【写真】街頭で車椅子に座り笑顔のさとうまゆこさん

仕事にはやりがいを感じていて、夜遅く家に帰ることも苦にならない。休日になると趣味でマラソンを走ったり、写真を撮ったり、社会人スクールで学んだり。充実を感じる日々を過ごしていました。

そんな日常を送る中で、もし突然思うように動けなくなってしまったら……みなさんはどんな風に人生を送りますか?

佐藤まゆ子と申します。私は35歳のある日を境に、ずっと体調の悪い日が続くようになってしまいました。

働けないだけでなく、家事もほぼできなくなり、入浴などの日常生活における動作も困難になりました。さらに数年の間に外出には電動車椅子が必要に。ベッドから起き上がることすら難しいときもあるので、外出も月に数回できればよい方です。一人で生活することはできないので、母と共に暮らしサポートをしてもらっています。

私が発症したのは「慢性疲労症候群(以下、ME/CFS)」*です。ME/CFSは、ある日突然激しい全身倦怠感に襲われ、その日から長期にわたって激しい疲労感、微熱、頭痛、思考力の障害、抑うつなどの症状が続いていく病気。発症した日を境に、これまでと同じような社会生活が送れなくなってしまうこともあります。

*2019年現在「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)と呼ばれます

病名に「慢性疲労」とありますが、休んで回復する一般的な「疲労」ではありません。病気の仕組みや治療法は未解明ですが、私の場合ははしかにかかったことをきっかけに発症しました。

soarでは2年ほど前にも記事にしてもらいましたが、その後体調は一時期かなり悪化し、生活スタイルをさらに変化させざるを得ませんでした。ME/CFSになってからは先が読めないことだらけ。当たり前だった日常は一変し、やりたいことを思うように実現することは難しくなってしまいました。

それでも私は今、自分にできることを少しずつ重ねながら、前を向いて生きています。今回はこの2年間のことや、今私が考えていることをみなさんにお伝えしたいと思います。

部活やアルバイトに明け暮れた学生時代。「アクティブな生活」が当たり前だった

【写真】笑顔でインタビューにこたえるさとうまゆこさん

私は小さな頃から活発で、自分のやりたいことを追求することが当たり前の生活を送っていました。学生時代は部活とアルバイトに明け暮れ、家には寝るために帰るだけ。

高校では野球部のマネジャーをしていたのですが、チームメンバーや指導者などマネージャーの存在を尊重してくれる人たちに恵まれ、色々工夫ができる余地がありました。「チームを強くするためにできること」を考える毎日の末に、夏の東京都大会では3年間ベスト16・32の成績をおさめることができ、この経験からは努力をして結果を出すことの楽しさを知りました。

私の性格は、物事をいろいろな方向から考え、冷静に分析するのが好きなタイプ。今思えば、幼いころから自分ではどうしようもないことと対峙していたことが、性格形成に一部関わっていたのかもしれません。

そのうちの一つが、私が14歳のとき父がガンになってしまったことです。その後も父の入院や手術などの大きな治療が、進学や就職のタイミングと重なることが多々ありました。高校受験の時は経済的な理由から私立に行くことが難しくなり、志望校を変えなければならなかったのです。

人生って自分の意思だけではどうにもならないこともあるんだ…。

この時は冷静に現実を受け止めようとしていたことを覚えています。

この頃から心理学の本などを読み始め、「どうやったら外部要因などの影響を受けたとしても、自分の納得のいく、満足できる人生を送れるのだろう?」とぼんやり考えるようになりました。

心理学への関心や自己分析をする傾向は、社会人になってからも続きます。転職を経てME/CFS発症前に私がしていたのは、20-30代の方が自分自身のキャリアについて見つめなおしたり、コミュニケーション・論理的思考・メンタルコントロールなど、どこにいっても通用するようなスキルを学べるキャリアスクールの運営の仕事でした。

仕事をしながらも、休日には自分も外部の社会人スクールに参加したり、趣味でフルマラソンを走ったり、写真を習ってグループ展を開催したり。風邪一つ引かず健康体だったこともあり、今思うとかなりアクティブな生活を送っていました。

ものすごい倦怠感に襲われ、「もともとはできていた」ことができなくなってしまった

ところが2007年、32歳のときに、突然40度の高熱が続きました。流行していたはしかにかかってしまったのです。2日目には救急搬送され、そのまま入院。病院のベッドでは数日意識がほとんどなく、たまに意識が戻るとはしかの発疹のものすごい痛みと高熱による強烈な悪寒に絶叫している状態でした。

その後も、仕事には復帰したものの体調が悪い日が続きます。重度の気管支炎を患ったり、夜中にトイレに起きると転んでしまうなど、これまでに経験したことのない症状に「なんでだろう」と違和感はありました。しかし内科で検査をしてもらっても異常は見つかりません。そのため「はしかの後遺症かな」くらいにしか思っていませんでした。

【写真】インタビューに答えるさとうまゆこさん

同じくらいの時期から、月に1回ほど風邪を引くようになります。朝は倦怠感で、通勤の15分ほどの通勤電車で立っていられず、貧血で倒れてしまうこともありました。

何かがおかしい。

メンタル的な不調から来るのかもしれないと心療内科にも行きましたが、特に問題ないと言われてしまいます。とうとう動けなくなって休職したときには、はしかにかかってから2年が経過していました。

【写真】笑顔でインタビューに答えるさとうまゆこさん

今思うと、会社もよく2年もそのまま働かせてくれたなと思います。この時の私は体調の悪さから集中できず、注意も散漫で、簡単な仕事でミスをしてしまうような状況。しかも、「もともとはできていたことができなくなってしまった」私に、周りの人は本当に困っただろうなと思います。

自分でもわけがわからなくて、あんなに夢中になっていた仕事なのに、なんでこんなこともできなくなってしまったのだろうとイライラしていました。それでもこの不調は原因不明。病名がついていないので、仕事を辞める決断もできないまま時間が経ってしまったのです。

4年経ってようやく受けたME/CFSの診断。「私が病気になったことは変えられないこと」

2009年、休職直後に病院で受けた診断は「燃え尽き症候群」でした。そのため最初は少し休んで復職したいと思っていたのですが、実際は全くそれどころではありませんでした。

1回通院すると1週間寝込んでしまう。休んでいるのにものすごいだるさが続いて、毎日12時間以上眠り起きられない。階段を上り下りするのがつらく、異様な筋肉痛になる。力が入らず家事はできないし、ご飯も食べられない…

1ヶ月休んでも2ヶ月休んでも状況は変わりません。そんな時インターネットで症状について調べていて知ったのが、「慢性疲労症候群」でした。すぐに通っていた心療内科に相談をし転院することに。

ただME/CFSを診断できる医者は少ないため、診てもらえるのは数ヶ月後と言われてしまいます。結局、なるべく早く診てもらえる医者を探し受診したところ、そこではME/CFSの“疑いがある”と伝えられました。

【写真】丁寧に手振りを交えながらインタビューに答えるさとうまゆこさん

その後も体調が回復しない日々が続き、休職してから約1年が経つ頃、私は退職を決めます。会社に置いていた荷物を全て郵送してもらい、お世話になった会社の人たちに挨拶もできず、私はただただ、家で寝ていることしかできませんでした。

この頃は寝てばかりの毎日でしたが、幸い気力は衰えませんでした。「いつどんな症状がどの程度出るのか」をメモして医師に伝えたり、医療講演会に参加して質問したりネットで調べたり。症状を軽減できる方法を探し続けました。

さらに半年以上かけて、ほんの少しずつ起き上がれたり、外に出られる時間を増やして、再就労の道を考え出しました。独身でしたし、私はそれまで「自分が働かない」「病気になって長期間就労できない」という状態を想像したこともありませんでした。

社会保障への知識もなく、「休めば多少はよくなる」「働くのが当然」としか思いつかなかったのです。ですが結局あまり回復感は感じられなかったので、フルタイムで働くことは厳しいと思っていました。

会社員が難しくても、比較的融通が利くパートタイムやフリーランスでの就労ならできるんじゃないか?

色々検討し、元々興味があったファッションコンサルタントの資格取得講座に申し込みもしましたが、身体がついて来ず1ヶ月で通えなくなってしまいます。悔しかったけれどやむない決断でした。

もう、到底働くことはできないのかもしれない。

そう痛感した私は、今後の病状の見込みなどを専門家に聞きたいと思い、ME/CFSを診れる病院の受診をすることに。そこで2011年の4月、ようやく正式にME/CFSであるという診断が出たのです。はしかにかかってから、もう4年も経っていました。

さらに発症4年を過ぎると治癒率が大きく落ちること、就労可能なまでの回復は5年、10年を見越した方がいいことがわかりました。

病名や今後の見通しがわかると、安心するという人もいれば、これからどうしようと不安を抱える人もいると思います。けれど、私は「あ、そうなんだ」と思いました。嬉しくもショックでもなくて、この時は治療すれば改善は可能だろうと思っていたこともあり、落ち込むことはあまりありませんでした。

これは、前職でセルフコントロールスキルを学ぶ講座の運営をしていたことも影響していると思います。自分で考えることは選べるけれど、イラっとするなどのふと湧き出る感情や、汗が出るなどの生理反応は変えられない。だから「変えられるものに注力することがメンタルをコントロールするのに大切」と、講師は受講者の方に伝えていました。

・変えられないこと:「生理反応」「感情」「他人」「過去」
・変えられること:「思考」「行動」「自分」「未来」

こんな風に考えてみると、私が病気になったことは変えられないことだなと思ったんです。でもこれから先の症状は、未来は、日常生活の工夫で変えられるかもしれない。人生そこそこ「走ってきた」感は感じていたので、「人生休めてちょうどよかった」とでも思う程度にしようかなと考えたのです。

もう働けない。それでもできることをやり続ける

この頃は、お風呂も毎日は入れないし、頭も自分では洗えない。どんどんと手が動かなくなり家事もできなくなっていました。さらに線維筋痛症(FM)という身体中に激しい痛みが出る病気も併発してしまい、ひどい時は頬に風が吹いただけで涙が出るほどの激痛が走ることもありました。

病気で働けなくなったとき、どうやって生きていけばいいんだろう?

収入がない上再就職できる見込みも、病気が治る見込みもない。医療費もかかるし、貯金が減るのはあっという間だったので、ゼロから社会保障について調べはじめたのです。

失業保険、障害者手帳、難病支援…自分があてはまるものはないのか、厚生労働省、年金機構、ハローワーク、役所、患者さんや支援者の方のブログ、自分が加入していた保険…あらゆる情報をチェックしました。

なんとか理解できたのは、多少なりとも生活費を補えそうで、私がその時点で受給資格がありそうなものは「障害年金」しかなさそうだということでした。

再就労まで10年以上かかるかもしれないのに、他になんの支援も得られないの?

一瞬途方に暮れましたが、体調が悪化する前に申請をしなければと、手続きの準備をはじめることに。しかし役所ではなかなか申請用紙をもらえず、なんとか用紙をもらっても、年金事務所では病気のことを誤解されたのか「そんな病気では障害年金は出ない」などと言われてしまうこともあって、体力が尽き果てそうになりました。

さらに、かかりつけ医はその当時障害年金用の診断書作成の経験がないことがわかり、誰にどう診断書を書いてもらえばいいのかという問題に直面。ネットで調べた限り、ME/CFSの病名で障害年金を受給している人は2011年当時ではごくわずかしかいなさそうでした。

これ以上自力で調べる体力はなく、費用はかかるけれど、障害年金の申請代行をしてくれる専門家の社会保険労務士の方にお願いするしかありません。知名度の低いこの病気で代行を受けてくれるかわからないけれど…

必死の思いで社会保険労務士さんに相談をしたときに、あたたかい言葉をかけてもらいました。

無理しなくていい。今、ここに来ただけでも相当無理していますよね。とても働ける状態ではない。ME/CFSの事例は確かに少なくて私も初めてだけれど、医者が受給に該当していることを書いてくれれば障害年金2級はきっと大丈夫です。一緒にきちんと整理をしていきましょう。

【写真】身振り手振りを交えてインタビューに答えるさとうまゆこさん

この時は病気になってから初めて、ちょっと泣きそうになりました。実際家から徒歩10分ほどのファミレスで待ち合わせたのに、歩いて移動するだけでもヘトヘトの状態だったんです。それまでこの体験したことのないしんどさは、一生懸命に表現を工夫して伝えても、なかなか理解されませんでした。多くを語らずしても、私の耐えがたいしんどさを感じ取って、こんな風に言ってくれる人ははじめてだったのです。

【写真】街頭を車椅子で移動するさとうまゆこさん

その後は歩行困難など症状が重症化したこともあり、障害年金の他に身体障害者手帳も認定が通りました。障害者手帳の「補装具費支給制度」で購入費用の8割方が支給されたことで、電動車椅子を購入。歩行困難な今でも体調がよければ外出が可能になっています。

障害者手帳の支援は等級によって違いがありますが、私はタクシーチケットの支給なども該当し、自力で電動車椅子の運転をするのが困難なときの通院などで使用しています。それぞれ認定されるには一定の条件がありますが、2019年現在国の指定難病になっていないME/CFSでも、社会的支援を受けられる可能性はあるのです。

自分だからできることを。ME/CFS患者のための情報発信をはじめる

私は体調によって動くことができる日もありますが、ME/CFSの患者さんの中にはほとんどベッドから出られない人もいます。自分自身がこの病気になってから、病気について、社会保障について、とにかくずっと情報収集に苦労してきました。

理解され、研究が推進されれば、社会保障や必要な配慮が得やすくなるかもしれない。そのために、患者さんやご家族、医療者、行政関係者はもちろん、さまざまな支援者や学校関係者、企業人事や産業医、そして広く一般の人に伝えたいと思うようになりました。

そう考えた時に自分が取り掛かりやすかったのが、長く仕事にしてきた「(医療)講演会を開催し、サイトに掲載して、専門的な情報を多くの方に知ってもらう」こと。具体的にはME/CFSにかかわる医療・福祉についての講演会の主催、啓発デーの周知活動、講演会・イベント登壇などをしていました。

【写真】車椅子に座りながら真剣な表情で登壇しているさとうまゆこさん

慢性疲労症候群(CFS)医療講演会で登壇中の様子

他にも、患者団体がME/CFSの診療体制改善を訴え行なっていた署名活動を、知人にお願いしたこともありました。私は元々は人と会うことが好きで様々な集まりに顔を出していましたが、体調が悪化してからはごく身近な友人に会うのがやっとの状態。電動車椅子を手に入れ、やっと外に出られるようになって、恐る恐る久々に知人たちの集まる会に顔を出してみました。

何年振りかに突然来て車椅子…色々言われるのかなと覚悟しましたが、どこに行っても「会えてよかった。できることあったら言って!」と言ってもらえたのです。お言葉に甘えて署名活動をお願いすると、なんと短い期間中に1,000通を超える数が集まりました。人事や産業医などの仕事をする方が、ME/CFSについて「自分が接している人でも該当する社員がいるかもしれない」と真剣に話を聞いてくださることもありました。

【写真】多くの人々が楽しそうな表情でうつっている。何人かの人々で「慢性疲労症候群疾患啓発デー」という細い幕をかがけている。

2014年5月に参加した元職場のイベントにて。ME/CFS啓発に協力してくれた参加者の人たちとともに

今は活動はできていませんが、私はこれまで友人や元職場の先輩、知人、色々な方にご協力をいただき、心から感謝しています。

私が受けられたような色々な配慮やあたたかな気持ちを、ひとりでも多くの患者さんが体験できるようになれば…なにも活動できていない今も、そう願い続けています。

症状の急激な悪化。それでも、自分なりに生きるためのエネルギーを保って生きていくために

【写真】真剣にインタビューに答えるさとうまゆこさん

ME/CFSになってから数年経つと、だんだんと工夫して生活することにも慣れ、以前のようなポジティブな気持ちで日常を過ごすことができるようになってきました。ですが発症から10年が経った2017年ごろ、体調が急激に悪化してしまったのです。

以前の感覚では「この体調ならこのぐらいは大丈夫」と思えていたことが、まったくできない状態。外出も多いときは月4、5回できていたのが月1回の通院すら難しく、3、4ヶ月に1度がやっとになってしまいました。

体力が落ちホルモンバランスも崩れて、失神するように15時間程も眠ってしまう。トイレに行きたいと起き上がろうとしても、目が覚めてから数時間、体がまったく動かない。常に頭も朦朧として、ぼんやりと目を覚ましているだけでも具合が悪くてものすごく苦痛で、「過去最悪の症状」が続きました。

先が見えない状態になってようやく気づいたことがあります。それは、病気になってからも私は「頑張ればどうにかなる」と思ってしまっていたこと。頭ではそうではないのだと、わかっていたつもりでした。でもこれを機に身にしみて、「頑張った」としても、病状や症状は努力とは比例しないのだと感じるようになりました。

テレビやインターネットを見たり、音楽を聞くこともできない。日記もツイッターも書けない。天井だけをみて生活しながら、「もうこのままなのかもしれないな」と本気で思いました。ひとりで苦痛に耐えるだけで終わっていく1日が続くのは、さすがに孤独だし退屈だししんどいしで、心が折れそうになっていました。

たしかに努力と症状は比例するとは限らない。それでも、回復の可能性はゼロではないと信じ続けたい。必要な思考・行動をする時間を生み出すだけの心身のエネルギーを生み出すために、一体どうしたらいいんだろう…。

そう考え続けながら今の自分でもできることをとにかく積み重ねました。

例えば、回復するためには筋力をできる限り落とさないことが大切なので、寝たきりから少し動けるようになってからは家の中をなるべく歩くようにして。100歩とか、ひどい時は10歩とか、その場で足踏みするだけでやっとの日もありました。それでも「私はやったんだ」と、行動できたこととして自分の中に記録するんです。

【写真】真剣な面持ちで話すさとうまゆこさん

一生自分で稼いでいけると思っていたのになあ…。

本当に辛くて意識が朦朧としていた時、ふと頭に浮かんだのはこんな思いでした。以前はごく当たり前のことだと思っていたのに。でも今の私はお金を生み出すことはできません。

そうなった時、楽天のアプリで広告をクリックするとポイントが稼げることを思い出して、毎日ポイントをもらうためにクリックだけはしようと決めました。1日数円、数十円程度の、本当に少しの金額なんです。だけど「私は今日は十円も稼いだ」って思うようにしました。一般的に見たらすごく効率の悪い稼ぎ方かもしれないけれど、それでも「私も今日は生産活動をしたよ」と、自分に言い続けました。

【写真】さとうまゆこさんが好きな写真を集めたぴんたれすとの画面。様々な服を来た女性が並んでいる。

意識が朦朧とした状態から戻ったときに、「辛いなかでも、何かやることができていた」ということが大事だと思ったんです。

貯めたポイントで何を買おうか考えてみたりして、少しPinterestのアプリを使ってほしいものの画像を集めていました。買うかは別として、口紅や洋服など、ほしいものを見ているだけでも幸せなのです。なので、元気がない時には自分の心が躍るものを見るようにしています。

外に出たいけど、出られない。だったら外出しなくても生活できる術を見つけるんだと、この時期は思い続けていましたね。

この私の行動は、ME/CFS専門医に「患者さんは『なにかをすると具合が悪くなる』ので、段々と行動すること自体が面倒になったり、恐怖感を持ったりしがちなのだ」と聞いたことが影響しています。

例えば外出がなかなか困難なとき。外出後の具合悪さを何度も経験するうちに「外に出ない方が楽だな」とか「外に出るのが怖い」という心理状態になって、ますます外に出られなくなってしまうことがあると思います。それを防ぐためには小さな行動をやりとげることが大切なのだそうです。それは例えば「1日1回、一瞬でもドアの外に出る」だけでも違ってくるはずです。

「すぐには回復しなさそうだ」と思った時に、今の状況を一旦いいでも悪いでもなく、ジャッジせずに受け入れる。そして同時に「行動を起こすエネルギーが枯渇しきらないためのなにか」があることが、必要なのではないか。そう考えてこの頃は過ごしていました。

楽しくないと乗り切れない。辛い時こそ一緒に笑いあえる母の存在

【写真】さとうまゆこさんをおだやかな表情でみつめるまゆこさんのお母さん。

ME/CFSになってからずっと私の支えになっているのが、母の存在です。

実は母との関係は、ME/CFSになってから良くなったと思っています。昔は全然違う性格でその溝があまりにも大きいから、話してもわからないだろうと思って、ちゃんと話していなかったんですよね。でも病気になり私が1日中家にいるようになって、一緒にいる時間が増えたことで、母の小さい時の話を聞いたり、私も学生時代思っていたことを話すようになって。その頃考えていたことを話すと母はびっくりしてました(笑)。

【写真】お茶を準備するまゆこさんのお母さんと、笑って見守るさとうまゆこさん。二人の間に穏やかな空気が流れている。

ただ発症当初は喧嘩をして、お互いにイライラすることが多い期間が何年も続きました。母としては心配だからこそ、病気のことがよくわからないことで苛立っていたみたいです。

ME/CFSは体調に波があり、私は今でも体調がいい時、数十分から数時間はエネルギーがあるタイプです。例えばテレビをみて笑った声がすごく大きいときもあります。母としてはそういう姿を見て、「なんで元気な時にお風呂に入ったり、やらなきゃいけないことを優先しないの?」と思っていたそうです。

でも私はME/CFSの波を乗りこなすためにも元気な時にエネルギーを貯めながら、ここぞという時を自分で選んできたいタイプ。そういうことも時間の経過とともに理解してくれるようになりました。

ME/CFSは大変な病気ですが、私たちが大切にしているのはとにかく一緒に笑うこと。テレビを見たり、日常会話をしたりくだらないことでも、すぐ笑うんです。母はよく道を間違えたり、料理でも材料や作り方を勘違いしたり、うっかりなことがあるんですけど、そういうのもとにかく一緒に笑う。「楽しくないと乗り切れないよね」とよく話しています。

症状が軽かった時は、二人で息抜きに旅行に行くこともありました。そのあと旅行の疲れから1週間くらい寝込んでしまうのですが、「それも込みで旅行だ」って思っていました(笑)。最近は旅行はあまりできていませんが、また行けるように回復していきたいです。

【写真】笑顔でみつめあうさとうまゆこさんとお母さん

父ががんで亡くなって、さらに私の病気がわかって、母は本当に大変だったと思います。また、私の体調の変化を近くで見ているのは不安だったと思いますが、ずっと支えてくれていることに、本当に感謝しています。

ポジティブでもネガティブでも、自分に合ったあり方で生きていく

「病気になってよかった」とは言えません。ならずにすむならその方がよかったけれど、病気になった事実を変えることはできない。ならば、この体で少しでも苦痛少なく、自分らしく、いきいきと生きていくにはどうしたら良いのか…その方法を考え、実行していくことにエネルギーを注ぎたいのです。

ネガティブな気持ちが勝つことはもちろんあります。そういう自然と湧く「感情」や「痛み」は変えられないもの。その感覚が出たときは見ぬふりはせず、とりあえずそのまま感じます。私の場合はひとしきり感覚を感じたら、その症状や気持ちをなにかに書きとめる。すると、自分を少し離れて見ることができる場合もあります。

さらに、症状や気持ちなど「変えることができないもの」に対して、どんな対処ができうるのかを列挙し、「実際に実行できそうで、効果の高そうなもの」から順番にやってみること。自分の知識の範囲でどうにもならないものは「とりあえず調べてみる」「専門家を探す」などできる範囲の行動を第一歩にします。行動ができないときには「できるまで保留にして休むことに徹しよう」と意識的に決定をすることも。

中には、ネガティブな感情を原動力にする方がラクなこともあるかもしれません。私の場合はネガティブな感情に注意を向け続けていると、心身の消耗を感じます。楽しいこと、ワクワクすること、キレイなもの、おいしいもの…そういったものに触れている方がエネルギーがチャージされる感覚があるのです。

でも、ポジティブでもネガティブでも、自分に合ったあり方で生きていくといいのかなと今は思っています。

【写真】笑顔のさとうまゆこさん

病気とのつきあいは、これからも長く続くでしょう。

以前私は、病気になっても優秀な医師を探し当てれば治る可能性があがるのではないかと、漠然と思っていました。しかし病気になってみて、医師選びは大事ではあるけれど、治るとは限らない病気もたくさんあると知りました。

「治りはしないけれど、できうる限りでベストの状態」を保てれば御の字、な状況もありうるのだなと今は感じています。

とはいえ、治療・回復だけに人生のすべてを使い切ってしまうのも味気ないもの。自分のやりたいこと、ありたい状態を少しでも実現できたらいいなあと思うのです。

私はそのために、医師や専門家に適切なアトバイスを受ける上でも、下記を自分で明確にすることを大事にしています。

・人生でなにを大事にし、どう日々を生きたいのかの優先順位
・そのために今起こっているどの症状をどの程度まで軽減したいのか
・症状軽減し、自分の心身のエネルギーを保つ・増やす方法を探し、ストックする
・その上で、自分でできる努力は(生活習慣の改善等)できる限りやる
・(できるだけ)努力した結果に一喜一憂しない

こうした方法も、年齢や環境とともにかわるかもしれませんし、何年かに一回は見直してみるといいのかなとも思っています。

【写真】街頭で車椅子に座り満面の笑みをうかべるさとうまゆこさん

病気だとしても、社会との接点を持つという意欲を忘れたくない

ME/CFSになって、誰かの手を借りないと生きていけないと思うようになりました。私の場合は車椅子での移動一つでもそうです。今までは収入を得て、周囲に迷惑をかけず、こじんまりと人生を終えていけると思っていたんです。でもそうじゃないこともあるとわかりました。

ただ、なにかお願いするにも、症状も多様な上、症状自体がめまぐるしく変わることもあり、お願いする内容や理由をわかりやすく伝えることも難しいです。それは、自分自身も体調を予測しづらいから。

例えば「今くらいの体調の悪さなら、2日後には少し動けるだろう」と見込んでいても、流行りの風邪にかかってしまったり、気圧変動などの影響で、数日〜1週間以上回復がずれ込むことがあります。こういったことは私自身モヤモヤするし、おそらく周囲の人にも理解しづらいことでしょう。

私の周囲の人たち、そして社会とのかかわり方は、まだまだ試行錯誤が続きそうです。それでも可能な限り、病気うんぬんというより「人と人」の気持ちのよい付き合いができたら…そう思っています。

実は私は、以前作った公開するかわからないME/CFSの情報発信のウェブサイトを、今でもたまに開いたりしています。まだ更新できる体力がなく、今は公開予定はありません。でも、病気だとしても、社会との接点を持つという意欲を忘れたくないのです。

私はこれまでもこれからも、自分なりのやり方でエネルギーを保ちながら、生きていくのだと思います。

関連情報
佐藤まゆ子さん Twitter

(写真/馬場加奈子、編集/松本綾香)