【写真】笑顔で立っているすがわらなおきさんとおかだただおさん

私が幼かった頃、近所に住むおばあさんが夜中にいきなり家を訪ねてきたことがありました。

突然の訪問にしては遅い時間で、家族が慌てて対応していたこと。しばらくして迎えにきたおばあさんの家族が「どうも、すみません」と謝っていたこと。そして、後から「おばあちゃんは『認知症』だから、お家を間違えてしまったんだよ」と両親から説明をされたことーーこれらの情景を見ながら、幼いながらに「おばあちゃん、どうしたんだろうな」と不思議に思ったのを覚えています。

それから十数年がたち20代になった私は、おばあさんの突然の訪問が認知症によるものだと分かるようになりました。でも、その時の騒然とした雰囲気や、おばあさんの様子、迎えにきたご家族の申し訳なさそうな顔を思い出すと、今も老いや認知症に対して、少しだけネガティブな思いが拭えずにいました。

そんな時、知人が認知症介護への面白いアプローチをする団体があると教えてくれました。

「老人介護の現場に演劇の知恵を、演劇の現場に老人介護の深みを」を理念に掲げる「OiBokkeShi」です。

OiBokkeShiは、岡山県を拠点に、認知症ケアに演劇的手法を取り入れるワークショップや、高齢者と介護者による演劇公演を行う団体です。俳優で介護福祉士の代表菅原直樹さんが2014年に立ち上げ、認知症介護の現場に演劇を取り入れようと活動を行ってきました。

【写真】ワークショップに参加するおかだただおさん

老いと演劇のワークショップの様子 (提供写真)

実を言うと、私にとって介護と演劇はかけ離れた存在で、最初にOiBokkeShiのコンセプトを聞いた時は、正直なところ演劇がどう認知症介護に生きるのかあまりピンときていませんでした。

しかし、代表の菅原さんと、OiBokkeShiの93歳の看板役者おかじいこと岡田忠雄さんに話を聞くうちに、目の前の相手を尊重し、老いを受け止める一つの方法として演劇は大きな意味を持つのだと心の底から感じられるようになりました。

今日は、演劇を通じて、老いゆく人と共に「今」を楽しむお二人の姿をお伝えしたいと思います。

【写真】お互いを見つめ合っているすがわらなおきさんとおかだただおさん

演劇は単なる娯楽ではなく、コミュニケーション手段だと気づいた

代表の菅原さんが、演劇に携わるようになったのは高校時代。映画好きが高じて、一度脚本を書いてみたいと演劇部に入部したことがきっかけでした。引っ込み思案だった菅原さんは自分は俳優には向いていないと考え、当初は裏方に徹するつもりだったのだそう。

しかし、顧問の先生が書いたある台本が、演じる楽しさを知る転機を与えます。

菅原さん:その台本にはひきこもり少年の役があったんですね。セリフがなく、体育座りをするだけの役ですが(笑)台本を見た瞬間に、みんなが「これは菅原にピッタリな役だ!」と。

人見知りで友達がいないと引け目を感じていた僕でも、というよりも僕だから「こそ」できる役がそこにはありました。役を通して、舞台に居場所を見つけた気がしたんです。

この経験を機に、菅原さんは演劇にのめり込んでいきます。大学は演劇が学べる学科に進学。そこで、劇作家であり演出家でもある平田オリザさんに会い、さらに演劇の魅力に惹きこまれていきました。

菅原さん:オリザさんの演劇ワークショップで「電車で見知らぬ人に話しかける」シーンを演じたことがありました。日常生活で知らない人に話しかける経験ってあまりないですから、どうしてもみんな演技が不自然になってしまうんですよね。

そこで、オリザさんが相手が赤ちゃんを連れている設定にサッと変えたんです。すると「赤ちゃん、可愛いですね」とみんな自然に話しかけられるようになった。

つまり、何かができないのはその人だけが悪いのではない。設定、つまり環境さえ変えればできるようになるのだとオリザさんは演劇を通じて気づかせてくれたんです。これは目から鱗でした。

演劇は単なる娯楽ではなく、普段の生活やコミュニーケーションを変える大きな可能性を秘めている。この気づきがのちに、OiBokkeShi設立の大きな原動力になっていきます。

【写真】質問に丁寧に答えるすがわらなおきさん

大学を卒業後は老人ホームに就職し、介護職員として働き始めた菅原さん。働く中で、介護にはこれまで自分が打ち込んできた演劇と似ている部分があると気づいたと言います。

例えば、認知症のおじいさんが介護職員を息子と間違えた時。先輩にあたるベテラン介護職員は、「私は息子さんじゃないですよ」と否定はしません。代わりに「久しぶりに顔を見に来たんだよ。元気だった?」とその間違いをあえて肯定するのです。

また、ある利用者が介護職員を時計屋と間違えた時は、「〜〜さん、また時計の修理ですか?今度はどこが壊れたんですか?」と時計屋になりきって会話を続ける介護職員もいました。

認知症の症状である物忘れを否定せず、まずは演じて、一旦受け止める。そんな介護職員の姿を菅原さんは介護現場で度々目にしたのです。

菅原さん:一方、僕たちのような新人介護職員は「私は息子でも時計屋でもありませんよ」と間違いを否定してしまうんですよね。でも、否定されると、怒り始めたり、パニックになってしまったりする認知症の方も少なくありません。

それは理屈は通じなくなっても、否定されて悲しい感情はしっかり残っているからです。ベテラン介護職員はその気持ちを知っているから、演じて受け止めていたんですね。

言動をいちいち正したり、失敗を指摘したりする態度は、認知症の人の感情を傷つけてしまう。一方、演じて思いを一度受け止めれば、相手を傷つけずに尊重できるーーこの気づきは、菅原さんの以前からのある悩みの解決にも繋がりました。

菅原さん:僕の祖母は、高校生の時に認知症になりました。「タンスの中に人がいる」と騒いだり、誰かが自分の物を盗んだと頻繁に疑ったり、といった症状が徐々にひどくなっていって。

家族としてはすごく戸惑うんですよね。間違いを正すべきなのか、受け入れるべきなのか。でも「演じて一旦受け止めればいいんだ」と気づいてからはすごく気持ちが楽になりました。

【写真】笑顔でインタビューに答えるすがわらなおきさん

認知症患者役を演じる疑似体験がもたらす気づき

認知症になると、記憶障害や理解力・判断力の低下が見られるようになります。時には、攻撃的な行動を伴う方も少なくありません。これらの行動に対して、家族や介護職員がストレスを抱えこみ、ついには虐待などの深刻な事件に繋がってしまうケースもあります。菅原さんは、こうした介護現場の課題を解決するためにも演技が役立つのではないかと考え、2014年に介護と演劇をつなぐ「OiBokkeShi」を立ち上げます。

OiBokkeShiの活動は大きく分けてふたつ。ひとつめは、認知症ケアに演劇的手法を取り入れるワークショップの開催です。ワークショップでは介護現場における演劇の可能性を感じてもらうために、参加者に介護者役と認知症患者役を演じてもらいます。

菅原さん:食事の時間に介護職員役が「ご飯ですよ」と話しかけると、患者役が「いや、今から田植えに行かなきゃいけないんだ」と答えるシーンからワークショップは始まります。

最初は介護職員役に、「いや、ここは施設ですから。田植えなんて行かなくていいんですよ」と否定する演技をしてもらうんですね。

その後、もう一度同じシチュエーションで演技をしてもらいますが、今度は「そっか、今日は田植えなんですね。じゃあ、田植にいく前にちょっと腹ごしらえでもしていきましょうか」と相手の勘違いに乗っかってもらう。その2回の演技を比べて、自分の感情の動きがどう異なったかを参加者に感じてもらいます。

【写真】ワークショップの様子。参加者の皆さんは椅子に座っている

撮影:松原豊(提供写真)

ワークショップ後に、認知症役の人に「否定された時はどんな気持ちになりましたか?」と聞くと、「嫌だった」「絶対に分かってもらおうと意固地になってしまった」などの感想が返ってくるのだそう。

一方「受け止めてもらえた時はどうでしたか?」と聞くと「自分の言ったことを肯定してくれる信頼できる人だと感じた」「この人の言うことなら聞いてみようと思った」といった感想が多くなります。

菅原さん:演技って、相手を尊重し、心を通わせる一つの方法なんですよね。

論理や理屈で説得するのではなく、演技を通してその人が見ている世界を尊重し、一度受け止める。そこから生まれる心の繋がりを一度体感すると、日常の介護場面でも徐々に自然と相手を受け止められるようになっていくのだと思います。

認知症の症状とその人の人生は切っても切れない関係にある

もう一つのOiBokkeShiの活動は、高齢者や介護者が共に作り上げる演劇公演です。認知症の症状をテーマに取り上げた公演をOiBokkeShiではこれまで数多く行ってきました。

例えば、演目の一つに「BPSD:ぼくのパパはサムライだから」があります。

「BPSD:ぼくのパパはサムライだから」の公演チラシ(提供画像)

タイトルに含まれている「BPSD」とは「Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia」の略で、認知症に伴う妄想や攻撃的行動などの行動・心理症状を指します。劇中では、BPSDの症状で「刀を振り回す」認知症のある父親と介護する息子が登場。「なぜ父親は刀を振り回すのか」が徐々に紐解かれていきます。

【写真】刀を持って演技をしているおかだただおさん

菅原さん:物語が進むに連れて、実は、父親が昔斬られ役の俳優をしていたと分かっていきます。父親にとっては、その仕事は生き甲斐だった。だからこそ、認知症で記憶があやふやになっても刀を振り回す行為はやめられなかったんですよね。

認知症の症状とその人の人生は切ってもきれない関係にあると菅原さんは話を続けます。

菅原さん:年をとると、仕事も辞め、子どもも巣立ちます。これまでお父さんやお母さん、先生やスーパーの店員、営業マンといったそれぞれの「役」を一生懸命生きてきたのに、突然奪われてしまう。そして加齢によって、徐々にできないことが増えていくわけです。

その喪失を簡単に認められないのは、当たり前なんですよね。だからこそ勘違いや攻撃的行動には、その人の人生の一部であり、簡単には引きはがせない「何か」が現れることがあるんです。

例えば、お母さんとして一家を支えてきた女性が「子どもが待っているから帰る」と施設から出て行こうとしたり、長年校長として勤務していた人が介護職員を先生だと思って指導をしようとしたり。その人が今まで積み上げてきた人生と、認知症の症状は深く繋がっているケースもあるのです。

「BPSD:ぼくのパパはサムライだから」では、刀を振り回す行為に父親の人生が詰まっていると知った息子が、その行為を尊重しようと一緒に刀を持って戦うシーンがあります。

【写真】父親役のおかだただおさんが息子に刀を向けている

そこに菅原さんはこんな思いを込めています。

菅原さん:症状を真っ向から否定するのではなく、一度演技を通じて受け止める。それは、その人の人生を尊重する姿勢にも繋がるのだと僕は思っています。

【写真】微笑んでインタビューに答えるすがわらなおきさん

妻の介護に「演劇」を取り入れたことで、関係性が変わった

「BPSD:ぼくのパパはサムライだから」の父親役として主演を務めるのは俳優の岡田忠雄さんです。「おかじい」と呼ばれ皆から親しまれる岡田さんは、なんと今年93歳。これまでOiBokkeShiで5作品に出演してきた看板俳優です。

おかじいが、菅原さんと出会ったのは2014年。「老いと演劇のワークショップ」がきっかけでした。

おかじい:私の妻は10年前に認知症と診断され、それからずっと在宅介護をしてきたんですね。妻は認知症が原因で「私のお金を取ったでしょう!」といきなり怒りだしたり、ご飯を食べようと言っても駄々をこねたりと、毎日大変なことも多かったんです。私もちょっと参ってたんですよね。

そんな時に新聞で「演じて認知症と向き合うワークショップ」の文字を見つけました。はて、ワークショップってなんだろう…と思いましたが、幼い頃からずっと演劇が好きだった私の血が騒ぎました。「これはちょっと面白そうだぞ」と興味を惹かれ、軽い気持ちで参加してみたんです。

【写真】質問に丁寧に答えるおかだただおさん

ワークショップを実際に経験したおかじいは、大きな衝撃を受けたと言います。「認知症の介護にこれまで大好きだった演技を生かせばいい」そう考えられるようになってからは、妻との関係性は徐々に改善していきました。

おかじい:ワークショップから帰った日に、妻が家にいるのに「私はもう帰ります」と騒ぎだしたんですよ。今までだったらね、「ここがお前の家なのに、帰るとはなんだ!」と私も怒ってしまっていたんですね。

でも、その日は「そうだ、演技をすればいいんだ」と思って。「そしたらタクシーでも呼ぼうかね。わしも一緒に帰るわ」って言ってみたんですよ。しばらくたっても、もちろんタクシーは来ませんから、さらに「雨が降ってるからタクシー遅いみたいじゃね。一緒に寝て待とうかね」って話しかけたんです。

そしたら今まで怒って反発してばかりだった妻が「そうだねえ」と。初めて穏やかに会話ができた気がしましたね。

ワークショップを通じて菅原さんと意気投合したおかじいは、そこから一緒にOiBokkeShiでの演劇公演を作り上げる仲間となりました。

菅原さん:おかじいは、介護に演劇が役立つからというだけでなく、彼自身が本当に演劇を愛しているんですよね。調子悪そうにしていても、舞台に立つと一気に元気を取り戻す。こんな幸せそうな93歳はなかなかいないんじゃないかな。

側で見ていてとても希望を感じますし、演劇が持つ力を改めておかじいから教えてもらっています。

稽古で演技について話あう菅原さんとおかじい(提供写真)

演技には、相手との「今」を楽しむ力がある

介護において演技は、相手の人生を尊重し、気持ちを受け入れる一つの方法である。菅原さんやおかじいの話を聞いていると、そう実感できます。

しかし、演技はある意味事実ではないことを伝える、嘘をつく行為のようにも思います。そこに罪悪感を感じてしまう人はいないのでしょうか。

菅原さん:確かに罪悪感を感じる人もいらっしゃると思います。その場合は「口だけの演技」ではなく「思いを汲み取る演技」を心に留めておけるといいのではないかと思います。

例えば、老人ホームで箒ではなく傘を持って掃き掃除をしているおばあさんを見かけたとします。おばあさんはスタッフが忙しそうだから、何か手伝おうと掃除をしてくれたのかもしれません。ですが、間違えて箒ではなく傘を手にしてしまった。

この時、「忙しいのに、また余計なことをして……」と思いながら行う演技と、「おばあさんはきっとスタッフを助けようとしてくれたんだな」と感謝の気持ちを込めて行う演技では、全く質が異なると菅原さんは考えています。

菅原さん:現れる演技としては「そちらの箒は壊れてるから、新しい箒使ってみてくれないかな」と同じ声かけになるかもしれません。

でも、そう言えばこの人は言うことを聞いてくれるからと軽くあしらおうとする演技と、感謝の気持ちを伝えようとする演技では、交わされるものが異なると思っています。演技は、嘘というよりも、あくまで相手の思いを受け取る手段なんですよね。

【写真】微笑んでインタビューに答えるすがわらなおきさん

罪悪感以外にも演技にハードルの高さを感じる原因として、家族間の演技のしづらさが挙げられます。介護職員は以前までの姿を知らないからこそ「今」の相手の姿や思いを受け止める演技がしやすいですが、家族は「昔」の姿を知っています。様々な行動ができなくなる姿を目の当たりにしながら、その人の「今」を演技を通して受け止めるのは、家族にとって大きな葛藤を生むのです。

菅原さん:そんな時は、自分がこれまでみてきた姿は、家族の一つの側面でしかなかったと考えることが大切だと思っています。

例えば親が認知症になった時、多くの人は「今までの親の姿と違う」と混乱してしまうと思います。でも実はこれまで知っていた姿って父親や母親の「役」を演じていたその人の一側面にしか過ぎません。変わってしまったのではなく、今は違う「役」で目の前に現れているだけなんです。

元々の親子関係に縛られるのではなく、新たな親と出会い直そうとする気持ちが、今の姿を受け止める上では重要になるのかもしれません。

ここで、実際に家族介護を行うおかじいに、妻に対して演技する行為に葛藤はないのか聞いてみました。

【写真】インタビューに答えるすがわらなおきさんとおかだただおさん

おかじい:私はね、妻に対して演技をすることに、罪悪感や葛藤をもったことはないんですよ。何故かというと、演技があるからこそ、二人の穏やかな時間が手に入れられたと思うから。

以前まではね、妻と喧嘩したり、怒ってしまう時も多かったんですよ。すると、後からとても後悔するし、私も妻も苦しい。でもね、演技をすると、その時は妻も幸せそうな顔をするんですよね。

せっかく何十年も寄り添ってきて、この先いつまで一緒にいられるかもわからないのに、一緒に過ごす時間を楽しめないのはもったいじゃないですか。だから演技はお互いが「今」を楽しむために、わしらに必要なんじゃないかなあと思いますね。

演劇を通じて思いを受け取り、今を楽しむ

菅原さんとおかじいの話を聞いて、再び老いについてじっくり考え直してみました。

老いが怖かったり、認知症になった家族の姿を受け入れづらかったりする原因はどこにあるんだろう。そう考えた時、過去や未来につい目が向いてしまうことに原因があるのではないかと感じるようになりました。

「これから先、できないことが増えていくのが怖い」
「昔はできていたのに、何でこんなことができないんだろう」

過去や未来に目を向けると、不安や不満は徐々に大きくなっていきます。

でも、認知症による勘違いや間違いは症状の一つであると同時に、その人が「今」見て感じている世界でもあります。その世界に少しお邪魔して、一緒に楽しむ。その姿勢が、相手を尊重すると同時に、老いを共に味わうコツなのでしょう。

もちろん日々の介護は大変なことも多く、毎日、毎回演技をする余裕はないと感じる方もいると思います。そんな時は、余裕がある時だけでも。そっと相手が何を感じ、何を見ているのかに思いを馳せる。一緒に「今」を楽しむ瞬間を作ってみるといいのかもしれません。

私も、今度もしおばあさんが急に家を訪ねてきたら、今おばあさんが見ている世界を想像し、思いを受け取る演技を通じて一緒に楽しめたらいいなと思います。

【写真】笑顔で立っているすがわらなおきさんとおかだただおさん、ライターのおかもとみきさん

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(撮影/木村和博、編集/徳瑠里香、協力/谷垣内絢子)