【イラスト】楽しそうに会話をしている友達の中で、どこかをみつめている一人の女性

幼い頃から私は、その場の空気や、相手の感情を読みすぎてしまうところがありました。

相手は何を考えているのだろうか。感情はどうだろうか? そういったものを読み取ることが得意で、むしろ「読み取らなければいけない」と思っていたのです。

この性質を持っていたことで、周りからは「優しいね」「感受性が豊かだね」などと褒められることもありましたし、そういった私の性格が好きだと言ってくれる人にも出会え、いいこともたくさんありました。

ですが同時に、気にしなくていいことまで気にしてしまう、受け取らなくてもいい感情まで受け取ってしまうので、「めんどくさいやつだな」「空気読みすぎ」と鬱陶しがられる、また自分自身が疲れてしまうこともありました。

だから、今から10年以上前に「KY」という言葉が流行したとき、それはどちらかと言えば空気を読めない人に対しての批判や揶揄の意味を込めて使われる言葉でしたが、私はそんな「KY」な人たちに、憧れのような感情を抱いていたことを覚えています。

「その場の空気に敏感すぎる」「気にしすぎてしまう」。この性質によって、今でもたまに、人とのコミュニケーションが難しいなと思うときがあります。この「繊細な心」と、どうやって付き合っていけばいいのでしょうか? 

私が実際に日々生きながら感じている「悩み」について、内科医の鈴木裕介先生にお話を伺い、その悩みと向き合うためのヒントを模索するコラム連載も、今回が最終回となります。
最終回は、前述した「繊細な心」との付き合いかたについてのお話です。

コミュニケーション特性としての繊細さや敏感さ

あかしさん、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)*って言葉、聴いたことありますか?

ハイリー・センシティブ・パーソン、略してHSP。私はこの言葉を、ゆうすけ先生に教えてもらって、はじめて知りました。

HSPというのは、環境から影響を受ける感受性がとても高く、敏感さや繊細さが強い人々のこと。他者と自分の境界が薄いがゆえに、他者や環境、出来事からいろんな感情情報や刺激を受け取りすぎて、強い影響を受けてしまうことがあるんです。

例えば、すごく怒ってたり悲しんでいたりする人が近くにいると、自分のことではなくてもとてもつらい気持ちになってしまったりしてね。

言葉の説明を聞いたとき、ああ、私にとても当てはまるな、と思いました。この性格は、一種の「病気」のようなものだったのか。そう思っていたら、まるで私の心を読み取ったかのように、ゆうすけ先生はこう続けます。

くれぐれも誤解しないでほしいのが、HSPは「病気」ではなく「気質」だといわれています。敏感さ、繊細さがコミュニケーションの特性として生まれ持ってあるだけで、あかしさん自身が弱いわけでも悪いわけでもありません。その特性を活かせる環境に身を置くことで、強みにもなるんだよ。

HSPはただの特性で、その特性を「強み」に変えていくためのヒントはたくさんある。その言葉を聞いたとき、私の胸は希望でどくん、と高鳴りました。

※HSPという概念について。HSPはユング派の心理療法家であるエレイン・アーロン氏により提唱され、その著書により一般の人たちの間を中心に広く普及した言葉です。HSPに関する情報には科学的な客観性に乏しい主張も多いため、記事末尾に鈴木先生による解説も記載しています。詳細はそちらをご覧ください。

他者との健全な境界線を作る

HSPは、良くも悪くも環境や他者からの影響を受けやすいんですね。だから、いい刺激のある環境では成長のきっかけになるものをいっぱいもらえますが、よくない刺激のある環境から受ける影響も大きいんです。

だから、攻撃的、支配的な人がいる環境だと、その人たちとのコミュニケーションでダメージを受けやすく疲弊します。もし今、自分がそういう環境にいるなら、まずは他者との「健全な境界線」を作ることをイメージするのが大事です。

この言葉を聞いて、私は小学生と中学生の頃、いじめのようなものを受けたことがある記憶を思い出しました。そして、私をいじめる相手はいつだって、「攻撃的な人」だったことも。

嫌われるのが怖くて、いつも周りの誰かの目ばかりを気にして、うまく断り無視することができなかった私は、きっと反応がおもしろく、いじめる格好の相手だったのでしょう。その頃の私は、他者との健全な境界線を作れていなかったのだ、と思います。

では、その「境界線」は、どうやったら作れるのか。

まずは、「自分がしんどくなる環境に身を置かない」「見ない」ことが大事です。感情が流れ込んでくることはコントロールできないので、まずは自分が過度に情報を受け取ってしまいそうな環境には、そもそも身をおかないようにした方がいい。

たとえば僕も満員電車がすごく苦手。ギスギスしていて、「悪意の巣窟」みたいになってるときがあるよね(笑)。そこにいると、感情を受け取りすぎてしまって攻撃的になってしまったりする。そのことを理解しているから、満員電車にはあまり乗らないようにしています。境界線を自分で作ることは、自分を守るために必要なことだよ。

自分を守るために、自分で境界線を用意する──。実は私はこのことに、身に覚えがありました。ゆうすけ先生の話を聞くもっと前、具体的には大学生くらいから、自分と他者の間に自ら「境界線」を作るようになっていたのです。

感情を思い切りぶつけてくる人、どうしてもこちらの感情が揺さぶられてしまう人。そういった人がどこか苦手で、次第にそっと距離を置き、心のシャッターを閉めるようになっていて、そしてそれは、あまりよくないことなのだ、と思っていました。相手を受け入れられない自分は、うまく距離を取ってしまう自分は、人としてダメなのではないだろうか。そう思っていたのです。

でも、ゆうすけ先生の話を聞いて、ある程度の「境界線」を作ることは、自分を守るために必要なことだったんだな、と少し心が楽になった気がします。

【イラスト】にぎやかそうな環境の中で、イヤホンをつけて読書をしている女性

インターネットは感情の海。その海に溺れないように

私はTwitterが好きでよく触っているのですが、Twitterはいわば感情の海。常に誰かが誰かに怒っていたり、喜んでいたり、羨ましがっていたり、喜怒哀楽さまざまな感情が、情報として流れ込んできます。

そして、自然災害や世の中で起こる凄惨な事件などの情報も、自分が予期せぬタイミングで入ってくる。ニュースとしては知っておいた方がいいのかもしれませんが、事実だけでなく感情が追加されたものを何度も何度も目にすることは、時にしんどくなってしまいます。

だから私は「自分の感情が揺れてしまいそうだ」と思うと、意識的に境界線を作るようにしています。Twitterを見ない1日を作ったり、見たくない話題に関してはキーワードでミュートをかけたり。そういった、自分が健康でいられる環境を確保する術を、少しずつ身につけられるようになっていきました。

健全な境界線、健やかな鈍感さを、意識的に作っていく。これはとても大事なことだと、今は心から思っています。

どうしても逃れられないときは、「溜め込まずに吐き出す」

それでも、どうしても「受け取りたくない感情を受け取ってしまう」環境から逃れられない瞬間はあります。電車や街の中で誰かの怒りに触れたり、一緒に働いている職場の雰囲気が急に悪くなったり、見たくないものを見てしまったり。そんなときはどうしたらいいのか? 

ゆうすけ先生に尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。

「受け取りたくない感情を受け取ってしまった」と感じたときは、とにかく溜め込まないことが大切です。誰かに話す、叫ぶ、歌うなど、なんでもいいので、受けてしまった感情を、なんらかの形で吐き出すことが大事です。よく「ガス抜き」っていう言葉があるけど、感情って「圧力」があるんですよね。

自分の心の中に溜め込みすぎていると、圧力がパンパンになってものすごく苦しくなる。なので、破裂しないために意識的に「圧を抜いてあげる行為」が必要なんです。

【イラスト】外の光景を見渡す女性の後ろ姿

いくら自分で境界線を作ろうと、コントロールしきれない部分はどうしてもある。そのときは、パートナーや友達に話を聞いてもらって、発散することを心がけようと思います。

「否定的側面」だけでなく「肯定的側面」を知る

HSPの性質があるかもしれない、とゆうすけ先生に言われたとき、「私のこの性格は生まれ持ったものなんだったら、しょうがないのかもな」と、どこかで勝手に、悩みを「諦め」によって完結させようとしている自分がいました。

でも、その気持ちは、ゆうすけ先生のこんな言葉でハッと我に返ることになります。

自分の性質を知ったときに、「私はこういう症状なんだ」とショックを受けて、自己理解を止めてしまう人も多い。でも、特性の「否定的側面」だけでなく「肯定的側面」を知ることが大事なんです。

たしかに、私はこの性質の「否定的な側面」だけを受け入れて、上手く付き合っていくしかない、と思っていました。敏感で繊細だから、他者との境界線をつくって、どうしようもないときは我慢して発散する。それで終わりそうになっていた。その性質の持つ「肯定的な側面」にまで、思いを馳せられていなかったのです。

自分を理解するときには、「こんな脆弱な性質が自分にはある」という認識で終わらせるのではなく、「こんな脆弱性が自分にはあるが、その性質は、どんな環境だと活かすことができるのか?」という部分まで考え抜くことが大事なのだ、と思います。

生かすも殺すも、自分次第。せっかくだったら、ちゃんと「生かせる」環境を見つけたい……!

「繊細さ」は魔法のようなもの。ちゃんと魔法を使える“パーティ”を選ぶ

何度も言うけど、「繊細さ」そのものは、いいものでも悪いものでもない。環境からの「影響を受けやすい」ということにすぎないんだよね。たとえば、「炭鉱のカナリア」って言葉を知っていますか?

繊細な気質を活かせる環境の具体例として、ゆうすけ先生は、「炭鉱のカナリア」を例にして話をはじめました。炭鉱のカナリア。聞き慣れないその言葉に首を傾げていると、先生はこう続けます。

炭鉱では、たまに有毒ガスが発生することがある。カナリアは微細な環境変化に気付きやすく、人間よりも先に毒を察知して気づいてくれるんです。

人間でも同じように、その場所の危険や異常とか、人間関係の違和感を敏感に察知して教えてくれるカナリアのような存在っていますよね。そういう人、すごく貴重じゃないですか?

たしかに繊細さという特徴は、一見すると「すぐに感情移入する、気にしすぎる、傷つきやすい」と捉えがち。でも、その性質は少し視点を変えてみれば、「違和感に敏感、危険を察知してくれる」とも言えそうです。

そして先生は、「その貴重さに気づいてくれる人と一緒に、“パーティ(チーム)”を組んだ方がいい」と続けました。

人は、人と関わりあいながら、相対的に生きています。誰と共に生きるかによって、自分の特性の扱われ方も全然違う。

私は、小学校や中学校など、一緒にいる人を選べない環境ではこの特性の生かし方がわからずにいろいろと苦労しましたが、今の編集者・ライターという職業では、繊細だからこそ気づけることがたくさんあって、ようやくいいパーティを選ぶことができたのかな、とぼんやり思っています。

人間は、生まれつき持っているカードが違う。「敏感さ」というカードを引く人もいれば、「体力」というカードを引く人もいて、自分ならではの性質が必ずある。ちゃんと、自分自身のカードの特性が生かされるような、そんな環境、仲間を見つけられると、きっと人生は楽しくなるよ。

生まれ持った「繊細さ」というこのカードを生かせる環境を大切にしながら、そして時には自分を守るための「健全な境界線」という技を使っていく。そうやって、等身大の自分自身を愛して生きていきたい、と思うばかりです。

【イラスト】主治医の先生と、楽しそうに会話をする女性

*HSPという概念とうまくつきあうために知っておいていただきたいこと

HSPは、ユング派の心理療法家であるエレイン・アーロン氏により提唱され、その著書により一般の人たちの間を中心に広く普及した言葉です。エレイン博士は「他人といると疲れやすい」「騒音や満員電車が苦手」「美しい音楽に感動しやすい」といった環境に対する感受性、反応の大きさの個人差を表す性格傾向を「感覚処理感受性」と命名し、その尺度を測定するHSP scaleを提唱しました。注1

その概念のセンセーショナルさ故に、多くの方々に共感・共有されていますが、その一方で、インターネットなどには科学的な客観性に乏しい主張が多くみられるという点が問題視されています。

HSPという言葉が広がっている背景には、それだけその人が抱える「敏感さ」と環境のミスマッチによって苦しんでる人がとても多いということのあらわれでもあります。

まずは自分の苦しみに輪郭が与えられることで、「当事者の心が楽になる」ということは非常に大きな意義であると考えます。

実際に「先生、私HSPだと思うんですが…」と言われるケースも増えてきています。感覚過敏や対人関係における過敏性は、生きづらさやメンタルヘルス不全との関係が深いですが、それは過敏であるがゆえ環境とのミスマッチが生まれやすいことによるものでしょう。

自分の不調や生きづらさが「環境からの過敏性」と結びついていると気づくことで、事態が好転するきっかけになることも多くあります。

また、HSPという「共通言語」があることによって、同じように敏感な人がその苦しみを分かち合えたり、敏感ではない人が敏感な人の苦しみを知る機会の創出につながります。

「敏感さがつらい」と口にする方が、それを深堀りすることで発達障害などの遺伝的な要因や愛着障害、生育環境やトラウマの問題に気づくなど、具体的な課題の発見につながることも多く、当事者が自己理解を深める「きっかけ」としての有用性がある概念でしょう。

その一方で、HSPという概念に対しては様々な誤解があるということも知っておいていただきたい事実です。

最も問題視されているのは、先述の通りインターネットなどに科学的客観性の低い主張が数多く存在するのが原因で誤解や混乱が生じやすいことや、さらにはその科学性の低い主張を根拠とした法外な値段のケアやサービスへの誘導につながっていることだと考えます。

例えば、HSPであることそのものが「生きづらさ」というわけではありません。かつては敏感さが「脆弱さ」とみなされていたこともありましたが、様々な研究により認識が改められています。注2

せっかくHSPという言葉に出会っても、得られる情報の質のばらつきによって、正確な自己理解につながらない、というのは避けるべき事態です。

私が直面するよくある誤解は、「HSPによる対人関係の敏感さは生まれつきの気質であり、治らない」というものです。たしかに、感受性にはセロトニントランスポーター遺伝子などに代表される遺伝的な要因があることは知られていますが、それだけですべて決まるわけではありません。

「他人に対してびくびくしてしまう」といった対人局面での過敏性は、養育環境や傷つき体験などといった非遺伝的な要因の影響も大きく関係しています。それに、感受性が高いということは良い環境からの恩恵も非常に大きいということであり、よき人との出会いや関わりや後天的なトレーニング次第で大きく改善しうるものと考えています。

(HSPに関する参考情報は、思春期・青年期を対象とした環境感受性理論の発達心理学的研究を行っている飯村周平先生らのこちらのサイトもご参考ください。)

また、HSPという概念に議論すべき点があるからといって、当事者の苦しみが矮小化され、軽視されていいということではありません。

SNSなどで概念に対する批判を目にすることで傷つきを深める当事者の方もいるかもしれませんが、「自身が傷ついている」という事実があるならば、それは誰にも侵されるべきものではないと思います。

重要なことは、この概念をきっかけに、「自分の敏感さ」というものに焦点が当たることであり、さらにそこから「では、自分のこの過敏さはどこから来るのか」「どうしたらもっと生きやすくなるだろうか」というような問いがすすみ、より本質的な課題に近づいていくことが望ましいのではないかと考えます。

そして、そのような局面において心理職などの専門家のサポートは大きな力になるでしょう。

いずれにしても、よりよい形で自己の理解がすすめば、苦痛は軽減されていく方向に向かいます。その一助となることが、HSPという概念の本来のあり方なのではないかと考えています。

注1:参照 Aron, E. N., & Aron, A. (1997). Sensory-processing sensitivity and its relation to introversion and emotionality. Journal of Personality and Social Psychology, 73(2), 345-368.

注2: 参照:Belsky, J., Bakermans-Kranenburg, M. J., & Van IJzendoorn, M. H. (2007). For Better and For Worse: Differential Susceptibility to Environmental Influences. Current Directions in Psychological Science, 16, 300-304.

(「秋葉原内科saveクリニック」院長 鈴木裕介先生より)

soarではライターのあかしゆかさんが実際に日々生きながら感じている「悩み」について、内科医の鈴木裕介先生にお話を伺い、その悩みと向き合うためのヒントを模索するコラムを連載しています。

〈1〉“人からの期待に応える”ことでしか、自分を認められない。そんな私が自分のための人生を歩み始めるまで/あかしゆか

〈2〉大切な気持ちを話すと、涙が出てしまう。私がそんな性質と付き合えるようになるまで/あかしゆか

変更履歴:HSPに関連する研究の進みや情報発信の現状を考慮し、記事内にあるHSP解説の部分を更新いたしました。(2021年3月2日 soar編集部)

(イラスト/あさののい、編集/工藤瑞穂 )