【写真】テーブルに手をおき、リラックスした雰囲気で笑顔をみせるいちかわえんさん

こんにちは!市川円です。普段は編集者としてWEBメディアで記事を作りながら、私自身が養子として育った経験などをnoteで発信しています。

「養子として育った」なんて伝えると、「それ以上聞かない方がいいのかな……?」と気を遣われることが多いのですが、それは「特別養子縁組」のイメージが強いからかもしれません。

養子縁組には2種類あって、1つは「家を存続させる制度」として、養⼦が生みの親との親⼦関係を存続したまま、育ての親との親⼦関係をつくる「普通養子縁組」。

そしてもう1つが特別養子縁組です。こちらは色々な理由から生みの親による養育が難しい場合に、育ての親が戸籍上も実の親として養子を引き取ることができる制度です。

私は、普通養子縁組で現在の両親に引き取られました。そこに、フィクションで聞くような悲劇的な理由はありません。しかしだからこそ、「普通」と「特別」の狭間でいろいろな葛藤を抱えるようになりました。今回は、その葛藤をなぜ抱えるようになったのか、そして何をきっかけに解消したのかをお伝えしたいと思います。

一口に養子といってもいろいろなケースがあるんだ、と参考にしていただくとともに、皆さんの中にある「普通」や「特別」、「家族」や「親子」という言葉への誤解を少しでも解消できると嬉しいです。

幼い頃に、普通縁組で養子になった

【写真】パソコンを使用しているいちかわえんさん

私を産んだとき41歳だった母は、高齢出産の影響からか、脳溢血になりました。命に別状はなかったものの、半身不随という障害が残り入院。父は男手一つで私を含め5人の兄弟を育てることになります。

一番上でもまだ小学生、という幼い子供5人の世話をするのが難しかった父は、当時一緒に暮らしていた祖母を頼りました。そのため生まれてすぐの私の世話は、祖母がほとんどしてくれていたそうです。

しかし祖母があまりにも私を溺愛するので、ときどき様子を見に来ていた叔母(父の妹)夫婦が「これは子供のためにならない!」と感じたのだそう。生後半年ほどで私を引き取りました。

この叔母夫婦が、私の養親(育ての親)です。
【写真】インタビューに答えるいちかわえんさん
養子であることは、物心ついたときにはすでに告げられていました。養子として引き取られてからも、祖母の家に行くたびに、「あのおじちゃんがあなたのお父さんなんだよ」といつも言われていたことを覚えています。「一般的な親子」に関する経験も知識もなかった私は、そういうものか、と素直に受け入れていました。今思えば、このときからすでに葛藤の種を抱えていたのかもしれません。

引き取られ先である養親の家は、私を入れて5人家族。11歳離れた長男と、6歳年上の次男。母は、ふなっしーとかくまモンとか、そんなマスコットみたい(性格も容姿も)な人で、家族のムードメーカーでした。何かと言うとすぐに笑いを取ろうとして、そこに兄弟が口をそろえてツッコミを入れる。父はそれを見ているんだか見ていないんだか、一人だけちょっとずれた反応をする、やや天然なところのある人でした。

両親は二人ともすごくおおらかで、けんかしているところを見たことは一度もありません。家庭の雰囲気はとても明るく、幼いころから現在に至るまで、自分の家族よりも他の家庭がうらやましいと思ったことがないのが、ひそやかな自慢です。

「かっこよくなりたい」生意気だった子ども時代

物心ついてから小学生高学年のころまで、私はとても生意気な子供でした。例えば大人が難しい話をしているときに、「僕にわかる言葉で言って」と聞いて譲らなかったと、未だに両親によく言われます。

小学生くらいまでは「ガキ大将」的なポジションで、リーダーシップを取って外で活発に遊ぶことが多かったです。物心つくときから養子と言われていたせいか、また歳の離れた兄弟がいたということもあって、大人びていたのかもしれません。

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるいちかわえんさん

それが、小学校3〜4年生の頃に家にパソコンが来て、オンラインゲームにはまってがらっと変わりました。ゲーム内で関わるのも、10代後半から20代後半までと年上ばかりで、生意気さにも拍車がかかります。

ただ外で遊ぶことが少なくなったせいか、このころが人生の中で一番太っていました。そしてゲームばかりやっていることと太っていることがコンプレックスでもあり、そのコンプレックスは中学校へと尾を引きます。

中学校では部活動に入ることが義務付けられていたので、野球部に入るかをさんざん迷った挙句、結局は卓球部へ入部することにしました。そもそも野球部に入ろうと思った理由は、養父と兄の姿を見ていたからでした。職場で野球を続けていた父や、かつて同じ中学で野球部のキャプテンを務めていた次男の試合を見に行ったりして、彼らに憧れていたのです。

一方、実父のほうはいわゆるオタク気質な兄弟が多く、ゲームにはまり卓球部に行くという流れがその兄弟と似ているなと感じて、それが子供心になんだかかっこ悪く思えたのです。ただ引き取ってくれた家族だから、という思いは特になく、純粋にかっこよくなりたいし、心のどこかで変わりたいという願望があったのだと思います。

高校は工業系に特化した高専に入り、親元を離れて寮生活を送り始めます。寮生活の間、長期休暇のときぐらいしか家には帰らなかったのですが、親とはよく顔を合わせていました。というのも、寮と家がそんなに離れていないこともあって、事あるごとにお菓子やらカップ麺やら、差し入れを持ってきてくれていたのです。

それ自体は素直に嬉しかったのですが、末っ子である自分が家を出たことでなんだか張り合いをなくしてしまったのか、少しだけ親が寂しがっているように思えて心配になったことを覚えています。

実の両親じゃない。それは特別なことであり、普通のこと

両親はいい意味でずっと放任主義で、今思えば理想的な距離感で接してくれていたと思います。ただ、高専に入ったあたりから、「実の両親じゃない」という想いが私のなかでくすぶりはじめました。

【写真】インタビューに答えるいちかわえんさん

その葛藤に一気に火が付いたのが、高専を中退することを決意したときです。5年制の高専を4年で中退したのですが、両親は「あんたが決めたんだから」とあっさり納得したのです。

産んだ子じゃないから、もらった子だから自分に興味がないのか?

私は頭にきて、ぶちまけました。

こんな思い、これまで一度も抱いたことなんてなかった。でもいざ言葉にしてみるととてもしっくりくる自分がいました。このとき、「ずっと無理をしていたのかもしれない」と初めて気が付きました。

しかしそんな私の言葉に、母が泣きながらこう言ったのです。

お前があんなに頑張って行った学校をやめるのが、悔しくないわけないだろう。

そのときにはじめて「この人たちは自分の親なんだ」と真っ直ぐ思いました。

もともと「実の両親ではない」ことに対するもやもやを、自覚していたわけではありませんでした。でもそれが無意識のうちに、「うちの親は、いい親だ」と自分自身に思い込ませていたのかもしれないな、と気づいたのです。引き取られたことが幸せなことだ、と強がっていたのかもしれません。それは“普通”のことではないけれど、“普通よりも幸せな特別”なのだと、自分を誤魔化していた気がします。

【写真】真剣な表情で話すいちかわえんさん

物心ついてすぐは「特別」な自分だと見せつけたくてリーダーシップを発揮して、成長してからは「普通」になりたくて自分を変えようとして。でも特別も普通も、「自分にとって」の話なのだと気づきました。同時に、自分だけなく、誰だって「特別であり、普通なのだ」とわかったのです。

お互いに泣きながら本音でぶつかり合って以来、親との関係が少し変わりました。それまでは親に頼ることなんてほとんどなかったのですが、素直に頼ることができるようになりました。19歳になった私は、ようやく「親に甘えること」を覚えたのです。

例えば、帰省した時に駅まで車で迎えに来てもらうのにも、それまでの自分だったら気を使ってわざわざお願いしていませんでした。けれど今は、それくらいのことで気遣わないほうがずっと素敵で、迎えに来てもらった車内で交わす言葉のほうがずっとずっと大事で、それこそが親孝行に繋がるのではないかと思えるようになりました。

「普通じゃない」環境で育った自分だからこそ、わかることがあるのかもしれない

【写真】街頭を歩くいちかわえんさんの後ろ姿

自分は特別だけど普通だ、そして誰にとってもそれは同じ。その思いは、今の編集者という仕事にも活かされています。

私は、もともと編集の経験なんて一切ないところから、フリーライターとして仕事を請けていた会社に誘われて編集者になりました。

フリーライター時代も現在も、ライティングスキルやSEOの知識を本などからインプットしたことはほとんどなくて、「この人は本当はこう言いたいんだろうな」というのを引き出すことだけを常に重視しています。

【写真】街頭で、満面の笑顔のいちかわえんさん

実は社内では、仕事のことから恋愛などのプライベートのことまで、悩み相談を受けることも多いです。そんな中で、彼氏とうまくいかないという相談に乗ったとき、「なぜ上手くいかないんだろう?」と一緒に考えていくとよく、両親のことで悩んでいた経験がある人が多いことに気づきました。

そして同じように考えていくと、仕事だろうがプライベートだろうが、悩みの根っこのところには家庭で培われた価値観が関係している場合も多い。「普通じゃない」環境で育った自分だからこそ提示できる答えや解決策があるのではないか、と考えるようになりました。

血の繋がりがなくても、きっと愛情は生まれる

「養子」は悲劇的なものとして扱われがちですが、養子縁組って両親が2組いるので、すごくお得だなと個人的には思っています。気を遣わなくていい存在がたくさんいるって、とても素敵なことなんです。

私を引き取った母は、「猫をもらうくらいの感覚で引き取った」と昔から言っていました。それは気軽に引き取った、という意味ではなくて、同じ命を世話するのに大差はないということ。

立派に育てなきゃいけないとか、そういう理想は抱かなくて大丈夫。

今、養子縁組を考えている人にはそう伝えたいです。

【写真】街頭で、明るい表情でどこかをみつめるいちかわえんさん

血の繋がらない子供を育てられるか不安だという方は、ペットを飼うときに血の繋がりを気にするか、考えてみてもらいたいです。ペットは血が繋がってなくても愛することはできます。きっと愛情を注ぐためには、血の繋がりどころか、同じ人間である必要すらないのでしょう。

ただ、血の繋がりって確かにあるなって実感する機会は多いんです。

例えば私が進学した高専は、生みの父がかつて志した学校でした。でも、昔の高専はとてもレベルが高くて、私よりずっと優秀だった父ですら合格することはできなかったそうです。図らずも父の無念を子供が晴らすことになったのですが、私はそのことを、受験を済ませた後で知りました。知らぬ間にひとりで決めた進路が、たまたま生みの父と同じだった、というのは、これこそ血の繋がりがなせる業なのかなと個人的には思っています。

でも、「だからなんだろう?」という話でもあるんです。先日、このコラムを書くにあたって久しぶりに生みの父に会いに行ってきたのですが、話せば話すほど「この人と自分は血が繋がっているんだな」と実感しつつ、けれどその気持ちは、育ててくれた両親とどこか比べるようなものでは一切ありませんでした。

ただただ、家族に向けるものとはまた別の感情として、この人と自分はよく似ていて、いざというときには頼ることもできる。そういう存在なんです。それは単なる「親子」の枠組みにはきっとはまらないもので、養親とはまったく異なります。子を産んだかどうかと、親になるかどうかは、ぜんぜん別の話なんだと思います。

親子は、対話を重ねて親子になっていく

特別養子縁組で子供を引き取った方は、いつ真実告知をしようかと悩まれるんじゃないでしょうか。私の経験から言うと、いつ言ってもいいし、いつまでも言わなくてもいいと思います。そこに両親の想いがきちんとあれば、それはきっと子供に伝わります。

でも、「誰かが言うべきでないと言っていたから」という理由で伝えないのだとしたら、それは気にするべきではありません。伝えるにせよ伝えないにせよ、それをどこかのタイミングで知った子供が、将来胸を張って人に話せるような、自分たちなりの理由を持っていてもらえたら嬉しいなと思います。

【写真】街頭を歩くいちかわえんさん

そして私のように養子縁組、里親のもとで育ったみなさん。実際に血の繋がらない家族を持っていて、「血が繋がっていないから分かり合えない」と感じている部分がもしあったら、そうではないと伝えたいです。

親子って何だろう。

疑問に思って考える人もいるかもしれません。でも親子は、たまたま親と子になっただけで、それ以上でもそれ以下でもありません。

「親子だから」という理由だけで、特別な存在になろうとする。それは素晴らしいことでもあるのですが、親子だから何でもわかるわけではない。もし親子がなんなのかわからなくても、悲観しなくていいのだと思います。

自分も親を尊敬していたつもりだったけれど、その本心は泣きながらぶつかり合ってみるまでよくわかっていませんでした。悩んでいることがあれば、親子だろうがなんだろうが、ちゃんと対話すること大切だと思います。

もし血の繋がりのことで悩む人がいたら、気にしすぎないでもらいたいなと感じます。

家族のかたちは多様で、いつのまにかそこにあるもの

私にとって家族とは、なるものではなくてそこにあったもの。

「家族」という言葉はひとつですが、同じ家族なんて世界中のどこにもないし、そもそも比べるものですらない。生んだ子だろうが引き取った子だろうが家族は家族ですし、それ以上も以下もありません。どんな家族にも、分かりあうために向き合う時間がたっぷりと必要なのだと思います。

「普通の家族」とか、「理想的な家族」という考えがなくなるといい。養子や里親への無理解は、そのまま血が繋がった親子への無理解でもあると思うんです。

【写真】インタビューに答えながら歩いているいちかわえんさん

私にとって血の繋がりというのは、「共通の趣味をひとつ持っている」くらいのもの。共通の趣味があるから仲良くできる人はいても、共通の趣味を持っている人すべてと仲良くできるわけではないですから。

世の中には「血の繋がった家族は家族らしくあるべき」という考えのせいで、傷ついている人も多いように思います。

家族にもいろいろある。

そんな多様性が自然と受け入れられる社会になれば、もっともっと救われる人は増えるはず。私自身も、そんな社会に向けて何ができるか模索していきたいと思っています。

人間性の全てをひっくるめて、両親を尊敬している。だから一緒に成長していきたい

【写真】満面の笑顔をみせるいちかわえんさん

昔からずっと両親のことは尊敬していましたが、いろいろな気持ちを知り、自分自身も大人になった今、より一層尊敬できるようになりました。でもそれは単純に親の行動を称賛するようなものではなくて、ときには子供である自分に苦言を呈されるような行動もする人たちだけれど、やっぱり尊敬できる。そういう人間性ぜんぶをひっくるめた尊敬です。

高専を中退することを決意したときに何も言わなかったのも、子供を信頼していたからというより、両親もどうしていいかわからなかったからだと今は理解できます。あえて何も言わず何も聞かないのではなく、何を聞いて何を言ってやればいいかわからなかったのでしょう。本当に不器用な人たちだな、とあきれながら、けれどそんなところが大好きだと胸を張って伝えたいです。

最近は、ことあるごとにそんな気持ちを伝えるようにしています。あなたたちのいいところはここだよね、でもこういうところは直そうね、なんて。人から見たら何様だよって思われるくらい偉そうに。

たぶん「親子の絆」ってこういうものだと思うし、自分も家庭を持った時には子供との間にこんな気持ちを育めたらとまっすぐ思っています。私と一緒に両親も成長してくれたのだと思いますし、これからもずっと、一緒に成長していきたいと思います。

【写真】街頭に立ち、笑顔をみせるいちかわえんさん

(写真/馬場加奈子)

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