人は本来、一人ひとり違うもの。そう頭で分かっていたとしてもつい、自分と異なるものに出会うと戸惑ってしまうことがあります。
私が発達障害などがあるお子さんに教える仕事をしていたとき、自分の仕事について知人に話すと、少し戸惑った様子でこんな質問をされることがありました。
「障害児」って、どんな子どもたちなの?
教室で出会った子どもたちは実に多様で、とても一括りに説明することはできません。
コミュニケーションは苦手だけれど、信じられないくらいひとつのことに詳しかったり。じっと座っていることは苦手だけれど、ゼロからアイデアを生み出す力が強かったり。
学び方も、ものの感じ方も性格も、一人ひとりに異なる凸凹があり、それぞれに個性がありました。
これは、障害の有無に関わらず誰もに当てはまること。けれども「障害者」「健常者」と線引きをして理解しようとする人も多く、その空気感は、居心地が悪いなと感じていました。きっとそれは、子どもたちも感じていたかもしれません。
障害の有無関係なく「混ざり合う」場が地域にあれば、一人ひとり違うことを実感できる人が増えていくのではないか。それはすべての人を包み込む、やさしい地域社会へつながるのではないか。
そんなことを考えていたとき私は、「インクルーシブ学童」の存在を知りました。
障害や年齢関係なく「混ざり合う」インクルーシブ学童
「インクルーシブ」とは「包括的な」「包み込む」という意味です。
「インクルーシブ教育」とは、「障害の有無によって学ぶ場所が分けられることなく、一人ひとりの子どもの能力や困りごとが考慮されたすべての子どものための教育」のこと。
「sukasuka-kids」は、障害のある子もない子もともに過ごす「インクルーシブ学童」です。運営するのは、神奈川県を拠点に活動する一般社団法人「sukasuka-ippo」。もともとは横須賀エリアの障害児向けの教育や進学情報を届けるウェブサイトを運営しており、今年の4月にsukasuka-kidsをオープンしました。
横須賀市の久里浜商店街を歩くと、揚げもの屋さんやお弁当屋さんのある通りに「sukasuka-kids」と大きく書かれた建物が。
中を覗くと、ちょうどおやつの時間が始まろうとしている様子。何人かの子どもが、梨をむいたりお皿を並べたりして準備をしていました。
今日の日直さんお願いしまーす!
準備が整ったところで学童スタッフが声をかけると、2人の女の子が前に出てはにかみながら号令をかけました。みんなでテーブルを囲んで、お待ちかねのおやつタイムです。
おやつを食べ終えた子どもから、自由時間に。宿題を広げる子もいれば、駆け回って遊ぶ子、お昼寝をする子も。それぞれが思い思いに時間を過ごしています。
年齢や性別、障害の有無関係なく混ざり合っていて、大人も子どももみんなとっても楽しそう。誰もがのびのびと自然体です。
そのなかでひときわはしゃいでいる、弾けるような笑顔の女の子がいました。彼女の名前はうららちゃん。 重度の精神発達の遅れがある「アンジェルマン症候群」という疾患があり、今は小学2年生。地域の普通校の支援学級に通っています。
笑顔で出迎えてくれたのは、うららちゃんのお母さんである五本木愛さん。学童の運営母体sukasuka-ippoの代表で、内側からエネルギーがあふれるようなとても明るい方です。
五本木:障害の有無関係なく同じ空間にいる。そこで「育ち合い、学び合い、気づき合う」経験をする子どもを一人でも増やしたいんです。それが、差別や偏見をなくす一歩に繋がると思っているので。
こちらは、学童の現場リーダーである吉田弥栄子さん。幼稚園教諭でもある吉田さんは、テキパキとその場を回しつつ、子どもたちと関わるときにとても優しい表情を見せます。
吉田:障害のある子とない子”という区切りで子どもたちを見ることはないですね。ただその子が必要としているものがあれば助けるし、だめなことはだめと言います。
五本木さんと吉田さんは、もともと子どもを通して知り合った友人。吉田さんは幼稚園教諭として、園のクラスで支援が必要な子どもに個別のサポートをする「加配」の経験があります。それを知った五本木さんがsukasuka-ippoとしてインクルーシブ学童を立ち上げる際に吉田さんに協力をお願いしたのだといいます。
sukasuka-kidsには現在、小学1年生から5年生まで合計12人の子どもたちが通っています。
障害がある子のなかには、特別支援学校に通う子、普通校の支援級に通う子もいれば、発達障害の特性があっても診断基準に満たない「グレーゾーン」で普通級に通っている子も。
スタッフは学童に通う子どもたちの保護者のほか、近所に住む主婦や大学生によって構成されています。
娘に病気があると知って、自分を責め抜いた
子どもや保護者一人ひとりに、明るく前向きな言葉をかけている五本木さん。うららちゃんが生まれてから、学童立ち上げに至るまではいろいろな思いがありました。
五本木家の4人目の子どもであるうららちゃんにアンジェルマン症候群の疑いが出たのは、生後1歳を過ぎたころでした。
アンジェルマン症候群とは15番目の染色体異常が理由で起きる指定難病で、重度の精神発達の遅れ、てんかん、失調性運動障害などの特徴があります。
五本木:生きてきたなかで一番辛い出来事でした。
うららちゃんの病気に気づいたときを、五本木さんはそう振り返ります。
五本木:女の子なのに結婚も無理なのか、子どもを産んで育てるということを私はこの子から奪ったのか。そんなことを考えて、「ちゃんと産んであげられなくてごめんなさい」と思ってしまって。上の子たちが小学校へ、旦那が会社へ行ったあとに、うららを抱きながらオイオイと声をあげて泣いていました。自分を責めることで、事実と向き合うことから逃げていたんだと思います。
それほど落ち込んだ状態から今の明るさを取り戻すまで、どのような心の変化があったのでしょうか。
きっかけのひとつは、うららちゃんが泣いている五本木さんのもとに四つん這いでやってきて、涙を拭こうとしてくれたことでした。
五本木:その姿を見て、健気だなって。私はこの子に病気があることを、かわいそうだと思っている。でももしかしたらこの子は、かわいそうではないのかもしれない。私がかわいそうだと思ったらだめなんじゃないかと思ったんです。
さらに五本木さんは自分自身のことを責め抜いた結果、「私が死んだらうららはどうなるんだろう」という考えに行き着いたのです。
五本木:私が死んだあともこの子が生きていけるようにしなくてはと思ったら、考えがシフトしていきました。こんなふうに泣いて過ごしていたら、うららはあっという間に大きくなってしまう。泣いている場合ではないなと。
うららちゃんに正式に病名の診断がおり、幼稚園を選ぶ頃には五本木さんは、「これから何をすればいいか」と気持ちを切り替えていました。
そして、ひとつの目標を決めます。それはうららちゃんを特別支援学校ではなく、地域の普通校に通わせるということ。目標に向けて、うららちゃんを障害児向けの療育園だけではなく、地域の普通幼稚園にも通わせ始めました。
これは自分にできることを考え抜いた五本木さんが出した、ひとつの答えだったのです。
学校を卒業した「その先」を考えたら、大事なのは地域とのつながりだった
「療育」とは、障害のある子どもの発達を促し、自立して生活できるように援助すること。多くの場合は、生活に必要なスキルを身に着けるための専門的な訓練を行います。
障害がある子どもを持つ親御さんのなかには、「みんなと同じようにできるように」「人に迷惑をかけないように」という一心で療育に励む人もいます。しかし五本木さんの考えは少し違っていました。
五本木:大人になってもうららは、人の支援を受けて生きていくと思います。だから、彼女の個のスキルを伸ばすことだけに力を入れるのではなく、もっと彼女を外に出してあげたい。同じ地域のなかに、うららのことが大好きで「そんなのやってやるよ」と支えてくれる人たちが一人でも増えていくほうが、彼女は幸せに生きていけると思ったんです。
これが、家から離れた場所にある特別支援学校ではなく、兄弟児童も通う地域の小学校にうららちゃんを通わせたいと思った理由でした。
そう考えるようになったきっかけのひとつに、障害のある子どもを持つ先輩保護者からの一言がありました。
子どもが小学校に進学する学齢期になれば、必要とされるスキルを身につけさせないとって考えるでしょ。でもね、この子の長い人生を考えたら学齢期なんてすごく短いよ。
それ以降は就労したり生活介護を受けたりしていくわけだけど、そちらの期間の方が断然長い。だからそのために必要なものは何かも考えた方が良い。
親としてはどうしても、子どもが「今」できないことに目を向けてしまうかもしれません。大人になったら?その先の生活は?というところまでは、考える余裕がない場合も多いでしょう。
実際、五本木さん自身もそうでした。でも少しずつ、子ども「個人」だけではなく周りの「環境」にも目を向けるようになったといいます。
五本木:もちろん療育も大切で、否定するつもりはまったくありません。ただ、「今」だけを見て「療育で身につけさせるべきだ」と思うことのなかには、ずっと先を見据えると、こだわる必要のないことが含まれている場合もあると思うんです。なのでコミュニティや就労、生活介護の情報を調べたり、先輩保護者に話を聞いたりしてみるといいんじゃないかなって。
五本木さんが参考になったのは、先輩保護者の数々の経験談。中には、「外から帰ったらすぐにトイレに行く」と療育で身につけさせたものが、就労してから本人の「こだわり」となってしまった。それが就労先の福祉施設のスタッフを苦労させることになってしまい困っている、という話がありました。
五本木:子どもが小さいうちは「本人にスキルをつける」ことにすごく一生懸命になってしまいがちです。けれど、先輩の経験談に耳を傾けてみるとちょっと肩の荷が降りて、「ここはそんなに頑張らなくてもいいかも 」とか、「この子も辛いのかもしれない」とか、思えるようになるんですよね。
自分より先を歩いている先輩たちの言葉によって、うららちゃんの「その先の人生」に目を向けるようになっていった五本木さん。こうして「地域のなかにうららちゃんの居場所をつくる」という軸ができていったのでした。
ごちゃ混ぜの環境で、うららちゃんも周りの友達も育ち合っていた
五本木さんは、「地域の普通校に通ってもらいたい」という目標のもと、うららちゃんを療育園と普通幼稚園の両方に通わせていました。
「個のスキルを身につける」という点では、普通幼稚園には期待をしていませんでしたが、蓋を空けてみると、うららちゃんはそこで目覚ましい成長を見せたのです。
例えば、身辺自立の一環であるトイレトレーニング。うららちゃんは療育園では決められた時間になるとトイレに連れて行ってもらうやり方でトレーニングを受けており、自分で尿意を感じてトイレに向かうことはまだ難しい状況にありました。
ところがある日、うららちゃんが自宅で初めて自分からトイレに行くことができたのです。感動した五本木さんは早速、普通幼稚園の先生に報告しました。そのとき、先生から返ってきた思いもよらないひとことに、五本木さんは唖然とします。
うららちゃん、けっこう前から自分でトイレ行ってますよ。
実はこのようなエピソードは他にもいくつかあり、自分で箸を持ってごはんを食べるのも、家や療育園よりも普通幼稚園で先にできていたのです。
五本木:療育園では同じように重度の知的障害のあるお子さんと、少人数での指導が多かったんですよね。対して普通幼稚園だとお友達が周りにたくさんいて、みんな自分でトイレに行く。それを見て、うららも自分で行くようになったのだと思います。箸の持ち方も、はじめは一生懸命教えようとしていたんですよ。でも年長になると園のお友達が使っているのを見て、自分も箸がいいと要求しだして。お弁当のときにスプーンやフォークと一緒に入れるようにしたら、いつのまにか普通に箸を使って食べていたんですよね。
もちろん子どもによっては、少人数や個別対応のほうがスキルを伸ばせる場合もあります。しかしうららちゃんは、友達がやっていることを自分もしたいという気持ちが強いタイプ。そのため結果的には、普通幼稚園で学んだことやできるようになったことがすごく多かったのです。
ここまでの話を聴いて、私は五本木さんに尋ねました。
地域に居場所をつくったり、障害のないお子さんと過ごすことで成長できたり。「障害のあるお子さんにとって」ごちゃ混ぜの場があることが大切だと実感したからこそ、インクルーシブ学童を立ち上げたんですか?
すると五本木さんは、首をかしげました。
五本木:うーん、障害のある子のため、という感覚ではないですね。障害の有無関係なく、”みんなのため”になると思ったからです。
というのも普通幼稚園では、うららちゃんの成長と同じくらい、周りで過ごす子どもたちの成長を目の当たりにすることが多くありました。
例えば工作の時間。子どもたちは色鉛筆や折り紙を選んでもらうとき、発語のないうららちゃんに対して「何色がいい?」などと聞きません。全部の色を両手でがばっと持ってきて、うららちゃんに指差しで選んでもらうのです。
大人の誰かが「こうしてあげなさい」と言ったわけではないけれど、4歳の子たちは自然と、そう関わることができていたのです。
五本木:自分も発達障害ではない定型発達の子を育ててますけど、障害のある子に対して「相手がどう思っているかな」と考えることは、人として心の成長につながると思うんですよね。小さい頃から当たり前にそれをすることは、子どもたちの心の栄養にもなっているんだろうなって。だからインクルーシブ学童をつくったんです。障害のある子とない子、両方にいい作用が生まれる。互いに育ち合い、学び合い、気づき合うと思ったから。
sukasuka-kidsのリーダーである吉田さんも五本木さんのこの考え方に共感して、学童の立ち上げに加わりました。
吉田:子どもの社会って意外と大人の社会よりもシビアで、すごく厳しい。自分と違う者に対して、「そんなことを言っちゃうの?」というようなきつい言葉をぶつけることもあります。けれども違いを受け入れるとすごく優しい、ということもわかっていました。だから、同じ空間にともにあるという場をつくることにすごく共感できたんですね。「障害」というのは誰にあってもおかしくない、たまたまそうだっただけのものだと受け止めていて。「違う」という理由で分けるのではなく、分け隔てがないほうが普通だと思います。
「育ち合い、学び合い、気づき合う」sukasuka-kidsの子どもたち
五本木さんや吉田さんたち、sukasuka-ippoのメンバーの想いを乗せてオープンしたsukasuka-kids。ここには、年齢や障害の有無関係なく、子どもたちが互いに助け合ってともに過ごしている日常があります。
五本木さんと吉田さんはとても楽しそうに、子どもたちとのエピソードを紹介してくれました。
例えば障害のある子からのボディタッチが多いとき。「はいはい」と受け入れたり、嫌なときは「やめてね」と伝えたりと、適度に距離を持ちつつ自然と接している。大人だとつい構えてしまいそうですが、学童の子どもたち同士の関係性では、障害のあるなしでは線引きがないのでしょう。
五本木:私も自分が障害のある子の親として、定型発達の子がいる場所で「迷惑かけてないかな」「お友達に嫌な思いさせてないかな」と思ったりするんです。けれど、ここの子どもたちに会うと、「今日うらら来るー?」「何時に来るー?」とよく聞かれるのが、うれしくて。朝、家で私が学童の支援員Tシャツを出すとうららは、「らら、じゅ?じゅ?」(「うらら行くの?」)と聞くので、「行きたいの?」と聞くと「うん」と言う。ちゃんと居場所ができて、そこにいることが彼女にとって当たり前になっていること、それを友達も普通に受け入れているということを感じます。
吉田:「パパ・ママ」しか言葉の喋れない子がいます。歩き方がぎこちなく、立ち上がりが不安定な子がいます。でも、「どうしてこの子はこれだけしか喋れないの」「どうしてちゃんと歩けないの」、そして「どうして一人ではできないの」などと聞いてくる子は誰一人としていないんですね。この子がここにいることが当たり前で、僕が私がここにいるのも当たり前。だからいっしょに遊ぶんだ。そんな意識が最初から子どもたちの中にあって、特別不思議ではないんです。
一人ひとりできることやできないことが違うことが当たり前という環境だからこそ、子どもたちは普段から、困ったことをみんなで考えるようになる。sukasuka-kidsでは、よく見られる光景があります。
吉田:遊びのなかで誰かが拗ねてしまったとき、「何を思っているのか聞いてあげないと」「この子が入って遊べる状況をつくらないと」と子どもたち同士で考え始めるんです。そのなかで「きっとこう思ってるんだよ」と代弁してあげる子がいたり、「ルールを変えてみる?」と提案する子が出てきたりします。まあ、ちょっとお節介な面もありますけど(笑)
私たちも、1年生の子が3年生の子の皿を片付けているところを見かけました。助けてもらう子もそうですが、助ける子もなんだか生き生きとしてうれしそう。
五本木:常に定型発達のお子さんが障害のあるお子さんに対して助けてあげる、というわけではないんですよ。共にカバーし合うことが普通にできている。それに心の成長は、障害の有無や重さと関係ありません。子どもによって体が動かない、言葉が出ないというような不自由さは持ってはいるけれど、「助けてあげたい」「助けてもらいたい」という心は同じようにそれぞれにあるんですよね。
人の役に立てているという実感を持つことで、その居場所はより居心地が良くなる。これはきっと、年齢や障害の有無を超えて誰もに言えることなのだと思います。だからこそsukasuka-kidsには、子どもたちや大人たちみんなの居場所になっているのでしょう。
障害のない子にとっての、インクルーシブ学童
sukasuka-kidsに通う定型発達の子の親御さんは、障害のある子とともに過ごすこの居場所について、どう思っているのでしょうか。
お話を聞いたのは、小学3年生のれなちゃんのお母さんです。
れなちゃんはこの日、支援員の手伝いをしておやつの準備をしたり、昼寝をしている1年生の頭をなでたり、支援員に甘えて飛びついたりと様々な表情を見せていました。
とても人懐っこい活発な子だというイメージでしたが、お母さんいわく、ものすごく人見知り。以前に通っていた学童でトラブルがあってやめてしまい、途中から入れるところを探しているうちにsukasuka-kidsを知ったのだといいます。
れなちゃんはsukasuka-kidsが大好き!以前の学童には行きたがらなかったのに今では、お母さんの仕事が休みの土曜日まで「行きたい」といい、sukasuka-kidsで過ごしているのだとか。
お母さん:すごくのびのび過ごしているなと感じます。家ではゲーム機などおもちゃがないと遊べないのに、ここでは友達といっしょに工作や遊びを夢中になってやる。家でもお友達の話をたくさんしてくれます。
お母さんはにこにこしながらそう話してくれました。
障害のある子もともに過ごすことで、何か特別なことはありますか?
私が事前に用意していたこの質問に対して、お母さんは「特に…。困っている様子もないですし」ときょとんとした様子。
子どもたちの間に線引きがないから、「障害のある子と過ごす」という特別な意識ではないのでしょう。ただ一人の人間として受け入れられ、自然体で過ごせる。シンプルにそんな居場所は、れなちゃんにとってうれしくて、大切なのだと思います。
大人の在り方が、インクルーシブな子どもの居場所を体現する
「育ち合い、学び合い、気づき合う」場所を体現するために、大人は何を大切にして子どもたちに関わっていけば良いのでしょうか。
支援員が大切にしていることとしてまず吉田さんがあげたのは、「大人が先回りしないでその子自身に挑戦させること」。
吉田:例えば友達に話しかけにいくことができないという子がいたとして、初めから代弁してあげるわけではありません。「そばにいるから話してみたら」とか、それでも言えなかったら「せーのでいっしょに言う?」とか、大人はきっかけをつくって子どもが自分で参加できるようにしていく。これは障害の有無や重さ関係なく、です。
日直をはじめとする学童内の役割も、すべての子どもたちが挑戦できるよう工夫しています。
発語のない子には「いただきます」「おはようございます」などと書かれたプレートを用意して号令をかけてもらったところ、すごくうれしそうに前に出ていくようになったこともあるのだとか。
吉田:前に立ってみんなが見てくれていることや、自分も仕事をして役に立てることがうれしいんですよね。無理はさせないけれど、その子が挑戦する隙間を残しておくんです。するとその子のできることがわかって、他の子からお手伝いをお願いされることもある。そういう関わりを増やしていきたいですね。
一方で、支援の必要な子どもたちが多いからこそ、子ども同士のトラブルもつきもの。そのことは保護者にもあらかじめ伝えているのだといいます。
吉田:「子どもたち同士でどこまでぶつかれるか、解決に導けるかを、大人が介入しすぎないように気を付けつつ、サポートします」と、親御さんには予め伝えています。時には激しいぶつかり合いになることがありますが、それはご了承くださいと(笑)
子ども同士が衝突したときの大人の介入の仕方は、支援員が日々模索していることのひとつ。
喧嘩が始まっても支援員はすぐに介入しません。少し離れたところからその様子を見守ります。できるだけ自分たちで折り合いをつけて、解決してほしい。そのプロセスによって互いが育ち合うと考えているからです。
吉田:とはいえ、子どもたちの表情からは目を離しません。気持ちのブレーキがきかなくなると、目が真剣になってきて、取っ組み合いになることもある。すると「もうやめようか」と言って間に入り、必ずお互いの言い分を聞いてあげる。そのうえで、「ごめんなさい」はちゃんと言おうね、と伝えるんです。
支援員は子どもの気持ちに寄り添いつつ、他の子の気持ちを考える手伝いをすることもあります。
例えば、「喧嘩相手が謝ってくれない」と憤慨している子どもがいたとき。吉田さんは「普段は○○ちゃんもごめんねが言えるのに、今日はなんで言えないんだろう?」と子どもに問いかけます。「いつもと違う思いが何かあるのかなあ」とさらに深掘ると、子ども自身が考え始めるのだとか。
吉田:「私がこれを相手にやったからかもしれない」と自分で気づけるときもある。私が「じゃあどうしたらいいのかな」と問いかけると、その子から謝って、相手の子も謝ってくれた、ということもありました。
「育ち合い、学び合い、気づき合う」場をつくるには、多様な子どもたちをただ受け入れるだけでは難しい。間に入る大人一人ひとりの「在り方」によって初めて、そのような場を体現できるのだと思います。
ご自身の大事にしている在り方を問いかけてみると、こんな答えをくれました。
吉田:子どもたちはともに過ごすことで、互いの良さを知る。でもそれには限界があるから、外で見てる大人がちょっと口添えするだけで、お互いが認めあえることを大事にできる。そんなふうに在りたいですね。
あくまで子どもが主体で、必要なときには大人が間に入る。その塩梅に正解はないからこそ、支援員自身にも人と人としての向き合い方が問われる難しさがあります。
しかしsukasuka-kidsの支援員は、保育や教育が専門ばかりではなく、いろいろな分野から集まっています。吉田さんは支援員へのサポートをどのように行っているのでしょうか。
吉田:子どもの特性に合わせて伝え方を変えることは伝えています。あとはケースバイケースなので、こまめに支援員同士の対話の時間をとる。「このケースをどう思うか」「どんな対応が必要だったか」を一緒に考えるようにしています。
さらに吉田さんは、「保育経験のある自分が優れているわけでは決してない」と付け加えます。
吉田:ただ子どもと接することの場数を踏んでいるだけで、私のやることや思っていることがすべてではない。支援員一人ひとりの良さや持ち味があることを、子どもたちもよく見ています。
教育や保育の専門知識がなかったとしても、一人ひとり異なる多様な大人が子どもたちと向き合うこと。これこそが本当の意味での「インクルーシブ」なのかもしれません。
インクルーシブな地域社会を目指して
最後に改めて五本木さんと吉田さんのお2人に、「インクルーシブな地域」とはどのような状態を指すと思うか尋ねてみました。
五本木:お互いの違いを認めあい、ともに過ごしていけるということですね。障害者はこっち、健常者はこっち、と分断するのではなく、それぞれが互いに違うことを前提としたうえでいっしょに暮らす。それが、インクルーシブだと思っています。インクルーシブな地域社会は「誰にとっても」生きやすい場所になります。障害に限らず何らかの生きづらさを抱えている人が、一人努力をして、みんなに合わせなきゃいけないということではない。その人がありのままでいられて、できる人が「大丈夫?」と声をかけて支え合える、そんな地域がいいですよね。
吉田:今の社会では障害の有無で分け隔てられることが普通で、混ざり合うほうが特別。だからそこに「インクルーシブ」という言葉がつきます。「インクルーシブ」という言葉がいらないくらい、ともに在ることが当たり前な地域をつくりたいですね。
互いに「育ち合い、学び合い、気づき合う」。障害の有無関係なく混ざり合う放課後の居場所は、初めて訪れた私にとっても居心地の良い空間でした。sukasuka-kids支援員のほとんどが教育や心理の専門家ではなく「地域の大人たち」であることは、このような場を広げるための鍵であり希望でもある気がしています。
障害のある子に接するのがごく一部の専門家だけに限られてしまったら、そうでない人から分断されてしまう今の状況は変わらないでしょう。
日常的に多様な子どもたちや地域の大人が支え合い、寄り添ってくれる大人が子どもの周りに何人もいる。そのベースがあったうえでなお、支援の必要な子が専門家の支援を受けられるようになれば、子どもたちは今よりずっと安心して育つことができるはずです。
ごちゃ混ぜの場で育ち合った子どもたちが大人になったとき、「互いに違う」ことが当たり前とされる地域ができるはず。そこにあるのは、誰かを支えたことがめぐりめぐって自分に還ってくるような、やさしいつながりではないでしょうか。
インクルーシブな社会はきっと、あなたにとっても私にとっても生きやすい。そんな場をまずは自分の足元からつくるべく、人との違いに向き合い楽しむ仲間を増やしていきたいと思います。
関連情報
一般社団法人「sukasuka-ippo」 ホームページ
(写真/馬場加奈子、協力/佐藤碩建)