みなさん、こんにちは!サファリパークDuoです。短い時間ですけど、私たちの演奏を楽しんでいただけると嬉しいです。
ほんの少しだけ緊張している様子がうかがえる挨拶の後、はじまった演奏。ジャズの名曲が流れ出し、その場にいたお客さんたちが美しいメロディに耳を傾けます。音楽の知識がないぼくも、鳥肌が立つような感覚に襲われ、思わず息を呑んでしまいました。
誰もが魅了される音楽を奏でている彼らは、いったい何者なんだろう――。
ゴールデンウイーク最終日である5月6日。ぼくはサファリパークDuoの演奏を聴くため、ライブ会場となった神奈川県にある俣野別邸庭園を訪れました。
サファリパークDuoは、二十歳の琴音さんと高校生の郷詩さんによる、姉弟のジャズユニット。琴音さんがトランペットを、郷詩さんがピアノを担当しています。結成したのは2010年。以降、横浜市内でのイベントや音楽祭を中心に活動し、これまでに600回近くライブを行ってきました。
郷詩さん:ドイツ生まれの作曲家クルト・ヴァイルは三文オペラなどの作品で知られている作曲家です。ドイツではクラシック音楽を書いていましたが、アメリカに渡ってからはポピュラー音楽も書くようになりました。次は彼が作った「小さな声で囁いて」という意味の曲を演奏します。それでは聴いてください、「Speak Low」です。
楽曲にまつわるエピソードも混じえながら曲紹介をする郷詩さんは、まごうことなきプロの音楽家。まだ高校生ですが、ステージ上での顔つきからはプロとしてのプライドと、お客さんを楽しませたいという想いが伝わってきます。
また、合間には琴音さんが自らの紹介をする場面も。琴音さんには、生まれつき知的障害があります。
琴音さん:私は一昨年の3月に養護学校を卒業し、4月から横浜ビール直営のレストラン「驛の食卓」で働いています。お花の水やりをしたり、ランチタイムの準備をしたり、お客さまに「いらっしゃいませ」などと挨拶をしたりして、楽しくお仕事をしているんです。とてもおいしいお食事とビールが飲める場所なので、みなさんぜひ来てください。
ちゃっかりお店の宣伝もしてしまう琴音さん。はにかんだ笑顔に、会場にいた誰もが頬を緩めました。
琴音さん:私が働くときに大切にしたいと思っていることがあります。いまから、その名前がついた曲を演奏します。「Smile」です。
「どんなときも笑顔を大切にしていたい」と願う琴音さん。名曲「Smile」に想いを込めて演奏します。
ライブの冒頭から感じていたことですが、ふたりはとにかく楽しそうに演奏しています。時折目を合わせ、アイコンタクトで意思疎通を図る。その巧みなセッションから生み出されるメロディは、聴く者を途端に笑顔にしてしまう魔法のようなもの。わずか1時間でライブは幕を閉じましたが、その余韻に浸るように、お客さんたちはなかなか席を立とうとしませんでした。
不思議な魅力を放つサファリパークDuoのふたり。彼らがどんな道のりを歩んできたのか気になったぼくは、ライブ終了後に声をかけることにしました。
障害のあるお姉ちゃんを支えている、という自覚はない
まずはこの日の演奏についての感想を聞いてみると、ふたりともプロとしての顔を見せます。
琴音さん:今日は60点くらいです…。
郷詩さん:いや、40点だよ。トランペットって抵抗があるので、演奏前に思い切り息を吹き込んで通りをよくしておかなきゃいけないんですけど、今日はそれを忘れてしまって…。だから音が鳴りにくかったんです。
反省点はありつつも、やはりお客さんの前で演奏することは「とても楽しかった」と声を合わせるふたり。
郷詩さん:お客さんとの距離が近いと反応もダイレクトに見られますし、やりがいがあります。
琴音さん:でも、楽しいけど緊張もするよね。
郷詩さん:まあね。ただ、なかには去年もこの場所で演奏を聴いてくださった方がいて。先程、「伴奏でお姉ちゃんを支えていて、いいね」と褒めてくださったんです。そういう風に声をかけてもらえると、とてもうれしいですね。
お客さんのひとりが「郷詩さんが琴音さんを支えている」と評したように、ぼくの目にもふたりの関係はそう映りました。伴奏をしながら、横目で琴音さんの様子をうかがっている郷詩さんは、人一倍「お姉ちゃんを支えなければ」と思っているのではないか、と。ところが、郷詩さんは意外な言葉を口にします。
郷詩さん:ライブのMCや演奏ではぼくがリードすることも多いんですけど、日常生活ではそんなに助けているつもりはないんです。逆に、ぼくのほうが琴ちゃんに助けてもらうことが多いくらい。朝が苦手なので起こしてもらったり、電車音痴なのでどの電車に乗ればいいのか教えてもらったり、脱ぎっぱなしにしていた服を畳んでもらったり。いろんな場面で琴ちゃんに助けてもらうことが多いんです。
そんな郷詩さんの言葉を聞いた琴音さんは「ありがとう…。泣いちゃう」と照れくさそう。その掛け合いからも、ふたりがとても仲良しで、お互いを尊重し合っていることが伝わってきます。
琴音さん:郷くんはかわいいし、声変わりもしてきたし、背も高いし、とってもいい弟です。
郷詩さん:やめてよ(笑)。
そして、郷詩さんは琴音さんについて、こう話してくれました。
郷詩さん:そもそも琴ちゃんに障害があるということを気にしたことがないんです。ぼくにとって琴ちゃんは、ちょっと抜けているところがある、おもしろいお姉ちゃんですね。確かに、こちらの意見を伝えたいときにうまく伝わらなくて、「ん?」という反応をされることはありますけど、そういうときは言い方やアプローチを変えてみるとちゃんとわかってくれますし。
伝わらないのであれば、伝え方を変えてみるだけ。これは障害のある人とない人におけるコミュニケーションに限らず、すべての人に通ずる考え方。それを事もなげに言ってしまえる郷詩さんが、とてもかっこよく見えました。
琴音さんの影響を受け、独学ではじめたピアノ
郷詩さんと琴音さんが音楽をはじめたきっかけ、それはご両親の影響だったそうです。父・おさむさんも母・由美子さんもともに音楽大学出身で、家庭内には音楽があふれていました。幼い頃からそんな環境にいた郷詩さんと琴音さんが、次第に「演奏」に興味を持つようになったのは必然だったのでしょう。
郷詩さん:家にはCDがたくさんあって、普段から音楽を流していたり、土日にはライブを聴きに行ったりするような環境だったんです。あるとき、地元のお祭りでブラス・カスミッシモという吹奏楽団の演奏を聴いたんですけど、それがすごく楽しくて。楽団にはトランペットを吹いている女性がいて、琴ちゃんがその姿に憧れを持って、トランペットをはじめたんです。
最初に楽器をはじめたのは、琴音さんでした。そして、それに感化されるように郷詩さんも楽器を手に取ったのです。
郷詩さん:あるイベントで琴ちゃんがステージに立ってトランペットを吹くことになって、その姿があまりにもかっこよくて羨ましくて、ぼくも楽器をやってみたいと思ったんです。ピアノを選んだのは、どうせなら琴ちゃんの伴奏がしたいと思ったから。でも、誰かに習ったわけでもなく、ほとんど独学で弾けるようになりました。だから、ソロで弾くことはできなくて、あくまでも琴ちゃんが吹くトランペットにあわせた伴奏しかできないんです。
琴音さんに影響を受け、琴音さんの隣で伴奏がしたいと思った郷詩さん。楽譜を読むこともできなかったため、メロディを耳で覚え、ひたすらに練習する日々が続きました。
初めてデュオとして人前で演奏したのは、郷詩さんが小学1年生、琴音さんが小学6年生の頃。
郷詩さん:新宿の歩行者天国で演奏したのが初めてです。鍵盤ハーモニカを地面に置いて、座りながら「A列車で行こう」を演奏しました。いろんな人が立ち止まって聴いてくれて、本当に楽しかったです。
以降、9年間で約600回ものステージに立ってきたふたり。相当な場数を踏んできているものの、一度たりとも演奏に手を抜いたことはありません。
郷詩さん:常に考えているのは、お客さんが楽しんでくれるかどうか。MCの内容も曲順も、聴いてくれる人たちのことを第一に考えて、決めているんです。
ステージの内容は郷詩さんが率先して考えているそう。とはいえ、そこはあくまでもふたりのステージ。琴音さんの意見も聞きながら、ふたりが納得できるものに落とし込んでいます。
「せいで」ではなく、「おかげで」と捉えてもらいたい
お話をすればするほど、郷詩さんと琴音さんへの興味が湧いてきます。でも、ライブを終えたばかりで疲れていることもあり、ここで一旦休憩を挟むことに。すると、ふたりは芝生の上でじゃれ合いながらもゴロゴロしはじめました。その仲睦まじい様子を見ていると、こちらもほっこりした気持ちになります。
郷詩さんと琴音さんがのんびりしている内に、ぼくは、ふたりを育てたおさむさん、由美子さんにもお話をうかがってみることにしました。
まず気になったのは、ご両親の目にふたりはどのように映っているのかということ。
由美子さん:郷詩は常に琴音のことを中心に考えているんです。やはり、ステージに立つとふたりだけの世界ができあがるんですよ。私たちはいつもそれを遠くから見守っているだけなので、わからないことがたくさんあって。だから、郷詩は私なんかよりもよほど琴音を理解しているんだろうなと思います。
おさむさん:練習をしていてもそうで、先日、久しぶりに琴音のトランペットの練習に付き合ったんですが、どうにもうまくいかなくて。結局、途中からは郷詩に任せたんです。
由美子さん:郷詩は琴音をのせるのがすごく上手なんだよね。私が口を挟むと、「ママは邪魔だからあっちに行ってて」って言われてしまうけど、郷詩の言うことには耳を傾けるみたいで。
おさむさん:そうそう。だから、郷詩はしっかりしているんだけど、それはそれとして、宿題はちゃんとやってほしいね(笑)。
由美子さん:本当に(笑)。ふたりは演奏をしているときと普段とで、すごくギャップがあるんです。
郷詩さんと琴音さんとの間には、「ふたりだけの世界」ができあがっている。それはライブを観ていても伝わってくるものでした。互いを深く信頼し、背中を預け合っているような絆があるのです。
おさむさん、由美子さんはどんなふうにふたりと関わってきたのでしょうか。
由美子さん:基本的にはのびのびと育ててきたつもりです。ただし、郷詩が琴音を馬鹿にしないこと。それだけは常に考えながら接してきました。そのために、琴音にできることはすべてやらせる。些細なことかもしれませんが、琴音にできることを見つけて、できる限りやってもらいました。そうすることで、郷詩も琴音のことを尊重してくれると思ったんです。いまでは郷詩も大きくなって、ライブでは主導権を握っていますけど、本質的な部分では琴音のことをすごく尊敬してくれています。
そんな由美子さんの教育方針の元で育てられた郷詩さんは、とても心やさしい子に育ったといいます。
おさむさん:以前、郷詩が同級生に、「お前の姉ちゃん、障害があって可哀想だね」って言われたことがあったらしいんです。そしたら、郷詩は「あんなに幸せな人、世のなかにいないと思うよ」って言い返したっていうんですよ。
由美子さん:そう。「ぼくは可哀想だと思わない。琴ちゃんみたいに幸せな人、なかなかいないと思うよ」って。それを聞いたとき、すごくうれしくて…。ただ、郷詩はすごくやさしくてお姉ちゃん想いなところがあるので、責任を感じさせすぎてしまっているのかな、とも思っています。私たちがいなくなった後に琴音をサポートしてもらう後見人の話題が出たときも、「ぼくがやるよ」って言ってくれたんです。私たちとしては、そこまで琴音の人生を背負わなくていいと思っているんですけど、本人は「後見人候補が何人かいるとして、ぼくがそのひとりになっていたほうが安心でしょ」と言ってくれて。うれしい反面、いろいろと背負わせているのかなと反省もしましたね。
おさむさん:もちろん、琴音に対して思うこともあるんでしょうけど、「琴音のせいで」ではなく「琴音のおかげで」と感じられることを増やしていくことが、私たちの役目だと思います。音楽をやっているのもそのひとつ。いま人前で演奏ができているのは、きっかけを作ってくれた琴音のおかげだ、と。郷詩がそんな風に思ってくれていたらうれしいですね。
おさむさん、由美子さんのお話を聞いていると、おふたりが障害をネガティブなものとして捉えていないことが伝わってきました。たとえ障害があったとしても、できることはたくさんあるし、可能性は無限大。このポジティブな変換は、サファリパークDuoの音楽にも表れていると感じました。心の底から音楽を楽しんでいる。それはふたりの演奏を聴いているだけでわかります。サファリパークDuoがこんなにも聴く者の心を温かくしてくれるのは、ご両親のやさしい教えがあったからなのです。
「みなさん、こんにちは」を聞いたとき、涙があふれた
ストイックだけどもちょっと抜けているところがあり、誰よりもお姉ちゃんを愛している郷詩さん。それに対して、琴音さんはどんな人物なのでしょうか。
おさむさん:琴音は郷詩と正反対で、ものすごく几帳面。たとえば、初めて訪れる駅があったとして、電車の乗り継ぎ方を説明すると、きちんとその通りに行くんです。
由美子さん:そのかわり、方向音痴なところがあるから、駅を降りてから徒歩5分の目的地まで1時間以上かかってしまうこともあります。電話がかかってきて、「ママ、ここは右?」とか聞かれるんですけど、その場にいないから右も左もわからなくて(笑)。
その状況を想像するだけでも、不安で胸が潰れそうになります。もしも、ぼくが障害のある子の親になったとしたら、どこに行くにしても、なにをするにしても、常に側で手を差し伸べてしまうに違いない。実際、過保護気味だった由美子さんは、琴音さんが通っていた小学校の先生から「お母さん、このままでは、琴音さんが社会に出られなくなりますよ」と助言されたといいます。
親はいつまでも子どもの側にいられるわけではありません。障害のあるなしにかかわらず、やがてはひとりで生きていかなければいけなくなる。そこでおさむさんと由美子さんが選択したのが、琴音さんを信じ、どんなことでもひとりでやらせるという道でした。
由美子さん:琴音が通っていた高校は自宅から歩いて通える距離なんですが、そこに通うため、まずはひとりで歩いていく練習をしたんです。行き方は簡単で、家を出て坂を下ったら左に曲がり、バス停ふたつ分くらい歩いたら坂を登っていくだけ。でも、いざひとりで行くとなると、やっぱり道に迷ってしまうんです。結局、ひとりで行けるようになるまで、30回くらい繰り返しました。
おさむさん:でも、琴音のすごいところは、決してめげないところなんです。どんなに時間がかかっても諦めないし、絶対に泣かない。がんばって我慢しているのではなく、何回道を間違えたとしても気にならないみたいです。
それは音楽にも通ずるのでしょう。トランペットを吹くなんて、簡単なものではありません。ましてや、人前で演奏するとなれば、慣れている人だって緊張してしまうもの。うまく吹けず、嫌になることだってあるはず。それでも、琴音さんは弱音を吐かず、堂々と演奏している。ちょっとしたことで傷つき、弱気になってしまいがちなぼくは、そんな琴音さんの生き方に背中を押される気がしました。
そして、琴音さんは、人生を自らの力で切り拓きました。高校卒業時、就職先が見つからない琴音さんに、スカウトの声がかかったのです。
おさむさん:いろんな企業や福祉施設をあたったんですけど、断られたり、こちらがしっくりしない感じが続いていて。ところが、琴音のライブを観た横浜ビールの社長さんが声をかけてくださって、そのご縁で驛の食卓で働くことが決まったんです。
演奏者への憧れからはじめた音楽活動。それが琴音さんの人生を大きく変えていくことになりました。由美子さんは「本人はそこまで考えていないと思いますけどね」と笑いながらも、こう続けます。
由美子さん:琴音は特定の状況で話せなくなってしまう場面緘黙症もあるので、小・中・高と学校では一言も声を出さなかったんです。担任の先生ですら、琴音の声を聞いたことがなかったんですよ。でも、音楽が絡むと別人のようになる。以前、琴音が卒業した小学校でライブをする機会があったんですけど、私たちは「あの子はちゃんと話せるかな。いつもみたいに黙っちゃうのかな」と気が気じゃなかったんです。ところが、MCで「みなさん、こんにちは」って挨拶をしてくれて。それを聞いたときは、涙が止まりませんでした。
おさむさん:琴音を担当してくださっていた個別学級の先生も、そこではじめて琴音の声を聞いて、涙を流されていました。在学中には聞けなかった声が、卒業してからやっと聞けたって…。
障害者と健常者は地続きの世界で生きているもの
琴音さんがいまこうして人前で演奏し、MCでハキハキと喋れるようになるまでには、想像もつかないような道のりがありました。それを見守ってきたおさむさん、由美子さんは、きっと何度も悔しい想いをしてきたでしょう。けれど、琴音さんは、こんなにも素晴らしい贈り物をくれた。おさむさん、由美子さんのお話を聞いていて、思わずぼくも泣いてしまいました。
ただし、あくまでもこれは身内での話。おさむさんは、こういったエピソードを使って人を感動させることはしたくないといいます。
おさむさん:琴音に障害があることがメディアの関心を呼んだり演奏の機会を増やすことにつながっているのは確かです。でも演奏するうえでは、「障害者音楽」のようなカテゴリーに入って甘えることはしたくないんです。
由美子さん:ステージに立ったら、子どもも大人も障害の有無も関係ありません。ふたりには、人前に立つということはそういうことなんだと言い聞かせてきました。「やっぱり障害者だから」と見られるのは嫌なんです。
おさむさん:そうしないと、一般の世の中に入っていけなくなってしまいますから。甘やかされる世界に浸ってしまうと、居心地がよくなってしまって、出られなくなる。それは琴音にとってよくないことだと思うんです。
琴音さんに障害があることは認めつつも、それに甘んじない。おさむさんと由美子さんの強い想いは、すべて琴音さん、そして郷詩さんのためでもあります。
由美子さん:そもそも、琴音の障害のことで泣いたことはないんです。障害があるとわかったときも、それほどネガティブには捉えませんでした。1349gで生まれて、普通だったらどんどん大きくなるはずが、全然大きくならなくて。だから、障害があると診断されたときも、「まぁ、そうだよね」と。
おさむさん:実は、いまだに具体的にどんな障害があるのかはわかっていないんです。ありがたいことに合併症がなかったので、「だったら、診断を受けなくてもいいか」と思って。それでなにかが変わるわけでもありませんから。障害があると大変なことがあると思もわれがちすが、私たちはそれで困ったことがないんです。
由美子さん:そう。琴音は小さいので、「ずっと抱っこしていられる、ラッキーだね」って思っていました。
おさむさん:とにかくかわいいんですよ。
「親ばかですよね」と笑うおさむさん、由美子さんを見ていると、障害が文字通り「障害」ではないような気持ちにさせられます。
けれど、障害についての知識がない人からすると、それは気軽には触れられない話題だという思い込みもあるのが現実。おふたりは琴音さんの障害を、周囲にどう伝えてきたのでしょうか。
由美子さん:身近に障害者がいない人は、障害のことをストレートに聞くのは失礼なのではないかと思ってる場合も多いんですよね。だからこそ、私は、常にオープンでいます。隠すことはなにもないから、どんなことでも質問してくださいって。
おさむさん:私たちから説明するのではなく、聞きたいことがあれば聞いてください、というスタンスです。障害者と健常者の世界を別物だと切り分けて考える人がいますけど、そうではなくて、同じ世界で生きているんです。だから絶対に理解できますし、どんなことでも聞いてもらいたいですね。
障害者と健常者は地続きの世界で生きている。これは当たり前のことなのに、現実ではなぜか「分断」が生じてしまっている。その理由は、障害について「知らない」からでしょう。だったら、知ればいい。おさむさん、由美子さんのような障害児を持つ親に話を聞くこと、あるいは琴音さんのように人前で活動する当事者に会いに行くこと。そんな些細なことで、理解は深まり、世界を分断する壁は崩れていくはずです。
おさむさん、由美子さんのお話を聞いて、琴音さんが音楽を続けている理由を理解することができました。では、郷詩さんはどうなのだろう。「お姉ちゃんの横で伴奏をするため」という理由ではじめた音楽活動。郷詩さんが音楽を続ける理由は、そこからブレていないのだろうか。
郷詩さんの本心が知りたい。そう思ったぼくは、もう一度郷詩さんに声をかけました。すると郷詩さんは、まっすぐにこちらを見つめ、口を開きました。
郷詩さん:聴いているお客さんが喜んでくれるのも音楽を続けている理由ですけど、やっぱり一番は、琴ちゃんとふたりで演奏するのが楽しいからなんです。一度だけ、他のバンドから「一緒にやってみない?」と声をかけてもらったことがあるんですけど、あまり面白そうだとは思えなくて断っちゃいました。ぼくのこれまでの人生では、琴ちゃんが隣にいるのが当たり前だったから、一緒に演奏するのも当たり前なんです。だから、この先もずっと、琴ちゃんと一緒に活動していきたいと思っています。ただ、できることを広げていくために、学生ビッグバンドに入ったり、高校の合唱部でピアノ伴奏をやったりしています。こっちの活動もとても楽しいです。
「思い切り楽しむこと」が未来を切り拓いていく
聴く人を魅了し、笑顔にするサファリパークDuoの音楽。彼らがどうしてそんなメロディを奏でられるのか不思議だったぼくは、今回のインタビューを通じて、その答えを見つけることができたように思います。
それは、「思い切り楽しんでいるから」。
好きなことに熱中して、心の底から楽しんでいる人の姿は、とても眩しいもの。それを目の当たりにしたとき、人は自然と笑顔になってしまう。これはなにも音楽に限った話ではありません。人生を目一杯楽しんでいれば、それが連鎖反応のように周囲の笑顔を誘発する。そして、その先に広がる世界は、温かくやさしいものなのではないでしょうか。
サファリパークDuoのふたりが、今後どのような人生を歩んでいくのか。由美子さんは「人との関わりを大切にして、ずっといつも笑っていてほしい」と話していました。人生において大切なものとは、きっとそんなシンプルなものなのかもしれません。
ぼくはぼくの人生を楽しんでいる。いまはまだ、そう断言する自信がありません。けれど、サファリパークDuoのふたり、そしておさむさん、由美子さんに出会ったことで、自分の生き方を肯定し、楽しんでいきたいと思いました。そうすることで、琴音ちゃんのように素敵な未来を切り拓いていけるはずだから。
関連情報:サファリパークDuo ホームページ
(写真/加藤甫、協力/望月優希)