【写真】ミオンさんに寄り添うようにご家族が集まっている。

こんにちは!makikoと申します。

私は三人(長女、長男、次女)の子どもと夫、実母、犬1匹の家族と暮らしています。長女の美音は「ミトコンドリア病リー脳症」という難病があります。

ミトコンドリア病は、ミトコンドリアの働きが低下することが原因で起こる病気のこと。約7,000人に1人が発症するといわれており、全身に様々な症状が起こります。脳や筋肉への障害のほか、目、耳、心臓、肝臓、消化管、腎臓などの臓器にも障害が生じ、いまだに有効な治療法はありません。

今、美音はおしゃべりや歩くことはできず寝たきりの状態で、自発的な動きは瞬きのみです。しかし、表情は以前より豊かになっていて、体調も安定しているからか、ご機嫌な表情が増えました。最近、右手の親指が時々わずかに動くことを発見し、家族で喜んでいます。

私は、家族や地域の方々にたくさん支えてもらいながら、美音を育てています。

毎日バタバタと過ごしておりますが、家事育児の他に、子育て最中のママやパパへの応援の気持ちを込めたオリジナルソングを演奏するバンド「音ごはん」でキーボードを担当しています。

今回は美音にどんな症状があるのか、どのように病気と付き合いながら日々を過ごしているのか、お話させてください。

「こんなに愛おしい存在がいるんだ」難産の末、娘に出会えた

私は、「幼稚園の時からしっかりしていた」と母親や友人によく言われます。クラスの中で困っている子がいたら、面倒をみていたそうです。

小さい頃からピアノを弾くことが好きで、5歳から19歳までピアノを習っていました。

大人になってからはいろいろな仕事を経験し、派遣先で知り合った夫と結婚。ほぼ同時に妊娠がわかり、仕事をやめて出産、育児に専念することにしました。

妊娠がわかった時はびっくりして嬉しくて、何度も検査薬で確認しました!お腹がどんどん大きくなる中で、だんだんと母になる実感が湧いていきました。

出産はすごく難産で、子宮口が開かず、2日間陣痛に苦しみながらやっと生まれてくれました。美音は本当に、頑張って生まれてきてくれた。その時から美音は頑張り屋さんだったのだと思います。

こんなに愛おしいと思える人がこの世にいるのか!

初めてその姿を見たとき、とにかくかわいくてこんなふうに思いました。よく泣く子だったので、助産師さんたちに「元気が良いから将来は体操選手かな!?」なんて言われたのを覚えています。

娘の発達が遅いのはなぜだろうと悩み続けた

美音の発達に不安を感じたのは、生まれてしばらくしてから。生後3ヶ月あたりに、首の座りが弱くて、「他の子どもとちょっと違うな」と思いはじめました。

生後6ヶ月の頃には、体重の増えも悪くなり、周りの子が大きくなり、できることが増えていく姿をみて、違いをさらに顕著に感じるようになりました。

病院を受診しても、原因はまったくわからず、はがゆい気持ちでいっぱいでした。

最初は栄養が不足しているのではないかと思い、食事のバリエーションを増やし「楽しく食事してもらおう」と工夫していました。また、毎日のように児童館に連れていき、同年代の子と接する機会もつくりました。

この頃、お腹には第二子もいたのでママ友にたくさん助けてもらっていました。

夫は発達が遅いというのが個人差としか思っていなかったようです。私はとても不安で、夫と一緒に区の育児相談に行きました。そこで初めて美音の発達の遅さにに気づいたんです。

すぐに今の主治医を紹介していただき、検査をするために初めての入院。その検査で言われたことは、「頭が小さいので、小頭症気味ですね」ということだけでした。その他は異常がなく経過観察をすることに。

以前は食が細く体重が増えなかったものの、病院では頑張って食べて体重も少し増えたので、そのまま退院となりました。

その後、再び体重が増えなくなり、生後10ヶ月頃からは、「経鼻経管栄養」という、鼻から胃にチューブを入れて栄養をとる方法を始めます。

【写真】鼻から胃にチューブを入れて栄養をとっているミオンさん

(提供写真)

朝晩2回、1時間かけて栄養を注入するのですが、手動で注入速度を調整していたので、せっかく注入したものを全て吐いてしまったりすることも。なので目を離すことができず、朝の分の注入にお昼過ぎまでかけてしまうこともあり、当初は外出することすら難しい状況でした。

栄養はちゃんと摂取できるようになったので、「ご飯をたべさせなければ」というプレッシャーからは解放されましたが、鼻にチューブが入った姿をすれ違う他人に見られると、複雑な心境になりました。しかし、食事ができなくなったわけではないので、「栄養剤や苦いお薬は経管栄養で、お口からは美味しいものだけ食べようね!」とよく美音に言い聞かせていました。

「ミトコンドリア病」と診断され、悲しくて仕方なかった

1才5ヶ月の頃、美音は「ミトコンドリア病」という病気があることがわかります。

きっかけは美音に目が揺れる症状(眼振)を発見したこと。MRIをとることになり、やっと病名がわかりました。

ミトコンドリア病では、個々の細胞の働きが低下したり消滅したりするのですが、それがどの細胞にも起きる可能性があるため、さまざまな症状が現れます。神経、筋、心臓など臓器の症状から、脳や感覚の症状や発達の遅れなど、あげればきりがありません。

やっと治療ができる。

診断がおりた瞬間は、そう思いほっとしました。でも医師の診断を聴くと、美音は小児期に発症するミトコンドリア病としては最多の病型を示し、その多くが早期に死亡するといわれているリー脳症。難病であるがゆえに、今はこの病気に治療法がないことがわかりました。

先生の誤診じゃないか。

私のなかに、その診断を信じたくない気持ちが募りました。

そのとき夫や家族は、事実をただただ静かに受け止めていました。今思えば、美音の母である私の様子をうかがっていたのかもしれません。

私はずっと信じられない気持ちで、心ここにあらず。お風呂に入ったはずなのに気付いたら髪も体も洗っていないまま出ていることもたくさんありました。

主治医からは「ミトコンドリア病の症状は軽いものから重いものまで幅があるので、自分であまり調べない方が良いかもしれないです」と言われていました。

ですが、やはりどうしても気になったので調べてみると、当時は「予後不良」や「10才まで生きられない」といった情報ばかりだったのです。重い病を美音に背負わせてしまったことに対して自分を責めました。大切な娘が10才までしか生きられないかもしれないと想像すると悲しくて仕方がなかったです。

震災を経験し、前を向いていこうと決意

ミトコンドリア病を診断されてからは、健康な子どもの姿を見ることすら辛く、テレビで子どもが出演しているCMさえ見られませんでした。そんな中、東日本大震災が起きたんです。

テレビでは、津波でご家族やお家、思い出の品々を流されてしまった方たちが、「絶望の中それでも明日は来る」のだとおっしゃっている姿に様々な思いが生まれてきました。気づけば、被災された方に何かできることはないか、と模索し前を向いていました。

想像もできない大変さの中にいる人たちが前を向いているのだから、私も自分なりに前を向かなければと思ったのです。みなさんが生きていこうとする姿に、私はとても励まされました。

そして、自分が悩んでいることがすごく小さなことだと思い始めました。

目の前にいる美音は、生きている。美音の命を私が勝手に諦めて希望を捨ててはいけない。

そう思えるようになったのです。

そこからも、美音の体には様々なことが起こりました。

1才10ヶ月の頃には、病状が急変し呼吸不全になりました。夜中の異変に私がもし気付かなければ心臓が確実に止まっていたと主治医に言われました。その後、呼吸不全が回復しなかったため、気管切開手術を行い、人工呼吸器にて24時間呼吸のサポートを開始しました。

3才になると退院して、在宅生活を始めることができました。胃から栄養を直接摂取するための胃ろうをはじめ、その後も入退院を繰り返していますが、成長するにつれて入院回数は減ってきています。

娘に何が起こっても、笑顔のママを思い出せるように

今思い起こしても、病状が特によくなかった1才10ヶ月から2才までの変化は辛いものでした。

病名を告げられて、やっと前を向こうとしていた矢先だったので、何度も谷底へ落とされたような気持ちになりました。動いていた手や足が動かなくなり、目も合わなくなり、呼びかけにも応じなくなり、美音の意思が感じられにくくなってしまったことが何より辛かったです。

暑いのも寒いのも痒いのも気付いてあげたいのに、気付いてあげれなかった。唯一反応があるのは、痰の吸引などの苦しいことだけで、苦しむだけなのに生かしてしまったのではないかと、助かったことを後悔し、ただ病室で寝ている美音を眺めていました。

主治医から言われたように命の期限が短いのだとしたら、近いうちに最期がくるのだとしたら、美音が最期にみたママの顔が泣き顔だったら美音はどう思うだろうか。

いつだか、こんな思いが頭をよぎったのです。最期に見るのだとしたら、きっと笑顔のママが良いに決まってる。

そう思うようになってからは、これからどのような状況になるか分からないけれど、同じ時間を美音と過ごすのなら笑って過ごそう、と決めました。

家族や地域の人の支えのなかで暮らしていく

美音は今も、24時間人工呼吸器が手放せない状態で、ご飯も胃ろうから、ちょっとずつ栄養を入れています。排泄も自分では難しいため浣腸して排便を促したり、たんの吸引をしたりするなど、医療的ケアが必要な状態です。体温調節も自分では難しいので、2時間おきに体温を測っています。

この状況でも子育てができるのは、母と夫のサポートが大きいと思います。基本的には私がケアをしていますが、母は仕事を辞め、平日同居というかたちで支えてくれています。これが何より在宅生活の安定に繋がったと思います。

美音のため、と快く承諾してくれた母と夫には感謝しかないです。

そのほか、訪問看護師さんに週4回きてもらい、訪問リハビリや訪問入浴もお願いし、医師も自宅に往診してくれています。

また、美音は支援学校に訪問学級という形式で在籍しており、先生が訪問してくれるときはさまざまなことをしてくれます。朝の会からはじまり、身体のマッサージをしてくれたり、本を読んでくれたり、一緒に歌を聞いたり、季節にあったカレンダーを作ったり。バレンタインにはチョコを作り、冬にはお餅つき。ありがたいことに、先生がいろいろと工夫してくれています。

美音は図工と音楽が好きで、特に、紙にのりを貼ったり太鼓を叩くのが好きなようです。先生には「真面目な性格だ」と言われています。

先生はよく写真も撮ってくれるのですが、写真を撮るときに美音は、目をぱっちり開けます。写真を撮られるのも好きみたいです。

【写真】ベットに寝ながらお餅つきをするミオンさん

(提供写真)

我が家は、母、友人、美音に携わってくださる方々など、たくさんのサポートがあって今の生活を送れています。

命と向き合う毎日、家族だけでなく、たくさんの方々に支えてもらって、みんなが自然体で過ごす。これが我が家の家族のかたちだと思います。

「守っていかなきゃ」2人の兄弟も、姉を大切にしてくれている

【写真】背中から美音さんを抱きしめる弟さん

(提供写真)

美音には2人の兄弟がいます。優しくて家族思いの小4の弟と、甘えん坊の小1の妹です。

私自身、美音のそばにいるとても癒されるので、たまにボーッとしながら美音のそばにいます。すると弟妹も近くにきて顔をのぞいてほっぺをツンツンしていたり、妹は美音におままごとの相手をしてもらったりもしているんです。

子どもたちにとっては美音がいるのが普通の日常で、「美音、これ貸してね〜」などと声を掛けていたりしています。

子どもたちをともに育てる上で、一番大事にしているのは優先順位です。

3人とも同じように大切だけど、美音のことは命に関わることもあるからどうしても先にやらなきゃいけない時がある。

そのことをずっと前から伝えています。なので、もし弟妹が私を呼んだとしても、「今は美音のことをやっているから待って」と言うと、「わかった」と納得して待ってもらういます。逆に美音のケアのほうが緊急でなければ、美音に待っていてもらうことも。

子どもたちは幼いながらも、美音は「みんなで守っていかなきゃいけない存在」だと言うことはわかってくれているようで、「今日心拍高くない?」とか、「今苦しそう」とか、ポイントをしっかりおさえてくれています。

「美音が歩けるようになったら、病気が治ったら、こんなことがしたいな」と話してくれるときもあるのが、とても嬉しいです。

どうしても私が美音へ費やす時間が増えてしまうのですが、フォローしてくれる夫や母がいます。下の子どもたちとの時間をとることが難しくない環境にとても感謝しています。

音楽活動で、ミトコンドリア病を伝えていく決意

私は今、主婦によるバンド「音ごはん」のキーボードとして活動しています。

音ごはんには3年前から加入したのですが、もともとは『寝顔にこもりうた』という曲に感銘を受けて、美音が入院している病院でコンサートをやってほしいとリーダーに伝えたのがはじまりでした。

その後も連絡を取っており、リーダーも子どもが超未熟児で生まれて、たまたま通っている病院が同じで、ご縁もあり、「お世話になった病院でコンサートするからピアノひかない?」と誘ってもらったのがきっかけでした。

【写真】おとごはんのメンバーのみなさまが笑みを浮かべている

(提供写真)

ある時、美音と同じミトコンドリア病の子を持つ親御さんが、治療薬を作るために立ち上げた「7 SEAS PROJECT」をネットニュースで知りました。それを見た私たちは募金活動を始め、その中で、音ごはんでチャリティーソングを作り、クラウドファンディングを実施して、CDを作成しました。

歌詞には自分の願いを詰め込んだのですが、長男も同じタイミングで、「お姉ちゃんの病気についてもっとたくさんの人に知ってもらった方がいいんじゃないか」と言ってくれました。

自分の友だちにお姉ちゃんがいることを知ってもらいたいけど、病気についてうまく説明できない。そのなかでもなんとか説明をしていたのだそうです。その話を聞いて、まずミトコンドリア病という言葉を知ってもらいたいと感じました。

美音の笑顔をもう一度見たい。

ミトコンドリア病が治る病気になってほしい。

そんな思いを込めて、「七つの海の音」という曲をつくりました。

ミトコンドリア病を知ってますか? 突然 自由がうばわれる
小さな身体でベッドの上 過ごしているのです。

想いはみんな同じだよ 今 ひとつになる
いつか この闘いが 終わりますように。

みんなの願いを込めたこの曲は、ミトコンドリア病のことを伝え、同じ病気の子どもたちへエールを送る歌詞になりました。

様々な反響も寄せられました。同じ病気の方から連絡をいただいたり、違う病気でも難病に悩む方、親御さんから応援のメッセージもらったりする中で、とても心強い気持ちになりました。

子どもたちもとても応援してくれているので、これからもミトコンドリア病の普及活動を続け、また歌詞も書きたいと思っています。募金活動も継続して、私たちらしいペースでこれからも活動していきたいです。

言葉は相手を傷つけるものにも、励ますものにもなる

今思うのは、同じ言葉でも相手の状況によっては励ます言葉にもなるし、傷つける言葉にもなるということ。例えば、美音と一緒に外出していると「かわいそう」という言葉を言われることがあります。

今はそう思われても仕方ないと思えますが、昔は言われる度に「美音はかわいそうなのか…」と落ち込んでいました。

言った相手は、傷つけるつもりで言っているのではないと思うのですが、言われた方の状況次第で言葉の意味はこんなに変わってしまうのだな、と気付きました。

身近な病気の子どもやその親御さんにどう声をかけたらいいか迷う方も多いと思いますが、私自身は、私たちを”気にかけてくれる”誰かの言葉がとても嬉しいなと思います。会うたびに「美音ちゃん、体調どう?変わりない?」と聞いてくれる方は、本当にありがたいと毎回思います。

私は「スーパーお母さん」じゃない

ミトコンドリア病と診断された時も、これまでもネットでいろいろな情報を調べてきました。そのなかで、闘病している子どものお母さんのブログをたくさん読みました。

どんな生活しているか知りたくて、診断された当初はよく見ていたのですが、「すごいお母さんたちばっかりだ」「私にはこんなすごいお母さんにはなれない」と思ってしまいました。

前向きなお母さんの心持ちを見ては、「私はそんな風には思えない、やっていける気がしない」と感じていたのも事実です。

でも今、病気の子どもがいる親御さんに伝えたいのは、焦らないでほしいということ。私自身、一番下の子を出産後、大変すぎて泣いたことが何度ももありました。そんな時期を経て今では、子どもたちが少しずつ私のことを助けてくれるようになっていて、心強く感じています。

最初からみんな「スーパーお母さん」じゃない。だんだん経験を積んでくれば、なるようになるよ。

悩む親御さんにはそう言ってあげたい。時間をかけて、いろんなことを受け止めていけばいい。

でも本当は「スーパーお母さんなんていない」と私は思います。

医療的ケアが必要でも必要じゃなくても、お母さんはみんな子どもを守り育てることに必死。子どもも1人ひとり成長の仕方も違うのだから、お母さんも子どもたちと一緒に成長していければいいなと思います。

これからもただ、一生懸命生きようとする子どもを守るだけ

今日と同じ明日を迎えることは当たり前じゃない。

美音を育てていくなかで、こう学びました。

進行性の難病ということを考えると、日々僅かながらでも病気は進行しているんだと思います。今日は無事だったけれど、明日は分かりません。今日と同じ日は二度と来ない。

でも、忘れがちですが、それは健康に暮らしている人も同じなんですよね。昨日と同じような今日を過ごせたことは、実はすごく幸せなんだと思います。

【写真】ミオンさんのそばにいて一緒に動画を見ている妹さん

(提供写真)

おかげさまで、美音は生き続けることができています。ミトコンドリア病に詳しい先生と話す機会があった時、「今9歳だ」と伝えたら「長生きですね」って言われたので、奇跡的な領域なのかもしれません。美音は本当に頑張り屋さんです。

診断されてからこれまで、いろんな気持ちがグルグルと回ってきました。でも今は一周して、子どもが熱を出したらお母さんが心配して看病するのと同じかな、と思えています。ただそれが難病であるだけ。

病気は誰でもなりうる可能性がある、たまたま美音はそれがミトコンドリア病だった。だから、今は一生懸命生きようとしている美音を全力で守りたいと思っています。美音はかわいさと強さを持った自慢の娘です。

ミトコンドリア病に限らず、難病の多くはまだまだ一般的に認知はされていません。自分や、自分に近しい人がかからないと、調べることもないでしょうから仕方ない部分もあります。でも、今不調がある人が早期発見できるという視点で捉えると、知識としてあった方がいいし、たくさんの人に知ってもらうことが大切だと思っています。

これからの時代、いろんな家族のかたちが増えていきます。特別養子縁組など、家族のかたちは多様化していくでしょう。他の人から見ると、うちも医療的ケア児がいて特殊な家族だと思われるかもしれません。でも、少し特殊でもすんなり受け入れてもらえるようになればいいなとこっそり思っています。

そして、いろんな家族が増えていく中で、様々なサポートを選択ができる世の中になってほしいです。

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(写真編集/中里虎鉄、編集/工藤瑞穂、企画・進行/木村和博・高村由香)