【写真】笑顔で話をしているしばたさん

親と子、先生と生徒、先輩と後輩、上司と部下。1対1の「わたしとあなた」の関係性を大事にしたいと願いながらも、いざ型にはめられてしまうとなんだか息苦しくなることがあります。自分が“育てる”“教える”立場になると、本当にこれでいいのかな?と及び腰にもなってしまうことも。

子どもの頃は、もっと大人は「正解」を知っていて、ぶれずに立派に生きてるんだと勝手に漠然と思っていました。けれど実際に自分が大人になってみると、正解なんてなく、あるのはそれぞれの価値観で、知れば知るほど、わからないことが深まるばかり。

私の勝手な「よかれと思って」が、相手の行先を阻むことにならないように。自分の価値観を一方的に押し付けて、その芽を摘むことがないように。

年齢を重ねて、“育てる”“教える”機会が増えてきているいま、会いに行きたい人がいます。

認可外保育施設である、「りんごの木」を運営する保育者・柴田愛子(しばた・あいこ)さん。ある”先輩”にその存在を教えてもらって、本や雑誌でその考え方に触れるうちに、“育てる”“教える”ことへの気負いがほどけていく感覚がありました。

保育や子育てに限らない「関係性」に光を当てて、もっと話を聞いてみたい。そう思い、私たちは「りんごの木」を訪ねました。

伸びやかで開かれた、安心感のある居場所。りんごの木の風景

横浜市都筑区、新築住宅を建てるために新しく開発され“ニュータウン”と呼ばれた住宅街。12月の寒い日の雨上がり、落ち葉が舞う見花山の公園の遊歩道を進むと、長靴を履いた小さな子どもたちが駆けていく。階段を登るその先に、“ちいさな幼稚園”「りんごの木」の“おうち”があります。

【写真】木で作られた「りんごの木」の看板。ウサギやクマの絵が描かれている

【写真】2階建ての一軒家。周囲には木々が並んでいる

隣の住宅と同じ造りの二階建ての一軒家。玄関をくぐると、子どもたちが階段を昇り降り、部屋を行ったり来たりしながら元気に遊び回っています。この場所には、小さい組(2〜3歳)の子どもたちが週に3〜4回、14時頃まで通っているそう。

【写真】棚には研究会仲間から譲り受けたという絵本が並ぶ

【写真】布でできた箱や木製のプレートが置かれている園内の様子

【写真】園内の壁の一部には子どもたちの落書きが。

研究会仲間から譲り受けたという絵本。箱に布を巻いた大きな積み木のような遊び道具。転がる牛乳パックやお菓子の空き箱。階段や押し入れに描かれる歴代の子どもたちの落書き。

用途が特定されたおもちゃはほとんどなく、園児ごとに分けられた教室もなければ、決められたロッカーもない。“施設”ではなく、“おうち”に遊びに来たような距離感で、なんだか子どもたちも自由に大胆に、伸びやかに過ごしているように思います。

大きい組(4〜5歳児)のクラスは、同じ都筑区の茅ヶ崎南にあります。かつて商店だった名残のある建物に掲げられた「りんごの木」の看板。そこから100mほど離れたマンションの一階にも同じ看板が。約30人ずつ2クラス、通称「青りんご」と「赤りんご」の教室です。

【写真】遊歩道沿いの建物に「りんごの木」の看板が下げられている

【写真】施設内では柴田さんが笑顔で子どもたちに話をしている

帰りのお話を終えて外に出てきた子どもたちが、袋に入った手づくりのアクセサリーや凧を前のめりで嬉しそうに見せてくれました。その日は、子どもたちが「やりたい!」と自主的に企画したお祭りで、お化け屋敷やアクセサリー屋さんなどが開かれたそう。柴田さんも、首飾りを胸に、凧を手に、子どもたちと一緒に駆け回っています。

【写真】子ども2人が凧揚げをしながら走り回っている

【写真】凧揚げをしているしばたさん

“やりたいこと”には勢いがあるけど、“やらせたいこと”には勢いがないのよ。

そう話す柴田さんの目線の先には、削った石鹸と水を混ぜて泡立てて遊び出した子どもたち。代々伝えられてきたりんごの木の伝統の遊びなのだとか。どれだけ大人が“やらせたいこと”をお膳立てしても、子どもたちの自主的な「やりたい!」には敵いません。

【写真】子どもがボウルを泡立て器で混ぜている様子

お迎えの時間、園舎の前の歩道には、井戸端会議をする親たち、子どもたちに話しかける散歩中のおばあさん、遊びに来た卒業生だという小学生、老若男女が集います。

その輪の中で、子どもに混じって遊び、親、近所の人、保育者たちと言葉を交わす柴田さん。人によって態度を変えず、誰かの言葉や行動をジャッジせず、どーんと構えて笑うその姿を前にすると、なんだか不思議と「ちょっと聞いてくださいよ〜」と胸のうちを開いて寄りかかりたくなってしまいます。

【写真】しばたさんが親子と話をしている

物事は時間どおり、計画どおりに進まない。でも伸びやかで開かれた、安心感のある居場所。少しの間だけれどそこに居て見た「りんごの木の風景」から感じたことの背景には、どんな思想や歩みがあるのだろう。りんごの木と、子どもたち、親、保育者、地域の人たち──この場所でどんな関係性が生まれているのだろう。

子育てにおける親と子、組織における上司と部下など「育てる」ことが求められる関係性において、紋切り型の育て方やコミュニケーションに拠らない、一人一人違う人間同士の関係性をどう築いているのか。また、近しい関係性だけでなく、その周囲にあるコミュニティ、共同体として「みんなで育てる」関係性をどう育んでいるのか。そんな問いを柴田さんに伝え、じっくり語ってもらいました。

「どう育てたいかではなく、どう育っているか」に目を向ける。りんごの木の成り立ち

【写真】笑顔で話をしているしばたさん

──今日、少しの間ですが、りんごの木を見学させてもらって、それぞれの子どもたちが自分のやりたいことに向かっているパワー、「生きる力」のようなものをひしひしと感じました。

子どもって、自ら生きる力が漲っているのよね〜。今日のお祭りも子どもたちが「やりたい!」と言って、内容を何日も話し合って実現したんだけどね。やりたくない子もいるから、自由参加ではあるんだけど、盛り上がったわねえ。

──とっても楽しそうでした。子どもたちはもちろん、柴田さんもその輪の中でいきいきと輝きを放っているなあと感じました。柴田さんがそもそも保育の仕事を志したきっかけからお話し聞かせていただけますか。

だって楽しいんだもの。もともとのきっかけは、高校生のときに姉夫婦に子どもが生まれて、赤ちゃんの生きる力に感動したことなの。自らハイハイしてしゃべって……誰も何も言ってないのにぐんぐん育っていくでしょう?自己肯定感も100を超えてるからね。

子どもが自ら育っていく姿を前に「生まれてきた以上、生まれてよかったと思える人生を辿ってほしい」という願いが芽生えて、その足しになる仕事がしたいと、幼稚園の先生になったの。

──私も娘が生まれたとき、“この子らしく幸せであってほしい”“自分を肯定できるような人生を送ってほしい”とささやかだけど大きな願いが生まれました。実際に子育てをする中で親としてそこに寄り添っていく難しさも感じますが……。

そうよね。私が入った幼稚園では、子どもが本来持つ生きる力、育つ力を保証するんじゃなくて大人が「教える」ことが多かったのよ。

折り紙の角と角を合わせてチューリップをつくりましょうとか、トイレには決まった時間に並んで行きましょうとか。どうして折り紙のつくり方をなぞらないといけないの?なんでトイレに行きたいときに行けないの?ってたくさんのクエスチョンが生まれちゃって。そこの幼稚園のルールや文化が、私が考える“子どもの人生を豊かにすること”に直結しなかったんだよね。

それで、仲間と子どもに関わるトータルな仕事をしようって活動をはじめて、その中で私は保育を始めることにしたの。知り合いの歯医者さんの一室を間借りして、地域で1000枚のチラシを配ってね。そしたら2人の園児が来てくれた。1982年だから、私が34歳のとき。それが「りんごの木」のはじまりです。

──いまから40年以上前!保育への価値観が変わっていったこともあるとは思うのですが、始めた当時はどんなことを考えていましたか?

せっかく自分でやるんだから、やりたいようにやろうと思ったわけ。私がやりたいことは、私も子どもたちも、自分が自分のまま育っていくこと。だから「大人がどう育てたいか」ではなく、「子どもがどう育っているか」に視点を当てた保育をしようって決めました。

あくまで自分を基準に、やりたいことをわがままにやってたから、活動がこんなに長く続くと思ってなかった。すぐに潰れちゃうだろうって(笑)。不本意なことをしなくちゃいけないならいつでもやめよう、「いつでもやめられるりんごの木」を謳い文句にしてやってたら、そのまま40年以上続いています。幼稚園勤務を入れると保育歴は50年になりますね。

肩書きや役割を背負わず、「自分のまま」で結ぶ、上下ではない関係性

──りんごの木では、子どもたちが保育者を「先生」とは呼ばないんですよね。今日も子どもも親もみんなが「愛子さん」と呼んでいて距離の近さを感じました。肩書きではなく名前で呼び合うのは、どうしてなのでしょう?

どう育つか、子どもに視点を置いてみたら、子どもたちって本当に素敵なの!その魅力に虜になったときに、私だけ「先生」って呼ばれることが恥ずかしくなっちゃってね。先生と呼ばれるとどうしても“先生”の制服を着て、子どもたちにも“生徒”の制服を着せることになっちゃうじゃない?

それで子どもたちに「これからは愛子ちゃんか、愛子さんって呼んでください」って言ったのね。子どもたちにはすぐに関係性が近づいていって「愛子、愛子」と呼ぶようになった(笑)。どんどん呼び捨てになっちゃうから、「お客さんが来るときに呼び捨ては恥ずかしいから、その時だけは愛子さんって呼んで」ってお願いしました。

「さん」づけにしたのは、子どもとの関係性の中で、「子どもにとって信頼できる大人の仲間でありたい」から。子どもを教える、指導する立場の大人ではなく、仲間で、“困ったときに助けてくれる大人”でありたいのよ。

私が育った家庭では、5人のきょうだいがいたんだけど、お姉ちゃんお兄ちゃん、妹弟、男女という区分けはなくって。みんな呼び捨てで呼び合ってたの。その横並びの関係性が心地よかったというのもあるわね。大人と子どもに上下はないし、たての関係を私は心地よいと思わないから。

──たしかに娘を介した関係性において「〜〜ちゃんのママ」と呼ぶことで「その人」が見えなくなる感じはあります。自分も「母」としての振る舞いをしちゃうような感覚も。

「愛子さん」が子どもから次第に親にも浸透していって、りんごの木では、ほかの保育士も名前や愛称で呼び合うし、親同士も「ママ」「パパ」ではなく、名前で呼び合ってるよ。

知り合いの写真家が「子どもが生まれた瞬間、親という名前に乗っ取られた、私の感性と頭脳よりも親としてどうすべきかが優先される」と言っていたけど、「誰々のママ、パパ」じゃなくて、親になっても自分のままでいいじゃない。

その人の「種」を見つめて、教えるのではなく、ともに育ち合う

──親になっても自分のまま。とはいえ、親として教えなきゃ、育てなきゃ、ちゃんとしなきゃと力んでしまうことがあります。

「教えて育つ、しつけて育つ」ってことはほぼないと思っていて、「子どもは自ら育つ」。大人が一方的に教えるんじゃなくて、子どもも大人もともに育ち合えばいいじゃない。

保育者が「こうしなさい」と“教える”ことができるのは、自分を棚に上げてるからでしょう?親が子どもに願いをかけてしまうことも多いけど、まず自分を見てから願ってくださいと私は思う(笑)。妙な期待をかけすぎないで。比較や評価をしなければ、子どもたちは伸び伸びと本来の力を発揮できるはずだから。

──はあ、私自身完全に自分を棚に上げていますね。自分の子どもへの関わりに迷うこともあるんですが、子どもの本来の力を活かすには大人はどうしたらいいのでしょう?

子どもの想いにちゃんと耳を澄ませて、日常を義務で追い詰めないこと。「食べなさい!」じゃなくて「美味しいね」って言えばいいんですよ。栄養素がどうとか頭でっかちにならず、命令ではなく、自分の感情を伝える。生身の人間同士で付き合っていけばいいの。

──なるほど!家でふたりでいるときは1対1で生身の人間同士やっていけたとしても、たとえば公共の場に出たときに、人目を気にして、「あれしちゃだめ、これしちゃだめ」っていつも以上に言っている気がします。子どもはいつもと変わらないのに、周囲の環境で、親である私の言動が変わってしまうような……。

そりゃあそうよ。でも、しつけとかルールとか世間とか漠然としたものを引き受ける必要はなくって、自分が何をいいと思って何を不快に思うのか、「私」の感情や都合をちゃんと説明したうえで子どもに伝えればいいと思うの。人目が気になるなら、「ここにはたくさんの人がいて、にぎやかなのが苦手な人もいるから静かにしようね」とか「声が大きいとママが気になるから、静かにしてくれると嬉しい」とか。

──忙しい朝に「早くしなさい!」じゃなくて、「ママが仕事に行かないといけないから、早めに準備してもらうことはできるかな?」とか、ですかね。

【写真】インタビューに応えるしばたさん

そうそう。先生も親も子どもの心が育つ前に、「こうしなさい」「これしちゃだめ」って教えるじゃない?事前に教えたら上手にできるかもしれないけど、自分の「やりたい」が叶う満足感や達成感にはつながらないと思うの。効率よく、無傷で、転ばぬ先の杖を100本持たせても、芯は育たない。失敗してもいいんですよ。失敗からしか学べないこともあるし、あとからいくらでもやり直せるから。

──子どもを見ていると、つい口を出したくなっちゃうんですよね……。自分とは違う人間だと頭ではわかっているのに。

向日葵の種にどれだけいい肥料をあげても百合は咲かないでしょう。人も同じで、どんな「種」かを見ることが大事。一人一人違うことを大前提にね。

りんごの木では、2歳から、散歩や公園に行くときも「行く?お留守番する?」と尋ねて、その子の意志を尊重します。みんなでやる年間行事も運動会と卒園式だけで、あらかじめ決められたイベントはほとんどないわね。子どもたち自身がやりたいと言ったことを企画してやる。

5歳児になるとお泊まり保育があるんだけど、最終的に行くか行かないかは本人に委ねます。この前、高校生になった卒業生が「僕はお泊まり保育に行かなかったけど、そのあと弾けたんだ」って会いに来てくれた。これはもうあの時の自分じゃないんだ、大きくなったんだということだと思うんだけどね。小さい頃にできないことがあったとしても、自分を大事にすることさえ譲らなければ、いつかその時に守った自分らしさが弾けるから大丈夫。少数派の行かない方を選ぶのは勇気がいることだけど、ちゃんと自分で選んで受け止めてるから、その経験で自立していくのよ。

ルールや組織はつくらない。お互いに“いい加減”でいられる関係性を

──自分の意思で決めて選ぶ。たしかに「行かなきゃいけない」と決められていると、「行きたくない」という感情に蓋をして我慢しなきゃいけないし、だんだん自分で考えて判断することをあきらめてしまうかもしれないですね。

そう、だからりんごの木に決まりごとやルールはほとんどないの。不都合があったとき、みんなが心地よくいるために必要であれば、最低限のルールを自分たちでつくります。

大きい組では朝に、みんなで車座になって話すミーティングをしていてね。けんかのこと、困っていること、嬉しかったこと……自分の気持ちを話して、相手の気持ちを聞く。大人が答えを導いて「正解」を示すことはしません。想いを共有するだけで「結論」も出さないの。

それは大人の間でも同じで、スタッフのミーティングでも結論は出さないわよ。「これどう思う?」「私はいいと思う」「私はいやだな」で終わり。意見を共有しても、ルールを決めるための会議はしません。

──へえ!一つの結論を出さない、一つのルールを決めないというのは、“みんな”ではなく“その人”を見つめることにもつながりそうですね。

そうね、りんごの木には決まったスケジュールがないから、「遅刻」もないの。私は小学生の頃、成績も低空飛行で、忘れ物も多かったし遅刻もよくしてました。でも焦っても仕方ないから、特に気にしない。

親も「用意ができたら行けばいい」というスタンスで「早くしろ」なんて言わなかったから。学校の先生に親が呼び出されたことがあって「なんて言われたの?」って聞いたら「大したことじゃないから気にしなくていい」って。成績が悪くても「あらまあ」で終わり。「人は好きなことが一つあれば生きていけるから大丈夫」って細かいことは気にしなかったわね。

──まさに、世間やルールを引き受けず、子どものことをちゃんと見ている親御さんですね。素敵だなと思っても、実践はなかなか難しいですが……。

そうだよね。でも子どもが身支度をするときって何かしらあるものだから。スケジュールどおり、計画どおりには進まない。ルールで固めず、お互いに“いい加減”でいられるくらいの関係性が心地よいと思いません?

親同士の関係性も、りんごの木に保護者会という「組織」はないんです。組織をつくったところから義務が生じてしまって、自分の頭で考えなくなるでしょう?必要があるときは、やりたい人がこの指止まれで手を上げて、やりたくない人はやらない。

親も子も、自分のやりたいやりたくない、好き嫌いの気持ちを大事にすればいいんだよね。決まった組織がなくても、いろんなイベントが自主的に生まれてますよ。

──もちろん場所や共同体によってルールはいろいろあっていいと思うのですが、りんごの木ではとことん、上下関係や役割をベースにしていないんですね。

それともう一つ、保育士の間にも、上司や部下、年功序列ってのはないよ。だって、ベテランには経験や知識があるけど、若い新人には、体力と感性があるでしょう。そこを天秤にかけて優劣をつけるのはおかしいと私は思うから。

働き方も、一週間にどれくらい働きたいか、私は介護があるので週3日にしますとか自己申告性で、時給制でみんな同じ給与体系。20代の新人さんも50代のベテランも私もね。私はスタッフ一人一人がここで自分の力量を最大限発揮していると信じているし、ましてや仕事ぶりを比較して評価することはしたくないし、そんな立場にあるとも思ってないから。

大人は言葉に頼りすぎている。立派じゃなくても、足を引っ張ってもいい

──子どもとは見ている世界が違って、どうしても大人が上に立ってしまいがちで、なかなか対等な目線でコミュニケーションを取っていくことは、難しいなあとも感じます。

私たち大人は、言葉に頼りすぎているところがあるわよね。この間も親御さんから聞いたんだけどね、年上の活発な子が年下ののんびり屋さんに何やらちょっかいを出したらしいのよ。ちょっかいを出した子が、家で「○○にひどいことしたから謝る」と言って「ごめんね」って手紙を書いたんだって。

でもその手紙を持って帰ってきたから「どうしたの?」と聞いたら、「手紙を渡さなくても許してくれていた」って。相手の笑顔とか表情から仲良く一緒に遊ぶことができたみたいなのね。「やさしいって強いってことなんだね」と言って、今度は「ありがとう」の手紙を書いて渡したのよ〜。

【写真】子どもがおもちゃで遊んでいる

子どもたちは言葉だけじゃなくて、表情や仕草でこういうコミュニケーションを取っているんだよね。りんごの木では、障害のある子も多く受け入れてきて、中には言葉がしゃべれない子もいるんだけど、子どもたちはよく「○○くんが寂しがっている」「喜んでくれた」と表情を見て伝えてくれます。

10年くらい、週に1回脳性麻痺で車椅子の大人が来てくれて、言葉が聞きとりにくいんですけど、子どもたちは「○○ちゃんは人形遊びが好きなんだよ」「サッカーのゴールキーパーがうまいよ」と教えてくれるよ。

言葉がうまく通じなくても、子どもたちはその人なりの表現をしていることを知っていて、表情でコミュニケーションして、お互いの存在を当たり前に受け止めているんだよね。違いを尊重し合う力を持っていると思う。

──たしかに、私たちも仕草や表情、耳だけではなく五感を使って、言葉以外のもので受け取っていることもある気はします。普段あまり意識しないし、つい言葉で伝えることを重視してしまいますが……。

それから子どもたちは大人の言葉以外のものもよーく見ています。「お母さんに怒られたらどうするの?」って話になったときに「泣いたらもっと怒られるから、機嫌がよくなるまで静かに待つ」って言ってた子がいてね。子どもは弱い立場だから、理不尽な想いもしながら、弱者は強者の顔色を常にうかがって、生きる術を身につけていくんです。表情や声のトーンから読み取って「いまは近づかない方がいい」ってね。

【写真】ライターとしばたさんが話をしている

──いけないとわかっていても、余裕がないと子どもにこちらの不機嫌をぶつけちゃうこと、ありますね……。

それでいいの。大人も弱さを見せてもいいし、足を引っ張ったっていいんですよ。4、5歳児になると興味のあることを選んで毎日やり続ける「とことん週間」っていうのがあってね、ある年に「マラソン」が上がったの。「おもしろそう、やりたい!」って私が手を上げたら、他の保育者から「愛子さん、大丈夫?」って心配されてね。どう考えても年配の私は、足を引っ張ることになるじゃない?

それでもやりたい!と思ったから、子どもたちに素直に気持ちを伝えたの。「私はマラソンがやりたいです。でも足を引っ張ることになると思うから、みんなは先に行っててください。心配になったら戻って様子を見に来てください」って。そしたら子どもたちは「愛子さん、大丈夫?」「愛子さん、早歩き!」と伴走してくれて、すごく優しいの。最終日にはフルマラソンをしているお父さんが休みを取って参加してくれて、とっても楽しかった。

自分の「やりたい」が立ち上がったとき、たとえうまくできなくても、周囲の人の助けを得て、その気持ちを豊かに実らせていくことはできる。大人が足を引っ張ってもいいんだな、大人だからっていつも立派でなくてもいいんだなって、子どもたちに教えてもらいました。

みんなで頼り合って、「いつでも帰って来られる居場所」を

──今日も卒業生が遊びに来ていたり、お母さんたちが柴田さんとお話したり。りんごの木は、関わる人にとっての居場所、帰る場所になっているのかなと思いました。

そうね。私は卒園式で「りんごの木を第二の家だと思って、いつでも帰ってきてね」と伝えてるんだけど、子どもたちに何かあったときに、何もなくても、帰ってこられる場所をつくりたかったのね。

だから、卒業生が会いに来てくれるのが本当に嬉しいの。毎年、卒業生で参加したい人が参加するキャンプを開催しているんだけど、150人くらい集まるんですよ。小学校1年生から30歳くらいまで。

──なんだか「実家に帰省する」みたいな感覚で集まれるのがいいですね。

以前、りんごの木に通う子どものお母さんが泣きながらベビーカーを引いて散歩している姿を見かけてね。「ちょっと話さない?どうした?」って声をかけたら、「逃げたいけど私には帰る場所がない」って。やっぱり帰る場所がないってすごく緊張感があるよね。だから「私があなたの実家になるから、つらくなったらここにこればいいじゃない」って伝えたの。

最近電話が鳴らなくなったから理由を聞いたら、「いざとなったら愛子さんのところに行けばいいという安心感があるから、もうちょっと頑張ってみようと思えるようになった」んだって。そういう親御さんたちが何人かいて、半年くらいここ(りんごの木)で暮らしてた人もいます。

──まさにりんごの木が関わる人の「実家」に!本当にりんごの木は、保育施設の枠にとらわれない、役割を超えた関係性を築いていますよね。でも、そこまでできるのはどうしてなんでしょう?

人は本来群れで生きていく生き物だから、そうやって頼り合うのは当然のことなんですよ。顔の知っている人が目の前でまいっていたら、背中をさするじゃないですか。それをしないで「私に頼らないで」と壁をつくってしまったら、自分が困ったときにどうするの?誰かの大変さを引き受けるから、巡り巡って、誰かが私の大変さを引き受けてくれるわけで。

──とはいえ、実際に誰かの困難を引き受けるのはなかなか大変なことだし、気持ちがあっても、自分にはできないことや余裕がないときもあって、負担に感じてしまうこともある気もします。

引き受けるといっても、自分が潰れちゃうような引き受け方をしてはダメよ。気持ちだけではなく、自分の力量に合った引き受け方をしないと。気になったら声をかけて背中をさするだけでも相手が救われることもあるからね。自分一人で助けようなんて気負わなくていいの。

それに誰かの困りごとを私一人で全部背負うことはできないけど、仲間がいれば難しくはないのよ。前にうつになったお母さんがいたときは、ほかの保育士が図書館でうつ病に関する資料を集めてみんなで共有して、当番制でごはんをつくって、子どもは別の家庭に預かってもらった。そうやってみんなで少しずつ、それぞれできることで支えていけばいいじゃない。

【写真】園内にぬいぐるみが置かれている様子

──みんなで頼り合う、支え合う関係を育んでいくためには、何から始めたらいいんでしょうね。

「なんでもいいから頼ってね」って言われても頼りづらいよね。だから私は自分から頼るようにしています。

りんごの木は普段お弁当持参なんだけど、週に1回、卒業生のお母さんたちが給食をつくりにきてくれていてね。そのはじまりは、ある子のお弁当が美味しそうで「私も食べたい、つくってくれない?」ってお母さんにお願いしたことなの。りんごの木の大掃除も親御さんたちに「大掃除をするので、手伝ってください」って呼びかけています。

そうやって私から頼みごとをしてるから、関係性も生まれるし、親御さんたちも何かあったときに頼りやすくなるんだよね。親御さん同士もいざというときに助け合えるように、月に1回お話会を開いています。普段から顔を合わせて、気軽に話せる状況をつくっておくことが、いざというときに頼れる関係性の基盤になると思うから。

地域で迷惑をかけ合う「お互いさま」の関係の中で、人を信じる力を育む

──そういう積み重ねがあって、りんごの木がかつての“地域”のような、ゆるやかなつながりの中で助け合える一つの“コミュニティ”になっているように思います。

そうかもしれないわね。私たちの時代は、親が頭に来て怒鳴ってたら、子どもが隣の家に逃げ込んでてね。私もお向かいさんに3人目の子どもが生まれたとき、上の2人をうちで預かったこともあったわよ。

いまの時代、地域で子育てができなくなって、学校でも横並びの競争になって、親も頑張らなくちゃと仕切りをつくってどんどん孤立していってしまうでしょう?でも、迷惑をかけずに生きていくなんてできっこないからね。「お互いさま」なんです。

私に経済力がなくって園庭をつくれなかったんだけどね。借金をするとお金を返すためにやらなきゃいけないことが出てきちゃうのがいやで。園庭がないと園舎の前の歩道で遊んだりして地域の人には迷惑をかけるし、にぎやかだと怒鳴られたりもするんだけど、関わりが生まれるから、子どもたちは信じられる大人たちが身近にいることをちゃんと肌で感じていると思うの。

【写真】マンションの一階に「りんごの木」の看板がかけられている。

かつては商店だった「りんごの木」の教室の前は遊歩道で、多くの人が行き交います。

もし園舎の周りに囲いをつけたとしたら、みなさんに迷惑はかけないし、人付き合いもないからやりやすいとは思います。人付き合いって面倒なことも多いからね。

でも私はここで育った子たちが外へ出たときに、人を警戒して疑うようになってほしくないもの。根本に人を信じる力を持っていてほしい。だから、りんごの木の外で、地域の人たちとも関わっていきたいと思っているんです。

園庭はないけど、子どもたちが思う存分遊べるように、「はたけ」と呼んでる原っぱを借りていてね。

──今日、見に行かせてもらいましたが、開かれた、気持ちのいい場所でした。特定の遊具はないけれど、子どもたちがここで元気に遊ぶ姿が目に浮かぶようでした。

今日は誰もいなかったけど、子どもたちはここで1日中駆け回ったり、木登りをしたり、焼き芋をしたり。卒業生が遊びに来たり、お父さんたちが極寒の中キャンプを企画したこともあったわよ。

ここも周囲は住宅だから、犬の散歩をしている人に子どもたちが話しかけたりして、地域の人たちに見守られています。

【写真】原っぱに大きな木や、タイヤなどがある「はたけ」の様子

りんごの木から少し離れた住宅地の中にある遊び場「はたけ」。

自分らしく生き切るために、感情を掘って、自分を取り戻す

──ここまでお話を聞いてきて、りんごの木は「やりたい」「こうありたい」といった感情や願いも含め自分を大事にできる場所であるから、居心地が良いんだろうなと感じました。柴田さんご自身が、いまどうありたい、これからどう生きたい、というのはありますか?

おこがましいけど、私、死ぬまでにね、どこを切っても“柴田愛子”になるように、爪の先まで“柴田愛子”らしく生きたいと思っているの。“柴田愛子”を生き切ったと言える人生、いいと思わない?

【写真】ライターとしばたさんが話をしている

──はい、とっても素敵です!でも、“自分らしさ”とはよく言いますが、いったい何なのでしょう……?

たとえば、あなたはいま着ているその服、自分が好きで選んだんでしょう?私が着ているブルーの服は選ばない、そういうことよ。自分の感性に従って、気に入った自分にしていくことが、自分らしさかな。

少なくとも、世の中が基準のマルバツやメリットデメリットでは測れないものだよね。みんな仲良くルールを守ることに必死で、自分を大事にすることに慣れていないんじゃないかな。学校や社会の評価=自分の価値だと思ってない?評価されることが当たり前だとそうなっちゃうよね。でも、正解のない、簡単に評価できない「隙間」にこそ豊かさがあると私は思うの。

──社会の中ではどうしても評価されることが多くなりますもんね。そういう中で、「隙間」を見つけるにはどうしていけばいいんですかね。

私、小学生の“さなぎ”だった頃、静かに黙って座っているおとなしい子だったの。さなぎだから、隙間から世界をよーく観察していたんです。この先生は、この子とあの子の叱り方が違うから信用ならないなとか。自分の基準で判断していく。答えがわかったら手を上げて発言しないと先生からは評価されないけど、自分がわかっていれば評価されなくてもいいと思っていました。

そうやって自分を守っていたんです。高校生くらいから、さなぎが蝶になるように羽ばたいて、いまの自分になったんだけどね。

たての社会の中で「個」として尊重される習慣がないから、多数派に身を委ねていれば無難に生きていけると、自分にこだわらなくなっていく。

前に講演会で20代の子から「いくつになったら自分のままで生きていいんですか?」って質問があったのね。親が喜ぶから頑張って学校の成績を上げてきたけど、自分の本音や感情を言ったことがないから、自分らしく生きていると思えないって。同じような質問を50代の方からも受けたことがあるの。

来世のことはわからないけど、1回しかない人生を誰かのために生きるのってつまらないでしょう?世間とか得体の知れないものを喜ばす必要なんてないじゃない。自分の基準を自分で決めて、自分を生きるしかないのよ。

──自分を生きる。そのためには、何から始めたらいいのでしょう。

自分を取り戻すことだと思うよ。私はこれが好きでこれが嫌い、美味しいとか不味いとか、この人に憧れるけどあの人嫌いとか。世間ではこう言われているけど、私はそうは思わないとか。自分がどんなふうに感じているかをどんどん掘っていく。世間に公表する必要はなくって、自分の感性で判断して、「私」に戻ってこればいいんです。

以前引っ越してきた5歳の子が卵を食べるときに嫌そうな表情をしてたので「嫌いなの?残せば?」って言ったら「いいの!?」って驚いてた。「嫌い」って言っちゃダメだと思っていたのね。「好き嫌い言わずに食べなさい」ってよく言われるけど、そのルールは誰が決めたの?卵を食べなくたって健康ならそれでいいじゃない。私なんてセロリ(嫌いだから)一生食べないわよ。

何歳からでも自分を生きるスタートはできる。子どもと自分らしさを育んでいく

──育った環境や自分がいる環境によっては、“自分の感情を大事にする”ことに慣れていない人も多いように思います。

育てられた親についての相談を受けることも多いんだけど、どこが嫌いか書き出してみるといいですよ。ある人が書き出した内容を見て私が「本当にひどい親だね、挨拶にいく必要なし」と言ったら「え、いいんですか?」って驚いてた。「親だし……」って遠慮があるみたいだけど、親だって嫌いなら距離を取ればいいのよ。もっと自分の感情を大事にしていいと思いますよ。

みなさんよく過去を振り返るけど、いろいろあっていまのあなただから。いつだっていまからがスタートです。もしつらい過去があったとしても、“人生100年”なんだから、40年くらい無駄にしたって大丈夫じゃない?って思うんです。

【写真】笑顔で話をするしばたさん

──40歳から自分の人生を始めてもいいんですか!?

私は、34歳でりんごの木を始めたんだけど、40歳のときに「独立宣言」をしたんです。これからは周りに迷惑をかけたとしても、やりたいことをやらせていただきますって。40歳で免許を取ってね、これからは排出ガスを出して行きたいところに行かせていただきますって。それからニューヨークへ一人旅をしたの。人としてやっと独立しようって意気込みでね。

50歳になって新しいことに挑戦したいなあと思っていたところに、「絵本をつくりませんか?」って誘いを受けてね。自分にできるとは思ってなかったけど、『けんかのきもち』を出版したらびっくり、賞をいただいて読書感想文の課題図書になったの。40歳からでも、50歳からでも、何歳からでも、いつだって自分を生きるスタートはできるんですよね。

──希望が湧いてきます。今日、柴田さんは子どもたちのエピソードをいきいきと語ってくださって、楽しさが滲み出ているように感じるのですが、将来の心配などないですか……?

いま74歳で、大してお金も貯めてないから、将来が心配じゃない?ってよく言われるんだけど、基本私は楽観的なの。りんごの木の保育士は、30年以上勤めている人が多くて、平均年齢が54歳なんだけどね。よくみんなで自由に暮らせる老人ホームをつくりたいねって話してる。りんごの木がまさにそうなんだけど、お金がなくても、人脈があればなんとかなるのよ。

先のことを心配していたらいまを生きられないから、心配は実際に始まってからするようにしているの。考えても仕方ないし、転ばぬ先の杖を持ちすぎると身動きがとれなくなって、つまらないから。

自分が動けるうちはキラキラ輝いて精一杯生きたいと思うし、燃焼して残り火になって動けなくなったらその時はその時よ。世の中が決めた「定年」なんて考えないで、元気でいるうちは子どもをとことん楽しませてもらいます。

保育を極めたいとは思わないけど、ずっと「子どもを極めたい」と思っていたのね。でも極まらないから、「子どもを楽しむ」って路線に変えたの。子どもたちと一緒にいると自分らしさが育っていくし、とにかく楽しい。頭がやわらかくなって寿命が伸びる感じがするね。

何歳まで生きれるかはわからないけれど、私はこれからもやりたいことをして、子どもたちと、自分らしさを育てていきます。

自分に立ち返って、安心して帰れる場所が一つあれば

柴田さんと向き合って話をしていたら、なんだか安心感に包まれて、自分の気持ちの扉が開いていく気がしました。それはたぶん、柴田さんが比較や評価の目を向けず、いつだって“自分のまま”でそこにいてくれるから。

りんごの木にあったのは、肩書きや役割による上下関係や横並びの競争関係ではなく、自分のままで結ぶ、迷惑をかけ合える、育ち合える関係性。そしてその延長線上に、関わる人たちにとって、いつでも帰ってこられる、自分を肯定できる居場所が生まれているのでしょう。

人生も人間関係も、計画どおり、願ったとおりには進まず、落ち込むことや傷つくこともあるけれど、自分に立ち返って安心して帰れる場所が一つあれば、なんとかやっていけるんじゃないか。そんなことを思いました。

柴田さんのように、どこを切っても“わたし”と胸を張って言えるにはまだまだほど遠いけれど、肩書きや世間体を外した、“自分の素直な気持ち”を一つずつ、もっと大事にしていきたいです。

そして、“感性に従って、気に入った自分にしていく”──私自身と身近にいる人たちのそんな“自分らしさ”を祝福し合って、一つひとつ違うそれぞれの関係性を育んでいきたいと思います。

【写真】ライターの徳としばたさんが笑顔でこちらを見ている

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(撮影/川島彩水、編集/工藤瑞穂、企画・進行/松本綾香、協力/草田彩夏)