家族に「がんばってるね」と言ってもらえること。
私にとってそれは、自分にとっての“励み”の一つでした。
でも、何よりうれしかったのは、うまくいかないときも「あなたが元気でいてくれてよかった」と笑って受け止めてもらえたことです。
私たちが今回お話を伺ったのは、熊本県に住む2児の母である早坂マリさん。マリさんからも、私が親から受けてきたような、生きていることをまるごと愛する温かさを感じました。
2人のお子さんを抱きしめて、マリさんは言います。
マリさん:2人とも、一生懸命に生きている命。兄の俊太朗は、体が動かない少し不自由な世界に生きているけど、それでもがんばって、無邪気な笑顔を見せてくれる。2人は小さな子どもだけど、本当にすごいな、私の誇りだなって思います。
俊太朗くんは、熊本県合志市にある障害児通所支援事業所ボンボンに通っています。生まれつき脳に障害がある俊太朗くんには、医療的ケアが必要です。隣で元気にはしゃぐのは、弟の禮次朗くん。
俊太朗くんの障害と向き合ってきた時間のなかで、ときに自分を責めてしまうことがあっても、マリさんのそばには支えてくれる誰かがいました。そして、たくさんの笑顔に囲まれている今だから、わかること、感じられることがあると、マリさんは言葉を紡いでくれました。
子どもたちの笑顔があふれる場所、ボンボン
1月の寒い日の朝、私たちはマリさんたちにお会いするため、ボンボンを訪れました。熊本市内を出発し、車で30分ほど、田畑に囲まれた道を走っていきます。緩やかな坂を登った先に、白くてきれいなボンボンの建物が見えてきました。駐車場には、子どもたちを乗せてきた車が止まっています。

障害児通所支援事業所ボンボン
一歩玄関に入ると、ここに通う子どもたちの笑顔の写真がたくさん飾られています。廊下にはスタッフの皆さんの明るい声が響いていて、何やら楽しそう。

扉の向こうが子どもたちの集まる広間です
部屋を見渡すと、あちこちにかわいい装飾があることに気づきます。新年が始まったばかりの時期でもあり、多くの子どもたちが集まる広間には、初詣ができる「ぼん神社」が作られていました。
ボンボンは、訪問看護を中心に、重度の障害のある子どもとその家族をサポートしてきた、認定NPO法人NEXTEP(以下、NEXTEP)がスタートさせた施設です。
NEXTEPの障害児への支援活動は、2009年、看護師が子どものいる家庭を訪問するサービスに始まりました。その後、ヘルパーの訪問によるケアや、専門の相談員がその子に適した医療や福祉をコーディネートする相談事業もスタート。どの活動も、子どもを病院に預けるのではなく、在宅で見守り、家族みんなで楽しい時間を過ごすことを目標に行われてきました。
2015年にできたボンボンは、障害のある子どもたちの保育と教育の中間を担う場として始まった「通園」のサービスです。
ボンボンには、重度の障害や難病のため、鼻からチューブを通して栄養をとったり、周りの人が痰の吸引を行ったりといった、日常的なケアが必要な子どもたちが通っています。このような子どもたちにとって、気軽に外出したり、友達と遊んだりすることは、今まで難しいことでした。そこで、障害の重さに関係なく、子どもが子どもらしく楽しい時間を過ごせる場所として新たにできたのが、ボンボンだったのです。
この日は俊太朗くんを含め、4人の子どもたちがボンボンに来ていました。看護師や理学療法士のスタッフは、医療的ケアだけでなく、ときどき歌を歌ったり、本を読み聞かせたりして、そばに寄り添います。

正月飾りで遊ぶお子さんとボンボンのスタッフ

スタッフが寄り添い、ゆっくりと体を動かします
体を思うように動かせなくても、言語によるコミュニケーションが難しくても、子どもたちが発する「楽しい!」という気持ちが、初めて訪れた私たちにも伝わってくる気がします。

施設の外庭はどんど焼きの準備中

青天の下、みんなで外に飛び出していきます
一方、外庭は正月の行事「どんど焼き」の準備の真っ最中です。俊太朗くんはバギーに乗って、禮次朗くんや周りの人たちと一緒に、外へ出て行きます。わいわいにぎやかな庭の景色が、冬の寒さを忘れさせてくれるようでした。
母である自分が、息子に障害を負わせてしまったかもしれない
そんな暖かい雰囲気の中、ボンボンに通う俊太朗くんのお母さんである、早坂マリさんのお話は始まりました。マリさんは、長男の俊太朗くん、次男の禮次朗くんと合志市内で暮らしています。旦那さんは単身赴任中ですが、毎月マリさんたちのもとへ帰り、家族みんながそろう時間を大切にされているそうです。
俊太朗くんには生まれつき脳性麻痺の障害があります。現在は、鼻から通したチューブで栄養を取り、てんかんによるけいれんを弱めるために服薬をしています。起き上がることは難しく、言葉を話すこともできませんが、そのぶんしっかりとした表情で応えることができます。
障害の有無に関係なく、楽しいときは笑い合い、苦しいときは助け合ってきたマリさん一家。しかし、俊太朗くんを産んだばかりのマリさんにとって、今の幸せな生活を想像することは、とても難しいことでした。

早坂マリさん
俊太朗くんの出産時、マリさんには強い陣痛がありました。痛みはさらに強くなり、急遽、無痛分娩に切り替えることに。麻酔で痛みをやわらげながら、およそ35時間が経った頃、俊太朗くんは生まれました。
このとき、産声をあげなかった俊太朗くんは、すぐに保育器に入ります。生後2日目の検査で、俊太朗くんには新生児けいれんが見られました。生まれてくるとき、脳に障害を負うような低酸素状態になっていた形跡があることがわかったのです。
俊太朗くんは、NICU(新生児の集中治療室)のある別の病院に救急搬送されます。「すぐ戻れると思いますから」という医師の言葉を信じ、マリさんは俊太朗くんの帰りを待ちました。しかし、次の日も、その次の日も会うことはできません。マリさんの心の中には、しだいに不安な気持ちが広がっていきました。
マリさん:どうしてだろう、どうしてだろうとずっと考えていて・・・。自分が息子をこんな風にしてしまったんだと考えていた時期が、一番苦しかったです。現実を受け入れられない一方で、ずっと自分を責めていました。
できることは何でもしたい。俊太朗のために。自分のために。

スタッフの指先をしっかりと握る俊太朗くん
俊太朗くんはそのまま、マリさんとは別の病院に1カ月ほど入院します。先に退院したマリさんは、実家でお母さんの助けを借りながら過ごし、毎日俊太朗くんに会いに行きました。食事をしても美味しく感じられず、何をしても楽しくない、夜は涙が止まらない。そんな日が続いたといいます。
マリさん:こんなに味がしない食事は初めてだなって思うくらい、味を感じられなくて。でも、毎日病院に母乳を持って行かないといけないから、少しでも俊太朗の栄養になればと食べていたんです。私の気休めに過ぎなかったのかもしれないけれど、とにかく栄養のある母乳を出すことに必死だったという記憶があります。
障害が残る可能性は高いけれど、軽度かもしれない。経過を見ていかないとわからない。それなら、できるだけ、できるだけ軽度であってほしいって思っていました。俊太朗のために。でも自分が俊太朗に申し訳なく思う気持ちを、少しでも紛らわせたかった部分もあると思います。
旦那さんによると、当時のマリさんとは会話がかみ合わなかったことも多かったのだそう。「それだけ自分のことで精いっぱいだったのかも」と笑いながら、マリさんは感謝の言葉を口にしました。
マリさん:夫はあまり反対しないで、よく見守ってくれていたなと思いますね。もしかしたら、彼も彼なりにつらくて、心の中では何か思っていたかもしれない。ばたばたしないで、もうちょっと落ち着いて、とか。たぶん、私の母親としての思いを汲んでくれていたのかなと思います。
周りの人たちがそれぞれにできる形でマリさんを支える中、俊太朗くんが帰ってきました。はじめはあまり目を開けず、話しかけても反応がなかったという俊太朗くん。しかし、ある日から突然、大声で泣き出すようになります。一度泣き始めるとなかなか収まらないため、マリさんたちは昼夜を問わず、代わりばんこに俊太朗くんをあやしました。
マリさんが実家から自宅に戻ったあとも、俊太朗くんの状態は変わらず、夫婦の疲れはたまっていく一方でした。それでも、「この子の将来はどうなっていくんだろう」という不安を、「今できることは何でもしたい」という気持ちでかき消すように、リハビリ方法や病院を調べる手を休めることはありませんでした。
ほどなくして、俊太朗くんはリハビリのため、鹿児島の病院に入院します。しかしそこで、てんかんの一種であるウエスト症候群を発症していたことが判明しました。俊太朗くんはリハビリを中断し、てんかんの治療を始めます。そしてさらなる治療のために、静岡のてんかんセンターへ移ります。そこで得た情報を頼りに、次は大阪の病院へ。1,2カ月単位で各地を転々として頑張るうちに、俊太朗くんの症状は少しずつ落ち着いていきました。
熊本の自宅に戻ってきたとき、家族にとって何よりうれしい変化があったのです。それは、俊太朗くんが疲れきったマリさんに初めて見せてくれた”笑顔”でした。
マリさん:いろんな病院を回っても、実は大きな変化はなかったんです。それが、自宅に帰ってやっと落ち着いたとき、生まれて初めて、にこっと笑ったんですよね。
体の機能的な発達については、病院で過ごした方が良いのかもしれない。でも、情緒の発達については、家族で過ごすことが一番プラスになるのかなと思いました。それで、これからはなるべくお家で、みんなで過ごしていこうねって話をしましたね。
夫の単身赴任、次男の妊娠・・・耐えて、励まして、励まされて。
これからは、家族みんなで。そう思った矢先、旦那さんの単身赴任が決まります。行き先は、熊本から遠く離れた福島。向こうで通える施設はないか、マリさんも見学に行くなどして準備を進めました。いずれは一緒に住むつもりで考えていたのです。
しかし、マリさんのお腹には弟の禮次朗くんの命が宿っていました。その後、安静にしていないと産まれてしまう切迫早産の状態になり、マリさんは熊本の病院に入院。俊太朗くんはマリさんの実家に預けられ、家族は再び離ればなれになってしまいました。
マリさん:家族そろって生活したかったし、俊太朗のことはもちろん気になるけれど、ここで私が無理をして早産になったら、禮次朗にも大変な思いをさせてしまう。そう思って必死にこらえていました。
「これがいい」と聞けばこれを試して、「あれがいい」と聞けばあれを試して。何が正解なのかわからない中、「こっちへ行こう」と答えを出しても、違う方向に進まざるを得ない日々が続きます。「心が折れそうになることはなかったのですか?」思わずそう尋ねると、マリさんは少し間を置いて、次のように話しました。
マリさん:ウエスト症候群になったこともあって、俊太朗の障害は軽度じゃないということを、だんだん受け入れていたのかもしれません。どこかで覚悟をしていた。「まだ0歳だから、もうちょっと何か可能性があるかもしれない」という気持ちと、「このままかもしれない」という気持ちの間を揺れ動くような感じでした。
そんな中でも、一番助けになったのは、家族の支え。実家の両親や主人と、とにかく励まし合っていました。悲観はいっぱいするんですが、悲観だけしていても俊太朗のためにはならない。そうやって自分を奮い立たせていました。
病院にいるときもさみしくなることはなかったと、マリさんは言葉を続けます。それは、周りにがんばっているお母さんたちがいたから。同じような境遇のお母さんたちと胸の内を話し合ったり、先輩ママに助言をもらったり。パワフルなお母さんたちの姿を見るだけでも、励みになったとマリさんは言います。
マリさん:以前からの友達も、私の状況をすごく心配してくれました。でも、話せたとしても理解はできないかもしれない、聞いた相手がすごく困るんじゃないかって、心のどこかで思っていたんですね。相手もどういう言葉を返していいかわからないんじゃないか、みたいな。
それで私自身も遠慮して、心の底の思いを言えないことが多かったです。でも、入院しているときに出会った境遇が似ている親御さんたちには、それを話すことができました。どのお母さんもすごいがんばっているんだなって、勇気をもらいました。
マリさんは無事、禮次朗くんを出産。「とにかく目の前のことに必死だった」マリさんが、少し先の未来を前向きに考えられようになったのは、その3カ月後のことでした。
マリさんを変えた、NEXTEPとの出会い
俊太朗くんには徐々に、体に無理に力が入って股関節が抜けかけてしまうなど、脳性麻痺による二次障害の兆候も見られるようになりました。以前と変わらず、自宅と病院とを行き来する日は続きます。
ある日、かかりつけの病院で紹介されたのが、NEXTEPの運営する小児専門の訪問看護ステーション「ステップ♪キッズ」でした。ステップ♪キッズでは、在籍する看護師が家庭を訪問し、在宅で重度障害の子どもをケアするという、全国的にも少ない訪問看護事業に取り組んでいます。
マリさんの心に響いたのは、説明に訪れた看護師さんのひとことでした。
しゅんちゃんの成長が楽しみですね!
その次はもっと多くのスタッフがマリさんの自宅に集まり、「しゅんちゃんはこうしたほうがいいのでは」「ああしたほうがいいのでは」と熱い会議が始まったのだそう。当時のことを話すマリさんに、ぱっと明るい笑顔が広がります。
マリさん:今までそんな前向きなことを言われたことがなかったし、正直、自分自身も思っていなくて。これからこの子はどうなるんだろうという不安ばかりだったので、その言葉は衝撃的でした。スタッフの皆さんが、俊太朗には何が合うのかということを本当に真剣に考えてくださっている。それがわかって、すごくうれしかったです。
ボンボンが開設したのは、マリさんがステップ♪キッズに出会って1カ月後のこと。新しくできるという話を聞いて、喜んで行きたいと返事をしたのだそうです。
前向きにボンボンへの通園を決めたものの、マリさんは頭の中でさまざまなことを考えていました。泣いてばかりの俊太朗くんを任せて本当に大丈夫だろうか。週に1回行けるかどうかもわからないし、初日に「俊太朗くんへの関わり方ががわからない」と電話がかかってくるかもしれない。そんな不安とともに、初めての通園日を迎えます。
マリさん:迎えに行く時間まで幸い何事もなかったんですが、それでも心配で。どきどきしながら「どうでしたか?」って迎えに行ったら、「大丈夫でしたよ!ちょっと泣いちゃいましたけどね~」と。ああよかったってほっとした一方、今日は偶然大丈夫だったんじゃないかと思っていました。
次も、その次も、俊太朗くんは順調に通うことができました。実は、スタッフの皆さんが交代で泣いている俊太朗くんを抱っこし、廊下をずっと行ったり来たりしてくれていた・・・。マリさんがその話を聞いたのは、後になってのことでした。
マリさん:やっぱりそうだったんだなと(笑)。でも、そうやって熱心に見ていただいたおかげで、しゅんちゃんもボンボンを居心地の良い場所として認識したみたいでした。通い始めてしばらくしてからは、全然泣かなくなった。むしろ今度は、帰りの時間を知らせる音楽が流れると泣いちゃうようになったんですよね(笑)。
「しゅんちゃんはきっとできるからやってみよう!」
外の世界へ踏み出した俊太朗くんは、新しいチャレンジを始めます。それは、周りの人とコミュニケーションを取ることでした。「スイッチ」と呼ばれる大きなボタンを自分の手で押すことで、返事をしたり、意思を伝えたりするのです。
スイッチとは、コミュニケーション支援に用いる音声出力会話補助装置のこと。言語によるコミュニケーションが困難な人のための、コミュニケーションツールです。俊太朗くんが初めに使ったのは、押す度にいろいろな音声が出てくる、ボタンが一つのスイッチでした。
マリさん:俊太朗は体を思うように動かせないし、そもそも意思自体どれくらいあるのか、私にはわからなかった。それまでいろいろな病院に通ってリハビリをしてきましたが、スイッチを押してみましょうと言う先生に出会ったことはありませんでした。だから、そんなことができるなんて信じられなくて、絶対無謀な取り組みだと思っていた。
「しゅんちゃんはきっとできるからやってみよう!」スタッフたちの応援が、俊太朗くんとマリさんを後押ししていきます。そして、マリさんが迎えに行ったある日のこと。
マリさん:「しゅんちゃん、できるようになりましたね!」って言われて。咄嗟に思ったんです、いやちょっとまぐれでしょうって。でも、それはまぐれではありませんでした。日を追うごとに、だんだん確実にできるようになっていってたんです。最初は本当にまぐれだったと思いますが、先生方の熱意と継続のおかげで、俊太朗は意思をもって押すようになっていった。
ここに通わなければ、スイッチというものがあること自体知らないままでした。教えてもらったからこそ、俊太朗にはこんなことができるんだと気づくことができた。本当にありがたかったなと思っています。

「スイッチ」を押す俊太朗くん
今、俊太朗くんが使っているのは赤と黄色の二つのボタンがついたスイッチです。2色のボタンを押し分けることで、「はい」と「いいえ」を伝えることができます。最近は、「赤を押して」と言ったら赤いボタンを押す、「黄色を押して」と言ったら黄色を押す、ということができるようになったといいます。
そして、のびのびと成長する俊太朗くんの姿は、マリさんにも元気をくれたのでした。
マリさん:これからも二次障害が出る可能性はありますし、手術や入院は続くと思います。それでも、俊太朗にできることが増えて、彼がちょっとずつ成長しているということは確か。将来のことを考えられなかったときよりは、前向きな気持ちになれています。
共に生きる時間を楽しく過ごしてほしいから
「偶然できたこと」を「確実にできること」に変えていく過程には、支えるスタッフの前向きな気持ちが不可欠でした。治療もリハビリも、楽しそうな雰囲気の中でやっていくということが、子どもにとっても、親にとっても大切なことだと、マリさんは気づいたのだそうです。
マリさんと俊太朗くん親子をはじめ、ボンボンに来るお子さんとその家族に対して、どのような思いで接しているのか、理学療法士の古閑さやかさんと、施設長の中本さおりさんに話を伺いました。

理学療法士の古閑さやかさん
古閑さん:最初はどうしても、この病気があるから、障害があるから、この子は何もできないかもしれないと考えてしまうと思うんです。でも、1個でもいいからその子が得意そうなことを見つけて、ほめてあげると、そこからいろんな可能性が広がっていくんです。
見つけるというより、「これはできるはず!」と思ってやっていますね。できなかったときはできなかったときでいいから。はじめからそう思って関わって、できるためには何をもうちょっと工夫したらいいのかを考えています。
寝返りができた。片手を動かすことができた。トイレトレーニングができた。どんなささいなことでも、その子の中での成長を日頃の会話や連絡帳で伝えることによって、お母さんの楽しみも増えるのではないかと古閑さんは言います。

笑顔で声をかけながら子どもたちのケアをするスタッフ
中本さんは、マリさんが俊太朗くんの出産後に感じていたような気持ちに寄り添って、次のように話しました。
中本さん:障害のあるお子さんを産んだお母さんたちの多くは、周りを責めたり、自分を責めたりしてしまいます。でも、元気になったり、悩んだりを繰り返しながら、必ず、少しずつ立ち上がることができる。今はこういう気持ちの段階にいるんだというを踏まえて、声かけをするようにしています。

ボンボン施設長の中本さおりさん
悲しむ時間を0にすることはできなくても、笑っていられる時間を少しでも増やすことができるように。家族みんながいかに楽しく過ごせるかということを大切にしてきた背景には、切実な理由がありました。
中本さん:ここに通う子どもたちは、常に命の危険と隣り合わせの子どもたちです。中には、どうしても短い時間しか生きられない子もいました。せっかくお母さんとお父さんのもとに生まれてきたのに、どこかに行くと命のリスクがあるからという理由で、ずっと室内で寝たきりのまま過ごすのは、その子にとって本当に楽しい人生なのだろうかと感じるんです。
でも、実際にどうやって遊ばせたらいいのか、わからないことも多いですよね。それなら、ボンボンのような専門的な人がいる場所をつくれば、障害のある子どもたちも安心して外に出て、四季折々の行事や子どもらしい活動を楽しむことができる。そうやって積み重ねてきたものが、私たちにはあるんです。
家族の幸せを一緒に考え、困ったことがあればいつでも頼ることができる心強さ。それは、マリさん自身の心の余裕にもつながるものでした。
障害のある家族と生きること
現在、俊太朗くんは週に3回ボンボンに通っています。俊太朗くんをボンボンでしっかり見てもらっている分、マリさんは、心おきなく家事をしたり、禮次朗くんとの一緒の時間をつくることができるようになりました。どうしても俊太朗くんにかける時間が多くなってしまうため、毎週木曜日は禮次朗くんは保育園を休み、マリさんと2人きりで過ごす「弟の日」にするなど、工夫をしているそうです。
マリさん:禮次朗に対しては日頃から、お兄ちゃんよりかまってもらえなくてかわいそうなんだ、と思って接しないようにしています。「親がかわいそうだと思って接すると、自分はかわいそうな子だと思ってしまう。反対に親が満たされた気持ちで接していると、子供は満たされた気持ちになる」と聞いたことがあったんですよね。

禮次朗くんもマリさんに甘えながらのびのびと過ごしています
お父さんは赴任先から帰るたび、「これができるようになったんだね」と二人のちょっとした変化を見つけて、ほめてくれるのだとか。普段一緒にいると自分が気づきにくいこともあり、それが励みになっているとマリさんは言います。
そして兄弟には、それぞれの個性が現れてきました。俊太朗くんは音楽を聞くことが好きで、禮次朗くんは車が好き。マリさんによると、禮次朗くんは車に乗るとき、こんなことも話すようになったそうです。
ママはここに乗って、ぼくはここに乗って。お兄ちゃんは寝ているから後ろの席に乗ってね!
兄の障害について全てを知らなくても、禮次朗くんは、その姿やマリさんの接し方を観察し、自分なりに考え、自然に行動しているのかもしれません。マリさんも、「お兄ちゃんには障害があるんだよ」ということを親の立場から言い聞かせる前に、ありのままを感じ取ってもらいたいと話します。
マリさん:親がこの子に対して、兄に優しくするようにとか、差別しないように、と言うのはどうかなと思うんです。それでは本当の意味で、障害について理解したということにはならないような気がして。兄や社会的に弱い立場にある人に対してどう接したいかは、自分自身で考えていってもらえればいいのかなって。
そのために、今がどんな状況で、私たち親がどのようにしゅんちゃんと楽しく生活しているか、悩んだり、乗り越えたりしているかを見てもらうことが、大事だと考えてます。禮次朗はまだ2歳だけれど、そういう姿を見せていってもいいと思うんですよね。
互いを思いやる他の家庭の兄弟の姿、障害のあるなしにかかわらず兄弟や友達が一緒に遊ぶ光景。病院やボンボンでそれらを目にしてきたからこそ気づけたことが、マリさんにはありました。
それは、障害のある人が身近にいる生活は、大変なだけの環境でも、特別な環境でもないということ。家族みんなで時間を共有できることは、それ自体が幸せなことなのだと、マリさんは話します。
その子にしかない幸せを一緒に見つけていきたい

禮次朗くんを抱きしめるマリさん
マリさん:実は、禮次朗は偏食が多くて、それはそれで十分悩んでいるんです(笑)。子育ての悩みは、障害のあるなしに関係ないですよね。
マリさんは笑顔を交えながら、「5年前の自分に声をかけるとしたら・・・」と言葉を続けます。
マリさん:これからも悩むことはあると思います。もしかしたら、悲観することも。でも、子どもに障害があろうとなかろうと、親としてできることはシンプルなんだよと伝えたいです。
それは、自分の子と他の子、もしくは障害児と健常児を比べることなく、どんなときも目の前にいるこの子をしっかりと見るということ。そして、その子ができることを少しずつ伸ばしてあげるということ。それが子どもの、ひいては家族の幸せにつながる。そう気づいたとき、私は心が少し楽になりました。
なぜなら、何をもって幸せと感じるのか、不幸と感じるのかは、人それぞれだから。たくさんのお母さんたちと話をする中で、そう思うようになったのだそうです。
マリさん:ある子にとっては幸せは、靴下を1人で履けることかもしれない。またある子にとっては、ご飯を残さず食べることかもしれない。そして、またある子にとっては、ボンボンに休まず通うことかもしれない。私は俊太朗なりの幸せを一緒に見つけていきたいと思いますし、それは禮次朗にとっても同じこと。そのことだけは、伝えられると思います。
俊太朗も禮次朗も、一生懸命に生きている命だから。俊太朗は、体が動かない少し不自由な世界にいるけど、懸命に息をし、度重なる発作に打ち勝ち、今日という日を120%の力で生き抜いている。小さな子どもだけど、本当にすごいな、私の誇りだなって思います。そして、ボンボンに通う他のお友達の命も、間違いなくキラキラ輝いていると思うんです。
マリさんは最後にもう一度、周りの人たちへの感謝の気持ちを口にしました。そして、いつかは同じような立場の人の力にもなりたい、と言葉を続けます。
マリさん:今、幸せな生活を送れているのは、NEXTEPやボンボンの人たちの支えがあったからです。このような取り組みや環境が全国的に少ないのなら、悩んでいるお母さんやお父さんが、まだ多くいるのかもしれません。それなら、自分たちが受け取ってきた希望、そしてこれからも受け取るであろう希望を、いつか、何らかのかたちで返していきたいと思います。
どんな家族にも、一緒に生きている時間を大切にできる幸せを
障害の有無に関係なく、その子にはその子の幸せがある。家族には家族の幸せがある。マリさんがいくつもの葛藤の中で出していった答えの一つ一つが、どんな立場の人にも勇気を与えてくれるような気がしました。
でも、それらはマリさんが1人で見つけたものではありません。家族の協力や他のお母さんたちからの励まし、そして、ボンボンのスタッフたちのサポートがありました。さまざまな人からもらった「この子にはこんないいところがある」という発見が、俊太朗くんの可能性を開き、マリさんの気持ちを支えていったのです。
ポジティブな変化のきっかけの一つは、マリさんたちがNEXTEPに出会ったことです。俊太朗くんは、ボンボンに通うことでたくさんの人に出会い、自分の世界を広げることができたのでしょう。そしてそれは同時に、弟の禮次朗くんの世界をも広げてくれたのです。
でも、社会にはまだ、外に出ること自体に不安のある家族がいるかもしれません。そんなとき、専門的な知識を活かして障害のある子どもの命をしっかり守ってくれる人がいたら、どんなに安心できるでしょうか。
どうしても短い時間しか生きられない子もいる
施設長の中本さんからそう聞いたとき、私はショックを受けました。でも、ボンボンのような場所があれば、たとえ時間が限られていたとしても、その子も家族もかけがえのない幸せを一緒に見つけられるはずです。
マリさんたちが受け取ってきた希望、そして、生きている時間を一緒に過ごせる幸せを、たくさんの家族が受け取れるように。熊本で出会えた親子の笑顔と、それを支える人たちの姿を、少しでも遠くまで届けることができたら、うれしいです。
関連情報:
認定NPO法人NEXTEP ホームページ
(写真/工藤瑞穂)