大切な人に気持ちを伝えるとき、やさしい心遣いを受け取ったとき、私の手の中にはいつも、あるお菓子がありました。それは、チョコレート。相手のことを考えながら、選んだり、食べたりする時間も幸せですよね。
誰かが幸せを手に取る瞬間が、作り手の未来にもつながっていくように。そんな願いとともに生まれたチョコレートがあります。
「久遠(くおん)チョコレート」は、主に障害のある人たちがショコラティエとなり、日本中においしさを届けているチョコレートブランドです。全国の福祉事業所と力を合わせて、障害のある人たちが社会で活躍する場を作りつづけてきました。
今回紹介する「久遠チョコレート熊本店」で働いているのは、病気や対人関係への不安、不登校などの挫折経験がある若者たち。でも、チョコレートに向き合うときの姿勢はいつだって、一人前のショコラティエです。
チョコレートで未来に笑顔を増やしたいから。それは食べる人に限りません。
そんな久遠チョコレートの思いは今、新たな形で実現されようとしています。
素材と工程、作り手の未来にこだわったチョコレート
久遠チョコレートには、大きく3つのこだわりがあります。「障害のある人たちが作るから」「就労支援が必要な人たちが作るから」という理由ではなく、おいしいからこそ選んで買ってもらうということを大事にしているためです。
まずは、素材選びです。海外のカカオ原産国から届いたピュアチョコレート(余分な砂糖や植物油脂を使用していないチョコレート)を、商品ひとつひとつに合わせてセレクトしています。
次に、作り方。チョコレートを混ぜ合わせるときは、機械や余分な油を使わず、すべて手作業で行っています。温度調整をしながら時間をかけて混ぜていくことで、よりなめらかな口当たりのチョコレートを作ることができるのだそうです。
そして最後は、ショコラティエとして働く人の未来を作るという、人材育成の視点です。
本質を理解し、ちょっとしたルールを守れば、実は難しい技術はいらない。そして本物の材料を使いさえすれば、チョコレートは手作業で価値が生まれる。
そう考えるプロジェクトリーダーの夏目浩次さんは、これまで20を超える店舗を全国に展開し、障害のある人たちの社会参加を応援してきました。
熊本店は、その中で初めて、「障害者手帳を持っている人たち」に限らないスタッフを雇用した店舗です。障害のあるなしに関係なく、生きづらさを抱える若者たちも、久遠チョコレートの担い手として働きながら、成長することができるのです。
チョコレート作りを通して社会へのステップアップを目指す
熊本市中央区上通町にある、ガラス張りの建物。2017年11月、落ち着いた雰囲気の通りの一角に、久遠チョコレート熊本店はオープンしました。2018年1月現在、15~19歳の若者たち8人が、製造・販売のアルバイトをしています。彼らはここで就労体験を積み、一般企業などへの就職を目指します。
運営しているのは、熊本県合志市に拠点を置く認定NPO法人NEXTEPです。重度の障害や病気を抱えた子どもとその家族を支える訪問看護ステーションの運営、農作業体験を通じた不登校児の支援活動などを行っています。
この日は、熊本店店長の森野瞬さんと一緒に、NEXTEP代表理事で医師の島津智之さんも、黒い制服に身を包んで店に立っていました。島津さんは仕事の合間を縫って店を訪れ、チョコレート作りを手伝いながら、スタッフの様子を見守っています。
水色のシャツに、紺色のエプロンを着て作業をしているのがアルバイトのスタッフです。製造を担当する人は、店内からガラス越しに見える厨房でチョコレートを作ります。
この日は休日だったこともあり、お昼から途切れることなくお客さんが来店していました。家族連れでたくさん購入していく人、一人でじっくり風味や食感を吟味する人・・・・・・。「ありがとうございました」という気持ちのいい声が店内に響き、「QUON」の袋を持ったお客さんが笑顔で帰っていきます。
目にもおいしいチョコレート、ひとつひとつに心をこめて
熊本店には、約50種類のチョコレートが並んでいます。定番の板チョコのほか、粒状のチョコを缶に詰めた「久遠缶シリーズ」、京都の老舗おかきを、久遠オリジナルのチョコレートでおおった「おかきシリーズ」など。その場で飲めるホットドリンクもあります。
棚には、県のPRマスコットキャラクター・くまモンの姿も!「買ってほしいんだモン!」という声が聞こえてきそうです。
店内で最も注目を集めていたのが「久遠テリーヌ」です。さまざまな風味のチョコレートベースにアーモンドやドライフルーツなどを混ぜて固めたもので、この日のラインナップは10種類。この中の一部を、熊本店で製造しています。
久遠テリーヌの特徴の一つは、固すぎず、やわらかすぎない、独特のなめらかな食感です。おいしい久遠テリーヌを作るには、緻密に温度調整をしながらチョコレートを混ぜ合わせていくテンパリングの作業が重要なのだそう。集中力が求められる1時間、スタッフの表情が引き締まります。
チョコレートの作り方は、島津さんたちが愛知県にある本店で研修を受け、スタッフの皆さんに教えたのだそう。練習を積むこと約1カ月、それまでアルバイトを始めるまで料理をしたことがなかったというスタッフも、立派なショコラティエとなりオープンを迎えました。
子どもたちが社会に出て働くまでの橋渡しを
これまで障害者の雇用に力を入れていた久遠チョコレートと、さまざまな事情を抱える子どもたちを支援してきたNEXTEPが出会った背景には、どのような課題があったのでしょうか。
熊本店を立ち上げる話は、実は数年前から、別の福祉事業所との間で進んでいたといいます。しかし、2016年の熊本地震の影響などで、実現が困難に。そこで手をあげたのが、NEXTEPでした。プロジェクトの代表である夏目さんと面識のあった島津さんは、かねてから久遠チョコレートのコンセプトを魅力に感じていたといいます。
医師として、またNEXTEPでの活動を通して、子どもたちと向き合ってきた島津さんは、次のように話します。
島津さん:子どもたちの中には、障害者手帳を持っていない子もいます。でも、持っていないからといって、何も問題がないわけではない。たとえば、自律神経の問題で、毎朝学校に行くことがどうしてもできないという子もいます。そういう子たちがいきなり一般就労の場で働くことは、結構大変なことなんです。
たとえば、通信制の高校で卒業資格を得ることができても、次の進路を考えるための時間やサポートが足りなかったり、アルバイト先で無理なシフトを組まれても、がんばりすぎて体調を崩してしまったり。
家庭環境や、学校でのつらい経験による対人関係の不安など、障害以外のさまざまな悩みを抱え、助けを必要としている若者は少なくありません。でも、障害者手帳を持っているかどうかで、受けられる支援が限られてしまうこともあります。こうした現状を少しでも変えたいと、島津さんは久遠チョコレートとともに、新たな一歩を踏み出したのでした。
島津さん:いまは社会に出て働くことが難しくても、少しの配慮があればがんばれるはずだから。それなら、働きながら少しずつステップアップしていってもらえればいい。社会に出て働くまでの橋渡しをして、子どもたちを応援する仕組みが必要だと思っていたんです。
福祉事業所と連携している他の多くの店舗と異なり、熊本店では、障害者手帳の有無に関係なく、配慮が必要な若者をスタッフとして雇っています。そのため、経営の仕組みは一般の飲食店と同じです。スタッフには「工賃」ではなく、県の最低賃金以上の額の「給料」が支払われます。
働きながら自信を持ってもらうために
意志をもってアルバイトを始めたからには、必ずステップアップしていってもらえるように。熊本店では、スタッフが無理なく働き続けるための工夫をしています。たとえば、就業時間は1日4時間半まで、シフトに入れる日は週に3日まで、連続勤務は2日まで、といった上限の設定。島津さんも店を訪れては、一緒に作業をしながら体調や進路の相談に乗っているそうです。
島津さん:面と向かって話をすると、子どもたちは緊張してしまうから。それに、実際に働いている様子を知らないと、できない話もありますよね。病院に通いながら来ている子もいるので、僕はあまり出しゃばりません。先の道筋をちょっと一緒に考えることができたらいいのかなって思っています。
社会への一歩を踏み出しつつあるスタッフたちの気持ちには、どのような変化が生まれたのでしょうか。チョコレートを作っていた、上村くんに話を伺いました。
上村くんは通信制高校の1年生。人とのコミュニケーションが少し苦手なため、店では製造専門のスタッフとして働いています。チョコレートへの関心も、料理の経験もなかったけれど、「ここでなら働けるかもしれない」と思い、アルバイトを始めたのだそうです。
上村くん:お金を稼ぐことは大変だし、疲れるときもあります。でも続けるうちに、しんどくてもなんとかなる、なんとかできる!って思えるようになりました。自分が作ったチョコレートを買ってもらえる瞬間は、やっぱりうれしい。がんばって作っているので、本当にうれしいです。
今では、市販のチョコレートの裏面を見て、成分を調べたり、どうやって作っているのかを想像したりするのが楽しいのだとか。次の目標をたずねると、熊本ならではのお茶や食材を使ったチョコレートを考えてみたいと、笑顔で意欲を語ってくれました。
スタッフとして成長する若者たちの姿を見守りながら、島津さんは話します。
島津さん:自分で作ったチョコレートが誰かの手に届くという経験は、自信になっていると思いますね。ただ、どんなに居心地が良くても、ここでしか働けないというわけにはいかない。少しずつ新しい目標を立てながら働いていってもらえれば、頼もしいですね。
制度に頼らず、職業訓練の場を提供する。その裏には、スタッフへの配慮を十分にしつつも、確実に売り上げを伸ばさなければいけないという厳しさもあります。でも、熊本店がモデルケースになれば、他の地方都市でも同じような支援の輪が広がってくれるはず。将来を見据える島津さんの言葉から、久遠チョコレート、そして若者たちの力に確かな手応えを感じている様子が、伝わってきました。
作る人にも、食べる人にも長く愛されるチョコレートへ
「少しの配慮があれば、がんばれる子たちなんです。」島津さんは、スタッフひとりひとりの顔を思い浮かべて話しているようでした。
その「少し」を実現すること・しつづけることは、簡単なことではないのかもしれません。でも、「ショコラティエを成長させる」という久遠チョコレートの発想と、子どもたちの可能性を信じ、彼らの背中を押し続ける大人の力。それらが既存の制度の枠を超え、今日もチョコレートを買いに来る人たちの生活の中で、確かに実を結んでいます。
自分が働きかけることで、誰かを少しでも笑顔にできること。そして、それを実感できること。どんな立場の人にとっても、その喜びは、またがんばってみようと前に進む力になるはずです。チョコレート作りを終えるときが来た若者たちが、その先の未来へ踏み出す力にも。
作る幸せ、食べる幸せを届けてくれる久遠チョコレートが、その名の通り長く愛されることを願って。照れくさそうに、でも誇らしげに話してくれた、ショコラティエ・上村くんの言葉を添えたいと思います。
久遠チョコレートは、チョコレート本来の味を純粋に味わえます。ぜひ1回来てみて、他のチョコと食べ比べてみて、それで、好きになってもらえたらうれしいです。
(撮影/工藤瑞穂、神島つばさ)