「これが普通なんだから」
社会人になったばかりのころの私はよく、口ぐせのようにそう自分に言い聞かせていました。働いているときも、プライベートでも。
誰かとうまくやっていくには、自分の気持ちは後回しにして、求められている「普通」に合わせていかなきゃだめなんだ。仲間外れになるのがこわかったのか、何かおかしいなと思っても、そう感じる自分のほうが間違っていると考え直すようにしていました。
少しずつ自分の選択に自信を持てるようになった今でも、信頼関係を築くのは難しいなと思うときがあります。私にとっての自然な行動が相手には受け入れられないものだったら。嫌われてしまったら。そんな不安がよぎるとつい、世の中で良しとされる「普通」の陰に隠れようしてしまうのです。
でも、その「普通」は誰が決めたものなのでしょうか。そもそも「普通」とはどんな状態を指すのでしょうか。私にとって自分の心に問い直すきっかけとなったのが、soar でカメラマンとして活躍している加藤甫(はじめ)さんと妻の真美さんへのインタビューでした。
2人にはダウン症のある男の子を含む3人のお子さんがいます。今回は家族皆さんに集まってもらい、障害や子どもたちとの向き合い方、家族としてどんなことを考えながら歩んできたのかを伺いました。
違いも個性も障害も、知らない世界を旅するように受け入れて、楽しんで。甫さんと真美さんから私が学んだのは、人の数だけあるさまざまな「普通」の形との生き方でした。
笑顔のたえない加藤さんファミリー
この日お会いしたのは、横浜市内の商店街の一角にあるコミュニティスペース「藤棚デパートメント」。甫さんの仕事仲間である「YONG architecture studio」がリノベーションした素敵な空間には、緑に囲まれたテーブルやソファのほかにキッチンや本棚が並んでいます。昼過ぎになると外からにぎやかな声が聞こえ、加藤さん一家が入ってきました。
すぐにお気に入りのおもちゃを取り出して遊びだす、長男の朔(さく)くんと2歳下の弟・学(がく)くん。生まれたばかりの女の子・美郁(みく)ちゃんは、甫さんと真美さんにかわるがわる抱っこされながら目をくりくりさせています。
ダウン症のある朔くんは現在、幼稚園に通っています。好奇心いっぱいで、体を動かすことが大好きです。椅子に座って遊んでいたかと思うと、何か楽しいことを思いついたように外に走り出していく朔くん。「待って待って!」と弟の学くんが後を追って、さらにその後を甫さんが追って・・・。
楽しそうに追いかけっこをする朔くんたち。「かまってもらえるのが嬉しくてわざとするんですよね~」と笑いながら、真美さんも様子を見守っています。
生まれてくる子にダウン症があるかもしれない
フリーランスのカメラマンで、soarをはじめさまざまな媒体で活躍している甫さん。現在はアートプロジェクトやアーティスト、ミュージシャンなどのドキュメント撮影を手がけ、日本各地で活躍されています。
甫さんと高校時代の同級生でもある真美さんも、3年ほどバックパッカーとして海外を旅していたこともあるというアクティブな性格の人です。朔くんを授かったあとも出産の1カ月ほど前まで仕事を続けていたといいます。
結婚、そして妊娠。自分以外の大切な存在が一人、また一人と増えていく日々を、2人はどんな気持ちで過ごしていたのでしょうか。
真美:自由に生きてきたので、「結婚・出産する」ということに対して葛藤はありましたよね。子どもが生まれたら自分のために生きられないんじゃないかと、いろいろ考えた。今までのような生活はできなくなると思うけれど、じゃあいつ出産するの?みたいな。でも妊娠がわかったときは素直に嬉しかったです。子どもはほしかったので。
甫:「今のような生活ではなくなるんだ」という気持ちはあったけど、そんなに葛藤はなかったです。すでに甥っ子たちが4人いて、よく一緒に遊んでいたので。その流れで自分たちにも子どもがいる状況は自然と想像することができました。
朔くんの出産の1カ月前、産休に入り、準備を整えていた真美さんはあることに気がつきます。
目にとまったのは病院から受け取った伝票に書いてある「ハイリスク妊婦」という文字。それまで比較的自由にできていた通院も、曜日と医師が指定されるようになりました。直接説明を受けることはなかったけれど、生まれてくる子には何かがあるという予感を、真美さんはこのときすでに感じ取っていたのです。
真美:臨月に入ってすぐくらいのときにお腹の子の足が少し短いということはわかったんです。でもそのときは「極端に足が短いのはダウン症の可能性もあるけれど、個性の範囲内だと思いますよ」という説明で。「まさかね」と思う一方で、ダウン症だったらどうしようという気持ちもありました。
ダウン症だったらどうする?という話は夫婦で少ししていたんですけど、結局「私たちだって足短いしね」という結論になった。将来が不安で気持ちが暗くなる、みたいなことはなかったです。
ダウン症の可能性と命の危険に直面して
出産直前、羊水が減ってきたため真美さんは入院。次の日には帝王切開をし、第一子の朔くんを出産しました。
朔くんは生まれてすぐに呼吸が止まってしまう危険な状態になり、NICUに運ばれます。出産の喜びも束の間、甫さんは別室に呼ばれ、医師から朔くんの現状を告げられました。左手の指が1本多いこと。そして多指症はダウン症の子どもに多いこと。
甫:僕は想像していなかったのでびっくりしました。そこから何とか自分の気持ちを立て直そうと必死でした。呼吸が止まっちゃったこともあったから、このままこの子が亡くなったら元の生活が戻ってくるのかな、いや俺は何を考えてんだろうって、揺れ動いていましたね。
甫さんのスマートフォンには指の手術をする前の朔くんの写真が残っています
生まれてすぐ、顔を見て我が子がダウン症であることを確信したという真美さんは、甫さんから聞いた朔くんの話を少しだけ冷静に受け止めていました。
真美:手術後で下半身に麻酔がかかってるし、それどころじゃなかったですね(笑)。動けないし。ダウン症に関しては「やっぱり」という印象だった気がします。むしろ多指症の方がショックを受けました。
でも私、自分を責めることはまったくなかったんですよ。子どもに障害があるのは誰かのせいじゃないか、ということはまったく考えませんでした。
この子のことは僕がすべて引き受けよう、同じ名前をつけちゃおう
想像していなかった現実に突然直面した甫さんは、どのように気持ちを立て直していったのでしょうか。
生まれたばかりの小さな体が背負っている、病気、障害、父親である自分が今ここではどうすることもできない何か。何より明日、この子が生きているかわからないーー。
その日の深夜、ぼんやりした気持ちで家路についた甫さんは、帰宅後、自身のスタジオに向かい、親友のアーティストと夜通し話をしました。
甫:朝になるころには気持ちの整理がついて、長男のことは僕がすべて引き受けようと決めました。教員をしていた母親が、よく障害のある児童の親から相談を受けていたので、こういうときは一緒に過ごす時間が長い母親がつらくなることは想像がついた。だからもし妻がつらくなってしまったときは、僕が全部引き受けようかなって。
その覚悟の意味で、「朔」と名づけました。朔という字は「はじめ」とも読むんですよ。僕の「甫」は大地に関する字で、畑、芽吹く様という意味。「朔」は空、月の始まり。同じ名前をつけちゃおうと思って。
一命は取りとめたものの、朔くんは心臓や腸などにさまざまな合併症が見つかり、まさに「3歩進んで2歩下がる」状況だったと甫さんは振り返ります。仕事の合間を縫って病院に行っても、朔くんは何かしらの治療を受けていることが多く、穏やかに会えたことは少なかったそう。
それでも粘り強く看病を続け、朔くん自身が手術を乗り越えたこともあり、半年後にはようやく3人での生活が軌道に乗っていったのでした。
「私は朔に選ばれた」そう思ってから、ダウン症の特徴を探すのはやめた
同じころ、朔くんのそばにいる時間が長かった真美さんも、真美さんのやり方で不安と戦い、朔くんの障害を受け入れていきました。
真美:入院中って暇だから、とりあえずインターネットでダウン症の特徴を調べていました。NICUに母乳を持っていくときに、朔の顔をじっと見て、自分が覚えているダウン症の特徴を一つ一つ照らし合わせて。「ああやっぱりダウン症だ」って確認していく作業をしていましたね。
心を決めたつもりでも、時間があるとついやってしまう「確認作業」。ところが数日たったある日、それまでネット検索を繰り返していた真美さんの手が、ぱたりと止まるできごとがありました。
真美:何かの反射だと思うんですけど、私がなにげなく手を伸ばしたら、朔がその手をぎゅっとつかんだんです。朔が他の誰でもない私の手をつかんでいる、その様子を見た瞬間「この子は私が守らなきゃダメだな」って思って。ダウン症の特徴を探すのはやめました。
子どもは親を選んで生まれてくると、よくいうじゃないですか。私もそのとき「私はこの子に選ばれたのかもしれない」と思った。それからはとにかく生きていてほしいなって思うようになりました。なんでこの子はダウン症なんだろうっていうよりも、とにかく生きてくれたらいいなって。
甫さんも真美さんも、朔くんの障害を受け入れていく過程は「お互いがお互いで完結していた」と話しています。その言葉を紐解いていくと、2人が「朔くんを守る」という同じ目標に向かっていながら、目の前に開かれた別々の道を懸命に歩んできた軌跡が見えてきました。
「あのとき私はこうすればよかった」「あのときあなたがこうしてくれたらよかった」
過去を振り返るとき、このように相手を責めたりする言葉が出てこないのは、自分の選択もパートナーの選択も認め、信じることができていた証なのかもしれません。
朔の顔を見て、朔に触れて、朔のことを知ってほしい
NICUにいる間、朔くんはたくさんの家族の愛情に包まれていました。
真美:私の父は「俺のおっぱいを飲めば元気になるから、これでもう大丈夫だ」と言って、朔に自分のおっぱいを飲ませるふりをしていました(笑)。嘘でしょ、と笑いましたよ。
甫:お義父さんには朔の上に6人の孫がいるんですけど、これは全員にやっている儀式みたいなもので (笑)。「ダウン症だろうと、NICUにいようと、俺は他の孫と同じように可愛がるぞ」という意味だったんだと思います。
真美さんのお姉さんと甫さんのお母さんも、みんなで育てようと積極的に関わってくれたのだそう。そんななか甫さんは、自分の父親と弟を子育てに巻き込みたいと考えていました。
甫:うちの親父は仕事人間でほとんど家庭のことをしてこなかった人。朔を抱っこするのもビビっちゃって「いや、俺はいい」と遠慮する。この人のバリアを最初に解かないと、ずっとこのままだろうなと思ったんです。
弟も親父に似たタイプだから、兄権限で無理やり抱っこさせました(笑)。弟が抱いてるのを見た親父も「抱っこさせて」と。朔の体に管がいっぱいついているし、最初は固まっていましたけどね。
初めは朔くんを抱くことさえ恐る恐るだった甫さんのお父さんですが、甫さんの働きかけもあり、その後は率先しておむつを替えてくれるまでになりました。今では朔くんもなついていて、幼稚園の送り迎えを「じいちゃん」が一人ですることもあるのだそう。
職場に復帰した真美さんは、周りの人にどうやって知ってもらうかを考えていました。自分の中で一つ決めたのは「朔に会いに来てくれた人には事実を話す」というルールでした。
真美:朔を知らない人にダウン症のことを話しても、「あ、そっか」と言葉に詰まって終わるだけだろうなと思って。言葉で伝えるよりは、まず朔に会ってもらいたかった。そのうえで、この子はダウン症なんだよって言うようにしていました。だから職場でも仲の良い人しか知らないかもしれません。
少しずつでも外に向かって「うちの子はダウン症」と言ってみると、同じような家庭が意外に多いことがわかり、子育てについてのいろいろな情報が入ってくるようになったそうです。
朔の障害を一番気にしていたのは自分だった
朔くんは4歳から幼稚園に通うことになりました。真美さんいわく、そこは朔くんが初めて飛び込んだ「健常児ワールド」。入園が決まってから少しでも早く慣れるため、通常5月から始まる「未就園児クラス」に、園の厚意で最後の3ヶ月間だけ参加させてもらうことになったのです。ありがたかった反面、とても勇気がいったと真美さんは言います。
真美:「未就園児クラス」は親子で通園するんですけど、終わりも間近なこの時期に「いまさらダウン症の子を連れて入ってくるの?」と思う親御さんもいるだろうなと不安でした。でも朔にはその場所に慣れてほしかったし、私も周りの人に朔のことを知ってほしいと思っていたので、緊張しながら行きました。
「ダウン症だから」という理由で朔に何かあったらどうしよう。変な目で見られてしまったらどうしよう。そんな真美さんの心配とは裏腹に、出会ったお母さんたちは自分の子どもと同じようにありのままの朔くんを見守ってくれました。
朔くんが外の世界でのびのびと遊んでいる光景を見て、真美さんの心にも変化が訪れます。
真美:幼稚園に飛び込んだおかげで、私が一番、朔の障害のことを気にしていたんだなって気づいたんです。それまでは「自分は朔を障害児扱いしていない、朔は朔だし」と思っていた。でもやっぱりどこかで「朔は障害児だから、あれもできなくて、これもできなくて、みんなとこんなに違うんだ」って決めつけていたんだと思いました。
ダウン症児に見られる顔の特徴のおかげで、大人数のクラスでもみんながすぐに朔くんのことを覚えてくれたり、自分から子どものことを他のお母さんに話せるようになったり。
入園前に特別な準備が必要なのではないかと幼稚園の先生に相談したときは「『頑張ろうね』ではなく『楽しみだね』と声をかけてくれればいい」とアドバイスをもらったのだそう。
真美:他人に対してちょっと優しくなって、何より自分が生きやすくなりました。それまでは人の目が気になって「うちの子がすみません」と思うところがあったので。朔本人が謝れなかったり、話が通じなかったりする分、私が代わってあげなきゃって無意識に思っていたのかもしれない。
すぐ手を差し出すのではなく、ちょっと離れたところで見守れるようになったんです。そうしたら朔にも一緒に遊べる子ができて。これが子離れかって思いましたね(笑)。
生まれたときから兄とは一緒。助け合うことが加藤家の「普通」
インタビュー中、ほとんど椅子に座って静かにアニメを見ている朔くんと、部屋中を走り回って遊ぶ学くん。ときどき学くんが「お兄ちゃーん」と体を寄せてくると、朔くんは振り払うことなく面倒を見てあげる。そんなほほえましい兄弟のやり取りも、この日はたくさん見ることができました。
逆に弟の学くんが、道を歩いているときに「お兄ちゃんこっちだよ」と朔くんの手を引いたり、朔くんが何か言いたそうにしているのを感じ取って甫さんたちに教えてくれたりすることもあるのだそう。兄として学くんを守ろうとする朔くん、自然と兄のサポートができる学くんの関係を、甫さんたちは次のように考えています。
真美:二人のやり取りは神々の領域ですね(笑)。私たちには理解できない何かで通じ合っている。学は生まれたときからダウン症の兄と一緒にいるから、それが当たり前というか。一番フラットに朔に接しているのは学かもしれない。
甫:逆にその当たり前が、社会では当たり前じゃないということ気づいたとき、学はいろいろなことを感じると思う。そこのケアはしないとなと思います。そういうもんだって言うくらいしかできないかもしれないですけど。
兄に障害があることは、学が聞いてきたら教えるくらいでいい。そして、もし学が兄の障害で悩むことがあったなら、「朔のダウン症は『個性』の一つ。他の家族の『お兄ちゃん』と変わらない、君のかけがえのないお兄ちゃんなんだよ」と伝えたい。なぜなら今のように心を通わせ合う兄弟がいることが加藤家の「普通」だから、と甫さんは言います。
甫:たぶん、こんな髪型をしていたら僕のことだって友達に「学ちゃんパパ何してる人なの?」って言われますよ(笑)。それと同じ。それがわが家のパパだし、みたいな。
くるくるふわふわした髪型で、スーツも着ていない。そんな甫さんはもしかしたら、周りの子の「お父さん」と比べるとちょっと変わったふうに見えるかもしれません。でも甫さんは加藤家のパパに変わりなく、障害のある朔くんもまた、家族の一員でありつづけます。
甫さんたちは、言葉で説明するより先に自分らしく生きる姿を見せることで、ここにも一つの「家族のかたち」があるのだと、子どもたちに伝えているように見えました。
朔がもう一つの新しい世界を見せてくれた
朔くんが幼稚園に通い始めてから「障害があること」を前向きにとらえられるようになった真美さん。今ではどのように考えているのか、朔くんはどんな存在なのかを改めて聞いてみました。
真美:私は母親に向いていないタイプだと自分でも思う。自分が今でも一番大事だから。そういう意味では私も「普通」じゃないのかもしれないけれど、それがいいのかなって。朔だって人と違うけれど、それでいいと私は思うんです。
そんな真美さんも、いつでも前向きな考え方ができるわけではありません。障害のある子もない子も一緒に過ごせる社会が素敵だと思える日もあれば、本当に朔くんの障害を受け入れてもらえる場所があるのかと悩んでしまう日もあります。それでも、「信念を持って生き続けなくていい」「朔が楽しければそれでいい」と肩の力を抜くことで、障害児であろうとなかろうと、子どもの見せてくれる世界はやっぱり楽しいと思えるのだといいます。
真美:私たちはラッキーだと思うんです。学がいて、美郁がいて、さらにもう一つの新しい世界を見せてくれる朔がいる。私の場合はママ友付き合いとかできないのではないかと思っていたから、朔のおかげで本当に自分の世界が広がった。学も美郁もそうだけど、私は朔を産んで幸せだし、きれいごとじゃなくて、生まれてきてくれてありがとうって思います。
私たちもずっと笑っていたわけではないし、楽しいことばかりではなかった。でも、朔が世の中の「普通」と違う世界を見せてくれているんだと考えると、普通と違うことはいいことなんだな、朔の世界をもっと楽しみたいなって思えるんです。
朔の「普通」を許してくれる人を一人でも多く探してあげたい
「他人と違うこと」を生業とするアーティストやミュージシャンと仕事をすることが多い甫さんにとって、「普通でない」ことは財産だと感じられるそう。でも、朔くんがこれからもっと広い世界で生きていくためには、世の中で良しとされる「普通」を理解することも必要だと考えています。
甫:生きていくことって、自分の「普通」を許してくれる人を探す旅なのかなって思います。朔には朔の普通があって、他人には他人の普通があって、世の中には世の中の普通がある。そのお互いの普通の折り合いがつくところを探すこと、許容できる環境を作ることが、多様性のある場所を作ることだと思う。そして僕は、朔の普通を許してくれる人を一人でも多く探してあげたい。
長年関わっているアートプロジェクトでは来日した海外のアーティストの制作をサポートしたり、さまざまな人生を歩んできた人の姿を写真に撮ることで紹介したり。
表現者として続けてきた「普通」と「普通」をつなぐ仕事は、親として朔くんのためにできることでもあったと、甫さんは話します。インタビュー後も自身の活動を振り返り、次のように言葉を添えてくれました。
甫:カメラマンという職業の良さはその接地面の多さ。毎日違うところに取材に行ったり、プロジェクトに関わったりして、いろいろなことを知ることができます。
今はその立場を生かして、もっともっとたくさんの、いろいろな「普通」を知りたいと思っています。自分の「普通」を拡張していけたら、おのずと家族の「普通」も広がっていくかもしれない。そして、これからは自分が培ってきた知見を発信するということも、やっていかなきゃいけない気がしています。
一緒じゃなくていいと思えたら、一緒に生きることが楽しくなる
インタビューが終わったあと、私たちは撮影のために近くの公園へ。先を走っていく朔くんたちの背中を見ながら私は、「普通って何だろう」という問いについて考えていました。
生まれもった体と性格、そして生活とともに形づくられた世界が、その人の「普通」なのかもしれない。私もきっと、自分以外の誰かとお互いの普通を見せ合いながら生きている。家族とも、友人とも、恋人とも。
甫さんも真美さんも、「家族だから」「障害児の親だから」と自分たちをひとくくりにするのではなく、1人の人間同士として向き合い、異なる意見も尊重している姿が印象的でした。2人は「良い意味で他人に興味がないだけだから」と笑っていましたが、それは「〜すべき」と互いの価値観を押しつけるのではなく、甫さんの言う「普通を許し合う」生き方の一つなのだと思います。
朔くん、学くん、美郁ちゃんに対しても同じ。2人にとっての子どもたちは「子ども」という立場以上に、新しい世界を見せてくれるかけがえのない存在でもあります。朔くんの障害はそうした世界の輝きの一つであり、人と違うことの尊さを教えてくれるものなのかもしれません。
なんだか窮屈な世の中だなと感じたとき、甫さんと真美さんのように「一緒じゃなくたっていい」という気持ちを自分にも他人にも向けることができたら。たくさんの人たちと一緒に、一人では知ることのなかった世界を楽しんでいけるのではないでしょうか。
(写真/高橋健太郎、編集/徳瑠里香、協力/佐藤碩建)
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