嘘をつくことがずっと当たり前になっていました。でも、妊娠・出産・子育ては人生における大事なイベント。嘘をつきつづけないといけないのは、本当に悲しいなと思ったんです。
先日、LGBTの方が自身の妊娠や出産、子育て経験について語るイベントに参加した。身近な友人からセクシャリティに関する相談を受けたとき、自分が表面的にしかセクシャルマイノリティについて捉えられていなかったことを実感し、少しでも知りたいと思ったのだ。
そして、そこで語られた言葉に、頭をガツンと殴られるような衝撃を受けた。
それは以前働いていた学習塾で、自分が保護者の方々に対してとっていた様々な態度が思い返されたから。
例えば、女性が学習塾にお子さんを連れてきた時、無意識のうちに父親がいる前提で話をしてしまっていなかっただろうか。また、同性の保護者が二人で教室にきた時、二人がパートナーである可能性を全く考えず「ご親戚ですか?」と聞いてしまっていなかっただろうか──。
LGBTのお子さんがいるかもしれないと考えたことはあった。でも、目の前の保護者の方がLGBTであるという可能性について、一体どれくらい考えたことがあっただろうか。
私は無意識のうちに相手を傷つけていたのかもしれない。その事実に愕然として、イベントが終わったあともしばらく重い気持ちを抱えていた。
子どもを育てるLGBTコミュニティ「にじいろかぞく」
「知らない」ことでもう誰かを傷つけたくはない。もっとちゃんと「知りたい」。
そんな思いから連絡をとったのが、イベントに登壇されていた小野春さんだ。
小野さんは、子育てをする、もしくは子どもを持ちたいと考えているLGBTの方々と様々な人がつながりあえるコミュニティ「にじいろかぞく」の代表。自身は男女どちらにも性愛感情が向くバイセクシャルであり、レズビアンである西川麻実さんとパートナーシップを結んでいる。
二人とも過去に男性のパートナーと結婚しており、互いにパートナーシップを解消した後、同居を始めた。それからは、小野さんのお子さん二人と、西川さんのお子さんを含めた5人で15年間家族として暮らしており、2020年にはその暮らしの様子を綴った『母ふたりで“かぞく”はじめました』(講談社)を出版されている。
「知らない」がゆえに誰かを傷つけてしまうことが少しでも減るように、小野さんの子育ての経験をお話してもらえないでしょうか?
イベントが終わったあとそうメールすると、小野さんは取材を快諾してくれた。そして迎えた当日、最初にこんなふうに前置きをして話しはじめた。
「子育てをしているLGBT」と一言で言っても、当たり前ですが抱えている悩みはそれぞれ本当に違うんですよ。同性カップルなのか、トランスジェンダーのカップルなのか、ステップファミリーなのか、人工授精で授かった子どもなのかなどケースは様々です。おひとりで子育てされている方もいますしね。
あくまで「同性カップルでそれぞれの子どもを連れて同居を始めたわたしたち」の話として聞いてもらえたら。
小野さんたちは、自分たちなりの家族のかたちをどうつくりあげてきたのだろうか。そして、教育関係者をはじめとする周囲の人は、そうした家族のかたちにどのように寄り添っていったらいいのだろうか。小野さんのこれまでのストーリーを紐解きながら、一緒に考えていきたい。
幼少期に押し殺した同級生の女の子への恋心
1970年代、東京で生まれた小野さんは、キャベツ畑に囲まれたのどかな街で弟や妹たちと育った。小野さん曰く、内気で引っ込み思案な性格だったのだそう。30歳でバイセクシャルだと自覚するまで、自分のセクシュアリティについては「見ないふりをしてきた」と過去を振り返る。
実はね、高校生の時に同じ学年のボーイッシュな女の子が気になっていて。彼女に手が触れたときにね、ピリッと体中に電流が走った気がして。「もしかして彼女が好きなのかな」そう思ったけれど、すぐに「これはマズイ……」と気持ちを押し殺しました。
小野さんの家族は全員クリスチャンで、通っていたのもミッション・スクール。同性を好きになることは「罪」だとする環境のなかで、自分自身の感情を直視するのは難しかった。
その後も違和感を押し殺しながら暮らしていたが、「誰とつきあっても、しっくりこない」という焦りが徐々に消えなくなっていった。その焦りがいつしか「早く結婚して『普通』になりたい」という思いにつながっていく。
そんな時、就職した会社の取引先でのちにパートナーとなる男性と出会う。末っ子で天真爛漫な性格。話しやすくて、まるで友達と過ごしているかのような気安さを感じさせてくれる人だった。
この人となら一緒に暮らせるかもしれない。
そう直感して結婚した。まもなく子どもを授かり、小野さんは会社を辞めて子育てに専念するようになる。
でもね、夫は仕事が忙しくって。すぐに“孤育て”状態になっちゃったのよね。たまに帰ってきてもピリピリしていて。夫との関係性はどんどん悪化していきました。
なぜ夫とうまくいかないんだろう──。さまざまな原因を考えるなかで、ふと思い出したのが、高校生の時に同級生の女の子に対して抱いていたあの感情だった。
あの気持ちはやはり恋心だったのではないか。もしかすると、これまでの違和感は、セクシュアリティが関係しているのかもしれない。
そんな思いが小野さんの胸の中に生まれた。とはいえ1990年代は、LGBTという言葉が全く知られていなかった時代。普及しはじめたばかりのインターネットを使ってなんとか情報をかき集めようとするも、出会い系やポルノサイトばかりヒットしてしまう有様だった。
その頃はまだLGBTなどの呼び名は知られていませんでした。今考えると、当時は自分もセクシャルマイノリティに対して偏見を持っていたのかもしれません。
「自分のセクシャリティを確かめてしまったら大きく人生が変わってしまうかもしれない」そんな不安を胸に抱きつつも、小野さんはインターネット上で生まれていた様々なコミュニティを訪れはじめた。
最初にたどり着いたのは、レズビアンの人たちが交流するチャットルームだった。
あとから自覚したことですが、私はバイセクシャルだったんでしょうね。でも当時はそんなことわかりませんから。「女の子『だけ』が好き」と話すみんなについていけなくて。
自分の居場所はここではないのかもしれないと、自分のセクシャリティについて悶々と考える日々をおくりました。
そんな中、次にたどり着いたのがバイセクシャルの人たちの交流サイトだ。
見つけた瞬間「あ、私の居場所はここだったんだ」と直感しましたね。そこからは乾いた土に水が染み込むかのように、どんどんその世界に浸かっていきました。
バイセクシャルの子たちが集まる飲み会にも参加するようになって。はじめてひとりぼっちじゃないんだと安心を感じられるようになりました。
「育児は一人ではできない」必要性にせまられて始まった同居
こんにちはー、西川麻実です。麻ちゃんって呼んでね。
バイセクシャルの友人が集まる飲み会で、偶然出会ったのが今のパートナーである西川さんだ。酔っ払っていた西川さんが明るく話しかけてきたのが二人の出会い。無邪気で明るい西川さんに、小野さんはすぐに惹かれた。
しかし、その頃は小野さんにも西川さんにも男性のパートナーがおり、お互いに子どもが生まれた頃だった。そのため、友人以上に関係性が深まることはなかったという。
そんな二人の関係性が変化するきっかけとなったのは、お互いの離婚だ。
離婚して一人で子どもを育てるのは思った以上に大変だったんですよね。月々の給料の半分は保育料にとんでいっちゃうし、家事に子育てにもう精一杯。精神的にもギリギリの状態でした。今考えると育児ノイローゼだったんじゃないかな。
そんな育児に追われていた真冬のある日。こんな出来事が二人を急接近させた。
すごく寒い日だったのに、灯油がきれてしまって。灯油を買いに行く元気もなく、子どもたちとうずくまっていたら、麻ちゃんが颯爽と現れて。「なにこの家、さむっ!!!灯油、買ってきてあげるよ」って家を出て行ったんです。なんだ、この救世主は!と思いましたね(笑)。
麻ちゃんが帰ってきて暖かくなった部屋で、離婚して以来はじめて安心した気持ちで眠ったのを覚えています。
その出来事をきっかけに無事パートナーシップを結んだ二人はすぐに一緒に住むようになった……と思いきや、そこから一緒に暮らしはじめるまでのハードルもまた、とても高かったと小野さんは続ける。
恋愛関係になるまでは二人のことなのでよかったんですよ。でも、一緒に暮らすっていうと周囲の目も気になるし。女の人と一緒に暮らしているなんて世間にどう思われるんだろうという心配が大きくって。
しかし、二人はその後まもなく一緒に暮らしはじめる。その理由を小野さんはこう振り返る。
正直、そんなこと言ってる場合じゃなくなったんですよね。子どもを二人抱えて、私の生活は全く回ってなくて。「仕事を探さなきゃ」「子ども二人の面倒をちゃんと見なきゃ」と焦るものの、全然うまくいかない。
世間体だとかなんとか言ってるよりも、とりあえずなんとか生きていける道を選ばなくちゃ。そう思って、麻ちゃんと一緒に暮らしはじめたんです。
一緒に暮らしていても、家族だと認めてもらえない。
同居をはじめた小野さんと西川さん一家。しかし自分たちの気持ちとは裏腹に、周囲からは「家族」だと認めてもらえない日々が続く。「シングルマザーの友人が二人で一緒に住んでいる」それが周囲からの見られ方だった。
保育園なんかで先生や他の保護者に「よかったね、いいお友達がいて」って言われると複雑な気持ちでした。「うーん、お友達じゃないんだよなあ……」と思いつつも、否定はできない。
私たちは家族だと思って暮らしているのに、外では家族ではないふりをしなくてはいけない。それがかなりストレスでしたね。
周囲の人へのカミングアウトも考えたが、それはなかなかできなかった。「自分でもまだ自分を理解できていなかった時期だからかもしれない」と小野さんは分析する。
カミングアウトって、自分の気持ちの整理ができたときに初めてできると思うんです。でも当時の私はまだ自分のセクシャリティを「バイセクシャルです」と明確に言い切れなかった。そんなジレンマのなかで、周囲にうまく説明もできない時期でしたね。
気持ちが割り切れないというだけではない。家族として認められないことが、実際に生活に支障をきたすこともあった。
ある日小野さんの次男が熱を出して入院することになった。仕事があった小野さんは西川さんに入院手続きを任せて、次の予定に向かったのだが、すぐに西川さんから電話が入ったのだ。
私じゃ入院手続きダメだって。血のつながったお父さんかお母さんを呼んできてくださいって言われちゃったよ。
既に家族として暮らしているのに、周囲からそうは見られない。その悲しさを強く感じさせる出来事だった。
同性カップル、なおかつステップファミリーであることの難しさ
当時、小野さんの悩みの種になっていことがもう一つある。互いバラバラに暮らしていたふたつの家族が一つになったことで、家族内でも様々な課題が生じはじめていたのだ。
同居を開始してしばらくたった頃、小野さんは西川さんの娘さんとの関係性に悩んでいた。
私は「ちゃんとした母親にならなきゃ」という思いが強かったんですよね。食卓のルールにもうるさかったんですよ。娘(西川さんの子ども)に「食事中はテレビを消しなさい」「野菜もちゃんと食べなさい」って何度も言ったり。
対して娘は「ママ(西川さん)はそんなふうに言わない!」と真っ向から反抗。言い争いがとまらなくなっていきました。
「やっぱり同性カップルで子どもを育てるのは難しいかもしれない……」小野さんはそう考えるようになったが、周囲に同じような子育て中のLGBT家族はいなかった。誰にも相談できず、小野さんは徐々に追い詰められていく。
そんなとき、偶然見つけたのがステップファミリーとなった男女の夫婦が集まる掲示板だった。そこに書き込まれていた血のつながらない子どもを育てる苦労の数々を見た時、小野さんはハッとしたという。
ずっと悩んでいたのは同性カップルで子育てをしていたからじゃない。ステップファミリーだったからなんだ!って。同性カップルだから苦しいと思っていた私にとって、衝撃的な発見でした。
同性カップルでの子育て、そしてステップファミリーであるがゆえに、なにが苦しさの原因になっているのかを自覚しづらい。それが小野さんを長らく苦しめていたのだ。
そこから小野さんは、ステップファミリーの人々が集まるコミュニティを探しては訪れるように。そこには、再婚相手の子どもへの感情に対する複雑な感情や子育てへの悩みをシェアできる人たちがいた。
参加者同士が人に言えずに抱えていた気持ちを吐露し、否定することなくみんなで聞き合う。そのつながりに小野さんは救われていく。
娘にいつまでも認めてもらえない悔しさや、周囲から「なぜ他人の子の面倒まで見るの?」と言われる悲しさ、娘と私と板挟みになって傷ついている麻ちゃんへの申し訳なさ。当時は色々な気持ちがごちゃまぜで。
でも、人に話すことによって、少しずつではありますが自分の気持ちも整理できるようになっていきました。
その後の小野さんを支えてくれる言葉に出会ったのも、ステップファミリーのコミュニティだった。あるコミュニティの代表にこんな言葉をかけられたのだ。
いきなり親になろうと頑張らなくていいんですよ。むしろそれはしてはいけないこと。だって、ずっと別々に暮らしていた人たちが次の日からいきなり親子になるなんて、そんなの無理にきまっているじゃないですか。まずは子どもの良き友人になりましょう。
ハッとさせられると同時に、自分が焦って「よき親」になろうとしていたと気づいたと小野さんは言う。
よい親になろうとしなくてもいいんだ。
心の余裕が生まれたことで、小野さんと娘さんの関係性は少しずつ改善していった。
結婚式をきっかけに、子どもたちにカミングアウト
あたらしい家族としての生活は徐々に安定していった。しかし、周囲の人たちからは相変わらず「家族」として見てもらえない日々が続いていた。
そこで、小野さんはある日ふと考えた。
「私たちは家族なんです」という宣言が、なんとかしてできないものだろうか。
思い浮かんだのは「結婚式」という選択肢だった。
結婚式について麻ちゃんに相談したら「じゃあ、友人とかご近所の人とかみーんな呼んで大々的に披露宴をやろう!」って言ってきたんです。
「いや、それは無理」って答えました。だって、万が一子どもたちが学校でなんか言われたらどうするの?って。
まだ友人たちにもカミングアウトしたことがない時期だったので、心配だったんです。
それ以上に重要な問題があった。小野さんと西川さんはこの時、まだ子どもたちに自分たちの関係性を明確には伝えていなかったのだ。
「家庭内に嘘があるのはよくない」という麻ちゃんと、「子どもたちに伝えたら周囲に言いづらい場面で嘘をつかせなくてはいけなくなってしまうから伝えたくない」という私。これまでずっと議論は平行線だったんです。
でもさすがに結婚式をやるなら伝えなきゃな、と。「ママは麻ちゃんと結婚するよ」と子どもたちに伝えたんです。
その言葉を聞いた子どもたちからはどんな反応があったのだろうか。
長男が「えー、女同士では結婚できないんだよ」って言ったんです。すると麻ちゃんは「女同士が結婚できる国もあるよ。日本では同性カップルは結婚できないけれど、法律違反になることも、罰せられることもない。結婚式をやっても、何も問題ないんだよ」って答えて。
そう説明されて子どもたちは納得したみたいでした。その日は家族全員で夜遅くまで話をしましたね。
そして、子どもたちへのカミングアウトを経て、家族で話し合った結果、親しい友人たちだけを呼んでプライベート・ウェディングを行うことに。
近所のママ友には、結婚式に呼ぶ時にカミングアウトしましたね。みんな「ええ!そうなの!?知らなかった!」と驚きつつ、「麻ちゃんが相手ならなんかわかるわー!」と納得してくれて(笑)、あたたかく受け入れてくれました。
親が子どもの面倒を見るのではない。一緒に物事を決める「運命共同体」
子どもたちと相談して結婚式をするか、しないかを決めたという小野さんと西川さん。子どもたちのうち一人でも反対したら結婚式はしないつもりだったという。
家族のことは親だけでは決めない。子どもたちが小学3、4年生になって自分の意見をはっきりと言えるようになった頃から、なにか決めるときには必ず家族会議を開くのがルールだ。
結婚式のような重大な決断だけを話し合う場ではない。例えば「夏休みはどこに行く?」「明日の外食はどこに食べに行く?」といった日常の些細な事柄までなんでもみんなで話し合う。
マイノリティの家族って、日常生活で困ることがたくさんあるんですよね。
家の外ではいわゆる「普通」の生活がしづらいから、みんなで相談しないとやっていけない。だからちゃんと話し合う場として家族会議をひらくって、ある意味自然のなりゆきなのかもしれません。
うちはね、子どもも負けてないんですよ。子どもたちは「親は二人で子どもは三人。子どものほうが強いのは多数決の原理だ」なんてよく言ってますけど(笑)。
たとえ意見が違っても、親の意見を押し付けることはしない。子どもたちに関することは、本人の意見をなるべく尊重するようにしてきた。それは子どもが思春期のときも同じだ。
息子が中学生になったときに、「麻ちゃんと娘(西川さんの子ども)には学校にこないでほしい」と家族会議で言ったことがあったんです。関係性について聞かれたときに、説明が難しいから、と。
本人の意志を尊重して、麻ちゃんも娘も参観日や文化祭には参加しないようにしてくれていました。
家族にとって重要な決断になればなるほど、親だけが話し合って決める家庭は少なくないように思う。なぜ小野さんと西川さんたちは必ず子どもたちの意見も聞くようにしているのだろうか。
うーん、私たちにとってはこれが自然すぎてなぜと言われてもうまく説明できないんですよね。あまり親らしい親じゃないのかもしれません。子どもたちの前で悩みも吐露するし、「一緒に考えてほしい」って率直に助けを求めたりもしますし。
親が一方的に面倒を見るのではなく、親も子も助け合う。それが家族のスタンダードになっている。そんな家族のかたちを子どもたちはこう表現しているんだそう。
僕たちって「運命共同体」だね。
世間の荒波に揉まれることもある。そんなときに一緒に向き合う「戦友」であり「チーム」。そんな意識が家族のなかにはあるのだ。
「LGBTカップルでの子育て」を自然に受け入れてもらえたのが嬉しかった
様々な困難を乗り越えてきた運命共同体としての家族。そのなかで特に悩みとして話題にあがることが多かったのが、学校の先生や同級生との関係性だった。
今から15年ほど前は、LGBTという言葉も知られていない頃。学校で色眼鏡で見られるかもしれない──。その不安から、子どもたちにも、自分たちのことは「親戚です」と説明しなさいと伝えていたのだという。
でもね、やっぱり生活の様子って周りに伝わるものなんですよね。例えば、友人が家に遊びにくるじゃないですか。そうすると「あれ、おまえんち父ちゃんいないの?」からはじまって「え、母ちゃんが二人もいるの!?」って話になって。
どう答えていいかわからず、子どもたちを困らせてしまっていたのかもしれないなと今でも思うんですよね。
小野さんは子どもたちが大きくなってから当時どう感じていたのか聞いたことがある。すると子どもたちは「たくさん質問はされるけど、なんて自分たちを説明してよいかわからなかったから、困っていたかな」と答えたのだそう。
あの時、どうするのが正解だったのか未だにわからないんです。
しかし、徐々に時代の流れは変わっていった。メディアでもLGBTの話題が取りあげられるようになり、学校の雰囲気も徐々に変化していったのだ。中学生になる頃には子どもたちから「学校にLGBTのポスターがはられていたよ」「授業でLGBTについて習ったよ」といった話も聞くようになった。
これは、もうカミングアウトしても大丈夫なんじゃないかなと思いまして。ある日家族会議で「これまでは学校に秘密にしてきましたが、方向転換しようと考えています。みんなはどう思う?」って聞いてみたんです。
そしたら子どもたちは「なんでそう思ったん?」「今まで嘘をついていた人にはどう説明するの?」と。そんな質問を皮切りにみんなで話し合い、結局「やっぱりありのまま説明できたほうがいいよね」という話になりました。
そして、面談のときに学校の先生にカミングアウトをすることに。
学校の先生に伝えたらね、表情一つ変えることなく「そうですか、この学校にはLGBTの生徒もいますよ」とこともなげに言われたんです。ちょっと拍子抜けしていました(笑)。
また、緊張しながら打ち明けた他のある先生からは「学校には、色んな事情を抱えたご家庭がたくさんあるんですよね。LGBTで子育てをしているっていうのも、そのなかの一つの事情。あまり気になりません」と言われたこともありました。
こっちは一大事だ!と、打ち明けるのを緊張しているわけですよ。でも、こともなげな先生たちの言葉を聞いて楽になったというか。たしかにどんな家族でも色んな事情を抱えていて、その一つに過ぎないなって思えるようになりましたね。
LGBTカップルが周囲を気にせず子育てできる環境をつくりたい
先生へのカミングアウト以上に難しかったのが、周囲の保護者へのカミングアウトだ。先生には面談などで伝える機会がある。しかし保護者にはあらたまって言う機会はない。そんななかで、いつどのように説明すればいいのか分からなかったと小野さんは言う。
普段の雑談のなかでいきなり「同性カップルで子育てをしています」って宣言するのも、なんだか変かなと思って。だから「家族だ」と伝えられないまま会話をしなければならないことも多かったです。
悩みの種になっていたのは「伝え方」だけではない。打ち明けた後のことも不安要素の一つになっていた。
例えば、クラスの保護者会で「実はうち、同性のパートナーと子育てしてまして」みたいに伝えたとしますよね。その場では「そうなんですね」と受け入れてもらえたとしても、その後に子どもたち同士が喧嘩したとするじゃないですか。
そんな時に「同性カップルで子育てしてるから、ちゃんとしつけができてないんだ」なんて思われちゃったらどうしようって心配で。
現在小野さんが運営をしているにじいろかぞくのメンバーも、伝えた後のことに悩む人は多いそう。なにかあったときに「LGBTで子どもを育てているからだ」と後ろ指をさされたくない。
だから「PTAなどの学校の取り組みや地域の行事に積極的に参加している」と話す人も少なくないのだそうだ。
こういう話を聞くたびに、なんだかフラットではないよなあと思ってしまうんです。LGBTであっても、そうでなくても子育てをしている親なのは一緒。
まだ私自身も解決策は見いだせていないですが、もっと肩の力を抜いて子育てできる環境が整ったらいいなと思います。
また、自身の経験やにじいろかぞくで様々なLGBTの子育て家庭を見てきて、小野さんは今、カミングアウトについて感じていることがあると教えてくれた。
最初はカミングアウトするときに緊張していたけれど、伝えた後に「ええっ!?」と驚きをもって受け止めるのか「あ、そうなんだ」って受け止めるのかは、もう私の問題じゃなくて相手の問題だなと考えるようになっていったんですよね。
こちらでコントロールできる話じゃないというか。打ち明けるときにそんな気持ちでいられると、少し気楽になれるかもしれませんね。
「カミングアウトされたらこう答えましょう」というマニュアルなんてない
小野さんはこれまでの自身の経験を生かして、子どもを育てているもしくは子どもを持ちたいと考えているLGBTの方々とその周囲をつなぐコミュニティ「にじいろかぞく」を運営している。
にじいろかぞくの活動は、当事者の話を聞けるイベントの開催や、LINEなどを用いた同じ状況にある人とつながりあえる場づくりが中心だ。
私たちは周囲にセクシュアリティのことをカミングアウトしていますが、けっしてオープンにしているLGBTの子育て家庭ばかりではありません。
いつもは隠している気持ちや事情について話したり、相談できる場所があったらいいなと思ったのがにじいろかぞくを立ち上げたきっかけです。
ただ、小野さんはにじいろかぞくを「当事者だけのためのコミュニティ」にはしたくないと話す。当事者だけでなく、アライの人もコミュニティに入りゆるやかにつながることを目的としているのだ。
私たちが目指しているのって、当事者だけで固まって世界をつくりあげることじゃないんですよね。ただおんなじ社会の一員として一緒に暮らしたい。それだけなんです。
では、アライとして私たちはLGBTで子育てをしている家族にどう寄り添えばいいのだろうか。そう聞くと小野さんはこう答えてくれた。
まずは「LGBTで子育てをしている人がいるんだ」ということを頭の片隅に置いておいてもらえたらと思っています。
LGBTがメディアで取り上げられるケースは増えていますが、なぜか「子育て」とは遠い存在として捉えられてしまうことも少なくありません。
小野さんは悩みつつ、丁寧に言葉を選びながら話を続ける。
あとね、「当事者の人にはこう接しましょう」みたいなマニュアルはつくれませんか?と聞かれることがあるんですが、それって難しい気がするんですよね。
最初にお伝えした通り、同じLGBTで子育てをしている家族でも同性カップルなのか、トランスジェンダーの方なのかで悩みは本当に違います。不妊治療を経て二人で子どもを迎た場合と、お互いに子どもがいる状態でパートナーシップを結んだ場合でも違う。
なにをしてもらえたら嬉しくて、なにをされたら嫌なのかって当たり前ですが個人で全く違うんですよね。
例えば、学習塾の場合。トランスジェンダーの方であれば「お父様」「お母様」と呼ばれることに辛さを感じるかもしれない。契約書の「続柄」の欄になんと書いていいのか迷われる方もいるかもしれない。
また、小野さんは人工授精で子どもを授かった同性カップルやトランスジェンダーのカップルの場合、生物学的な親ではない方は子どもとの関係性を法律上証明することができず、日陰の存在になってしまいやすいとも話す。
「自分の子ども」として紹介できず、「親戚」や「友人」として自分の子どもに関わらなくてはいけないケースもあるのだ。
それぞれが置かれている状況は本当に多様だからこそ「こう接すればいい」というマニュアルにまとめられるものじゃないんですよね。って言われても「じゃあどうすればいいの?」と逆に困らせてしまうかもしれませんね……(笑)。
そうだな、私の場合はどう接してもらえたら嬉しいんだろう。
そう言いながら、小野さんは自分のケースについて教えてくれた。
私の場合はわからないことがあったら直接聞いてもらえるのが嬉しいかもしれませんね。これされたら嬉しいかな?あれをされたら嫌かな?って想像していても、結局人によって感覚は違う。
わからないことがあれば、直接聞いてもらえたら、しっかり考えを伝えられるし、お互いにハッピーなのかなと思います。
目の前の一人ひとりが幸せに暮らせるように「知る」ことからはじめる
友人が以前「やさしさの半分は知識でできているんだって」と教えてくれたことがあった。相手が何によって傷つくかを知り、それを思慮深く避けること。そして、社会のなかのどんな構造が特定の人を苦しめているのかを知り、その構造を変えようと小さな行動を積み重ねること。
「知る」ということは、他者を尊重する第一歩なのだ。
LGBTで子育てをしている人がいる。その事実を表面的にしか知らなかった私は、もしかすると誰かを傷つけてしまっていたかもしれない。
だからこそ、もっと知りたいと思う。
そういう意味で小野さんの「相手が何に困っていて何が嬉しいのかわからなければ、聞いてみたらいいですよ」という言葉には勇気をもらった。
目の前の一人ひとりが幸せに暮らせるように。まずは話を聞いてみたいと思う。多様な家族のかたちに寄り添うということは何も大きなことではなくて、そんな小さな一歩からはじまるのかもしれない。
関連情報:
にじいろかぞく ホームページ著書『母ふたりで“かぞく”はじめました』
(撮影/川島彩水、編集/徳瑠里香、企画・進行/岡本実希、協力/山田晴香)