2019年9月12日、大好きな祖父が亡くなった。
母が17歳のときに生まれた僕は、祖父や祖母といる時間が長く溺愛された。幼い頃、お風呂もたくさん入れてもらったし、近所の公園で凧揚げを教えてもらったし、誕生日プレゼントには『ファーブル昆虫記』や『ガリバー旅行記』などの本をもらった。
祖父は尺八を愛していて、毎日欠かさず稽古をしていた。立派な髭をはやし腕毛もすね毛も濃く仙人みたいな人だった。
僕が演劇学科の大学に進学してからは「芸術家肌なところは、おじいちゃんに似たんだな」と嬉しそうに語ってくれた。
そんな祖父は、自ら命を絶った。
突然のことだった。「おじいちゃん、気分が落ちてるから会いに行ってあげて」と母からもらった連絡に「今週予定詰まっているから、来週行く」と返事をして、数日後の出来事。
病院で静かに横たわる祖父の姿を見たとき、ただ涙が出た。そして徐々に、僕のなかにいろんな感情が溢れてきた。
「無理してでも先週会いに行けばよかった」という後悔。「来年の僕の結婚式で“尺八を演奏する”って言ってくれたよね」という怒りに近い疑問。「自ら命を絶つ選択を選ばせてしまったのは自分のせいだ」と自分を責める気持ち。
祖父が亡くなる前、会いに行ったとき、こうつぶやくことがあった。
年老いて、どんどんできないことが増えていくんだ。
悲しそうに言葉をもらす祖父に「そっか」としか返せなかった。あのとき僕はどう言葉を返せばよかったのか、亡くなった今でも考えてしまう。
それでも、こうやって文章を書いているのは、ちょっと前を向いて歩いてみようと思えているからだ。
93歳の看板俳優と共に、老いを味わう劇団OiBokkeShi
そのきっかけをくれたのは、祖父が亡くなる少し前に聴いた「劇団OiBokkeShi」の菅原直樹さんの言葉だった。
OiBokkeShiは岡山県を拠点に、認知症ケアに演劇的手法を取り入れるワークショップや、高齢者と介護者による演劇公演を行う団体だ。
俳優で介護福祉士の菅原さんが2014年に立ち上げ、認知症介護の現場に演劇を取り入れようと活動を行っている。看板役者は93歳になるおかじいこと岡田忠雄さん。
大学卒業後も演劇作品の創作にのめり込んでいた僕は、OiBokkeShiの活動を知り「演劇の知恵が介護に役立つ」という発想に衝撃を受けた。作品創作以外での演劇の可能性に嬉しくなり、それ以来ずっと活動を追っていた。
「演劇的な知恵を用いて、老いを味わっている菅原さんに話を聞けば、祖父にどう寄り添えばいいのかわかるかもしれない」そう思って訪ねていたのだ。
このコラムでは、菅原さんのお話から僕が何を感じたのか、祖父が亡くなって生まれた喪失とどう付きあって、今何を思っているのかを綴りたい。
「老い」とたった一人で向き合うのか、一緒にいてくれる人がいるなかで向き合うのかで心強さは違う
一日吹かざれば技量は退化する、世を去るその日まで独自の工夫を重ねよ。
祖父の部屋の壁には、こんな言葉が掲げてあった。達筆な字とは裏腹に使わなくなったカレンダーの裏側に書いてあるものだ。祖父は、掲げた言葉の通り、ほぼ毎日尺八を吹き、鍛錬を重ねていた。
そんな祖父が「どんどんできないことが増えていく」とつぶやく姿を見るのは辛かった。自分で自分を否定している祖父が痛々しかったし、その痛みを代わってあげられなくてもどかしかった。
「僕になにができるのでしょうか」
そう伝えた僕に菅原さんはこう応えてくれた。
おじいさんは自身の老いを受け入れることに葛藤している状態なのかもしれないですね。
だとしたら「葛藤の邪魔をしてはいけない」と気を遣って離れてしまうのではなく、無理になにかをしようとするのでもなく、ただ一緒にいることが大切です。
「ただ一緒にいるだけ」それで祖父の葛藤に寄り添うことになるのだろうか。そう考えているのを察したかのように菅原さんは言葉を続けてくれる。
葛藤する姿を見せた後に、人が離れてしまうと、葛藤することが面倒で迷惑が掛かるものなんだと感じてしまうときがあります。
そうすると自分の感情を塞ぎ込んでしまいやすくなり、老いと一人で向き合わなければいけないと思い込んでしまうことになるんです。
自分の老いとそこから生じる痛みは完全にわかることも、代わることもできない。でもそこにたった一人で向き合うのか、一緒にいてくれる人がいるなかで向き合うのかで心強さは違う。
ちゃんと葛藤するために「ちょっと辛い」と聴いて欲しいだけなのに、「それはこう解決すればいい」と説明されたり、「あ、そういう話はちょっと」と避けられたりすると虚しくなる。だからまずは「ただ一緒にいる」。
菅原さんのお話を聴いて、すぐに祖父のもとへ向かいたくなる。はやる気持ちを抑えつつ、もっと詳しくお話を聞いた。
「何かができなくなることと向き合うために大切なことはなんなのでしょうか」
菅原さんはまっすぐに応えてくれる。
「今この瞬間」を楽しむことです。できなくなっていくことや失っていくことばかりを見つめて、それ以外が見えなくなる方が辛いと思うんです。
過去に囚われず、未来を当たり前にせず、「今この瞬間」を楽しむ。
大切にしたい言葉だけれど、やりたいことやるべきことやらなければいけないことに追われると、「今」を置き去りにしてしまう気がする。
まずは、自分自身が今どんな感情かを味わう時間やその上で行動を選ぶ回数を増やさなければ。祖父への寄り添い方を考えていたはずが、自分自身の生き方も考えていた。
あなたから受け取っているものがたくさんあると伝える
できなくなることや失うことばかりに目を向けて、他のことが見えなくなる方が辛い。だから今を楽しもう。
祖父の葛藤や痛みの第三者である僕がそう伝えるのは違う。だから、まず「ただ一緒にいる」。でもそれだけでは祖父が「今この瞬間」を楽しむ気持ちになれるかどうかはわからない。
どうすれば葛藤を勝手に奪うことはせずに、それ以外の今に目を向けてもらうことができるのだろう。菅原さんは一緒に考えてくれる。
おじいさんが今できることに着目してみるのがいいかもしれません。話してくれることを記録したり、写真に残したり。
おじいさんとしては弱音をつい言ってしまった、ということでも「貴重な話だからメモさせて」と伝える。今行っている行為や存在そのものの価値をちゃんと伝えていくことが寄り添うことにつながるかもしれません。
たとえば尺八の稽古をつけてもらうこと、一緒にテレビを眺めながら祖父の考えを聞くこと、冷凍食品をより美味しく食べるためのコツを教えてもらうこと。
おじいちゃんと他愛もない話をする時間が心地がいいよ。何をするでもなく一緒にいることが落ち着くんだよね
ちょっと気恥ずかしいけれど、こうやって祖父から受け取っているものがたくさんあると伝えていくこと。それが今僕ができることなのかもしれない。祖父に会うのが楽しみな気持ちを持って帰路についた。
大切な人の死。一人で今日の出来事を抱えることができなかった
菅原さんから聞いたことを反芻しながら、祖父に会いにいく日を検討していた。
今週はちょっと予定が詰まっているから、来週に行こう。
そう思っていた矢先、祖父は亡くなった。
父から連絡をもらって、病院に向かう。ぬくもりが微かに残る祖父の手を握って、母と祖母の泣いている姿を見た。色んな光景を見たはずなのにそのときの身体は呆然としていた。
無機質な待合室で色んな手続きが行われて、その場でできることも祖父の側にいることもできなくなり、僕は一度家に帰る。
ツマが仕事から帰ってきて、祖父がなくなったことを伝える。自ら命を絶ったことを伝えるかどうかは迷ったし、きちんと考える余裕があったとは言えない。だけど聞いてほしかった。
ツマは、僕のまとまらない話を聞いて、ただそばにいてくれた。今感じていることで余裕が無い自分の存在を認めてくれた。しばらく話をし、僕が少し落ち着いたタイミングでツマは「散歩でもいこっか」と言う。
散歩しながら、祖父との思い出や、湧き上がってくる哀しみと自責の念と罪悪感と怒りをぼそぼそと伝えると、「うんうん」と聞いてくれる。あの日、感じたことを一人で塞ぎ込まずにいれたのありがたかった。
張り詰めていたものが、ぷつんと切れた
ツマの対応に救われてはいたものの、そこから毎日気を張って過ごしていた。
誰にも強制されていないのに、個人的なことで周囲に迷惑を掛けないようなんとか仕事を頑張ろうとしていた。
しかし、意欲は湧かず、仕事もほとんど手がつかない。なんであのとき会いに行かなかったのか、どうして祖父は自ら命を絶つ選択をしてしまったのか、どうすれば防げたのか。気づいたらそう考えてしまう。
ただその姿を祖母や母に見せたら心配をかけてしまうと思い、ぐっと気を張る。感情を比べる必要はないのに、祖母や母の悲しさや苦しさと比べてしまっていた。葬儀や告別式が終わるまで自分をごまかしながら過ごしていた。
そのせいか祖父を見送った後、ぷつんと張り詰めていたものが切れる。
朝起きて身体が重く、なにかをする意欲がわかず、ベットから起き上がれない。夕方になり少し意欲が戻る。それでも誰かと連絡をとることがしんどくて仕事はちょっとづつしか進められない。
落ち着くのには時間がかかると思うからがんばりすぎないように、という会社の上司やメンバーからの気遣い。
少しでも無理せず過ごして欲しいので私たちなりに支えていけたらと思っています、という言葉。ありがとうは言えたけれど、「休みたい」と伝えることができなかった。
今振り返ると、周囲からのやさしさをちゃんと受け取ることをせず、勝手に自分の辛さや痛みに蓋をしていた。
幸運だったのは、もともと産業医のところに定期的に通っており、このタイミングで通院ができたこと。
そこで自分がいま感じていることや話したいことだけを話した。すると先生も自身の喪失体験について共有してくれた。
意欲が湧かないことを伝えると、「これからどうしたいですか?」と聞いてくれる。しばらく沈黙してそこでやっと自分の口から出た言葉は「なにもしたくない、休みたい」だった。
すると、こう声を掛けてくれる。
大切な人が今の自分と同じ状況だとしたら、どのくらい休んだ方がいいって伝える?
1ヶ月…いや期間を決めないで、とりあえず思い切り休んだ方がいい。大切な人には、まずは自分にやさしくすることだけを考えて欲しいと思ってそう伝える。でも自分にはそう伝えられていないと気づいた。
焦って回復しようとしなくていい。まずは自分を大切にして、そのなかでやりたいことが生まれてきたらやってみればいい。大丈夫、ちゃんと休むことで自然に浮き上がってくるはずだから。
この言葉もあり、僕は仕事を2週間、完全休養することを決めた。お休みがほしいと伝えるのは正直とても怖かった。他のメンバーの負担を増やしてしまうのではないか、休むことで居場所がなくなってしまうのではないか。
しかし思い切って伝えると「まずはゆっくり休んでください、自分を大切にすることが仕事です」と快く受け入れてくれた。
自分を大切にする練習を
そこから2週間、“ちゃんと自分を大切にする”ことに取り組んだ。
祖母が一人になる、あるいは母と二人きりになる時間が多くなりすぎないようにできる限り祖母の家に行く。それ以外は、祖父のことを考えながら、自分を大切にするための時間に。
意欲が湧かないときはなにもせず、気持ちが浮上したタイミングでやりたいと思えたことをやる。なによりもそれを徹底した。
毎日活動記録をつける。1時間ごとに自分が何をしていたのかと、そのときのエネルギーの%を記入。その中で%が高いものはなにかを振り返って、自分のエネルギーが回復しやすい方法を知る。
自分がちゃんと休める方法は、最初は睡眠以外は見つけられなかった。でも、記録を続ける中で自分の回復につながる方法に気づくことができた。
お風呂に浸かって身体を温める、オードリーやバナナマンの”いい意味でくだらない”ラジオを部屋に流す、心拍数が上がるPerfumeやサカナクションの曲を聴きながら散歩をする、ツマとゆっくりご飯を食べる、寝る1時間前にはスマホやPC、TVを触らないようにする、寝る前に今日いい感じだったことを手書きで手帳に書く。
自分の回復につながる方法と書いたけれど、祖父のことに関しては、回復している実感はなかった。やっぱりふとした瞬間にさびしさを感じるし、後悔もあるし、自責の念もあるし、怒りもある。
「自ら命を絶つという選択をする前に苦しいから助けてと言って欲しかった」と嘆く。そんなこと言っても仕方ない。その発言が自分よがりのものだとわかっていても。そしてどんどん沈んでいき、色んなものが見えなくなっていく。
そんな時に思い出したのが菅原さんの言葉だった。
「今この瞬間」を楽しむことです。できなくなっていくことや失っていくことばかりを見つめて、それ以外のことが見えなくなる方が辛いと思うんです。
祖父のことを考え感じることをないがしろにはしない。でも喪失ばかりに目を向けて、自分を大切にすることを置き去りにしてはいけない。
自分を大切にする練習をするために、まずゆっくり休む。自分を甘やかす。それからやりたいと思えることをやったり、活動記録をつけたり、寝る前に今日いい感じだったことを日記につけたりする。自分に相性のいい回復の方法をたくさん知っておく。
それが「今この瞬間」を楽しむきっかけにつながるはずだと菅原さんの言葉で気づいた。
また産業医の先生の「今回の出来事で感じたこと、考えたことで、語りたいと思えたことは、たくさん語った方がいい」という言葉が、自分の話をするのが苦手な僕の背中を押してくれた。
大学時代の友人たちに連絡を取り、一緒にお酒を飲む。そのなかで祖父の出来事を伝える。やっぱり「こんな話をするのは迷惑なんじゃないか」と思ってしまったけれど、友人はこう応えてくれた。
なんて言葉を返したらいいかわからない。でも伝えてくれたのが嬉しかったし、今日聞いた話が僕にとっても糧になると思う。糧とかいっちゃいけないかもしれないけど、でも受け取ったものがたくさんあるよ。
ツマと産業医の先生以外でもこうやって受け止めてくれる人がいるとわかって安心した。ちなみにその日は、自分の思い切った話をきっかけに、そのまま朝まで喋り続けた。
自分が自分であることを喜ぶために「今この瞬間を味わう」
2週間のお休みを経て、仕事量を調整しながら復帰し、今は、まあ健やかに生活を送っている。祖父が亡くなってから、一人で暮らすようになった祖母がいるので、僕は2週間に1度のペースで訪れる。
祖母はときどき「私がなにかいけなかったのかな、どうすればよかったのかな」と聞いてくる。「僕はおばあちゃんがいけないとは全く思っていないよ。でも、そう考えちゃうよね、僕もやっぱり考えちゃう」と伝える。
そのまま話を続けて、一緒に祖母が作ったお昼ご飯を食べる。「美味しい?」「美味しい」「よかったー!」祖母は笑う。
僕が読んでいる本を見て、面白そうと言うので、貸す。それ以降、家に行くときはおすすめの本を必ず持っていく。眠くなったらお昼寝をする。特別何かしているわけではないけれど、ただ一緒にいる時間を味わう。
祖父とも「もっとただ一緒にいる時間をもてたらよかった」と思う。でもそのことばかり考えて、今目の前にいる祖母との時間を、あるいは家族や仕事、友人との時間を置き去りにしたくはない。だから、今この瞬間を大切にする努力は続けたい。
自分が自分であることを喜ぶ
祖父のお墓に彫ってあった言葉。自ら命を絶った祖父が大切にしていた言葉に思うことは沢山ある。祖父は、最期、自分が自分であることを喜べていたのだろうか。それは本人にしかわからない。
わからないけれど、僕は、おじいちゃんが自分であることを喜んで生きられるために何かしたかった。「どんどんできないことが増えていく」とつぶやいていたけどさ、僕は、できるできないとか関係なく、ただ一緒にいることでたくさんのことを受け取っていたよ。
でも自分であることを喜ぶって難しいね。漠然と幸せになりたい、私にとっての幸せってなんだろうって考えたことはあったけど、自分が自分であることを喜ぶためになにができるかを真剣に考える機会ってほとんどなかったもん。
でも今回の出来事で考えはじめることができた。ありがとう。
いやでも、祖父の選択を肯定することも、否定することもできない。そもそも判断する必要はない。
できることは自分を大切にすること。そして自分のペースで今回の出来事で受け取った、受け取ってしまったものと付き合うこと。
体の調子、その場で聴こえる音、におい、目線の先にあるもの、流れる時間、今この瞬間を味わう。どんなときが心地よくてどんなときが不快か知る。
ちょっとした不快さを通過して手に入れる心地よさを欲するときもあれば、ひたすらに心地よさに身を置きたいときもある、不快さを突き詰めて、そこに心地よさを発見するときもある。
そのときにあった方法を探してみることで、自分を大切にしやすくなり、自分が自分であることを喜べるようになる。その視点を大切にして暮らしていこうと思う。
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(編集/工藤瑞穂、写真/木村和博)