社会を変えたい。
よく耳にするこの言葉に、ずっと違和感がありました。その違和感を言語化できたのはつい最近のこと。
「社会」には「自分」も含まれているはずなのに「社会を変えたい」という言葉には、自分は社会の外にいて、外から社会を眺めているようなイメージがある。
社会と同時に自分自身も変化しなければ、本当に社会が変わったことにはならないのではないか?
2020年5月に開催したsoarとgreenz共催のオンラインイベント「未来のために、自分と世界の“サステナビリティ”を考える」では、そういった自分と世界の関係について整理できるような機会となりました。
このイベントは、人の内側にも外側にもサステナビリティがあり、それらがどう関係しているのか、考えを深めようと企画されたもの。
例えば、人種やジェンダーなどの差別、偏見に関する問題が可視化されるにつれ、ダイバーシティを目指す活動や人のウェルビーイングを向上させる議論が進んでいます。
その一方で「脱・人間中心主義」と呼ばれる概念も注目を浴びています。これまで人間中心的な存在であり、自然環境は人間に利用されるためにあるという人間主義から脱却しなくては、地球がサステナブルにならないという考えです。
私たちはこの一見矛盾するような状況の中で、内的なサステナビリティと外的なサステナビリティの両面に気を配り、そのつながりを良くしていくため、いかに行動していけばいいのでしょうか。
ゲストに「Ecological Memes」発起人の小林泰紘(こばやしやすひろ)さん、NPO法人グリーンズ代表理事・greenz.jp編集長の鈴木菜央(すずきなお)さんを迎え、事業だけでなくお二人自身の暮らしから見えてくるこの問いの解決へのヒントを話し合いました。モデレーターはNPO法人soar理事のモリジュンヤが務めます。
エコロジーを切り口に、多様な視点から私たちの生き方を考える
イベントはまずは登壇者のお二人の紹介からスタート。小林さんは、企業の未来ビジョンやミッションづくりを伴走する傍ら、エコロジーや生態系を切り口に次世代の思想や人間観、ビジネスの在り方を探求し、社会に実装するための領域横断型プロジェクト「Ecological Memes(エコロジカル・ミーム)」発起人として活動しています。
小林:今、僕たちの生き方や暮らしは、様々な視点で問い直しを迫られていると思うんです。地球規模の持続可能性や生命多様性はもちろん、AIやバイオテクノロジーなどによって人と機械の境目が曖昧になったり、社会で様々な分断やひずみが顕在化したり、さまざまな変化が生じています。
世界保健機関(WHO)の発表によると、世界のうつ病患者は3億人を越えると言われいています。社会は便利で効率的にはなったかもしれないけれど、人がよりよく生きていくウェルビーイングや、自然やテクノロジーとの関係性を抜本的に考えなおさなくてはいけないタイミングにきていると思うのです。
2020年はまさに激動の年です。まだ1年も半分しか過ぎていないのに、世界でCOVID-19のパンデミックが起こり、人種差別撤廃を求める声がさまざまなエリアで広がっています。また、地球温暖化を防止する運動など気候変動へのアクションは、ここ数年グローバルに広がっている現状があります。
これまでの時代の当たり前は、これからの当たり前ではない。多くの人が気づき始めた限界や違和感に、1つの領域からではなく、いろんな領域を横断的に考えることが大事だと小林さんは言います。
小林:Ecological Memesではサロン形式をとって、様々な領域から探索を進めてきました。
例えば「生態系とポストヒューマンセンタードデザイン」というテーマの回では、ニュージーランドでマオリ族の自然共生モデルを研究している、九州大学の稲村徳州さんをお呼びしました。
産業革命以降の近代工業化社会においては、人が機械の歯車のように扱われたり、提供者都合の商品やサービスが増えています。そんななか、「関わる一人一人の人間としての尊厳を取り戻そう」というのがヒューマンセンタードデザイン。
一方で、それが人間の世界に閉じてしまっていたことで、いつの間にか地球環境への支配的、搾取的な態度が加速していたり、自然の一部である自分たち自身も息苦しくなってしまっていた。ポストヒューマンセンタードデザインは、「人を中心に考えるだけでいいんだっけ?」と問題提起します。
小林:ニュージーランドにはワンガヌイ川というマオリ族が崇拝する川があるのですが、長年、川の権益をめぐり企業や行政とマオリ族とのあいだで裁判が続いていたそうなんです。最近その決着がついて、なんと川に法人格が与えられるという出来事がありました。今後は環境汚染などの法に触れるようなことが起きた場合、川が原告に、地域の議員が代理人になって、川の利益を守っていくことができます。
マオリ族には「Everything is Connected(すべてはつながっている)」という言葉が伝えられています。古来からその土地に根差した人間界を超えた視野や思想をもって、自分たちの取り巻く現代のエコシステムを再考することは、人間を大切にすることと相反しません。その場では、人間以外の生き物や環境を含めた生態系と本気で向き合い、共に繁栄するということが、人にとってのウェルビーイングにもつながるのではないか、といった対話を深めていきました。
他にもお寺で東洋思想の縁起という考え方をテーマに対話したり、花を通じて日本文化の精神性を探索したり、複雑化している世界に身体感覚を起点に向き合っていく場なども開催しています。最近では、「リジェネレーション(再生)」をテーマにしたオンラインでのジャーニープログラムもローンチしました。
小林:僕らは、思考や論理だけで理解するには複雑すぎる世界を生きています。自身の内側と外側の世界を切り離してしまうのではなく、社会システムの中を生きる自分自身の身体の感覚や直観、取り巻く環境の状況に気付く力、つまりセルフアウェアネスやシステムアウェアネスがとても大切になっていると思います。
社会のために活動する人の幸福がおろそかになる、「幸せのドーナツ化」
もうひとりの登壇者の鈴木さんが代表を務めるNPO法人グリーンズは、関係性のデザインを探究して「いかしあうつながりがあふれる幸せな社会」を目指して活動する団体。日本全国、世界各地の「いかしあうつながり」事例を取材して発信するWebマガジン「greenz.jp」や、いかしあうつながりをつくりたい人たちがつながり、学びを交換するイベント「green drinks」、学びと実践の場「グリーンズの学校」などを運営しています。
鈴木:2006年にgreenz.jpを創刊し、社会課題を解決するためのデザインである「ソーシャルデザイン」という概念に行き着きました。ですが、組織として勢いづいてきた2014年ごろ、個人的な限界にぶつかったんです。
僕は活動に一生懸命になるあまり仕事が忙しくなり、家族との関係性がよくなくなり、体調やメンタルも崩してしまいました。周囲の社会課題を解決するために、全力で取り組んでいた仲間を見ても、パートナーとの関係に悩んでいたり大きな壁にぶつかっている人が多かった。それを僕は「幸せのドーナツ化現象」と呼んでいます。
社会や地域の課題を解決して幸せの輪が広がっても、自分の周辺にあったはずの幸せが抜け落ちてしまっている。そんな自分や組織のあり方を考え直した結果、「生き方を変えよう」と鈴木さんは決意しました。
greenzの事業は、社会のデザインから関係性のデザインにフォーカスするテーマへ転換して再出発。個人としても、東京から千葉県いすみ市に引っ越し家を構え、人や自然との関わりを捉え直しながら暮らし、ローカルな起業家を応援する活動などをはじめました。
また、パーマネント(永続性)と農業(アグリカルチャー)、そして文化(カルチャー)を組み合わせた言葉で、人と自然が共に豊かになるような関係を築いていくためのデザイン手法である「パーマカルチャー」を学び、実践しているといいます。
鈴木:自分を大切にする、人との関係性を取り戻していく。そうやって、自分の暮らしの中で誰かを搾取しないことこそが「平和」なんじゃないかと考え、これからの時代を生きるのに必要な技術を学び、「消費者」から「文化の創造者」になるための学びの場「パーマカルチャーと平和道場」という活動もやってます。
ここは、自然との関係性を暮らしの中で取り戻していく実践する場。2600坪で駅徒歩7分の建物つきの土地なんですが、なんと家賃3万円です(笑)。
こうした人や自然との関係性も大切にできる暮らしによって、鈴木さんの心と身体の状態はどんどんポジティブに変化していったそうです。
自分の身体や心の声を聴き、自分の物語に向き合う
活動紹介が終わり、トークセッションがスタート。まず、モリからお二人に問いが投げかけられました。
モリ:大きな物語に動かされて社会のためを思って活動するあまり、自分の物語を見失ってしまう。そうすると、「幸福のドーナツ化現象」が起きてしまうのだと思います。こうした状況に陥らないため、社会や環境という大きな事象に向き合いつつ、どう自分の内面や周囲との関係性を大事にしていけばよいのでしょう。
お二人は、社会によりよい変化を生み出すための活動に取り組むと同時に、心身との向き合い方や暮らし方の様々な工夫をお話してくれました。
鈴木:うつ状態が3〜4年続いていた時期があったので、回復させるためにいろいろなことを試してみました。なかでも一番効果があったのは瞑想です。いわゆる時間を決めて行う始まりと終わりがある瞑想だけではなく、“瞑想的に暮らす”ことをはじめてみたんです。
朝一番には、大きなことがらに取り組むことにしています。たとえば、いきなりメールチェックするんじゃなくて「僕の目標って何だろう」と考えること。数日に1回は、必ず人生の目標について考える時間もつくっています。
「そうそう!これが僕の情熱を傾けるべきものだ」って確認できると、目の前の作業がやるべきことなのかどうか、自分にとって意味があるかなどが判断できるようになるんですよね。
自分の身体感覚をチェックするために呼吸に集中し、心を落ち着け「自分の中」に入っていく時間は、鈴木さんにとって大切な時間となっているといいます。
鈴木:頭のこの辺がかゆい、昨日のご飯が胃もたれしてる、目の奥が痛い…自分の状態を探る瞑想を1~2年続けると、身体の声のようなものが聴こえるようになりました。僕のお腹のこの辺はこんなことを求めているとか、意識の深いところは何を欲しているかなどがわかるようになるんです。
自分の身体に「どう調子は?」と問いかける感じです。「今日は不安な気持ちが大きいな」と声が聞こえたら、不安の原因を分解していく。そうしていくと、この不安は調べ物で解決しよう、あっちの不安は人に相談してみようと、解決方法まで見つかるようになる。日にもよりますが、1時間くらいこの作業をやる日もあります。
「セルフコーチングのようなものかもしれないですね」と鈴木さんは語ります。
小林:僕も毎朝短い瞑想をして、その後に白湯を飲みます。この6年くらいずっとやっていますが、味や口に入れた感触、白湯が身体の内部にしみ渡っていく感覚が日によって全然違うんです。お湯の通り道がありありと追える時もあれば、途中で途絶えてしまう時もあって、自分のその時の身体の状態をボディスキャンしているような感じですね。
あとは、暗闇でお風呂に入るものいいですよ。最近はそこに和ろうそくを導入して、ろうそくのゆらぎを暗闇の中でぼーっと眺めているのですが、そうすると思考や言葉の動きが不思議と消えるんです。なんか疲れていたり、思考や感情がとっ散らかっているなと感じた時におすすめです。
小林さんも心や身体を緩め感覚にフォーカスする時間をつくることで、考え込んでも出なかったアイデアや解決策が浮かんだりするのだと話します。
身体の声を聞くことで、自分の状態を把握でき、課題に向き合う。そんな二人の話を聞き、モリが医師の熊谷晋一郎先生の言葉を紹介しました。
モリ:熊谷先生は「無限で抽象的な不安を、有限で具体的な課題に」とおっしゃっています。自分の中にある不安な気持ちを放っておくと際限なく不安になってしまう。お二人が言うように、瞑想などの何かしらのアクションで、身体反応から不安を自覚して、課題に変えて解決していけるといいですよね。
その言葉を受けて、小林さんは自身を俯瞰してみることの大切さを語ります。
小林:そのときに、大事になるのがメタ認知です。つまり、ちょっと引いて自分を観察してみる。内面に入ることを意識しすぎて不安や感情そのものに没入すると、それが逆にどんどん大きくなってしまったりするものです。だから押さえ込もうとせずに、「あぁ、今自分はこんなことを感じているんだね」と、もう一人の自分が上から眺めているかのようにただ観察して、全部ひっくるめて抱きしめてあげることが大事です。
そして、今だったら新型コロナウイルス関連のニュースが外から嫌でも聞こえてきますよね。外の情報に自分がハックされて、気づけば情報に振り回されたりしてしまいやすい。なので、外にハックされている自動操縦モードから離れて、自分の真ん中の感覚に戻ってくる先のようなルーティンを日常に持っておけると良いと思います。
自分のミッションに立ち返り、今日をどう過ごすか決めていくこと。周りのノイズに惑わされず、自分の内なる声や自分の感情にフォーカスすること。それを毎日に習慣づけていくことは、多くの人にとって必要でしょう。
ただもしかすると、瞑想に苦手意識や難しさを覚える方もいるかもしれません。そんな人は緑の多い公園へ散歩にでかけたり、自然のなかに身を委ねてみてはどうかと小林さんは話します。
小林:頭だけで考えるのではなく、感覚を身体にたっぷり感じさせてあげる状況を作ってあげることが大切です。今回のステイホームで近所の公園にお散歩に行った人も多いんじゃないかと思うのですが、風で葉っぱが揺れる音や虫の音をきいたり、空をぼーっと眺めたりしていると心が落ち着いていくことってありますよね。
心がざわざわしていたり、不安やネガティブな感情を感じているときは、自分だけで頑張りすぎずに、自然の力を借りるのがおすすめです。自然ってエゴがないので、木に背中を預けて夜風に吹かれていたりすると、悩んでいたことがすーっとどこかへいってしまったりするんですよね。
自分が持つ「資源」に目を向ける
まずは自分の感覚に向き合い、認知の仕方を変えていく。その先には、社会のなかで自分は外の世界と関係性を築いていくか、という問いがあるでしょう。鈴木さんは、自分の持っている資源を見つめ、それが自分や周囲にどんな影響を及ぼしているか考えることで、ものの見え方が変わってくると話します。
鈴木:僕は今、ニワトリを飼っているんですが、「ニワトリを飼う」ことは食料生産にもなるし、美味しくて安全な卵が手に入り、自身の健康にもつながります。またニワトリの世話を子どもたちに任せることで学びにもなるし、ニワトリ小屋を道沿いに出すことでご近所さんとのコミュニケーションのきっかけにもなるんです。先日ニワトリは死んでしまったんですけど、近所の人がお花を持ってお悔やみの言葉を言いに来てくれました。
鳥が取り持つ関係がある。って、これギャグじゃないですよ(笑)。
ニワトリを飼うことがもたらした価値は一つだけではなく、複数の価値へとつながりました。実際にパーマカルチャーでは、社会にはいろんな種類の資源があり、一つのものが周囲との関係のなかで様々な価値をもたらす、と考えるそうです。
鈴木:たとえば自然を観察すると、誰かにとってのいらない資源が、誰かにとって必要な資源になって循環していることがよくわかります。鳥が実を食べる。飛びたい方向に飛ぶ。飛んだ先で消化された実が排泄物とともに遠くの地面に落とされる。そこから木が生える。それぞれの資源がちゃんと関係しあって、役割があるんです。
自分が持つ資源を自覚することは、コロナウイルスの感染拡大によって外出自粛が続いている今だからこそやりやすいのではないか、小林さんは語ります。
小林:これまで惰性で続いていたものが一度ストップして、自分にとって本当に大切なものって何だろうということに向き合う余白ができた人も多いんじゃないでしょうか。近所の公園が実はすごく心が落ち着く場所だったとか、空をぼーっと眺めていると自分はすごく心地よいなとか、家族と過ごす時間の喜びとか。これまで自覚してなかった自分にとって大切なリソースに気づきやすい状況にあると思います。
先ほどの鈴木さんの資源の話とも関係するのですが、資本を雪だるまのように増やしていくことが是とされる資本主義的な仕組みの中にいると、私たちはどうしても外側の「ないもの」「足りないもの」をいかに作り出せるかということに意識が向きやすい。でも自分たちの内面に目を向ければ、実はすでにたくさんのリソースを持っている。老子の「足るを知る」という言葉がありますが、そうした内なる資源、いわば目に見えづらい「自分にとっての真実」に気づいていくこと。
自然環境や社会制度のような社会的共通資本などに加えて、自分の持つ資本に気づくのは、これからの豊かさやウェルビーイングを考えていく上でとても大切だと思います。
また鈴木さんは、自宅の隣に売りに出た家を買ってパーマカルチャーをテーマにしたをシェアハウス兼ゲストハウスにし、その管理業務をパートナーにお願いしたことで、すでに持っていた資源をよりよく活用できるようになったと話します。
鈴木:これまでは、僕が仕事で面白い人に出会ったり、取材で知った新しい考えを相方に話してみても、「ふーん」という反応でそんなに盛り上がらなかったんです。むしろ「あなたばっかり楽しそうだね。私は毎日同じ日常の繰り返しだよ」という反応。
でもシェアハウス、ゲストハウスを始めて管理人をパートナーにお願いしたところ、いろんな人が泊まりにくるようになって、彼女も「こういう人が泊まりにきたよ」と自分から様々な話題を話してくれるようになりました。多様な大人に会えて勉強も教えてもらえると、子どもたちもいりびたっています。
少ない資源で、家も、ちょっとした収入も手に入り、妻との関係は改善し、子どもたちの教育になり、いろんな人とパーマカルチャーを学べる。限られた資源でたくさんのハピネスを得ることができて、なおかつこの関係性の中に自然も存在することがすごくポジティブだと感じています。
ひとつの目的のためにひとつのことをするのではなく、多様な“収穫”が得られるように仕組みや時間をデザインする。関係を閉じずに様々な世界をつなげていくことは、同時に自分や周囲の他者の幸せにもつながります。
鈴木:何がどうやってつながると、幸せになるのか。それを考え、実践していくのが、僕のにとってのパーマカルチャーです。こういったパーマカルチャーのものの見方や思考方法を、仕事やビジネスにも応用したいんです。少ない資源でよりたくさんのニーズを満たす。それができないなら資源の無駄遣いになるからやらない。そんな視点で考えると、あらゆる考え方とパーマカルチャーは共存できるんです。
関係性に目を向け、スケールの大きな問題を個から捉え直す
ただ、「自分が持つ資源に目を向けよう」と言っても、ほとんどの人は「自分には何もできない、何も持っていない」と考える場合が多いでしょう。実際に鈴木さんのコミュニティでもこんなことがありました。
鈴木:いすみでは160人のメンバーと地域通貨に取り組んでいますが、メンバーに入るときみんなが口を揃えて言うのは、「私はなにもできないんですが…」という言葉です。社会人は「忙しすぎるから』、若者は「社会人経験がないから」、高齢者は「もう仕事は引退しちゃったから」。
多くの人が自分の立場を理由にし、「自分は役に立たないけど」と申し訳無さそうする。それでも、「誰だって活躍できるんだ」と鈴木さんは実感しています。
鈴木:ラーメン屋を経営しているおばあさんが「iPadを買ったんだけど、使い方がさっぱり分からない」と言うんです。そこで、社会経験のない学生さんがおばあさんに操作方法を教えてあげることになりました。するとおばあさんは「いくらでもラーメンを食べに来なさい」と学生に言って、二人はとても仲良くなり、今ではまるで本当のおばあさんと孫のようです。
また、そのおばあさんは高齢者だからといって、周囲に助けてもらうばかりではありません。ズボンの裾上げができなくて困っている人がいれば、そのおばあさんが「私がやるよ」と手を上げてくれる。
つまり、活かせる資源は、関係性の中で変わるものなんです。「できないこと」「困っていること」ですら、誰かの優しさを引き出す資源になります。
「何かができる」というポジティブに感じる事柄だけでなく、悩みや困りごとなどネガティブに感じる事柄も、関わる人社会によっては資源となり、人と人がつながるきっかけを生み出すのです。
モリ:過去にsoarでは『居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書』の著者、東畑開人さんをゲストに招いたイベントを開催しました。東畑さんがおっしゃっていたのは、人はただ「いる」だけだと苦痛を感じる。人は何かしなくてはいけない、役に立たなければいけない、と思いがちです。
でも、ただそこにいることに向かい合う、受け入れることで豊かさにつながっていくのではないか、と。実はその人は「いる」だけだと考えていたとしても、実は関係性の中で資源として価値を生み出している可能性がある。それに気づけるようになるかもしれません。
個・群れ・惑星。それぞれはつながり、相互作用している
個と集団の関係性に向き合うこと、それぞれの持つ資源を活かしていくこと。それは、環境や社会などのスケールの大きな存在にもつながっていく、と小林さんは語ります。
小林:これはEcological Memesの思想の土台となっている図ですが、僕らは個人として生きているようで、自分を取り巻く環境や時代の条件など、有形・無形のさまざまなものとの相互作用の中で生きています。ここにある「個」「群れ・集団」「惑星」というのは、別々に切り離されてバランスをとるための議論されることも多いです。でもそれらは相互に作用し合っているので、その見えないつながりを見ようとする態度を、僕たちは“エコロジカルな態度”と定義しています。
ここまでも話してきたように、地球環境の危機というのは、社会の持続可能性や私たち個人のウェルビーイングとも深くつながっています。そしてサステイナビリティを突き詰めていくと、この「個ー文明ー地球」のリズムのズレを、いかに調和させていくかというところに行き着きます。現代は、これまで人間が“人の世界”に閉じてつくってきた文明社会のリズムが、生き物としての個人の生命リズムや地球のリズムとあまりにズレてしまっているせいで、不調和が生まれているのではないでしょうか。
それと向き合うときに大切になるのは、社会問題や環境問題などの外的なサステナビリティを、個人としての持続可能性、つまりインナーサステイナビリティと切り離さないとことです。
ユング心理学の大家・河合隼雄先生の箱庭療法(表現を通じてその人の潜在意識が作り出している世界を現す心理療法)やコンステレーション(無数の出来事が全体的な意味のあるひとつの世界の物語として立ち現れてくること)といった考え方とも通ずるのですが、現象の外側に自分を置いて観念的に分析するのではなく、全体性の中に自分を置くことではじめて立ち現れてくる物語があると思うんです。
社会問題や環境問題などの外的なサステナビリティに注力するあまり、個人としての持続可能性を置き去りにされてしまうことも多い気がします。
そうではなく、両者を切り離さずに、自分がすでに持つ内側の資源や周囲との関係性を捉え直すことが、さらにスケールの大きい外的なサステナビリティへとつながっていきます。
小林:アメリカの仏教哲学者で社会活動家のジョアンナ・メイシーは「アクティブ・ホープ」という考え方を提唱し、「つながりを取り戻すワーク」を行っています。アクティブホープとは、どのような状況でも希望をもって前向きに関わっていくという意味ですが、これはポジティブ思考とは以って非なるものです。
例えば目を背けたくなるような現実に直面して絶望したり心が痛むとき、その奥深くには必ず世界への願いや愛、感謝があります。「あなたもわたしも絶望を感じているのですね」とその痛みや悲しみにやさしくお辞儀をするように受け取り、まずは全体システムの一部に、その痛みを感じる自分がいるということに自覚的になる。それが「つながりを取り戻すワーク」の第一歩です。
すると、その痛みは自分の内側や他者、取り巻く環境との関係性のなかで起こっているとわかる。そして、その個の枠組みだけでは捉えられない相互作用や”あいだ”のつながりに気付いて新たな行動を選択していくことができます。
個から群れ、群れから惑星、そして惑星から個。それぞれはつながっていて、相互作用し合っている。だから、貧困や差別、サステナビリティ、紛争や環境問題など、惑星規模の課題は様々なあるが、どんな課題へのアプローチも個からスタートできるのです。
社会の中には、この小さな“自分”という存在も含まれている
どこへ向かえば人の内側と外側のサステナビリティは両立できるのか、自分と社会をよりよくするにはどう考え行動すべきか、という問いからスタートした今回のイベント。
自分や周囲の他者、自然との「いかしあうつながり」は、それをサイズアップしていくことで、大きな社会課題と向き合うこともできるとわかりました。
これまで僕は「他人は変えられない。だから自分が変わる」というのが真理だと思っていました。
ただ同時に、気候変動のような世界的な課題、根深い差別の歴史などの課題へ向き合うとき、自分ひとりの力はあまりにも小さいことも感じていました。
今回のイベントを終えて今後大切にしたいと感じたのは、自分と社会を分けて考えないようにすること。
自分が変わるだけでは社会は変わらない。かと言って、自分が変わることなしに他者も社会も変わらない。であるならば、自分も変わる。また同時に、組織や社会が変わるように、粘りづよく働きかけていくことも大事なのだと思います。
なぜなら、社会の中にはこの小さな“自分”という存在も含まれているのだから。
(執筆/葛原信太郎、編集/工藤瑞穂、企画・進行/松本綾香、協力/水内茜)