【イラスト】上を向いて微笑む女の子のイラスト

こんにちは!「子どもを守るパズルの1ピースとして子ども虐待に対応するRIFCR™️(リフカー)研修」のトレーナーをしている廣川真美と申します。

RIFCR™️は、虐待やネグレクト、いじめなどの被害を受けている子どもから、適切に被害事実を聞き取るためのスキルを学ぶためのものです。

私がRIFCR™️のトレーナーになったのは、自身の幼少期や学生時代の経験がきっかけです。

私の父は感情のコントロールが難しく、機嫌を損ねるとすぐに母や子どもに暴力をふるう人でした。父の怒りのスイッチがいつ入るか分からない。そんな不安を抱え、幼少期を過ごしてきました。

また、学生時代には先生から性的ハラスメントを受け、戸惑いや大きな怒りを感じた経験もあります。

いずれも一人で抱え込むにはつらい体験でしたが、周りの大人は見ても見ぬふり。なかなか相談できずにいた私を「黙っているのは問題がない証」と、気にかけてくれる大人はいませんでした。

そんな経験が積み重なり、徐々に「大人は信頼できない」「つらい経験を誰かに話しても意味がない」と思うようになっていったのです。

しかし今、人はつらい経験を話したり、それを聴いてもらったりすることで、癒され、救われることがあるのだと少しずつ信じられるようになっています。

それは、成人してから出会った人たちが、私の話を誠実に、あたたかく受け止めてくれたから。

「聴いてもらう」経験を通して、私の人生は大きく変わっていきました。「聴く」ことは、そんな大きな力をもつ行為だと思います。

一方で、やり方を間違えれば傷つきを増幅させ、生々しく思い出させてしまうこともある。

今日は「つらい経験をした人の傷つきに寄り添うためには、その人の話をどう聴いたらよいのか」について、私の人生を振り返りながらみなさんと一緒に考えていけたらと思っています。

誰かにつらい経験を話しても意味なんてない。

そう思っている方がいたとしたら、ぜひ読んでもらえると嬉しいです。

大人はどうせ助けてくれない。諦めの気持ちが生まれた幼少期

私は幼い頃、父、母、母方の祖母、弟の5人で暮らしていました。

幼少期の私を一言で表すと「警戒心が強い」子どもでした。

この大人は信頼できるけど、この大人はできない。

その差を感じ取って、幼いながらに信頼できない大人とは距離を置いていたのを覚えています。

そんな私を見て、幼稚園の先生がこんな言葉をかけてくれたことがありました。

真美さんは敏感で警戒心が強い子ね。でも、将来あなたはみんなをまとめるリーダーのような存在になっていくと思うわ。

同世代の子に比べて体が大きかった私は、誰かがいじめられているのを見ると率先してかばうことも多かったんですね。先生はそんな私の様子を見てくれていたのかもしれません。

その先生の言葉どおり、大きくなってからは生徒会長など自然と集団をまとめる役割を担うようになっていきました。

はたから見ると、学校でリーダー的なポジションにいる私は「なんの問題もない子」に見えたかもしれません。しかし、実際のところ家庭環境はかなり複雑な状態でした。

それは、父が一言でいうと「怖い人」だったからです。

父は普段はひょうきんで明るい性格でしたが、気に入らないことがあるといきなり怒りのスイッチが入ります。家族に対しても、そして家族以外に対してもトラブルになると暴力を振るい、そうなると誰にも止められないのです。

一番記憶に残っているのは、デパートの屋上で母の買い物が終わるのを父と二人で待っていた時のこと。

当時、デパートの屋上にはちょっとした遊園地のようなものがありました。そこに、百円を入れると20メートルほどの線路の上をぐるぐると回る電車の遊具が置いてあったんですね。

それを見た父親が「真美、これに乗れよ」と言ってきたのです。

私は内心「そんな子どもじみたもの乗れない」と思ったのですが、父が怖くて何も言えずにいました。

「早く乗れ」とせかす父と、なかなか乗ろうとしない私。

私の態度が気にさわったのでしょう。父の表情が徐々に怒りに満ちたものになっていきました。

そして、ついに怒りが爆発し、父の足がどすんと私の頭の上に落ちてきたのです。

なにしよっとかぁ!!

怒声を皮切りに、蹴る、踏むの繰り返し。父に顔を踏まれた時のゴム草履の感覚は今でも忘れられません。

ただごとではない父の様子を見て周囲の大人が集まり、すぐに人だかりができました。父に踏まれながら上を見上げると、そこにはたくさんの大人の足が見えました。

でも、誰一人として父を止めてくれる人はいなかったのです。

そうこうしているうちに、デパートで買い物をしていた母親が戻ってきました。母では父を止められないので、当時唯一父に意見を言い、暴力を止めることができた母の弟(私の叔父)を呼んだそうです。

結局叔父がかけつけてくれるまで、周囲の大人は誰も助けてはくれませんでした。

なぜこんなに恥ずかしい思いをしなきゃいけないんだろう。

私は父や周囲の大人たちに対して怒りを覚えました。

どうせ大人は助けてくれない。

そんな考えが、強く私の中に刻み込まれた瞬間でした。

【イラスト】青い雨のような模様のイラスト

子どもの頃から家族のなかで、ケアする役割を担ってきた

感情コントロールの難しい父と暮らしていたことで、母は精神的に追い詰められていたように思います。もともとは気が強く、とても明るい性格で、ちょっとやそっとではへこたれないような人でしたが、父と生活するなかで徐々に弱っていってしまったのでしょう。

同居していた母方の母(私の祖母)は病気で足が不自由で、自分の力で動くことが難しかったため、母はつきっきりで介護をしていました。

父との関係や祖母の介護に疲れて、母はいつか私たちの前からいなくなってしまうのではないか。そう心配をしながら過ごした幼少期でした。

母は父や祖母の対応で精一杯だったので、弟の面倒を見るのは私の役割。家族のなかで「ケアを担う人」として大人の代わりをしていました。それもあって、私は小さい頃に家族に「自分の話を聴いてもらった」という記憶がありません。

学校でこんなことあったよ、すごく楽しかったの!それで、友達がこんなこと言ってね。

もしかすると他の家庭ではこんな会話があったのかもしれない。でも、いくら思い出そうとしても、幼い頃に家族に自分の気持ちを伝えて、聴いてもらった覚えがないのです。

私が自分の気持ちを話さなくなっていった一つのきっかけとして、思い出す出来事があります。

それは私が親戚にある出来事について話したときのこと。その出来事は母にとって隠しておきたかったことだったようで、すぐに母に怒られました。そして怒りながら私にこう言いました。

あなたは「おしゃべり九官鳥」みたいね。

母にとっては何気ない一言だったかもしれません。でも、当時の私にとってこの言葉はとてもショッキングでした。

起きた出来事も、そこで感じたことも人に話さない方がいいんだ。

そう心に決め、それから感情を表現することはほとんどなくなっていきました。

一方、弟は私とは正反対のタイプ。甘え上手で自分が思ったことはすぐに口にする性格でした。6歳はなれている弟はもちろんかわいかった。でも、少しうらやましいと思う気持ちも抱いていた幼少期でした。

大人への信頼をさらに失うきっかけとなった性的ハラスメント

小学校高学年になると、家庭以外でもつらい経験をすることが増えていきました。その一つが、身近な大人の男性からの性的ハラスメントです。

ふとしたきっかけで、ある先生が「真美がもうちょっと大きかったら結婚したいな」と話していたという噂を耳にしたのです。

信頼できるはずの大人が、なんで小さな子どもに特別な感情を持つんだろう……。

聞いたときは、なんとも言えない気持ちになったのを覚えています。

中高生になると、大人から性的ハラスメントを受けることがさらに増えていきました。

例えば先生から「二人で遊びに行こう」と何度も誘われたり、人気のない教室に呼び出されて「好きだ」と言われたり。

その時は、ただただショックで、悲しかった。

誤解をさせてしまった私が悪いのかな。私がもっとうまく対応できていれば、違う結果になっていたのかもしれない。

そんな後悔や罪悪感でいっぱいでした。当時は「自分が悪い」と思っていたので、友人にも相談することができなくて。

真美がわるいんじゃない?贔屓されてずるい。

そう言われてしまうのではないかと心配だったのです。それだけは阻止したくて、誰にもバレないようにとにかく必死でした。

大きくなると性の情報も耳にはいってきます。最初は意味が分からないまま気持ち悪さを感じていた先生や身近な大人たちの行為でしたが、どんな感情から行われていた行為なのかが徐々に明確に分かるようになっていきました。

大人はもう誰も信頼できない。

何度か似たような出来事が立て続けに起こったことで、さらに大人への失望と怒りは増していきました。

就職して出会ったはじめての「信頼できる大人」

高校を卒業し、進路を考える歳になりました。その時、私の頭に一番に思い浮かんだのは祖母や、兄弟同然に育ってきた従兄弟の存在です。

幼少期から心の支えになってくれていた祖母に身体障害があったこと、また従兄弟も知的障害であったこともあり、自然と福祉に興味がわきました。そこで大学は特別支援学校の教員資格が取得できる学科を選択することに。

とはいえ、悲しい経験が積み重なったせいで「先生」という存在は大嫌いでした。だから障害のある方や子どものこと、また福祉についての勉強はするけれど、教員採用試験は受けない。そう強く心のなかで決めていました。

卒業後は、保育園に就職。ちょうど1年働いたあと、縁あって特別支援学校の臨時講師になることになりました。

臨時講師なら、先生の仲間にならなくてすむからいいかな。

そんな気持ちで新しい職場を訪れた私でしたが、そこにはこれまでの「先生」や「大人」のイメージを打ち壊す素敵な先生がいらっしゃったのです。それが一緒のクラスを受け持つことになったN先生でした。

N先生は私の母よりも少し上のベテランの先生。ひょうひょうとしていて、さばさばとしている。でもその奥に信念とあたたかさがある人でした。

当初、N先生にはなぜ私が先生になりたくないのかという詳しい理由は話していませんでした。「教員採用試験は絶対に受けません」と怒ったように話す私を見て、きっと不思議に思っていたに違いありません。

それでも、そんな私をN先生はまるごと受け止めてくれました。

あなたがそう考えるなら、それでいい。あなたがどんな立場であっても、目の前の子どもに対する想いや行動を、私はちゃんと見てるから。

なにか事情があるのだろうと察しながらも、根堀葉掘り理由を聴くことなく、そう声をかけつづけてくれたのです。

また、N先生は私より年上でしたが、いつでも私の存在や意見を対等に扱い、尊重してくれました。何か意見を伝えると「廣川さんに話してよかったわ」と言い、何か相談すると「あなたが話してくれて嬉しいわ」と言う。そんなふうに話を聴いてもらえる経験は私にとってはじめてのことでした。

小さい頃から大人の代わりに祖母や弟のケアをしていたので、家族のなかで「頼り」にはされていたと思います。でもその「頼りにされる」と、N先生の「頼ってくれる」では受ける感覚が全く違いました。

N先生の接し方からは、「廣川真美」という一人の人間として頼りにされている感覚があった。それがものすごく嬉しかったことを覚えています。

N先生への信頼が増すにつれて、私は徐々に家族のことや、これまでに身近な大人から受けた性的ハラスメントについても話すようになりました。

あなたは何も悪くないわ。

何を話してもそう態度で示してくれることが、私にとってさらに安心につながっていきました。

そしてある日のこと。私の話を聴いてくれていたN先生がこんなふうに声をかけてくれたことがありました。

廣川さん、あなたはこれまで人に傷つけられた分、人に癒やされる作業が必要ね。

実は、当時は意味が理解しきれていなかったこの言葉。でも、この後N先生以外にも信頼できる大切な人たちに出会った時。そして、徐々に過去の傷つきが癒やされていった時、この言葉の意味を深く実感できるようになっていきました。

【イラスト】ピンクと白、黄色の絵具が入り混じったようなイラスト

パートナーとの出会いと家族との別れ

ここでパートナーについても、お話しさせてください。

パートナーと出会ったのは大学生の時。アルバイト先で偶然出会った私に、こんな衝撃的な一言を投げかけたのが彼でした。

あなたは陰陽に分けるとしたら陰だよね。なんか陰があるよね。

まだ知り合って間もない頃に相手にこれを伝えるのはなかなか度胸があるなと思います(笑)。でも、私が抱えている事情に直感的に気づいていたのかもしれません。

お付き合いをはじめてからは、「なんでも話していいから」と何度も繰り返し言ってくれていました。

僕は人が笑顔になっているのが好きだから。真美を笑顔にしたいんだわ。

おまじないのように繰り返し伝えてくれたそのメッセージは、じわりじわりと私の考え方に大きな影響を与えてくれた気がしています。

今では「もう話さなくていいよ」とパートナーが止めるくらい私は自分の意見をしっかり伝えるようになって、ちょっと困っているかもしれません(笑)。

そんなパートナーと25歳のときに結婚をしたのですが、ちょうどその頃は、実家で父から母への暴力や支配がさらに強くなっていた頃でした。

その状況を見て家に残されている母が心配だった私は一世一代の決意。「私が協力するから」と、弟と一緒に母を夜逃げ同然で家から逃がしたのです。

当然、父は怒り心頭です。行き先が分からない母の代わりに怒りの矛先が向いたのが私でした。

働いてる学校に乗り込んできたり、パートナーと新婚生活をしているアパートの近くで待ち伏せされたり。いったいどうなってしまうのかという不安が常に心のなかにあった時期でした。

なんとか父を説き伏せ、そこから数年かかって父と母はついに離婚をしました。そこから私は父と全く会っていません。

一度、街中で父が自転車に乗っているのを車のなかから見かけたことがありました。運転中の私はなんだか惨めだったり、情けなかったりして、一人で号泣して、父に気づかれないように横を通り過ぎました。

自転車に乗っていた父の顔が笑顔だったのを見たのが、最後の顔です。笑顔だったのが悔しいやら、ホッとするやら、感情がめちゃくちゃになったのを覚えています。

実は父は数年前に病気であっという間に亡くなりましたが、最期だと分かっても私は会いにはいきませんでしたし、葬式にも出ませんでした。

亡くなった父が夢にでてきて苦しむこともありました。それは恨む気持ちがありながらも、心のなかで父を責めきれない部分があったからかもしれません。

自分がもっとちゃんとしていたら、こんなふうにならなかったのではないか。もっと父を理解して話を聴いてあげればよかったのかな。いやいや、そんなことはない。できることはやった。私には父を恨む理由もある……。

そんな気持ちの間を今も行ったり来たりしています。

「いつでもあなたのことを気にかけている」というメッセージが嬉しかった

父のこともあったので、私は学生時代から「虐待」についてとても興味がありました。

児童虐待に関連する本を読んだり、様々な研修に通ったりしていましたが、それは父や先生たちがなぜそんなことをしたのかを知りたいという気持ちがあったからだと思います。

そのなかで出会ったのが虐待やネグレクト、いじめなどの被害を受けている子どもに、適切に事実を聞き取るための研修「RIFCR™️」でした。

虐待を受けている、もしくは受けているかもしれない子どもがいた場合、発見者は適切な機関に通告する義務がありますが、その前に適切に子どもから必要最小限の事実を聞き取る必要があります。

ここで不適切な聴き方をしてしまえば、子どもをさらに傷つけてしまうことになる。それを防ぐために、子どもたちから何をどのように聴くべきなのか、何に気をつけなければならないのかを知っておく必要があります。その知識と技術を学ぶのがRIFCR™️という研修です。

新聞でたまたまRIFCR™️の存在を知った私は、すぐに申し込みをし、研修へと通いました。

そこで、また人生を変えてくれる新たな出会いがあったのです。それが、現在一緒にRIFCR™️の研修トレーナーとして全国を回っている草間さんと松岡さんでした。

虐待という問題に熱い思いを持ってもともと活動されているお二人はN先生と同じく、母よりも少し上の年齢でした。まだ数回しか会っていない時から、不思議と家族のことやこれまでの経験を自然と話せたのですが、それは、たぶん二人に聴く力があったからなのだと思います。

草間さんと松岡さんは、私のことを大切に思ってくれているというメッセージを常に送ってくれる存在でした。

例えば、誕生日に連絡をくれたり、同時にパートナーのことも気にかけてくれたり。なんでもないときに「最近どうしてる?」と連絡をくれたり。

そんな一つひとつの行動から「あなたの人生や生活を私は気にかけているわ」というメッセージが伝わってきたのです。

「聴く」というのは、たぶん話を聴いているその時だけの行為ではないんですよね。常日頃から存在を気にかけてくれている。その心遣いこそが話を聴くうえで大切なのかもしれない。二人の姿勢からはそう感じることも多かったです。

また、松岡さんと草間さんは、二人とも抜群の「聴く力」を発揮していましたが、ちょっと「聴き方」が違うんですね。草間さんは江戸っ子気質で、すごく明るくてひょうひょうとしている方。深刻な話でも「あら、そうなのね〜」って何でもないことのように聴いてくれるから、ついついたくさんしゃべっちゃう。そんなタイプの人です。

一方、松岡さんはしっとりと話を聴くタイプ。初めて会った時から「あなたに興味があって、あなたの話を聴きたいと心の底から思っている」ということを表情や声、間合いなど全身で表してくれていました。

タイプの違う聴き方だけれど、なぜか安心する。二人に直接会えたときは会えなかった分、たくさん話したくて。ホームシックになって、家に帰ったときに「おかあさん〜〜!」となる時の気持ちって、こんな感じなのかな?二人に会ってからそう思うようになりました。

【イラスト】緑の光のなかに一筋の黄色の光が差し込んでいるようなイラスト

親になることへの希望が少しずつ生まれていった

この二人が私にとって大切な存在になっていったのは、私に大きな変化を与えてくれたからでもあります。

草間さんや松岡さんと出会った頃、私はすでに結婚していましたが、子どもをもつことの不安がとても大きかったんです。

なぜなら、学生時代に読んだある書籍に「虐待は連鎖する」と書かれていたのを見た記憶があったからです。

「虐待は必ず連鎖するとはいえない」とする調査結果もあるなど、今は一概には言えないことも理解しています。でも、当時はそういった本を何度も何度も読んでいたから、「私みたいな人は子どもを産んだら駄目だ。きっとひどいことになる」という不安に支配されていたんです。

一方、パートナーは結婚してすぐに子どもが欲しいと言っていました。だから、かたくなに子どもをつくることを拒む私との関係性は悪化していたのです。

草間さんと松岡さんに出会ったのはちょうどそんな時。二人が教えてくれる家族との何気ない日常が私にとってはすごく新鮮でした。

ああ、私たち夫婦に子どもがいる人生ってどんな感じなんだろう?

そう想像する気持ちが芽生えはじめました。

そして、結婚13年目に子どもを授かりました。

待ってくれてありがとう。

パートナーに対してはそう思っていますし、子どもをもつことへの希望をもたせてくれた草間さんや松岡さんにもとても感謝しています。

実は、最近私の母も再婚したのですが、昔とはうって変わって本当に元気になりました。

母の再婚相手と、私の子ども。この二人が私と母の間に入ってくれたことで、お互いに依存しあっていた母娘の関係性が少しまた変わりはじめているように感じます。新しく家族に加わった人たちが、私と母を救ってくれているのかもしれません。

誰かのつらい体験を聴くときに心がけていること

私のような子どもがいたらRIFCR™️をつかって身近な大人に話を聴いてもらいたい。そう思って、RIFCR™️を伝えるトレーナーとして9年間活動を行ってきました。

私自身も身近な誰かの話を聴くときには、RIFCR™️の知識やスキルを念頭においておくようにしています。

その一つが、「話すタイミングを決めるのはいつでもその人自身である」ということを忘れずにいることです。

つらい体験をした人はさまざまな理由からその体験を話さなかったり、聴かれても答えなかったりすることがあるかもしれません。例えば加害者が脅していたり、された行為をその人自身が恥ずかしいと思っていたり。また誰にも聴かれないから話さないという人もいれば、打ち明けたときの他者の反応を心配して話せない人もいるでしょう。

聴かれなかったから話さなかった、話せなかったという私の幼少期のような状態の子どもや大人もいると思うので、心配だなと感じた人には、適切なスキルを持って話を聴く機会を設けたいと思っています。

そして、その人が話さないことを選んでいるのは背景があり、話すかどうか、そして話すタイミングを決めるのはその人自身なのだということを忘れずに話を聴きたいなと思っています。

もう一つ私が誰かのつらい経験を聴く時に気をつけていること。それは「全部私がなんとかしよう」と思わずに「あくまで自分は大きなパズルの1ピースである」という自覚をもちながら聴くことです。

そうでないと、話を聴いた人が全てを抱え込んでバーンアウトしてしまったり、適切な機関につなぐのが遅れてしまったりすることにつながるからです。

「パズルの1ピースである」というのは、決してあなたの「聴く」という行動がとるにたらないものであると言いたいわけではありません。その1ピース、ほんの少しの「聴く」という行為が、目の前の人にとってかけがえのない時間になる可能性もあるのだと信じてほしいと思います。

過去の私のように「この人は私のことを大切に思ってくれている」と信じられるようになれば、他の人にも話してみようと思うきっかけにつながっていく。

少なくとも私の場合はそうでした。N先生に出会ったときに初めて「自分の感情や経験を話してもいいんだ」と安心できたし、その経験があったからこそ草間さんや松岡さんにも「話してみよう」と思えた。そして、そこから人生が広がっていきました。

「聴く」という行為はささいなことに見えるかもしれません。でも、そこでかわされた言葉が誰かの人生を変えていく。そんな大きな大きなきっかけになる力を持っていると私は信じています。

きっと大丈夫。話すこと、聴いてもらうことを諦めないで

このコラムを書くにあたって、もし昔の自分に何かメッセージを伝えられるならなんと伝えるだろうと考えました。

あなたのままで大丈夫。

私はきっとそう伝えるんじゃないかなと思いました。当時は大人に理不尽な行為をされたときに「自分が悪いのかもしれない」と思って誰にも相談できなかった。でも本当はそんなことなかった。

だから「あなたが悪いわけじゃない」「あなたはそのままで大丈夫」と言ってあげたいです。

【イラスト】上を向いて微笑む女の子のイラスト

そして、もう一つ伝えたいメッセージがあります。

出会いがあなたを救って、時間をかけて癒やしてくれるからきっと大丈夫。

「周囲の人が信頼できない」「誰かに話を聴いてもらっても、なにかが変わると思えない」と思っていた私ですが、N先生や草間さん、松岡さんをはじめとした大切な人たちとの出会いによって少しずつ癒やされていった。過去の私には、そんな希望を伝えられたらと思います。

そして、今もし過去の私と同じような思いを抱いている人がこのコラムを読んでくれているとしたら、伝えたいことがあります。

それは「あなたの話をしっかり聴きたい、受け止めたいと思っている人がきっとどこかにいるはずだ」ということ。

これまでの出会いに絶望し、これから先もそんな出会いはないだろうと悲観的になる気持ちは本当によくわかります。でも、それでも。どこかにいるはずだと伝えたい。

私は誰かに話すことで、自分のなかに力があることに気づけました。自分の気持ちを言葉にすると「ああ、私ってこんなふうに思ってたんだ」と改めて自分を知るきっかけになります。

もちろん話さない自由はあなたの手のなかにあります。でも、話を聴いてもらったことで癒やされた私は「話すこと、そしてそれを聴いてもらうことはそんな捨てたものじゃない」とどうしても伝えたい。

話し、そして聴いてもらうということの可能性をぜひ頭の片隅においておいてもらえたらと思います。

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(イラスト/ますぶちみなこ、編集/工藤瑞穂、企画・進行/岡本実希)