【写真】お誕生日のお祝いをするまなとくんときょうだい

休日の街を歩くと、カメラを持った子連れ家族をよく見かけます。気ままに動く我が子を撮影しようとパパやママが奮闘する光景に、ほっこりすることもしばしば。

大好きな電車を見たときのくしゃっとした笑顔。転びそうになりながらよちよちと歩く姿。絶えず変化する子どもの一瞬一瞬を大切に取っておきたくなるのだろうなと、パパやママの気持ちを想像してしまいます。 

吉田幸司さんも、そんな想いでシャッターを切るパパのひとり。指定難病に認定されている「アラジール症候群」がある真翔くんの父親です。

子どもが頑張っていることや成長していることを、肌で感じるのが幸せです。

そう話す吉田さんのホームページには、真翔くんが赤ちゃんのころからの写真が並びます。

【写真】弟からおやつをもらう小さい頃のまなとくん

あーん!弟とは、昔から仲良しです。

【写真】妹と真剣にゲームをみるまなとくん

頼りがいのあるお兄ちゃんらしさが垣間見えます

現在13歳の真翔くん。生後4ヶ月のときに診断を受けて以来、病気とともに生きてきました。父親の吉田さんは、真翔くんの成長を写真に収めるとともに、「日本アラジール症候群の会」を通して病気の認知を広げる活動を続けています。

病気の認知を広げるアラジール症候群の会

日本アラジール症候群の会は、アラジール症候群の当事者や家族の交流の場をつくったり、病気の認知を広げる活動をしている団体です。

「アラジール症候群」とは、主に肝臓・心臓・眼球・顔貌・骨格に関わる複合多系統疾患です。その症状は多岐にわたりますが、例えば胆汁うっ滞に伴う痒みや、ビタミン吸収の障害による出血などがあります。

【写真】アラジールと書かれたTシャツ

日本で診断が出ているのはわずか200から300人。さらにその症状や重さは個人で異なり、複数の症状が出ることもあります。そのため、医師であっても病名すら知らないという場合も少なくありません。見落とされ、別の病気だと診断されてしまうこともよくあるのだといいます。

真翔くんも診断されるまでに時間がかかり、診断後もその情報の少なさや認知の低さに苦労してきたのだそう。そこで、同じ経験をしている人と情報交換をすべく吉田さんが立ち上げたのが、日本アラジール症候群の会です。

2007年に立ち上げて以来10年以上、当事者や家族の交流や情報交換の場をつくってきました。現在、18家族の会員が活動しています。

【写真】日本アラジール症候群の会の家族、メンバーの集合写真

10歳まで生きられないかもしれないと、余命宣告を受けて

真翔くんがアラジール症候群だと診断を受けたのは、生後4か月のときでした。

【写真】生後4ヶ月のまなとくん

異変を感じたきっかけは、真翔くんの鼻血が止まらなくなったこと。しかし、病院に行っても診断は出ず、同時に気になっていた白色便についても、ウイルス性の風邪だと診断されてしまいます。

転院した専門病院でアラジール症候群の診断が下りたときには、初めに病院に行ってから2ヶ月近くが経っていたのだといいます。

その診断は家族にとって、信じたくないくらいにショックなものでした。生後4か月の真翔くんが、10歳まで生きるのは難しいかもしれないと余命宣告をされてしまったのです。

吉田さんは当時の気持ちを、こう振り返ります。

正直、何が起こっているかわからないという状態でした。気持ちは真っ白。無でした。何も考えられない状態です。

当時の真翔くんは肝機能からくる痒さで全身をかきむしり、止血作用が悪いため布団が血まみれになる日々が続いたのだといいます。 耳に血がたまって中耳炎を繰り返したことで鼓膜がなくなり、難聴にもなりました。

吉田さんはアラジール症候群に関する情報を必死に探しましたが、ほとんど見つからなかったのだといいます。

医学書を見ても、一行ぐらいしか情報が書かれていない。ネットで検索しても海外のサイトしかヒットせず、内容がわからない。圧倒的に情報が少ない状況で吉田さんが始めたのは、ホームページに真翔くんの写真をアップし、自ら発信をするということでした。

息子の頑張っている姿を多くの人に見てほしい

吉田さんがホームページを始めたきっかけのひとつは、ある看護師さんの言葉でした。病室で真翔くんの写真を撮るかどうかを吉田さんが悩んでいるとき、このように声をかけられたのだといいます。

いっぱい写真を撮ってあげて。こんなに頑張っているんだから、その姿をしっかり残しておかないと。

このとき吉田さんは、写真を撮ることによって、真翔くんの頑張っている姿を多くの人に知ってもらいたいと感じたのだそう。

【写真】赤ちゃんの頃入院中のまなとくん

入院中の真翔くん

難病と聞くと、どうしても暗く、重い印象を持ってしまいがちです。けれど、吉田さんのホームページには、真翔くんの成長の様子が喜びとともに綴られていて、見ているだけで心が温かくなります。

【写真】学校の前でポーズをとる卒園式のまなとくん
泣きそうになりながら治療を頑張る姿。運動会や卒園式などのイベントや、家族との旅行や穏やかな日常のひとコマ。たくさんの写真からは、我が子の成長の一瞬一瞬を見守るお父さんの姿まで伝わってくるようです。

いつか大きくなった真翔くんといっしょに写真を見て、「こんなに頑張っていたよね」と、笑いあいたい。そんな願いをこめて、吉田さんはシャッターを押し続けたのです。

子どもは自分のペースで成長している。真翔くんが教えてくれたこと

【写真】仲良く並ぶまなとくんときょうだい

真翔くんには、2人のお兄ちゃんと1人の弟、1人の妹さんがいます。吉田さんにとって真翔くんは3人目の子育てですが、真翔くんが生まれて新たに気づかされることがたくさんあったんだとか。

真翔は、他の子よりも成長に時間がかかります。辛いと思うこともありますが、時間がかかってでも頑張ってできたからこそ、できたときの喜びがすごく大きいんですよね。

さらに、吉田さんの子育てへの考え方にも変化がありました。

子どもにこうなってもらいたいという親の考えで、子どもにレールを敷いてしまうこともあると思います。でも、歩みは遅かったとしても、子どもは自分のペースで成長しているんですよね。その成長を見落としてはダメだと、思わされたんです。

【写真】お誕生日のお祝いをするまなとくんときょうだい

家族に見守られて成長してきた真翔くん。余命宣告をされていた10歳を過ぎ、今も自分のペースで一歩ずつ、歩みを進めています。

地域に頼れる場所が増えるように。まずは認知を広げたい

吉田さんはホームページに、真翔くんの成長を喜ぶコメントとともに、以下のような言葉も記載しています。

真翔が大きくなって、同じ年の子達と比べると悩みが多くなると思う。やりたい事をしたくても思うようにいかず、イライラしたり自分を責めたり…。

真翔くんの将来に思いを馳せるほど、吉田さんは、ある想いを強くしていきます。それは、「真翔が大きくなったときに頼れる場所を、地域に少しでも増やしたい」という気持ちです。

そのために吉田さんが力を入れるようになったのは、病気の認知を広げる活動でした。なぜなら、病気の認知度が低いせいで真翔くんは、拠り所の少ない、不安と隣り合わせの生活を強いられてきたからです。

【写真】中学入学時のまなとくん

真翔くんは通院や定期入院の検査があるとき以外は自宅で生活し、幼稚園や学校にも通ってきました。学校の先生や友達には病気のことを伝え、心臓が悪い真翔くんのために学校に酸素ボンベを置いてもらうなど、配慮をしてもらいながら生活をしています。

苦労をしたのは、病気の認知度が低いせいで、頼ることのできる医療機関が少ないということ。風邪のような症状でさえ、地域の医療機関では診察すらしてもらえません。真翔くんが体調を崩すたびに、何時間もかけて大学病院まで走っていたのだといいます。

体育の授業中に脚を骨折したときも、救急車で運ばれたものの受け入れてくれる病院がみつからず、受け入れ病院探しに数時間もかかったのだそう。

ようやく診てくれる病院が見つかり搬送されるも、アラジール症候群がどんな病気かわからないからと治療をしてもらえず、骨折した息子を抱きかかえながら帰宅しました。

体調が悪くなったり怪我をしたりしたら、病院に行って診察を受けられる。そんな日常生活にあるべき「安心」が、今の真翔くんにはありません。

【写真】骨折して治療中のまなとくん

福祉・医療制度を確立したいなど、大きな目標はありますが、それには時間がかかります。まずは、地域のみんなに知ってもらいたい。

将来、不安や悩みを相談できる場所や環境を整えたり、適切な医療をすぐに受けれるようにするためにも、認知をあげ、理解を広めていきたいと思います。

アラジール症候群の会では、病気の認知を広めるための活動にも力を入れています。

例えば、「アラジールTシャツ」などのグッズの製作。病気を知ってもらうきっかけをつくり、明るく楽しく応援の輪を広げていけるようにという想いが込められています。

【写真】アラジールTシャツ、パーカー、トレーナー

また、医師をはじめとする医療関係者間での病気の認知をあげていくことも大切です。アラジール症候群の会では、リーフレットを作成して全国の医療機関へ送付しているほか、医師が集まる学会での発表も予定しています。

前向きに発信することで、多くの人に病気のことを知ってほしい

【写真】学校の運動会で車椅子に乗りながら参加するまなとくん

運動会にも、必要な配慮を受けながら参加しています

真翔くんが頑張っている様子を明るく発信したいという吉田さんの想いは、ホームページを立ち上げたときから変わりません。

難病と向き合うのは辛いけれど、辛いことだけではなくて、幸せを感じること、愛を感じることがたくさんありますよということ。それを、伝えたいです。明るく楽しく広めていって、多くの人に伝えていければと思います。

難病にまつわるエピソードは、その大変さが想像できるからこそ、ときに知ることが辛くなってしまうときもあります。けれど、吉田さんが我が子の成長を喜ぶ気持ちには、きっと多くの人が心を重ねることができるでしょう。

そうして心を寄せる人たちによって、病気のことが理解されていく。地域で当事者・家族の頼れる場所が増えていく。吉田さんの前向きな発信には、そんな動きをつくるパワーがあると思います。

難病の認知度の低さは、ときに命に関わるほどに、当事者の生活に影響します。

辛さを訴えるだけではなく温かみを添えて発信することで、より大きく認知の輪を広げられることがある。そのことを胸に刻み、私も微力ながら、輪を広げる仲間に加わりたいと思います。

アラジール症候群の認知が、前向きに支える家族の存在や、子どもの成長の愛おしさとともに、広がっていくことを願って。

【写真】アラジールTシャツを着て家族全員集合するよしださん一家

関連情報

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