【写真】カメラに向かって笑みを浮かべるあおきさん

嬉しい、苦しい、悲しい、楽しい。

みなさんは、そんな自分の感情たちが好きですか?それとも嫌いですか?

私は、自分の感情を憎んでいた時期がありました。

楽しい、嬉しい気持ちが溢れたときには、その気持ちをあえて否定したいとはあまり思いませんよね。噛み締め、味わい、誰かと共有したいと思うでしょうし、それは幸せな気持ちをさらに大きくします。

悲しさやイライラなどネガティブな感情が現れたときは、それに振り回されて日々が楽しく過ごせない。誰かに辛く当たってしまう。涙が止まらない。そんな風に感情がダダ漏れになってしまうと、日々生きづらくて生きづらくてしょうがない。

だから、いつの間にか感情に気づかないフリをすることが増えていきました。

でもそうやって、自分の感情たちを無視し続けても、その感情の存在がなくなるわけではありません。きっと感情たちは、心の奥に部屋に鍵をかけて閉じこもって、無視されていることを悲しみ、孤独に見つけられることを待っていると私は思います。

そうした無視された感情たちは、ふとした出来事で呼び起こされ、目を覚まし、私たちを驚かせることがあります。そして、私たちは苦しくなったり、涙が出たり、言葉にできないモヤモヤを抱えたりするのでしょう。

【写真】笑顔で座っているあおきさん

私は、そんな風に自分の中のネガティブな感情に出会った時、私はそのネガティブな感情を見つめる時間をつくるようにしています。

感情を見つめていくことで、見て見ぬふりをしていた「自分の感情たち」を抱きしめて、受け止めることができるようになります。そうして受け止めることができれば、暗い部屋から出てきた感情たちがいなくなって、自分の身体が軽くなる感じがします。感情が死んだわけでも、消滅したわけではないのだけれど、私の友達として居てくれるような感じがするのです。

自分の中の「ネガティブな感情」を嫌いにならないで、向き合ってみる

インタビューに応えるあおきさん

私は今、「認定NPO法人PIECES」という、虐待や貧困などの環境に育った子どもたちとの関係性を紡ぐ“地域の市民”を増やす活動を行う団体で働いています。

虐待や貧困などの環境に生きる子どもたちは、周りに頼る機会や頼る人がいなく、孤立している場合があります。そうした環境に生まれ育った子どもたちもまた、私たちと同じように自分のネガティブな気持ちをうまく対処できないでいることがあります。

だからこそ、PIECESでは、そうした子どもたちに関わる大人向けに、私たち自身がどのように感情と向き合ったり、子どもたちと関わるか考えるために、ワークショップや研修を行っています。

たとえば、そのワークショップのなかでは、リフレクションや自己覚知といった自分の感情を扱うワークを必ず行います。リフレクションとは、自分が経験したこと、感じたことをそのまんま放置せずに、言葉にしたり、抽象化させたりすることで、気づきを得て次に繋げていくための方法。自己覚知は、自分の価値観や特性、感情のことを俯瞰してみることです。

PIECESでは、大人が子どもと関わる活動をしたあとも、子どもとのコミュニケーション場面についてリフレクションを行い、次の活動に繋げていくようなワークを行っています。

これがなぜ必要かというと、子どもと関わる上で、大人自身が自分のことを知っていく、自分の感情を扱う、というのは極めて大事なことだからです。

・親との関係性で悩んでいる子ども
・自分のことを大切に思えず、自分を傷つけている子ども
・友達とうまくいかなくてイライラしている子ども
・社会に対して不信感を持っている子ども

いろんな思いを持った子どもと接するときに、私たちは、「私」という心と身体を持った存在を通じて、コミュニケーションを行います。その際のコミュニケーションに自分の心や身体が介在する限り、自分の「価値観」や「感情」を排除することはできません。

だからこそ、自分を知っておく、自分を俯瞰して見るということが大事になるのです。

これは、子どもに関わる人だけではなく、すべての人にいい影響をもたらす大事なことだと思います。

大人同士のコミュニケーションでもイライラすること、モヤモヤすることはありますよね。そんな時に、自分の感情を振り返ると、過去の辛かった記憶と仲直りできる機会になったり、気持ちの良いコミュニケーションに繋がったりすることがあります。

今回は「ネガティブな感情」が自分の中に湧き上がってきたときに、その感情とどう向き合うかをみなさんにお伝えしたいと思います。

大人になってから「感情の蛇口を開けること」はエネルギーが必要なこと

まず前提として伝えておきたいのが、「大人になって自分の感情を見つめなおす」のは本当にエネルギーの必要なので、無理はしないでほしい、ということです。

自分の感情を感じることは、大人になればなるほど難しくなると思います。

【写真】話をするあおきさん

多くの人は、感情の蛇口をキュッときつく締めて、感情が漏れないように、目の前の〈やるべきこと〉をこなしながら日々を過ごしています。

例えば、押し寄せてくる仕事や聴きたくなかった誰かの悪口。誰かに言われたムカつく言葉。本当は悲しいし、怒りたい気持ちがあるけど、感情の蛇口をひねると仕事にならないので、きつくきつく蛇口を締めておく。そうして、しまいには、自分に感情があったことも忘れていく。

そんな日々を過ごしている私たちの奥底には、気づかないうちにたくさんの感情がたまっていることがあります。悲しみ、憎しみ、もどかしさ、切なさ、悔しさ。感情が積み重なっていき、過去の感情は、奥の方に追いやられて閉じ込められていきます。

しかし、心が揺さぶられる出来事や、過去を思い出す内省のワークをしたとき。そして感情でコミュニケーションをとる必要がある子どもと接したときなどは、感情の蛇口が少しゆるまり、顔を出してくることがあります。

「あの時、自分がないがしろにされている気持ちがして本当はすごく悲しかった」
「自分を根本から否定されて、ムカついた」
「あの人を裏切ってしまった。なんであんなことしたんだろう」

これまで閉まっておいた感情がいきなり外に出てくると、ひりひりしたり、どきどきしたり、隠れたくなったり、泣きたくなるかもしれません。その感情を見つけた、それだけでも本当に本当に、自分に負荷がかかっていると思います。

なので、もしそんな感情が表出してきたら、自分を十分に褒めて労ってあげてください。

「自分の感情に気づけたね。えらいね」
「悲しい気持ちさん、出てきてくれてありがとう」

そんな風にして、出てきた感情たちが怖がっていなくならないようにしてみてください。

自分にとって辛いものだったから、自分にとって負荷がかかりすぎるから、閉まっておいた気持ちもあるでしょう。そうやって何年も眠っていた感情や、みてみないふりをしていたものを見ることは、過去の傷口を開くようなことになるかもしれません。

それは心に本当に負荷がかかることですし、心の疲れは身体の疲れにも通じます。

だからこそ、感情を見つめることがこわいと感じる時や、心のエネルギーがあまりない時には、無理して感情を思い出そうとしないでください。

湧き上がってきた感情を言葉にしてみる

もし何かのきっかけで、普段は隠れていた感情が湧き上がってきたら、まずはそれを言葉にしてみてください。なかなか言葉にできないものが感情なので、言葉にするのは難しいですし、しっくりこないかもしれませんが、少し試してみてもらいたいです。

・もし、それに名前やラベルをつけるとしたら、どんな名前になるでしょうか?
・その感情を感じていた自分を、もう一人の自分から見つめてみると、なんと声をかけてあげたいでしょうか?
・熟語で表すとどんな熟語になるでしょうか?

こんな問いかけをしてみてください。そうすると、いくつか言葉が生まれてくるかもしれません。

「これは悔しさだったのかもしれない。これは迷いや戸惑いだったのかもしれない」
「もっと自分を見てほしい、という孤独感だったのかもしれない」
「これはあの人を大切にしたかったのに、できなかった後悔なのかもしれない」

こうして言葉にしてみると、感情の解像度が上がったり、表面的な感情のさらに奥に潜んでいた感情や願いに出会えることがあります。やり方は、誰かと話すのでもいいし、書き出してもいいし、独り言でもいい。文章にするのが難しければ、絵を描いてもいいと思います。

感情に対して評価したり、分析したりせずに、抱きしめてみる

【写真】インタビューに応えるあおきさん

自分の感情が見えてきたら、その次には、その感情を抱きしめてみてください。そうすると、その感情が今の自分と一体化しなくなり、少し楽になれるかもしれません。

「抱きしめる」と言ったのですが、これはとっても難しいことです。
抱きしめることの難しさについては、よく起こる2つのパターンから説明してみたいと思います。

1つめが、感情が見つかった時、その感情を評価して、自分で自分を否定するパターンです。
私たちは、どうしても自分の感情をみつけると、それについて〈評価〉してしまいます。そして、評価すると次の新しい感情が生まれます。

たとえば、「怒っている自分」が見つかった時、それに対して、あなたが「怒るのは良くないことだ」「怒りは鎮めなければいけない!」と評価すると、「怒っている自分」に対して、怒りや悲しみといった新しい感情が生まれてきます。

すると、結果的に、感情は増幅していき、どんどん自分が苦しくなる場合があります。
なので、沸き起こった感情を評価するのではなくて、「ああ、怒りがあったんだねえ」「ムカついたねえ」と、その感情を感じていた自分をもう一人の自分で抱きしめてあげてほしいと思います。

「その感情が湧き上がってくる自分」に対して自分で自分を怒ったり、自分で自分に悲しんだりしないことは、とても大切です。

【写真】公園を歩くあおきさんの後ろ姿

2つめが、感情が見つかった時、感情の背景や原因を探り、理性で感情を見ないふりをするパターンです。

私たちは、悲しみや怒りに出会った時、どうしたらその感情がなくなるのかわからなくて戸惑い、そのやり場に困ります。

だからこそ、怒りを感じた時、人は誰かのせいにしたり、誰かにイライラをぶつけてスッキリしたくなります。悲しいことがあった時、この悲しみがなぜ起こったのかを分析して、誰も悪くなくて環境や構造の問題なんだ、ということにして片付けておきたくなります。

しかし、たとえ原因がわかったとしても、その「感情」が湧き上がった、という現実はなくならないので、けっして癒されてはいません。そして、感情は二元論的なものではないので、完全に白黒はっきりさせることなどできません。

たとえば、私は小さい頃、いじめられていた経験があります。最初はいじめてきた子を恨んで、心のなかでその子を責めることを、感情の吐き出し口にしていました。

しかしそのあと、よくよく話を聞いて構造を紐解くと、その子も家庭でDVを受けていて孤独で辛かったとわかりました。そうすると、私がいじめられて感じていた悲しみは、誰のせいにすることもできず、八方塞がりになり消化できないままになってしまったのです。


このように、誰かを「悪者」に仕立てあげたとしても、その「悪者」の心の中を見てみると、その人にもその人なりの事情や感情があるので、その人を完全に責めることは難しいのです。また、社会構造の問題にしても、悲しみは癒されず、感情のやり場がなくなります。

そうして、当時の感情はずっと消化できないまま、私の心の奥で眠っていました。

ですが、ある時、そのことを思い出してリフレクションをした時に、私は「あの子も辛かったんだねえ。私も辛かったよ。2人とも、誰かに助けて欲しかったねえ」と過去の自分の感情を抱きしめることができました。そうすると、すっと心が軽くなっていきました。

リフレクションは、けっして心が軽くなること自体が目的ではありません。もしかしたら、軽くならないかもしれないし、軽くならない方がいいこともあるのかもしれない。

だけども、ずっと治らない傷だと思っていたものを抱きしめることで、ふっと軽くなることもあるのです。そうすると、少しだけ、明日の見え方が変わることもあるでしょう。

だから、生まれた感情を何かのせいにしてごまかしたり無視せず、抱きしめることを大切にしてほしいのです。

「抱きしめる」というのは、その感情が湧き上がった場面や過去を見つめて、否定せず声をかけてあげること。過去の自分、自分の中にいる小さな自分の心に、そっと触れるようなイメージです。

「今まで無視していてごめんね」
「寂しかったんだね、側にいって、抱きしめるね」
「ムカついたよね」

こんな風に声をかけると、不思議と心が軽くなるかもしれません。

【写真】歩きながら話をする青木さん

あの人も、私も、みんな苦しかったし、辛かったし、しんどかった。こうした感情がそこにあっただけなんだ、という世界が広がってきます。そうすると、恨めしかったあの人も、自分で自分を責めていた自分をも、全部ぎゅうっと抱きしめられるような気がしてきます。

感情を出すのを焦らない、無理しない

ここまで、ネガティブな感情を消化するため、感情を言葉にして抱きしめる方法についてお話してきました。

ただし「感情を抱きしめる」ためには、そのわき上がった感情とのほど良い距離感が必要です。だから、今すぐにできないことを悲観しないでほしいですし、焦って感情を見つめようとしないでください。

距離感とは、時間と空間です。感情にもよりますが、自分にとって大きな揺れとなる感情であればあるほど、その感情が発酵し、見つめることができるまでには時間がかかります。

また、感情が揺さぶられる原因となる環境や人がいるところと近い場所にいるとどうしても、その感情を直視したり、客観的に見つめることが難しいです。

さらに、自分一人ではその距離感を保つことが難しい場合も多くあります。その場合は、医師やカウンセラーなど専門家の補助を受けたり、専門家の行う場で行うことをおすすめします。

時が来れば、過去の自分や小さな頃の自分の感情に出会えるタイミングがあると思います。
その時に、そっとそっと抱きしめてあげてほしい。

だから、焦らなくていてください。きっと、時間がそのタイミングを教えてくれます。

「感情をみんなで共有する」という希望を広げたい

【写真】真剣な表情でこちらを見つめるあおきさん

最初にお伝えしたように、私は自分の感情を対処できず、自分の感情を憎んでいた時期がありました。でも今は、感情ってめんどくさいけど愛おしいなあ、と思います。

それは、職場でもプライベートでも、いろんな人と感情を共有できる場を持っているからだと思います。

毎日、私たちはいろんな感情に出会います。それを一人で抱きしめたり、癒したりするのは本当に大変で、ちょっぴり寂しいです。なので、自分以外の誰かに辛かったんだねえ、と感情をそのまま受け止めてもらえると楽になります。

誰かの感じた「悲しい」「辛い」という気持ち、そこで見た景色、そしてそこから紡がれてこぼれ落ちてくる言葉たちを聞いて、その人の気持ちを抱きしめていく。気がつけばこれはいつのまにか、自分の感情さえも一緒に抱きしめることができているときがあります。

だから、私はいろんな人の感情のお話を聞くのが好きです。感情の共有をして、それを何人かで抱きしめるような体験ができることは、また明日を生きるエネルギーになります。


私たちが出会ってきた感情は良いものばかりではなかったでしょう。けれども、その感情は、その人だけのかけがえのないものだと私は心から思います。

そして、その感情に出会い、それを抱えながらも、今生きているということ自体が尊いことです。なので、もし感情が漏れ出てきた、それを文章にしたくなった、誰かに話したくなったとしたら、ぜひそのことを受け止めて、それを抱きしめてみてください。

そして、そんなことができる場を世の中に増やすため、私も頑張っていきたいと思います。

【写真】笑顔で遠くを見ているあおきさん

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青木翔子さん Twitter
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(執筆/青木翔子、編集/工藤瑞穂、写真/川島彩水)