人生は、うまくいかないことが多い。
会社でみんなに馴染めず孤立してしまったり、結婚しようと思っていた大好きな人に数年後に失恋したり、大好きなダンスをどれだけ練習してもうまくならず実力を思い知ったり。病気でどうしようもなくつらいときもあれば、何週間も心が晴れず暗い気持ちの時期もあった。
頑張っても頑張ってもうまくいかず、悪いことが続く。
あの子大変そうだよね。
なんか、かわいそう。
そうみんなに影で言われている自分を想像しては恥ずかしくなり、いけてないと思われるのが嫌で、弱さを隠したり平気なふりをする。「うまくやれている」ように見える友人がたまらなく羨ましく感じ、余計に自分をみじめに思う。
うまくいかないのは自分の性格に根本的な問題があるからでは?と責めたこともあるし、散々誰かのせい、何かのせいにもしてきた。
ひとりで思い悩み眠れない夜は、永遠にこのつらい時間がつづくような気さえした。
なるべくならこの人生、苦労を避けて生きたい。でも34年も生きていると、「次々と思いもしない出来事がおこり、いくつもの苦労に出会ってしまうのが人生」だということも、わかってきた。
私は今、「苦労もそんなに悪くないかな」と思っている。だって「これどうするの?」みたいなどうしようもない状況や悩み抜いた時間から見出した、生きる知恵があったから。
そんなふうに思えるようになったのは、「べてるの家」という場所に出会ったことが大きい。そこでは精神障害のある人たちが、その苦労とともにみんなで生き抜いている。
べてるとの出会いは、私の人生をふっと楽にしてくれた。“弱さ”を、“苦労”を、ときに人生に光を差してくれる“希望“のように思わせてくれた。
北海道の浦河町という、小さな小さな町にあるその場所から届くメッセージは、この数年間、私の生きていく道しるべとなっています。そして、今みなさんが読んでくださってるこのメディア「soar」も、べてるとの出会いがきっかけで始まったのです。
2018年の暑い夏、私はべてるの家の年に一回のお祭り「べてるまつり」に参加してきました。
ときどき大笑いして、ときどき感動してちょっと涙が出て、でもやっぱり最後はみんなで大笑い。人生いろいろあるけど、明日も生きていけるなあって、なんだか嬉しい気持ちになる。そんなべてるまつりの風景と一緒に、べてるで暮らすひとたちのストーリーをみなさんにお話したいと思います。
私の独り言のような思いもたくさん詰まっています。この記事を読み終わるころ、みなさんがちょっとでも楽な気持ちになれていますように。
北海道の海沿いの小さな町、浦河町へ
べてるまつりの前日である8月3日、私たちは羽田空港から飛行機で北海道に向かいました!東京は35度近い暑さでしたが、北海道はちょっと肌寒いくらいの涼しさ。
新千歳空港からレンタカーを借りて、時折横目に牧場でのびのび過ごす馬を眺めながら、ひたすらに海沿いの道を走ること2時間半。えりも岬へと向かう途中に、べてるの家がある浦河町があります。
浦河町は、人口は1万2000人ほどの漁業がさかんな小さな町です。
ここが浦河町のメインストリート!「過疎化が進んでいる」と聞いていたとおり、人通りはほとんどないですが、私は町並みがとてもきれいだなと思いました。裏道に入ると小さな個人商店もたくさんあって、暮らしやすそうなところです。
一緒に向かったのは、soar編集部のメンバーたち。私以外の3人はべてるまつりの参加が初めてだったので、とっても楽しみにしていて、行きの飛行機でも熱心に本を読んで予習をしていました(笑)。
人として“あたり前の苦労”を奪わない
べてるの家は、北海道浦河町に1984年に設立された、統合失調症などの精神疾患がある当事者の地域の活動拠点です。町内にある浦河赤十字病院の精神科を退院したひとたちが、ともに共同生活をはじめ、やがて会社を興し、昆布の袋詰めや介護ショップやカフェ運営などをはじめたました。今は訪問看護ステーションやグループホームも運営し、当事者にとっては生活・仕事・ケアの共同体となっている場所です。
多くのべてるメンバーの病名である「統合失調症」とは、思考や行動、感情を1つの目的に沿ってまとめていく能力が低下し、幻覚、幻聴、妄想などの症状が出たり、目的に沿った一貫した行動ができなくなる病気です。
そういった症状がありながら、今の社会で働いて、暮らしていくのはとても難しいこと。症状についてなかなか理解が得られず、人とのかかわりが持てなくなっていく人も多いのです。
私が初めてべてるの家を知ったのは、6年前、身内が統合失調症になったことをきっかけに、精神疾患に関する情報を探していたころ。
なんでもっと病気がひどくなる前に、助けてあげれなかったんだろう。
そんな後悔がずっと胸の中につっかえていて、精神障害のあるひとをサポートする方法を知りたいと思っていました。
そして西村佳哲さんの著書「みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?」を読んだとき、本にべてるの家・理事である向谷地生良さんのインタビューが掲載されていたんです。
精神障害という病気は、上ってゆく人生に立ち戻ろうとしても再発という形で抵抗するんですね。そして病院に行くと今度は保護と投薬で、人としてあたり前の苦労を奪われる。その人たちと一緒に、失った苦労の醍醐味を取り戻したいと思ったわけです。(「みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?」より引用)
病気になったら働かずゆっくり休んだほうがいい、なるべく苦労は避けたほうがいい。そう思っていた私にとって、べてるとの出会いは衝撃的なものでした。
幻聴や幻覚といった症状も、ネガティブで「触れてはいけない」と捉えてしまっていた部分もありました。でも幻覚や妄想を、べてるでは否定しない。症状とその人の人格とを分けて捉えて、幻聴を「幻聴さん」と呼んで親しみ、けっして悪者にはしません。
べてるの理念のひとつであり、べてるの家そのものを表す言葉として、「弱さを絆に」というものがあります。
その人の弱さやこれまでの苦労、症状のひとつひとつを仲間と共有し、分かち合う。弱さを公開することによってつながった人との絆は、病気があったとしてもその人らしい生き方をしていく大きな力となるのです。
べてるに出会うまで、どこか自分のなかには、「病気になったら、人生あとには戻れないのでは」という思い込みもあったかもしれません。病気になってもやりたいことはできる、仲間と楽しく暮らせるというべてるの家の日常は、私に新しい世界を見せてくれました。
憧れのべてるに初めて行ったのが、2013年のべてるまつり。病気のあるメンバーもまつりのスタッフとなり、時々パニックを起こしながらも、みんなで場をつくりあげている姿を見て、私はこう思いました。
病気になっても、“そのまま”で受け入れてもらえるんだ。こんな場所があるって早く知りたかった。
こんな小さな小さな町に、こんな希望の光があることを世界中のひとに伝えたい。あのときの思いが、このsoarというメディアをつくる原動力となり、今も私に勇気を与えてくれています。
あれから5年。やっともう一度、べてるに足を運べることに。久しぶりに訪れたべてるには、“らしさ”が溢れていました。
まつりの会場に隅々まで広がる「べてるらしさ」
前日入りして開催を今か今かと、心待ちにしていた私たち。8月3日の当日、いざ4人の取材チームで会場に向かいます!
べてるまつりの会場は、町の真ん中にある「浦河町総合文化会館」。
大きな看板を見て、「やっと戻ってこれた!」という喜びがこみ上げました。
中に入ってみると、そこには私の大好きなべてるワールドが広がっていました!
こんなかわいい手づくり記念撮影用パネルが、床に無造作に置かれていました(笑)。ツッコミどころ満載なのは、さすがべてるです。
べてるの醸し出す空気感で、みんなリラックスした笑顔です。
彼ら以外にも、会場にはちらほらと関東や関西の友人たちの姿が。全国からこの日をめがけて浦河に集まる人はとても多く、みんな「一度は来てみたかった!」と大興奮でした。
会場には、所狭しとべてるに関連する物販のマルシェブースが並びます。べてるのオリジナルグッズに作業所でつくっている昆布、書籍。売り場には、メンバーのみなさんが自らスタッフとして立っていました。
「精神疾患があるのかどうか」は一見全然わかりません。福祉施設に行くと、施設職員と利用者の人が明確に分けられていると感じることもありますが、べてるではその境目を意識することが少ないように思います。
「何か買って帰ろうかな」と売り場に近づくと、一斉に勧誘が始まります(笑)。メンバーのみなさん、セールストークがとってもうまいんです…!
おしゃぶり昆布は気軽に食べれてとっても美味しいです。
こちらのほうがいっぱい入っててお得ですよ。
商品をすごく魅力的に紹介をしてくれるのでついつい買いすぎて、最終的には持ち帰れず郵送にしました(笑)。
べてるといえば一番の人気商品は、この「ばらばら昆布」。1等昆布から4等昆布までいろんな等級の昆布が、まるでべてるのみんなの様にばらばらに入っているからこそのネーミング!隅々まで「べてるらしさ」があるのがいいなあ。
かわいらしいイラストが書かれた、べてるのオリジナルグッズもたくさん!「苦労を希望にかえる 当事者研究ノート」、ネーミングも言葉のセンスが素晴らしい。
いよいよ始まる!年に一回のべてるまつり
期待感高まるなか、大ホールに500人近くの人が集まり、いよいよべてるまつりがスタート。そしてべてるまつり実行委員長の早坂潔さんの開会宣言が!
おはようございます。べてるまつりは26回目、べてるの家は35周年になります。今日は楽しんでってもらえれば嬉しいです。よろしくお願いします!
潔さんはべてるファンからしてみれば、まさにアイドル的な存在です。自身が統合失調症があり、べてる設立当初からのメンバーの潔さんは、べてるの家関連書籍にはいつも登場しているので、私たちも「あれが本物の潔さん…!」とざわついていました(笑)。
そして恒例のべてるのメンバーによる、歌の合唱の披露が!壇上に上がると、さっそく「あれ、真ん中どこだっけ」と慌てるメンバーのみなさん。
べてるの家には「順調に問題だらけ」という理念がありますが、全くそのとおり!問題だらけだけど、それで順調。そんな調子でまつりは進行していくのです。
べてるまつり いよいよスタート
俺たちの悩みを泣いて笑ってくれ
等身大の歌詞、ばらばらの立ち位置、いい意味で気張らず不ぞろいな歌い方、思わずにやにやしてしまいます。
まつりでは、何度もみなさんで歌を歌う場面がある。べてるではこの「自分たちのメッセージをみんなで歌う」ということを大切にしているような気がします。
26回目となるべてるまつり。今年のテーマは、向谷地生良さんの著書「安心して絶望できる人生」のタイトルを引用し、「安心して絶望できる人生。あははは〜」。実は今年は、べてるの家が設立されて35周年記念。それもあって、今回は原点にもう一度戻るようなテーマです。
「安心して絶望できる人生」、もしかしたら、どういう意味だろう?と思う方もいるかもしれません。
ずっと行き詰まりや苦労が多い人生だとしても、それで人生に絶望したとしても、きっとそこから何か見えてくるものがあるはず。絶望の裏返しには、きっと希望がある。だから安心して絶望したっていいんだよ。
向谷地さんの著書のタイトルにもなっているこの言葉には、そんな意味が込められています。
「苦労をしたい」そんな思いから始まった浦河でのべてる物語
続いて、壇上にはたくさんの登壇者がずらり。べてるの家の理事である向谷地生良さん、精神科医の川村敏明先生、早坂潔さんとメンバーによる、べてるの35年の歩みを語るセッションです。
よくべてるのイベントでは、こんな風に、向谷地さんとメンバーがラフな空気感で語り合う姿が見られるのですが、私はこれが大好きです。たいていは何か事業について語られるとき、代表者が出てきて話すことが多い。でもべてるは、「ともに」つくってきた場所。だから、病気のあるひとたちも一緒に場をつくってきた仲間として、登場するんです。
川村先生は、もともと浦河赤十字病院精神科に勤めていて、向谷地さんたちとともにべてるを立ち上げた自称「治さない医者」。長年ともにべてるの家をつくってきたメンバーが揃ったただけあって、始まった途端、さっそくべてるらしい展開に。
川村先生:今日突然「先生、ステージに出て」って言われて上がったんですけど、僕がわかってるの35周年ってことだけ(笑)。
向谷地さん:あ、先生に全然説明していなかった!絶望的な状況ですね。
(会場爆笑)
川村先生:かすかな情報で空気を読まないといけない、そういう付き合いを長年してきたので、何も違和感はありません。
このなんとも言えない二人の抜け感がいいですよね。「しっかり意図を説明し、打合せして本番に臨む」が仕事の鉄則になっている日常から考えると、「ゆるくていいなあ」とうらやましくなってしまいます(笑)。
べてる設立のきっかけの一つである二人の出会いは、浦河赤十字病院の精神科でした。
向谷地さんがソーシャルワーカーとして勤務するようになったのは、1978年のこと。初めて浦河駅に降りたったとき、「街並みの寂れように、この町で一生暮らすのか」と不安を覚える自分にショックを受け、こう思いました。
ここで本物の苦労をしてみたい。
その思いに突き動かされ、浦河で働こうと決めたといいます。
病院で働きながら、薬をもらって治療を受け「管理と保護」のもとにいる患者さんの姿を見て、「このひとたちに必要なのは治してもらうことではなく、人間としての苦労をするチャンスなのではないか」と考えた。そして当時、医師や支援者は当事者とは一定の距離を置かなければいけないと言われていたにもかかわらず、あえて当事者自身と公私の壁を乗り越えて積極的に関わり、交流を持っていきました。
その他にも、さまざまなことが重なって上司の反感を買い、赴任から5年ほど立った頃には「病棟に立ち入り禁止」と言われてしまうのです。
向谷地さん:川村先生と私に共通しているのは、精神科病棟で出入り禁止になったことなんですよ。私は医師たちに嫌われて窓際に追いやられたんですが、川村先生が「いやぁ、お前も大変だな」なんて言っていて。でも即座に川村先生も出入り禁止になったんです(笑)。
向谷地さんの型破りな行動は、病院だけにとどまりません。「いつでも、どこでも、いつまでも」をモットーに患者に住所・連絡先を書いた名刺を配って歩き、24時間どこへでも駆けつけるスタイルの実践を展開していたのだそう。
向谷地さん:私もちょっと変わった人間なもんですから、保健所に行って、「今浦河の町で一番苦労している人を紹介してください」って言って。そうしたら保健師さんが「あそこのあの人ですよ」って言って、病院のすぐ目の前の団地に連れて行ってくれたんですね。
そして保健師さんの紹介で出会ったのが、壇上で向谷地さんの隣に座るヒデさん一家でした。
向谷地さん:その家に行ったらね、昼間からお父さんが酒飲んでて、奥さんがいて、襖の横には子どもが4人いて、ギャースカギャースカやってるんですよ。その当時、3歳の子どもが、今は大きくなったこちらのヒデくんです。
アルコール依存症であるヒデさんのお父さんとその一家に、体当たりで関わった向谷地さん。毎晩のようにSOSがあり、駆け付けると逆に夕飯をごちそうになったり、と思えば、家族の喧嘩に巻き込まれてお父さんと取っ組み合いになったり。ヒデさん一家とのかかわりで、向谷地さんはかなり精神が鍛えられたようです。
向谷地さん:大変だったよね。
ヒデさん:大変でしたねー。
向谷地さん:でもその中に生まれると、あまり大変さを感じないのか。
ヒデさん:そうですね、比べるものがないので(笑)。自分の家しか見てないから、それが苦労だとか大変だとかあまり感じないね。
向谷地さん:ヒデくんがお父さんに殴りつけたのは覚えている?
ヒデさん:ありましたねー。
向谷地さん:本当、こんなことばっかりだったんですよ。
そんななか、向谷地さんも関わっていた精神障害の当事者達による回復者クラブ「どんぐりの会」のメンバーが、浦河教会の旧会堂を住居として借り受けして共同生活を開始。それをきっかけに、向谷地さんも精神科を退院して行き場のない、今はべてるの家・理事長である佐々木実さんをはじめとした、当事者のみなさんとともに暮らしはじめました。
1984年にはその場所は「浦河べてるの家」と名付けられ、地域活動の拠点として歴史がスタートしたのです。
みんなで“金儲け”しよう!精神障害のある人たちが立ち上がって事業をおこす
「地域のために」を旗印として、べてるが地域の特産品でもある日高昆布の産地直送事業を開始したのは、1988年のことでした。
向谷地さん:みんなと一緒に生活するなかで、私があるとき潔さんに「みんなで金儲けしよう。商売をやろう」って言ったら、目が輝いたんですね。
過疎化が進み、商店街が廃れて地域経済が落ち込み、病気のある人だけでなく町の人々ですら、生活に困難が起きようとしている。そんな“希望を持てない”町を、自分たちが社会進出し、商売をすることで盛り上げていけないだろうか。
そんな経緯で、「精神病で町おこし」をキャッチフレーズに始まったべてるの事業は、ピーク時にはなんと年商1億円を達成。今では国内外から、年間1800人の見学者が訪れるほどにその名は知れ渡りました。
みなさんは、どちらかというと町ではあまり歓迎される存在ではなかったかもしれない。でも精神障害という苦労を抱えた人たちの“問題だらけ”の事業は、立派な町おこしの原動力となっていったのです。
「私は精神分裂病の◯◯です」自己紹介で病名を名乗る?
向谷地さん:「商売やるべ」って言って始めたとき、アルコール依存症の人たちも一緒に活動をやってきたんです。お酒飲んで寝てるところに、「ちょっと手伝ってくれない?」って言ってね。
潔さん:もう亡くなった人たちもいっぱいいますね。みんなでやったんですよ、教会の2階で。
ともに商売に励むなかで、依存症のある人たちは、自己紹介をするときに「アルコール中毒の誰々です」と名乗るのを見た。すると、自然にべてるのメンバーも「精神分裂病の誰々です」と自分の病名を言ってから、名前を言うようになったのだそうです。(統合失調症は、昔は精神分裂病と呼ばれていた)
徐々にべてるの商売に協力してくれる人たちが増えていくなか、“もっと地域住民たちとの距離を縮めよう”という動きがはじまります。
向谷地さん:ふだんいろいろお騒がせしている町民の人たちに、「一緒に語らいましょう」って言って、「差別偏見大歓迎、決して糾弾いたしません」っていう大会を開いたんです。当時、他の地域では差別反対闘争や差別発言への糾弾活動があった中で、私たちは日頃の思いを何を言ってもけっして差別偏見にとられません、自由にご発言くださいって言ってね。
川村先生:町の人とべてるのメンバー半々くらいだったかな。せっかくだから自己紹介しましょうってことで、端っこにアルコール依存症のアカオさんが座っていて。アカオさんは当時、アルコール依存症の回復プログラム「アルコホーリクス・アノニマス」に行ってたから、必ず病名を言う癖があったんですよ。「私?アルコール中毒のアカオです」って。そしたら次の人も、「精神分裂病の〇〇です。入院中です」って言って。
そのあとに自己紹介する町民の方は名乗る肩書きがない。べてるのみんなはすごい肩書きを言いますから(笑)。町民の人相は凍り付いてました。病気のカルテのない人は凍り付いて、カルテのある人はニコニコして。すごかった、忘れられないですよ、あの光景。
最初は「べてるのひとたちが正直怖かった」と言っていた町民とは徐々に打ち解けていき、最終的には笑いの絶えない楽しい集会となった。それをきっかけに町民との絆は深まり、少しずつべてるは地域に受け入れられていったのです。
向谷地さん:あの頃と言えば忘れられないのが、ホットハイムですよね。「幻覚妄想の館」って言われて、浦河に強い地震が来たら真っ先に潰れるんじゃないかっていうアパートなんですが。今では考えられないですけども、上の階に依存症や統合失調症の人たちが、下に精神科の看護師さんたちが一緒に住んでたんです。
依存症の人たちがここで幻覚妄想のいろいろな経験を語る、まさに「幻覚妄想の聖地」になっていくわけですね。
幻覚や幻聴、妄想などの自身の症状について、自分の言葉で誰かと語りあう。この動きがべてるの家が第一人者となり、今となっては日本中に広まりつつある「当事者研究」につながっていくのです。
向谷地さん:2001年から当事者研究の活動をずっとしています。当事者研究は、とにかく苦労している人たち自身が、自分のことを大事にしながら研究をしようっていうノリで始まった活動なんですよ。
病気や障害のある当事者自身が、似た症状のある仲間たちと助け合いながら、自分たちが抱える困りごとについて「研究」し、それが起きる要因や対処法を探していく当事者研究。
もともとは統合失調症の青年の支援の仕方を巡って現場が疲弊し切っていたときに、向谷地さんがその青年に「研究してみないか?」と言ったところ、うなだれていた本人が俄然やる気を出した。そして「研究ってワクワクする響きですね」と自分の病気について研究結果をまとめ、みんなの前で発表したことがきっかけだそう。
司会を務める「人間アレルギー症候群、統合失調症バツ付けタイプ」の○○です。
そういえばべてるまつりの司会者も、自己紹介のときはまず、名前と一緒に自己病名も紹介していました。
自分でつけよう自分の病名。
この合言葉のように、病気を「統合失調症」などの医学的な病名だけに委ねてしまうのではなく、自身の症状や生きづらさを自分の大切な“苦労”として捉え直すのがべてる式。そしてこういった当事者研究の動きが、べてるまつりのメインコンテンツとなる「幻覚&妄想大会」にもつながるのです。
今年一番おもしろかった幻覚や妄想を表彰!べてる名物「幻覚&妄想大会」
さあ、べてるまつりの歴史について知ったあとは、最後のお待ちかねの「幻覚&妄想大会」です!
幻覚妄想大会とは、タブーとされがちな幻覚や幻聴を、あえてみんなの前で発表してみんなで笑い飛ばし、その年一番その経験がおもしろかった人を表彰する大会。そこには、存在を否定され続けてきた当事者やその症状を「それでもいいんだよ」と肯定する空気感があります。
今年で25回目となるこの大会には、私のような大ファンがたくさんいます。お客さんもみんな、ワクワクが隠しきれない表情です。
壇上には司会の向谷地さんの他、川村先生や潔さんをはじめとして、べてる関係者がずらり。発表の様子を見守ります!
それでは幻覚妄想大会、本番を始めます!最初の表彰です。
【ピアサポート賞】サトウシンゴ&ハナ(猫)様!
幻聴さんに襲われて、ぱぴぷぺぽ状態(症状が悪い様子を、べてるではこう呼ぶ)になっている仲間を、飼い猫のハナと一緒に、アイスやカップラーメンを買って応援に行き、住む場所に困っている人たちには自分の部屋に泊めてているというシンゴさん。
この賞の名前として使われている「ピアサポート」とは、医療者が「治す」のではなく、同じ症状や悩みをもち、同じような立場にある仲間がともに助け合うこと。べてるがメンバー同士、ともに暮らしながら働くことを実践しているからこそ、ピアサポートが生まれるのかもしれません。
向谷地さん:シンゴさんはラーメン大好き。シンゴさんの幻聴さんも喜ぶんじゃないかということで、ラーメン券です!
本人だけでなく、幻聴さんへのお祝いも忘れないのが、なんともべてるらしい(笑)。
結果が発表されると、受賞者は壇上に登り、会場では盛大な拍手が起こります。
次々にべてるメンバーの症状が説明されていきますが、一般的には“恥ずかしい”とか、“隠したいこと”とされる場面が多い幻覚や妄想は、ここでは苦労を積み重ねてきた証である「誇らしいこと」のように紹介されるんです。
そして、会場にいるひとたちも、気兼ねなく笑って、受賞を喜ぶ。病気による苦労や失敗のエピソード、そのなかで様々な工夫をして生き抜いてきた人生を、みんなで受容する空気感が溢れているのです。
【サバイバル・カップル賞!】タカトリヨシアキさん&ナカニシアツコさん!
「慢性寂しがり屋症候群」のタカトリさんと「やきもちが止まらないタイプ」のナカニシさんは、しょっちゅう喧嘩をして、互いの部屋のドアを壊し合い復讐するお騒がせカップル。度重なる別れ話と仲直りの末に、結婚までたどり着きますが、せっかく書いた婚姻届けも喧嘩で破り捨ててしまったそう(笑)。
たくさんの紆余曲折があった2人の恋愛模様を、仲間たちが見守っているというのがなんとも心強い。
それにしても、2人の部屋のドア、ぼっこぼこですね…!
司会の女性:お2人はお部屋のドア穴の開け方もおそろいで、本当にとても仲がいいなと思います。私も将来、2人のようなカップルになりたいです。
激しい喧嘩ですら仲がよい証拠で、みんなの憧れの的。「穏やかで衝突もなくうまくいっているのが、仲がよいカップル」という価値観は、絶対ではないのですね。
【ベストファミリー賞】ナガオトシユキ&カヨコ様!
25年前、トシユキさんは酒臭い息を吐きながら千鳥足で、カヨコさんは全身けいれん発作を起こしながら、まるでお互いがつっかえ棒のように肩を寄せ合い、よろめきながらの浦河日赤病院の精神科外来を受診した2人。
べてるのスタッフとして働き周りの応援をもらいながら、2人の子育てを成し遂げ、今年は孫も授かる予定です!べてるの就労と子育て支援の歴史をつくってきた2人が、ベストファミリー賞をもらいました。
結婚式をしていない2人には、公開記念写真の撮影をプレゼント!
かよちゃん、かわいいよー!
スタッフ手づくりのベールがかけられて、かよこさんが笑顔を見せると、客席にはお祝いの声が飛び交っていました。2人とも、とってもいい笑顔。
向谷地さん:浦河とべてるとともに25年、いろいろあったと思うんです。この25年を一言で言うとしたら、どんな言葉になりますか?
ナガオさん:苦労です。
向谷地さん:苦労、だそうです。そして、お忙しくて結婚式を挙げる余裕もなかったというお話ですけども、今日ここで記念写真を撮って、今どんなお気持ちでしょうか?
ナガオさん:これでもう式を挙げなくて済むなと思いました。
これには会場、大笑い(笑)。
人生にはいいときも悪いときもあったけど、仲間の力を借りながら一緒に生きてきた。そんな2人の人生を、心から祝福したいです。
【サバイバル賞】アベマサトさん!
この16年間、オンラインゲームにはまって金欠に陥り、爆発を引き起こすたびにドアや壁を壊してしまったアベさん(べてるでは、いてもたってもいられず暴れてしまうことを爆発という)。やがて路上生活状態となり食べ物にも困る状況に。
生き延びるための研究を重ねた結果、深夜にのどが渇いただけで警察に110番を通報し、駆け付けたスタッフに「ジュースが飲みたい」と頼むスゴ技を実践されたそう!(笑)
他を寄せ付けないぶっちぎりの“サバイバルぶり”が、厳しい日本社会を生き抜く鏡として表彰です。
苦しさが溜まると自分の意図とは関係なく起こしてしまう、爆発。そんなときも、助けになるのはやっぱり仲間たちの協力です。助けに行く仲間たちで「爆発救援隊」が結成されました!
ちなみにこれは、アベさんが爆発で壊した木の柵だそう。なんとこの破壊は、3回にも及ぶらしく、アベさんのおかげでいつも柵はピカピカに保たれているのだそう(笑)。
川村先生:私、診療所で、金欠ミーティングっていうのをやってるんですけども、お金の問題で苦労している人、ずいぶんいます。その時にみんなが、「アベさんよりはまだマシ」と言うんですよ。アベさんが多くの人たちに自信や安心をつけているんです。
向谷地さん:アベ君の金欠ミーティングに出た人は、どんどん成長して回復していくんですね。アベ君は周りを回復する力はある、生きているの見るだけでみんな元気になれるっていう。すごく役立ってますよ。
しょっちゅう爆発をしてしまうアベさんは、もしかしたら、近寄りがたい存在かもしれない。でもこんな風に「みんなの回復の道をつくってくれている先駆者」にもなるんです。
【当事者研究大賞!】マツムラミチエ様!
2012年に「焼き鳥は動物虐待である」という、動物愛護の信念に基づき、焼き鳥屋の赤提灯にパンチをくらわせ入院となったマツムラさん。
「人が勝手に部屋に入り、自分の物を盗む」という妄想の苦労を抱えながらも、今では夢にまで見た一人暮らしに挑戦。お金の管理も、買い物も料理もできなかったのに、べてるのホームヘルパーやメンバーの力を得て、見事に一人暮らしを実現しています。
実はマツムラさんは、私が初めてべてるまつりに来たとき、グランプリ受賞者。数年前は、もっと症状がつらそうだったけれど、あのときよりも人生を楽しんでいるマツムラさんとの再会は、私にとって嬉しいものでした。
【グランプリ賞】ナガトコウジ様!
ナガトさんは、長年“やくざもん”が送ってくる迷惑電波に苦労しながらも、べてるで仕事に励みました。一方で電波によって体調が悪い中でも、仲間やスタッフとともに、やくざもんが潜む地域の訪問調査や電波の強弱のデータ取りなどを重ねながら、夕方に電波が強まること、女性スタッフとお茶会をすると弱まることを発見したり。研究の進め方としても、仲間の模範となる取り組みをしています!
今回のグランプリ受賞ポイントは、電波による被害があったとき、積極的に警察や消防に連絡して助けを求めたおかげで、地域の関係機関のネットワークがより活性化したこと。消防や警察に顔見知りが増える、という思わぬ波及効果を生みました。
べてるまつりのグランプリは毎年、その幻聴や妄想によって、地域やべてるに貢献する変化を生み出した人が選ばれます。
川村先生:警察・消防に迷惑かける患者さん、昔は病院の医者のほうに連絡が来たんです。でもこの町は慣れたんですね。一切私のほうには連絡が来ません。べてるのみんなは、警察・消防いろんなところに迷惑をかけながら、地域をつくってるんだなと。医療だけに期待することがなくなった、地域開拓の成果が見えた感じがしました。
最後の川村先生のコメントには、べてるの35年がどんな意味を持っていたかが、表れているような気がしました。浦河という地域で、自分たちで自分たちの生きる居場所をつくっていくプロセス。幻覚&妄想大会の受賞者のみなさんの生きてきた道は、精神障害のあるひとたちがこの社会に生きる道を見出していく希望そのものだなと。
大きな拍手で包まれる幻覚&妄想大会の会場で、そんなことを考えました。
スタッフもメンバーも総動員!べてるまつりができるまで
それにしてもこんな大規模なまつりを開催するのは、きっと大変でしょう…?
メンバーのみなさんもまつりのスタッフで大活躍している光景が見られたので、開催までのプロセスには様々な人が参加しているはず。
べてるの家でソーシャルワーカーとして働き、べてるまつり実行委員会の一員であるスタッフの樋口さんは、笑いながらまつりの裏側を教えてくれました。
樋口さん:実行委員長の早坂潔さんを中心に、実行委員会を開くんですよ。みんな一年に一回のお祭りなので気合がはいってて、「昆布がっつり売るぞ」という盛り上がりをみせます。進捗が思わしくないとスタッフで決めたりすることもあるんですが、後から潔さんに「聞いてねえぞ」と怒られたりしますね(笑)。
まつりはその年の4月頃から、メンバーもソーシャルワーカーも一緒につくっていくのだそう。もちろん準備の過程では、心身の調子が悪くなるメンバーもいるけれど、それはべてるにとっては日常茶飯事。「いつものことなのであまり気に留めない」で進めていくようです。
今年で25回目を迎えるべてるまつりは、べてるの家の行事という位置づけを超えて、浦河町にとっても大事なイベントとなっているようです。お祝いの挨拶で登場した浦河町教育長の浅野さんからも、こんな言葉がありました。
浅野さん:昔はべてるまつりはもっと小さい場所でやっていたけど、今は浦河でも一番大きなイベントになりました。浦河は小さな町だけど、光り輝くべてるがある。みなさん、べてるとこの浦河を目一杯楽しんでもらえたら。
べてるの家は、まさに浦河の町とともにある。地域との連携なくしてはここまでこれなかったからこそ、今はとても大きな存在なのです。
毎年べてるまつりには全国からたくさんの方が訪れるので、浦河中のホテルが埋まってしまうのです!私たちも実は、3ヶ月前でもホテルがとれず、近隣の町に宿泊したほど。しっかり経済効果もあります。
町民のみなさんを招待もしているそうで、今年も100人程度の方が参加していたようです。
もともとは、“健全な株主総会”をやろうと、べてる総会をつくったことがはじまり。それがおまつりへとかたちを変えていきました。
まつりの目玉となっている幻覚&妄想大会は、もともとはべてるのメンバーが、家の2階から窓を見たら「緑の牛が睨みつけてる」と言ったのを聴いて、みんなで大笑いしたことがきっかけでした。当初のことを、べてるまつり25周年記念動画で、向谷地さんはこう語っています。
向谷地さん:2階から見えるんなら、牛でなくキリンじゃないかと、リビングでわいわいやってるときに腹を抱えて笑ってね。こりゃあ自分たちだけで笑ってるのはもったいないから、べてるの総会でその話をみんなで披露しようと。そしたら「じゃあ、誰の幻覚妄想が切れ味が一番いいか」という話になって、幻覚&妄想大会をしようかとなったんですね。
そして幻覚&妄想大会の背景には、メンバー同士の関係性を良好にしていこうという思いもあります。
樋口さん:苦労の真っ只中にいて、“評判の悪い人”にスポットライトが当てられることで、その人への見え方が変わるんですよ。例えばサバイバル賞の阿部さんは、最近、受賞内容のように大暴れしてた。怖くてしょうがないけど、メンバーも本人には言えなくて。
でもこうして評判落としている仲間を表彰すると、褒められるし、空気が変わる。話すネタができるんですね。
「受賞してたね」「大変だったね」とメンバーが話しかけるきっかけになり、周囲の関わりも変わっていく。受賞の嬉しさを感じることで、本人の表情も明るくなっていくそうです。
樋口さん:グランプリを獲ったナガトさんも、「おめでとう」と言われて嬉しそうでした。お客さんからモテてて、写真撮ってくださいと言われたりして満足そう(笑)。僕はナガトさんの共同研究者だったので、受賞後は「樋口くんのおかげだよ」と言ってくれて。苦労を分かち合った感じがしますね。賞品のバッチも喜んで毎日ジャケットにつけているんですよ。
まつりの前は、メンバーのみなさんの間には「自分は今年受賞できるかな」というドキドキ感が漂う。その後、「取れなくて残念」とがっかりするメンバーも数人いるのだそう(笑)。
向谷地さんはこの大会の受賞者たちを、こんなふうに語っていました。
向谷地さん:歴代の受賞者たちはもうすごいですね、おもしろくて豊かで。ひとりひとりみんな忘れられないですね。毎年続けていくことによって、幻覚・妄想と言われるこの世界が、けっして単純に“薬でなくしたほうがいいもの”ではなくて、生活の一部のような“ユニークでおもしろい世界”なんだと。彼らがそう、私たちに教えてくれてるんじゃないかと思います。
夕暮れの浦河の町を歩いて、べてるの家へ
楽しかったべてるまつりを終えて、ほくほくした気分で会場を出ると、廊下でどっしりとソファに座っている潔さんに出会いました。着ているTシャツは、若き日の潔さんがイラストになったもの。
俺に話聴きたいのか。俺は高いぞー!
話しかけてみると、こんな冗談(本気かも?)を言いながら、べてるの日常のいろんなことを聴かせてくれました。
べてる来てみるかー。
そう誘ってくれたので、一緒にきれいな夕陽に包まれた浦河の港を歩いて、潔さんが住んでいる元祖・べてるの家へ。
海から少し離れたところに教会があり、その近くに白い小さな2階建てが見えてきて。初めて見るべてるの家に「ここから歴史が始まったんだ…!」と大興奮して、お願いして一緒に写真を撮ってもらいました(笑)。
中に入ると、世話人さんが夕ご飯をつくってくれていて、「遅かったね」と出迎えてくれました。献立はサラダにお魚に味噌汁、ごはん。まつりとは違う、何気ないべてるの日常が、そこにはありました。
今日はもう疲れたから、これで帰ってもらっていいかー。
初対面の私たちにも、気兼ねなく“今の自分”の気分と体調を伝える潔さん。はっきりと気持ちを伝えてもらえると、「いつまでいて大丈夫かな」「まつり終わりだけど疲れてないかな」と心の中で様子を伺っていた私も、なんだか安心できました。
まつりのなかでは、様々な人が自分の弱さや苦労を語り、みんなでそれを共有し合っていた。そのあり方は、べてるの日常にも根付いているものなんだなと感じました。
あなたもどうか、「いい苦労」を
順調に苦労してますね。
大会のあいだに、べてるメンバーが何度もこんな言葉を言っていました。
会場で販売されていた、べてるまつりのテーマでもある「安心して絶望できる人生」ポストカードのイラストでは、向谷地さんが幻聴さんのキャラクターと一緒に穴にはまって、転んでいる。だけど、表情はにっこりしていて、なんだか気が抜けるような安心と暖かさがあります。
人生には、こんな思いがけない“落とし穴”のような苦労が順調に訪れつづける。それに抗うことなく、コロっと苦労と一緒に転んでしまってみると、案外楽になれるのかもしれません。
昔はろくに仕事ができなかった私も、今では事業を始めて、何十人ものスタッフたちのリーダーとなった。その道のりはもちろん、うまくいかないことだって多く反省の連続だし、たくさんの思いがけないトラブルも起きる。
でも今は昔のように、それを恥ずかしいこととして隠そうとしたり、執着したりはしなくなった(かもしれない笑)。自分の苦労が誰かの力になることがあるし、苦労を分かち合うだけで、心が楽になることもあると知ったから。
自分の気持ちをごまかしてついた嘘、悲しくて泣いて泣いて一睡もできず迎えた朝、私の不義理で嫌われてしまい二度と会えなかったあの人。忘れたい、でも忘れられない数々の“生きる苦労”が、今の私を生かしているんだと感じます。
弱さを共有し、苦労を楽しむ。べてるに出会ったことで、すこしだけ、そんな生き方に近づいたんじゃないかなと思います。
潔さんは、まつりの壇上で、ご自身の生きづらさを語った人にこんな言葉をかけていました。
あなた、いい苦労をしてますねー!
この言葉は、私のなかで、今でもじんわりとした熱を持っています。
みんなそれぞれ苦労の種類は違うし、みんなそれぞれ大変だけど、なんとか今日も生きていこうか。私には、そんなやさしいメッセージのように聴こえるのです。
いい苦労をしてますね。
人生がうまくいかないとき、こんな風に自分に声をかけてみるのはどうでしょう。私は、自分にも頑張って生きている誰かにも、そう声をかけたいなと思っています。
さあ、私はこれからも、順調に苦労を積み重ねて、ときに絶望しながら頑張って生きていきます。どうかみなさんも、いい苦労を。
このべてるまつりへの取材費用の一部は、編集長の工藤瑞穂が行った「バースデードネーション」へのご寄付を使わせていただいております。たくさんのご協力、ありがとうございました!
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