家族が支えてくれるのか。家族がいたとしても、障害児を育てることへの理解があるのか。たとえ障害があると分かって産まなかった人だって、いろんなものを抱えて生きていかなきゃいけない。どちらも、つらい選択ですよね。

どんな選択をしても正しいわけではなく、その人なりのつらさや喜びがある。自分たちは周りの人の助けがあったから、脩平くんを育てることができた。だからこそ、いつか自分たちの存在が、同じ立場の夫婦の助けになってほしいと考えています。

「ダウン症」などの症状で分類しない。大切なのは、目の前の子どもの成長を見守ること

【写真】ブランコを笑顔でこぐしゅうへいくん

脩平くんは脩平くん。結城さんが言っていたように、聖吾さんにも、それを実感したエピソードがありました。

聖吾さんが保育園まで脩平くんを迎えに行ったときのこと。聖吾さんが脩平くんの荷物をまとめようとすると、脩平くんの友達が声をかけてきました。

「しゅうちゃんは自分でできるから、パパは手伝わなくていいよ。そこで待ってて!」

知らないうちに、脩平くんはできることが増えていたにも関わらず、つい親心で手伝おうとしてしまった自分。でも友達は、脩平くんのできること・できないことを、同じ時間を過ごす中で観察し、ちゃんと学んでいた。その友達の一言に、聖吾さんははっとさせられたといいます。

聖吾さん:子どもは子ども。子どもたちの世界には、先入観や偏見がない。でも私たち育てる側は、彼らの障害や個性を分類しがちですよね。それって、そんなに意味のあることなのかなって思いました。

【写真】真剣にインタビューに応えるゆうきさんと石を興味津々に見ているしゅうへいくん

また結城さんは、親が自分の子どもと他人の子どもとを比べてしまうことで、焦りや不安が生まれるのではないかと話します。

健常の子との成長の差、同じダウン症の子との差が気になってしまったり、「ダウン症の子はこうなる・こうしたほうがいい」という助言の数々が頭から離れなかったり。初めての子育てだったこともあり、結城さんもかなり悩んだそうです。

結城さん:普通の子育てにおいてもそうだと思うんですが、目の前の子どもをしっかり見ることが大事だと思うんです。私も他の子と比べて悩みましたが。子どもの障害より、子ども自体を見ること。それが一番だと思います。

大人はみんな「親バカ」したい!NPO法人アクセプションズの活動

2014年、葛西臨海公園であったバディウォーク(撮影:木村雅章さん)

2012年、聖吾さんは、同じダウン症の子どもがいる親たちとともに、NPO法人アクセプションズの活動を始めました。

自分の子どもを誇りたい。胸を張って一緒に歩いていきたい。

そんな思いを持つ親が集まって誕生したアクセプションズの数ある啓発活動の中で、最も大きなイベントの一つが「バディウォーク」。ダウン症のある人と一緒に歩く、世界的なチャリティーウォーキングイベントです。

アクセプションズでは同年、日本で初めてのバディウォークを東京・代々木公園で開催しました。イベントに合わせ、SNSで子どもの写真を募集したところ、「啓発に使ってほしい」と予想を超える数の写真が集まったといいます。

聖吾さん:子どもの写真をさらすなんてと、びっくりした人もいたかもしれません。でも、障害のあるお子さんの親だって、本当は親バカしたいんですよね。親バカして、自分の子どもは可愛いんだよって自慢したい。だからバディウォークも、障害者のイベントっていうと暗いイメージがあるから、もっと参加しやすい、格好良いものにしたくて。

【写真】真剣にインタビューに応えるくろきせいごさん

バディウォークは誰でも参加できますが、参加者の多くはダウン症のある子とその親です。タレントの参加も話題を呼び、認知度は年々向上しています。

結城さん:ダウン症の告知を受けたばかりの親で、その子を連れて人前を歩くのが怖いっていう人は少なくないと思うんです。顔を気にされるんじゃないかとか、あれ?って思われるんじゃないか、とか。だから、生まれたばかりの一番かわいい時期に、誇らしく子どもを連れて歩くという経験ができなかった人も多い。でもバディウォークがあることで、それができるようになった。私はそれが、一番大きいと思います。

おそろいのTシャツやフラッグがおしゃれ!(上下とも撮影:木村雅章さん)

どの親子もはじけるような笑顔で「私たちを見て見て!」と歩くパレードの光景。「私たちが生まれた頃の日本じゃ考えられなかったよね」「このお母さん、こんなに笑ったのは結婚式以来だって言ってました」。2人は楽しそうに写真を眺めます。

聖吾さん:自分たちが楽しむってすごく大事なことだと思うんです。だって楽しくないと乗り越えられないですからね。そうやって頑張ればいいんです。

結城さん:子どもにとって、親は一番身近な大人。親が自分につきっきりで苦労している姿より、楽しんで生きている姿を見るほうが、子どもにもいいんじゃないかと思いますね。

大人も子どもも笑顔で公園を歩きます(撮影:木村雅章さん)

子どもの幸せのためには、まず親自身が生き生きとしていることが大切だと、2人は話します。みんながただ純粋に楽しんで歩くことができるバディウォークは、子どもたちだけのためではなく、その親にとっても素晴らしい機会となっているのです。

子どもたちの未来のために、大人ができること

ダウン症に関するニュースと日々接し、他のダウン症のある子どもとその親と出会い、障害のある人にもさまざまな生き方があると知れた今。

2人は脩平くんの将来をどのように考えているのでしょうか。

結城さん:脩平はまだ8歳。障害があるからどうとかではなく、健常の子と同じで、将来どうなるかなんて、分からないんですよね。特に今、脩平は私たちから何かを与えられるのではなく、好きなことを自分で見つけている時期だから。

【写真】手を繋いで走っているくろきゆうきさんとしゅうへいくんの写真

脩平くんが見つけた好きなことの一つが、マラソンです。上の写真は、地元で開かれたマラソン大会に初めて参加したとき、撮ったもの。黒木さんたちは当時の映像を、私たちにも見せてくれました。

普段は歩くのが苦手で、途中で座り込んでしまうこともあるという脩平くん。その脩平くんが、「がんばれ、がんばれ」という観客の大歓声の中を、結城さんと一緒に走り抜けていきます。

この日は完走することはできなかったものの、行けるところまで行ってみようと走ったのだそう。そのときの様子を、結城さんはうれしそうに話してくれました。

結城さん:がーっと走っては、座り込んでの繰り返しだったんですが。座り込んでいる間も、ずっとにこにこしていたんです。「よし、がんばるぞ!」って立ち上がって、また走る。そんな姿って、普段の彼からは想像できなかった。本当に驚きました。

応援しているみなさんの反応も新鮮でしたね。子どもなので、はじめはみんな応援してくれるんですが、しばらく座り込んだりするから「ん?」ってなるんです。でも、そういうことを繰り返すことで、ダウン症への理解が深まるとも思います。

朋成くん(左)と、お兄ちゃんになってうれしそうな脩平くん

今はのびのびしているけれど、いつか、子どもたちにダウン症の話をしっかりしなくてはいけない。弟の朋成くんについても、黒木さんたちは言及します。

結城さん:「ダウン症」という言葉が家庭内でこれだけ飛び交っているから、少しずつ感じ取っているんじゃないかな。それでも、悩んだり、兄の障害のことで何か言われたりしたときのために、親がどれだけのことを教えてあげられるかが大事かと思っています。

家族でバディウォークに参加したり、子ども向けにダウン症を解説した本を置いてみたり。一緒に育つ過程で自然と多様性を学んでもらいたいと、2人は見守っています。

【写真】滑り台で遊ぶしゅうへいくんとともなりくん

そして何より大切なのは、大人が多様性について理解すること。障害のあるなしにかかわらず、自分の子と他人の子を比べて悩みを抱えてしまう人へ、黒木さんたちは次のように話してくれました。

結城さん:大人はいろんな経験をしているから、広い視野でものを見れるはずなんです。だから、「違う」ということは、実は得をしていることなんだ。悪いことではないんだと、大人が気づく。それを子どもにも教えてあげたらいいんじゃないかと思います。

聖吾さん:僕らも確かに、悩んでいました。でも、自分たちが楽しめる方向に変えたことで、価値観も変えることができた。何かアクションを起こすことで、変わることってたくさんありますよ。

【写真】下からのアングルで写っているくろきせいごさんとゆうきさん

この写真は脩平くんが撮ってくれた1枚です!

「楽しんで生きる」ことを忘れなければ、何度でも前を向ける

黒木さんたちにとってダウン症は、“望んで”得たものではありませんでした。過去をリセットすることはできない。自分たちの手で子どもの障害を消すこともできない。そんな中、聖吾さんと結城さんが人生を悲観したままだったら、脩平くんのダウン症は、今も家族の重荷として残っていたかもしれません。

仕事をあきらめなかった結城さん。インターネットを通じて行動を起こし続けた聖吾さん。自分が本当にやりたいこと、楽しいと思えることを忘れなかったから、2人は何度でも、前を向くことができたのだと思います。

そして、両親が「楽しんで生きること」をけっして手放さなかったからこそ、脩平くんと朋成くんも今、無邪気に笑っていられるのでしょう。

【写真】笑顔のくろきさん一家とライターのくどうみずほ

子どもを育てる苦労、“障害”とともに生きる苦労。なぜか、暗いイメージだけが浮かびがちだった私の心を、黒木さん一家の笑顔が、ふわっと軽くしてくれました。

つらい気持ちより、幸せを共有して生まれる力の強さ。黒木さんたちのお話とともに、これからも忘れないでいたいと思います。

【写真】街道で笑顔で立っているくろきさん一家

関連情報

NPO法人アクセプションズ ホームページ

2017年バディウォーク東京は、11月19日(日)新宿中央公園で開催!詳細はこちら

(写真/加藤甫 協力/野田菜々)