【写真】おばあさんと笑顔で向き合う、かなせさん

こんにちは!社会福祉士、精神保健福祉士の叶世美奈です。

私は、主に知的障害のある方が入所や通所し利用している施設「社会福祉法人みずき福祉会町田福祉園」で、生活支援スタッフとして働いています。

また、「障害福祉の魅力を発信したい」という思いのもと、とても微力ではありますが、noteで私自身の想いや仕事のことを書いて発信をしています。

「福祉の仕事を好きだという人、目指したいと思う人は少ない」という声を聞いたとき、とても驚きました。私は学生のときに福祉の仕事をしたいと目指しはじめ、今に至ります。そして、この仕事がなによりも大好きです。

でも、「福祉の仕事って大変でしょう?」「つらい仕事だよね」と言われてしまうことがあります。私は本当に毎日楽しく仕事をしているので、それを少しでも伝えることができたら、福祉の仕事や障害のある人に対するイメージも変わるのではないかと思っています。

大好きな障害福祉の魅力をもっと知っていただけるといいなぁ、柔らかくて優しい社会になったらいいなぁという思いを込めて、私のお仕事のこと、そして私自身のことをお伝えしたいと思います。

人と話すことが怖くなった、高校時代

小・中学校の頃の私は「人見知り」という言葉を知らないような、活発な性格でした。人と話すことに苦手を感じたことはなく、学級委員のようなリーダーをやりたがるような子どもだったと思います。

その一方で、なかなか周りの人と馴染めず、あまり仲が良い友達はいませんでした。クラスの人たちに無視をされたり、移動教室の時にはだいたい1人だったり、仲間外れにされてしまったり。

当時の私は「どうしてこんなに嫌われているのだろう」と思いながらも、その理由が分かりませんでした。友達とうまくいかないことは悲しいし、どこにいても居場所がないような寂しさを感じていた日々。

いろいろ考えた末、高校に入学するころには、「嫌われる理由はきっと、“活発だ”と思っていたその性格が、実はとてもわがままで自分勝手だった。いわゆる“空気が読めない”性格だったからではないか」と思うようになりました。

【写真】両手を重ね、まっすぐな視線をカメラに向けるかなせさん

高校進学では、私は英語が大好きだったので、国際協力に力を入れている、地元からは少し離れた学校を選択。同じ中学校の人は少なかったので、今までのような、周りの人に嫌われてしまう性格を変えたいと思いました。

リーダーのような目立つ役割はやらないし、誰にでも話しかけるようなことはやめて、できるだけ大人しくする。そして周りの人たちの空気を読む努力をして、ゆっくりと仲良くなっていけるような人間関係を築きたい、と思いながら過ごしました。

そのおかげもあって、1年生の5月頃には仲の良い友達が出来たんです。しかし、やっぱりどこか、私にはダメな部分があったのだと思います。6月頃、仲が良いと思っていた友達からメールで「明日からもう美奈とは一切話さないから」と言われてしまいました。今振り返ると、きっときっかけは些細なことだったのだと思いますが、その時のショックは今でも鮮明に覚えています。

自分を変えようと努力して、やっと出来たと思っていた友達からも、そんな言葉をかけられてしまった私。もうどうしたら良いのか分かりませんでした。

やっぱり私はみんなから嫌われるんだ。

どうしてなんだろう。もうどうしたらいいのか分からない。

そんな思いしかなく、人見知りを知らなかった私が嘘のように、人と話すことが怖くなりました。

それからは、無意識のうちに学校にいるときはいつも下を向いて、周りの人とは最低限のことしか話さなくなりました。私はもともとは人と話すことが好きだったので、そんな毎日は楽しいわけもなく…こんな生活から抜け出したいと思うようになりました。

「時間がゆっくり流れる国」パラグアイに留学

そんな日々を送るなか、1年生の冬から1年間休学をし、南米にあるパラグアイに1年間留学をすることになりました。

海外に興味を持つようになったのは、中学生の時にアメリカにホームステイに行った経験から。私の高校では、1学年に数名程度、1年間の留学している人がいました。私はパンフレットに書いてあった「時間がゆっくり流れる国」という一言に惹かれて、パラグアイを選択したのでした。

この時の私は、休学や留学をすることに対して、不安よりも大好きな海外で生活が出来るという期待や、楽しみな気持ちが強くありました。そして、どこにも居場所がない現実から逃げることができるという、安堵の気持ちも大きかったと思います。

パラグアイではパンフレットの言葉どおり時間がゆっくり流れていて、友達が「2時に遊びに行くよ」と言っていても、実際に来るのは3時なんてことは日常でした。

現地ではホームステイをしながら高校に通学。ホームステイ先の家族は本当に優しかったんです。私のことを「娘だよ」と友人に紹介してくださったり、本当の家族のように受け入れてくれました。おかげで毎日楽しく過ごしていました。

【写真】ホームステイ先の家族との写真

その一方で、路上で生活する方にもたくさん出会い、発展途上国の貧富の差を間近に感じました。知識としては知っていたことでも、現実としていざ目の前で見るその現実は、本当に衝撃的でした。

ホストファミリーはレストランを経営していて、比較的裕福で、経済的にも余裕のある生活をしていました。しかしそのすぐそばでは、今にも息が止まってしまいそうにも見える人たちが路上で横になっていたり、食べ物を求めていたり。その差を肌で感じ、ホームステイ先で裕福な生活をしている自分に「これでいいのだろうか」と違和感を持ちました。

美味しい食べ物をお腹いっぱい食べる事ができて、毎日シャワーを浴びて、綺麗な洋服を着て、何不自由なく暮らすことができる。それなのに私は、いざ路上で生活している人に食べ物やお金を求められた時、無視をするしか出来なかったのです。

それは、一度路上で対応をしてしまうと、その後危険が及ぶかもしれない、という理由があったから。ですが助けを求めている人たちに対して、冷たい態度を取るしかできないことは、とても心苦しいものでした。

「おおらかでありながらも、自分の意思を持って行動する生き方」に出会って

【写真】柔らかな笑顔を向けるかなせさん

そんな不甲斐なさを感じながら帰国を迎えた私はその後、高校生でもできる“なにか”を少しでもしたいと考えはじめました。国際協力だけではない、様々なボランティア活動をするようになっていきます。

この頃、私は留学前よりも心に余裕が持てるようになっていました。

パラグアイでできた、どこにいても音楽をかけてすぐに踊ってしまうような、明るくて楽しいたくさんの友達。そして本当の家族のようにあたたかく受け入れてくれたホストファミリーのおかげだと思います。

性格も穏やかになっていきました。それまでは「正解はひとつしかない。それ以外は全部ダメ」といった考えも持っていましたが、「0か100かではなく、正解には様々な形がある」と思うようになりました。

パラグアイの友人と叶世さん

これもまた、パラグアイの生活で出会った人たちの影響。同世代の友人たちは、待ち合わせに1時間遅れてもみんな平然としていたり、そうかと思えば、授業中は先生や生徒同士が真剣に討論をしていたんです。彼らの姿から、おおらかでありながらも、自分の意思を持って行動する生き方ができるのだと知りました。

小・中学生の頃の私に足りなかったのは、おおらかな心だったのかもしれない。関係性を築くために“目立たないように”、“静かにする”と頑張っていましたが、そうではなくて自分の意思を持ちながらも、周りの人の意見や考え方も受け入れる姿勢が必要だったのかもしれないと今は思っています。

「障害のある人に関わる仕事がしたい」

帰国してから行ったボランティアは、ゴミ拾いや募金活動、地域イベントのお手伝いなど様々。その一つに、特別支援学校での活動がありました。私はこのときはじめて、障害のある方と接することになります。ここで過ごした時間はとても楽しく、充実感がありました。

特に印象に残っていることは、学校行事の最後に生徒全員でダンスをしていたときのこと。身体に麻痺がある方や車椅子に乗っている方もいて、全員が完璧にダンスを踊ることはできないけれど、みんな楽しそうに一生懸命に踊っている姿が本当に素敵でした。

私はゴミ拾いなどそれまでに経験したボランティアよりも、障害のある方と接することに、楽しさと充実感を持ちました。

学校では人との関わりに苦手意識があり、どうしてもうまく接することが出来なかったのに対して、特別支援学校の人たちと接する時には、その“苦手”を感じることがありませんでした。なにを話したわけでもないのですが、居心地が良かったことを覚えています。

障害のある人に関わる仕事がしたい。

その日から私はそう思うようになり、高校を卒業後は福祉の専門学校に進学しました。在学中は、知的障害者移動支援(ガイドヘルパー)と重度訪問介護のアルバイトを経験します。

ガイドヘルパーのアルバイトで携わったのは、利用者さんの余暇の時間をともに過ごす「余暇支援」。一緒にカラオケに行ったり、水族館に行ったりお出かけをたくさんしました。

その中で、ある利用者さんが服を掴んで口元に持っていくしぐさをすることがありました。何度かその様子を見ていて、ある日私はそのしぐさが「タオルが欲しい」という意味だと気がづいたんです。それをきっかけに利用者さんは、他のヘルパーの方ともどんどんと意思疎通ができるようになっていきました。

たとえ発語がなくても意思疎通はできる。

そんな当たり前のことを改めて実感して、とても嬉しい気持ちにもなりました。

他にも、バスが時間になっても来ないとパニックになり、バス停の看板を叩いてしまう利用者さんがいました。そういった側面だけみると、もちろん対応が難しいとも思えるのですが、私はそれを含めても、この方と接することがとても楽しかったです。利用者さんに関わることを、「苦」だと感じたことは一度もありません。

日常生活を送るのに支援が必要な方をサポートする

【写真】町田福祉園の看板

学校での勉強や実習、ガイドヘルパーのアルバイトを通して「知的障害のある人の支援がしたい」という思いが強くなり、卒業後に現在の職場、町田福祉園に就職しました。町田福祉園は、東京都町田市にある障害者支援施設です。主に、知的障害のある約115名の方が、通所や入所し利用されています。

【写真】おばあさんと笑顔で向き合うかなせさん

福祉施設で働いているというと、高齢者施設の介護職のような仕事を思い浮かべる方もいるかもしれません。確かに、介護の仕事内容として思い浮かぶであろう、食事入浴排せつなどの介助をする時間もあります。でもそれだけではないんです。

利用者さんには様々な方がいらっしゃいます。

たとえば、自閉症やその他の障害によって、次になにをやるのかなどが分からずに、大声を出して不安になってしまう方。食事が大好きなあまり一度に全部を口に入れようとされてしまう方。うまく意思を伝えることができず、自分の身体を傷つけてしまう(自傷)または、他の人を傷つけてしまう(他害)をしてしまう方。

【写真】利用者さんの肩を抱きながら歩く男性の後ろ姿

身体的な介助が必要のない方も多いです。そんな日常生活を送るのにサポートが必要な方の、「生活」をあらゆる側面から「支援」することが私たちの仕事です。

町田福祉園には通所と入所があり、私は入所で働いてます。勤務は24時間のシフト制。入居される利用者さんとは将来像を一緒に考えた上で個別支援計画を立てていて、この計画に基づいて日々の支援を行っています。

勤務時間は主に、利用者さんの介助をしたり、さまざまな“作業”や“活動”をサポートしながら時間を共に過ごしています。

【写真】利用者さんに寄り添い、笑顔を見せるかなせさん

たとえば、電線剥きや箱の組み立てなどの作業をする時間。作業のなかには工賃が発生するものもあります。町田福祉園では陶芸作品やせっけんなどの商品の販売もしているるのですが、これは利用者さんの手作りです。

【写真】作業をする利用者さんの様子

歌を歌うなどの音楽活動や、トランポリン、エアロビクスなど身体を動かす活動の時間もあります。そして近くの公園やコンビニまで散歩やドライブに行くことも。

【写真】身体を動かす活動の時間に、利用者さんとコミュニケーションをとるかなせさん

そして、利用者さんの生活環境を整えることも大切な仕事の一つです。

【写真】スペースが区切られた空間

情報や環境を整理して伝える「構造化」という考えがあるのですが、これは自閉症の支援のひとつです。私たちは、利用者さんが生活しやすくなるように、例えば部屋や共有スペースのどこになにを置いたら良いかの配置や、スペースを区切ることを考えるなどをしています。 

利用者さんがつくった羊毛ボール

また数年前から、羊毛ボールをつくりヘアゴムなどの商品にして、近くの大学の学園祭などに販売する活動もはじめました。販売に出かけることは地域の方々との交流にもなっています。

【写真】町田福祉園羊毛のお店の看板。手作りで、利用者さんの写真がたくさん貼られている

生活の幅をもっと広げていけるように、これからも様々な取り組みをしたいと考えています。

そのひとつとして今年は初の試みで、冬季限定のカフェをオープンしました!冬は寒さや感染症などの心配から、ますます外に出る機会が減ってしまいます。そんな中でも、交流をしていただけたらいいなという思いをこめています。

【写真】カフェの入り口の様子。黒板に、手書きで文字が書かれている

利用者さんと支援スタッフが利用できるようになっていて、もちろん、カフェの運営は利用者さんも行っています。美味しい飲み物と食べ物にプラスして、チェキを使った写真撮影や利用者さんが選んでくださる、おみくじなども企画しているのですが、これまで見たことのないような利用者さんの様子や主体性が、垣間見える場でもあるのです。

【写真】カフェ店内の様子。壁にはコーヒーのイラストが描かれている

日常の些細な出来事が「楽しい」と感じる

働いている中では色々なことが起こりますが、最終的には楽しく、笑顔になれるような出来事がたくさんあります。

【写真】利用者さんがかなせさんの頭に手で触れている

以前、ある利用者さんが朝の5時に大きな声で「泣かないで~」と叫んでいました。その場にいたスタッフが「負けないで~もう少し~」と歌いだすと、さっきまで叫んでいた利用者さんも一緒に「最後まで走りぬけて~」と歌いだして、最後は皆で歌って笑顔になったり。

ある利用者さんはレントゲン撮影をするとき、怖かったのか拒否をしていました。そこでスタッフが「猫のまねしてください」と声を掛けると、気分が切り替わった様子で、利用者さんは「にゃー」と応えてくれました。その後レントゲンへの拒否反応もなくなり無事に撮影することができたんです。

【写真】ソファに腰掛け、利用者さんと話すかなせさん

また、私がお茶をこぼしたのを見ていた利用者さんが声を出して笑ってくれて、一緒に笑顔になったり、日常の些細な出来事も、利用者さんと一緒に過ごすと楽しい場面になります。

一緒に働いている支援スタッフのみなさんもとても素敵な人たちなんです!一人一人、利用者さんとはもちろんのこと、支援スタッフとも丁寧に向き合ってくれる方のもとで働くことができるのは本当に幸せなことです。

【写真】一緒に働く職員のみなさんとの集合写真

支援をする中では、なにか一つやるごとにスタッフ同士がお互いに「ありがとうございます」を言い合っています。仕事をはじめた当時、この「ありがとうございます」が溢れている職場は、なんて素敵なんだととても驚いたことをよく覚えています。

「少し」をちょっとづつ積み重ねてより良い生活を目指したい

【写真】利用者さんを見つめるかなせさんと、笑顔を向ける利用者さん

今私が担当している利用者さんは、脳性麻痺と知的障害があり車椅子で生活をしている50代の女性の方です。この方とは、文字盤を使ってお話をすることができます。

【写真】文字盤を指差して意思を伝える利用者さん

彼女は障害特性というよりも性格から、本当は人と関わることが大好きなのにうまく接することができず、もやもやした気持ちを抱えてしまうことがあるようです。時にはその気持ちを抑えることが出来ず、車椅子上で大きく身体を動かし落ちようとしたり、自分の腕を噛んでしまうこともあります。

そんな悲しい行動を取ってしまわないように、生活の支援だけではなく、少しづつでも彼女の考え方が穏やかになるようにサポートをしています。これもまた支援する中での目標の一つです。

【写真】スプーンで食事をすくうかなせさん

一緒に外出をすることもあります。あるときはファミリーレストランでハンバーグを注文し、その場でミキサーにかけて食べてもらったことがありました。彼女は普段からペースト食を食べているのですが、残念ながら見た目では、何を食べているのか分からないのです。でもその日は運ばれてきたハンバーグは、しっかりと見てから食べることができて、とても満足そうにしていたが印象的でした。

【写真】利用者さんの車椅子には、キティーちゃんの巾着がぶら下がっている

ショッピングモールに出かけたときは、私も彼女もキティーちゃんが大好きなので、100円ショップに行ってたくさんのキティーちゃんグッズを見て回りました。

【写真】たくさんのキティーちゃんのぬいぐるみが並んでいる

こんな些細なお出かけでも彼女は楽しそうに、「今日はありがとう」と言ってくれます。喜んでもらえてよかったなあと思うと同時に、これからも楽しいことや美味しいものをたくさん経験してもらえるよう、より頑張っていこうとも思います。

【写真】キティーちゃんのイラストを用いた、一週間のスケジュール表

でも、彼女の支援をしていて感じる難しさもあります。それは、誰にでもに言えることなのですが。今の彼女の性格や状況は、何年も何十年も生きてきた中で培われたものです。彼女自身ではどうすることもできなかった家族の事情などもあり、それは確立してしまっているように感じることもあります。

それを変えるとまではいかなくても、より穏やかに、楽しい生活を送ってほしいと思い、私は1年間彼女の支援をしてきました。ただ、何かが大きく変わったかと言われると、そうとは言えないです。人の生活を変えるということの難しさと結果が目には見えない歯がゆさを、そして何を正しいと捉えるかの難しさもまた感じています。

【写真】利用者さんの棚を整理するかなせさん

そんな中でも、嬉しかったことがあります。それは、彼女は他の人と自分のことを比べてしまうところがあるのですが、ふとしたときに「私は私」と伝えてくれたことです。自分のことを「私も可愛い。大丈夫」と話してくれて、この1年を通して私の思いが少しでも伝わったのかなと思うことができました。

そんな「少し」をちょっとづつでも積み重ねて、5年後、10年後の将来、より良い生活になっていけたら良いなあと思います。将来、町田福祉園での生活が楽しかったなと思ってもらえるように。計画を立てて、支援をして、前進も後退もしながら、生活を送っていけたらと思うのです。

支援に正解はないけれど、自信を持って行動したい

働く中で感じていることは、利用者さんは一人一人違うということです。自閉症や強度行動障害の支援などでは、研究結果によって「良い」とされている支援はあります。けれども支援がうまくいく方もいれば、合わない方もいる。その利用者さんに寄り添って、その方に合う支援を模索していくことが大切なのだと思います。

【写真】利用者さんの乗った車椅子を押すかなせさん

本人の苦手なことは、環境を変えることによってできるようになるかもしれません。なので、そのための工夫を利用者さんに合ったかたちでするようにしています。

例えば、食べることが好きなあまり、一度に全部を口の中に入れてしまうことがある利用者さんに対しては、食事を小さいお皿に小分けにして入れて準備をしています。一皿食べたらタイマーをセット、タイマーが鳴ったら次のお皿を食べる。この流れを覚えてもらい、今では本人の目の前に食べ物があってもルールを守り、お一人でゆっくりと食事をすることができるようになりました。

他にもある利用者さんは、1日のスケジュールを提示するのではなく、その場面ごとに、「着替え」「ご飯」「DVD」などこれから行うことを細かく写真で提示することで、理解して行動することができています。この方法を使うことで、イレギュラーな出来事が苦手といわれる自閉症の方でも、普段と違うイベントであっても混乱することなく参加できる場合もあるのです。

【写真】利用者さんと並んで歩くかなせさん

基本的に利用者さんの行動には理由や原因があると考え、まずどんな時に行動が出てくるのかを、行動前後の様子から観察します。その結果から仮説を立てて、新たなサポートを考えることができます。

障害福祉には学問としての「正解」はありますが、私は人を支援するということに、「絶対にこれが正解」ということはないのではないかと思っています。

利用者さんとの日々では、「こういう支援の方法もあるけれど、こっちの方法もあるよね」ということをたくさん経験しました。どちらが正解かは分からないし、どちらも正解かもしれないし、違うかもしれない。これは障害福祉の難しさであると同時に、面白いところだよなあと思います。

【写真】満面の笑みで利用者さんにやさしく触れるかなせさん

先日、上司に言っていただいてとても印象に残っている言葉があります。

この支援がうまくいくか分からない。うまくいかないかもしれないと言ってしまうくらい、自信がない支援をするのは、なによりも利用者さんに失礼だよね。自分の考えた支援には自信を持って100%正解だと思って取り組んでほしい。この支援が良いと心から思ってしてほしい。

この言葉を聞いてあらためて、本当の正解がなにかは分からないけれど、私が利用者さんのためになるはずだと確信を持って丁寧に考えたその支援は、思いっきり自信を持って実施していきたいと思いました。

利用者さんの“幸せへの支援”をしていく仕事

利用者さんはそれぞれ本当に様々な理由のもと、ここに訪れています。とても悲しいことに、本人が望んで入所したというわけではないこともあるのかもしれません。

でもそれは周囲が悪いだとか本人が悪いだとかでは決してなく、誰も悪くないのだと思います。私は「在宅で生活する方が幸せに決まっている」とも言いたくないですし、「施設で生活できてよかったね」とも言いたくない。

一つだけはっきりと言いたいのは、町田福祉園での生活が利用者さんにとって居心地の良いものであってほしいということです。現実を受け止めた上で、「では、これからどうしていこうか」と将来に目を向けて、少しでもより良い生活をしてもらいたい。そんな“幸せへの支援”をしていくことこそが、私たちの仕事だと思っています。

【写真】まっすぐに立ち、笑顔を向けるかなせさん

利用者さんは混乱しているときなどに、些細なことに苛立ちを感じ、スタッフを叩くなどして傷つけてしまう「他害」に至ることがあります。以前知人から「本来、他害を受けることは嫌なことだと思うが、どうしてそう思わないの?」と聞かれたことがありました。そのとき私に浮かんだ答えは「他害に至ってしまう利用者さんが一番つらいと思うから」でした。

私は幼少期や学生時代、留学後、そして今の自分も、ダメな部分がたくさんあると思っています。今でも、人とうまく関わることはとても苦手です。人との関わりの中で生きていくことは本当に難しいですし、出来ないこともたくさんあります。そんな私だからこそ、利用者さんが感じているであろう“生きづらさ”は分かるような気がしてしまうのです。

伝えたいことを伝えられない。

言われていることが分からない。

そんななかで生活をしている利用者さんが、少しでも生きやすくなるよう、“生きづらさ”を感じている私だからこそ、「わかる。あるよね」と寄り添っていきたいと思います。

支援スタッフとして働くことができる今、私はとても幸せです。誰かのより良い生活のために、これからも”少しずつ”を積み重ねて利用者さんと一緒に過ごしていきたいと思っています。

関連情報:
叶世美奈さん note
町田福祉園 ホームページ
みずき福祉会 ホームページ

(写真/馬場加奈子)