【写真】薄紫色のアジサイを背景に、カメラ目線で笑顔を向けるさのひろこさんとおざわいぶきさん

悲しいことがあったとき、ショックを受けたとき、心の傷つきを感じたとき。人はどのように、“自分”を取り戻していくのでしょう。

思い切り泣いてスッキリしたり、友達とおしゃべりをしていっぱい笑ったり、誰かのひとことに励まされたり。あるいは、好きな読書に没頭したり、旅に出て大自然の中に身を置いたり。時間が解決してくれるということもあるでしょう。

どんな手段にせよ、何かをきっかけに心の痛みは癒え、また自分らしく歩み始める。人生は、そんなことの繰り返しです。

でももしその痛みを、誰かと共有していたら、どうでしょう。

たとえばパンデミックやウクライナ侵攻など、大きな出来事やニュースを受けて、社会全体が傷ついているようなとき。あるいは、自然災害や事件など、地域で同じ痛みを抱えた状況下で。家族や職場で、友人同士のコミュニティで、ショッキングな出来事が起きた場面で。

誰かと一緒に受けた傷ならば、悲しみや痛みの感じ方もそれぞれ違い、ひとりでは辿ることのできない回復への道も開けてくる気がします。

ある集団やコミュニティが共有している心の痛みのことを、「コレクティブトラウマ(集合的トラウマ)」と呼び、その回復のアプローチに取り組んでいる方々がいます。国や地域、組織や家族といった集団・コミュニティでの回復の道筋には、私たちが社会のつながりの中でしなやかに生きていくためのヒントが隠れているかもしれない。そんな予感を胸に、私はコレクティブトラウマに関する活動に取り組むふたりに会いに行きました。

児童精神科医として様々な状況にある子どもたちに関わってきたほか、子どもの心の孤立を解消するために市民向けプログラムを主宰する、認定NPO法人PIECES代表理事の小澤いぶきさん。

臨床心理士で個人やパートナーシップ、組織開発など様々な分野における悩みや葛藤の解決、豊かな人間関係やコミュニティの創出を目指すファシリテーションを行う認定プロセスワーカーでもある佐野浩子さん。

既知の間柄のふたりは、このテーマについてまったくの初心者である私にもわかりやすく、丁寧に事例や回復に至るプロセスを教えてくれました。

soar編集長・工藤瑞穂も交えた対話の中で見えてきたのは、集団の叡智。集団で受けた傷だからこそ、集団の力で回復していける。そこにある光をみなさんにも贈り届けたいと思います。

・小澤いぶきさん

児童精神科医 / 精神科専門医 / 認定NPO法人PIECES 代表理事 / 京都大学 客員研究員
精神科医を経て、児童精神科医として複数の病院で勤務。トラウマ臨床、虐待臨床、発達障害臨床を専門として臨床に携わり、複数の自治体のアドバイザーを務める。さいたま市の子育てインクルーシブモデル立ち上げ・プログラム開発に参画。2016年ボストンでのリーダーシッププログラムに選出されたのちJWLIフェロー。2017年3月、世界各国のリーダーが集まるザルツブルグカンファレンスに招待を受け、子どものウェルビーイング達成に向けたザルツブルグステイトメント作成に参画。人の想像力により、一人一人の尊厳が尊重される寛容な世界を目指し、認定NPO法人PIECESを設立。

・佐野浩子さん

米国プロセスワーク研究所(プロセスワーク修士)修了、認定プロセスワーカー
臨床心理士・公認心理師
Presence Bloom代表,一般社団法人日本プロセスワークセンターファカルティ

児童養護施設・暴力被害女性のための施設などで心理士として勤務。現在は都内でトラウマに関するカウンセリングセッションの提供を行いつつ、ファシリテーターとして対話の場に参画。また、当事者/家族の願いを中心に据えたラップアラウンドに関わり、様々な地域でファシリテーションのアドバイザーを務める。

幼少期からつながる今

個人・集団問わず心のケアの専門家として多方面で活躍するふたりのプロフィールは欄外に譲ることにして、まずは小澤さん、佐野さんが活動をする上で大切にしていることについて聞きました。どのようなプロセスを経ていま、それぞれの立場でコレクティブトラウマのケアに携わるようになったのでしょうか。

まずは、子どもだけでなく、様々な環境で生きるすべての人々の尊厳が尊重される社会づくりを目指して活動する小澤さんが、自身の思いを語ります。

小澤:私には、とっても大切にしていてどうしても探求してしまうことがあって。それは、目に見えない・聞こえないものも含めて、時代も空間も超えてあらゆる存在同士が、今ここにいて影響しあっていることを感じながら、お互いにちょうどいい状態でともに生きていくには?そのエッセンスと実態がつながっていくには?ということで、それを私は“every being”と呼んでいます。

一部の声が投影されて誰かの声が見えなくなるような、誰かの痛みの上にある社会構造ではなくて、すべてのbeingが社会に映っている状態を、実際にやっていたり、体験してみたり、試行錯誤したりしています。

【写真】手振りをしながら左の方向を向いて話すおざわさん

小澤さんの「誰かの痛みの上にある社会」という言葉に、私は少し心がチクリと痛むのを感じました。「今の自分の幸せの陰に誰かの痛みがあるかもしれない」と、社会の一員としての自分の存在を再認識しつつ、今度は佐野さんの言葉に耳を傾けます。

認定プロセスワーカーとして活動する佐野さんは、ご自身の幼少期の経験が大きく今に関わっているといいます。

佐野:私の子どもの頃は街なかに戦争において傷を負ったり病気になった傷痍軍人さんがたくさんいて、子どもながらに「なんでこんなに傷ついている人がいるのに戦争が無くならないんだろう」ってずっと思っていました。小学生のときには「政治家になって平和な国にするんだ」って思っていたんですよね。

でもその後、自分がいじめに遭った経験もあって「傷ついた人と話せるようになりたい」と心理学を学び、プロセスワークというものに出会いました。プロセスワークがまさに歴史や世界の対立を扱うものだったので、そこから今に至っているんだと思います。

プロセスワークは、人生の中に起きてくる様々な出来事(夢や身体症状、人間関係のいざこざなど)が、自身をより全体性へと深め、拡げていくという仮説に基づいて取り組んでいく、深層心理学をベースとしたアプローチです。

心理学をベースとしていますが、対象は個人だけではありません。組織やコミュニティ、社会における問題や対立・葛藤も、より豊かな人間関係・コミュニティの感覚が生まれる機会として、アウェアネス(気づきや意識)が生まれるよう働きかけるファシリテーションの技法として、様々な場所で活用されています。

【写真】両手を自分自身の方に向けながら話すさのさん

佐野さんはそのほかにも、児童養護施設や性暴力被害女性の保護施設で働きシビアなトラウマに長くさらされていた人々と関わった経験があり、また、アメリカのプロセスワーク研究所でも家族のセッションをコミュニティの中で行うオープンセッションの際、戦争が人の心に間接的に影響しているという事実を目の当たりにしたとのこと。ご自身の相談室でのセッションも含めて、さまざまな場面で「トラウマの背後に集合的なものが常に見え隠れしていると感じてきた」と語ります。

そんな佐野さんの話を受けて、小澤さんは自分の原点に佐野さんとの共通項を見出したようです。

小澤:私は両親の影響で小さい頃から戦争関連の書籍や漫画・映画に触れたり話を聞いたりすることが多くて、戦争のことは自分に関わることとしてずっと気になっていました。保育園のとき、すごく優しい先生が毛虫を「毛虫だ」とグチャって潰したことも衝撃として残っています。

今考えると、確かに農業をしていく上で「害になる」ことが背景にあったのではないかと推測するのですが、そのときはそういった、人間の都合で何かを制御しようとする怖さを感じていました。

また、田舎で暮らしていて土砂崩れや川の氾濫など自然を前にどうにもならないものに出会うこともあったので、自然への畏怖と、大きな力みたいなものを感じることが多かったです。人も集団になると集団の力動が働き、その力がどんなことを引き起こしていくのかがすごく気になっていました。

偶然にもふたりとも、それぞれの環境下で子どもの頃から戦争という共通のテーマに関心を持っていました。不思議なつながりを感じつつ、ここからはトラウマをめぐる世界へ足を踏み入れていきましょう。

【写真】おざわさん、さのさん、ライターのいけだ、soar編集長くどうの4人が、テーブルを囲んで話している。

尊厳に関わる心の傷「トラウマ」が及ぼすもの

今日のテーマであるコレクティブトラウマの話を聞く前に、そもそも「トラウマ」とは何かということについても改めて正確に捉えておきたいと思います。小澤さんは、「個人に起こるトラウマは2つの解釈がある」と語ります。

小澤:医学的には、安全を脅かされるような出来事に、1回または連続してさらされ、精神的衝撃を受けることを、「心的外傷」または「トラウマ」と呼びます。たとえば地震や津波などの自然災害、事件や事故の目撃や被害など、これには性的なことも含まれます。

一方で、医学的には当てはまらなくても、その人の人生に影響するであろう衝撃的な出来事などに遭遇することをトラウマと呼ぶ見方もあります。また、日常生活の中で、自分自身の安全が削がれたり権利が大切にされなかったりと、安全に関わることだけではなく自分の尊厳に影響するようなことも、心の傷に含まれるだろうと私は捉えています。

尊厳に関わるほどの心の傷は、それを受けた人に一体どのような影響を与えるのでしょうか。

小澤:心の傷は表面からは見えないのですが、傷を受けた直後は、心も含めて身体全体が反応します。呼吸や脈が速くなったり、肩や顔、お腹がグッと緊張したり、ストレスホルモンが出て緊張状態・覚醒状態を保ったり、凍りついて動けなくなったり。あるいは何かあったらすぐに逃げたり、反撃できるように身体が身構えたりします。

佐野:これは生物としての体が起こす、生き延びるための戦略としての反応なんですね。ここで大きく自律神経が振り切ってしまいます。あるいはどのようなトラウマかにもよりますが、表情や声などで、「安全だよ」というメッセージを発したり、加害者に合わせるような行動をとることで、身を守ろうとすることもあります。

【写真】目の前に座るインタビュアーに向かってお話するさのさんの横顔

そして傷を受けた直後だけではなく、トラウマの影響は中長期的に続いていくこともあると小澤さん。

小澤:数ヶ月ほどは急性期の反応があり、通常は徐々に心身の状態が落ち着いていきます。ただ、その間にその人にとって安全ではない状態が続いたり、誰かに共有したくてもできなかったり、何度も傷つくような体験をしたり、衝撃的なことに対しての影響を処理するのがとても難しい状況にある場合は、それが長期的な影響として残ることがあります。

長期的な影響につながるかどうかは、本人の在り方だけではなく、周りの人たちの対応が大きく影響しているそう。

佐野:私はよく性的虐待を受けた人たちと関わっていますが、その後の状態は話をした人がどう扱ったかということが強く影響してきます。もちろん性被害は大変なことですが、ちゃんと聞いてもらったり守ってもらったら、その人にとって「ちゃんと助けてくれる人がいる」という体験になります。

でもたとえば話した相手がまったく信じてくれなかったらその人は余計傷つき、それが2回目のトラウマとして残るんですね。また、話せる状況になかったり、言い出しにくかったりするとずっとモヤモヤしたまま心の中で抱えていくことになります。

また、中長期的な影響として知られるPTSD(心的外傷後ストレス障害)のひとつの症状として、「フラッシュバック」も存在します。

小澤:私たちの記憶はある程度整理されて脳内の引き出しに入っていて、思い出したくないのに勝手に出てくることはあまり多くはありません。ふと思い出すというときも、過去のこととして思い出されています。でもそれが今まさに起こっていることであるかのように、過去のことと認識できないくらい生々しく感情や感覚も伴って勝手に出てきてしまうのがフラッシュバックというものです。

何かが「リマインダー」という想起される装置として働き、思い出すというよりはそのときに戻ってもう1回体験しているような状態になります。生々しい感覚や感情などそのときに起こったり感じたことが、そのまま処理されないで冷凍保存されたような状態で残っているんですね。

【写真】真剣な表情でインタビューにこたえるおざわさん

傷を受けた直後の体の反応、さまざまな要因で続く中長期的な影響、そして突然起こるフラッシュバック。トラウマが及ぼす複雑な影響の全体像が見えてきました。

私たちの日常のすぐ隣にある「コレクティブトラウマ」

ここからは、視点を個人から集団・コミュニティへと移していきたいと思います。冒頭でも触れた通り、集団で共有している心の痛みを「コレクティブトラウマ(集合的トラウマ)」と呼びますが、これはトラウマを受けた個人の集合体を意味するのではありません。

佐野:私は、あるコミュニティにおいて、大きなトラウマとなるような出来事が起きて影響を受けることをコレクティブトラウマと言っていいと思っています。

例えば戦争や天災などはもちろんそうですが、それだけではなく事件や出来事によって、コミュニティ内の関係性が分断されたり、争いが生み出されたりしたら、それもコレクティブトラウマといえるのではないでしょうか。

と、佐野さん。一方で小澤さんは、「心理学や精神医学など学問によって定義が若干違いますが」と前置きした上で、2つの視点を教えてくれました。

小澤:1つは、集団に起きたことによってその集団にとっての共同性という拠り所みたいなものが失われてしまうこと。そしてもう1つ、その集団に起きたことがどう語られていくのか、といったナラティブ(語り手自身が紡いでいく物語)の構築のされ方や語られ方、あり方がコレクティブトラウマに影響するという視点もあります。

ここでいう「集団」や「コミュニティ」とは、地域や組織だけではなく、国レベルや地球レベルのものまで含まれるそう。

小澤:自分の暮らす地域、学校や組織で起こった衝撃的な事件、自然災害や戦争。あるいはその国のアイコンとなるような人が突然予期せず衝撃を感じるような状況で亡くなるようなこともコレクティブトラウマになり得ると言われています。地縁のようなものに根ざしていなくても、共有している土台のようなもの、例えば共同体的な感覚などがあるとひとつの出来事に同じようにトラウマを感じる場合もあります。

佐野:トラウマもグローバリゼーションが起きていて、たとえばロシアのウクライナ侵攻は、ウクライナ人ではないとしても、ある意味世界全体がショックだったと思います。地球というコミュニティが影響を受けているんじゃないでしょうか。新型コロナウィルスのパンデミックはまさに全人類的ショックでしたし、東日本大震災も同じです。

また、「#MeToo」ムーブメント(※)のように、同じことが起きていることが可視化されて、トラウマが地域を超えて共有されていたことに気づくということもあるのではないでしょうか。

そうやって、命に関わる体験をする人、それを見ている人がいる、自分にも同じことが起こるかもしれないという状態は、もうコレクティブトラウマと呼んでいいと思っています。

(※)#MeTooは、セクハラや性的暴行などの性犯罪被害の体験を告白・共有する際にSNSで使用されるハッシュタグ。2017年後半にアメリカで始まり、2018年には世界的な広がりを見せた。

【写真】並んで椅子に座るさのさんとおざわさん。左側に座るさのさんが、手振りをまじえて話している。

ふたりのお話から、コレクティブトラウマを考える上で、「集団の拠り所」がひとつのキーワードになることがわかってきました。この「拠り所」とは一体、どんなものなのでしょうか。

佐野:阪神淡路大震災の被災地にボランティアに行ったとき、「自分は家族も誰も被災していないし家も倒壊していない。でも学校が壊滅的な被害を受けて風景が変わったことで、自分が何かすごく大きなものを失った気がする」とおっしゃっていた人がいました。「風景」のようなものの喪失もトラウマにつながります。

小澤:共同性の喪失とも言えるのかもしれません。共有していた風景や、たとえば“おだやかな暮らし”といったような感覚的なもの、地域に伝統的に続く時代を越えた文化的なものやつながりなど、その集団が持っていたさまざまな目に見えないことも含めた全体が一気に崩れることによって、みんなの拠り所の喪失につながる可能性もあります。

【写真】胸のあたりで重なるようなおざわさんの両手

パンデミックやショックなニュースによるものなど、コレクティブトラウマは誰でも受ける可能性があるものです。では集団で受けたトラウマの症状には、どのような特徴があるのでしょうか。個人の場合との違いは?

佐野:たとえば大きな震災などを体験したからと言って、すべての人がPTSDや鬱になったりするわけではありません。でも、コミュニティの中で玉突き式に影響し合うことがあるのではないかと思います。

新型コロナウイルスによるパンデミックが始まった頃、医療者向けのカウンセリングボランティアをやったんですが、パンデミックの話はほとんどせずに普段感じている生活や仕事のイライラを話したりしていて。パンデミックという状況下で、ストレス耐性が下がり、玉突き式に普段のイライラがより強く感じられる。これも含めてコレクティブトラウマと呼んでいいのかなと思っています。

東日本大震災の後、10年間ほどは被災地でいじめなど問題とされるケースが増えたと言われていますが、養育者の方々も大変な状況にある中で子どもたちもイライラする。そういったこともコレクティブトラウマなんでしょうね。

また、社会的にコレクティブトラウマを受けやすく、影響が顕在化しやすい集団もいるとのこと。

小澤:本来は知恵も力もあるけれど、社会的な構造によって、さまざまな機会や制度へのアクセスがとても限られているような状況にある集団や方々に、例えば災害やパンデミックといったようなこと、気候変動の影響などその人を取り巻くより大きな世界で起こっていることの皺寄せの影響がとても大きくなる可能性があります。

たとえば震災のときに、自分たちの使っている言語での情報がないことや、移動手段がないことなどが生命に関わることもありますし、パンデミックで学校が休校になることが、普段から自分の養育環境が安全でなく、そこに対しての国や自治体の制度やアクセスがない子どもにとっては生命に関わったり安全に関わることもあります。

そしてここでも忘れてはいけないのは、周囲の対応。共同性の喪失後、誰かによって語られる“物語”もコレクティブトラウマに影響してきます。

小澤:自分たちに起きたことを、誰がどう語るか。すごく悲劇的に乗り越えられないような物語を押し付けられたり、特定の地域や集団を悪者にしたり。言葉にしていく過程そのものがトラウマを生み出すこともありますし、言葉にされなかったということ自体がトラウマに影響することもあります。誰かが一方的に復興の物語を決めてしまうと、心の回復が追いつかないこともあります。

報道によって悲劇化されたり、周囲から決めつけられたり、語られ方次第で受けてしまうトラウマも変化する。社会のつながりの中で生きる私たちの宿命とも言える現実かもしれません。

【写真】木の枠で作られた窓と、そこから見える景色。アジサイや緑がぼんやりと写っている。

レジリエンスの大切な土台となる「安全基地」が、誰しもにあるように

佐野さん・小澤さんとの示唆に富んだ対話から、日々の暮らしの中で逃れられないトラウマの現実を受け取ってきましたが、ここからはトラウマからの「回復」に光を当てていきましょう。個人であれ集団であれ、受けたトラウマからどのように回復していく可能性があるのでしょうか。

この問いに対し、まず佐野さんが語ってくれたのは、個人の自力での回復について。自分自身の力で回復していく道筋をたどると、「リソース」と「レジリエンス」というキーワードが大切なのだといいます。

佐野:たとえば「これがあったら落ち着く」とか、「この人が“”大丈夫だよ”と言ってくれたら心が休まる」とか。子どもにとって多くの場合は養育者との関係だったりしますが、トラウマが落ち着いていくための安全基地みたいなもののことを「リソース」と呼んでいます。

子どもなら、外の世界でびっくりするようなことが起こっても、お母さんの膝に座るとちょっとホッとする。大人になっても、部屋のベッドに行くと回復できたり、好きな場所や何かに没頭する時間があったり。そういった自分が安心できるあらゆるものが、リソースですね。

小澤さんによると、子ども時代の逆境体験に対するリソースとも言える「保護因子」と呼ばれるものの研究が海外を中心に行われており、そのひとつにPCE s(ピーシーズ)というものがあるとのこと。そこでは、以下の7つの項目が挙げられています。

(a)家族に気持ちを話せる
(b)辛いときに家族が助けてくれる
(c)コミュニティの伝統を楽しめる
(d)学校に居場所がある
(e)友達に支えられている
(f)親以外に少なくとも二人支えてくれる大人がいる
(g)大人に守られ安心を感じる家

(出典:東京大学「子ども期の逆境体験に対する保護的体験についての研究の現状と展望」)

小澤:たとえば「(b)辛いときに家族が助けてくれる」というのは、何か怖いことや不安なことがあっても特定の大人の応答的な関わりにより、「なんとかなる、大丈夫だ」という調整ができるかもしれないんですね。この応答的なやりとりを小さいときから繰り返すことを通して、何かあったときでも「なんとかなった」、「大丈夫である」という感覚につながり得ます。

あるいは、「(c)コミュニティの伝統を楽しめる」ことや、「(f)親以外に少なくとも二人支えてくれる大人がいる」ことなどもリソースです。もちろん回復には個人の因子も影響してきますが、周りがリソースとなってその影響を緩和したり、リソースをつくったりできる可能性はあると思います。

【写真】微笑みながらお話するおざわさん

さらに佐野さんは、7つのうちのひとつ「(c)コミュニティの伝統を楽しめる」に関する事例を2つ、教えてくれました。

佐野:最近浪江(福島県浪江町:東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の被災地域)に行ってきたんですが、2011年以来10年以上ぶりにお祭りが戻ってくることが、地元の方にとって大きな喜びになっていました。

また沖縄戦のトラウマを研究している精神科医の蟻塚亮二先生の著書『沖縄戦と心の傷』(大月出版)の中には、沖縄にはカチャーシーというみんなで踊る独自の文化があって、それが支えになっているのではないかと書かれていました。

同著の第2章「トラウマ私論」の中には、

沖縄ほどコミュニティのまとまりの強い土地はない。甲子園でもどこでも、沖縄の人が集まって楽しいことがあるとたちまちカチャーシーが始まる。あんな連帯感は全国どこにもない。沖縄戦後の収容所でいち早く始まったのが沖縄の芸能だったという話は、トラウマに対するレジリアンス(抵抗力)としての沖縄の芸能・文化のすごさを示している。

とあります。また、

沖縄戦という辛い体験を経てきた人たちの、「互いに対立点を巧みに交わしながら一致点で盛り上がるゆんたく(おしゃべり)」という高級技能は沖縄の地域力の表れであり、トラウマに対するレジリアンスの象徴である。

とも語られており、沖縄の人々にとって、踊りやおしゃべりといったコミュニティ独自の伝統芸能や文化が大切なリソースとなっていることが強く感じられます。

小澤さん、佐野さんのお話から、何かあったときに力を与えてくれる「リソース」には実にさまざまなものがあり、それが「レジリエンス(レジリアンス)」につながっていくことがわかってきました。

佐野:レジリエンスは「回復」や「元に戻る力」という捉え方をされていますが、トラウマにおいては自分の内側にある力、「それがあってもやり抜ける、生きていける力」だと考えています。

人には本当にいろいろな力があって、たとえば私のクライアントさんに、寝ているときに夢を見て回復していく人がいるんですよね。夢がすごく自分をサポートしてくれるって。それ以外にも、運動もおしゃべりも創作活動も力になりますし、どこのチャンネルが開かれているかというのはみんな自分でわかっているはずです。

話を聞いていて、私にとってそれはヨガの時間だと思いました。仕事に疲れたり自己嫌悪に陥ったりしたときの心の落ち込みは、ヨガで呼吸に集中し、瞑想することによって、自然に回復していきます。ヨガがリソースであり、私はヨガで自分を取り戻していく力を持ち合わせているといえるのかもしれません。

リソースを使い、レジリエンスを高めることで、人は誰しも自分で自分を回復させることができるのだという勇気を受け取りました。

【写真】さのさんの組まれた両足と、膝に置かれた両手。

「トラウマ」というメガネを持ち、その人を見つめること

一方でトラウマからの回復においても、自分自身の力であるレジリエンスとともに、周りにいる人の適切な対応が欠かせません。

そういったトラウマを受けた周囲の人や支援に携わる人たちが、トラウマについて正しい知識を持ち、支援の対象となる人たちに「トラウマがあるかもしれない」という視点を持って関わる枠組みのことを「トラウマインフォームドケア」といいます。

佐野:トラウマインフォームドケアでは、いわゆる問題とされる行動が「実はトラウマからくるかもしれない」と見ます。たとえばアルコール依存症の人がいたときに、問題行動だけで判断して「ダメじゃん、この人」と見てしまいがちですが、そうではなく、「実はこの人は過去にトラウマを受けていて、その対処方法としてアルコールがあるかもしれない」と見る。そうすると、関わりが変わってきます。

これを私は“トラウマというメガネでその人を見る”ことと考えています。

小澤:周囲の人が「過去の出来事の影響で心を怪我し得るかもしれない」という視点を持って、2度目のトラウマを起こさないような適切な対応をすることですよね。誰もが心の怪我をする可能性がありそれは自然なこと。

出来事への反応も、怪我の影響で起こる反応も、異常な事態に対しての人のとても自然な反応であると捉えること。そして、その怪我はどんなときに起こり得て、どんな反応をするのかを知って、レジリエンスにも視点を当てる。さらに、その人自身が「過去の出来事は変わらなくても、私は“これから”をつくっていける」と感じられるような体験をともにつくっていく。

その上で、トラウマが起こりやすい状況をつくっている構造や文化、それが受け継がれてきたことで私たちが持つバイアスに対してもアプローチすることが大事になってきます。

小澤さんの言葉に対して、佐野さんが言葉を重ねます。

佐野:日本では、なんらかの被害を受けた人に対して、「がんばれ」とか「前を向かなくちゃ」とか、弱音を吐くことが許されない風潮があると思います。でもトラウマを受けたら、怒りや悲しみ、絶望感などが生じてくるのはとても自然なこと。

小澤:そうやってトラウマによる影響や背景にあることが社会的に認知されて、「じゃあ文化的・構造的なものをきちんとみつめて変えていこう」という動きが広がると、世代を超えて影響してきたことが変化したり、集合的な影響も変わっていきます。

だから、トラウマによって起こっていることを異常なものとして見るのではなく、「異常な事態に対して起きた自然な反応である」と捉えることはとても大事なことなのだと思います。

さらに佐野さんは、「この人はなんらかのトラウマを持っているのかもしれない」というトラウマインフォームドケアの視点は、「トラウマを受けた方自身にも大事なメガネ」だと言います。

佐野:トラウマを受けた方は、自分をダメな人間だとか欠陥があるとか思われていたりするんですね。特に長期間トラウマに晒された方は、自分に対してそういったスティグマをつけがちです。

でも、自分のものの見方や行動がトラウマによる影響だと理解できると、自分へのまなざしが変わってきて、少し優しくなれる。そういう意味でもトラウマインフォームドケアは、心の中の世界でも外の世界でも社会のレベルでも、大事なことだと思います。

【写真】おざわさん、さのさん、ライターのいけだ、soar編集長くどうがテーブルを囲んでいる。さのさんが話す言葉に3人が耳を傾けている。

個人でも集団でも。逆境という危機の中で、人の知恵や力にも目を向けて

自らの力で、あるいは周りの人々の力を借りて。トラウマからの回復への道筋が見えてきたところで、佐野さんは「個人にせよ集団にせよ、自然に身につけてやっていることもいっぱいあるのではないか」と語り始めました。

佐野:すべての子どもがそうではないと思いますが、地域によってはストリートチルドレンたちがとても自己肯定感が高い場合があります。家族に育ててもらっている子どもたちに比べて、彼らは自分たちでサバイブして生きていくという能力を獲得しちゃったわけですよね。それはある種、トラウマになっても仕方ないような状況ですが、そういう逆境体験があったからこそ彼らは生き延びる力を得てきたんです。

そういったトラウマティックな出来事をきっかけとした人間としてのこころの成長を最近では心的外傷後成長(PTG:Posttraumatic Growth)と呼んだりしますが、トラウマを受けた人をケアしなきゃいけない存在として見るだけではなくて、“それがあったからこそ成長していく”という可能性に目を向けることも大事な視点だなって思います。

【写真】真剣な表情でお話するさのさん

集団においても同様に、逆境体験からの生きる力の獲得が起こっています。

佐野:たとえば東北の太平洋側沿岸に住む人には、「津波が来たら山へ逃げろ」「ここまでは津波が来るから内陸に家を建てろ」といった言い伝えがありますよね。「自分たちは辛い思いをしたけど後世の人にそういう思いをさせたくない」という先人の知恵。

これは、トラウマの体験から、今後同じことが起きても子孫の被害が少なくなるよう願い、知恵をつないでいこうとする試みですよね。こうした願いや試みは、回復にも関わっていると思います。

あるいは、集団でのトラウマを受けた人たちが、今後同じことが起こらないために「法律を変えてほしい」「新しいシステムをつくってほしい」といった意見を伝えて、法律やルールが変わることもありますよね。こうして同じ思いをした人たちが集まってきて後世に伝えていこうとする、これは、コレクティブトラウマを受けた人たちが、自分達の願いから知恵を集結した、“コレクティブインテリジェンス”だと思うんです。

小澤:トラウマって構造的に社会性を孕んだものであるからこそ、そういった価値観や制度にアプローチして何かが変わることで癒えのプロセスがはじまっていくのかもしれません。

【写真】さのさんの両手。手のひらを上に向け、指が軽く曲げられている。

それ以外にも、地域にお祭りが戻ってくる、独自の文化が受け継がれているといったことも、共同性回復の力になると言います。先ほど佐野さんが語った、被災地における10年ぶりのお祭りなどはまさに、地域の喜びにつながるイメージが湧きます。

トラウマのケアとして私が想像したのは、集団での語り合いの場を持つなどによって、心が癒やされていくような取り組みでした。でもそこから生まれた智慧を後世へつなげたり社会的影響として残すこと、文化を受け継ぐことがトラウマを癒していくこともある。「コレクティブインテリジェンス」という言葉の響きを、私は大きな希望として受け取りました。

佐野さんは現在、トラウマを受けた人が気持ちを共有できる場づくりをする一方、トラウマから自分自身の力で回復するためのセルフケアのプログラムを開発していると言います。

佐野:精神科医やカウンセリングなど、トラウマを受けた方のための場はとても大切だと思いますし、コミュニティの中で、ちょっと余裕のある人、パワーのある人が、人としての温かい関わりをしてくださるのもとっても大事。同時に、ご自身で、自分の心の中で起きていることに気づき、取り組んでいくことも、とてもパワフルな力になると思っています。外とつながることが難しい方に、ご自身で回復していけるサポートの方法を手渡したいなと思っています。

【写真】二人並んで笑顔をみせるさのさんとおざわさん

弱さや脆さに対してOKと言い合って生きる

ここまでたっぷりとコレクティブトラウマについてお聞きして、佐野さん・小澤さんの眼差しのあたたかさに触れた私は、個人的な体験を明かしてみたくなりました。

以前、私の住む地域で起きた事件。被害を受けた方と親しくお付き合いをさせていただいていた私の心は大きく揺らぎ、地域の安全も揺るがされました。加害者は逮捕され、一見平穏に戻った今もなお、地域にはなんとなく大きな痛みが残っていると感じます。

「私に何かできることがあれば」という気持ちはある。でも被害を受けたご家族とはこれまでお付き合いがなく、自分から何ができるかわからない。そんなジレンマが続いていました。

事件からしばらく経ってそのお宅を訪ねる必要があった私は、事務的な要件を皮切りにご家族に声をかけ、ようやく感情を共有できました。

【写真】おざわさんの膝に置かれた両手

小澤さんは真剣な眼差しで頷きながら私の話を聞いた後、「話してくれてありがとうございますという気持ちです」と丁寧に伝えてくれました。そしてこう語りました。

小澤:何もできなかった後悔も自然なことですし、語られない中での揺れや感情もとても自然な、そして大変なことでもあるのではないかと感じます。ただ、お話をされて感情を共有できたことは、語弊があるかもしれませんが、そこにそれぞれの豊かな力があるように私は感じました。これまでの関係から変化した関係が生まれているように感じます。

私が声をかけられたのは、地域の事情で訪ねなければならない理由があったから。「それぞれの力」という言葉に対する謙遜を伝えると、小澤さんはこう話してくれました。

小澤:例えば身体の傷を直接触ることってあまりないかもしれませんし、まずはそれを安全に保護することから始めるのではないかと思います。さらに心の痛みや傷は目に見えないので、痛みを直接触るってとても勇気も要りますし、触り方もわからないですし、触っていいのかもわからないですよね。

直接の痛みとは違うところで関係を構築していき、安全が少しずつ育まれていくということもあるかと思います。傷を受けた人はそのことを直接聞かれているときではなく、リラックスして安全だと思った瞬間に言葉がポロッとこぼれることもあるかもしれません。

佐野さんも「まさに同じことを思っていました」と続けてくれました。

佐野:津波被害の地を回っても、被災された方たちが積極的に話すわけではないんです。カフェを開いてお茶を飲んでいるうちに、ポロッと話し始めたり。「話したいときに話して」っていう状況をつくっておくと、みなさんも楽でいられるんですよね。

何かあったとき、地域みんなで回復に向かっていくために必要なのは、日常の関係性だと佐野さんは教えてくれました。

佐野:地域コミュニティの中で、何かがあって神経が昂ったときなどに、話してホッとできる関係性が網目のようにできていると、「ここは話して良い場所だ」という空気ができてくるのではないでしょうか。

普段からしんどいときに「しんどい」って話せる関係性があるかどうかがその後のレジリエンスにも関係してくる。弱さとか脆さに対してOKと言い合えるコミュニティってすごく強いんです。

【写真】笑顔でインタビューにこたえるさのさんとおざわさん

「弱さや脆さに対してOKと言い合える」という佐野さんの言葉は、じんわりと私の心に染み渡りました。それはまるでトラウマを抱えやすいこの困難な社会を生き抜いている私たちに贈られたエールのように響いたから。

自分の弱さにOKを出せることで、トラウマを受けた自分に対しても優しくなれて、回復する力に変えていけるはず。

他人の脆さを許容することができていれば、誰かの行動に過剰に驚くことなく、背景に存在するかもしれないトラウマにも想いを馳せることができるはず。それがその人の回復する力にもなるはず。

あるいは地球環境や社会構造自体の弱さや脆さを日頃から認識しておくことも、今の時代を生きる私たちにとっては大事なことなのかもしれません。

「トラウマ」も「コレクティブトラウマ」も、いつ誰が受けてもおかしくない社会。それでも人にも地域にも「リソース」があり、「レジリエンス」がある。そして集団になれば「インテリジェンス」が芽生える。約2時間のインタビューで私は、これからの時代も強くしなやかに、希望を失うことなく生きていきたいと改めて感じました。

さて、私はまず、ご近所のみなさんとおしゃべりできる関係性から小さく育んでいきたいと思います。回覧板やゴミ出し、掃除など、その一歩を踏み出すための“言い訳”をつくりやすい地域というつながりに、感謝しながら。

【写真】左からsoar編集長くどう、さのさん、おざわさん、ライターのいけだ。アジサイを背景に、顔を見合わせ笑顔で話している。

関連情報:
認定NPO法人PIECES ウェブサイト
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一般社団法人日本プロセスワークセンター ウェブサイト

(撮影/金澤美佳、編集、企画・進行/工藤瑞穂)