みなさんは思春期のころ、自分のことが好きでしたか?
自分もあの子みたいに、すらりと背が高い体型だったら、優しくて頭が良い人だったらよかったのに。
当時の私は、すぐに人と比べてしまい、自分の容姿や内面の何もかもが嫌になってしまうことも。自信がなく、嫌われたくないという気持ちから、人の顔色を伺うことも多かったと思います。
そんな経験をしてきたのはきっと、私だけではないでしょう。自分より他人のことばかりを優先してしまう人は多いはずです。
今思うのは、私たちは他人を大切にする方法はたくさん教わってきたけれど、自分を大切にする方法を教わる機会は少なかったな、ということ。日本の子どもの自尊感情が低いことは、内閣府による調査からも明らかになっています。(※)
人は、どうしたら自分自身を大切だと思えるようになるのだろう。そんな問いが、私の中で大きく膨らんでいきました。
そんなときに知人の話で知ったのが、思春期保健相談士である徳永桂子さんの活動です。
※内閣府の平成26年版「子ども・若者白書」によると、日本の若者のうち、自分に満足している割合は45.8%。ほかの国に比べ、日本が最も低いという結果に。
性教育は、自尊感情を育む手段のひとつ
性や身体についての正しい知識は、自尊感情を育む。
徳永さんは、この考えのもと、幅広い年齢の子どもたちや子どもの周りにいるおとなたちに対する性教育や相談の活動を行っています。
自尊感情とは、自分をかけがえのない存在だと感じ、大切にしようと思う気持ちのこと。
初めてその活動内容について知ったとき私は、“性教育がどうして、自尊感情を育むんだろう”という疑問を抱きました。
自分が保健の授業で受けてきた性教育を思い返すと、「ちょっと恥ずかしい、あまり口に出してはいけないこと」というイメージがあって、自尊感情を育むこととは結びつかなかったからです。
自尊感情を育む手段としての性教育。
そこから「自分を大切にしようと思う気持ちをいかにして育むのか」という問いに対するヒントがもらえる気がして、私は徳永さんにお話を聞きに行くことにしました。
活動のベースにあるのは、人権とエンパワメント
待ち合わせ場所に現れた徳永さんは、凜とした佇まいながら柔らかい笑顔の持ち主。やや緊張していた私も自然体でお話をはじめることができました。徳永さんは終始、力強い言葉でよどみなく想いを語ってくれました。
兵庫県西宮市に住みながら全国を飛び回り、様々な地域で活動している徳永さん。3歳から大学生まで幅広い年齢の子どもたちに性教育を行ったり、相談にのっています。
他にも、人間関係の心地よい距離感を教える「境界線研修」や、エイズ予防の啓発活動やデートDV防止の授業。さらには、DV被害を受けた母子を支援する教育プログラムの活動にも取り組んでいます。
幅広い活動に見えますが、キーワードは性と暴力防止。すべての活動のベースにあるのは人権、そしてエンパワメントなのだそう。
性や身体について教えることを通して、自尊感情を育てるという視点を大切にしています。
自尊感情が十分に育っている子どもは、あらゆる暴力被害に遭いにくいということが、世界の研究で明らかになっているんです。
なぜかといえば、自分を本当に大切と思える子どもは、他者からの脅威や暴力を感じたときに、一生懸命自分を守ろうとするからです。
徳永さんが、子どもの人権という視点で様々な活動を行う理由。それは、ご自身が様々な暴力被害に遭った経験、その後、傷ついた自尊感情を回復してきたという経験にありました。
自分自身の生きづらさを抱えて
どうしてこんなに生きづらいんだろうと思っていました。
徳永さんは、幼少期から、様々な暴力被害に遭ってきたのだといいます。
私が子どもの頃は、社会の中に子どもを叩いてしつけをしても良いという考え方が根強くありました。私は厳しくしつけられましたが、5歳下の弟は全く叩かれませんでした。
良い子でいようと無理をして頑張っても、弟のようには接してもらえない。女の子だからだめなんだ、男の子よりも劣っている存在なんだ、と。ジェンダーバイアスについて私が最初に学んだのは、そのことでした。
幼少期から家庭内にあった、「女性」というジェンダーへの圧力にさらされ、傷ついてきた徳永さん。小学校に入学してからは、転校する先々でのいじめにも苦しんだのだそう。
その後、追い打ちをかけるような出来事が起こります。中学3年生のとき、性暴力の被害に遭ったのです。
知識がないことで加害者が近づいてきたときに無防備な状態だったし、狙われるような存在の私が悪いんだ、と自分を責めてしまいました。
徳永さんはそれまで、学校でも家庭でも、性について正しい知識を教えられたことがなかったそうです。もちろん、知識だけですべての暴力から身を守れるわけではないでしょう。でも知識があれば、自分が何をされているのかをよりすばやく判断することができた可能性があります。その判断が子どもにとっては、最悪の事態から身を守るカギになるかもしれないのです。
残念ながら当時、徳永さんの周りの人にも性暴力への正しい知識はありませんでした。
被害者である自分を責めるような言葉をたくさん投げかけられ、徳永さんの自尊感情はさらに傷つけられていったのだといいます。
自尊感情が低いと、周りに「NO」が言えなかったり合わせすぎてしまったり。結果、さらに傷つき自尊感情が下がっていくという悪循環が起きてしまいます。
その状況は、徳永さんが大学進学、結婚、そして子育てをしながら高校教員として働くようになってからも続きました。
高校教員のときにも、だめな自分を抱え込んだままで。必要以上に周りに合わせてしまったり、女性なら自己犠牲は当たり前と思い込んだりして、追い詰められてしまいました。私さえ仕事をやめたら家庭がうまくいくからと、仕事をやめてしまったんです。
「あしの会」で、自尊感情のベースを取り戻した
その後、専業主婦として毎日を送っていた徳永さんは、お子さんが重度のアトピーになったことをきっかけに、安心安全な食の普及を目的とした活動を行う「あしの会」に所属するようになります。これが、徳永さんの人生の転機となりました。
あしの会には幅広い年齢の女性が所属しており、女性が運営のすべてに関わっていたのだとか。このことは、徳永さんの「女性は男性より劣った存在である」という幼少期に植え付けられた価値観を一変させました。
さらに徳永さんは、それまでの人生では経験したことのない、心地よい人間関係を知ることになるのです。
メンバーには、自分の母親世代の人もいるんですよ。その人が、例えば私がチラシを作ったときに「あなたってこんなこともできるのね、ありがとう!」と言ってくれたり、添加物の科学的な名称を分かりやすく解説したときに「理科が得意な人がいるとすごく助かるわね」と言ってくれたり。
自尊感情をアップさせるような言葉のシャワーが、その会にはあったんですね。そこで初めて、基本的な自尊感情のベースを取り戻すことができました。
その後徳永さんは、14年もの間、あしの会で専従として活動することになります。
そして、長い間とらわれていた「女性は男性より劣った存在である」という価値観から解放され、徐々に自尊感情を回復させていくうちに、自分の身に起こったことを社会問題として考えられるようになっていったのだといいます。
そんなころ、現在の徳永さんの活動のきっかけとなるプログラムに出会います。子どもへの暴力防止プログラム「CAP(キャップ)」 です。
傷つけられたことへの怒りが、社会を変えるエネルギーに
CAPとは、Child Assault Prevention(子どもへの暴力防止)を略した名称で、子どもが、いじめ・虐待・体罰・誘拐・痴漢・性暴力など様々な暴力から自分の心と身体を守るための、暴力防止プログラムです。もともとアメリカで生まれたプログラムですが、阪神大震災を契機に日本でもスタートしました。
徳永さんがCAPを知ったとき、ご自身の記憶とリンクするような感覚をおぼえたのだといいます。
これは、かつての私へのメッセージだと感じたんです。CAPの勉強を続けていくことで自分自身が救われる部分があった。こうしたプログラムを受けていればあんなに自分を責めずに済んだんじゃないだろうか、これを多くの人に届けたい、と思うようになったんですね。
徳永さんにとって、CAPで暴力の構造を学び自身の経験をたどり直すことは、エネルギーを要する作業でした。でも、あしの会やCAPにしのみやのメンバーに支えられ、少しずつ自分の身に起きたことを整理していったのです。
勉強しだすと、すごく怒りが湧いてきて。最初の怒りは私を傷つけた個人に対する怒りでした。そこからさらにもがき続けるなかで、生きづらさを作ってきた真の原因は社会にあるんだ、と自分のなかで腑に落ちてきたんです。
そして、持っている怒りを個人に向けるのではなくて、「社会を変える」という活動へのエネルギーに転換できるようになっていきました。
怒りはいつのまにかポジティブなエネルギーとなり、徳永さんがその後の活動を継続するための強い原動力となっていったのでした。
子どもたちから、性被害を打ち明けられて
1997年に徳永さんは、西宮で「CAPにしのみや」というグループの立ち上げに携わることに。
CAPにしのみやは、事務局を児童養護施設に置くという全国的にも珍しい団体でした。それが、児童養護施設の子どもや職員たちに出会うきっかけになっていきます。
CAPのワークショップは、子どもが出会うかもしれない暴力として、いじめ・誘拐・性被害を扱い、ロールプレイを使って参加型で学ぶというもの。ワークショップ終了後には復習の時間として、子どもがスタッフと個別に話す機会があります。
徳永さんがスタッフとして参加していたとき、いじめ・連れ去り被害だけではなく、自身が受けた性暴力について打ち明けてくれる子どもも多かったのだそうです。
性被害のことを相談しに来た子どもたちの多くが、私に話を打ち明けてきました。私が性被害の当事者だと見抜いていたわけではないと思うのですが、この人には話しやすい、という直感のようなものがあるんだなと思って。
多くの子どもたちは、いじめと誘拐に関してはすでに周りのおとなに話していたけれど、性被害だけは今まで誰にも話したことがなかったといいます。さらに徳永さんは、彼らの多くが幼児期や小学校低学年の段階で被害を受けていたことに衝撃を受けたのです。
世界保健機関では、世界で18歳以下の女子の20%、男子の5~10%が性被害にあっているとしています。(WHO・2004)
幼い子どもへの性被害が繰り返される背景には、子どもたちが嫌と言ったり逃げたりできないこと、被害にあったことを誰にも話せずおとなたちの知るところとならないことがあります。そのため、被害児童への適切なケアや、加害者の特定がしづらくなってしまうのです。
例えば、子どもが性に関する知識が無いため何をされたかわからないことがあるんですね。性器についての言葉を知らなくて話せないことや、おとなの性に対するタブー視によって恥ずかしい、自分が悪いと思い込まされて話せないこともあります。こういった性被害を防ぐ観点からも、性教育はできるだけ早く行う必要があるんです。
早期からの性教育の必要性を痛感していた徳永さんは、カナダの性教育第一人者、看護師のメグ・ヒックリングさんの「性教育ファシリテーター養成講座」を受講。
そして講座が修了した2001年、個人で性教育の活動をスタートさせます。ここから、グループを離れた個人としての徳永さんの挑戦が、本格的に始まったのです。
個人で始めた“3歳からの性教育”
メグ・ヒックリングさんは、自分の身体についての正しい知識が自尊感情を育て、性被害を防ぐことにつながるとして、“3歳からの性教育”を提唱しています。徳永さんもそれに倣い、保育所や幼稚園を回って、3歳からの性教育を始めました。
徳永さんがメグ・ヒックリングさんから教わった性教育のプログラムは、「科学、安全、健康」の3つの柱に基づいています。
「科学」とは、自分の身体について科学的に正しく学ぶこと。学ぶことで自分の身体への興味を引き出し、自分の身体が大事だ、かけがえのないものなのだというその気持ちを育てていきます。
「安全」とは、性被害から自分を守ること。性についておとなが教えることで、言葉を学ぶだけではなく、性被害にあったときおとなに「被害を受けた」と訴えることができるようになるんです。
そして「健康」とは、自分の身体を病気から守ること。そのためには、自分の身体の構造や働きを知ることが大切です。そういう意味で、科学と健康は密接に結びついているといえます。
3歳からの性教育親子ワークショップでは、身体の名称や働きを中心に教えます。子宮の中の赤ちゃんの様子を飛び出す絵本で教える以外には特別な教材を使わず、身振り手振りで話すので、親もすぐにまねをして日常で繰り返し学習をすることができるのだそう。
性器は大切なところだと子どもたちに伝え、「あなたの性器を見せて・触らせて。私の性器に触りなさい」と言うおとなに対する効果的な拒否の伝え方を練習します。さらには、ひっかく・蹴るなど幼児にできるセルフデイフェンスの実演も行います。
そんなことを教えたら小さい子は怖がるんじゃないか、と心配するおとなも多いんです。でも、被害に遭ったときに子どもにできることは何なのかをセットで教えていけば、むやみに怖がらせることはありません。
今の子どもたちはニュースなどで、子どもが被害に遭っていることを知っています。それに対して周りのおとなは、「気をつけてね」と言うだけのことが多い。これは、子どもをさらに不安にさせるだけです。だから、どうしたら良いのかを具体的に教えることで、日々の安心感を回復することができるんです。
さらに徳永さんは、子どもたちがおとなに相談することへの不安を解くことにも重きを置いて話を進めます。
長年子どもの相談にのってきたことを振り返ると、子どもが性被害について誰にも話せなかった理由は、1番目に多いのが「親や先生に心配をかけたくない」2番目に多いのが「自分が悪い」ということでした。
だから、「話すとおうちの人は喜びます」「絶対に叱ったり怒ったりしません」「心配するかも、と不安になった人は、先生や他の人に話しても良いですよ」と相談のハードルを下げるメッセージを伝えるようにしています。
子ども向けのお話のあとには参観していた親向けにも講演があります。親も一緒に参加することで、困ったことを親に話して良いという、子どもたちへのメッセージになるという意図も含まれているのだといいます。
おとなへのサポートにもこだわり、活動は口コミで広がるように
徳永さんは、おとなへのサポートを必ずする、ということにもこだわっています。
おとなが性教育について学ぶことは、被害者を責めるような社会の思い込みを減らし、被害者のケアを広げることにもつながります。社会を変えるにはおとなが学ばなくちゃいけないと思っています。
子どもたちの周りのおとなに対して、徳永さんはこのように伝えています。
「自分らしさ」を大切にする。それを日常生活のあらゆる面で、意識的に子どもたちに伝えてください。
自分らしさを大切にされた子どもたちは、「自分を大切に思う気持ち」をしっかりと育んでいくことができます。すると周りの人の「自分らしさ」も大切にできるようになっていき、いじめの被害者にも加害者にもならない子どもになります。
徳永さんは、具体的には子どもたちとどのようなやりとりをしているのでしょうか。
例えば、幼い子どもたちに「赤ちゃんはどうやってできるの?」と質問されたとき。性的な話に触れることを避けるため、なんとなくごまかしてしまうおとなは多いでしょう。
でも徳永さんは、子どもが質問してきたときがチャンスだと言います。子どもたちが自分の命のルーツを知ることは、「自分を大切に思う気持ち」につながると考えているからです。
子どもの人権をベースにした徳永さんの性教育プログラムは、保護者や先生からの反響が大きく、次第に口コミで広がっていきました。そして、幼児だけでなく、小学生や中高生、障害のある子どもへの性教育にも活動の範囲を広げていったのです。
障害のある子は、性教育も遅くて良いと思っているおとなは多いです。でも、思春期の身体や心の変化は生活年齢で発達してゆくので、同じように教える必要があるんです。
障害のある子は学ぶのに時間がかかるので、早期から学びを促す必要がある。しかし現状では、性教育が十分行われていないこと、人との適切な距離感が育まれていないことから、障害のある子どもたちは非常に性被害に遭いやすい状況に置かれています。
身体や性の多様性にふれながら、中高生の質問に答える
一方で、中高生への性教育では、幼児へのプログラムとは異なる難しさがありました。それは、性への知識の個人差が大きいことです。子どもたちそれぞれが小学生までで受けてきた教育が違ううえ、インターネットで間違った情報が広がっているので、学年やクラスによっても知識のばらつきがありました。
そこで徳永さんが取り入れたのが、子どもたちからのアンケートをもとに行うオーダーメイド型授業。子どもたちから徳永さんに対する匿名の質問をプライバシーに配慮して読み上げ、回答する形式で授業を進めていくというやり方です。
中高生から寄せられる質問は、思春期の身体の変化、恋愛やデートDV、性交や妊娠に関すること、今の自分や将来・人間関係の不安についてなど、様々。なかには、「自慰をすると背が伸びなくなるのは本当か」「好きな人にもまれると胸が大きくなるのは本当か」など、おとなから見ると「こんなことで」と思うような質問もたくさんありました。
授業は保護者にも参観してもらいますが、先生も保護者も、うちの子たちがこんな悩みを持っていたんだ!と驚かれます。おとなから見たら信じられない質問でも、子どもにとってはまじめな悩み。雑誌やインターネットで子どもたちがいかに不適切な性情報にふれているのかという現実も、おとなが知ることになるんです。
徳永さんは、子どもたちの心に寄り添いながら、彼らから寄せられた質問に根拠をもって答えていきます。そのとき、身体や性の多様性について、「一人ひとり違う、違っていることが生物としての生きのびる力につながるから重要なのだ」というメッセージも一緒に伝えるようにしているのだとか。
授業を受けたある中学生の生徒からは、以下のような感想が寄せられたそうです。
人は人で自分は自分なんだというお話はすごく自信になりました。その人をその人として見ることができることは、とてもとても素晴らしいと思います。皆違っていいし、人は十人十色、人を理解するということは、たくさんの人の存在を認め合いわかり合っていけることだと思いました。
※「からだノート: 中学生の相談箱 (徳永桂子著)」より抜粋
ここまでお話を聞いて、私のなかでようやく、“性教育”と“自尊感情”が結びついてきました。
徳永さんのお話から伝わってきたのは、性とは恥ずかしいことではなく、生きることと切り離せない大切なものなのだということ。これまで私自身も、性をタブー視する日本の風潮のなかにいたことに気づかされたのでした。
日本は、性教育の後進国
日本の社会において、「早期の性教育を進めることで、いわゆる“寝た子を起こす”。つまり、不適切な性行為を促進するのではないか」という声は今も根強くあります。
しかし、2009年にUNESCOが発表した「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」には、性教育の結果、問題行動が増えることはなく、むしろ性行動が慎重になったというデータが示されています。
ガイダンスでは、子どもたちがインターネットから有害な情報を得る前に正しい知識や情報を教える必要があるとされ、5歳から18歳までの具体的な性教育のガイドラインが記されています。
ガイドラインの初めにある項目は、「人間関係」。家族やパートナーとの関係性やコミュニケーションを学ぶことからスタートしています。
各国がガイドラインに基づいて法律を整備し、教育課程で性教育を進めているなか、日本ではまだガイドラインの公的な翻訳が出ていません。日本における性教育は、他の国と比べてもまだまだ発展途上の状況です。
日本の学校で教える性教育は、生殖というところに限定されているのが残念です。
「性」と言うのは、りっしんべん「心」に「生きる」と書きます。単に恋愛や妊娠出産、思春期の身体の変化といったせまいことではなくて、生まれてから死ぬまで、人生のあらゆるところに関わるものだと思うんです。
心と身体の距離感を教える「境界線研修」
最後に、私が気になっていたもうひとつのプログラムについてお伺いしました。心と身体における人との距離感を学ぶプログラム、「境界線研修」です。これは、徳永さんがカナダのバーバラ・ベインさんから教えを受け、日本の文化や現状に合わせてワークシートなどを加えて組み立てたものだそう。
人は誰でも、心と身体にこれ以上侵入してこないでという境界線を持っています。これは、他者と適切な距離感を保って自分を守ろうという感覚で、様々な人から大切にされる関わりの中で育まれていきます。
でも障害のある子どものなかには、脳の発達特性から、人との距離感を学びにくい、身につけにくい子どももいます。
同じように、いじめや性暴力など暴力被害に遭った子どもも心と身体の境界線を侵害され、境界線の感覚があいまいになってしまうことがあります。
境界線の授業ではそのような子ども向けに、ワークシートやロールプレイ・ゲームを使って、人間関係の距離について具体的に学びます。
例えば、ワークシートに身の回りの人物名を書き込み、人間関係を整理する作業。相手と距離を縮めるときには双方の合意が必要であること、でも、距離をとるときには自分だけの判断で良い、と伝えます。
様々な作業を通して、人間関係の中心には常に「大切な私」がいるのだと、子どもたちは実感していくのです。
保護者に対して、徳永さんはこのように伝えています。
思春期になると、子どもは家族と距離を取るようになります。でも子どもが話さないからといって、勝手にかばんの中を見たり引き出しを開けたりするのは、境界線を侵害する行為。距離感があいまいになってしまった子どもは、おとなになっても人間関係のトラブルに巻き込まれやすくなってしまいます。
子どもが自分で判断して親を手放すことを、親はきっちり受け止めることが大切なんです。
どんな人にとっても、地球上に70億いる中で最も大事なのは”自分”
どんな人にとっても、地球上に70億いる中で最も大事なのは自分。
当たり前のことなんだけど、子どもたちに伝えられていないですよね。社会には、友達を助けようとか周りを思いやろうとか、自分は置いておいて、まず周りの人たちを大事にしなさい、というメッセージばかりがあふれている。
だからこそ子どもたちには、具体的な作業を通じて、「いちばん大切なのは自分なんだ、自分をもっと守っていいんだ」ということを確認してもらいたいんです。
徳永さんの言う、「自分が最も大切だということを確認する、具体的な作業」。
それが性教育であり、境界線研修なのだと、ここまでお話を聞いてきた私はすっと腑に落ちていました。
私は、性教育においても境界線研修においても、心と身体の両面から自尊感情を考えるようにしています。心の自尊感情を育てるという取り組みは学校でも結構されているんですけど、身体の自尊感情を育てるというところは十分じゃない。
心って抽象的なものだけど、身体って目に見える具体物で、すごくわかりやすいですよね。だから実は、身体からのアプローチだと、子どもたちは自尊感情を育みやすいんです。
たしかに、子どものころの自分に「人と違ってもいいんだよ」という抽象的な話をしても、なかなか心に入っていかなかった気がします。身体や性もふくめて「みんな違うのが当たり前」だという科学的な知識が身についていれば、もう少し気持ちが楽だったのかもしれません。
家庭では「家庭円満」、夫婦では「一心同体」、職場では「一致団結」、教室では「みんな仲良く」。
社会には、他人を大切にできること、距離感が近いことが良いとされるようなスローガンにあふれていますが、その裏には、人との境界線を超えて傷つけたり傷つけられたりする人たちもいます。
何より重要なのは、地球上でたった1人の「自分」を大切にできるということ。自分を大切に思える気持ちがあるからこそ、他人のことを本当に大切にできるのだと思います。
私は自分自身の生きづらさをなんとかしたくてもがき続け、学んだ知識や多くの人に助けられて、今日までやってこられました。だからこそ、学んできたことを「おすそわけしたい」という気持ちが強くあるんです。細く長く、走り続けたい。
背筋をしゃんと伸ばしてそう話す徳永さんは、清々しい表情をしていました。
性教育や境界線研修は、おとなから子どもへ「今ここに生きているということだけで、尊いことなんだよ」「自分が1番大切だよ」と伝える手段のひとつ。
身につけた自尊感情は、その後もずっと自分を守ってくれる盾になるのだと思います。
徳永さんの発信する、「自分を大切に思う気持ちの育み方」が、子どもの周りのおとなのあいだで、伝播していくことを願います。そして、1人でも多くの子どもたちの自尊感情が育まれ、自分と相手の両方を大切にできる人が増えていくことも。
関連情報:
「あしの会」 ホームページ
子どもへの暴力防止プログラム「CAP」 ホームページ
(編集/小池未樹、写真/馬場加奈子)