こんにちは。歯科医師のまりこです。
私には、上まぶたの機能障害により目が開きづらくなる「眼瞼下垂」という症状がありました。昨年、眼瞼下垂の手術を受けて書いた記事が、多くの方に私と眼瞼下垂のことを知っていただくきっかけでした。
幼い頃から、目だけでなく容姿に対するコンプレックスが強かった私は、あらゆる場面で生きづらさを感じていました。そんな中で美しさや健康とはどのような状態なのかを自分なりに考えてきました。
今回は私の過去の経験や眼瞼下垂について、また症状による経験から生まれた美しさに対する私の考えを、みなさんにお話しできればと思います。
目が開きづらい。生活しづらさを感じる毎日
いつでも人に優しく、笑顔で、前向きでいなさい。そうすれば必ず美人になれる
幼い頃から一重の目、低い鼻、丸い輪郭、くせ毛の髪、がっちりした骨格、コンプレックスだらけだった私にとってこの言葉はお守りです。この言葉を信じていればいつか必ず美人になれると信じていました。
なんか睨まれたんだけど。
中学に入った頃から、私の目つきは睨んでいると勘違いされることが多くあり、勘違いした人の私への接し方は厳しくなります。心無い陰口が聞こえてくることもあり、数あるコンプレックスの中でも私は目がもっとも嫌いでした。
私は人を不快にさせてしまう不細工だ。
悲しく思うと同時に、自分の目付きの悪さのせいで人に嫌な思いをさせてしまうことに申し訳なさを感じてしまいます。人と関わること、人と目を合わせることが怖い。人と目が合わないよう、なるべく下を向いて歩くようにしました。
見た目だけでなく機能的な悩みも日に日に増えていきました。
目が開きづらく、黒板を見ているだけで顔中の筋肉が疲れて頭や首、肩が痛いと感じるようになります。集中すればするほど顔つきが険しく、姿勢も悪くなってしまう。当時はこれが眼瞼下垂の症状だとは知りませんでした。
不細工。キモイ。可愛そう。
投げかけられる言葉はひとつひとつ私の心に深く刺さっていきます。そんな時でもあの言葉を思い出し、優しく、笑顔で、前向きであろうと努力しました。
しかし、家に帰り一人になるとこらえていた涙が溢れます。鏡を見るとそこには泣きながらこちらを睨みつけている”醜い”自分の姿。自信の無い自分が、憎くて、大嫌いでした。
唯一の心の救いとなってくれたのは、化粧だった
高校生になると、友人が化粧をしているのを真似て私も化粧をするようになります。
暇さえあれば鏡の前で、自分なりの化粧を模索し練習しました。同時に、どうしたら少しでもよく見られるか、どんな表情なら悪い印象を与えないか、自分の顔の構造、筋肉の動き、表情をひたすら研究。
私の場合、つけまつ毛を使うことで目を二重にし、重い瞼を持ち上げていました。
当時のメイク方法を眼瞼下垂の記事と一緒にブログにまとめ公開すると、多くの反響をいただき、同じような悩みを抱えた人がたくさんいることを実感しました。
外に出るときはもちろん、家にいるときでも化粧をすることで、今までにない生きやすさを感じました。それにより、以前よりも自分らしさを表に出すことが出来ていたように思います。
しかし、一時的に目は開いているように見えますが、実際は眼瞼下垂の症状はメイクでは改善されません。せっかく化粧をしても時間が経つと崩れてしまい、また目が開きづらくなります。誰かと一緒にいても常に鏡を見ないと不安で、気付くとまたすぐに下を向いて人目を避けるように歩いていました。
人からどう見られているのか、どう思われているのか。
常に自分の外見が気になり、そう考えるのに必死で、気付けば自分の気持ちや考えが分からなくなっていました。周囲の人を思いやったり、優しく接したり、笑顔でいる余裕は当時の私には無く、私に優しくしてくれる人のことも遠ざけてしまっていたのです。
手術をして自信を持ちたい。でもその思いは周囲に理解されなかった
そんなある日、ネットでたまたま美容整形の症例を目にしました。自信のなさそうな表情をしているビフォアー写真から、自信に満ち嬉しそうに微笑むアフター写真。
まるで魔法がかかっているようでした。
私もこんな風に笑いたい。
悩みを解消してくれるかもしれない手段を見つけ、興奮して鼓動が高鳴っていたのを今でも覚えています。しかし「手術したい」という思いを話しても、家族や周りの人たちに理解してもらうことは難しく、反対を受けました。
内面の美しさは外見として表れる、内面を磨くべきだ。
そんな言葉を聞くと自分の内面を根本から否定されているようでした。心無い言葉を投げつける人、私を笑う人たちがみんな美人やイケメンに感じることが更に私を追い詰めます。
いつでも人に優しく、笑顔で、前向きでいなさい。そうすれば必ず美人になれる
大学生になってもこの言葉を信じ続ける自分を惨めに思いました。
そのままの姿があなたらしい。そのままで十分。
そんな言葉をかけられることもありました。一見優しい言葉に感じるかもしれませんが、理想とかけ離れている自分の姿や自分の人生を受け入れることができない私にとって、それらは「諦めろ」という意味に響いてしまう残酷なものだったのです。
気持ちを理解されないこと、悩みを最後まで聞いてもらえずに「気にしすぎ」と流されてしまうのはとても寂しく、自分の感覚や考え方、存在さえも否定されているように感じました。
その人が経験したことがない状況や感情を伝えるのは、とても難しいことです。
自分の感覚は他の人とも同じだろうと思い込んでしまうのは危険だと、この経験を通じて学びました。同様に、あらゆるものごとに対する価値観や考え方も、一人一人全く違っていることに気付いたのです。
ずっと悩んできた症状は「眼瞼下垂」だった
大学在学中、いくつもの美容外科に目のカウンセリングに行っていました。その中である日、とうとう「眼瞼下垂」という疾患であると診断されます。
眼瞼下垂とは、上まぶたの機能障害により目が開きづらくなる疾患のこと。眼精疲労、視野狭窄、視力低下、頭痛、頚部痛などの症状が見られ、重症化すると機能的盲目に陥ることがあります。
今まで生活しづらかったですよね。
そんな先生の一言に心の底から安心し、涙が溢れました。
「気にしすぎ」「考えすぎ」と言われていた悩みは、私の勘違いではなくちゃんと存在していた。今までの違和感や生きづらさが、診断という形ではっきり証明された瞬間でした。
孤独だと思っていた私に、医療が寄り添ってくれた。
そう思うととんでもなく安心しました。
眼瞼下垂の治療は基本的に手術が行われ、保険も適応されます。
症状や手術によって生じ得るリスク、今までの体調不良も治療で改善される可能性があることを、自分なりに本やインターネットで調べ、手術を受けられるよう両親を説得しました。
そして大学5年生の春休み、初めて眼瞼下垂の手術を受けました。
手術直後の目は大きく腫れていて、とても可愛らしい顔とは言えません。しかし、悩みがひとつ解消されたと思うと、力がふっと抜けるのを感じました。
これから先、どんな世界が開けていくのだろう。
腫れた目を鏡で何度も見ながら希望に胸を膨らませました。術後の腫れが引くにつれて、他の人にとっては当たり前の事にひとつひとつ喜びを感じました。
化粧をしていなくても楽に目を開けられる、視野が広い、顔の筋肉が疲れない。気付くと鏡に映る自分の表情は穏やかになっていました。
しかし、大学の休み期間が短かったこと、目が腫れて友人にからかわれたくなかったこともあり、当時はなるべく腫れの目立たない術式を選択しました。皮膚を切らない応急処置のような術式です。その結果、1年足らずで眼瞼下垂の症状は再発してしまいました。
私の言葉を発信し、同じように悩む誰かに寄り添いたい。
眼瞼下垂が再発してからしばらくは、以前と同じように化粧によって症状やコンプレックスを補っていました。しかし、はじめて手術してから4年程経つと、眼精疲労や頭痛など眼瞼下垂の症状は一気に悪化します。目の開きもとうとう化粧では補いきれなくなっていました。
いやな記憶がよみがえり、私の容姿を否定する言葉が頭の中で繰り返し再生されます。
また同じような言葉を言われるのが怖い。かといって、再度手術をして目の形が変わったら整形だと叩かれるのではないか。不安に押し潰されそうでした。
二度目の手術はしないでおこう。
そう考えていましたが、ある人からこんな言葉をかけられました。
まりこさんの経験やその中で感じたこと、想いや考えを発信することで、まりこさん自身が悩みを乗り越えるきっかけになるんじゃないでしょうか?そしてそれに励まされる人がいるはずです。
そう言われてあることを思い出します。一人で悩んでいた頃、私が毎日考えていたことです。
自分の弱さをさらけ出して、勇気を持って自分らしい生き方の素晴らしさを伝えてくれる人がいたら、どんなに心強くて励まされるだろう。
いつ、誰が、どんな言葉で私を助けてくれるのか、当時の私はそんな人が現れるのをずっと待っていました。
しかし私が待っていたのは大女優やスーパーモデルの言葉ではなく、強くなった私自身の言葉だったのかもしれません。
誰かに批判されることを恐れずに、自分の言葉で思いを発信しよう。同じように悩みを抱えている人、一人で寂しいと思っている人、そして当時の自分自身に寄り添いたい。
そう思うと強い意志を持つことができました。
二度目の眼瞼下垂の手術を受けること、そして手術を受けたことを公表しようと決めました。
二度目の眼瞼下垂の手術。世界が輝いて見えるほどに毎日が変わった
2019年の7月、再度眼瞼下垂の手術を受けました。
学生時代に受けた応急処置的な手術とは違い、しっかりとまぶたの皮膚を切って腱膜を縫合するというものです。
手術後は、前回受けた手術に比べてもはるかに楽に目を開けることができました。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、本当に視界が広くて明るくて全てがキラキラ輝いて見えました。空の色がとても美しかったのをよく覚えています。
肌で感じる風、高校生たちのはしゃぐ声、お店から香る美味しそうな匂い、お店の窓に映る自分の姿。すべてが愛おしく特別に感じました。
またここからスタートしよう。
新しい私の人生が始まった感覚でした。
今までSNSで“まりこ”を演じてきた。でもどんな私も私だから
手術後の2019年8月、眼瞼下垂だったことをブログで公表しました。
私は公表する以前から、SNSでたくさんの自撮りの写真をアップしてきました。
騙していたつもりはないけれど、化粧によってコンプレックスを隠し、考え抜かれた角度で撮った写真を載せて“まりこ”を演じてきました。そんな写真にはたくさんのいいねやリプライをもらえてとても嬉しかったです。
SNSにあげている写真と実際の私のビジュアルは全然違いますし、世間で言われる“美人”とはかけ離れています。それに加えて、手術をして目の形が変わっているのですから、「騙された」と感じる方もいらっしゃるはずです。
多くの方がフォローしてくださっている中、眼瞼下垂の手術を受けたことを告白するのはとても勇気のいることでした。
しかし、どんなに不細工と言われる高校時代があっても、メイクで詐欺と言われても、自撮りで演じても、眼瞼下垂であっても、手術で顔が変わっても、誰にどう思われ、何を言われても、私は必ず私の選択の末に存在しています。
私の選択がどんどん新しい私を作っていく。それらの選択は私の人生そのものです。
人の顔色や評価ばかり気にした人生を送るのはもうやめて、私は私の人生を生きよう。
そんな決意ができると今回の手術も、ブログでの告白も、その先のどんな自分の選択にも自信が持てる気がしました。
ブログを公開すると、たくさんの方が反応してくれました。
容姿のことで悩んでいたけれど救われた気持ちになった。勇気を振り絞って書いてくれてありがとう。
一番多かったのは、同じように容姿で悩んできた方たちからの温かい声でした。
ブログを読んで自分が眼瞼下垂だと気づいた。
長年の悩みが眼瞼下垂の症状だったと分かってすっきりした。
勇気をもらって手術を受けてきた。
眼瞼下垂の当事者のみなさんからは、いろんな報告をいただきました。
そんな言葉の数々に、私自身が救われましたし、多くの方から優しさをもらって幸せだと感じました。
「あなたらしさ」を発揮するための障壁は、取り除いていい。
眼瞼下垂は、見た目のコンプレックスにとどまらず、身体的にもあらゆる支障が出てきます。私は先天的にこの症状を持っていましたが、後天的に起こることもあります。
でも、きちんと手術を受ければ治すことができます。まぶたが開きづらいことで悩んでいる方にはぜひ一度病院を受診してもらいたいです。
私は「その人らしさを発揮するのに障壁となるもの」は、その人の人生における「障害」になりうると考えています。
目が一重、鼻が低い、歯並びが悪い、視力が悪い。これらを障壁だと思う人もいれば、そうでない人もいます。
自分らしさを発揮するための手段は人によってさまざまで、そのままの状態を受け入れるのも良い。
でも、もし今あなたが自分の容姿について悩んでいる、こうなりたいという理想や目標があるとしたら、どんな手段を選択するか決めるのはあなたです。
化粧や美容、医療、科学、テクノロジーは日々進歩していて、あらゆる選択肢が私たちの目の前に広げられています。自分らしい人生を送るために、私たちはその中からどの選択肢を選んでも良いと思うのです。
「化粧は詐欺」とか「整形はずるい」という言葉をよく耳にします。もしかしたら、自分らしくあろうとするあなたを否定するような、時に心無い言葉が投げかけられるかもしれません。
しかしそんな言葉を聞いて罪悪感や後ろめたさを抱く必要はありません。私自身は、自分らしさを押し殺して生きる方がよっぽど偽りの人生であると思っています。
一度きりのあなたの人生、あなたの感覚を大切に生きてほしいのです。
痛みを経験したからこそ、きっと人に優しくなれる
どうしてこんなに嫌な思いをたくさんしなくちゃいけないのか、せめて普通の女の子になりたかった。
眼瞼下垂であると知らされる前、姉に電話で悩みを打ち明けたことがあります。そこでこんなことを言われました。
今悩んでいることにはきっと意味がある。綺麗になりたい、寂しい、苦しい、今抱いているそんな感情や感覚を大切にしてほしい。いつか、この経験がどんな意味を持つのか分かる日が来る。それは必ずまりこの強さになる。
当時は全くピンときませんでしたが、今となればこの言葉を理解することができます。
痛みを経験した人は強い、だからこそ人に優しくできる。
当時の私だったらそんな綺麗ごとに感じる言葉は聞きたくもないはずです。しかし、今の私なら「悩みや苦しみ、痛みはあなたを強くするもの。目の前の障壁には意味がある」と、自信を持って当時の私に伝えられる気がします。
ブログを公開し「勇気をもらった」「救われた」「ありがとう」多くの方からそんなメッセージを受け取った時、強くそう感じることができました。
「みんなの笑顔を美しくしたい、みんなのことを健康にしたい」
私は現在、歯科医師として働いています。
歯科の仕事を通じて美や健康を願う方々のお手伝いをしたい。それによって多くの方に自信を持ってもらい、ますます自分の人生を楽しんでもらいたい。
そんな思いで私はこの道を選びました。
前歯を白くしたら思い切り笑うことが出来た、歯を治して孫とランチを楽しむことが出来た、コンプレックスだった歯並びを整えたら自信を持つことが出来た。
患者さんからそんな言葉をいただくたびに、幸せな気持ちになります。歯科は虫歯を治すだけでなく、その人の人生を更に豊かにする力があると感じます。
しかしある時こんな患者さんに出会いました。
いつもムスッとした顔をしていて、聴いてみるとご主人が亡くなってから特に楽しみも無くなんとなく生きている、と。
私はその方に、診療後お時間をいただいてお化粧をし、髪型も整えさせてもらいました。すると鏡を見た瞬間にこうおっしゃいました。
自分じゃないみたい!嬉しい、帰りに新しい服を買って帰らなくちゃ。娘に写真を送ってみようかしら。
患者さんはとびきりの笑顔を見せてくださいました。
歯科治療だけでなくあらゆる手段を通じてその人らしさが引き出されると、自然と自信があふれだします。自信は自分に対する愛情となり、本人だけでなく周りの人をも幸せな気持ちにする。
私の見たい世界はこれだと感じました。
それ以来、歯科だけでなくあらゆる分野について自分なりに学びたいと思うようになりました。
色んな方と知識を共有し、協力し合って、その人らしさを引き出すための選択肢を広げていきたい。多くの人がもっと自分らしくのびのび過ごし、みんなが自分の人生、自分自身を愛することが出来る世界が実現したら素敵だなと思うのです。
そのために私にできることは何か、これからも考え、行動していきたいです。
私らしい美しさを追求し、人生の主人公でありたい
自分のことなんて大嫌い、なんで生まれてきたんだ、死んだほうがましだと言って今まで両親を何度も傷つけてしまいました。ある時、昔より自分のことを好きになっていることに気付きます。
それを両親に話すと「今までよく頑張ったね」と言ってくれました。
生きていてよかった。
ため息と同時にそんな言葉がこぼれました。こんなことを思える日が来るなんて、想像したこともありませんでした。
今この記事を読んでいる方の中にも、人に理解されない悩みを抱えて孤独で寂しいと思っている方がいるかもしれません。容姿や身体的なことだけでなく、仕事、勉強、趣味、人とのつながり、何においても、周りと自分の考え方の違いに戸惑い、自分の感覚や気持ちを信じられなくなっているかもしれません。
ですが、あなたのそんな感覚こそ大切にすべきではないでしょうか。私はそれが、あなたにしかないあなたの感覚で、あなたらしく生きるためのヒントだと思っています。
全ての状況を仕方なく受け入れることだけが正しいわけじゃない。あらゆる手段が提示されている中であなたはいつだってあなたにとってベストな選択をしたらいい。
これはあなたの人生だから。
大丈夫、一緒に自分らしい姿を探していこう。
あなたらしく生きる姿こそが世界で一番美しいと、私は信じています。
(編集/工藤瑞穂、撮影/高橋健太郎、企画・進行/佐藤みちたけ)