【写真】笑顔で立っているこたけめぐみさん

私は、自分に“OK”を出すことが苦手です。

日常生活の中でいろんな役割を担っていると、「期待されてることに応えられなかったなあ」と落ち込むことがあります。また、ひとりの時間には、過去のことをくよくよ悩んでしまうことも珍しくありません。

できたことよりも、うまくできない自分の姿や悪いくせがついつい目に付いてしまうもの。自分で自分を認めてあげられることは少ない気がします。

泣くことも大事だし、嫉妬することも大事、それに一人でふさぎ込む時間だって。より良くすることだけが人生の醍醐味ではないと思うんです。

こんな風に、「ありのままの自分でいていいよ」と背中を押す言葉をくれるのは、小竹めぐみさん。

めぐみさんは以前、「広める価値のあるアイデア」を持った人がプレゼンテーションを行うTEDに登壇していたのです。そこで、めぐみさんは、主軸にしている保育のお仕事のことに加えて、ご自身が発達障害であることについても触れながら、お話をしていました。何度見ても、ありのままの姿を包み込んでくれる、優しい言葉たちが印象的です。

自然体で、どんな自分も受け入れながら生きている。そんなめぐみさんのことをもっと知りたいと思い、今暮らしているお家まで会いに行ってきました。

「変化し続けているから、なるべく今のことを話したい」

めぐみさんを訪ねて辿り着いたのは、京都駅から少し歩いたところにある静かな路地。歩いていると、ふと奥へと延びる門構えを見つけました。門をくぐり進むと、目の前には連なった住宅や広場が並んでいます。

【写真】昔ながらの扉がある。

ここは、「本町エスコーラ」という場所。

本町エスコーラは、路地裏にある8軒の空き家を改修し、コミュニティースペースや住居・アトリエなどとして活用している場所です。エスコーラとはポルトガル語で「学校」を意味する単語で、公民館や児童館といったコミュニティースペースのニュアンスも持ち合わせています。

いらっしゃい。

【写真】笑顔で迎え入れてくれたこたけめぐみさん

ここで暮らしているめぐみさんが、私たちを迎えてくれました。まるで異国のような空気が漂うこの場所が、めぐみさんの今のホームです。エスコーラに今住んでいるのは、めぐみさん家族を含めた7人。日本人だけでなく、インドネシア人やフランス人など、国籍も実に多様な人が暮らしています。他に、工房や事務所をエスコーラ内に構えている人が5〜6人ほどいるそうです。

【写真】めぐみさんとエスコーラに関わる人たちの様子。とても楽しそうだ。

めぐみさんとエスコーラに関わる人たちの様子(提供写真)

めぐみさんは、インタビューを始める前にこんな言葉をくれました。

私は変化し続けているから、なるべく過去ではなく今のことを話したいんです。

それは、「今の自分が感じていることを、ありのまま、素直に伝えます」という、めぐみさんからの意思表明でした。私なら、そう思っていたとしても、相手が聞きたがっていることに答えないといけない気がしてその一言はなかなか言えません。だからこそ、めぐみさんの言葉を聞いて、目が覚めたような気持ちにもなりました。

めぐみさんは、どうして素直な気持ちをまっすぐに伝えられるんだろう。めぐみさんは、日々どんなことを感じながら生活しているのだろう。そういった、心の内で知りたいと思ったことを私も素直に聞きながら、めぐみさんの飾らない魅力を紐解いていこうと思います。

互いの弱みを許し合い、仲間とともに新たな事業を立ち上げる

めぐみさんは、2017年に娘さんを出産され、現在は子育てをしながら働いています。まずは、現在に至るまでのお話を聞いてみました。

もともと現場で保育士として働いていたというめぐみさん。保育に強い憧れを抱いていたわけではなく、進路選択のときに、「こどもが好きだから保育士になろう」となんとなく思ってその道へ進んだのだとか。いざ進んでみると、大好きなこどもたちのそばで働ける保育の仕事は、天職のように感じたといいます。

しかし、保育園で6年ほど働いたころ、めぐみさんは一度退職を決意します。

大きなきっかけは2つありました。1つは、友人の言葉からもらった気付きです。

めぐみさんは、忘れっぽい・おっちょこちょいという特性があり、頼まれた仕事をうまくこなせないこともありました。そんなとき、上司から「大人なのに、なぜこんな簡単なことができないの?」と言われたことも。

しかし、落ち込むめぐみさんに対して、友人がかけてくれた言葉は意外なものでした。

「めぐちゃんに頼む仕事を間違えてる!私だったら、その役割は任せないよ!」って言ってくれたんです。気が抜けたのと嬉しかったのとで、思わず笑ってしまったんですが、友人は私が何を苦手とし何を得意としているのかを、しっかり知ってくれているからそういった言葉が出たんだと思います。裏を返せば苦手なことは別の誰かに頼めばいいということだし、反対に私が得意なことでお返しができればいいってことだよなあと。

そのときに、ふと固定概念から解放されるような気がしたんです。先生だから、仕事だからって、みんなが同じことを同じようにしなくてもいいんじゃないかって。だって、こどもとおんなじように、大人にだって一人ずつ違った個性が備わっているんですから。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるこたけめぐみさん

そしてもうひとつのきっかけは、時間を大切に思う意識からでした。時間は有限、だからこそ自分で時間の遣い方をちゃんと決めたい。心の中でそんな気持ちが高まっているときに、めぐみさんはいつもの毎日を過ごす中でこのように感じたといいます。

この園に勤めている以上、来年の今もこの時間はここで同じことをしているんだろうなってふと思ったんです。それってなんだかおかしい。私の人生のはずなのに、なんで未来の時間の過ごし方がもうすでに決まっちゃってるんだろう。そう思うととても窮屈に感じてしまって、それも退職のきっかけになりました。

自分で時間の遣い方を決めながら、自分の得意なこと・好きなことに取り組んでいきたい。そんな思いからめぐみさんは現場を飛び出して、保育士でありながら“フリーランス”として独立し個人事業主となったのです。

さらに個人で、保育や講師などのお仕事をする傍ら、任意団体として長らく活動を続けていた「オトナノセナカ」を仲間と共にNPO化し、代表理事として法人運営をするという経験も積んでいきました。

NPO法人オトナノセナカは、「こどもの隣にいるオトナこそが自分らしく生きられるように…」という願いから生まれ、対話の場やワークショップを提供する活動をしています。(2016年に代表を交代し、現在めぐみさんは理事として関わっています。)

【写真】NPO法人オトナノセナカでのワークショップの様子。4人んほどのグループでディスカッションしている

NPO法人オトナノセナカでのワークショップの様子(提供写真)

そして2013年には、小笠原舞さんと共に合同会社こどもみらい探求社を立ち上げました。様々な企業とコラボレーションをして、現代の「こども・かぞく」に関わるモノ・コト・ヒト(企画や場、サービスなど)を生み出すという事業のために、日本中を飛び回っています。

親子のよりよいコミュニケーションを育むおやこ保育園

会社を立ち上げたころ、周りからは「食べていけるの?」と心配もされたそうですが、仕事の依頼は順調に増えていきました。

こどもみらい探求社のメイン事業は、他分野・他業種とのコラボレーションですが、唯一の自主事業として、「おやこ保育園」というものがあります。おやこ保育園は0〜2歳のこどもと親が一緒に通い、共に過ごす3時間の中で、親子のよりよいコミュニケーションを育んでいく子育てコミュニティです。

おやこ保育園は、一般的な保育園と違い「10回で卒園する」というスタイルをとっていて、1回ごとの内容は「こどもが主役の時間」と「大人が主役の時間」の2つの時間で構成されています。

「こどもが主役の時間」では、こどもたちには素材を、親には観察シートを渡します。「手や口を出したい気持ちをグッとこらえて観察し、こどもが自分のやりたいように探求する姿を見守る」というルールのもと、こどもを観察する練習をしてもらうのだそうです。

親御さんは日ごろ自分がどれほど手や口を出しすぎていたかに気づいてくれます。良かれとおもって、無意識にこどもの遊び方さえも、コントロールしようとしてしまっている人が多いんです。

大人が口や手を出しすぎなくても、こどもは自分の力でこの世界に挑戦し、楽しみながら学んでいる。親には待つ練習をしてもらいながら、こどもの持つ力と可能性に気付いてもらいます。

【写真】子供達がおもいおもいに遊んでいる

おやこ保育園での様子(提供写真)

一方で、大人が主役の時間〝ペアレンツダイアログ〟では、親が自分を見つめ直すきっかけになる時間を用意しています。「良い家族って何だろう?」「良いしつけとは何だろう?」など、戸惑いやすく答えのない問いについて、ワークショップスタイルで向き合うことで、忙しい日常の中でふと立ち止まり、自分なりの正解を見出すお手伝いをしているのだそうです。

夢中な大人に、こどもは寄ってくる

おやこ保育園で、こうした時間を取り入れるのは、めぐみさんが保育士として働いていたときに得たある気付きがヒントになっています。

保育士として働き始めた当初、めぐみさんはただただ、「こどもがやりたいことに寄り添える保育士」でいたいと思っていました。「何がしたい?」とこどもに問いかけ、こどもがやりたいことをひたすらサポートしてあげるというスタンスです。

そうしたスタンスに、ある日変化が訪れます。それは、めぐみさんがジャングルジムの上に登って少し休んでいたときのこと。高い場所で風を感じることが好きで、1日に1回、外遊びのときにこの時間を取っていました。すると、こどもたちがどんどんジャングルジムに集まってきます。その人数は日ごとに増えていき、気付くとたくさんのこどもたちがめぐみさんの真似をしていました。

「今日は風が強いよね」だったり「今日の風はこんな匂いがするね」だったり。自然なおしゃべりをしながら一緒にその日の風を感じました。このときに、私自身が心地よいことや好きなことをやっていると、自然とこどもたちが興味を持ってそばに来てくれることに気付いたんです。

【写真】微笑んでインタビューに答えるこたけめぐみさん

それから、めぐみさんはこどもたちと関わるときに、素の自分で接することを大切にし始めました。「こどもたちをサポートしよう」であったり「この子にはこんな風に関わろう」と考えて接するのではなく、自然に生まれる会話や関係性に身を委ね始めたのです。

私自身はもちろん、“今日のその子”は“昨日のその子”と考えていることや感じていることが違うかもしれない。だから、この子はこういう子だって決め付けず、その日そのとき自然に生まれた会話や触れ合いを大事にしたいなと。そのまんまで向き合おうって思うようになりました。

こどもの隣にいる大人に「ありのまま」でいてほしい

めぐみさんのお話を聞いていると、こうしたスタンスでこどもと接している保育士さんはめずらしいようにも感じます。そう伝えると、めぐみさんは「そうかもしれない」と言いながらこう続けました。

多くの先生たちは、プライベートでリラックスしているときの顔と、こどもの前で見せている顔が違います。普段のままで十分素敵なのに、まるで「先生スイッチを押さないといけない」っていう暗黙のルールがあるように、変わってしまうんです。

仕事である以上、素の自分からの切り替えが必要だという考えは、誰もが無意識に持っているものかもしれません。けれど、めぐみさんは、先生たちももっと「色とりどり」であってほしいと願います。

色とりどりっていうのは、先生一人ひとりが好きなものとか自分のできること、苦手なことをこどもたちに対して存分に見せてあげることです。こどものために、と工夫をこらしていろんなことをさせたりしすぎなくたって、自分らしく過ごす大人が集まれば、こどもたちは保育園の中だけで多様性に出会えて、さまざまなことを学べます。

【写真】子供達がおもちゃで遊んでいる

おやこ保育園での様子(提供写真)

先生と同じく、親も、色とりどりでいてほしい。親がはしゃいだり、ときに涙して悲しんだりする姿もそのまま見せてあげてほしい。そう知ってもらうために、まずは親の素直な気持ちを解放するきっかけとして、おやこ保育園では「ペアレンツダイアログ」の時間をとっています。

おやこ保育園では、親同士が対話をするという方法をとっていますが、どんな方法だっていいから、自分の感情や思いを出すこと、表現することが大切だというのが、めぐみさんの考えです。

大人になるにつれて、人はアウトプットを忘れて、インプットばかりしちゃうようになります。1日をただ生きるだけでも、ものすごい量のインプットを無意識にしているんです。だから、おしゃべりでも、絵でも踊りでも、料理でも、どんな方法でもいいから、自分の思いや感情をそのまま出すことって大事なんですよね。

自分が何を感じているのか、考えているのかに耳を澄ましてみることが、自分をまるごと大切にするための第一歩なのかもしれません。

バツ印を付けていた自分を、褒めてあげた日

「かっこつけたり背伸びしたりしなくたって、そのままが一番いい」と、相手をリラックスさせてくれるめぐみさん。けれど、めぐみさん自身も、昔は自分を受け入れられず、自己嫌悪になっていた時代があったそうです。

めぐみさんは、幼いころからおっちょこちょいで、忘れ物をしたり、飲み物をこぼしたり、日々大騒ぎだったそうです。厳しいお父さんからは「不注意だ」とその都度こっぴどく怒られ、そのたびに「私はダメな子なんだ」と自分を責めていたのでした。

社会人になっても、重要な書類が無いと思って慌てて探したら、引き出しの奥に挟まっていてぐちゃぐちゃになっていた…ということが日常茶飯事。「またやってしまった…」「なんで私っていつもこうなんだろう」と、よく暗い気持ちになっていたそうです。

しかし、そんなとき、ありのままの姿を肯定してくれてめぐみさんの支えになってくれた人たちがいました。

笑い飛ばしてくれたり、「そういうところが好き!」と言ってくれたり。そうして私を受け入れてくれたのは、保育園で接するこどもたちや、こどもたちの親御さん、そして仲間たちでした。こんな私を愛してくれる人たちもいるってことに救われたんです。

そうした支えがあることで、めぐみさんは自信を失わずにいれました。

そして2012年、めぐみさんは「発達障害」の診断を受けます。診断を受けたときは、納得感を持ってすんなり受け入れることができました。そして、これまで「なんでできないんだろう」とバツ印を付けてしまったこともある自分を、「十分頑張っていたね」と褒めてあげたい気持ちになったそうです。

めぐみさんは、このときの感情について、TEDのスピーチでも実感を込めて話されていました。けれど、今はまた違う感情なのだそうです。

【写真】インタビューに答えるこたけめぐみさん

TEDのときの自分は、気持ちが熱く盛り上がっていたけれど、今は共感できなくて。正直、このときに思いを持って話してた過去の感覚はあまり思い出せないんです。

特性は無数にある自分のピースの1つでしかない

「以前の自分に共感できない」と、めぐみさんが話す背景には、自身が発達障害であることに対する捉え方の変化がありました。

正直、発達障害があるかどうかは、もうどうでもいいんです。今、私がこうして生きているだけで十分というか。

人って、みんないろんな癖があるでしょう。名前が付いてないだけで、いろんな「なんとか症候群」とか「なんとか癖」をみんなそれぞれ何十個も何百個も持っていて、その集合体がひとりの人間だと思うんです。それなのに、たまたま浮き上がってきたある特徴や症状だけに名前が付けられて、異質のように思われているのは、何でなんだろうと。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるこたけめぐみさん

とはいえ、人と関わるときには、忘れっぽかったり、おっちょこちょいだったりするその特性を知ってもらえた方が、仕事やコミュニケーションがスムーズにいくようにも思います。それでも、めぐみさんは、自身の特性について、必要がない限り特に周りには説明しません。

同棲や同居、シェアハウスなどの経験がある人はわかるかもしれませんが、人と一緒に住むと、相手の知らなかった一面に出会うでしょう。みんな、人に見せていないだけで、可愛らしいところもあれば憎たらしいところもある。それぞれが振り幅を持っているから、私だけ抜きん出ているかのように「こういうことが苦手」とか「ここに配慮してほしい」って、取り上げて言う必要も無いのかなと思ってます。

障害の診断・疑いのあるなしに関係なく、どんな人だって、人とのかかわりの中では自分が役に立てる場面も、逆に迷惑を掛けてしまう場面もあります。お互いにカバーすればいいし、迷惑をかけてしまったらそのときにきちんと謝ればいい。そういった支え合いができればと、めぐみさんは思っています。

「助けてほしい」と、思い切って言葉に出すこと

めぐみさんには、現在1歳を迎えた娘さんがいます。保育士としてたくさんのこどもに接してはいましたが、子育てははじめての体験です。慣れない子育てにおいても、素直に自分の思いを吐き出すことで、周囲の人から多くの手を差し伸べてもらっています。

めぐみさんは産後に一度、気持ちが追い込まれてしまったことがありました。「日中、少しだけでも誰かの手を借りられたらいろんな事が解決するのに…」そう思って、Facebookに子育てのヘルプを求める文を紡ぎ、思い切って投稿をしたそうです。すると、その投稿を見てくれた多くの方が本当に駆けつけてくれ、助けてくれました。今でもときどき「手伝えることない?」と声をかけてくれたり、家に寄ってくれる方がいるといいます。

私からすると、「ごめんなさい、迷惑かけて」という気持ちですよね。けれど、来てくれた人はみんな口をそろえて「本当に癒された」と言って笑顔で帰ってくれるんです。

例えば、私が用事で外出している間のまとまった時間、こどもを見ていてもらうときは、「退屈だったら読んでね」って何冊か本を置いていくんです。けれど、「娘さんを見てるのが幸せで本なんか読めなかった」と言われることも多くて。こどもの力ってやっぱりものすごいんだなあと改めて思い知らされています。

めぐみさんの娘さん(提供写真)

お手伝いに来てくれるのは、特段に仲の良いお友達だけではありません。それまで1対1では会ったことのなかった方もいるといいます。そんな方とも、子守りのヘルプに来てくれたことで、初めてゆっくり話せるのだとか。めぐみさんは、「娘のおかげで、改めてその方と出会い直せて、大切な人が増えていっている」と表現されていました。

こうしためぐみさんのお話を聞いていると、素直に周りに手を貸してと言えて、支えてもらえる関係性は理想的なように思います。けれど、親族や親しい友人以外にこどもを見てもらうことは不安ではないのでしょうか。

不安に思ったことはないです。以前、他の方にも「不安じゃないの?」って聞かれて、「そうか、みんなは不安に思うんだ!」と初めて気付いたほどで。

「何かあったらどうするの」と言われるけれど、気を付けていても、親と一緒にいてもいなくても、何か起きるときには起こります。心配しはじめるとこどもを常に見張っていないとならないし、保育園にも預けられなくなってしまう。不安だから誰にも頼れないという考えって、なんだかとても不自由な気がしちゃうんです。

それに、何度も言うように、私はかなりのおっちょこちょいなので…。自分ひとりでこどもを見ているより、信頼のおける仲間に見てもらえる方が、数倍安心だったりします(笑)。

自分だって完璧な子育てや、その場に適した対応が取れるわけではない。そう知っているからこそ、めぐみさんは、手を差し伸べてくれた人がいたら自然に頼ることができるのかもしれません。

ゆっくりと心地よい関係性を築いていく

以前東京に住んでいためぐみさんは、エスコーラに住み始めてから、人に囲まれて生活をするということの奥深さを実感しています。

近所の人の日常が、自然に垣間見えることも多いのだとか。たとえば、家の前で繰り広げられるおばあちゃんたちのおしゃべり声に耳を澄ますことは、日常のささやかな楽しみでもあるそうです。

【写真】数多くある植物が暖かい空気を作り出している

ああ、おばあちゃんたちは今日も元気だなって思って嬉しくなるんです。それに、聞こえてきたおばあちゃんの話し声に反応して、猫が耳を立てたり娘が声のする方を向いたりする、そういった瞬間が好きで。

ときには、近所のおばちゃんがお菓子の詰め合せを持ってドアをノックしに来てくれることもあるそう。ゆるやかだけどあったかい、人との豊かなかかわりがそこにはあります。

SNSに慣れていると、人と簡単につながることができて、すぐに仲良くなることができてしまいます。けれど、エスコーラのご近所にはここで80年以上暮らしている人もいる。

小さな事件や出来事が起こるし、難しいなと思うときも少なくない。でも、だからこそ、時間を掛けて少しずつ、相手が求めている距離感を測りながら、お互いを知り合っていきたいです。

【写真】笑顔で猫を撫でるこたけめぐみさん

相手の顔を見て、言葉を交わして、少しずつお互いのことを知っていく。そして何より、焦らないこと。そうすることで、心地よいかかわり方を自然と見つけていけるのでしょう。めぐみさんは、周りの人との関係性を、ゆっくりと、しっかりと、育んでいます。

「こうあらなきゃ」なんてない、日々変化し続けている

「日々変わり続けている」というめぐみさんは、自分からの働きかけや人に対するスタンスも変化しています。

昔は、「こどものために、社会のために自分がしている活動について伝えることが楽しかった」し、「もっとこうしてみたらいいかもしれませんね」などと、困っている人にアドバイスを伝えることなども好きだったといいます。けれど、今はそういった気持ちが全くなくなったそうです。

あまりにも人が1人ひとり違うということ、みんながそれぞれすでにオリジナルであるってことに気付いてしまったからだと思います。

自分の「いい」が相手の「いい」とは限らない。いろんな状態があっていいと思うし、いろんな人がいていいと心の底から思うようになったんです。

【写真】質問に丁寧に応えてくれるこたけめぐみさん

そして、「ポジティブに前向きに、生き生きと」という姿勢でなくてもいいとめぐみさんは話します。こどもや親御さんに対してもよく「笑顔ばかりが大事じゃないよ」と言葉を掛けるのだそうです。

泣くことも大事だし、嫉妬することも大事、それに一人でふさぎ込む時間だって。

より良くすることだけが人生の醍醐味ではないと思うんです。「こうした方がいい」「こうなった方がいい」っていう状態なんて本当はない。「今」のその人の気持ちすべてが〝ちょうどいい〟ところに落ち着いているんじゃないかと。人って、変化するときは、勝手になるべき姿になっていくと思っています。

落ち込んだとき、自分に嫌気が差したとき、どうしてもまず一番に「こんな自分は嫌だ、自分を変えたい」と思ってしまうことがあります。けれど、それよりも今自分が感じている感情を知って受け入れることが大切なのかもしれません。

一度止まって、今を感じてみてほしい

自分の素直な気持ちに従って、生きること。それは、想像してみるだけで、とても自由で心躍るものです。どんなときも自分の心に正直でいるために、心がけられることはあるのでしょうか。

一度、止まってみるといいんじゃないかなと思います。頑張って生きている大人が多いけど、止まることができない人も多いなと。

私は、自分のペースで仕事をして、必要だと思ったら休んで、人とおしゃべりしたり、カラオケに行ったり、ケーキを食べたりします。漫画やゲーム、料理、猫とぼーっとすることも大好きです。休み方のバリエーションをたくさん持っているから、自分らしさを保てているのかもしれません。

その言葉は、いつも、見えるものや見えないもの問わず何かに焦りがちな私の心を優しく包んでくれました。

きっと、焦ったり、止まることができないのは、先を見てしまうから。未来のために頑張らなきゃという姿勢は美しいけれど、ときには今を犠牲にしてしまうこともあります。

一方で、めぐみさんは、先のビジョンは立てて進む、ということはないのだそう。日常や目の前の生活を大事にしていたいという気持ちを強く持って日々を過ごしています。それは、めぐみさんが、時間に対して刹那的な感覚を持っているからでした。

何もかも、いつ終わるかわからないって思うんです。物が壊れるのも、人との別れも突然でしょう。毎日が続くこと、今周りにあるものが存在することって、決して当たり前じゃない。

そういった感覚があるからか、朝目覚めたときは「今日も旦那さんの隣で目覚められてうれしいな」って感じます。娘に対しても「こう育ってほしい」じゃなくて「あ、今日も生きててくれてて嬉しいな」って思うんです。

どう見られるかよりも、今自分が感じていることを大切に

めぐみさんが話していた言葉の中で、特に印象に残っていることがあります。

「人にこう見られたい」とか「人から嫌われたくない」と思うことはありません。だって、自然なままで好き放題に生きているこんな私を、「好き」って言ってくれる人がいるから。

めぐみさんは、「それだけで十分」というかのように、話していました。自分を受け入れ、愛してくれる存在が、どれほど大きな支えになるかを知っているからでしょう。

1人で問題を解決したり、辛いときに踏ん張ることは、ときには大切です。けれど、自然体で生きながらも、助け合いながら問題をクリアしていく人生の方がずっと豊かなんだよと、めぐみさんが教えてくれたような気がします。

いつもより時間がゆっくり流れるように感じられるエスコーラを後にしてから2ヶ月ほど経って、記事を書き上げました。すると、めぐみさんからこんなメッセージが届いたのです。

ごめんなさい。もうあのときの私の状態から、また変化してきています。例えば、仕事も忙しくなってしまって、取材のときみたいにゆったり暮らしてなんていませんよ。大丈夫でしょうか?

ああ、めぐみさんらしいなと感じました。

自身の変化を感じ取り、向き合うことができて、それを素直に相手に伝えられる。すごくシンプルだけど、なかなかできないことだと思います。

私は変化し続けているから、なるべく過去ではなく今のことを話したいんです。

取材の日、そう伝えてくれためぐみさんのまっすぐな瞳を思い出しました。どんなときも、嘘偽りない正直な気持ちを打ち明けてくれることは私にとっても嬉しいもので、安心したような気持ちになりました。

刻々と変化していく日常の中、めぐみさんは今日もこれからも、「今」の気持ちを大切に生きていくことでしょう。

【写真】笑顔で猫を抱いているこたけめぐみさん

関連情報:

本町エスコーラ ホームページ
NPO法人オトナノセナカ ホームページ
合同会社こどもみらい探求社 ホームページ

(写真/向直弥)