【写真】ピースをしてカメラに映るしぶきさん

こんにちは!しぶきです!

私は中学3年生の頃、脳出血を起こして突然学校で倒れました。脳幹部にあった血管奇形の一種である「海綿状血管腫」によるものです。その影響で、左顔面麻痺や右半身麻痺など、複数の障害が残りました。

治療後、しばらく自分の障害とうまく向き合えず、「人生終わった」と考えてしまったこともありました。でも現在は前向きにYouTuberとして、メイクやファッションに加えて、障害とともに生きるうえで工夫していることや、自分の思いについて発信をしています。

今回は、障害がある自分も「唯一無二」だと思えるまでの道のりや、現在のYouTuberとしての活動について、お話したいと思います。

オシャレが大好きだった子供時代

私は小さなころから、お母さんの影響でおしゃれすることが好きでした。昔からファッションが好きなお母さんの着せ替え人形だったらしく(笑)、いろんな服を着せてもらいました。

おしゃれに興味を持った小学生の私の夢は、「モデルになること」でした。これが人生で初めての夢です。

きっかけはお母さんが勝手に申し込んだ小さなファッションショーに出演したこと。観客も少なかったのですが、その頃は割とおとなしく人前に出ていくようなタイプではなかったので、出るのが嫌で嫌でたまりませんでした。でも申し込んでしまっていたので、緊張しながらもしぶしぶ出演したのを覚えています。

【写真】おしゃれをして笑顔でカメラを見ている、幼い頃のしぶきさん

子どもの頃のしぶきさん(提供写真)

スポットライトを浴びて歩くのは緊張はしましたが、大勢の人が見ているなか自分を表現することの楽しさを覚え、人前に出ることが好きになりました。それからいっそうおしゃれも好きになり、友達や周りの人からファッションを褒めてもらえることも多くなりました。

中学時代はこれまでの人生で私の全盛期です!というのも中学時代は全てのことに打ち込んだから。部活、遊び、恋愛、勉強、学校行事…今思い返すと充実していたなと思います。

部活はさぼることもあったけどそれも青春の一つで、毎日のように遊んで、たくさん恋愛して失恋もして、勉強なんかホントに嫌いだったけど親が「勉強しなさい」と口うるさかったので頑張りました(笑)。

学校行事で一番印象に残っているのは体育祭です。人をまとめることが好きというのもあってダンスリーダーとして頑張り、中学校最後の体育祭は全ての賞をもらうことができました。

海綿状血管腫で突然倒れ、人生が大きく変わってしまった

人生を楽しんでいた私が、「海綿状血管腫」の出血によって突然倒れたのは、14歳のときでした。

教室にいたとき、いきなり視界がおかしくなり保健室に行く途中で倒れてしまって、一緒にいた友達が先生を呼びに行ってくれました。予兆は一切感じなくて、倒れる直前に一気にきた、という印象で。

それから先生におんぶされ保健室のベッドについた時には、右半身がしびれてきていて、ものを飲み込みにくくなる嚥下(えんげ)障害も出ていて、水もつばも飲み込めず、口の中のものをすべて吐いてしまいました。それからは記憶がありません。

目を覚ました時にはすでに、ICUの中でした。パニックになって暴れて血管腫がまた破裂するとよくないので、安静にさせる点滴を受け、両手両足は縛ってありました。

ああ私、こんなことになってしまったのか。

点滴で頭がぼーっとなっていたこともあってと、不思議と自分の状態をすぐに受け入れました。一番つらかったのは気管切開をして呼吸器を入れていたこと。痛いし、すぐに痰はたまるし、まるで地獄でした。

【写真】入院していた当時、病院のベッドで横たわるしぶきさん

当時の入院中の様子(提供写真)

2ヶ月ほど寝たきりだったので術後のリハビリは座る練習から入りました。首も座っていなかったので首の筋肉をつけたり嚥下の練習、字を書く練習、顔のマッサージなどをしていました。

リハビリ専門の病院に移り、本格的に頑張りはじめて半年になりそうな頃、同じ場所でまた出血がありました。また手術をうけた病院に戻りましたが、またすぐに手術するわけにいかなかったので、我慢の時期が続きました。

その時の出血の症状はひどく、排泄も出来なくて、リハビリで良くなっていた嚥下もまた悪くなっていって。脳脊髄液の循環障害により脳に障害が起きる「水頭症」にもなりかけていたのです。

何週間か経った頃には、一度私の心臓が止まってしまうこともありました。奇跡的に回復はしてきたのですが、それがきっかけで手術を早めることに。命を落としてもおかしくないと言われていましたが、無事に手術は成功しました。

術前に出ていた水頭症や排泄障害は改善されたもののまた気管切開をし、一回目の術後に出ていた後遺症のすべてがレベルアップしました。なかでも大きくでてきたのは、歩きにくさと口の開きづらさです。

歩きにくさは体幹障害によるもので、体が揺れていないのに、揺れているように感じ、支えがないと歩くことができません。そして、開口障害という口を開けにくくなる障害も出てきため、食べにくい、しゃべりにくい、笑えない、あくびができないなど、生活を送る上で難しく感じることが増えました。

顔面麻痺になったことはショックだけれど、周りの人に支えられた

手術を経て様々な症状が体に出ていましたが、私が一番つらかったのは左顔面が麻痺してしまったことです。

右半身麻痺にもなっていたので、温度がわかりにくい、ものがつかみにくい、思った通りのところに動かせないなどの症状は出ていました。しかし、学校で倒れた時点でその症状は認識していたため、受け入れるまでにそれほど時間はかかりませんでした。

でも左顔面麻痺はそう簡単には受け入れられるわけもなく、すごくショックを受けました。

手術が終わり少し元気になってきたころ、自分の顔の違和感を確認したくてお母さんに「鏡を見せてほしい」と言いました。そのころお母さんは私の手の届く範囲に鏡や携帯などありとあらゆるものを置きませんでした。それはきっと、私が自分の顔を見ないように。なので、私がそう言ったときお母さんはだいぶ困っていたと思います。

実際に自分の顔を見たときは、絶望というか、言葉で表現できないような感情に襲われました。顔の左側は全く動かすことができず、瞬きをすることもできていなかったのです。

それを見て泣き叫ぶわけでもなく、ぽろぽろと勝手に涙がこぼれて止まらなくなりました。

人生終わったな。私、どうやって生きていけばいいんだろう。

私は「モデルになりたい」という夢があったし、実際にスカウトされた経験もあった。ファッションやメイクの仕事にも興味があったので、そんな感情ばかりが頭にありました。

【写真】車椅子に乗り、片目に眼帯をしている手術後のしぶきさん

発症当時のしぶきさん(提供写真)

私を見て、両親や身内は「代わってあげたい」と泣いてくれていました。それだけでも私は、十分に嬉しかったです。

私は本当にたくさんの人に支えられてここにいるので考えたらきりがないんですが、特に三つ下の妹の存在は大きかったです。妹は私が障害を持っても「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と慕ってくれて、嫌なことがあって落ち込んでいるときも笑わせてくれて、私に笑顔をくれました。

障害を持ってから大学一年生までを「暗黒期」と呼んでいるのですが、この時期を乗り越えられたのは、妹の存在が大きかったと思っています。

親には特別に何か相談したりはしませんでした。それは、親の悲しそうな顔は見たくなかったから。

特にお母さんは私が病気をした時からずっとつきっきりで、涙もろいこともあり、病室で私と二人で泣いて話すことも多くありました。親としては私に相談して頼ってもらえることは嬉しいと思うのですが、きっと私以上に考え込んだりすると思うので…。

そのぶん、身近にいる私の理解者のお姉さんに沢山頼りました!その人はお父さんの幼馴染の妹さんです。私はよく「生きていたくない」と思ったり、他人と自分を比べて「自分は何もできない」とか「体が自由に動いて、無邪気に笑えているみんなが羨ましい」とばかり考えていました。

そんなことを相談されたら普通は困ると思いますが、その私の理解者は一つ一つ受け止め言葉を返してくれていました。飲食店を営んでいるので仕事が終わる時間も遅いのですが、それでも私の気分が落ちていたりしたら仕事終わってすぐ会って、たくさん言葉をかけてくれました。

中学三年のときのクラスメイトにも、すごく支えられました。卒業した今でも仲が良くて大好きで、夏休みや年末年始などのみんなが帰省するタイミングでよく集まります。

友達によるとクラスで集まるきっかけになったのは「しぶきを励まそう」ということだったらしく、本当に幸せ者だなと感じました。みんなに感謝しています。

【写真】友人とともに笑顔でこちらを見ているしぶきさん

(提供写真)

共感するだけじゃなくて、私への反対意見も伝えてくれます。障害を持つ前の中学時代はは、わりとはっきりものを言って他人の意見には耳を傾けないようなツンツンした性格だったので、そんな友達が出来たのは、障害を持って人の気持ちをよく考えるようになったからだと思います。

高校の友達は「障害を持っているしぶき」として初めて会う子ばかりなので、私も友達もどう接していいのか戸惑うし、自分の障害を自分の口から説明しないといけませんでした。慣れないことだし難しかったけどみんなに親近感持ってもらえるように、あまり重く考えさせないように、笑顔で明るく伝わりやすい言葉で説明することを意識していました。

大変なことはたくさんあったけど、その分、嬉しい出来事は喜びも大きかったです。例えば、歩行器で歩いていて両手がふさがって教科書をもてなかったときに、自然に「持つよ!」と言ってくれたりして。そんな些細なこともとてもうれしく感じました。

たくさんの工夫をしながら、日々を生きていく

現在の症状は、障害が出てきた当時とあまり変わっていません。半身麻痺、顔面麻痺、体幹障害、難聴などがあることはそのまま。それでも、様々な工夫をしながら日常生活を送っています。

まず体が思い通りに動くわけではないので、日常的に杖をつかって歩いているし、一人での外出は難しいです。でも家には、お風呂もトイレも手すりがついているため、滑らない様に気を付けながら一人で入るようにしています。

また、顔面麻痺で瞬きが出来ないので、乾燥を防ぐため左目はラップで保護しています。嚥下もだいぶ良くなりましたが、水などさらさらした飲み物を飲むときにはたまにむせてしまいます。

料理は感覚障害があって火傷に気づきにくいので両親がしてくれています。でも最近は自分でもチャレンジしています。

できないことが多くサポートして貰えることはありがたいことですが、サポートしてもらうことが嫌な時期もありました。元々人に頼りたくないような強気な性格だったこともあるし、今まで当たり前に出来ていたことを誰かに頼らないと出来ないというのはあまりにつらく、受け入れることに時間がかかりました。

【写真】杖を持って歩くしぶきさん

(提供写真)

「悔しくてもどかしい」という感情。「こんなこともできないの?」と思われるんじゃないか、またお願いしなくちゃいけない自分への恥ずかしさ。

プライド的なものが強かったので、たくさん葛藤しました。

でもやっぱり毎日生きていくと、その現実は常に目の前にあります。だから、言葉を選ばずに言うと、不自由な生活にも「慣れて」いきました。

そして自分の気持ちに折り合いをつけられるようになっていきました。

サポートしてもらわないと好きなことも出来ない。

そう気づいて、人に心から感謝出来るようになった気がしています。葛藤していたころは気づかなかったけど、サポートしてもらえるって本当にありがたいし感謝ですよね。

私が誰かにサポートしてもらうとき気を付けていることがいくつかあります。

まず顔面麻痺で左の頬が動かないので、私の声はこもってしまいます。また大きい声もあまり出ません。なので、相手に声が届きにくいため、発言ははっきり言うように心掛けています。

それに、いつも「ありがとう」と言うのは忘れないようにしていますが、毎日の事なので当たり前だと思って言わなくならないように、というのも気を付けています。特に、家族はそうなってしまいがちですから(笑)。

障害だけでなく、自分の長所も見つめながら

私がこうした自分の障害を受け入れることが出来たのは、ある二人の大人との出会いがきっかけです。

お一人は、高校卒業後に通っていた大学の外部講師の女性でした。週一回の授業でしか会うことはなかったのですが、私はその先生とお話ししたいなと思い、自分から声をかけました。なぜなら、その先生がとても魅力的だったからです。お肌もしぐさも話し方もとてもきれいで、それでいてかっこよくて一人の女性として尊敬していました。

先生と話すチャンスが出来て、それから将来の相談なども聞いてもらうようになりました。私は「自分は障害があって何もできない、自信がない」と言いました。それに対して先生は「そんなことない、あなたはきれいだしもっと自信もって良い、何もできない事なんてない、大丈夫」と相談するたびに言ってくれたんです。

また「コミュニケーション力がある」とか、私の長所も教えてくれました。そこで初めて「自分も何か出来るかも、何かに挑戦したい」と前向きな気持ちになることが出来ました。

ずっと私のことを信じてくれて、やっぱり自分があこがれている人からの言葉は大きいなと感じます。本当に感謝しかありません。

もう一人の方は、出会ったというか、インターネットで動画を見つけました(笑)。

YouTube講演家の鴨頭嘉人さんです。

私はずっとGoogleやYouTubeで、「幸せになる方法」とか「楽になる方法」を検索していました。そんな時に鴨頭さんの動画に出会ってすごく救われました。

【写真】カメラに視線を向けるしぶきさん

(提供写真)

どの動画も響くのですが、特に私の印象に残っている動画でお話されていたことを紹介します。それは「自分を幸せにする生き方、人生を劇的に変える考え方」という動画でした。

身体は誕生日に借りたレンタル品で死ぬときに返す、今あるんだからいつか返すんだから思いっきり使ってあげようよ!いろいろあるから面白いじゃない、障害物にぶつかっても自分の捉え方次第、どう味わうかだ。

自分に言われているようで、この動画を見始めてから私の頭の中はがらりと変わり、すごくワクワクしてやりたいことも出てきて積極的に挑戦するようになりました。

私がまた夢を持てたり、今YouTubeで発信をしているのはこの二方のおかげです。

発信を通して、「唯一無二」の私になりたい

私は1年前から、YouTubeで「しぶきちゃんねる」を開設して、障害とともに生きるうえでの工夫や心構え、そして大好きなメイクやファッションなどについて発信しています。

顔面神経麻痺との向き合い方や開口障害があってもうまく食事をとるための工夫など、自分自身について、自らが語った動画を編集して公開。さらに、大好きなメイクやファッションについての動画も配信しています。

障害を受け入れたタイミングでとっさに「YouTubeしよう!」と思いついて、すぐ行動に移しました(笑)。今は障害の有無に限らず、「誰かの背中を押す存在になりたい」と思っています。

反響は様々で、コメント欄に顔面麻痺のある人が症状が始まったきっかけを書いてくれたり、後遺症で悩んでる、苦しんでるというコメントをもらうことも多いです。私はそんな方たちに、「私はこんな考え方で、こんな風に生きてるよ」って1つの案として自分のことを伝え、「こんな考え方もあるんだな」と感じてもらえたらと思っています。

また、「すごい、尊敬する」など褒めてくださる方や「頑張って、応援する!」などの声もたくさんもらいます。すごく励まされて素直に嬉しかったし、もっと頑張ろうと思いました!

顔面麻痺だけでなく、自分のつらい経験を話してくださる方もたくさんいて、みんな何かと闘いながら頑張って生きてるんだよねと感じます。

一番嬉しかったのは、同年代の顔面麻痺を持っている子からのコメントでした。

自分の顔を見て落ち込んだり、周りと比べて苦しんでいたけど。しぶきさんの動画をみて強さに感動しました。私もこれから自分の好きなファッション、メイク楽しみます!

私もめちゃくちゃ苦しんできてすごく気持ちもわかるので、同じ境遇にある子にこんな風に言ってもらえるのは本当にうれしい!また私は芯があって強い大人になりたいと思っているので、「強さ」を褒められてすごく嬉しかったです。

【写真】ネイルを見せてくれるしぶきさん

(提供写真)

私はずっと「唯一無二」になりたいと思っています。

YouTubeを始める前は「なんで自分だったんだろう」「なんでこんなに若いのに」という思いが強く自分を責めていました。

しかしYouTubeをするようになって「唯一無二」に近づいていると感じるようになりました。障害を持ったことで逆に強みになり、結果的にはよかったんじゃないかと思いはじめてしまったんです(笑)。

今は決まったカテゴリーはないけど、障害にとらわれず普通の女の子として、楽しく前向きな動画を発信することに意味があると思うので、そこを意識して動画を作っていきたいと思っています。

また、障害を持っている立場にあるからこそ話せることも発信していきたいと考えています。

「人と違う=個性」障害をどう捉えるかで人生は変わる

しぶきさんの原動力、強さはどこから来るの?

そう聞かれたことがありましたが、強さやポジティブさは元々の自分が戻ってきたんだろうなと思っています。

障害が出てネガティブになっていたけど、元の自分はポジティブでとても目立ちたがり屋でした。そこに「障害は強みになる」と考えられるようになったのが、プラスされたんだと思います。

「人と違う=個性」だし、覚えてもらえやすいと私自身は思うので、これも自分の大きなひとつの長所だと捉えています。そういう自分が表に出て発信していくことで、悩みを持っている人に勇気を持ってもらいたいと考えています。

こういった発信をとおして、もっと「人にはいろんな形があることが当たり前」という考えが広まり、それを否定する人が少なくなればいいなと思います。

障害も含め、人との違いは、自分自身がどう捉えるか次第。生き方にはいろんな形があるのが当たり前に近づくといいなと思います。

病気になった意味なんて、これからつくっていけばいい

【写真】視線をカメラに向けるしぶきさん

(提供写真)

どうして自分は生き延びたんだろう。

私の人生どんな意味があるんだろう。

こんなことばっかり考えていた時期があります。考えて考えて、考え続けたのですが、答えは分かりませんでした。

考えている間すごく辛くて苦しくてもがいていました。だけど、「今考えても答えは出ないな」と思えるようになったし、考えれば考えるほど自分が止まっている事に気づきました。

何も進んでいなくてただ漠然と不安に飲み込まれていく。だから「意味なんてこれから作っていけばいい」と今は思ってます。でも、考えていた時期は前に進んでいなかったけど、その不安と向き合ったから今の考えが出来てるのかなとも感じています。

病気になって学んだことや気づいたことってたくさんありますが、やっぱり1番は「今までの生活がどれだけ幸せだったのか」「当たり前って幸せだな」ということです。

自分で呼吸が出来ない、飲み物も食べ物も飲み込めない、声が出ない、座ることさえままならなくなっていたとき、「どうしてこんな事も人の手を借りないといけないのか」と思い詰めていました。

食べたり歩いたり、それが当たり前ではないと考える事もなく、普通に生活できていたのがどれだけありがたいのか、幸せだったのか。

勉強めんどくさい、学校休みたい。

誰もが思った事があると思います。私もよく思っていました。

しかしこの病気になり、学生時代思っていたそういった感情は贅沢でもあるなと感じました。

当たり前は決して当たり前ではない。

そう考えられたのもこの病気をしたおかげ。「おかげ」っていう表現もなんか少し違和感がありますが(笑)、実際に自分が身を持ってつらい生活を経験しているからこそ、当たり前に暮らせることへの感謝を大事に出来ているんだろうなと感じます。

人生一度きり、好きなことをして楽しもう

いま外見に悩みがある人にとって、「悩まなくていいよ」ていうのは言われた側からすると「そんな簡単に言わないでよ」と思うでしょう。私にもそんな時期がありました。だからあまり強く言えないことではあるけど、それでも「悩まないで」と私は言いたいです!

だって私は今が最高に楽しいから。周りの目を気にしていた高校時代より今のほうが断然楽しいから。

何かを発信すると、人にどう思われるか不安になる方も多いと思います。私自身、発信しているとアンチ的なコメントもきますが、私は気になりません。

それは病気によって、「周りばかりを気にしないこと」が大切だと学んだからです。

障害を持った当初は周りの視線だとか「これをしたら人に迷惑をかけてしまうんじゃないか」と思ってしまっていて、自分がしたい事を出来なかったり遠慮しがちになってました!

もちろん周囲を気にかけることも大事なんだけど、気にしてばかりでその度合いが過ぎると自分がしたいことができなくて後悔ばかりが残っていきます。

それを繰り返すうちに自分の人生、生き方に嫌気が差してきて「きつい、もう生きていきたくない」と思った時期もあります。だけど、「生きる事をやめたい」と思ってしまうことが1番怖いんです。

今私は、人それぞれ思うことは違うし、発信しているんだから「当たり前か!」と割り切っています。

だって自分がしたいことをしているだけだから。他人を気にしていたら自分が好きなことができないし、他人の目を気にするより自分の人生のほうが大事だから。

人生なんていつどんな転機が訪れるかわかりません。

人生一度きり。

これからも私は、自分が思うようにフルにつかって楽しんでいきたいと思います!

【写真】笑顔でこちらを見ているしぶきさん

(提供写真)

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(編集/工藤瑞穂、企画・進行/松本綾香・高村由香)